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カテゴリー: column

  • パキスタン・日本フレンドシップバザール

    4月26日(土)ならびに27日(日)に東京都台東区の上野公園にて、パキスタン・日本フレンドシップバザールが開催される。

    このところ日中は「ちょっと暑い」と感じるくらいにまで気温が上がる日もあり、屋外イベントの季節がやってきたことを感じる。

    しかしながらやはりそこは屋外であるがゆえに、天気に左右される部分が大きい。こうした催しのときにはいつも思うのだが、好天に恵まれることを願いたい。

  • パーキスターンに味の素進出

    かつてアジアで「グルタミン酸を旨みと認識する食文化圏はヒマラヤの手前まで」と言われていたことがあった。

    確かに中国や東南アジアではそのような食文化が展開されていて、インドから西はといえば、異なる味覚の世界という捉え方がなされていたようだ。

    もちろんそれらの国々でも肉の旨みというのは誰もが判っていたこととは思うが、グルタミン酸調味料の大きな商圏といえば、やはりアジアの東側であったことは間違いない。

    だがここ数年は、エジプトで「行商スタイル」での営業活動を展開する味の素が売上を伸ばしていること、人口増加率が高くて若年層の人口が厚く、今後順調な所得増が見込まれるイスラーム圏(といってもあまりに広大だが)での販路を求めて様々な策を練っている様子が伝えられている。

    なぜエジプトで“味の素”が売れるのか?(東洋経済)

    味の素、東アフリカに進出へ ケニアに拠点、来年度から販売 (SankeiBiz)

    また、最近は日本初のハラールファンドが設立されて、日本の食品業界が本腰を入れてイスラーム圏へ進出を図りつつある様子もうかがえる。

    日本初のハラルファンド 地銀など50億円出資 (日本経済新聞)

    このあたりの動きが可能となったのは、やはり化学調味料メーカーの営業努力はもとより、昨今のグローバル化により、食の分野でも多様化が進んだことも背景にあるのだろう。

    同様に、日本国内の消費が長く頭打ちであること、中国や東南アジア方面でも競合相手が増えて、マーケットが飽和状態にあるため、これまでは「圏外」であった地域に活路を求めなくてはならなったという事情もある。

    そこにきて、4月に入ってから新聞紙上を賑わせていたこんな記事もあった。

    味の素、パキスタン進出 「ハラル」市場の攻略拠点に(日本経済新聞)

    これらの地域へのグルタミン酸を主原料とする調味料等の販売はネスレをはじめとする欧州勢が先行しており、日本企業はこれを追う形になるのだが、化学調味料の浸透とともに、地元の食の世界もジワリと変化を迎えつつあるのだろう。

    果たしてそれが良いことなのか、そうでないのかは定かではないものの、今後の行方に注目していきたい。

  • 今年秋からミャンマー国際航空がヤンゴン・関空便を運航開始

    先日、ミャンマー国際航空が関空に就航予定と題して取り上げてみた、ミャンマー国際航空(MAI)の関空への乗り入れだが、以下の記事のとおりの内容で決定したようだ。

    関西国際空港:ミャンマー・ヤンゴンへ週3便 今秋就航 (毎日新聞)

    ところで好景気に沸くミャンマーの様子を垣間見るようなこんな記事もある。

    Myanmar citizens flying abroad this Thingyan (THE NATION)

    近隣国のタイ、マレーシア、中国などから休暇でミャンマーを訪れる人々は増えているが、同様にミャンマーの富裕層やこのところ拡大しつつあるミドルクラスの人々が周辺国に観光に出かける例も増えているようだ。

    本日からミャンマーは同国の正月休暇となっているが、来年のこの時期にはヤンゴンからの直行便を利用して関空に降り立つミャンマー人観光客の姿も少なからずあることだろう。

    バンコクやクアラルンプルに較べると距離感があったヤンゴンの街が、ANAに続いてMAI直行便を就航(前者は成田便、後者は関空便)させることにより、ずいぶん近くなるのは喜ばしいことである。

    予断となるが、ミャンマー国際航空関係で、こういうニュースもある。

    香川)ウー投手、祖国のミャンマー国際航空と契約 (朝日新聞)

    四国アイランドリーグplusでプレーしているゾー・ゾー・ウー投手は、ミャンマー代表チームのエースだそうだが、上記リンク先記事には野球人口50人とある。ミャンマーの野球界発展のために今後ますますの活躍を期待したい。

  • 第23回東京ダジャン

    今年で23回目となる東京ダヂャンが千代田区の日比谷公園にて、4月13日(日)に開催される。長らく北区の飛鳥山公園で開催されてきて、一時期吉祥寺市の井の頭公園に場所を移し、その後日比谷公園で開かれるようになっている。

    こうしたイベントでは往々にしてその国の駐日大使館が「後援」名義を与えていたり、来賓として最初に少し顔を出したりするものだが、東京ダヂャンについてはそうしたものは一切なく、純粋に日本で生活するビルマ市民たちの集まりである。

    もともと日本に在住するビルマの人々はほとんどいなかったのだが、1988年の民主化デモとそれに続くクーデター、1990年の総選挙におけるNLDの大勝利という結果を無視して、政権を移譲することなく軍政の続行という時代に、祖国での迫害を逃れて、あるいはそうした状況に希望を失って他国に活路を求めた人々の中で、行き先に日本を選択する例が少なくなかったため、突如として日本の東京その他の大都市を中心に、ビルマ人コミュニティが出現することとなった。

    その中で、政治活動を志す活動家がどれほどの割合で存在してきたのかはよくわからないが、多くは生活の糧を得るために日々忙しく働いてきたことだけは知っている。それでもあまり政治に関心のないという人は珍しく、多くは自身でできる範囲で、余暇の時間に祖国を良くするための政治活動に時間を割いたり、経済的な負担を引き受けたりしてきている。

    とりわけ88世代と呼ばれる、1988年のデモに端を発した民主化要求運動の時代に、中心的な活動家として、あるいはそれを周囲で支えたり、あるいは賛同して運動に加わったりした大学生を中心とする当時の若者たちの世代はその傾向が特に強い。

    多民族国家だけあり、ビルマ人としてのまとまりを欠く部分はあるかもしれないが、日本における民族ごとの活動も盛んである。そうした各民族が集まってビルマ正月を祝うというのがこの集まりである。

    当日は好天に恵まれて、賑やかで和やかな集まりとなることを期待したい。

     

    第23回東京ダジャン(ビルマ市民フォーラム)

     

     

  • PENTAX Q7 & Q10

    PENTAX Q7 & Q10

    外観はPENTAX Q10と同一のPENTAX Q7
    Q7と2台持ちすると画角の違いでも重宝するQ10

    以前、PENTAX Q7と題して取り上げてみた「世界最小デジタル一眼」を謳うこのカメラ、昨年7月の発売日に購入して以来、愛用している。

    先代のQ10に比べて、センサーのサイズが1/2.3から1/1.7型へと大型化したといっても、画質そのものが劇的に向上するというものではなく、コンパクトデジカメと同等の大きさであることから、画質云々にこだわるほどのものではないとはいえ、それでも思いのほか写りが良いことと、レンズ交換式でまさに一眼感覚で楽しむことができるのが、Qシリーズの人気の理由だろう。

    「トイレンズ」と名付けられたチープなレンズも加えて8点のレンズを持ち歩くとしても、カバンの片隅にこじんまりと収まってしまうのがいい。冬ならば上着のポケットに全て収まってしまうという機動性も頼もしい。

    そんなわけで、ボディをもう一台買い増ししたいと思っていたので、このたび中古で購入することにした。同じQ7にするか、それともひとつ前のモデルであるQ10にするか、少々迷ったが、センサーサイズの違いから同じレンズを装着しても画角が少し異なるQ10を入手することにした。

    Q7の発売後もしばらく平行して販売されていたQ10だが、昨年秋くらいには生産終了となっており、現在は1万円強程度で購入することができる。ちなみにQ7はその倍程度の価格である。(2014年4月現在)

    ボディのデザインや重量は両者とも同一で、操作メニューもほぼ同じである。どちらもボディの色は黒を選んだので、軍艦部に刻印されているモデル名以外の外見はまったく区別がつかない。2台持ちしてもまったく苦になることのないコンパクトさがありがたい。

    私にとって最も使用頻度の高い広角ズームをQ7で常用して、その他のレンズをQ10で使いまわすか、それともQ10はトイレンズの専用機にするかは、そのとき次第である。

    写真を撮るのが趣味とはいえ、重くてかさばるカメラは億劫なので、ハイエンドなコンデジを創意工夫とともに思い切り使い倒すことを身上としている(?)私だが、やはりコンデジ単体での限界値は低い。レンズ交換して楽しむことができる「一眼式コンデジ」の存在意義は大きい。

    「インドでどうだろう?この一台!」というところで、やはりPENTAXのQシリーズはイチオシだと私は考えている。

  • 地球の歩き方 南インド 2014年~2015年版

    地球の歩き方 南インド 2014年~2015年版

    地球の歩き方の南インド編が発売されている。

    地球の歩き方 南インド 2014年~2015年版 (ダイヤモンド社)

    ISBN978-4-478-04546-6

    これまでの同シリーズのインド編から南インド紹介の部分を切り離したうえで、内容を充実させたのが本編である。

    豊富な図版とヴィジュアルな構成で、パッと見て感覚的に把握できるようになっているのはこのシリーズの他地域のガイドブックと同様だ。個人旅行向けのガイドブックということになっているが、私自身は、地球の歩き方は「るるぶ」的なガイドブックだと思っている。

    しかしながら、大まかに「南インド」という場合に当然含まれるはずのアーンドラ・プラデーシュ州(近いうちに同州から分離することになっているテーランガーナー地域も含む)が除外されてしまっていることが大変残念である。

    ヴィジュアルな構成であるがゆえに、全330ページというページ数の割には情報量が少ないことも気になる。写真が多く掲載されていると分りやすいという点は否定しないが、今の時代、インド各地の街中や史跡等の画像はネット検索するといくらでも出てくる。また「今の時代」といえば、電子版も用意したほうが良いようにも思う。

    地図以外の図版等を削除して、ほぼ文章だけにまとめた極薄のコンパクト版があったらいいようにも思うのだが、それにしてもロンリー・プラネットの豊かな情報量には遠く及ばない。

    英語が苦手な人が多いという文化的な障壁があるため売れ行きはいいのかもしれないが、過剰に図版が多いがゆえに、情報量の割には厚いというこのスタイルは、ちょっと見直したほうが良いのではないだろうか。もちろん人それぞれ、様々な意見はあることとは思うのだが。

  • 著名人の政界への転身

    有名なスポーツ選手やタレントが選挙に出馬することが多いのは、社会で知名度が高いため広告塔としての効果が期待できること、そしてもちろんのこと有名であるがゆえに、たとえ新顔であっても個人的な人気により、浮動票を集めて当選する可能性が高いからでもある。

    もちろん政治活動を続けてきて政界に通じている人物、経済活動や社会活動を通して高い見識を身に付けて来たような候補者と異なるため、素人扱いされることも少なくないが、社会の様々な層の人たちの意見を代弁する議会という場で、他と背景がまったく異なる人たちが加わるのは悪いことではない。

    さて、そうしたスポーツ選手やタレントが選挙で候補者として登場することが少なくないのはインドも同様で、今回のローク・サバー選挙においては、俳優のパレーシュ・ラーワル、射撃選手でオリンピック銀メダリストのラージャワルダン・スィン・ラートール、クリケット選手として活躍したモハンマド・カイフ等々が出馬しているが、西ベンガル州だけを見てもサッカーの元インド代表のエース・ストライカーであったバイチュン・ブーティヤーとベンガル語、ヒンディー語映画等で活躍した女優、ムーン・ムーン・セーンが、マムター・バナルジー率いるTMC(トリナムール・コングレス)から立候補する。

    ベンガル人であり、ミドナプル地区から出馬するムーン・ムーン・セーンはともかくとして、スィッキム州出身のブーティヤー族であるバイチュン・ブーティヤーがダージリン地区から出馬していることについては、いろいろな波紋を投げかけることになっている。

    西ベンガル州のダージリン地区は、同州内の他の地域とは地理的、文化的、人種的な要素が大きく異なる。インドが英領であった時代に当時のスィッキム王国(現在のスィッキム州)から割譲された地域ということもあり、ブーティヤー族の住民も多い。それがゆえにダージリン地区においては盤石とは言えないTMCの有力候補として擁立されたわけである。

    TMC candidate Baichung Bhutia campaigns in Darjeeling (The Indian EXPRESS)

    だが同地区は長年、西ベンガル州からの分離活動が盛んであった地域であり、ネパール系の住民たちの利益を代表するGJM(ゴールカー・ジャンムクティ・モールチャー)がその流れを牽引している。TMCは、ネパール系ではないものの、サッカー人気の高いこの地域において、近隣地域であり、居住地域が重なることから民族的にも馴染みの深いブーティヤー族出身のバイチュン・ブーティヤーに期待をかけているはずだ。しかしながら地元のTMC活動家たちは、バイチュンのGJMとの融和的な姿勢について不満を隠さないという具合で、党内部でもいろいろ摩擦が生じていることがうかがえる。すでにひと月近く前の記事ではあるものの、参考までにリンクを掲載しておく。

    Baichung Bhutia draws ire of local TMC leaders after seeking GJM support (The Indian EXPRESS)

     

     

  • 第15回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ

    長年に渡って恒例のイベントとなっているJAPAN BANGLADESH SOCIETYによる「第15回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ」4月20日(日)に池袋西口公園にて開催される。

    関東一円ならびにその他の地方からも在住のバーングラーデーシュ出身の人々が集まり、このときばかりは日本国内での催しものとは思えないほど大勢のベンガル人たちの姿が見られる。私自身もここに出向くと、そのあたりからやってきて日本に定住している知人たちとよく再会するので楽しみにしている。

    南アジア系の料理屋も多く出店しているので、東京都内でどこか新しいお店を開拓してみようかと思っている方にも、味見したりスタッフと話してみたりするのにちょうどいい機会であることだろう。

    この手のイベントは天候に左右される部分が大きいので、当日は好天に恵まれることを祈る。

  • ミャンマー国際航空が関空に就航予定

    ミャンマー国際航空(MAI)が関西国際空港へ年内に就航する方向で調整中との報道があった。

    関空―ヤンゴンに定期便就航へ ミャンマー国際航空(日本経済新聞)

    昨年から全日空が成田・ヤンゴンの直行便を就航させているが、同じくミャンマー国際航空も成田便就航を模索してみたり、茨城空港にチャーター便を飛ばしてみたりと、いろいろ検討を続けていたようだ。また本日時点ではまだ、ミャンマー国際航空の本社サイトの「Route Map」には「Future Route」として日本の就航予定先は東京であることが示されているものの、最終的には先行した全日空のルートと重複せず、日本の空のもうひとつの表玄関である関空に就航という形で落ち着くようだ。

    途中で乗り換えることになく、ヤンゴンまでそのまま移動できることについてのメリットは大きい。ミャンマー・ブームが過熱していく中で、西日本方面からのビジネス、観光等による需要を手中にすることとなる。

    現在までのところ、成田からヤンゴンへのフライトの需要については、提携航空会社(全日空・タイ航空・日本航空)のフライトによる成田・バンコク間の移動、そしてバンコク・ヤンゴン間はミャンマー国際航空によるフライトという組み合わせでの発券を実施しており、当面はこの形で対応していくということになるのだろう。

    今後、ミャンマー国際航空は、ヤンゴンからデリー便、ドバイ便、ソウル便を計画している。ヤンゴン国際空港のウェブサイトを眺めてみると判るとおり、現時点では同空港に乗り入れている航空会社は自国の国内線キャリアを除いた国際線ルートでは、アセアン諸国や中国といった周辺国が主体で、その他の国々から乗り入れている航空会社といえば、全日空(日本)、大韓航空、アシアナ航空(韓国)、カタール航空(カタール)、エア・インディア(インド)、ビスミッラー航空(バーングラーデーシュ)くらいのものだ。フライトの所要時間にして1時間20分程度のところに、シンガポールと並ぶ東南アジアのハブ空港のひとつであるバンコクのスワンナプーム空港があるため、欧米からの直行便が乗り入れるような状況にはなっていない。

    しかしながら、軍政末期のヤンゴン国際空港の寂しい状況とは打って変わって、近隣国との間を結ぶフライトが急増している昨今であり、空港施設の拡張が早急に求められる状況になっている。ちなみに、すでにパンク状態にあった国内線ターミナルビルをはじめとする国内線関係の施設のアップグレードは、つい先日完了したばかりだ。

    昨年11月にお伝えしたとおり、ミャンマーの国内線キャリアがネットによる予約とクレジットカードによる支払いが可能となったことと同様に、当然ながらミャンマー国際航空についてもウェブ上でのブッキングと支払いができるようになっている。

    個人的にミャンマーに強い関心を抱いているものの、当のミャンマーの方々には申し訳ないのだが、私自身の興味の対象は英領期のミャンマー、つまり英領であった当時のインドのそのまた植民地であった国におけるインド人入植者たちの動向、そうした人々の子孫である現在ミャンマーに居住しているインド系コミュニティのありかたである。

    そのあたりについては、また別の機会を設けることにしたいと思う。

  • さくらフェスティバル2014

    インド大使館の改装前には「さくらチャリティーバザー」として親しまれてきたインド大使館の春のイベントだが、現在は「さくらフェスティバルと改名して現在に至っている。

    今年は4月2日(水)から6日(日)までの開催で、時間は午前11時から午後9時まで。3月25日に桜の開花宣言がなされた東京の花の盛りは過ぎてしまうことになりそうだ。最も盛大となるのはやはりその期間中の週末にあたる5日(土)と6日(日)ということになるのだろうが、すっかり暖かくなってきたこの時期、夕方以降に訪れてみるのもいいかもしれない。

    長かった冬も終わり、春めいた気候になってくると身も心もウキウキしてくる。まるで枯れてしまったかのような佇まいで寒い時期を過ごしてきた桜の木だが、暖かくなってくると一斉に花を咲かせて1年が始まるというのは実にドラマチックだ。

    年度末、そして年度初めと、仕事をしている人たちにとっては非常に多忙なこの時期ではあるものの、咲き誇る淡いピンク色の桜の花は、私たちみんなの心を和ませてくれて嬉しい。

  • ナコーダー・マスジッド

    ナコーダー・マスジッド

    ナコーダー・マスジッドのエントランス

    アーグラー郊外のスィカンドラーにあるアクバルの廟を模しているとされる、コールカーターのナコーダー・マスジッド。現在のグジャラート州西部のカッチ地方を起源とする商業コミュニティにより建造されたスンニー派のモスクで、1926年に完成している。

    この街のモスクを代表する存在であるといえるが、地元のコミュニティではなく、国内とはいえ現在のインドの西端からやってきたムスリムたちにより建造されたというのは、いかにもコスモポリタンなコールカーターらしい。同時にこのあたりにはグジャラート州などインド西部起源のムスリム住民が多いのではないかという推測もできるだろう。

    この地域は旧中華街、旧ユダヤ人地区等と交わる昔からの繁華街。元々、欧州人でも地元ベンガル人でもない外来の人々が多く定住したエリアなので、前述のグジャラートから移住したムスリムたちにも都合が良かったのかもしれない。

    1万人の礼拝者を収容できる大型モスクなのだが、狭小地に建てられているがゆえに、伝統的なムガル様式を踏襲した建物ながらも、礼拝堂が多層構造になっているのが特徴だ。

    エントランスのあるザカリア・ストリートからよりも、ラビンドラ・サラニからの側面の姿のほうが見事な造形を楽しむことができる。モスクが面している道路とキブラの方向とのズレを、建物が捻じれた構造にすることによって解決してあるため、ちょっとだまし絵のような印象も受ける。

    ラビンドラ・サラニから眺めるとこんな具合

    ユナーニー医学の腹薬

    周囲は門前町となっており、様々なイスラーム関係のグッズやその他の日用品などを商うイスラーム教徒の商売人たちの店や露店が所狭しと賑やかに並んでいる。モスクのエントランス正面にあるAMINIA HOTELという食堂は、このバーザールで最も早い時間帯から開く店のひとつのようだが、まだ辺りが薄暗いうちから店のスタッフたちが準備を開始して、通りを行き交う人々の姿が多少目に付くあたりには営業を開始している。ここのネハーリーは絶品なので、朝の時間帯にここを訪れる際にはぜひ味わっていただきたい。

    AMINIA HOTELでは、もちろんそれ以外の時間帯にも各種ケバーブ類その他、おいしいイスラーム系料理が沢山用意されている。いかにも下町の大衆的な料理屋さんといった風情で、エコノミーながらも味わいは本格的で、ナコーダー・マスジッドの向かいというロケーションも最高だ。夕方遅い時間帯になっても営業しているので、ぜひともナコーダー・マスジッド詣でとセットで訪れたい。

  • 久美子ハウス

    四半世紀以上も前のことになるが、バナーラスの久美子ハウスに宿泊したことがある。日本人宿というものに特段の興味や関心があるわけではないのだが、当時は泊めてもらう前に「面接がある」だの、その面接で「落とされる人がいる」だのといった噂を耳にしていた。落とされた人というのは、当然そこに宿泊させてもらえず、他の宿を当たらなくてはならない。観光客の多い街で、界隈には他の宿泊施設も多いので困ることはないのだが、お客に対してそんなに居丈高な宿が本当にあるのかと不思議であった。

    当時大学生であった私は、友人と初めての海外旅行で訪れたインドであり、目にするものすべてが物珍しく、迷路のようなバナーラスの街はどこか異次元の世界のようでもあった、昼間はどこまでも人々でごった返している小路を進んでいき、ようやくたどり着いた先に「久美子ハウス」と日本語で書かれた看板が目に入るにあたり、ホッとした気分になった。

    「面接」といっても何を聞かれたのかは今となってはまったく記憶していないが、確かにそれらしきものはあった。久美子さんの夫でヒゲ面のシャーンティさんが流暢な日本語でいろいろと質問、といった具合であったのではないかと思う。

    料金はいくらであったかも記憶していないが、ドミトリーで朝晩の食事が付いていて、バックパッカーが利用する宿としても最安クラスであったはずだ。食事というのは、かすかに醤油の味がするようなしないような汁の中にブツ切りの人参と大根がプカプカ浮かんでいる鍋のようなもの?と大きな器にドカ盛りされたご飯を各自好きなだけ取り分けて食べるといった具合。

    思えばちょうどホーリーの時期であった。着替えが一揃いしかないので、衣服をダメにすると、なけなしの旅行資金から捻出して新しい服を買い求めなくてはならなくなるので、屋上から通りの下を眺めているだけであった。そういう日とは知らずにバナーラスの鉄道駅に降り立ったという人たちは、全身物凄い色になって宿に転がり込んできていた。

    安旅行者を相手にしている宿であるだけに、面倒な問題を起こす旅行者が少なくなく、中には警察沙汰になったり、時には行方不明になったりしてしまう滞在者もいるなど、なかなか大変であったようだ。それに加えて宿が多くて過当競争になっている地域にありながらも、客引きに頼むこともなくしじゅう宿泊客の日本人たちが出入りする、経営環境としては非常に恵まれた立場にあるだけに、周囲の同業者から妬まれるということも耳にしていた。そういう事情があったため、宿泊者への「面接」というのが行われていたのだろうと思う。

    こうした環境でもまれてきたからなのだろうが、久美子さんといえば、やたらと眼ヂカラのある豪放磊落な感じがする女性、肝っ玉母さんという印象がある。元来世話好きでもあるようで、ときには「口うるさいオバハン」と疎まれたりすることもありながらも、朝夕の料理のときには長期滞在者の誰かしらが手伝っていることが多かった記憶があるし、久美子さんもそうした人たちを気軽に「使い走り」に駆り出していたりもしていた。なかなか普通の宿ではありえないことだろう。

    数か月単位の長期で滞在している人たちも少なくなく、安ホテルというよりも、賑やかな下宿屋といった風情の久美子ハウスであった。ガートに面した建物の屋上からのガンジス河の景色は良かったし、月夜に照らし出された河面の眺めも最高だった。当時はまだ幼かった可愛い子供さんたちも、とうの昔に成人してコテコテのインド人になっていることだろう。

    その後、久美子ハウスに逗留したことはないのだが、幾度かバナーラスを訪れてガートを散歩中にこの宿のあたりを通りかかると、当時のことを思い出したものである。

    そうした記憶もすっかり遠くなってしまった今、FB上で複数の方々が久美子ハウスについての記事を取り上げられていて、とても懐かしい思いがする。久美子さんもお元気そうで何よりである。なんでも今では久美子ハウス2号館というのもあるとかで、商売繁盛のようである。

    -次期経営者募集?!-久美子さん(ウッタル・プラデーシュ州バラナシ在住)(LIVE INDIA)