ただいまメンテナンス中です…

カテゴリー: column

  • Namaste Bollywood+ 43

    Namaste Bollywood+ 43

    Namaste Bollywood+ 43

    日本における唯一のインドのヒンディー語映画専門誌として知られる「ナマステ・ボリウッド」は、第42号から「ナマステ・ボリウッド+」として有料版に移行、このたび発売された第43号は、新創刊第2号となる。

    今号のテーマは「ボリウッドで知るイスラーム文化」である。インドにおけるイスラーム教徒は、総人口13億に迫る(12.5億)巨大な人口を抱えるこの国のマイノリティ集団だが、ここに占めるムスリム人口は1億8千万人に迫るとみられることから、インドネシアの2.5億、パキスタンの1.8億に次ぐ、世界第3位のムスリム人口大国となる。

    ちなみにアラビア半島の総人口は、7千7百万人(産油国における人口統計には、出稼ぎ等の外国人の数も含まれることに多少の注意が必要)程度なので、その規模の大きさは圧倒的だ。インド・パキスタン・バングラデシュの3国のムスリム人口を合わせると、その数は4億人を越えることから、イスラーム世界のマジョリティの一角と捉えて間違いないだろう。

    また、アフガニスタンやパキスタンにおけるタリバーン運動の思想的なルーツでもあるデーオバンド派が始まったのは19世紀のUnited Provinces(現在で言えば州の分離前のUP州に相当)のデーオバンドでもある。タリバーン運動とは反対に穏健な原理主義として知られ、世界各国に活動を広げるタブリーギー・ジャマアトもこのデーオバンド派から生じたものであり、南アジアおよび周辺地域におけるイスラームに関わる宗教・政治運動に与える影響は大きい。

    話は映画に戻る。インドの映画界草創期から現在に至るまで、俳優や監督等の中にムスリムは多く、その他製作や配給に関わるあらゆる映画産業関係者も含めると、さらに大きなものとなる。

    昨今の日本では、イスラーム圏から観光や買い物等の目的でやってくる人たちが増えてきていることから、イスラームの作法によるハラール料理への注目が高まるなど、ポジティヴな面での関心の高まりとともに、イスラーム国による日本人の拉致殺害事件からくるネガティヴなインパクトも強く、正と負の両極端なイメージが混淆している状態だ。いずれにしても自分たちとの日常とはほとんど縁のない、理解しがたい人たちというイメージが強いのではないだろうか。

    そんな中でも、やはり日本の書店には「イスラムとは」「イスラム入門」「イスラム国の××」といったタイトルの書籍とともに、イスラームについての特集記事を掲載する雑誌等が数多く並ぶようになり、多くの人々が注目するようになってきていることがわかる。

    こうした書籍等で取り上げられる「イスラーム世界」の多くは、アラビア半島を中心とする宗教の歴史や文化史、あるいは日本から地理的な近いインドネシアやマレーシアのムスリムの人々のことであることが多く、南アジアのイスラーム教を中心にカバーしているものはあまり多くはない。また、往々にしてムスリムの人の視点に軸足を置いた主観的な「イスラーム観」が語られているように感じる。

    南アジアにおけるパキスタン、バングラデシュのようにムスリムがマジョリティを占める国では、イスラームは社会の規範であり、アイデンティティの拠りどころでもあるわけだが、反対にインドにおいては、長い歴史の中で10世紀以降から幾度も大波のように西方から押し寄せてきたイスラームの浸透は、しばしば文化的な侵略として捉えられることは少なくない。

    それでも必ずしもイスラーム教は侵略や略奪とともに到来したわけではなく、建築、医療、航海術、生活様式など、当時の先端文化をインドにもたらすものでもあった。たとえイスラーム教徒でなくとも、現在のインドの人々の思考様式、生活習慣、言語等々の様々な方面でイスラームがもたらした文化と日々無縁ではいられない。

    先祖代々、ムスリムの人々と隣り合わせで生きてきたため、たとえイスラーム教について批判的な人であっても、イスラームという宗教やそこから生じた思想等に関する知識は非常に豊かで、イスラーム文化への露出度や経験値の高さには測り知れないものがある。

    イスラーム王朝による被支配の過去の記憶に対する、19世紀半ば以降のヒンドゥー復古思想の高まり、20世紀に入ってからは英国支配からの独立運動は、マジョリティのヒンドゥー教徒を中心としつつも世俗的な政治思想で人々を率いた国民会議派とムスリムによるムスリム国家の樹立を目指したムスリム連盟との間で深刻な対立を生み、印パ分離独立という結果を見ることとなった。

    印パ分離にあたっては、双方から空前の規模の避難民が国境を越えてヒンドゥーが主体のインド側、ムスリムが大勢を占めるパキスタン側へと流入する最中で発生した暴動や虐殺等により、100万人にも及ぶとされる膨大な数の市民が命を落とすという惨事となったことは多くの人々が知るとおりだ。

    こうした近代史における大きな出来事が、印パ両国間に今なお横たわる大いなる相互不信の根底にあり、同じくインドにおけるイスラーム教徒、パキスタンにおけるヒンドゥー教徒に対する感情にも反映されて現在に至っている。

    しかしながら、インドにおけるイスラームの伝統は今も古典音楽、歌謡、絵画等、文学の芸術分野でも脈々と受け継がれており、これらは「インドの文化」と切り離すことのできない重要な部分を成していることはもちろんのことながら、政治経済の様々な方面でも活躍するイスラーム教徒たちは非常に多い。

    ときに緊張をはらんだ対立を生むことがあっても、長きに渡ってイスラーム文化から多大な影響を受けつつ、独自の文化・習慣を持つムスリムの人々と平和裏に共存共栄してきたインドという国は、「イスラーム理解の先達」と表現することができるだろう。

    また、イスラーム教徒が大半を占める国ではなく、自国内に「世界最大級のムスリム人口」を抱えるインドだからこそ、イスラームとの関係においてはごく日が浅い私たちが、いかにしてムスリムの人々を理解して共存・共栄していくかということにおいて、学ぶべきことが大変多いことと思われる。それはときに反面教師的なものであったりすることも少なくないかもしれない。決していいときばかりではなく、幾多の辛く厳しい局面も体験してきた懐の深さを持つインドだからこそ、非常に有用な数々の叡智を掘り起こしていくことができるはずだ。

    必ずしもムスリム自身からの観点のみではなく、イスラームの伝統や文化に造詣が深い非ムスリムによる視点、これとは反対にあまり好意的ではない意見も併せて、イスラームについて多角的に考察してみることが可能となる。複眼的な視野を持つことは、異文化理解において重要なことだ。

    話は戻る。今号はインドというフィルターを通して見たイスラーム文化、イスラームという視点から切り込んだボリウッド映画という大きなテーマ。たとえ純粋に娯楽映画として製作された作品であっても、華やかなスターたちの姿、美しい映像やスリリングなストーリーといった視覚的な部分のみではなく、作品を生んだ土壌や社会文化背景まで広く理解することによって、さらに深く堪能できるのがヒンディー語映画の豊かな世界。

    この号に取り上げられたイスラームに縁の深い作品を片っ端から鑑賞して、イスラーム教という宗教文化、政治性、ムスリムの人々について、硬軟織り交ぜたいろいろな側面に触れてみてはいかがだろうか。

    蛇足ながら、今回テーマとなっているイスラームとは関係のない内容だが、手前味噌ながら私自身も「ボリウッド眺望紀行」と題した記事をちょこっと書かせていただいている。こちらも併せてお読みいただければ幸いである。

  • 炎天下のサイクルリクシャー

    炎天下のサイクルリクシャー


    連日40数度で真夏のデリー。この時期、湿度は低いので木陰に入るとそれなりにしのげるのはいいが、日向で野菜や果物等を行商する人たち、工事等の肉体労働に従事する人たちは本当に大変だ。

    そうした中で、長いこと強い日差しに照らされてお客を待っていたり、照り返しの強い路上を進んでいったりするサイクルリクシャーもまた、なんと苛酷な仕事かと思う。「熱中症に注意しましょう」などという甘っちょろいことは言っていられない日常だ。


    こうした人たちは若者ばかりではないし、総じて小柄で華奢な体格。エンジンが付いているわけではないので、ペダルを漕いだ分しか進まないし、ギアが付いているわけでもない。彼らが身体を強張らせて踏んばっている姿を後ろの客席から眺めていると、「ちょっと代わってやろうか」などと声をかけたくなったりもする。

    昔と違って、さすがにデリー市内のサイクルリクシャーの男たちは、身なりもずいぶん良くなった。ちょっと洒落た?シャツを着ていたり、ジーンズをはいて漕いでいたりするのだが、ランニングとルンギー姿でそうしているよりも、なおさらのこと暑苦しそうに感じられる。


    これから先、まだまだ気温の高い時期は続く。その後、モンスーンがやってきたら、気温はやや下がるものの、強い雨や蒸し風呂のような空気の中での、これまた辛い日々となる。

    夏の暑さも冬の寒さも厳しいデリー。外で額に汗して稼ぐということはまったくもってたやすいことではない。

  • マジヌー・カー・ティーラー

    マジヌー・カー・ティーラー

    マジヌー・カー・ティーラーでチベット料理でも食べようと出かけてみた。

    メトロのヴィダーン・サバー駅で下車して、サイクルリクシャーで少々進んだところのGurudwara Majnu Ka Tilla Sahibからアウターリングロードを少し北に進んだ道路反対側にある。


    TIBETAN REFUGEE COLONYと書かれた門をくぐり、まずはチベット寺院にお参りしてから少し散策することにする。この街区だけはインド人の姿はあまり多くなく、行き交う人々の大半がチベット系の顔立ちで、インドにいることをつい忘れてしまいそうになる。

    まずはチベット仏教寺院に参拝

    とかく違法建築の多いデリー(デリーに限ったことではまったくないが・・・)にあっても、ことさら無秩序に大小の建物が並び、路地が極端に狭くなったり広くなったり。また、チベット仏教のお寺正面の広場以外には、空が見えるエリアはなく、規制とはまったく無縁の空間であるように見受けられる。


    その割には、昔と違って小奇麗な店やレストランなどがかなり多いのは、他のバーザール地域とは異なる。そんな中の一軒に入ってみると、もう昼時を大きく回って午後3時くらいにはなっているのに、ほぼ満席に近い状態であった。

    食事を終えて外に出る。ふたたびサイクルリクシャーでメトロの駅に向かう前に立ち寄ってみたYangdon’s Collectionという店では、飲み物、菓子類、女性の化粧品などとともに、マニ車などの仏具や様々なチベットグッズなども販売していた。


    そんな中で少々気になったのがこの壁時計。チベット旗をモチーフにしたカラフルなもの。ショーケースから出してもらった直後に私はこれを購入していた。

    この店では、ときどきこのような具合にオリジナル商品を作らせては販売しているとのこと。このようなところは地域に他にいくつかあるようだ。

  • NIZAMUDDIN URBAN RENEWAL INITIATIVE

    NIZAMUDDIN URBAN RENEWAL INITIATIVE




    久しぶりにフマユーン廟に足を踏み入れた。四半世紀ぶりくらいだと思う。デリーはしばしば訪れて、近くを通ることはしばしばあっても、中に入ってみようと思わなかった。この度はちょっと気が変わって、ごくごくそばまで来たついでに見学してみることにした。

    ずいぶん見ない間に敷地内も建築物そのものも、非常にきれいに整備されるようになったのもさることながら、世界遺産(指定されたのは(1993年なので、もうふた昔以上も前のことになるが)となったことによる効果を有効に活用しているように見受けられた。

    Nizamuddin Urban Renewal Initiativeというプロジェクトが実施されており、このフマユーン廟、その周辺地域のスンダル・ナーサリーニザームッディーン地域において、イスラームの歴史的モニュメントを保護・発展させていくため、地域の人々自身による史跡の建築の装飾を含めた伝統工芸の振興により、これを持続可能なものとしていき、雇用・就業機会の確保とともに、公衆衛生の普及等も図っていくという、いわば地域興し的な計画である。

    このプロジェクトにおいて、フマユーン廟だけでなく、スンダル・ナーサリーニザームッディーン地域の史跡等も整備されることになっている。

    これに参画する官民合わせて五つの組織は、それぞれArchaeological Survey of India(ASI)Municipal Corporation of Delhi (MCD)Central Public Works Department (CPWD)Aga Khan FoundationAga Khan Trust for Culture (AKTC)である。

    同プロジェクトのホームページ上で写真やテキストで発信される情報以外にも、同サイトで公開される年報にて、様々な事業の進捗も報告されるなど、情報公開にも積極的に努めているようだ。

    世界遺産を核として、地域社会の発展に貢献するとともに、その地域社会からも世界遺産の整備に働きかけていくというサイクルがすでに軌道に乗っているのか、今後そうなるように試行錯誤であるのだろうか。

    いずれにしても、地域社会と遊離した、政府による一方的な史跡の整備事業ではなく、このエリアを歴史的・文化的に継続するコミュニティという位置づけで参画させていくという手法が新鮮だ。歴史的なモニュメントを含めた周辺のムスリムコミュニティにとって、これらの活動が地域の誇りとして意識されるようになれば大変喜ばしい。

    世界遺産の有効な活用例として、今後長きに渡り注目していくべきプロジェクトではないかと私は思っている。

    遺跡の修復に関するコミットメントの具体例を紹介する表示がいくつもあった。

    こちらも同様に、装飾の復元に関わる情報を記載

  • バングラデシュ横断計画 西ベンガル州都コールカーター発、トリプラー州都アガルタラー行き直行バス運行へ

    遠からず、西ベンガル州都コールカーターとトリプラー州都アガルタラーとを結ぶ直行バスが運行されることになるようだ。隣国バングラデシュを囲む位置にある北東州だが、とりわけ「本土」から見てバングラデシュの向こうに位置するトリプラー州へのアクセスがバングラデシュを横切る形で可能となることによるメリットは大きい。

    これは同時に、本来ならばひとつづきの経済圏であったはずのインド東部地域にバングラデシュという他の国が成立してしまっていることの不条理さの裏返しでもある。

    バングラデシュにおいても、過密すぎる人口とは裏腹に少なすぎる就業機会、乏しいインフラなどから、隣接する地域と断ち切られた形で存在する自国について、「もし印パ分離がなかったら」と思う人たちも決して少なくはないようだ。2014年おけるインドの1人当たりGDPが1,165ドルであるのに対して、バングラデシュは625ドルと、およそ半分でしかない。

    パキスタンとともにインドから分離して英国からの独立を果たした東パキスタン(現在のバングラデシュ)だが、その後に高揚したベンガル人としてのナショナリズムにインディラー・ガーンディー政権下のインドがバングラデシュ成立を強力に後押しした。

    いわばインドの傀儡とも表現できる形でスタートしたバングラデシュだが、その後は決してデリーの意向になびくことなく、独自の国体とナショナリズムを固持して歴史を刻んできた。

    アッサムからの水運、物流は長いこと断ち切られ、歴史や言語、文化や習慣を共有する西ベンガル地域に第一次産品を大量に供給し、それと反対に工業製品の供給を受けるという分離以前には存在していた地域内の分業の機能を国境が阻害する。雇用機会やベターな賃金を求めて向こう側に出る人たちは、同じベンガル人ながらも不法移民ということになる。

    これとは逆に、インド側にしてみても地域の真ん中に、あまり友好的とは言えない国が存在することにより、当然のことながらこのエリアにかかる国防費などの負担を抱えることとなる。独立以来、インド北東部が不安定であることの背景に、その地域の特色ある民族構成以外に、ベンガル北部の頼りないまでに細い回廊地域のみを経て到達できるという、地理的な要因もあるようだ。

    イデオロギーによる国家の分断の悲劇は、固定された格差、域内経済の振興への足かせなどとともに今なお継続中である。コールカーターから、ひとつづきのはずのベンガル地域の北東端にあたる地域への直通バスが話題になること自体が、現状の理不尽さそのものである。

    Direct Bus Between Agartala-Kolkata via Bangladesh (Northeast Today)

  • ロヒンギャー難民(続き)

    つい先日、「ロヒンギャー難民」と題して書いた内容の続きである。

    ミャンマー国内に70万~80万人ほどが暮らすとされるロヒンギャーの人たちは、ベンガル語のチッタゴン方言を母語とする集団ということになっているが、英領時代に現在のバングラデシュを含む当時のインドとビルマ(現ミャンマー)が合邦していた時期に、農業その他の生業のため移住した人たちの子孫が多くを占めるとされる。

    軍政期に隣国バングラデシュに大量に流出した時期もあったことを記憶している方も多いだろう。そのロヒンギャーの人たちが今もなお、とりわけ国際社会復帰を果たした「民主化後」のミャンマーから国外に難民として流出しているのは皮肉なことである。

    対ムスリム感情の悪化もさることながら、同国での市民権を与えられない宙ぶらりんの立場が常に彼らを危機に晒し続けているともいえる。幾世代にも渡り、ミャンマーで暮らしていながらも、ミャンマー政府による「不法移民」という位置づけがなされている。

    しかしながら、北海道の倍程度という国土に1億5千万人以上が住んでいるというバングラデシュ国内における人口圧力から察すると、ミャンマーと隣接するチッタゴン地域をはじめとするエリアから、ミャンマーに相当な規模の越境者たちが、バングラデシュの前身である東パキスタン、はてまた1971年のパキスタンからバングラデシュ独立後もミャンマーに相当規模の移住者があってもまったく不思議ではないという推測も可能だ。このあたりの事情について私はよく知らないし、この類のデータがミャンマー政府から公表されているのかどうかはよく知らないため、私自身の勝手な想像に過ぎない。

    しかしながら、同じくバングラデシュと国境を接するインドの西ベンガル、アッサム州、トリプラ州をはじめとする東部地域に、雇用や農耕地等、要は稼ぎ口を求めてやってくる不法移民は後を絶たず、これが常に大きな社会問題、政治経済問題になっていること、ベンガル人移民が押し寄せる波は、バングラデシュ国内でもチッタゴン丘陵地域で、チャクマーと総称されるモンゴロイド系住民が居住する地域でも様々な軋轢を生んでいることなどから思えば、このような流入が相当規模あるとしても決して不思議ではない。まさにそれがゆえに、ミャンマー政府はヤカイン州周辺に定着しているベンガル系の人々をロヒンギャーと呼び、不法移民と位置付けているのかもしれない。

    果たして、ミャンマー政府が言うところの不法移民(が多く含まれる)ことが事実であったとした場合、このあたりの発信力の弱さで、同国政府は実際の「悪業」以上に大きく損をしている部分があるようにも思える。さりとて、ミャンマーないしは、その前身のビルマ成立以前から居住しているロヒンギャーの人たちに市民権を与えることなく、幾世代にも渡り「違法に定住した外国人」扱いしていること、彼らが難民として周辺の国々に流出していることなどをはじめとする著しい人権侵害に対する非難から逃れることはできないのだが。

  • ロヒンギャー難民

    最近もまたミャンマーからのロヒンギャー難民たちに関する記事がメディアに頻繁に取り上げられるようになっている。

    【ルポ ミャンマー逃れる少数民族】 漂流ロヒンギャ、苦難の道 迫害逃れ、過酷な船旅 (47 NEWS)

    昨年、ロヒンギャー問題で知られるヤカイン州のスィットウェを訪れたことがあるが、かつて英領時代には、この街の中心部でおそらくマジョリティを占めて、商業や交易の中心を担ったと思われるベンガル系ムスリムの人たちのタウンシップがある。そこには同じくベンガル系のヒンドゥーの人々も居住していた。

    スィットウェへ3 (indo.to)

    滞在中にヒンドゥーの人たちの家で結婚式があるとのことで、「ぜひお出でください」と呼ばれていたのだが、その街区はバリケードで封鎖されていて、訪問することはできなかった。
    その数日前に、たまたま警官たちのローテーションの隙間であったのか、たまたま入ることが出来て、幾つかの寺院その他を訪れるとともに、訪問先の方々からいろいろお話をうかがうことができたのだが。

    実のところ、その結婚式には日程が合わず出席はできないものの、同じ方々からもう少し話を聞いてみたいという思いがあり、足を向けてみたのであるが、バリケードの手前で、「ここから先はロヒンギャー地域だぞ。誰に何の用事だ?」と警官たちに詰問されることとなった。

    うっかり先方の住所や名前を口にしては、訪れることになっていた人たちに迷惑が及んではいけないと思い、「いや、向こう側に出る近道かな?と思って・・・」などと言いながら踵を返した次第。通りの反対側から進入を試みてみたが、同じ結果となった。゛

    ロヒンギャーとは、一般的に先祖がベンガル地方から移住したムスリムで、現在のミャンマーでは国籍を認められず「不法移民」と定義されている人たちということになっているようだが、ベンガルを出自とするヒンドゥーもまた同様の扱いを受けているように見受けられた。

    そのロヒンギャーの人たちだが、母語であるベンガル語の方言以外にも、インド系ムスリムの教養のひとつとして、ウルドゥー語を理解すること、またヒンドゥーの人たちも父祖の地である広義のヒンドゥスターンの言葉としてヒンディーを理解することはこのときの訪問で判った。もちろん個人により理解の度合いに大きな差があり、まったくそれらを理解しない人たちもいるのだが。とりわけ若い世代にその傾向が強いようだ。

    アメリカをはじめとする先進主要国から経済制裁を受けていた軍政時代には、ミャンマー国内の人権事情について、各国政府から様々な批判がなされていたが、民政移管に伴い制裁が解除されてからは、そうしたものがトーンダウンするどころか、まさに「見て見ぬふり」という具合になっているように見受けられる。ここ数年間に渡り大盛況のミャンマーブームだが、同国政府の不興を買って、自国企業の投資その他の経済活動に支障が出ることに対する懸念があるがゆえのことと思われる。

  • DARGAH HAZRAT NIZAMUDDIN

    DARGAH HAZRAT NIZAMUDDIN


    せっかくデリーに来たので、ニザームッディーンのダルガーに参拝。スーフィーのチシュティー派の聖者、ニザームッディーン・アウリヤーの墓廟。境内で演奏しているカッワーリーを聴きながら、しばし陶酔の時間を過ごすことができる。ムスリムだろうがヒンドゥーだろうが、はてまた外国人だろうと誰でもウェルカムな包容力がいい。祝祭の時期ではないこともあり、金曜日の割には空いていて、本殿で楽に祈ることができた。清浄な気分になってダルガーを後にする。







    先日、Karim’sのファストフードと題して書いた、南デリーのモールで見つけたファストフード版のカリーム(Karim’s)ではあまりにやるせなかったので、ダルガー参拝のついでにニザームッディーンにあるちゃんとした店舗のカリームを訪れた。しかしながら、カリームではあっても、ビリヤーニーまでもが破格の美味さというわけでもないようだ。もちろん上々の味わいであることは間違いないのだが。

    ダルガーの参道にはずらりと巨大な釜を並べるビリヤーニー専門店が並ぶ横丁がある。このあたりにKarim’sよりも旨いビリヤーニーを出す店がきっとあることだろう。付近にはティッカーやケバーブ、様々なナーンの類などを売る店も多く、これまた食欲を大いにそそる一角である。




  • Karim’sのファストフード

    Karim’sのファストフード

    デリーの1913年創業のレストラン、Karim’sは誰もが知るムガル料理の老舗。創業者カリームッディーンの父はムガル宮廷の料理人であったとされる。デリー市内にいくつかの店舗を展開しているが、南デリーのモール内のフードコートにも出店しているとは知らなかった。

    Karim’s (DLF PLACE, SAKET)

    マトンコルマはプラスチックの使い捨て容器に入り、ルーマーリー・ローティーは目の前にある電子レンジでチン。まったくもってファストフードで寂しいとはいえ、味わいはやはりカリームなのでなかなか旨い。でもそこがまたやるせなかったりする。

    重厚感と軽さのミスマッチ、こういうところに来る人たちが求めるものはちょっと違うので、流行っているとか込んでいるという具合ではまったくないようであった。やはりKarim’sはちゃんとした店舗で食べるに限るのである。

    モールのフードコートのKarim'sはショボいが、それでも旨いのは、さすがという気はする。
  • 青蔵鉄路

    インドと関係のない話で恐縮ながら、インドの隣国にして中国による武力占領地のチベットの鉄道に関するNational Geographicによるドキュメンタリー作品。

    内容は政治的なものではまったくなく、2006年に開通した青海省のゴルムドからチベットのラサに至る青蔵鉄路建設に関わるストーリー。

    National Geographic – Extreme Railway: Qinghai Tibet Railway (YouTube)

    単線から成るこの鉄路だが、1950年代から構想が始まり、建設に当たってはチベット高原における高低差を克服するだけではなく、永久凍土上の地層、つまり冬季には凍結して嵩を増し、夏季には溶解して沈み込むとともに、場所によっては泥濘状態となる大地とどうやって折り合いをつけるかという難問もあった。

    どのようなアイデアでこれらを克服していったかについて、淡々と綴られているものの、その背後にこの事業に関わる人々による飽くなき探求心と情熱、深い知識と応用力あってのことだろう。

    こうした中国は、ネパール国境まで鉄道を延伸させる計画、さらには首都カトマンズまでこれを伸ばしていく構想まで持っている。

    China to extend rail to Nepal (ekantipur.com)

    中国の鉄道は、隣国ネパールを将来大きく変えることになるかと思うが、これはまたインドとネパールの関係、ひいては南アジアにおけるパワーバランスに多大な影響を与えることとなる。

  • 旅行荷物が軽くなる?

    旅行荷物が軽くなる?

    最近は旅行中にキーボード付きの10.1インチ画面のアンドロイドタブレットを持参している。普段から電子書籍閲覧に利用するなど重宝しているが、キーボードの使い心地も良くてなかなか満足している。

    しかしながら、どこかに出かける際に、もっと軽くならないかと思ったりもする。旅行の荷物は軽ければ軽いほどいい。このタブレットは、キーボードを付けた状態では1.1kgとなり、外出時のカバンに放り込んでおくと、それなりの重量感がある。滞在先の宿の部屋のリュックの中に放り込んでおくのも何か不用心でもあるので、やはり持ち歩くことになり、ちょっと負担に感じたりもする。

    そんなわけで、何か良い解決方法はないものか?と思っていたため、このほどBluetoothのキーボードを購入してみた。現在使っているHUAWEIのAscend Mate7は画面が6インチと大きめで、ズボンのポケットに入れるにはギリギリのサイズだ。CPUはオクタコアの1.8GBと強力、ちょうどハイエンドのPCのようにサクサク快適なので、外付けキーボードを用いてワープロとして使うのに何ら問題はないだろうと思ったからだ。加えて、バッテリーの持ちが良く、待ち受け状態ならば2日間は大丈夫なので、外付け充電池を持参していれば、特に残量を心配する必要はない。

    時と場合に応じて、鉄道駅やバスターミナルなどでのちょっとした待ち時間にはスマホのフリック入力で、宿の部屋の中ではスマホを小さな傾斜スタンドに載せて、キーボードで日記等を書き進めることが出来る。

    ワープロのアプリは、somnoteを利用することにした。3GやWifiなどで接続中の環境下で保存するたびにクラウドと同期されるため、スマホに万一のことがあっても、データ自体はどこからでも復元できるというメリットがある。訪問先で事務仕事をするわけでなければ、これで充分だ。

    外付けキーボードの使い勝手がポイントとなるが、カサも重量もコンパクトであることと、それなりに入力しやすいということが両立出来るものを探した。キーのストロークもまずまずで、キーボードのピッチが若干狭いようではあるもの、すぐに慣れた。外付けキーボード使用時にはスマホの日本語入力システムを変更しなくてはならないのは少々面倒ではあるが。

    スマホの画面が6インチというのは書籍リーダーとしても充分活用できるサイズなので、訪問する地域に関連する書籍やガイドブックなども保存しておき、必要に応じてスマホで開いて閲覧することが出来る。

    デジカメのデータバックアップについては、旅行先にタブレットを持参していたときは、Eyefy Mobiを使用していたが、大量の撮影データをコピーしようとすると、膨大な時間がかかることに閉口していた。これについては、転送が迅速なカードリーダーを手に入れることで解決できた。なお、これを用いるとUSBディスクや外付けハードディスクも接続出来てしまうなど、なかなか重宝しそうだ。スマホがほぼパソコンみたいな具合に活用できることになる。

    カードリーダー

    近年、旅行に持参する電子機器、充電器の類が増えてしまうことを苦々しく思っていたが、同じように考えている(旅行に限らず、外出時のそうした荷物が邪魔でもあることについて)人たちはやはり多いようで、そうした需要をうまく捉えた製品というのもいろいろあるものだな、と感心した次第である。

  • The Nilgiri Mountain Railway

    1908年に開通したニルギリ山岳鉄道。英国時代に建設され、2005年にはユネスコの世界遺産に指定された鉄道のBBCによるドキュメンタリー作品がYouTubeで公開されている。

    The Nilgiri Mountain Railway (YouTube)

    植民地時代にヒルステーションとして開発されたウーティーへの往来、そこに至る途中にある茶園から茶葉を輸送するなどの目的で開通したこの鉄道にて、1世紀に渡り世代を継いで奉職してきた人たちがいるのは、まさにこうしたヘリテージな鉄道らしいところだろう。今も英国の香りがほのかに残るヒルステーションのウーティーと同様に、それを感じさせてくれるのがこのトイトレインによるウーティーへの往復だ。

    高地にあり、冷涼な気候に恵まれた山岳地であるがゆえに、ひとたび天気が崩れると豪雨となることも少なくない。海洋地域から押し寄せる雨雲をブロックすることになるので、多雨となる宿命がある。崩れやすい斜面を走る鉄道だけに、列車が不通となることもしばしばあるのはいたしかたない。そうした運休時には、鉄道駅は眠ったように静かになるいっぽう、大忙しとなるのが保線関係技師や労働者たちだ。

    車両整備の現場には、この路線初の女性整備士が男性ばかりの職場で額に汗して働いている。娘がわずか生後1週間のときに異動の辞令が出たため、夫とその実家に赤ん坊の世話を頼んでここに赴任してきたという。インドの鉄道職員に産休や育休などの制度があるのかどうか知らないが、業務面ばかりではなく、生活の面でも様々な苦労を抱えている人たちは少なくないことだろう。

    趣のある機関車をはじめとする車両や駅だけではなく、そこで働く人々にもスポットを当てた、鉄道に対する愛情に溢れた素敵なドキュメンタリー作品である。ぜひご鑑賞をお勧めしたい。