スマトラ沖で発生した大地震による津波の救援や復興作業にかかわる報道が新聞等のメディアに掲載されない日はない。
1月15日夕方7時から放送されたテレビ朝日の番組「ドスペ!」では近い将来日本の関東地方を襲う可能性が高いとされる大地震の特集が組まれていたが、その中には九十数年前に鎌倉を襲った津波に関してちょっと気になる話もあった。
私自身よく知らなかったのだが、かつて鎌倉大仏は「大仏殿」の中に納まっていたのだそうだ。しかし関東大震災のときに発生した津波によって破壊され押し流されてしまい、その災害以来、大仏は露座のままになっているのだという。
このとき鎌倉に押し寄せた津波について調べてみると、その高さは約3m。大島で12m、房総半島で9mを観測していたのに比較すれば、取るに足らない大きさであったかのように思えるのだが、通常の波と津波とでもたとえ高さが同じであったとしても、波のメカニズムそのもの、動きや厚さも違うため、破壊力には圧倒的な違いがあるらしい。
例えば通常30?の波で人が倒れることはなくても、これが津波ならばこれを一気に押し流してしまう力がある、というような津波のパワーを確かめる実験も番組の中で行われていた。
地図を眺めてみればわかるとおり、鎌倉大仏のある高徳院は、海岸線から1キロほど入ったところにある。
よほど大きな津波でなければこんな奥まで入ってきて大きな建物を倒壊させることはないはずなのだが、こんな信じられないようなことがなぜ起きたのか?
理由は川である。現在は暗渠になっており地図には表示されていないが、海岸から高徳院の大仏殿近くまでを結ぶ川が流れていた。浜に押し寄せた津波はこれをそのまま北上して大仏殿に達し、建物を破壊してしまったのだ。当時の地震とそれに続く津波の目撃者である90代の男性が番組の中で証言していた。
今回アジア各地に被害を及ぼした津波の際にも、沿岸からそれなりの距離があるにもかかわらず、河川を遡上した津波によって被害を受けた地域がもしかするとあったかもしれない。
今回のアジア各地を襲った津波のあと、各国で津波の早期警戒システムの構築や沿岸部での防波堤の建設その他等々、さまざまな事柄が検討されているとともに、救援にあたったNGOその他のグループもさらに豊かな経験を積んだことなる。
災害が発生する前の状態まで時計の針を巻き戻すことはできないが、せめて被害に遭われた方々が一日も早く普段の生活を取り戻せるよう、また今回の出来事が各地で将来起こりえる災害に対する貴重なノウハウの蓄積につながるよう願いたいものである。
数年ぶりに、先週鎌倉に行ってきました。
鎌倉の大仏様への津波の件ですが、関東大震災の時にも津波はあったようですが、実際に大仏殿が流されたのは1495年の津波によるものと記載されていました。
たぶん、地震で倒壊→津波で持って行かれるという順番だったのでしょう。