オペレーション・ブルースターから20年

Photo by Swadesh Talwar/Indian Express 
 1984年6月、パンジャーブ州アムリトサルにあるスィク教総本山、ゴールデンテンプルにスィク教徒たちが立て籠もった。彼らは独立国カーリスターンを求める過激派、軍の部隊が突入して多数の死傷者を出した。
 このオペレーション・ブルースターという作戦を強行したことで、同年10月、インディラ・ガーンディー首相は暗殺されることになった。犯人が彼女自身のボディーガードだったことから、反スィク暴動が発生、3000人近くの犠牲者を出した。
 その後も政治的暴力とテロの悪循環な連鎖が続き、パキスタンの関与や、欧米先進国在住のスィクコミュニティからの資金流入についても取り沙汰されるなど、事件は州を超えて国家的な大問題となった。 
 事件当時、パンジャーブ州の治安悪化のため、外国人の立ち入りが制限されるようになり、インドからパキスタンへ陸路で旅するバックパッカーたちは、政府によるパンジャーブ入域許可書を取得した上、毎月3のつく日(3日、13日、23日に)に運行している国境行き専用バスを利用しなくてはならなかった。 
 80年代末、ようやく許可書が不要となってからも、州内の道路を日没後走行するのは非常に危険であるとされた。アムリトサル市内各所に土嚢を積んだトーチカがあり、配置されている兵士たちはライフルを腰だめに構え、非常に緊張した雰囲気であった。 
 しかし、92年のパンジャーブ州議会選挙後、事態は急速に収拾へ向かった。 
 現在、パンジャーブ州の平和な様子を見ると、そんな過去のことなど想像もつかないが、当時を知る地元の人びとにとって、あの事件はつい昨日のことのように生々しく思い出されるはずだ。 
 首都デリーで首相暗殺の報復暴動によって命を落とし、家財を失ったスィク教徒の家族たち、パンジャーブ州で混乱の時代を生きた人たちにとって、インドの新首相マンモーハン・スィン氏がスィク教徒であるということは、彼が同郷(氏の故郷は現在パキスタン領だが)の人間である以上の大きな意味があるのかもしれない。 


●関連リンク
「あのとき」を振り返って (BBC)
ゴールデンテンプル事件 人々の記憶 (BBC)
イギリス在住スィク教徒たちの想い (BBC)

OPERATION BLUESTAR 1984 : 事件の概要(AllAboutSikhs.com)

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