浄土へ渡った僧侶たち

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 JR紀勢本線那智駅近くにある補陀洛山寺を訪れた。このお寺は「補陀洛渡海」で知られる。行者たちは、南海の果てにあるとされる観音菩薩の住む山「補陀洛山」を目指し航海していた。この行法は穂平安時代からおよそ千年もの間つづいていたそうだ。
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 当時使われていた船の復元が、境内で見ることができる。四方に鳥居がついているのは、神仏混交の地・熊野らしいところだ。
 船にはひと月分の食料や水を積まれたが、外に出れないように小さな船室の扉は釘付けされた。船旅に出た僧侶は、生きてこの世に戻ることはなかった。間違いなく浄土へと至る旅ではあるが、まさに捨て身の荒行である。
 井上靖の小説『補陀洛渡海記』で描かれているように、誰もが信仰のもとに死をも恐れずに浄土へと旅たったというわけでもないのかもしれない。
 「補陀洛」とは観音浄土を意味するサンスクリット語「ポタラカ」の音訳。かつてダライラマ法王が起居していたチベットのラサにある宮殿の名前「ポタラ」とも同意であるとか。 
 伝説では、補陀洛山は南インドにあるとされる。昔の人びととって地理的には遠く離れていても、観音信仰によって馴染み深い憧れの聖地となっていたのだろう。
 補陀洛山寺近くの海岸から船出した僧侶たちが、心の中に描いていた浄土=インドのイメージとはどんなものだったのだろうか。

「浄土へ渡った僧侶たち」への1件のフィードバック

  1. そんな修行法があったんですね…。初めて知りました。
    四方が鳥居で守られている姿は神仏混合というよりも、南インドの寺院のゴプラムを連想してしまいました。
    南インドにあったとされる「補陀洛山」。一体、どこの山のことなのかなぁ…?

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