敵は意外に身近なところにも

先月25日にバンガロールで、26日にアーメダーバードで、それぞれ連続爆破テロが起きた際、テレビなどはこぞって『次はどこが狙われるのか?』と報道していた。今後さらに他の地方都市で同様の事件が起きるのかどうかわからないが、テロリストたちにとって当面の最大のターゲットといえば、やはり独立記念日であり、祝典の開かれる首都であり、ということになる。ゆえに当局としても、これは是が非でも死守しなくてはならないものだ。
そうした背景もあり、特に人の多く集まるところでは、多数の警官たちが動員され、車両の行き来が制限されていたり、徒歩以外の往来を封鎖していたりというところも少なくなく、そのエリアに住んでいたり、仕事等の用事があって出入りしたりするごく普通の良き市民たちにとっては、そうせざるを得ない世相になっているということは、実にハタ迷惑ということになるのだろうが、やはりそういう脅威があるのならば、甘受しなくてはならない必要悪である。
空港、ショッピングモール、ビジネス街の大きなビル、特に重要な名跡といった部分については、それなりにガッチリと保安上の措置が取られているように思うが、不特定多数の人々が、常に流れる水のように大小の道路や路地などから出入りする市街地では、やはり警察その他の治安関係者たちにとってかなり分が悪いことは想像に難くない。


彼らがいかに人海戦術(以外にも様々なスマートな手段やチャンネルも駆使しているのだろうが・・・)でテロ対策に臨んでいようとも、限られた人員でまさか市街地を行き交うすべての人物や乗り物すべてを臨検するわけにはいかず、特に標的となりそうな部分に特化して警備に当たるのはもちろんのことだ。
それゆえに先にも述べたバンガロールとアーメダーバード市街地各所で連続発生したような爆破事件は、たとえ事前に何かしらのツテで情報を得ていたとしても、事が起きる前にすべてを防ぐのはちょっと無理だろう。
それに、一見厳重に警戒しているように見えて、その実かなり雑であったりもする。息子が『タージマハルを見たいよう!』と言うのでアーグラーに出かけた帰りのことだ。アーグラー・カント駅入口もやはり物々しい警備であった。デリーに帰る列車の出発まで少し時間があり、『パパ、お腹が空いたから何か食べたいよう!』と言う。
近ごろの鉄道駅では昔ながらのヴェジとノンヴェジと入口が分かれた、画一的な味と量の水っぽい食事を出すカンティーンではなく、民間のこぎれいなレストランがテナントで入っていたりするのはありがたい。ここの駅も例外ではなく、ちょっと洒落た感じの店が入っていた。
子供が大好きな鶏肉料理を注文して楽しく食事をしつつも、ちょっと気になることがあった。駅舎にテナントで入っているレストランを通って駅の内部に入れば、駅舎外側のドアにもプラットフォーム側にも誰一人警備する者などいない。別にこの駅に限らず、厳重な警戒が実施されているように見えるが、その実ザルみたいなんてことはよくある。
たぶんこういう場所に配置された末端の警官たちは、「そういゃぁ、あそこには誰もいねぇなぁ」などと思っているのだろうが、「でもそれ決めるのはオレの仕事じゃないもんな」とか「あっちまで見てくれなんて言われちゃぁ、忙しくなってたまんねぇ」とだんまりを決め込んでいるのではないかと想像している。
そうでなくとも、インドの古い設計の鉄道駅は隙間スペースや抜け道、駅舎以外から出入りできる部分が多い。本当に何かやらかそうという者で、多少なりとも頭の切れる人間ならば、ちゃんと下調べしたうえでソツなく仕事を遂行したうえで、悠々と逃走してしまうのではないだろうか。
テロの事件が起きると、すぐにメディアを通じて似顔絵等による犯人像が流布される。だが本当にいかにも・・・といった悪党面をした奴がいつも犯人なのだろうか。私の想像に過ぎないが、たまたま事件があったときにその付近で誰かが見かけた人相の悪い人物像が一人歩きしているという例が多いのではないのだろうか。そうした固定観念を逆手に取って、上品な老夫婦、裕福かつ温厚そうな父親と賢そうなお嬢ちゃん、幸せいっぱいといった雰囲気の新婚カップルなどといったキャラクターを演じたテロリストがいれば、そうそう簡単に捕まることはないような気がする。
インドは、2010年10月に開催されるコモンウェルス大会のホスト国であり、デリーはその開催地となる。警備の周到さや厳重さは、毎年やってくる共和国記念日や独立記念日をはるかにしのぐものとなることだろう。それでもこの大会がテロリストの標的となることがあるとすれば、スタジアムや体育館のようにセキュリティチェックをパスした観客や関係者を囲い込み、外界からシャットアウトしたスペースで行なう競技はともかくとして、マラソンのように屋外の広くて長大なコースを用いるレースはいったいどうなるのかと思う。
現在開催中の北京オリンピックにおいても、テロに関する様々な懸念が云々されているのは誰もが見聞きしているところだ。90年代初めに東西冷戦が終結し、南アジアその他の地域でかなり危険な対立の構図は相変わらず存在するとはいえ、世界全体を巻き込むような大戦の懸念が雲霧散消して平和な時代が訪れたと感じたのもつかの間、21世紀最初の年には世界を揺るがす同時多発テロが発生し、それ以降各地で同種の事件が頻発。平和の祭典さえもがどこに隠れているかわからず顔も見えない脅威に晒されるようになるとは、何という皮肉だろうか。
携帯電話やインターネットのような情報伝達手段の発達により、過激主義者のコアな部分が広く拡散していること、彼らの間でのノウハウの共有や縦横の伝達が容易になったこと、またこうした活動をする人々にとっても、新たなメンバーのリクルートといった面でも、情報化の進展はかなりポジティヴに働いているのではないだろうか。かくして過激主義者たちのネットワークや資金は、容易に国境を越えて新たな地域での合従連衡を形成していく。
相対する当局はどうかといえば、良くも悪くも『世界最大の民主主義国家』であるということが大きな足枷になることは否定できないだろうが、脅威に対応するソフト面は順調に発展しているのではないかと期待したいが、それでも治安対策の現場で働く人たち、少なくともその末端というか、最前線でというべきか・・・に配置されている人たちの危機意識の甘さにも大きな敵が潜んでいるように思われてならない。

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