1967年に初版が発行された『インド・パキスタンの経済』という本を手にしてみた。これは1964年に刊行されたMarie-Simone Renouの『L’economie de l’inde』の和訳。当時のインドと東西パーキスターンをあわせて『インド』という地域としてとらえ、英領時代末期1960年代初めにかけての亜大陸の経済を概観したものである。
分離からまだ年月の浅い時期に書かれたものであることもあり、もともと相互補完の関係にあった地域がふたつの対立する新しい国に分かれたことによる損失にもスポットを当てている。現在インドの穀倉地帯として知られるパンジャーブ州だが、分離前のインドでは現在のパーキスターン側のパンジャーブやその周辺こそが穀倉地帯であったようだ。それゆえに緑の革命前にはインドで食糧が相当不足していたにもかかわらず、パーキスターンでは年に50〜70万トン前後の余剰小麦が生じていたそうだ。
当時の第一次産品については、茶、米、小麦等々についての言及はともかく、特に目を引くのが『アヘンについていえば、これは中国に対する輸出禁止(一九〇七年)および一般的輸出禁止(一九三五年)、さらには国内における消費制限によりその栽培が阻害された。したがって、こんにちのケシの栽培は、とるに足りぬ状態となっている』とあるが、『第一次産品と工業中心地』として示された図の中には、タバコ、茶、ゴムなどといった品目とともに『アヘン』の記述があり、収穫がなされていた地域はビハール西部とU.P.東部にまたがる地域が示されている。
また当時の映画産業について『製作フィルム総延長およびその投資額において世界第三位にある。また劇場数は、インド二千五百、パーキスターン五百、撮影所は、インド六十、パキスタン七を数える』とある。1947年の分離は、ヒンディー語映画の重要な市場を奪うことになったのだという。つまりパーキスターン側となったエリアによるヒンディー語作品に対する需要は、全体の5割にもなっていたと記されている。
現在では世界最大級の国営企業としてどっしりとした存在感を示すインド国鉄。しかし19世紀半ばに建設が始まって以来、当時の政府が民間会社に委託してそれに対する補助金を支出していたもので、他に藩王国運営の鉄道などもあり、統一された事業体とはいえなかった。今ではブロードゲージに統一されつつあるものの、いまだに四つの異なる幅の軌道(ブロードゲージ、メーターゲージ、に加えてふたつの異なるナローゲージ)が混在し、効率的な運行を妨げる状況が長く問題となってきた。それがゆえに昨今のインド国鉄ではブロードゲージ化が着々と進められている。そもそもこうした場当たり的な敷設がなされたことの背景には、『国鉄』としての全国を縦横にまとめるネットワークとしての一貫したポリシーが欠如していたことを示している。この本によると、複数の民間会社が運営してきた鉄道の国有化が行われ、ひとつの事業体としてまとまることになったのは1954年のことだ。
航空事業については、カラーチー・ボンベイ間に最初の郵便航路が開設されたが、当時の航空機の航続可能距離等の制約などから、おそらく最大の商都よりも地理的に西側にある街のほうが有利だったのだろう。国際線網はカラーチーを中心として欧州や中東各地を結ぶ路線が開設されたのだとか。
一橋大学の黒崎教授による『パキスタン切手のたのしみ』によれば、1947年8月に独立したばかりのパーキスターンの郵便切手は、英領インドのものに『PAKISTAN』と加刷した間に合わせのもので、パーキスターンのものとして正規に印刷されたものが出たのは翌48年の7月であったとのことだ。郵政のみならず、インドとパーキスターンの分離独立から翌48年7月のステート・バンク・オブ・パーキスターン設立までのほぼ1年間に渡り、リザーブ・バンク・オブ・インディアがパーキスターンの中央銀行の役割を果たしていた。
企業や組織などが合併したり、分割したりというだけでも、その渦中にある人は忙殺されてしまうとともに、業務の中でいろいろ齟齬やトラブルが生じたりするものだ。国の主権の移譲と分割というはるかに大きな動きの中で、これを取りまとめる当事者たちはさぞ苦労したことと思う。しかもその最中に戦争(1947年から49年までの第1次印パ戦争 )まで行なってしまったのだから、まさに動乱という言葉こそがふさわしい時代である。
新書版のサイズで、広い範囲にわたりテーマごとに独立前後のインド経済の概略が簡潔に書かれており、手軽でしかも興味深い一冊であった。ウェブサイト『日本の古本屋』を通じて入手できるようだし、日本各地の図書館などでも借りることができるようだ。特に経済に関心はなくても、ちょっと昔のインドの世相に触れることができるオススメの一冊だ。
『インド・パキスタンの経済』(マリー・シモーヌ・ルヌー著・黒沢一晃訳)白水社
ASIN: B000JA7FPE