カースト

「カースト」について、インド国外において社会的な「上下関係」「差別構造」といった誤解が多い。それがゆえに外国在住のインド人が「(あなたが考えているような)カーストはインドにはない」と言ったりもするのだろう。なかには昔の南アフリカのアパルトヘイトみたいな構造と思い違いしている人もあるので、そういう人に会うとインド人はたいへん不満だろう。

ひとことで説明しきれるものではないが、「氏族とそれを中心に観念的に繋がる紐帯から成るジャーティ。その中にも観念的に同祖から生じているとされる細かい区分がある」が重層的に存在しており、古くは職業的なネットワークを形成することもあり、現在に至るものも少なくない。そうした集合的な繋がりを累計的にガサッと括ったものがカーストということになる。

これが上下関係かといえば、実社会でそういうことでもなく、パンジャーブ州、ハリヤーナー州などで支配層に多いジャートは農民カースト。UPやビハールなどで社会中層部や上層部にも急伸しているヤーダヴは牛飼いカーストといった、「カースト」の面から言えば間違っても高位ではないグループだ。反面、昔から安食堂や家庭の通いあるいは住み込みで働く料理人にはブラーフマンが多く、これまた道端のちいさな寺、祠などでプージャーリーをしている貧しい男たちも多くは伝統的にブラーフマンである。

「国父」として尊敬を集め、紙幣の顔にもなっているマハートマー・ガーンディーは、代々、地域の藩王国の重臣の家に生まれたが、上層カーストではなく、グジャラートのモーデーラーという地域をルーツとする「モード」というバニヤー(商人)カースト。パキスタンの独立の父、ジンナーはムスリムであったが、彼の何代か前に改宗するまではヒンドゥーで、たしか「モード」であったかどうかはわからないが、そのあたりごく近い関係にあるコミュニティの出だ。

リンク先記事には、(カーストは低い)南インドの石工カーストがブラーフマン同等のステイタスを自称しているとあるが、同様の例がビーカーネール周辺のやはり石工カーストにもあり、彼らのカーストの先祖とされる神を祀った寺まである。社会で認識されているカーストは下位だが、神の子孫を自称しているのだ。(現代を生きる彼らの工房を訪れたことがあるが、その技は素晴らしいものであった)

それはそうと、リンク先記事中にあるような工事の場にあっても、街に住む職人階級(シュードラ)の施主の建物をビハールやUPから出稼ぎに来たブラーフマンやクシャトリヤの労働者たちが汗水たらして作る、報酬はジャートのブローカーがピンはねしてから彼らに渡すというようなことは、昔からごく普遍的にあることなのだ。

つまりカーストが実社会の階級や地位を決めるわけではない。

インドのカースト「ただの階級でない」意外な真実(東洋経済)

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