ご神木③「お寺になった」

ご神木がここまで来ると、もはやお寺である。

屋根が作られてプージャーリー(司祭)まで鎮座している。

たいした出世ぶりだ。

だがこのあたりがご神木の限界でもある。

道路脇のこうした小さなお寺の類が、門や敷地を構えた寺院にまで発展した例は知らない。

このあたりまでは、地域の人たちの思い入れや成行きなどで実現するのだが、寺院となると時の有力者がカネ、コネとパワーでドカン!と建立するものだからだ。

そうは言っても、これはこれで神々しい。

豪華絢爛な寺院であれ、こうした街路樹上がりのご神木であれ、そこに投影されてきるのは

同じ神である。そうした目に見える象徴を通して、人々ははるか彼方にある神を拝しているのである。

〈続く〉

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