タメルの憂鬱

ネパールのカトマンズの旅行者ゾーン、タメルといえば同国を訪れる人たちの多くが一度は宿泊や買い物などで利用するエリア。

Nepalopediaで、街中の様子を見ることができるが、かつてはのんびりした風情であったこの一角は、今や賑やかな繁華街となっている。

そのNepalopediaのウェブサイト左上部で、英語・日本語・中国語に切り替えることができるようになっているのを見てもわかるとおり、近年は中国からの観光客が急増している。漢字の看板を掲げた中国人専門のようになっている宿、彼らが多く利用する中国人経営のレストランなども見かけられるなど、客層にも大きな変化が生じているようだ。

中国本土からの乗り入れる航空会社は、中国国際航空、中国南方航空がある。他にも香港を本拠地とするドラゴン航空、香港航空などもある。

そんなわけで主要な観光スポットでは、中国人や台湾人などのグループを連れて流暢なマンダリンで案内するネパール人ガイドの姿を見かけることも珍しくない。

それだけではない。SAARC諸国の人々、とりわけインド人観光客の姿も非常に多くなっている。近隣国だけに、ずいぶん前からインドから訪れる人々はかなりあったが、とりわけ90年代以降の順調な経済成長に伴い、自国内を観光するインド人たちがとても増えたことに伴い、お隣のネパールを訪れる人たちが急増したのは当然のことだろう。

インドの出版社から発行されているインド国内のガイドブックの多くには、ネパールの項も含まれており、ヒンディーや英語が広く通じることもあり、国内旅行感覚で訪問できる国ということもある。

タメルでは、そうしたインド人観光客の増加を受けてか「インド式」のダンスバーが軒を連ねるようにもなった。

インドのU.P.州やビハール州といった隣接する地域からは、ネパールの観光地等へ数多くのツアーバスも出ており、その中には決してさほど裕福とは思えない人々の姿も少なくなく、インドからの観光客の中にもかなり幅広い層があることがわかる。

遺蹟・旧跡等の入場料は、自国民、外国人以外にSAARC諸国民という設定があり、通常の外国人料金に較べると格段に「優遇」された料金のチケットを買い求める人々の姿は多い。

タメルで一番古くからあるホテルといえば、西洋人ヒッピーがネパールを闊歩していた時代、1968年開業のKathmandu Guest Houseということになるだろう。

しかし当時は外国人旅行者たちの利用が集中するエリアといえば、旧王宮近くの通称フリークストリートであり、彼らが利用した安宿や洋食を出す食堂などはたいていその界隈にあった。

そのフリークストリートからタメルへと人気が移っていったのは、80年代半ばくらいであったようだ。外国人ツーリストの客層が低予算の自称貧乏旅行者だけではなく、もう少し質の高い宿泊施設なり食事場所などを求める客層が拡大してきたため、都心に位置して主要な観光スポットへの交通の便が良いながらも、当時まだ開発の余地があったタメルで観光を生業とする人々の資金による建設ラッシュを迎えることとなった。

そんなわけで今のタメル地区の繁栄に繋がる直接のきっかけを作ったのは、1980年代前半に開業したHotel Utseではないかと思う。これに続いて多くの現地の商売人たちが、ゲストハウスにレストラン、みやげもの屋に古本屋、旅行代理店に登山具屋といった具合に様々な業種に進出して事業を成長・拡大させていった。

元手とノウハウを持つ人々にとってはビジネスチャンスであると同時に、資金や生産手段を持たない人々にとっては就労の機会である。カトマンズ近辺、国内その他の都市や町、山間や平地の農村部などからも、タメルでの雇用を求めて沢山の人々が流入したことは想像に難くない。

ここで働いたり暮らしたりする人々が増えてくることにより、そこを仕事目的で出入りする人たちのニーズを満たす周辺産業も拡大する。そこには日用品の販売や不動産の斡旋業といったものも含まれるだろう。

急速に発展したタメル地区では、ずいぶん背の高い建物が多くなったし、エリア自体も広がり、高級感を漂わせるホテルや小洒落たカフェやレストラン、立派なモールまで出来ている。かつてののどかな雰囲気は今いずこ、雑然とした騒々しい場所になったが、裏を返せばここが商業地として成熟したことの証である。

ただし不安要因もある。とりわけ観光に依存する度合いが極めて高いため、季節により稼ぎが大きく上下することはともかく、国内政治事情や世界的な経済の動向に強く影響される。ここでビジネスを展開する人たちやそこに勤める人々の自助努力では如何ともし難い部分が大きいといえるため、変な例えかもしれないが、モンスーン頼みの農業に似ている(?)と私は考えている。

そのタメルでは、近ごろ新たな不安が頭を持ち上げているらしい。

Illegal arms trade flourishes in Nepal tourist area (BBC South Asia)

出自を異にする様々な人々が、己の才覚、アイデアと努力で成功を求めて切磋琢磨できる機会を与えてくれるのが、タメルのような活気ある商業地だ。こうした空気の中で、富が形成され、蓄積されては次なる発展へと投資がなされていく。

だがそこで競い合って力をつけていくのは社会のオモテの部分だけではないのはどこの国にあっても同様だ。 タメルにあっても、腕力を持つグループが台頭しつつあるようで、ここで銃器などの武器類の取引が活発になされるようになってきているとのことだ。また性風俗産業の拡大等も懸念されているようだ。

90年代から今世紀初めにかけてマオイストによる武装闘争が続いたネパール。その間には相当量の銃火器類が必要されたため、これらが流入するルートやネットワークがしっかりと確立されてしまうのは当然の流れであったのだろう。内戦の負の遺産といえるかもしれない。

そうでなくとも隣接するインドのビハール州のような「銃文化」が定着している地域がある。また中国は安価な銃器の一大サプライヤーでもあるため、こうした風潮は気になるのはタメルに限らない。

PLA (People’s Liberation Army)の国軍統合問題もさることながら、街角風景の中にも気になることが散見される。たとえばタメルもそうだがその他繁華街等でも、白昼堂々と路上でシンナー遊びをしている子供たち。大人たちに注意されることもなく、構われることもない。今は無力な子供たちも、やがて長じてどんな大人になっていくのか想像したくない。

都市化が進むとともに、人々との物理的な距離は狭まってきても、それとは裏腹に「人は他人」化していき、すぐ近くにいる人たちとの関わり合いが希薄になっていく。他人同士がそれぞれの思惑や意思のもとに集住する都会では、成長した彼らが反社会的なところに居所を見つけるのはそう難しいことではないだろう。

良くも悪くも社会が大きく変わるとき、その流れは突然前触れもなくやってくるわけではない。そうなる原因もあれば、変化の予兆も必ずあるものだ。日々の動きは微々たるものであっても、ある程度まとまった時間が経過してしまった後に、ハッと我に帰ると「何てこんなことに・・・」と事の重大さに気がつくことになる。

ネパールの将来が明るいものであることを切に願いたい。

This entry was posted in column, greater india, travel. Bookmark the permalink.