旅行人

旅行人という雑誌をご存知の方は多いだろう。

1993年に月刊誌(年に2回の合併号があったので、実際には年に10回発行)として創刊した旅行情報誌である。その前身は1988年に始まった遊星通信というミニコミ誌であったという経緯もあってか、各国でバックパッカーたちが利用する宿に置かれた情報ノートのような活気あふれる誌面が特徴であった。手前ミソながら、私自身もインドのシェーカーワティー地方の特集記事で寄稿させていただいたことがある。

その旅行人の発行所であり、雑誌自体と同じ名前の出版社「旅行人」は「地球の歩き方」のような大手とかぶらないガイドブックを幾つも発行している。「シルクロード」「アジア横断」「メコンの国」「アフリカ」「海洋アジア」といった、複数の国々にまたがる広域旅行案内もあれば、「チベット」「西チベット」「客家円楼」といった、特定の地域にフォーカスを絞ったものもある。

インド及び南アジア関係でも、「ラダック」「アッサムとインド北東部」「バングラデシュ」等、同社以外ならではのガイドブックが刊行されている。

インドものではないが、今年4月には「熱帯雨林を歩く」という、世界各地の熱帯雨林を紹介するガイドブックが同社から刊行されているなど、日本国内で旅行案内書を発行する他者とはまったく異なる視点や切り口から、旅行にまつわる「実用的な案内書」を連続して手がけている出版社は、少なくとも私の知る限りではここ以外にない。

その「旅行人」という版元が発行する「旅行人」という雑誌だが、2004年から季刊誌に移行した。それに伴い装丁や記事内容等も大きく転換する。旅行を主題にしながらも、世界各地の見どころやトピック等について、その背景にある歴史、文化や社会等を踏まえてカバーするクオリティ・マガジに変身した。

旅行にまつわる技術的(?)な情報については、すでにインターネットを通じて様々なソースから手に入るようになっている。同様に、あまり表層的な知識も、敢えてお金を払わずとも容易に得ることができる時代になっていることもあり、発行回数が年10回から4回へと、大幅に減ったとはいえ、こうした路線転換は個人的には大歓迎であった。

新たなスタイルで再スタートを切った旅行人誌では、ラサ、イエメン、ビルマ、ボルネオ、グアテマラ、キューバその他の大きな特集が組まれた。インド関係でもミティラー、ワールリー、サンタル等の民俗画、南インド、チャンディーガル、カトマンズなどが豊富な写真とともに紹介されている。

季刊誌化から4年後、ふたたび大きな転機が訪れた。発行回数が年4回から上記号、下記号の2回へと変わる。それでもルーマニア、旧ユーゴスラヴィア、グアテマラ、キューバといった興味深い特集が続いた。インドについてもグジャラート、現在発売中の6月1日発行の号ではベンガルが取り上げられており、どれも楽しく読ませてもらっている。

しかしその旅行人もあと3号で休刊になるとのことだ。年2回発行であるため、まだ1年半ほど先のことになるのだが。

旅行人について、その誌面あるいはガイドブック以外にも思い出がある。だいぶ前のことになるが、旅行人に関わる方々の花見に参加させてもらったことがある。そこで友人と一緒にやってきた女性には、どこか見覚えがあった。

立ち居振る舞いや話し方に「どこかで会ったはず?」「誰だっけ?この人は・・・?」と、ワイワイ飲みながらも頭の片隅で記憶の糸をたどっていくと、行き着いたのはそこから遡ること10年以上前に訪れた中国の新彊ウイグル自治区のトルファン。6月のとても暑い時期だった。

その人、仮にMさんとしておこう。彼女は泊まっていた宿でちょっとした人気者だった。当時、中国に留学中だったこの人は、大変な美貌の持ち主であったが、性格は三枚目(と言っては失礼かもしれないが・・・)で、とにかく明るく天真爛漫な女性。しばらく滞在していた宿では、いつも旅行者たちの輪の真ん中にいた。

長距離バスを降りてその宿に着いたときに出会った、大輪の花のようにまぶしい彼女の姿を前にして、瞬時にして恋心が胸の中ではじけるのを覚えた私だった。ちょうど昔のインド映画で、主人公が街角でバッタリ出会ったヒロインと視線が合った瞬間、背後でテーマソングが流れて、唐突にラブストーリーが始まってしまうといったパターンそのままである。

そのMさんと、自転車を借りて交河故城その他を見物に行った。炎天下でかなり消耗したが、カナート(イランなどでも見られる乾燥地で蒸発を防ぐために地下に通した水路)の中に降りてみるとひんやり涼しかった。そこで私たちが目にしたのは白骨の断片。大きさや太さからして人間のものとしか思えなかったので、背筋が寒くなって一目散に街へと駆け戻った。

エコノミーな宿だったが、中庭では夕方からイグル族の音楽やダンスのプログラムが催されていた。それをしばし見物してから街中にMさんと夕食に出かける。彼女の留学先は目下夏休み中のため、しばらく旅行しているのだという。

トルファンの後、Mさんが向かおうとしていたのは私とちょうど同じ方角であったこともあり、「それじゃ次の街まで一緒に行こう」と同じ早朝のバスに乗ることにした。

「おぉ、楽しい旅行になりそうだ」とワクワクしていた私だが、その晩から高熱を出してしまってダウン。翌朝、ズキズキ痛む頭を押さえながらバックパックを背負って元気に出て行く彼女の姿を見送ったのが最後だった。

今ならば旅行先でも訪問国で購入したSIMカードを挿入した携帯電話を常用している人は少なくないし、電子メールのアドレスを交換し合ったりして、旅先でも連絡を取り合っている人は多いが、当時はそんなものはまだなかったので、「それでは良い旅を!」と別れてしまえば、帰国後の住所を知らない限りはそれっきりであった。

注いでくれるビールを受けながら「19××年の6月にトルファンにいたでしょう?」と尋ねると、しばらく回想するような表情を浮かべた後に彼女は答えた。やはりMさん自身であった。

この人が住んでいるのは私のところからさほど離れていないことや、仕事場も私がよく出入りするエリアにごく近いことには驚いたが、何よりもびっくりしたのは親しくしている友人の知人でもあったことである。世間とは案外狭いものだ。

自転車に乗って見物した先や白骨死体を見つけたことなどは「そう、あったあった!」と顔をほころばせる彼女だが、私のことはまったく覚えていなかった。片想いというのは、得てしてこんなものである。

話は大きく脱線してしまったが本題に戻る。私がインドに関心を持つきっかけとなった一冊がある。それは旅行人編集長の蔵前氏によるイラスト入り旅行記「ゴーゴー・インド」であった。すでに絶版となっているようだが、後にこれをもとに新たなコンテンツも加えてリニューアルした「新ゴーゴー・インド」が。2001年以降書店に並んでいる。

もともと旅行には何の関心もなかった私だが「そんなに面白いところなら、一度訪れてみよう」と、初めての海外旅行でデリーに向かった。そこでインドという国に一目惚れである。ここでもやはり私の片想いであることは変わらないようだが。

雑誌「旅行人」は一年半後に休止となるものの、出版社である旅行人の出版活動は続くので、これからも他社のものとはまったく違う、味のあるガイドブック等を世に送り出してくれることを期待している。

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