コールカーターで中華三昧 4 テーングラーの華人学校

培梅中学正門 
 テーングラーをしばらく歩いてみるとかなり大きな華人学校の存在に気がついた。『培梅中学』とある。インドにあって、こうした民族学校で学ぶということはちゃんと学歴として認められるのか、それとも日本の華人学校、コリアン学校のように正式な『学校』としては法的に認められていないのかはわからない。
 しかし建物は小さな華人社会からは考えられないほど大きく、一時期まではコミュニティの規模がかなり大きなものであったこと、彼らの財力と華人文化への思い入れの深さが想像できるような気がする。


培梅中学 屋上に中国寺院 
 建物の屋上には中国寺院があり、ちょっと興味を引かれた。勝手に立ち入ってよいものかどうかためらわれたので、敷地内に座って休んでいた近所の老人(華人)に声をかけてみた。
 老人は私が日本人だと知ると、あまり上手ではない(と思われる)マンダリンで話し始めた。インド人もそうだが、中国人も往々にして日本人のことを漢民族の亜種だと思い込んでいることは珍しくない。まあ途中途中でいくつかの単語は拾えるし、別にむずかしいことを話題にしているわけではないのでなんとか理解できた。この人も客家人であった。
 それにしても『中学校』に入ってみるのは実に久しぶりだ。なにしろ自分が中学を卒業して以来なのだから。ちょうど休み時間がおわったところで、生徒たちは自分たち同じような顔立ちの闖入者を前に、チラリチラリとこちらの様子をうかがいつつ各々の教室に戻っていく。風貌が似ていることは私にとっても意味のあることだ。どこか懐かしい場所に戻ってきた気がするのである。
講堂
 上階には講堂として使われるらしいオープンスペースがある。奥の壁には大きな字で禮儀廉耻と書かれており、その上にインドと台湾の国旗が掲げられている。中文による生活訓を絵入りで描いたもの、春秋戦国時代などの歴史的偉人たちとともに、蒋介石の肖像もある。
 在印華人たちは、通常台湾支持派(少なくとも表向きは)であることは以前から聞いていた。台湾からこちらに暮らす華人たちへの支援は少なくないそうだ。
 いまや大陸の積極的な外交攻勢にあい、それまで台湾を中華民国として承認してきた国々(中米や南太平洋の小国など)の中でも中華人民共和国のほうに鞍替えするケースが続出している中、南アジアに地盤を築く『台湾派』として貴重な存在なのかもしれない。
 またここに暮らす華人たちの立場としても、インドと敵対してきた中華人民共和国ではなく、中華民国すなわち台湾のほうを支持するというスタンスについて特に不思議はない。
蒋介石総統
 
 1962年の中印紛争以降長く続いた二国間の緊張のため、人口が大幅に減ったとはいえ、それまでかなり大きなコミュニティがあったということは、地元の人たちと華人たちの間でそれなりの友情や協調があったからなのではないだろうか。今もこうして存続しているからには、地元のインド人たちの中にも良き理解者や力強い味方が少なからずいるのではないかと想像してみた。
 近ごろは将来外国に移民することをも視野に入れてか、それともインドにあっての必要性を重要視してのことか知らないが、子弟を華人学校よりもイングリッシュ・ミディアムの学校へ送るケースが増えているというから、この中華学校の将来には微妙なものがあるのかもしれない。
 前回取り上げた皮なめし工場にしても、近ごろは行政当局の指導により同じコルカタ郊外のバンタラーというところに移転させられつつあるとも聞く。『テーングラー名物』の中華料理にしても、市内の各地のポッシュなエリアに本格的なチャイニーズ・レストランが増殖していることもあり、ジリジリと旗色が悪くなってきているのではないのだろうか。
 どうやらテーングラーの将来はあまり明るいものではないような気がする。
校舎内

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