王宮転じて博物館 3

王宮は、どこもまだピカピカで、王族がまだそこを出入りしているかのような印象を受ける。しかし5年、10年と歳月が経つにつれて、卓越した権力を持つ主を失った広大な館は、また年度ごとの維持管理の予算を政府から割り当てられての硬直した運営のもとで、次第に荒れていくことと予想している。こんにち訪れることができるインドの旧藩王国の主の館等がそうであるように。
ここが宮殿として機能していた過去を展示することが存在意義であるがゆえに、王の時代のように宮殿内の新陳代謝が繰り返されることはないだろう。もちろん経年劣化して展示に耐えない部分が出てくれば、必要に応じて補修などは行なわれるにしても。
ゆえに豪華な室内の装飾や調度品等が経年劣化しても、それと新しいものと入れ替えることはないだろう。すべてが次第に枯れ木や枯葉のように萎れてきて、カビ臭い空気に包まれてくるに違いない。
すると、部屋の脇に詳細な説明が掲げられていても、往時の輝きを頭の中に描くには相応の想像力が必要になってくる。すっかり黄変した壁紙、長年の埃がたっぷり積もり、安宿の玄関の敷物のようになったカーペットの中にある朽ち果てた家具類が並ぶ室内に往時の国王の姿をイメージするのは、アンモナイトの化石を目にして『海中を泳ぐ生前の姿』を想うのと同じくらい難しいかもしれない。
私物はいろいろ片付けられたり、引き払われたりしてしまっているのかもしれないが、現在私たちが目にする宮殿内の光景はまばゆく、つい昨年までここにいた王家の人々の息吹が感じられるようだ。だからここを訪れるならば、早いに限る・・・と思う。
前回書いたとおり、ここでは王宮内のごく主だった空間のみが公開されているが、個人的には王家の人々に仕えた人たちの仕事場なども観ることができたらいいのにと思う。
仕えた人たち・・・といっても、事務方を取り仕切る人々もあれば、建物の保守管理といった現業関係の人々も沢山いたはずだ。もちろん警備関係者たちも。どのあたりにどういう職場があり、どれほどの規模の数の人々が、どういった具合に風に日々の仕事をこなしていたのかがわかるようにしてあるといいのだが。
こうしたことは、王宮、宮殿といったものを見学する際にいつも思う。王家の人々の住まいであり、執務の場であると同時にひとつの大きな機関である。私自身が壮大な夢を見るような人間ではない一勤労者であることから、縁あって(コネあって?)そういう特別な場に職を得た人がどんな日々を送っていたのかということにも興味を引かれるのである。
仕事によっては、先祖代々王家に仕えていた人もかなりあったのだろうが、王室が廃止されて以降、王宮で働いていた人たちはどうなったのだろうか?
広大な敷地は大小さまざまな木々その他の緑に囲まれ、塀の外にはすさまじい排気ガスを吐き出して往来する車両に満ちた通りが走っているとはにわかに信じがたい。この静謐な空間は、次第に煤けていき、そして傷みながら年月を重ねていくのだろう。
今は人々の記憶に新しい王家の人々の姿も、時間の経過とともに輪郭が薄れてくるだろう。王の姿をテレビで、新聞で目にしたことのある人々が次第に歳を取り、宮殿と呼ばれるところに王が君臨した時代を知らない子供たちが成長していき、徐々に彼らに取って代わる。
何十年か先に、『王を知らない世代』の人たちが長じて親となり、幼い子供たちの手を引きながら、すっかりセピア色がかり、あちこちガタがきた建物内を見物しながら『昔々、この国には王様がいたのだよ。パパが生まれるずっと前の話だけどね』などと語りかけているのかもしれない。
昨年6月に『時間が停止した』王宮は、今後長きに渡りこの状態で保存されていくのだろう。繰り返しになるが、それがゆえにここを訪れるならば今が旬であろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください