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カテゴリー: travel

  • チェラプンジーの雨

    チェラプンジーの雨

    インド各地から猛烈な熱波のニュースが伝えられるこのごろだが、北東インドではすでにプレ・モンスーンの雨が降りはじめているとのことだ。その中でも「世界で最も多雨な場所」とされるチェラプンジーの降雨量には圧倒的なものがある。下記リンク先記事をご参照願いたい。

    Pre-Monsoon: Heavy rain continues over Northeast India (skymet)

    ベンガル湾から吹き上がって来る風が、ちょうど入江に集まる波のような具合に、北のヒマラヤ山脈と東のアラカン山脈に挟まれた行き止まりに衝突するのがインド北東部。当然、非常に多雨なエリアであるのだが、とりわけチェラプンジーにおいては、ちょっと想像もできないような豪雨となる。

    印の付いている地点がチェラプンジー

    モンスーンの時期の北東インド観光地は閑散としてしまうのだが、例外的にチェラプンジーにおいては、「世界一の物凄い雨を体験するために」訪れる人たちが多いと聞く。

    それでも、乾季には生活用水が不足して、給水タンカー車が行き来する、ちょっと皮肉な部分もある。つまり雨期にそれほど集中して降るということの裏返しでもある。

  • 炎天下のサイクルリクシャー

    炎天下のサイクルリクシャー


    連日40数度で真夏のデリー。この時期、湿度は低いので木陰に入るとそれなりにしのげるのはいいが、日向で野菜や果物等を行商する人たち、工事等の肉体労働に従事する人たちは本当に大変だ。

    そうした中で、長いこと強い日差しに照らされてお客を待っていたり、照り返しの強い路上を進んでいったりするサイクルリクシャーもまた、なんと苛酷な仕事かと思う。「熱中症に注意しましょう」などという甘っちょろいことは言っていられない日常だ。


    こうした人たちは若者ばかりではないし、総じて小柄で華奢な体格。エンジンが付いているわけではないので、ペダルを漕いだ分しか進まないし、ギアが付いているわけでもない。彼らが身体を強張らせて踏んばっている姿を後ろの客席から眺めていると、「ちょっと代わってやろうか」などと声をかけたくなったりもする。

    昔と違って、さすがにデリー市内のサイクルリクシャーの男たちは、身なりもずいぶん良くなった。ちょっと洒落た?シャツを着ていたり、ジーンズをはいて漕いでいたりするのだが、ランニングとルンギー姿でそうしているよりも、なおさらのこと暑苦しそうに感じられる。


    これから先、まだまだ気温の高い時期は続く。その後、モンスーンがやってきたら、気温はやや下がるものの、強い雨や蒸し風呂のような空気の中での、これまた辛い日々となる。

    夏の暑さも冬の寒さも厳しいデリー。外で額に汗して稼ぐということはまったくもってたやすいことではない。

  • マジヌー・カー・ティーラー

    マジヌー・カー・ティーラー

    マジヌー・カー・ティーラーでチベット料理でも食べようと出かけてみた。

    メトロのヴィダーン・サバー駅で下車して、サイクルリクシャーで少々進んだところのGurudwara Majnu Ka Tilla Sahibからアウターリングロードを少し北に進んだ道路反対側にある。


    TIBETAN REFUGEE COLONYと書かれた門をくぐり、まずはチベット寺院にお参りしてから少し散策することにする。この街区だけはインド人の姿はあまり多くなく、行き交う人々の大半がチベット系の顔立ちで、インドにいることをつい忘れてしまいそうになる。

    まずはチベット仏教寺院に参拝

    とかく違法建築の多いデリー(デリーに限ったことではまったくないが・・・)にあっても、ことさら無秩序に大小の建物が並び、路地が極端に狭くなったり広くなったり。また、チベット仏教のお寺正面の広場以外には、空が見えるエリアはなく、規制とはまったく無縁の空間であるように見受けられる。


    その割には、昔と違って小奇麗な店やレストランなどがかなり多いのは、他のバーザール地域とは異なる。そんな中の一軒に入ってみると、もう昼時を大きく回って午後3時くらいにはなっているのに、ほぼ満席に近い状態であった。

    食事を終えて外に出る。ふたたびサイクルリクシャーでメトロの駅に向かう前に立ち寄ってみたYangdon’s Collectionという店では、飲み物、菓子類、女性の化粧品などとともに、マニ車などの仏具や様々なチベットグッズなども販売していた。


    そんな中で少々気になったのがこの壁時計。チベット旗をモチーフにしたカラフルなもの。ショーケースから出してもらった直後に私はこれを購入していた。

    この店では、ときどきこのような具合にオリジナル商品を作らせては販売しているとのこと。このようなところは地域に他にいくつかあるようだ。

  • NIZAMUDDIN URBAN RENEWAL INITIATIVE

    NIZAMUDDIN URBAN RENEWAL INITIATIVE




    久しぶりにフマユーン廟に足を踏み入れた。四半世紀ぶりくらいだと思う。デリーはしばしば訪れて、近くを通ることはしばしばあっても、中に入ってみようと思わなかった。この度はちょっと気が変わって、ごくごくそばまで来たついでに見学してみることにした。

    ずいぶん見ない間に敷地内も建築物そのものも、非常にきれいに整備されるようになったのもさることながら、世界遺産(指定されたのは(1993年なので、もうふた昔以上も前のことになるが)となったことによる効果を有効に活用しているように見受けられた。

    Nizamuddin Urban Renewal Initiativeというプロジェクトが実施されており、このフマユーン廟、その周辺地域のスンダル・ナーサリーニザームッディーン地域において、イスラームの歴史的モニュメントを保護・発展させていくため、地域の人々自身による史跡の建築の装飾を含めた伝統工芸の振興により、これを持続可能なものとしていき、雇用・就業機会の確保とともに、公衆衛生の普及等も図っていくという、いわば地域興し的な計画である。

    このプロジェクトにおいて、フマユーン廟だけでなく、スンダル・ナーサリーニザームッディーン地域の史跡等も整備されることになっている。

    これに参画する官民合わせて五つの組織は、それぞれArchaeological Survey of India(ASI)Municipal Corporation of Delhi (MCD)Central Public Works Department (CPWD)Aga Khan FoundationAga Khan Trust for Culture (AKTC)である。

    同プロジェクトのホームページ上で写真やテキストで発信される情報以外にも、同サイトで公開される年報にて、様々な事業の進捗も報告されるなど、情報公開にも積極的に努めているようだ。

    世界遺産を核として、地域社会の発展に貢献するとともに、その地域社会からも世界遺産の整備に働きかけていくというサイクルがすでに軌道に乗っているのか、今後そうなるように試行錯誤であるのだろうか。

    いずれにしても、地域社会と遊離した、政府による一方的な史跡の整備事業ではなく、このエリアを歴史的・文化的に継続するコミュニティという位置づけで参画させていくという手法が新鮮だ。歴史的なモニュメントを含めた周辺のムスリムコミュニティにとって、これらの活動が地域の誇りとして意識されるようになれば大変喜ばしい。

    世界遺産の有効な活用例として、今後長きに渡り注目していくべきプロジェクトではないかと私は思っている。

    遺跡の修復に関するコミットメントの具体例を紹介する表示がいくつもあった。

    こちらも同様に、装飾の復元に関わる情報を記載

  • バングラデシュ横断計画 西ベンガル州都コールカーター発、トリプラー州都アガルタラー行き直行バス運行へ

    遠からず、西ベンガル州都コールカーターとトリプラー州都アガルタラーとを結ぶ直行バスが運行されることになるようだ。隣国バングラデシュを囲む位置にある北東州だが、とりわけ「本土」から見てバングラデシュの向こうに位置するトリプラー州へのアクセスがバングラデシュを横切る形で可能となることによるメリットは大きい。

    これは同時に、本来ならばひとつづきの経済圏であったはずのインド東部地域にバングラデシュという他の国が成立してしまっていることの不条理さの裏返しでもある。

    バングラデシュにおいても、過密すぎる人口とは裏腹に少なすぎる就業機会、乏しいインフラなどから、隣接する地域と断ち切られた形で存在する自国について、「もし印パ分離がなかったら」と思う人たちも決して少なくはないようだ。2014年おけるインドの1人当たりGDPが1,165ドルであるのに対して、バングラデシュは625ドルと、およそ半分でしかない。

    パキスタンとともにインドから分離して英国からの独立を果たした東パキスタン(現在のバングラデシュ)だが、その後に高揚したベンガル人としてのナショナリズムにインディラー・ガーンディー政権下のインドがバングラデシュ成立を強力に後押しした。

    いわばインドの傀儡とも表現できる形でスタートしたバングラデシュだが、その後は決してデリーの意向になびくことなく、独自の国体とナショナリズムを固持して歴史を刻んできた。

    アッサムからの水運、物流は長いこと断ち切られ、歴史や言語、文化や習慣を共有する西ベンガル地域に第一次産品を大量に供給し、それと反対に工業製品の供給を受けるという分離以前には存在していた地域内の分業の機能を国境が阻害する。雇用機会やベターな賃金を求めて向こう側に出る人たちは、同じベンガル人ながらも不法移民ということになる。

    これとは逆に、インド側にしてみても地域の真ん中に、あまり友好的とは言えない国が存在することにより、当然のことながらこのエリアにかかる国防費などの負担を抱えることとなる。独立以来、インド北東部が不安定であることの背景に、その地域の特色ある民族構成以外に、ベンガル北部の頼りないまでに細い回廊地域のみを経て到達できるという、地理的な要因もあるようだ。

    イデオロギーによる国家の分断の悲劇は、固定された格差、域内経済の振興への足かせなどとともに今なお継続中である。コールカーターから、ひとつづきのはずのベンガル地域の北東端にあたる地域への直通バスが話題になること自体が、現状の理不尽さそのものである。

    Direct Bus Between Agartala-Kolkata via Bangladesh (Northeast Today)

  • ロヒンギャー難民

    最近もまたミャンマーからのロヒンギャー難民たちに関する記事がメディアに頻繁に取り上げられるようになっている。

    【ルポ ミャンマー逃れる少数民族】 漂流ロヒンギャ、苦難の道 迫害逃れ、過酷な船旅 (47 NEWS)

    昨年、ロヒンギャー問題で知られるヤカイン州のスィットウェを訪れたことがあるが、かつて英領時代には、この街の中心部でおそらくマジョリティを占めて、商業や交易の中心を担ったと思われるベンガル系ムスリムの人たちのタウンシップがある。そこには同じくベンガル系のヒンドゥーの人々も居住していた。

    スィットウェへ3 (indo.to)

    滞在中にヒンドゥーの人たちの家で結婚式があるとのことで、「ぜひお出でください」と呼ばれていたのだが、その街区はバリケードで封鎖されていて、訪問することはできなかった。
    その数日前に、たまたま警官たちのローテーションの隙間であったのか、たまたま入ることが出来て、幾つかの寺院その他を訪れるとともに、訪問先の方々からいろいろお話をうかがうことができたのだが。

    実のところ、その結婚式には日程が合わず出席はできないものの、同じ方々からもう少し話を聞いてみたいという思いがあり、足を向けてみたのであるが、バリケードの手前で、「ここから先はロヒンギャー地域だぞ。誰に何の用事だ?」と警官たちに詰問されることとなった。

    うっかり先方の住所や名前を口にしては、訪れることになっていた人たちに迷惑が及んではいけないと思い、「いや、向こう側に出る近道かな?と思って・・・」などと言いながら踵を返した次第。通りの反対側から進入を試みてみたが、同じ結果となった。゛

    ロヒンギャーとは、一般的に先祖がベンガル地方から移住したムスリムで、現在のミャンマーでは国籍を認められず「不法移民」と定義されている人たちということになっているようだが、ベンガルを出自とするヒンドゥーもまた同様の扱いを受けているように見受けられた。

    そのロヒンギャーの人たちだが、母語であるベンガル語の方言以外にも、インド系ムスリムの教養のひとつとして、ウルドゥー語を理解すること、またヒンドゥーの人たちも父祖の地である広義のヒンドゥスターンの言葉としてヒンディーを理解することはこのときの訪問で判った。もちろん個人により理解の度合いに大きな差があり、まったくそれらを理解しない人たちもいるのだが。とりわけ若い世代にその傾向が強いようだ。

    アメリカをはじめとする先進主要国から経済制裁を受けていた軍政時代には、ミャンマー国内の人権事情について、各国政府から様々な批判がなされていたが、民政移管に伴い制裁が解除されてからは、そうしたものがトーンダウンするどころか、まさに「見て見ぬふり」という具合になっているように見受けられる。ここ数年間に渡り大盛況のミャンマーブームだが、同国政府の不興を買って、自国企業の投資その他の経済活動に支障が出ることに対する懸念があるがゆえのことと思われる。

  • DARGAH HAZRAT NIZAMUDDIN

    DARGAH HAZRAT NIZAMUDDIN


    せっかくデリーに来たので、ニザームッディーンのダルガーに参拝。スーフィーのチシュティー派の聖者、ニザームッディーン・アウリヤーの墓廟。境内で演奏しているカッワーリーを聴きながら、しばし陶酔の時間を過ごすことができる。ムスリムだろうがヒンドゥーだろうが、はてまた外国人だろうと誰でもウェルカムな包容力がいい。祝祭の時期ではないこともあり、金曜日の割には空いていて、本殿で楽に祈ることができた。清浄な気分になってダルガーを後にする。







    先日、Karim’sのファストフードと題して書いた、南デリーのモールで見つけたファストフード版のカリーム(Karim’s)ではあまりにやるせなかったので、ダルガー参拝のついでにニザームッディーンにあるちゃんとした店舗のカリームを訪れた。しかしながら、カリームではあっても、ビリヤーニーまでもが破格の美味さというわけでもないようだ。もちろん上々の味わいであることは間違いないのだが。

    ダルガーの参道にはずらりと巨大な釜を並べるビリヤーニー専門店が並ぶ横丁がある。このあたりにKarim’sよりも旨いビリヤーニーを出す店がきっとあることだろう。付近にはティッカーやケバーブ、様々なナーンの類などを売る店も多く、これまた食欲を大いにそそる一角である。




  • 青蔵鉄路

    インドと関係のない話で恐縮ながら、インドの隣国にして中国による武力占領地のチベットの鉄道に関するNational Geographicによるドキュメンタリー作品。

    内容は政治的なものではまったくなく、2006年に開通した青海省のゴルムドからチベットのラサに至る青蔵鉄路建設に関わるストーリー。

    National Geographic – Extreme Railway: Qinghai Tibet Railway (YouTube)

    単線から成るこの鉄路だが、1950年代から構想が始まり、建設に当たってはチベット高原における高低差を克服するだけではなく、永久凍土上の地層、つまり冬季には凍結して嵩を増し、夏季には溶解して沈み込むとともに、場所によっては泥濘状態となる大地とどうやって折り合いをつけるかという難問もあった。

    どのようなアイデアでこれらを克服していったかについて、淡々と綴られているものの、その背後にこの事業に関わる人々による飽くなき探求心と情熱、深い知識と応用力あってのことだろう。

    こうした中国は、ネパール国境まで鉄道を延伸させる計画、さらには首都カトマンズまでこれを伸ばしていく構想まで持っている。

    China to extend rail to Nepal (ekantipur.com)

    中国の鉄道は、隣国ネパールを将来大きく変えることになるかと思うが、これはまたインドとネパールの関係、ひいては南アジアにおけるパワーバランスに多大な影響を与えることとなる。

  • 旅行荷物が軽くなる?

    旅行荷物が軽くなる?

    最近は旅行中にキーボード付きの10.1インチ画面のアンドロイドタブレットを持参している。普段から電子書籍閲覧に利用するなど重宝しているが、キーボードの使い心地も良くてなかなか満足している。

    しかしながら、どこかに出かける際に、もっと軽くならないかと思ったりもする。旅行の荷物は軽ければ軽いほどいい。このタブレットは、キーボードを付けた状態では1.1kgとなり、外出時のカバンに放り込んでおくと、それなりの重量感がある。滞在先の宿の部屋のリュックの中に放り込んでおくのも何か不用心でもあるので、やはり持ち歩くことになり、ちょっと負担に感じたりもする。

    そんなわけで、何か良い解決方法はないものか?と思っていたため、このほどBluetoothのキーボードを購入してみた。現在使っているHUAWEIのAscend Mate7は画面が6インチと大きめで、ズボンのポケットに入れるにはギリギリのサイズだ。CPUはオクタコアの1.8GBと強力、ちょうどハイエンドのPCのようにサクサク快適なので、外付けキーボードを用いてワープロとして使うのに何ら問題はないだろうと思ったからだ。加えて、バッテリーの持ちが良く、待ち受け状態ならば2日間は大丈夫なので、外付け充電池を持参していれば、特に残量を心配する必要はない。

    時と場合に応じて、鉄道駅やバスターミナルなどでのちょっとした待ち時間にはスマホのフリック入力で、宿の部屋の中ではスマホを小さな傾斜スタンドに載せて、キーボードで日記等を書き進めることが出来る。

    ワープロのアプリは、somnoteを利用することにした。3GやWifiなどで接続中の環境下で保存するたびにクラウドと同期されるため、スマホに万一のことがあっても、データ自体はどこからでも復元できるというメリットがある。訪問先で事務仕事をするわけでなければ、これで充分だ。

    外付けキーボードの使い勝手がポイントとなるが、カサも重量もコンパクトであることと、それなりに入力しやすいということが両立出来るものを探した。キーのストロークもまずまずで、キーボードのピッチが若干狭いようではあるもの、すぐに慣れた。外付けキーボード使用時にはスマホの日本語入力システムを変更しなくてはならないのは少々面倒ではあるが。

    スマホの画面が6インチというのは書籍リーダーとしても充分活用できるサイズなので、訪問する地域に関連する書籍やガイドブックなども保存しておき、必要に応じてスマホで開いて閲覧することが出来る。

    デジカメのデータバックアップについては、旅行先にタブレットを持参していたときは、Eyefy Mobiを使用していたが、大量の撮影データをコピーしようとすると、膨大な時間がかかることに閉口していた。これについては、転送が迅速なカードリーダーを手に入れることで解決できた。なお、これを用いるとUSBディスクや外付けハードディスクも接続出来てしまうなど、なかなか重宝しそうだ。スマホがほぼパソコンみたいな具合に活用できることになる。

    カードリーダー

    近年、旅行に持参する電子機器、充電器の類が増えてしまうことを苦々しく思っていたが、同じように考えている(旅行に限らず、外出時のそうした荷物が邪魔でもあることについて)人たちはやはり多いようで、そうした需要をうまく捉えた製品というのもいろいろあるものだな、と感心した次第である。

  • The Nilgiri Mountain Railway

    1908年に開通したニルギリ山岳鉄道。英国時代に建設され、2005年にはユネスコの世界遺産に指定された鉄道のBBCによるドキュメンタリー作品がYouTubeで公開されている。

    The Nilgiri Mountain Railway (YouTube)

    植民地時代にヒルステーションとして開発されたウーティーへの往来、そこに至る途中にある茶園から茶葉を輸送するなどの目的で開通したこの鉄道にて、1世紀に渡り世代を継いで奉職してきた人たちがいるのは、まさにこうしたヘリテージな鉄道らしいところだろう。今も英国の香りがほのかに残るヒルステーションのウーティーと同様に、それを感じさせてくれるのがこのトイトレインによるウーティーへの往復だ。

    高地にあり、冷涼な気候に恵まれた山岳地であるがゆえに、ひとたび天気が崩れると豪雨となることも少なくない。海洋地域から押し寄せる雨雲をブロックすることになるので、多雨となる宿命がある。崩れやすい斜面を走る鉄道だけに、列車が不通となることもしばしばあるのはいたしかたない。そうした運休時には、鉄道駅は眠ったように静かになるいっぽう、大忙しとなるのが保線関係技師や労働者たちだ。

    車両整備の現場には、この路線初の女性整備士が男性ばかりの職場で額に汗して働いている。娘がわずか生後1週間のときに異動の辞令が出たため、夫とその実家に赤ん坊の世話を頼んでここに赴任してきたという。インドの鉄道職員に産休や育休などの制度があるのかどうか知らないが、業務面ばかりではなく、生活の面でも様々な苦労を抱えている人たちは少なくないことだろう。

    趣のある機関車をはじめとする車両や駅だけではなく、そこで働く人々にもスポットを当てた、鉄道に対する愛情に溢れた素敵なドキュメンタリー作品である。ぜひご鑑賞をお勧めしたい。

  • 観光公社も分離 アーンドラ・プラデーシュ州とテーランガーナー州

    2014年6月にアーンドラ・プラデーシュ州からテーランガーナー州が分離したが、向こう10年以内はハイデラーバードが両州の首都として機能することになっている。

    その期間以降は、前者、つまりアーンドラ・プラデーシュは自前の州都を築くことが課されており、州が分離したことに続いて大きな負担を抱え込むこととなった。

    今年4月2日に、アーンドラ・プラデーシュ州首相のN.チャンドラバーブー・ナイドゥ氏がアマラワティ新州都とすることを宣言しており、都市機能の建設が急ピッチで進んでいくことになる。

    当然のことながら、州分離により、これまでアーンドラ・プラデーシュ州が運営してきたアーンドラ・プラデーシュ観光公社もふたつに分かれることとなり、テーランガーナー地域においてはテーランガーナー州観光公社がその役割を担うこととなった。

    出自が同じであるため、ふたつの州観光公社のウェブサイトにアクセスしてみると、造りが実によく似通っていることがわかるだろう。
    どちらも24時間体制のチャット機能も用意されており、質問するとすぐに何かしらの返事が返ってくる。もっとも、あまり詳しいことを尋ねても、さほど有益な回答が返ってくることはないようだが、たとえ観光公社の「オフィスアワー時間外」であっても、少なくともコンタクトする先、メールアドレスなり電話番号なりといったベーシックな情報は教えてくれる。このあたりは、民間会社に委託しているのだろうが、それでもITを上手に利用したスマートなサービスだと思う。

    しかしながら、テーランガーナー観光公社のウェブサイトに用意されている送信フォームから幾度か質問のメッセージを送ってみても、返信がなされることはなかった。器は立派になっても、やはり政府観光局というのはこんなものかな、と思ったりもするが、今のようにネットその他に様々な情報が氾濫する時代にあっては、すでに政府による個々の旅客に対する情報提供という業務の存在意義は限りなく薄れているとも言えるだろう。

  • W杯アジア二次予選 アフガニスタン代表

    サッカーのワールドカップのアジア二次予選の組み合わせが決定した。

    日本、シリアなどと同組…サッカーW杯2次予選 (YOMIURI ONLINE)

    非常に有利なグループ(日本・シリア・アフガニスタン・カンボジア・シンガポール)に入ったとメディアで取り上げられているが、そのとおりだろう。また、個人的には組み合わせはともかく、アフガニスタンと一緒のグループに入ったことについて興味深く感じている。

    2011年にアジアカップ一次リーグでシリアと対戦して、2-1と日本が苦戦した相手シリアはともかく、まったくノーマークのアフガニスタンに注目したい。FIFAランキングのシリア126位と同じく、アフガニスタンの135位はどちらも苦しい国情のためもあり、国際試合の機会が希薄であることからくるもので、実力を反映したものとは言えない。

    南アジアで開催された国際大会やアフガニスタン国内リーグなどをネット中継で観戦したことがあるが、南アジアサッカー連盟加盟の8か国(アフガニスタン、インド、スリランカ、ネパール、パーキスターン、バーングラーデーシュ、ブータン、モルジヴ)の中で、アフガニスタンは一線を画す存在だ。

    南アジア選手権においては、2011年大会に大躍進を見せて準優勝、続く2013年大会では見事優勝している。この大会の決勝戦で対戦したのは、2011年大会と同じくインド代表であったが、2-0でこれを下した。ちなみにこのときのインド代表には、日本で生まれ育った日系インド人(父親がインド人、母親は日本人)のMFプレーヤー、和泉新(いずみあらた)選手が出場していた。アルビレックス新潟のサテライト(シンガポールのSリーグ加盟)でプレーしていた選手だが、日本のアマチュアチームを経て、インドのIリーグの名門イーストベンガルに加入後、同じくIリーグのマヒンドラ・ユナイテッドFC、そして現在はプネーFCでプレーしている。

    さて、長年国内リーグを安定的に運営してきたインドをはじめとする国々が出場する大会で、これまでサッカーのインフラもなく、復興に向けてゆっくりと歩みを重ねつつある国の代表が制するというのは尋常ではないが、実はそれには訳がある。

    アフガニスタン国内を横断するトップリーグ「ローシャン・アフガン・プレミアリーグ」は2012年に始まったばかり。それでいながら、報酬を得てプレーする「プロ」選手も少なくない。現状はよく判らないが、少なくとも発足当時、選手たちは年契約ではなく、試合ごとに「日払い」で報酬を受け取るというのが普通であったようだ。もちろん勝敗や個々の活躍ぶりによって受け取る額は変動したのだろう。

    しかしながら、国内リーグの惨状とは裏腹に、海外のクラブにて活躍中で、母国の代表に招集される選手たちの存在と彼らのポテンシャルの傑出した高さがあるのがアフガニスタン代表の特異なところだ。代表選手たちの半数ほどは欧州を中心とする様々な国々のクラブでプレーしており、国外生まれの者も少なくない。

    よって、スタメンで出てくる主力は海外仕込みの選手たちとなるであろうことから、日本が相手にする相手の大半は、本格的なサッカー環境とはほど遠いところで育った「アフガンの地場産の選手たち」ではなく、外国の2部や3部のクラブに所属とはいえ、紛れもない「本場仕込みのプレーヤーたち」であることを念頭に置く必要があり、他の南アジアサッカー連盟に加盟している国々の代表とは格が違うのは当然ということになる。

    地域では突出しているとはいえ、日本代表が圧倒されるケースは想像しにくいが、「意外にいいサッカーをする!」と評価される可能性があるアフガニスタン代表だ。国内が安定して成長が見込めるようになると、今後さらに急伸していく可能性もある。

    アジア二次予選では、ホーム&アウェイ方式で二試合ずつ、合計8試合行われることになるが、情勢が緊迫しているシリアもさることながら、果たして首都カーブル(「カブール」という表記がメディア等で見られるが、ペルシャ文字で「کابل」と綴るので、「カーブル」が適切)で今年9月8日に予定されているゲームが実現できるのか、第三国での開催となるのかについても注目したい。

    安全確保が最優先であるのは当然だが、関係者たちの努力により、カーブルでのアフガニスタン代表のホームゲームが開催されるとなれば、アフガニスタンサッカー界にとって歴史的な快挙となるだけではなく、アフガニスタンのサッカーファン、とりわけ元気な子どもたちへの大きな贈り物にもなる。また、長く続いた内戦でズタズタになった国で、異なる民族の人々が声をひとつにして「私たちの代表」を応援できるということは素晴らしいことだ。

    スポーツが平和のためにできることはいろいろある。勝ち負けだけではない「絆」や「共感」を持つことができることもまた、スポーツの国際大会の大きな意義のひとつだろう。アフガニスタンのサッカーファンにとっては、今や世界的な強豪国の一角となった日本を迎え撃つ「ワールドカップ予選試合」をホームで実現することは、日本がこの二次予選、そして最終予選を制して6度目の本大会に出場する以上に大きな意味のあることだ。勝敗はともかく、これを実現するということは、人々の心に届く、真に勇気ある国際平和貢献となることは言うまでもない。

    はなはだ残念なことであるが、シリアにしても、アフガニスタンにしても、こうした大きなイベントは反政府勢力にとって格好のターゲットとなり得ることは間違いない。スポーツに政治を持ち込むことなく、誰もが心ひとつにして自国代表を力いっぱい声援できる環境を造ることは、思想や主義主張を越えて、FIFAや日本とアフガニスタンサッカー協会関係者たちはもちろんのこと、アフガニスタンの行政、治安当局や反政府勢力等々にかかわるすべて大人たちひとりひとりに課せられた責任でもあるとともに、私たち日本人もまた実現に向けて世論を後押ししていくべきだろう。

    アフガニスタンで、後世に語り継がれる「伝説の試合」が現実のものとなることを期待したい。