どこかの国際空港にいるような気さえするような立派なターミナル。壁面がガラス張り、曲線を多用し、天井からの採光にも注力した、今どき流行りのタイプの空港だ。
おそらくこれが出来る前は、平屋レンガ積みの小さな建物で、飛行機がランウェイに到着すると壁に赤ペンキで「RAIPUR」と書いてあるのが見えたことだろう。
2000年11月にマッディャ・プラデーシュ州から分離して成立したチャッティースガル州の州都の空の玄関口。もっと簡素な施設を想像していたので、正直なところ大変驚いた。



パールスィーの町、ウドワーダー。ゾロアスター教寺院の中でももっともっと格式高いとされる寺院(インドのパールスィーの間では、イランのヤズドの寺院よりも上位とされる)があり、ゾロアスター教徒の暦で毎月めぐってくる「ベーへラーム・ローズ(至高の日)」には、大勢の参拝者がやってくる。
異教徒は寺院には入れないとはいえ、ちょうど良いタイミングであった。乗り合いオートではゾロアスター教司祭の壮年男性と一緒になり、話を聞くことが出来た。寺院前に建ち並ぶ参拝者相手の店の様子を見物するのも興味深い。田舎町とはいえ、経済的に繁栄しているパールスィーの人たちのコミュニティなので、建物の造りもたたずまいもゆとりが感じられる。
ウドワーダーの町を歩いていると、パールスィーの人たちによく声をかけられる。この町からパールスィーの人口流出が著しいことから、「聖地」とはいえ、当地ではすでに「マイノリティー」になっているとのことだが、「パールスィー以外の人たち」と外見からして異なるため、そうと判る。つまり、イラン系で色白、がっちり型、しばしば長身の人たちであるからだ。
ペルシャ風建築?の屋敷町から区画を少し移動して漁師地区に来ると、色黒で小柄、人種そのものが違う人たちが、簡素な建物に暮らしている。小さな田舎町だが、少し歩くだけで別世界のようだ。





町はずれにある博物館にて。「パールスィーの歴史的偉人」の展示コーナーには、ファルーク・バルサラーことフレディー・マーキュリーの姿もある。ゾロアスター教の聖地ウドワーダー。地元の人によると、フレディーがボンベイ郊外のボーディングスクールにいたころ、寺院に参拝するためによく来ていたことが知られているとのことだ。映画「ボヘミアン・ラプソディー」には出てこないロンドン移住前のフレディー・マーキュリー。


それほど多く見どころがあるわけではないため、15km程度しか離れていないダマンからの日帰りで充分かと思うが、ウドワーダー自体にも宿泊施設はいくつかあるので滞在には困らないようだ。ただしパールスィーのダラムシャーラーについては、食事はできるが異教徒は宿泊できないとのことだ。





パールスィーゆかりの土地があまり訪問先としてクロースアップされないのは、異教徒は寺院に入場出来ないことがあるのかもしれない。これはパールスィー生まれの人々にとっても同様の部分がある。寺院内には司祭としての修練を積んだ人でないと立ち入ることが許されない領域があるのだ。
パールスィーは、パールスィーと結婚しなくてはならず、異教徒と婚姻を結ぶと、もはやパールスィーとは見なされなくなり、寺院への入場はおろか、同教徒の人生最後の通過儀礼である鳥葬も行うことができなくなる。
そんなわけで結婚というハードルにより、振り落とされてしまうパールスィーが多いとのこと。コミュニティ外で恋愛して結婚を決意することもあるだろうし、もとより教育を大変重んじるパールスィー。しかしそうした社会的集団にも一定の割合でドロップアウトする若者たちがいる。もうその時点で同じコミュニティの配偶者に恵まれる機会を失うことになる。そんな背景から、繁栄(経済的に)しつつも衰退(人口が)しつつあるコミュニティとされる。

話は飛ぶが、今のイランにゾロアスター教時代から引き継がれている伝統は少なくない。イラン正月「ナウローズ(文字通り元旦)」はそうだし、ローズウォーターを使う甘味もどうやらそうしたもののひとつらしい。普段はムスリムの名前として認識されている「ファルーク(フレディーも改名する前はファルーク)」「シャールク」は、イランのイスラーム化以前から使われていた名前だ。
言うまでもなく、ひとつの思想、この場合イスラーム教だが、それが世の中を席巻したからといって、それ以前の習慣がすべて消えるわけではない。アケメネス朝の文化を継承する在インドのイラーニー(パールスィー)と現在のイランに暮らすイスラーム教徒のイラーニーに共通するものは案外少なくないらしいことは、なかなか興味深い。





1991年亡くなったクイーンのヴォーカリスト、フレディー・マーキュリー。タンザニアのザンジバルにて、インド出身のゾロアスター教徒の両親のもとに生まれた彼の元々の名前は「ファルーク・バルサラー」だが、この「バルサラー」はインドのグジャラートにある町の名前。現在の「ワルサード」の旧名だ。
先祖が定住した土地の名前がそのまま苗字となっており、比較的よるある姓といえる。そんな土地なので、きっとパールスィーの人たちの姿は少なくないだろうと予想できるが、調べてみるとこの町にはゾロアスター教寺院がふたつもあるとのことなので、間違いないことが確信できた。


町では、たまたま知り合ったパールスィーの方のお宅にお邪魔させていただき話を伺うことができた。
ゾロアスター教寺院では信者以外が入場することができないし、取り立てて見どころはないワルサードではあるが、落ち着いた町並みと趣のある家屋を目にするのはなかなか楽しい。




パールスィーはさておき、グジャラート州に限ったことではないのだが、それぞれの家屋になんとかバワンとかかんとかクリパーとかいった屋号が付いていることが多いのが面白い。優雅な感じがして良い。



ツーリストゾーンとはいえ、良質な食事処に事欠かないコラバ。その中でも特定のエリアの食事(ゴア料理など)にこだわらなければ、コラバの宿泊施設が集中するエリアにあるFood Innは、良心的かつ信頼できるレストランだ。お客の大半が外国人という時間帯も多いのだが、実にちゃんとした料理を提供している。


現地語から英語に入ったもの、英語から現地語に取り入れられたもので、相互に微妙に音が異なるケースが少なくない。
19世紀前半まで植民地行政用語として広く使用されていたペルシア語の表記による影響(ウとオが区別されず同じ表記)で、これらがひっくり返ったのかな?と思うこともあるが、現地での音声的な慣習などもあるかもしれない。
よくschool、stationを「イスクール」「イステーシャン」と言う人がインドでかなり多いように、発音しやすいというような。
これがベンガルだと、他の北インド地域と同じように文字上での母音はア、アー、イ、イー、ウ、ウー、エー、アェー、オー、アォーだが、現代ベンガル語ではNarayanganjが「ノロヨンゴンジ」に聞こえるし、マングローブがあるSundarbanがシュンドルボンになる。
独立後、政治的な背景から地名、ストリート名などから英国的ないしは英国人に因んだもの、地元地名の英語的な綴りはかなり排除された(それでも地域的にはまだかなり残っている)が、それでもこうした不整合についてはまったく気にもかけないのはインドらしい。

ムンバイで利用した宿では朝食込み、午前8時から10時までの間に提供ということになっていた。早起きして外出してすでに食べているのだが、宿で用意しているのはどんなものかと、一応朝食時間に戻って確認してみることにした。
外から戻った際にフロントで「朝食を」と伝えると、「部屋に届けさせる」とのこと。このホテルでは宿泊客が顔を合わせるような場所は、このフロントしかないのであった。

部屋に戻ると、間もなくスタッフがプラスチックのトレーを持ってやってきた。
食パン、バター、ジャム、ティーバッグ、インスタントコーヒー、砂糖とミルクパウダーという簡素なもの。それは構わないのだが、やはり部屋の中で一人で食べるというのはつまらない。他の宿泊客と会話しながら、あるいはそうでなくてもそうした人々を目にしながらというのがやはり楽しい。
一度おしゃべりしてから二度ともう会う機会のない人がほとんどであったりするが、話をしながら何か良い情報をもらうなど新しい発見があったり、一日行動を共にしたりすることもある。ある程度親しくなればSNSで繋がり、しばしば近況のやりとりをしたり、ときどき会うようになったりする相手もある。それらもまた旅行の楽しみである。
朝食をひとり自室で食べると、気楽かもしれないが、何も良いことは起こらないのである。
話は前後してしまうが、ムンバイ国際空港でのSIMカード購入の件。
ムンバイから夕方以降に入国、すでに街中のSIM販売店は閉まっており、明日の早い時間帯にムンバイを出て、田舎に向かう・・・というようなケースは少なくないだろう。朝10時だか11時だかにマーケットの店が開くのを待っているような時間はないというような。
大都市圏を出ると、SIM購入は容易ではないことが珍しくないし、そうでなくともアクティベートされるまで数日かかってしまうというようなケースも多い。観光客が多いゴアのパナジで購入しても足掛け3日くらいはかかる。
そんな場合、ムンバイ空港でSIMを購入することも視野に入れておくと良いかもしれない。
インドのプリペイドでお馴染みのキャリアAirtelのカウンターが、税関を通過して出迎えロビーに出たところにある。先客がいなければ、パスポートを見せてSIMが出てくるまで、なんと30秒ほどしかかからない。これはバンコクの空港並みのスピードだ。
ただし使えるようになるまではかなり時間がかかる。
宵の口の時間帯に入手してから2時間ほどで電波が入っていること示す表示は出てくるのだが、SIMカードそのものと同時に購入したインターネットと通話のパッケージが使えるようになったのは翌朝のことであった。
SIM購入にかける時間がない場合、Amazon等で販売されている海外で使用できるデータ通信専用SIMを購入するのもひとつの手だが、やはり電話として通話することができない点で、かなり利便性に劣る。
即座に開通とはならないものの、空港での購入をお勧めしたい。デリーから入国の場合でもやはり税関を通過して出迎えロビーに出たところにAirtelのカウンターがあり、プリペイドのSIMを購入することができる。

コラバの映画館入口付近に貼られていたのだが、おそらく在ムンバイの日本国総領事館によるものなのだろう。
ご存知のとおり、「いかのおすし」とは、もともと日本の小学校で児童たちへの不審者に関する注意喚起からきているものである。
防犯標語 「いかのおすし」のルーツを探る!(JAPAN SPORT COUNCIL)
ムンバイに限らず、インドで日本人旅行者がターゲットとなる事件・事案が後を絶たないことから、こうした形で注意が呼びかけられているということだろう。


ムンバイのコラバで海に面したエリアに使用料金5Rsのキレイな有料トイレができていた。
このあたりを散歩するおのぼりさんたちは多く、たいていはこのあたりで立ちションしていたものため、ちゃんとしたトイレがあるのはいいことだ。
散歩している人たちによると、「確かに良いことだ。だが問題はこれがいつまで維持できるかということだね。」とのこと。
「スワッチ・バーラト」ミッションの関係で、インド各地で村などの家にトイレを作らせたり、街中などでは公衆トイレを整備したりしている。この関係の事業には政府からお金が出ているため、かなりの活況らしい。
だがこのキャンペーンが終わったらどうなるのか、政権交代したらどうなるのかという部分については、まさに神のみぞ知る・・・といったところだ。

