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カテゴリー: politics

  • エアアジア(タイ) インド便就航間近

     これまでマレーシアからは、エアアジア(マレーシア)で、クアラルンプルからコールカーター、ハイデラーバード、バンガロール、コーチン、トリバンドラム、ティルチラッパリといったインドの都市へ、加えてエアアジア Xにてデリー及びムンバイーに向かうことができる。 さらに、今年12月1日からはエアアジア(タイ)によるタイのバンコク発のデリー便とコールカーター便が就航することになっている。 

    Thai Air Asia to launch Bangkok flights from Delhi, Kolkata (Deccan Herald) 

    旧来は西の方角にある国々(湾岸諸国等)との間のフライトが密であったインドだが、近年は東方向への便も数を増していることは、インドのASEAN諸国との接近ぶりを示すとともに、このあたりをも含めた地域大国として頭角を現しつつあることを反映している。 

    そうした中で、空のゲートウェイとしてバンガロール、ハイデラーバードその他の街がこれまで以上の存在感を示すとともに、他の大都市の発展と自らの停滞のため、相対的に経済的な魅力を失ってきていたインド有数の大都会コールカーターも、地理的にこれらの国々と近いことも幸いして、ここ発着の国際線に内外の航空会社次々に乗り入れするようになってきている。インドとその近隣国の距離は確実に狭まりつつある。 

    だが、ちょっと目を東に移して、もうひとつの大国である現在の中国の『横暴』について思いを巡らせておきたい。近年、日本のメディアのみならず欧米その他からも中国の脅威に関する様々な論調を目にする。以前のように是が非でも外国からの投資や技術等を呼び込もうと汲々とする国ではない。依然、貧富の格差が大きく、地域差も甚だしい社会でありながらも、総体としてはもはや日本を抜いて世界第二位の国内総生産(GDP)を誇る経済大国となった。 

    自国で蓄えた鉄道技術(元々は日本から与えられた技術がベースになっているにしても)を海外に積極的に売り込む、他の途上国へ援助攻勢をかける、地下資源等を確保するために世界各地へ進出していき、これまで彼らに様々な支援を与えてきた先進国と各地で利害が衝突し、火花を散らせるライバルにのし上がってきている。政治的にもそれらの国々を向こうに回して『大いにモノを言う』存在となった。 

    同様に、インドとその周辺地域との間の相互依存関係がより密で抜き差しならぬものとなったとき、かつ膨大な貧困層を抱えつつも、国家としては経済的に圧倒的な存在感を持つようになった暁には、どのような態度でそれらの国々に接するようになるのか少々気にかかったりもする。 

    国と国のエゴが衝突する外交の世界で、国と国との間の力関係によって、交渉の行方が決まる。立場の弱い側から見て『傲慢な大国』はあっても、『謙虚な強国』というのはあまり例がないだろう。 

    今の中国の姿は、将来のインドのそれときっと重なるのだろうと想像するに難くない。従前より南アジアで圧倒的な存在感を持つこの国が、周辺国に及ぼしてきた影響力の届く範囲が、さらに遠くへと広がっていくことは間違いない。 

    目下、ブームのこの国をもてはやすだけではなく、私たちはこの大国との将来に渡っての付き合い方についても、よく考えておくべきではないだろうか。

  • ミャンマーはどうなるのか?②

     さて投票日が11月7日に予定されているミャンマーの総選挙だが、同国最大の野党NLD (National League for Democracy 国民民主連盟)を率いていたアウンサンスーチー氏をはじめとする民主化運動指導者たちを排除(そしてNLDは今年6月に解党)することにに成功した軍事政権は、自らの翼賛団体であるUSDA (Union Solidarity and Development Association 連邦団結発展協会)から衣替えしたUSDP (Union Solidarity and Development Party連邦団結発展党)にて選挙戦に臨む。 

    今回行われる選挙により、国政レベルの連邦議会と管区・州レベルの地方議会の議員が選出される。連邦議会は二院制で合わせて664議席、地方議会は合計888議席となる。 

    無政党が選挙に参加するには1,000人以上の登録された党員数が必要とされる。無所属で立候補することはできない。また各候補者ひとりあたり約500ドルという同国としては高額な登録料が課せられている。また日頃から政治活動に対する当局による監視の目も厳しいこともあり、志ある市民が政治の道を目指すことは難しいようだ。 

    それでもこのたびの総選挙に参加するのは37政党と、なかなか賑やかなものとなる。だがトータルで3,000人ほどとされる候補者の内訳で見ると、1,000人超の候補者を擁する最大政党USDPと同じく1,000人規模の候補者を持つNUP (National Unity Party)が突出している。 

    NUPとは、1988年8月8日に始まった大規模な民主化要求運動を抑えきれず、同年9月に軍のクーデターにより政権を追われるまで、1962年から22年間の長期に渡り、ビルマ式社会主義を標榜する政治を運営してきたBSPP (Burma Socialist Programme Partyビルマ社会主義計画党)がその前身である。 

    1988年7月まで同党のトップである議長の座にあったネ・ウィン将軍は、国防大臣であった1962年にクーデターに成功して政権を握った直後、自ら創立させた軍人主体のビルマ社会主義計画党に政権を横滑りさせている。ゆえにBSPP時代からして国軍の間接統治による独裁政治であり、それに対する国民の不満がついに噴出したのが1988年に大きな民主化要求運動であったといえる。この出来事により、ネ・ウィン氏は事実上失脚した。 

    1990年に軍事政権の意志決定最高機関であるSLORC (State Law and Order Restoration Council)の元で総選挙にて、同機関と旧BSPPによって設立し、当然政権を継承するものと体制側が目論んでいたNUPだが、獲得したのはわずか10議席という惨澹たるもので、対するアウンサンスーチー氏がトップを務めるNLDは392議席と誰の目にも明らかな結果となり、ついにこの国が民主的な体制に移行するものと内外からの期待を集めた。 

    しかし、与党となるべきNLDへの政権の委譲が行われず、軍事政権側に批判的な活動家たちに対する弾圧が行なわれ、国民議会も招集されていない状態が続き、現在に至っている。SLORCは、1997年にSPDC (State Peace and Development Council)へとその名称を改めている。 

    そうした経緯もあり、現在の軍政の翼賛団体から衣替えしたUSDPとNUPは、どちらも国軍と非常に縁が深い。ただし現在の軍事政権と一心同体の存在であるUSDPに対して、1988年に政権を追われた後、1990年の総選挙では軍事政権を代表する政党として再登場したもの、まったく話にならない大敗北を喫してからは、隅に置かれてしまい存在感を失っている旧BSPPことNUPは、現在では前者並びに国軍とは少々スタンスを置いた立場であるらしい。 

    今回ようやく実施される総選挙について、USDPとNUPというふたつの大政党があまりに突出していること、さらには総議席の四分の一が軍人に留保されることなど問題は多く、極めて軍の影響力を留保させた政権が誕生することは間違いないようだ。 1990年総選挙におけるNUPの大敗北の苦い記憶のある軍政側は、実に長い時間をかけて民主化運動を冷却させるとともに、こうした勢力の影響力を排除していった。そしてついにNLDを解党に追い込み、満を持しての選挙戦となる。

    NLD解体以降のリベラル勢力は小規模なものが割拠している状態であるのに対して、軍政側には、選挙によらず軍が指名する四分の一の軍人議席という、いわばセーフティ・ネットがあるため、USDPとNUP合わせて最悪でも総議席数の四分の一をわずかに超える程度確保すれば政権に就くことができるという極めて有利な状況にある。 

    つまり『体制側(現在の軍政) vs民主化勢力』 という構図ではなく、大方は現体制側の立場の候補者の中から『人物を選出する』ものとなる。今回の選挙に向けて、慎重かつ周到に準備を重ねてきた軍事政権側は、USDPの候補者に軍や政府関係者以外にも、ビジネス界その他で名前の知られた有名人たちも多く擁立しているようだ。規模の上でも資金力の上からも同党が圧倒的に有利である。

     アウンサンスーチー氏は、支持政党がなければ選挙をボイコットすべきであると旧NLD支持者たちに呼びかけているが、同党を支持していた人たちがこぞって投票を控えた場合、小所帯のリベラル政党へ流れるべき票が失われてしまうため、かえってUSDPを利することになってしまうのが悩ましいところだ。 

    この選挙について『看板の架け替えに過ぎない』『軍政が軍服脱いで文民面するだけ』『軍政にお墨付きを与える手続きに過ぎない』といった批判は多く、本来1990年選挙の結果を受けて当時与党の座に就くべきであったNLDが参加できなくなったことにより、西側諸国の多くも今年11月の『総選挙』を正当なものとみなすかどうかは別の話である。おそらく選挙後に新たな政府が発足してからも先進諸国による経済制裁は続くことだろう。 

    しかし制裁が続いたところでミャンマーの新政権に与える打撃とは限定的なものとなることだろう。もとよりASEAN諸国はこの国の軍事独裁政権については黙認状態で経済交流は続いていたし、近年では中国の進出が著しい。欧米諸国企業が事実上ほぼ不在の中で、中国企業にとって、ミャンマーはまさに『草刈り場』といった具合である。ミャンマーは欧米諸国が考えているほど孤立してなどいない。ゆえに彼らによる経済制裁が政権を崩壊に追い込むなどと考えているとしたら、誤った思い上がりにすぎない。 

    今回の選挙により、次期政権にて軍人勢力が温存されることになるため、政府が喧伝しているような民主化にはつながらないだろう。しかしそれだからといって、何も変わらないと考えるのも間違いだろう。

    曲りなりにも複数の政党が参加して各選挙区で競合する候補者の中から有権者たちが選び出すというプロセスが実施されることの意味は大きいだろう。総議席中の軍人枠を除いた四分の三は、国軍系の政党候補者であろうと、その他政党から出馬した人物であろうと、選挙というプロセスを経て国民から直接信任されるという点が重要だ。

    またリベラル勢力や少数民族政党(こちらには軍政寄りのスタンスの党も含まれるが)からも当選する者が出てくることから、これまでの軍事独裁政権に賛同しない人々、常にビルマ族に圧倒されてきたその他の民族出身の人々が中央ないしは地方政治の舞台に参加できることの意義も無視できない。 

    軍政とイコールの関係にあるUSDPとこれに近い関係にあるNUPが政権を担うことになるであろうことは誰もが予見するところだが、前述のとおり前者と後者とでは、その立場に異なる部分があり一枚岩ではない。そのため現在、軍政の最高意思決定機関であるSPDCによる政権運営と比較して、かなり活発で多元的な政策論争が展開していくはずだ。 

    軍と政治のかかわりについても変わっていくだろう。軍籍から抜けて政治家に横滑りする国軍幹部が多数あるいっぽう、それらが軍で占めていたポストには下の世代の人たちが持ち上がってくる。同一人物がUSDPと軍双方の要職を占めることにはならないため、世代交代した軍幹部の意志がUSDPましてやNUPのそれとイコールという具合になるとは限らず、時に対立することもあるはずだ。 

    そもそも国軍に対する批判は多いが、北を中国、西をインド、東をインドシナに囲まれた文明の交差点とでも言うべき複雑な民族・文化背景を持つこの国で、まがりなりにも国土を今の形で維持できたのは彼らあってのことだ。イギリスが去り、主権を取り戻したこの国では長らく地方の反乱が続いてきた。それは国軍への反感というよりも、中央つまり支配民族であるビルマ族が彼らに対する抑圧者として映っていたからに他ならない。

    何かと問題は多いが、総選挙が実施されるということ自体は歓迎したい。一足飛びに大きな変革が起きることにはならないが、政治に多少なりとも国民の意志が反映されるようになることは間違いないだろう。リベラル勢力に対しては、与えられた枠組みの中で、今後粘り強く努力を続けていくことを期待したい。 ミャンマーはきっと変わる・・・と思う。時間はかかるはずだが。

    もちろん選挙管理の問題もある。果たして現在示されている枠組みの中での公正な選挙が実施されるのかどうか。選挙報道について、外国メディアを排除していることも気にかかる。とりあえずは行方を見守りたい。 

    1886年から1937年まで、英領インドの一部を成していたミャンマーは、西隣のインド同様に多民族・多文化から成る国ではあるが、多様性を有すると同時に国としての一体感があり、独立以来民主的な政治運営がなされているのとは実に対照的だ。 

    ミャンマーの将来が明るいものであることを願うとともに、インドという国の偉大さをも今さらながら感じずにはいられない。 

    <完>

  • ミャンマーはどうなるのか?①

    ミャンマーはどうなるのか?①

     つくづく不可思議な国である。軍政から民政移管を標榜する『総選挙』を11月7日に控えた今、また2008年に新憲法が公布されたがまだ発効されてもいないのに、なぜ10月21日に突然国名がミャンマー連邦がミャンマー連邦共和国へと改められるとともに、国旗、国歌が変更されることになったのか。 

    Myanmar gets new flag, official name, anthem (REUTERS CANADA)

     ミャンマー 国旗の変更を発表 (NHK)

    Cries of foul play as ‘new Burma’ is hoisted (Democratic Voice of Burma)

     従前の国旗の赤色は勇気、青色は平和を象徴しているとされる。社会主義時代の1974年に制定されたもので、社会主義的なシンボルを取り囲んでいる14の星は、この国を構成する7つの管区と7つの州、合計14の地域の統合の意味を有するとされる。

    新国旗については、緑色は平和、黄色は団結、赤色は勇気、中央の星は国家の永続性を示しているとのことだ。 

    国旗変更の背景について、各メディアによる様々な憶測が飛び交っているが、つまるところ国内外に向けて『国体が改まる』ことについて内外へのアピール、そして『国民の総意に基づく民主的国家』を創るための総選挙へのムード作りといったところなのだろうか。 

    この国は、1948年に独立した後、1974年に一度国旗を変更している。1973年以前は以下のものであった。青字の部分のデザインがそれ以前と異なる。

    ところで他人の空似、ということになるのだろうが、今回新しく制定される前までのミャンマー国旗は、中華民国(台湾)のそれとよく似ていた。

     新国旗も実はよく似たデザインのものがかつて存在していた。それは1943年から1945年までの日本による傀儡政権時代の国旗である。中央に配置されているのは星ではなくクジャクだが。1942年に日本軍とともに、その協力関係にあったアウンサン (アウンサンスーチー氏の父)率いるBIA (Burma Independence Army)が同国からイギリスを追い出すことに成功した。そして1943年8月に発足した日本の傀儡政権だが、前述のBIAから再編された国軍であるBNA (Burma National Army)が起こした1945年3月にのクーデターにより転覆し、再び英国支配下に戻ることになった。その後1948年にイギリスからの独立を達成した。

     

    クジャクといえば、1937年に英領インドから分離する際に制定された英領ビルマの旗にもこれが描かれている。このデザインは、ビルマ最後の王朝であったコンバウン朝の旗に描かれていたものであり、歴史的な図柄だ。 

    わずか1年半ほどしか持続できなかった傀儡政権が定めたものとよく似たカラーリングの新国旗は、この国の行方を暗示しているようである・・・などと言うつもりはないが、国旗変更のタイミングといい、新たに定められた図柄といい、決して幸先の良いものと感じられないのは私だけではないだろう。

     <続く>

  • 国境の儀式

    国境の儀式

    アムリトサルから国道一号線を国境へと進んでいく。デリーから続いているこの国道は、GTロード (Grand Trunk Road)の一部でもあり歴史的なルートだ。 

    途中、右手に見事なコロニアル建築の薬科大学が見えてしばらくすると料金所があり、このあたりからはどこもかしこも広大な田園地帯だ。そこを通過してさらに西へと進むと、アッターリ―村を通過する。 

    国境手前で最後の村はアッターリーであるが、本当の『最後の村』はワガーである。印パ分離により、国境の東西にまたがることになったのがここであったが、現在ではイミグレーション、税関、国境警備施設等の政府機関が固まっており、『村』ではなくなっている。 

    いよいよ国境に着いた。いくつかレストランがある裏手は広い駐車場になっている。訪れたのは月曜日であったが、それでもかなりの人出であった。週末に訪れたらちょっと大変だろう。 

    セレモニーの会場には、カバン類を持ち込むことができない(カメラ、ビデオ、携帯電話、ウエストポーチは可)ため、クルマに残しておくことになる。 

    見学のスタンドに行くまでの間に、パスポートチェックが3回、ボディチェックが2回ある。途中、一般通路とVIP通路に分かれるが、外国人は後者へ進むように言われる。VIP席にも通常のVIP席とVVIP席があるが、ここでは前者に座るように指示される。これらのチェックと誘導をしているのはBSF兵士で、セレモニーで勇壮な儀式を展開する兵士たちと同じいでたちである。皆、体格がとても立派なので、交代で任務に着いているのかもしれない。 

    午後6時前に到着すると、すでに人で一杯になっていた。すぐ向こうはパーキスターン側である。こちらではボリウッドのポップスをかけて人々が踊っているが、反対側も同様に音楽を大音響で鳴らしている。ただしこちらほどの盛り上がりは見せていないようだ。印・パ両側ともに大勢の人々がスタンドで観覧している。 

    6時半くらいになると、ようやく式典が始まった。インド側では司会役のような男性(平服だがBSF兵士のようだ)による「Bharat Mata ki」という呼びかけに対して『Jai』と観衆が応じ、「Hindustan」の呼びかけに『Zindabad』、「Vande」に対して『Mataram』という具合に盛り上がりを見せている。 

    向こう側ではクルアーンの朗誦に始まり、「Jinnah、Jinnah」『Pakistan』と声を張り上げている。いかにも両国の現代国家としての成り立ちの違い、分離独立したことの理由を表しているかのようである。   

    兵士たちの儀式が始まる。最初に数人の女性兵士たちが大げさに足を踏み鳴らして国境ゲートに向かう。続いて複数の長身で着飾った兵士たちが続き、足を高く上げて踏み鳴らす動作もある。一連の流れの中で、両国とも調和の取れた動作をしている。パーキスターン側での動きはここからよくわからないのだが、同じタイミングで始まり、同時にセレモニーを完了する。 

    幾度か儀式に出ている兵士による大きく長い掛け声が流れる。印パ両側でほぼ同時に発声が開始されるのだが、自国の兵士がより長くそれを続けることができると大きな拍手と歓声が上がる。 

    以前、Youtubeでこのセレモニーの様子を動画で見たことがあるのだが、まさに両国側によるしっかりとしたパートナーシップがあるからこそ、毎日のこの式典が成り立っていることがわかる。何か敵意に満ちたものであるのではないかと思っていたが、決してそんなものではなかった。   

    儀式が終わり、家路に着く人たちに国境のセレモニーやBSFにまつわる映像を集めたVCDやDVDを売りつけようとする商売人たちが群がる。どこからかスピーカーで「皆さん、くれぐれも海賊版VCD、DVDに手を出さず、正規版を買ってください」などという、当局からの呼びかけが聞こえてくるが、正規版なるものがどこで売られているのか見当もつかない。道路脇にあるレストランもまさにこの時間帯が書き入れ時のようで、どこも満員だ。 

    アッターリー村、ワガー村の人々にとって、それ以前は、このあたりから大きな街に出るという場合、アムリトサルに行くのもラーホールに行くのも同じようなものあったことだろう。 

    アムリトサルやラーホールの住民たちにとっても、長い歴史の中でずっと「隣街」であったものが、分離により遠い街になってしまった。今の時代の人々にとってはごく当たり前のことであっても、それまでの人々にとっては、学校出てから仕事に就くにあたり、インドもパーキスターンもない同じ国内であった。 

    おそらく今の80代以上の人々(分離時にそれなりの年齢に達しており、当時の記憶を自己の体験としてはっきり認識している最後の世代。その頃の幼児や子供は含まず)にとっては、いろいろと思うところがあるに違いない。 

    当時はもちろんブログもなければ、村民で日記をしたためていた人もあったかどうか・・・?「オラが村がふたつの国に分かれた」体験をした人たちは、その過程で様々な事柄を目にしてきたことだろう。また村という小さなコミュニティの中で、そこに国境が引かれるということで、どんな出来事があったのだろうか。 

    村民の間でも人口の移動、分離後の人間関係や個々人の力関係においても、友愛と裏切り、信義と謀略、その他いろいろ大変なことがあったことと思う。そこが国境になったがゆえに国防施設や行政機関等が建設され、地権上でも様々な出来事があったはずだ。印パ分離の縮図とでもいうべき大きなドラマが小さな村の中で展開していったのではないかと想像される。

  • ネパールは『中国の時代』を迎えるのか?

    1年ほど前に『ネパールにも鉄道の時代がやってくるのか?』と題して、中国がネパールでの鉄道建設計画に深く関与していることについて書いた。南進を画策する中国は、インドの周辺国に対して鉄道建設計画を含めた援助を行なうことにより、自国との乗り入れを含めた国家間のリンクを強め、これらの国々を影響下に置こうとしている。 

    そうした中で顕著なものは、パーキスターンにおけるグワーダル港、スリランカにおけるハンバントタ港の開発、ネパールにおける水力発電所の建設計画であったりする。 

    今やGDP世界第2位に躍り出た中国。豊富な資金、技術力と労働力で積極的に国外への影響力を高めようとしており、南アジアで突出した存在感を示してきたインドに対し、長期的な視野から着々と包囲網を築き上げつつある。すでに中国は、ネパールにおいてインドに次ぐ第2位の投資国にもなっている。 

    その中国にとって、自国占領下にあるチベットとの境を接し、伝統的にインドと深くかかわってきたネパールは、地理的に南アジアの入り口に位置しており、対インド的にもとりわけ重要な戦略拠点となる。中国から見ると、まさにネパールは現代の『グレート・ゲーム』の舞台であるようだ。ちょうど19世紀の中央アジアがイギリスとロシアの間で国益と覇権を賭けた駆け引きの舞台であったように。 

    2011年に予定されているチベット亡命政府の総選挙における首相と国会議員の候補者を選定するための予備選挙が10月3日に行われた。現在、亡命チベット人の人口はおよそ15万人であるとされ、そのうち8.9万人が18歳以上の選挙権を持つ有権者であるとされる。 

    インド国内を含めた世界50カ所で投票が実施された。インド在住の有権者のうち実際に投票を行なったのは20%程度であったとされるが、オリッサ州のチベット人居住地プンツォクリンでは、驚くべきことに投票率が94.39%という非常に高いものであったということだ。

    インドの隣国ネパールでも亡命チベット人人口は2万人を数える規模の大きなものであるが、投票終了1時間ほど前にネパール当局による妨害により、事実上無効となってしまった。事件当日、投票所から投票箱を持ち去る警察官たちの姿を収めた動画がYoutubeで公開されている。 

    Nepal police confiscated Tibetan ballot box (Youtube) 

    この出来事には伏線がある。かねてより中国からネパール国内で中国の『内政』に干渉する活動を禁じるようにと圧力がかかっていたが、今年9月中旬に中国のハイレベルの代表団がネパールを訪問した際、ネパールから『ひとつの中国』ポリシーを取り付けていたようだ。 

    ここで言う『ひとつの中国』とはもちろん、台湾の存在に関わる『両岸問題』よりも、主としてチベットの扱いに対するものであることは明らかだ。 

    ネパールがこのように『中国に従順』な姿勢を見せるということは、インドにしてみても決して看過できるものではない。ときに関係がギクシャクすることもあっても、兄弟のような関係にあったネパールが、たぶらかされて仲の悪い隣人の家に婿養子に出てしまい、実家に顔も出さないような具合になってしまっては・・・というよりも、場合によっては『もうひとつのパーキスターン』として、インド自身のセキュリティに関わる問題に発展する可能性もある。 

    地理的にインドと中国の狭間でうまくバランスを取ってきたネパールにとっても、対中国の依存度を深めることは、長期的な視野から果たして得策なのであろうか。 

    我が身を振り返れば、日本もバブル以降、それ以前からの中国の開放政策と相まって、積極的に企業等が中国大陸に進出していき、私たちの生活の中で『中国』は片時も欠かすことのできない存在となった。 

    同時に中国に対する日本からの投資額の大きさは、そのものが中国に質に取られているようなものでもある。尖閣諸島問題においても顕著であったように、レアメタル類の調達先が中国に依存しきっている日本に対して、北京がこれらを輸出することを禁じる動きを見せると、経済界が瞬時に悲鳴を上げるようになってしまっている。 

    現在の中国のネパールに対する寛大で気前の良い姿勢は、決して善意から出ているものではなく、将来の南アジアで権勢を振るうことに対する先行投資であり、友好の名のもとに進める計算ずくめの国家戦略である。 

    対中国依存度が高まり、インドの側に戻ることができないところまで行き着いてしまった暁には、新たな華夷秩序に組み込まれた内陸国ネパールは他に頼る相手もなく、経済カードをちらつかせて恫喝する暴君の素顔を露わにした中国を相手に呻吟することになるのではないかと危惧するのは私だけではないだろう。 

    Nepal police disrupt Tibetan elections in Kathmandu (Phayul.com) 

    The China factor in Nepal (INDIAN DEFENCE REVIEW) 

    China takes over Nepal  (INDIAN DEFENCE REVIEW)

  • インパール作戦の証言

    今や先の大戦について一人称で語ることのできる人はごく一握りの高齢者たちとなった。 

    近年、当時の日本の戦争について肯定的に見直す動きが出てきている。これは当時の生きた記憶を持つ人たち、つまり当時すでに一定の年齢に達し、軍隊を含めて社会の中である程度責任のある立場にあり、戦争が行われていた時代について自身の体験を踏まえたうえで客観的に語ることのできる人がごく少なくなっていることと無縁ではないだろう。加えてそうした世代が実務から引退して長い年月が経ち、社会的な影響力を失っていることによるものも大きい。 

    NHK 戦争証言アーカイブス

    ここでは、こうした世代の方々からの戦争に関する証言を集めた動画記録を未放送分も含めてウェブ上で公開している。今の時代を生きる私たちにとって平和の大切さを考えるうえで貴重な遺産である。 

    その動画集の中には、太平洋戦争末期に起死回生を狙って無理を承知で、当時英領であったインドへ北東部からの侵攻を企図して決行されたインパール作戦に関する証言もある。 

    インパール作戦 補給なきコヒマの苦闘 (NHK 戦争証言アーカイブス) 

    すでに社会の中で一握りのマイノリティとなってしまった戦中派の彼らの声。私たちは謙虚に耳を傾けて、『歴史は繰り返す』ことのないよう努めるべきだろう。

  • 憎悪の連鎖

    世界を震撼させたアメリカの同時多発テロから9年になる。不幸にも被害に遭われた方々やその遺族の方々は言うまでもなく、『9/11』がその他の私たちに与えたインパクトは大きかった。まさにあの時を境に『世界は変わった』と言えるだろう。 

    被害者といえば、また事件直後のアメリカでは、外見から中東あるいは南アジア系と見られる人々に対する襲撃事件が相次ぎ命を落とした例も少なくないし、事件後アメリカが取り巻きの国々とともに直ちに取った『テロとの闘い』の名の元に展開させた報復行動により、この世から葬り去られたアフガニスタンとイラクというふたつの国(の政権)とそれと命運を共にした当時の体制側の人々やその巻き添えになった無辜の一般市民たちも同様だ。 

    サッダーム・フセイン政権が崩壊直後、それまで厳しく社会を律してきた治安機構そのものが不在となったイラクでは、それまでこの国で長らく弾圧の対象となっていた思想や信条を抱く集団が大挙して周辺国・地域から流入して、強力なリーダーシップで国を率いてきた独裁者のいなくなった『新天地』に地歩を固めることとなり、イラクの社会に混乱と暴力を、人々に怖れと生命への不安をもたらすこととなった。 

    アメリカは『イラクに民主主義をもたらした』と言う。確かに野心と才覚を持ち合わせた個人が策略を弄して上へ上へとのし上がることのできる自由は与えられたかもしれない。だがそれよりもずっと沢山の人々が、上昇しようにも見えない天井があるものの、彼らの社会に課せられた規範を踏み外さない限りは、生命や財産の心配をすることなく日々安心して暮らしていくことのできる社会とどちらが大切だろうか。 

    ご存知のとおり、イラクは確認されている原油埋蔵量は、サウジアラビアに次ぐ世界第2位の1,120億バレル。しかも埋蔵量の9割は未開発であるとされ、本来ならば非常に豊かな国である。人口およそ3,000万人のイラクでは豊富な石油関係の収入を背景に、1990年8月2日に起きたイラクのクウェート侵攻に端を発した湾岸危機とこれに続く国連による経済制裁や湾岸戦争以前には、それなりに豊かで安定した市民生活が営まれていた。市民や外国人が過激派に誘拐されて殺害されるようなことなど想像もつかない、極めて良好な治安が保たれてもいた。 

    『9/11』やその後の一連の動きの中で被害に遭った人々たちの住む地域や社会的な背景は様々であり、思想や信条による色分けはない。たまたま犯人たちが特定の宗教を信仰することになっている人々であった。だがその事件とこれに対する報復劇の最中には、関連地域に生活するキリスト教徒であれ、イスラーム教徒であれ、あるいはユダヤ教徒も大きな被害を受けてきた。事件そのものが政治化されたがゆえの未曾有の『災害』だ。 

    この災害はイラクに先立ち、1978年以来続いてきた内戦の復興からほど遠いアフガニスタンをも呑み込んでしまった。こうした『政治的災害』は、今なおそのエネルギーは衰えることなく、地殻のすぐ下で不気味な響きを立てているその奔流は今後どこへと向かうことになるのか。 

    こうした災害をもたらした『政治屋』たちの謀略をよそに、アメリカで『未知なる人々への憎悪』という市民の間からも火の手が上がりつつあることについては、これまでとはまた違った注意が必要なのではないかと思う。 

    あるキリスト教系の団体が、今年の9月11日をイスラーム教の聖典であるクラーンを集めて、これらの焚書を実行すると宣言している。 

    9月11日にコーラン焼却集会を計画 フロリダの教会 (CNN.co.jp)

    彼らは嫌イスラームの姿勢で広く知られており、同教団のウェブサイトでは、反イスラームのメッセージを伝えるTシャツや書籍の販売も行なっている。 同サイトには、この教団による『クラーンを燃やす10の理由』『クラーンを燃やすあと5つの理由』といった主張も書かれている。 

    他者に対するこれほどの過激な姿勢については、まさに『カルト』と表現するほかなく、彼らの主張がアメリカや他国の大衆や世論をどれほど感化するのかといえば、その影響力はごくわずかなものであると信じたい。それでもイスラーム社会全体を敵とみなすこうした団体の存在は大変センセーショナルであることから、メディアによる取材・報道の格好の材料となる。ゆえに国内外に与える社会的なインパクトは大きい。 

    彼らの行動は、イスラーム原理主義過激派により反米感情を煽る格好の材料として使われる。イスラーム社会に暮らす大衆の間で『反米・反キリスト教』感情をかきたて、彼らの側でも『未知なる人々への憎悪』の炎を燃え上がらせることになる。今後もアメリカ政府機関や多くの罪なきアメリカ国籍の一般人たちがテロや誘拐といった暴力行為の標的となる理由づけに利用されることは想像に難くない。多くは直接出会ったこともないし、声を交わしたこともない未だ見ぬ人々同士の間での憎悪の連鎖を断ち切るにはどうすればよいのだろうか。 

    交通や通信手段の発達により、世界は狭くなったとはよく言われることだが、地域・信条・思想を越えての人々の距離はそう簡単には狭まることないようだ。むしろコミュニケーション手段の進化とともに、疑いや憎悪といったネガテイヴな感情がいとも簡単に国境を越えて人々の間でこれまでにない速度で伝わることが可能となっていることについて、大きな不安を抱かずにはいられない。

  • ジャインティア丘陵の炭坑

    人権NGOヒューマンライツナウは、インドのメガーラヤ州ジャインティア丘陵の炭坑における児童労働を告発している。

    インドにおけるHRN事実調査ミッションのプレスリリース

    (ヒューマンライツナウ)
    現場では生命の危険を含む重篤な人権侵害が常態となっており、背後には国境を越えた人身売買もあるとのことだ。いうまでもなく石炭採掘はこの地域の主要産業のひとつである。
    目下、多少の波はあっても経済が好調に推移しており右肩上がりに成長著しいインドとはいえ、いまだに児童労働に関しては様々な事例があり、私たち外国人が直接目にしたり見聞したりということは、他国に比較しても(国の規模が大きいためということもあるが)ずいぶん多い。
    インド国内のみならず周辺国での失業問題や人口問題等の絡みもある。それらを含めて経済的にも就学機会にも恵まれない層の人たちの間でとりわけ人口増加率が高いことは昔からよく指摘されている。
    インドが高い経済成長を記録するようになる以前、90年代初頭あたりまでは、経済の伸びが貧困層の増加で償却されてしまっているような状況が続いていた。現在ではそれを大きく超える成長をしているとはいえ、都市部ならびに地域間での格差はそのままであり、インド社会全体の底上げを図るためには、国家的な取り組みが必要であると思われる。
    後進地域や部族地域でマオイスト勢力の伸張が見られ、インド社会に対する脅威として広く認識されるようになってきているが、彼らの存在自体が『造反有理』と言えなくもない部分があることは否定できない。
    貧困層の放置は治安に対する脅威と受け止めるべきであろう。

  • マオイスト 鉄道を標的に

    また鉄道の大惨事が起きてしまった。
    5月28日午前1時過ぎ、コールカーターから150kmほど離れたミドナープル地区内のマオイストの拠点ジャールグラム近くにて、ハウラーからムンバイーに向かうギャーネーシュワリー急行が脱線して並行して走る線路に乗り上げた。そこに走行してきたターター・ナガルからカラグプルに向かう貨物列車が衝突したため、被害が更に深刻なものとなった。大きな地図で見る
    事件はマオイストによる犯行と断定されている。当初は爆破事件説もあったものの、鉄路のフィッシュプレート(ジョイントバーとも呼ばれる)というレールの継ぎ目を固定する部品が取り外されていることが確認されたことから、当局はこれが有力な原因とみて調査中。
    すでに100人を超える死者が確認されているとともに、負傷者も200人以上と伝えられている。複数の倒壊ないしは大破した客車の中に閉じ込められている人たちの救出作業が続いており、今後死者ならびに負傷者の数は拡大する見込み。インド国鉄から列車乗客リストがウェブ上に公開されている。以下のビデオは事故発生から間もない時間帯に放送されたものであるため、被害の数はまだ少ないものとなっている。たとえ客車に保安要員を配置して、座席あるいは寝台の乗客安全を図ったところで、その車両が走る鉄路の状況にまで監視の目はなかなか行き届かないであろう。広大な国土のインドである。寒村や人里離れたところを拠点に暗躍するマオイストたちにとって、政府に対して大きなダメージを与えるためには、鉄道は簡単にして確実な攻撃対象となる。内務大臣のチダムバラムがマオイストへの対決姿勢を鮮明にしてから、4月上旬にはチャッティースガル州で彼らの拠点を叩こうとした警察部隊が、反対にマオイスト側から急襲されて76名が死亡する事件が起きたのは記憶に新しいところだ。内務大臣はその責を取り、一時は辞表まで用意したものの慰留されている。
    今回は、事件現場から十数キロほど南東方向に進むと空軍基地というロケーション。国防施設周辺といういわばグリーンゾーンのすぐ外側でこうした惨事を起こすということ自体が、政府の無策ぶりを嘲笑っているかのようである。
    すでに中央政府、州政府、鉄道当局の三つ巴で責任のなすり合いが始まっている様子もあり、まさにマオイストの思う壺・・・といった具合に進展しているようだ。
    現場が僻地であることもあり、国外では『インドでよくある鉄道事故』であるかのように扱われてしまうかもしれない。だがマオイストによる大胆な犯行が連続している状況は、潜在的には2008年11月にムンバイーで起きたイスラーム過激派によるテロに匹敵する脅威を秘めているといって過言ではないかもしれない。往々にして他所から来た人間が散発的に起こすテロ(近ごろでは『テロの国産化』という傾向もあるにせよ)と違い、マオイストたちの存在は地元に根ざしたものであり、それ自体が大衆運動でもあるため、彼らとの対立は文字通り『内なる闘い』ということになるのである。
    ※『彼方のインド4』は後日掲載します。

  • 国勢調査とジャーティ

    次回、2011年に実施される国勢調査をめぐり、人々のジャーティについての調査も含まれる方向にあることが議論となっている。
    憲法上、国民の間でそうした区別は否定されているものの、それは決して存在しないものであるとはいえない。また指定カースト、指定部族、その他後進階層(OBCs)に対する留保制度という優遇策がある。
    本来は憲法の定めるところに対して矛盾しているわけだが、実社会で存在している差別等を解消するために、こうした施策を通じて万民の平等を保障していると解釈することもできる。
    だがその反面、留保制度による救済の対象となっていない人々が皆恵まれた境遇にあるわけではなく、充分な実力や資格を有する人々がこの制度によって引きずり下ろされてしまうことにもなる。そのため留保枠対象でない人々に対する逆差別でもあることから、しばしば政治的問題を引き起こしてきた。
    ごく最近ではアーンドラ・プラデーシュ州ではムスリムに対する留保制度も成立しているが、州ごとに留保のありかたは異なり、例えば同じコミュニティでも州によっては指定カースト、他州では指定部族であったり、OBCに区分されていたりすることは珍しくない。あるいはさらに別の州ではそうした留保の対象となっていないこともあるなど、決して一様ではない。
    州によって特定のコミュニティが置かれている状況が異なるということもあるにしても、やはりジャーティを背景にした政治力学によるところが大きいといえるだろう。
    話は変わるが、日本においてはヴァルナ・ジャーティといえば上下関係を規定するものという具合に理解されていることが多いようだが、そういう単純なものではない。日常での上下関係を決めるものは、個々の社会的な地位、職業、収入や財産といったステイタスであり、ヴァルナやジャーティで規定されるわけではないことについて注意が必要だ。むしろ『部族・同属集団・血統集団・派閥等々で細分化された社会的概念』とでも言ったほうがしっくりくるかもしれない。
    こうした区分が結果的に他者に対する差別という結果を生むということもあるが、同時に自らを律する側面もある。例えば、北インドでは通常、同一ジャーティ内の同じゴートラ(氏族集団)内での通婚はタブーである。
    もちろん法的には可能なのだが、特に保守的な地域では身内やコミュニティにそれを認めさせるのは困難だ。それでも男女の仲なので駆け落ちしたり、入籍を強行する例はたまにある。だが周囲からの制裁も、ときに非常に激しいものとなり、極端な場合には殺人にまで至ることもある。
    最近はハリヤーナー州で、同じゴートラに属するマノージという青年と恋人のバブリーが周囲の反対を押し切って結婚した結果、ふたりはバブリーの実の兄やおじを含む身内の男たちに殺害された。国の司法とは違う次元のローカルな裁きや掟が、コミュニティの自治の役割を持つカープ・パンチャーヤト(地域から選挙で選ばれた代表が仕切る村落パンチャーヤトとは異なる)を通じて深く関わった。
    犯人たちは死刑を含む極めて重い判決を受けたものの、あくまでも控訴して徹底して闘う構えを崩さずにおり、当のカープ・パンチャーヤトも国の介入に対して強く反発しているなど、こうしたいわゆる名誉殺人が発生する土壌には非常に根深いものがある。
    Death Sentence in Honour Killing Case: A Milestone (Pragoti)
    だがこうした負の部分はあるにせよ、様々なジャーティが存在すること自体、それぞれのコミュニティが独自の文化なり伝統なりを維持していることの証でもあり、他の国々にはないインドならではの多元的で豊かな文明を体現しているものであるという部分は否定できない。
    話は国勢調査に戻る。インドの国勢調査でジャーティに関わる調査も実施されたのは1931年が最後で、2011年にこれが実施されるとすれば、実に80年ぶりということになる。
    行政的な視点から言えば、今日もインドの社会においてジャーティの意味するもの、それが果たす役割も大きいことからも、出自をベースにした留保制度が存在することからも、国勢調査で集めるデータの中にそれらもしっかりと加えるべき、ということにはなる。
    だが一方、倫理的な問題もさることながら、これを悪用される懸念も大きく、インドの政治のありかたを大きく変える『パンドラの箱』という観測もある。
    現在インドに生きる人々の大部分にとって『生まれて初めてジャーティまで対象』となる方向にある国勢調査に対して、これを当然そうあるべきものとして歓迎する向きもあれば、疑念や不信感を抱く人々もあるなど、反応は様々であるのは当然のことでもあるが、非常にデリケートな問題を含むため、取り扱いには細心の注意が必要であるがゆえ、目下喧々諤々の議論となっている。
    部外者である外国人としては、どういう結果が出るのか興味深いところであるとともに、そこから導き出されるデータについては、学術的な価値も大きなものとなるであろうことは間違いないだろう。
    国勢調査にこうした項目を加えるかどうかという議論は今に始まったことではなく、かなり前からいろいろな意見があった。以下にリンクを示した記事は、雑誌Frontlineのウェブサイトのものだが、今から10年前の2000年9月の記事である。
    Caste and the Census (Frontline)
    一昔前に書かれたものだが、その内容は今日においてもまったく色褪せていないのは興味深い。
    ※『彼方のインド 4』は後日掲載します。

  • ラシュカレ・タイバが『グローバル化』したらどうなるのか?

    ときどき、アメリカのニュース雑誌NEWS WEEKを手にしてみると、しばしば違和感を覚えずにはいられない。ちょうど中国共産党中央委員会の機関紙人民日報の人民日報の紙面面と共通するものがあるような気がする。
    自由と民主主義を標榜する国から発せられる世界中に流通する民間の週刊誌と、政府による厳しい情報管理がまかり通る国の独裁政党の機関紙が似ていると言うのは奇妙ではあるが、自らが是とするイデオロギーに対する異論を許さないという姿勢ゆえのことかもしれない。
    そのニューズウィークの報道ではあるが、こんな記事を見かけた。すでにひと月以上前のものではあるが。
    The Next Al Qaeda? (NEWS WEEK)
    90年代あたりまではカシミールを主な活動の場として暗躍してきたラシュカレ・タイバ(LeT)だが、今世紀に入ってからは2001年のデリーの国会議事堂襲撃、2005年のデリーでの連続爆破事件、2006年のムンバイーでの列車爆破事件に関わるなど、破壊活動の場を拡大してきていた。
    その中で特筆されるのは言うまでもなく、2008年11月に起きたムンバイーでの大規模なテロ事件であるが、2月にマハーラーシュトラ州のプネーで起きた爆破テロについてもラシュカレ・タイバを名乗った犯行声明が出ている。
    ラシュカレ・タイバとの繋がりでクローズアップされた外国人たち、ともにパーキスターン系で米国籍のディヴィッド・ヘドレー、カナダ籍のタハッウル・フサイン・ラーナーの存在、これまで明らかになっている彼らの足取りや行動の関係等から、このグループについて、それまで認識されていた以上の国際性が取り沙汰されるようになってきている。
    またインドでのラシュカレ・タイバのテロ活動について、2008年11月26日にムンバイーで起きた大規模な攻撃以降、インド以外の第三国の人々をも標的にするようになっている点、彼らにとって米国大使館も標的として浮上してきているということ、他のテログループとの提携なども含めて、他メディアでもしばしば取り上げられていることでもある。つまり彼らの活動が近年とみに広域化・グローバル化しつつあることが懸念されている。
    さらに悪いことに、彼らはパーキスターンでは決して闇の組織というわけではない。長年同国政府、とりわけISIと持ちつ持たれつの繋がりがあったし、地域医療活動などの福祉関係で、それなりに民衆の支持を集めていることもあり、社会的に孤立した組織ではないことには留意が必要だ。
    ラシュカレ・タイバの活動やネットワークの広域化、国際化は憂慮されるところではある。隣国からのテロに苦りきっているインドにとっては、アメリカの大メディアがこうしたテロ組織の脅威を、彼ら自身のセキュリティに関わる問題として扱うことは、好意的に評価できるものだろう。
    しかしながら『民主主義』といっても、その国ごとのカラーや社会的な事情から、それぞれずいぶん異なった様相を呈しているこの世の中。そうしたひとつひとつの国々に主権があり、様々な民意あるいは強権により運営されている。
    武力以外の外交手段を駆使して、ある国を変えようとしても、なかなかうまくいくものではないことはミャンマーの例を見ても明らかだ。あるいは戦争という強硬な手段により政権を崩壊させた後に、新しい国の枠組みを再建へと誘導すれば、民主的かつ公明正大な国が出来上がるというわけではないことは、イラクの有り様を見てもよくわかる。
    現在、パーキスターンで、ラシュカレ・タイバが活動できる土壌を変えることができるのか、といえば、当のパーキスターン自身にも、他のどの国にもできないだろう。
    上記リンクの記事を読んで非常に気になったのは、近い将来、本当にラシュカレ・タイバがテロリストの『グローバル・プレーヤー』として台頭したら、あるいは在外アメリカ公館、ひょっとしたらアメリカ本土でテロ事件を起こしたら、パーキスターンはどのような代償を払わなくてはならないのか、アメリカはどういうアクションを起こすことになるのか、ということである。
    あまりに恐ろしいシナリオが待ち構えているに違いない。

  • 女性留保枠 = 政治エリート一門とセレブの指定席?

    青森県八戸市議会の藤川ゆり議員は『美人過ぎる議員』として評判だが、インドで目を引く美人議員は誰?と問われれば、連邦下院議会のBJPのスムリティ・イラーニーや社会党のジャヤー・プラダーといった芸能界から進出した人たちを除けば、2009年にバティンダー選挙区から出馬して同じく連邦下院議員として当選したハルスィムラト・カウル・バーダル氏だろう。
    Harsimrat Kaur Badal
    以下、2009年の選挙に立候補した際、ハルスィムラト氏がスター・ニュースのインタビューに応じたときの様子だ。雑談程度で中身のあるものではないのだが。
    Prakash Singh Badal’s daughter in law, Akali Dal’s candidate from Bhatinda, talks to Star News (Youtube)
    彼女はシロマニー・アカリ・ダルの党首で、パンジャーブ州副首相のスクビール・スィン・バーダルの妻。義父は同党の前党首で現在パンジャーブ州首相を務めるプラカーシュ・スィン・バーダルだ。現在43歳の彼女自身は、名門の名でとりあえず議席を確保するために担ぎ出されたまったくの素人である。
    ところでインドでの議会といえば、連邦議会ならびに州議会において議員数の三分の一を女性に対して留保しようという憲法改定案が話題になっている。かなり紛糾しつつも、3月9日に連邦議会上院を通過し、今後同下院、続いて各州議会へと送られて審議されていくことになる。
    この法案について喧々諤々の議論がなされていることについては、女性の社会参画拡大と地位向上という美しい建前とは裏腹に、現在までのところ議員数の9割前後を男性が占めている現状(ちなみに連邦下院では、目下女性議員数は11%)自体が障害である。
    また、定数の決まった枠組みの中で有能な人物であっても男性であるがゆえに女性への留保がネックとなり政界での機会を失いかねないこと、果たして留保という形で女性の割合を大幅に増やすことがもたらす効用というものがあるのか、という疑問もある。
    特に後者については、女性議員数が従前の3倍ほどに膨れ上がることから、果たしてどういう人物がその部分を占めることになるのだろうか。少なくとも、この制度が導入された直後の選挙では、経験と実績のある女性人材が乏しい中で、各政党は有力政治家の身内や芸能関係のセレブといった社会的に知名度の高い女性候補を乱立させての議席の奪い合いが展開されるはずだ。
    その結果、ハルスィムラト・カウル・バーダル氏と似たような立場の人たちが、まさに『時代の申し子』として、続々と政界入りすることとなり、当面は既存の政治エリートたちの一門の足元を固めることにしかならなかったり、あるいは盛りを過ぎたセレブ女性たちの政界進出への垣根を低くすることにしかならないような気がする。
    見方を変えれば、特に地位向上を必要としない、従前から『財と力のある』女性たちがこぞって政界に出てくることでもあろう。それはそれで政界に変化を生むはずだが。ひとくちに女性といっても、本来ならば社会のどの部分を構成する層に焦点を当てるかという具体性が必要になってくるはずだ。
    この法案について、Nadwat-ul-Ulemaの指導者が、反イスラーム的であると批判するいっぽう、All India Association of Imamsのように、これを女性の地位向上の好機と捉えるイスラーム団体もある。
    また、Jamaat-e-Islami Hindが、女性留保枠そのものには好意的ながらも、相対的に不利な状況に置かれているムスリムに対する措置がないことについて批判しているのも無理からぬところだ。
    指定カースト(SCs)、指定部族(STs)に対する留保と同様に、同じく社会底辺の広範な部分を構成する自分たちのコミュニティへ同様の措置を長らく求めてきたムスリムの視点からすると、その要求を飛び越えて女性枠が導入される雲行きであることについては、不満が残ることは心情的に理解できる。
    ところで、この『女性枠』というアイデアについては、唐突に出てきたものでは決してなく、かなり前からそういう議論はあった。もっとローカルな自治制度パンチャーヤトでは1993年以降、三分の一の女性留保枠が導入されており、こちらはその留保枠を50%に引き上げようという方向にある。
    今回の女性枠に関する一連の動きには非常に興味深いものがあり、今後ともその成り行きを見守っていきたい。