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カテゴリー: life

  • スコタイへ

    スコタイへ

    駆け足の旅行であったため、ホアヒンからバンコクに戻った後、スワンナプーム空港発の飛行機でスコタイに向かった。

    宿泊先は「Perffect Resort」というタイでよくある感じの「民宿」だ。だが部屋は木造で屋内の天井、壁、床も同様。木材に囲まれて心地良い。こういう家屋に住んでみたいと思うくらいだ。

    遺跡のあるスコタイ歴史公園。敷地内で一番手前にあるワット・マハータートがスコタイ時代に主役の寺院であったということで造りも大きく立派だ。修復されている部分も多いし、規模や建物自体も大ぶりだ。

    天井を支えていた柱が多く残されており、ギリシアのパルテノン神殿もそうなのだが、往時はどのような建物であったのか。今のタイ寺院ともかなり違うものであったはずだし、といろいろ想像してみる。

    その寺院の中で、タイ人の一行がお坊さんとともに読経を奉納していた。こういうインド的な眺めは素敵だ。

    自転車で巡っているのだがとにかく人が少なくて、開放感がある。日差しは強くて日陰に入って水を補給すると生き返る。木陰を通り抜けていく涼しい風が肌に心地よい。

    遺跡公園として入場料を徴収している敷地内以外にも見応えのある寺院遺跡があり、公園の西側の無料エリアにも小さいながらも趣のある建物がある。

    遺跡公園内の食堂

     

  • マニプルの暴動とその後

    先月上旬にマニプル州で起きた暴動の収拾には、地元州政府はかなり手こずっており、中央政府も内務大臣のアミット・シャーが現地入りして現地の対立するグループとの対話を模索するなど、これまた大がかりな展開となっている。

    今回だけのことではなく、マニプルで長く繰り返されてきた主要民族メイテイ族とこれに次ぐ規模のクキ族の対立。ともにチベット・ビルマ語族系の言葉を話す民族集団だが、メイテイ族は主にヒンドゥー教徒で長きに渡りインド文化を継承するとともに隣接するビルマからも影響を受けてきた。

    そのいっぽうでクキ族は19世紀後半から20世紀前半にかけて、英米人宣教師の布教の結果、マジョリティーはクリスチャンとなっているが、それ以前は独自のアニミズムを信仰。クキはビルマのチン族と近縁の関係でもある。

    インド北東部が植民地体制下に入ってから統治機構と近い関係にあったのはメイテイ族で、その周縁部にクキ族その他の民族集団(マニプルにもナガ族が住んでいる)がいたという構図になるようだ。利害関係が相反し、異なるアイデンティティーを持つ民族集団が同じ地域に存在する場合、往々にして主導権を巡っての摩擦が生じるのはどこの国でも同じ。

    クキ族はマニプル州南部を「クキランド」として、インド共和国内のひとつの州としての分離を要求している。歴史的にはもっと広くアッサム、アルナーチャル、ナガランドなど近隣諸州の一部をも含む「広義のクキランド」を提唱する声もある。

    しかしこれについては北東部の他の民族も同様で、たとえばナガ族の中にもナガ族が広く分布してきたアッサム東部、マニプルなども含めた広大な「グレーター・ナガランド」の主張もあるが、それらの地域を支配するナガ族の政権が存在したこともなければ、人口がマジョリティーを占めたこともないので、民族主義が誇大妄想化した夢物語だろう。

    クキ族の抵抗はときに激しく(今回は多数の死者が出た)、そしてときに辛抱強い。何年か前には州の首都インパールを封鎖したことがあり、長期間のゼネストを敢行したこともあった。たしかひと月を超える規模であったように思う。

    北東地域への浸透を図るBJPだが、マニプル州でも2017年に初めて政権獲得に成功し、2022年の選挙でも勝利したことから現在2期目にある。もしかすると、BJP政権下で今後新州設立(クキランド州ないしはクキ州)へと動くことがあるのかもしれないが、その場合は州都インパールを含むインパール盆地の扱いが難しい。クキ側にとっては譲れない地域であるし、メイテイ族にとってもそんな譲歩はあり得ない。また農業とミャンマーとの交易以外で、それらしい産業や雇用機会があるのもインパールであるため、たいへん悩ましい問題になる。もっとも現時点で新州へという話があるわけではないので、単に私の想像ではある。

    こうした分離要求はインド各地にあるが、とりわけ北東部では他にもアッサムのボードー族が要求する「ボードーランド」、西ベンガル州からの北東インドへの入口にあたる、いわゆる「チキンネック」(ブータンとバングラデシュの狭間の細い回廊状の地域)すぐ手前のダージリンにおける「ゴールカーランド」などは、日本でも耳にされたことのある方は少なくないはず。「民族対立」「分離要求」は、「民族の坩堝」たるインドにおける永遠の悩みである。

    In Manipur, shadow of an earlier ethnic clash (The Indian EXPRESS)

  • 角地の建物が好きだ

    角地の建物が好きだ

    角地にある建物が好きだ。その角っこの部分に滞在してみたいと思う。こういう感じの建物は土地に制約のある都会のコロニアル建築に多く、カルカッタで複数見かけるしムンバイでも同様。

    Central Bank of India Building (Mumbai)
    Old Oriental Building (Mumbai)
    Queen’s Building (Kolkata)

    しかしビーカーネールの商人たちのハヴェーリーの中にこの形を見かけたときにはシビレた。しかもそういうのが至近距離にいくつか存在する地区があるのだ。やはり密集しているがゆえ、やむなくこうなったのだろうけど。

    Rampuria Haveli (Bikaner)

    同様の理由からヒルステーションでも角地に造られた小規模ながらも面白いコロニアル建築がある。たまたまそうした建物が宿であって、その角部屋に宿泊するという幸運に恵まれてみたい。

    今回画像で取り上げてみたこれらの建物は、礼拝施設であるナコーダー・マスジッドを除いて今の現役のオフィスビルであったり住宅であったりするため、中に入ることはできない。

    ナコーダー・マスジッドは珍しい角地モスク。均整取れたプロポーションながらも騙し絵のように歪んだ造りが面白い。角地に立地することもあり、収益も兼ねてグラウンドフロア(日本式に言えば1階)を商業スペースとして貸し出すための部分、それとモスク内のミフラーブ(礼拝堂内の壁龕)がキブラの方向を向かなくてはならないため、礼拝堂施設部分が下部と捩れる形の大胆な設計。完成当初は世間を驚かせるとともに賛否両論あったはず。これもやはり込み合った場所で用地に制約がありながらも工夫を凝らしてデザインした傑作だ。

    Nakhoda Masjid (Kolkata)

    このマスジッドは内部に入ることが可能で、背丈の割にはやけに幅の狭い建物で天井の高さに比べてフロア部分は広くない。そして内部にも土地の広さや形状の制約からか、同様に捻じれがあるため、立ち眩みのようなものを感じたりする。面白い建築物である。

    Nakhoda Masjid (Kolkata)
  • ラダックのジャーミヤー・マスジッド

    ラダックのレーにあるジャーミヤー・マスジッド。レーの町の繁華街の北側、旧王宮への登り口手前にあるモスクのようだが、中がこうなっているとは知らなかった。ラダック風の意匠でイスラームの礼拝施設になっているとは面白い。幾度も前を通っているのに、中を見学したことがなかったのは不覚であった。

    こういうのをサフラン右翼が見つけると、「太古からあった仏教寺院を破壊してモスクが建てられた。地下を掘れば仏像が出てくる。ASI(インド考古学局)から許可を与えてもらいたい」とかなんとか言って、一般人である地元の主婦名義で裁判所に提訴する、なんていうお決まりのパターンがありそうだ。

    歴史的にクリスチャンとムスリムのテンションがほとんどないゴア(近年のゴア州はBJP政権下)「ヒンドゥー寺院を破壊して蚊とり聖堂が建てられた」とかなんとか言い出しているので、国民会議派の退潮により、BJP支持が一気に拡大しているラダックでもありえない話ではないかもしれない。

    India Pakistan Heritage Club (Facebook)

  • ペットボトルかけ

    ペットボトルかけ

    以前、リュックの中に放り込んでおいたペットボトルのフタが外れて大変なことになったことがあるので、こういうのがあると助かる。ベルクロでサイズ調節できて便利。どんなサイズにも対応可能だ。

  • MBKとその界隈

    MBKとその界隈

    話はインドからタイに飛ぶ。バンコクのMBKが残念なことになっていた。入居していた店もレストランも減り、既存店の位置を固めて営業しているようだ。ところどころ虫食い状態よりは・・・ということか。広い廊下の真ん中で列を成して商っていた人たちのスペースは消滅して、ガラーンとした空き地のようになっている。

    ラーマ1世道路から入ったあたりには既存店を集中させているため、寂れ具合には気が付かないかもしれないが、奥に進んでいくと別世界になっている。フロアの端のほうには閉鎖されたままであったり、ボードで封をしてしまったテナントスペースが連なっていたりする。コロナで大きな衝撃を受けたレストランもたくさん撤退していた。

    MBKの反対側、比較的古い商業施設、老舗の時計屋とか、たまに王女様が王宮警察の護衛付きで訪れる鞄屋さんとかもあったように思うけど更地になっていた。街の毛色というものは特に都心の商業地区ともなると、ゆっくりじわじわ変わっていくものではなく、一気に更地になって一気に何か大きなものが建って、周囲のムードやトレンドをいっぺんに変えてしまうものだ。面積からしてそこまでのインパクトがあるかはさておき、多くの主要ショッピング施設等が集まるサヤーム地区なので、何ができるのか楽しみでもある。

    MBK反対側の商業地が更地に・・・
  • 廃札の衝撃再び

    廃札の衝撃再び

    昨日5月19日金曜日、RBI(Reserve Bank of India=インドの中央銀行)による突然の発表でインド中に衝撃が走った。各メディアもこれを速報で伝えるなどしており、ハチの巣をつついたような具合になった。

    2016年11月8日午後8時に首相演説で「本日深夜をもって1,000RS札と500Rs札は廃止」と発表したときのような性急なものではなく、今年9月末を持って無効化されるということで、時間の猶予はあるものの、インドの商売その他のために、額面の紙幣をたくさん手元に置いている人などは憮然としているはず。

    他の紙幣と交換することはできるが所持していると面倒臭いことになりそうだ。

    2,000 rupee notes withdrawn from circulation: FAQs (THE TIMES OF INDIA)

    旅行者等、インドに一時的に滞在するケースでも買い物等の支払で2,000Rs紙幣を出すと嫌がられることもあるかもしれない。両替等でインドのお金を手にする場合、近く廃止が決まっている2,000Rs紙幣を受け取るのは避けたほうがよいだろう。

    今後、500Rs札が最高額紙幣となるのか、それとも1,000Rsのような額面の紙幣が新たに導入されるのかについては現時点では不明。

    Rs 2,000 notes withdrawn: Exchange them at banks by September 30, says RBI (INDIA TODAY)

    2000 Rs Note Withdrawal HIGHLIGHTS: Note ban has come full circle, Rs 1000 note might be reintroduced, says P Chidambaram (INDIA TODAY)

    India to withdraw 2,000-rupee notes from circulation (REUTERS)

    インドはなかなかの「廃札大国」だ。以下の記事にはインドの「廃札の歴史」がまとめられている。1946年には当時の10,000Rs紙幣が廃止されたとある。現在よりもルピーの価値がはるかに大きかった時代。市中にはほとんど出回っていなかったものと思われるが、この額面の紙幣を手元にたくさん置いていた人は、文字通り卒倒したことだろう。

    In 1946 and 1978, India had demonetised Rs 5,000, 10,000 notes (DECCAN Chronicle)

  • 外国人料金

    こちらはインドの主要な観光スポットの入場料金の一覧。

    外国人料金というものは、10倍以上もするのはなんだかなぁと思う。

    Monument Entrance Fees In India(memorableindia.com)

    旧共産圏では、自国における工作(こうさくではなく、中国でいうところのコンツオ)に参加していない外国人の料金が違うことにはそれなりの理屈があった。

    また、単にひとりあたりのGDPに照らせば、多くのインド人よりもインドに旅行に来る人たちのほうが収入は高いのは間違いないのだろう。それにしても、なんだかなぁとやはり思う。

    直接税、間接税も含めて何がしかを政府に納めているインド市民が外国人よりも安く見学できるのは、まあそういうものかな、とも思うものの、それとはまったく無関係な民間の博物館等もちゃっかりと外国人料金を設けているケースが多い。

    有用な目的のために使われているものと信じて、外国人料金を払うのはやぶさかではないものの、なけなしのお金で可能な限り長くあちこちを見て歩こうとしている若いバックパッカーが、外国人料金に萎縮して見学先を削ったり、そもそも高過ぎる入場料の施設(タージマハルななど世界遺産クラスはさらに高い)を敬遠したりすることもあるように聞くので、せめて20代まではインド人料金適用というような措置があったらいいのにと思う。

    外国人料金といっても、メジャーなところから外れると、どこから来たかと尋ねられることもなく、たいていインド人料金で入れるため、あまり意識することはなかったりするし、デリー、ムンバイ等の大都市や州都クラスの街でも、「どこから来た?」と聞かれて「ここから来た」などとはぐらかすと、そのままインド人料金で入ることができることもあるわけなのだが。

  • ドルックエアのパロ行きはバグドグラ経由

    ドルックエアのパロ行きはバグドグラ経由

    バンコク(スワンナプーム空港)からダージリン、シッキム方面に行くつもりならば、カルカッタに立ち寄らずショートカットできることになる。これは助かるので覚えておくことにしよう。バグドグラ便はインディゴ、スパイスジェットも利用できるが、ドルックエアであればカルカッタでの乗り継ぎなしで直行できるメリットがある。

  • 旅情

    旅情

    ホアヒンでの滞在時、夕食帰りにコンビニで懐かしい「旅情」を見かけたので買ってみた。

    「メコン」でも「ホントーン」でも良かったのだが、昔々バックパッカー時代に露店で旅仲間と食べながら楽しんだ「思い出」という味。インド帰りに当時無職だった私がバンコクからの帰国前に「さぁ、帰ってから何するかなぁ?」と漠然とした不安感といかばくかの期待感を胸にしていた、人より少し長かった青春時代の「記憶」。仕事に就いてから当時の彼女と旅行で訪れてバンコクのチャイナタウンで鍋をつつきながら、そしてコサメットで魚料理を食べながら傾けた水割りのどこかほろ苦い「追憶」の味。

    昔の流行歌もそうだが、ある特定の時期と紐付いた酒はすっかり記憶の片隅からすら消えていたはずの事柄をどこか彼方から勝手にたぐり寄せてくるらしい。

    昔、初めてタイを訪れたときに買ったカラバオの「Made in Thailand」というアルバム(カセットテープで購入した)で、主題となっているこの曲もカッコ良かったが、その他の収録曲も素敵な感じで、「タイの喜納昌吉かよ!」と驚いた。言葉はまったくわからないのに、であった。

    訪れた年よりも何年も前から評判で、ネットのない時代、じわじわと国外でも知られるようになり、音楽雑誌でそういうバンドとアルバムがあると知り、バンコクで購入した次第。そういうのんびりした時代だったのだなあ。今なら即時ネットで拡散されていたのだろう。

  • インドの慧眼と叡智

    インドの慧眼と叡智

    インドで洋式便器の便座がしばしば壊れている理由。タイでもその行為を禁じる表示があるからには、そういうことをする人があり、破損する便座があるのだろう。

    なぜこういう無理な座り方をするのかといえば、便座が汚れたままであったり、あるいは人の尻が触れたところに直接腰を下ろすのを潔しとしない人がいたりするため。前者については清掃環境上の理由であるが、後者についてはトイレ文化の違いからくるもの。トイレ空間で「文明の衝突」が発生したことによる悲劇と言える。

    インド世界には、しばしば「ジュガール」と表現される柔軟思考法がある。日本でもう何年も前に「ジュガード」という少々誤った呼び名で紹介されたこともあったので記憶されている方もあるかもしれない。

    そのジュガールとは、「間に合わせ」「やっつけ」と言われることもあるが、何かと物が足りない、本来あるべきものが手に入らないといった第三世界によくある状況下で、「それでも可能な範囲で必要な効果を出す」ポジティブシンキングによるダイナミックかつ生産的な試みだ。

    これはバイクを改造してテンポーにしたりとか、農村で食い詰めてやむなく都会に出てきてスラムに廃材やビニールシートなどを使って居住空間を作ったりしたりといった「やっつけ」もあるが、バングラデシュのグラミーンバンクに代表されるようなマイクロクレジットのような素晴らしいをも創出している。

    さて、このジュガールだが、実は先述のトイレ空間における文明の衝突という惨事に対しても画期的かつ合理的な解決方法をずいぶん昔に提案している。それが以下の「印欧折衷型便器」の発明だ。

    印欧折衷型便器

    これは洋式トイレとしても、はてまたインド式トイレとしても利用できるようにデザインされており、本来の洋式トイレを無理してインド式に利用するという「禁じ手」の際に問題となる両足の置き場をギザギザの刻まれた幅広のステップで対応し、背丈を下げることにより高さからくる不安定さをも解決している。たいへん人に優しい「人間本位」の発想だ。

    このタイプの便器は、インド世界ではかなり高い普及を達成している。いわゆるミドルクラス以上の場所ではほとんど見られないが、それ以下の場所では相応の広がりを見せ、利用者の意図せぬ便座の破損というある種の文化紛争の防止に高い効果を示すとともに、折衷式の利用をきっかけに、本格的な洋式の利用にも慣れるための一助となってきた。

    日本においては、洋式トイレはすっかり定着したかのように見えるが、今なお熱心な和式信奉者は年配者を中心に15%程度存在していると分析されるし、広範囲な世代にわたる「朝は和式でしっかりと気張りたい」という潜在的和式支持層も含めると、総人口の3割近くに及ぶであろうという指摘すらある。

    そんなことから日本においても、インド発の折衷便器の潜在的需要は相当見込めるという状況がある。インドのジュガール思考法と多様多層な文化背景から生まれる発明には、文化や伝統の違いから生じる軋轢や摩擦をうまく回避し、一挙両得な解決へと導く深淵な知恵と発想に満ちている。

    トイレひとつ取ってみても、私たちが真摯に学ぶべき慧眼と叡智の片鱗が容易に汲み取ることができるのが、インドという国の偉大さであり、間違ってもインドに足を向けて寝るわけにはいかない。

    もはや今となっては印欧折衷式便器の発明者が誰であったのかすら記憶されないほど普及しているが、本来であればノーベル賞が授与されて然るべき、偉大な発明であった。「紛争回避」という意味から、もちろん「平和賞」が相応だ。

    戦争、紛争、テロ等は必ずしも武器を取っての軍事衝突に限らず、どこにおいても発生し得るのだ。たとえトイレという密室空間においても然り。文明の衝突による甚大な被害を未然に防いできたのが印欧折衷便器であった。

  • ホアヒン

    ホアヒン

    ホアヒンを訪問するのは初めてであるうえに、コロナ禍前の客層も知らないのだが、明らかに若者向けといった施設はあまり見当たらず、比較的高い年齢層向けらしい商業施設がけっこうある。

    アメリカの都市部郊外のちょっとアップマーケットなスーパーをそのまま持ってきたような店、世界各地のワインを取り揃えた店、海外にも配送する洋式家具類の店等々が集まる複合施設、さきほども触れたけど、昨年からタイで解禁されて話題のカナビス関係でも娯楽方面ではなく、医療、健康、ナチュラル志向といった角度にフィーチャーしたクリニックや健康産業関係の店舗など、やはりゆとりあるミドル層からシニア層向けの店が多く目に付く。カオサンから若者たちが向かうような島々のビーチとは趣きが大きく異なるようだ。

    カナビス関係の施設も娯楽より健康志向

    そのためか歩いていて大音響で流れてくる音楽はないし、見かける西洋人たちも多くはじいちゃん、ばあちゃんたちでおとなしい。観るべきところもあまり無いようだが、こういうビーチリゾートもあるのだなぁと感心した次第。