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カテゴリー: life

  • アジメールの「ケー・イー・エム」

    ラージャスターン州のアジメール駅前にある宿泊施設「KEM」と言えば、地元で知らない人はまずいないだろう。「ケー・イー・エムに行きたい」と口にすれば、「ホテルか病院か?」と聞き返されるはず。以下は2019年時点での記事。

    Ajmer KEM hotel to be restored (sawdust.online)

    1901年にエドワード7世が新たな英国国王とし戴冠し、すなわち当時のインド皇帝となったが、これを祝うために翌々年の1903年に「デリー・ダルバール」に出席するためボンベイに上陸し、鉄路で各地に立ち寄りながらデリーへの移動途中でアジメールに来訪することも決まっており、どちらもこれを記念して建てられたもの。ゆえに「K.E.M.(King Edward Memorial)」なのである。宿泊施設のほうの「KEM」は、後にホテルに転用された。

    「ダルバール」とは、ウルドゥー語から英語に取り入れられた語彙で、英領インドの英語辞書「HOBSON JOBSON」にも出てくる汎用度の高い語彙だが、「王宮」「謁見の間」などの意味がある。「デリー・ダルバール」は広大な土地に沢山の大きなテントをしつらえて開催され、内外から数多くの賓客が招待されたうえで、イギリス国王を皇帝として戴く「インド帝国」において、その皇帝自身にお披露目の舞台であった。

    「デリー・ダルバール」は3回開催されており、最初は1877年のヴィクトリア女王、続いて1903年のエドワード7世、最後が1911年のジョージ5世。そして1936年エドワード8世が英国国王を継いだ際には、インドでの情勢の変化により、ダルバールは延期や再検討を重ねて、結局開催されることはなかった。

    「デリー・ダルバール」が開催されていた場所は、北デリーで「CORONATION PARK」として整備された公園になっており、往時の遺物がいろいろ展示されているため、英領期のインドについて興味のある方は訪れてみると面白いかもしれない。

    Delhi’s Coronation Park a neglected site of India’s colonial past (Al Jazeera)

    話は逸れたが、冒頭の「KEM」については、1990年代後半に宿泊してみたことがあるのだが、荒れ果てた安宿になっていて、廊下では宿泊客たちが持ち込んだコンロで調理などをしているような状態だった。立派な歴史的背景がありながらも、あまりにひどい状態であることに唖然とするしかなかった。

    しかしながら、「KEM」で、先述の大改修は完了し、今はきれいなホテルとして生まれ変わっているらしいので、いつか再訪してみたいと思っている。

  • 植民地期の建物のホテル

    植民地期の建物のホテル

    宿泊先近くを散歩していて見つけた「Hotel Moti International」という施設。品の良いコロニアル建築を転用した宿泊施設で一泊3500Rs。

    「エスプラネードマンション」のようにボンベイの鉄骨造建築の初期のもののように見えるかもしれないが、そうではなく外部の鉄骨は比較的近年になってから補強のために施したものであるとのこと。

    この日、客室は満室とのことで見せてもらえなかったが、外観や館内の廊下から見る限りでは、今風に仕上げるのではなく、極力昔のまま復元したといった具合に好感が持てる。

    コラバは英国人等欧州人を中心とする富裕層のお屋敷だった物件が多いエリア。きちんと手入れが施され、メンテナンスもしっかりしていると、実に見事な建物が多く、それらは宿泊施設に転用されているケースも少なくないのは嬉しい。

  • ムンバイのサルベーション・アーミーの宿

    ムンバイのサルベーション・アーミーの宿

    懐かしのサルベーション・アーミーの宿。近くを通りかかったので外から写真を撮ってみた。バックパッカー時代、宿代がやけに高いボンベイで、ここに泊まれないと困るので、チェックアウト時間前に到着して空きを待った。それでもインドの他の街に較べてずいぶん高額であったため、ボンベイに沈没したことはなかった。

    ガルフに向けて開かれたインドの商都、当時はまだデリーもハイデラバードもチェンナイもバンガロールもたいしたことなくて、「ボンベイ1強」でその他の大都市との格差がたいへん大きかったこと、加えてボンベイは細長い半島状になっており、内陸の都市のように周囲に市街地を広げる余地がないこともあり、地価や家賃が飛び抜けて高かったのだ。すると当然ながら、安宿の料金もまったく安くなかったのだ。

    もちろん今でもムンバイの宿泊費はまったくお得ではないのだが、他の大都市での宿泊料金が上がったため、格差は縮小している。

  • コラバの「オリンピア・コーヒー・ハウス」

    コラバの「オリンピア・コーヒー・ハウス」

    ムンバイのコラバで朝食によく利用する「オリンピア・コーヒー・ハウス」へ。ここは朝5時くらいから開いているため重宝する。この日は朝の9時前だったが、それでもとても込んでいた。さすが人気店である。

    Olympia Coffee House (Zomato)

    この近くにメソジスト教会があるが、軍人のための教会として建てられたとのことが由来との標示版にある。メソジストと軍人というのは相性が良さそうに思う。

     

  • ランダムチェックとは

    さすがに現在は実施されていないが、インドで国際空港におけるコロナ対策で、乗客の2%を対象としてランダムにPCR検査を実施するとしていた時期があった。

    係員が声をかけてくるのは飛行機からターミナルビルの廊下に出たところである。私も声をかけられて「捕まった」わけなのだが、そうして声をかけられている人々、そして連れて行かれた先で目にした人々には明確な共通点があることがわかった。

    ・外国人とインド人が半分ずつくらい。

    ・単身か2人連れの乗客(大人数のグループは無し)

    ・体格の良い人物は無し

    ・人相の悪い人物も無し

    ・VIP風の人物も無し

    集められた面々は、ごくまっとうで人柄も良さそうな人々ばかりで、要は「揉めそうにない人々のみだ。「ランダムに抽出」と言いつつも、明らかに人を見ていることがわかる。声を掛けたら変に絡まれて因縁をつけられたり、大目玉食らったりする相手だと困るためだろう。彼らもやはり勤め人であるし、余計なトラブルを起こしたり、不要な労力をかけたりするのは嫌であるがゆえ、見るからに面倒そうな相手は避けて、扱いやすそうな人を選ぶのは当然のことだろう。

  • シャンカル・バイヤー

    ムンバイのコラバ地区の道端にある小さなブースというか店。ここでは通信各社のSIMを販売しており、一時滞在者が多く、プリペイド契約をしている近隣の商売人等も多いため、常に誰かしらの相手をしていて忙しそうだ。

    私もここでプリペイドの契約をしたのだが、店の人が私にかかる作業、彼のスマホでのデータ入力、写真撮影などをしている間もひっきりなしに「シャンカル・パイヤー(シャンカル兄ちゃん)、×××Rsのチャージして」「シャンカル、これ頼む」等々、いろんな支払い、これらを正確にこなし、私にも笑顔で接している。こういう仕事で笑顔の接客は珍しい。

    ひとつひとつの作業は決して難しいものではないはずだが、あまりに量が多い。これらをひとりでやっている。「たいしたもんだ」というよりも、若いのに人間も出来ているというか。

    面白いと思ったのは、「おい、シャンカル!」と呼んでいるので馴染み客なのだろうけど、日本のLINE PAYやPAYPAYみたいなサービスの「PhonPe」で、品物も買わずにPhonePeアプリでQRコードを読み込み支払いをして、それを現金で受け取っていた。そういうキャッシングみたいなこともできるのか?

    それはさておき、シャンカルといえば、もちろんシヴァの別名のひとつのシャンカルなのだが、なぜ日本では「ラヴィ・シャンカール」みたいに伸ばすのか?あれは「シャンカル」であって、「シャンカール」ではない。カタカナで正しく「シャンカル」と書くことができるのに、そうやって音を伸ばすのは、やはり「第2音節に長母音を入れると重みが出る」という日本語の音韻学みたいなのがあるからか、それとも英語で「ラヴィ・シャンカァァ(ル)」と呼ばれたのをカタカナ転記して「シャンカール」としてしまうのだろうか?

    いずれにしても、例えば地名の「ジャイプル」が「ジャイプール」と表記されたり、「カーンプル」が「カンプール」と表記されたりもする。ないはずの長母音が第2音節に入ったり、第1音節にある長母音が短母音化し、なぜか第2音節の短母音が長母音化することがよくあることから、日本語では音韻学的に第2音節を「長―くする」と座りが良いというようなことがあるのかもしれない。

  • THE FORT POKARAN

    THE FORT POKARAN

    「インドの核実験場」として有名な砂漠地帯のポーカラン。あまり観光地というロケーションではないが、ここにも立派な物件がある。都会の喧騒から離れて、宮殿の立地なムードの中で休日を過ごしたいという人たちの需要を期待してのオープンであったのではないだろうか。

    ジャイサルメール、ビーカーネール、ジョードプルなどを家族連れでクルマで回ろうという人たちには、「運転その他でお疲れのお父さんが、何もしない休養日」のために滞在というのもありそうに思う。

    リュックを背負っての公共交通機関による旅行では利用の機会はないが、クルマやバイクなどの自前の足を利用しての旅行であれば、ちょっと泊まってみたくなる。「宮殿ホテル」にしては、3,500Rs(+税)で利用できるのも魅力。

    だが「宮殿ホテル」という言葉を使うのもためらわざるを得ない。ポーカランは藩王国ではなく、この建物は藩王国に従属していた土豪の館であるからだ。

    それでもやはりこういう建物に宿泊できるというのは、ラージャスターンならではのものであり、ムガル建築の影響を強烈に受けた見事なラージプート建築の中で(ポーカランの町というか村で、周囲に見るべきものはないし)、日がな宿泊先の建物をこまごまと観察しながら過ごすというのも悪くないかもしれない。

    Welcome to The Fort Pokaran (The Fort Pokaran)

  • PATAN MAHAL

    PATAN MAHAL

    こちらはラージャスターン北部、パータンの旧領主の宮殿がホテルに転用されたもの。

    そういうホテルはとりわけラージャスターンやグジャラートには多いが、6,000 Rs強から利用できるというのはなかなか魅力的ではなかろう。ロケーションが辺鄙なところらしく、やはりマイカー時代が到来したこと、インドの人々の間での「旅行ブーム」が「旅行する習慣」として定着したことにより、不便な場所にある中小規模の宮殿や館などが宿泊施設として利益を上げることが可能になったのだろう。

    90年代に入るあたりでは、放置されて荒れ放題だったヘリテージ建築がどんどん活用されるようになっている。おそらくこの物件もそのような具合だったのではなかろうか。

    Patan Mahal – a heritage home (Patan Mahal)

  • そのとき歴史は動いた

    そのとき歴史は動いた

    インド鉄道史の中で有名な苦情の手紙。お腹の不調で駅に置き去りになったオキル・チャンドラー・セーン氏が1902年に鉄道当局宛で書いた内容。当時の列車にはトイレは付いていなかったとのことだ。

    この訴えが鉄道関係各署で共有されることとなり、客車にトイレが設置されるようになったという有名なレターである。もちろん彼以外の多くの人々も動揺の意見を持っていたのではないかと想像されるが、当時は列車にトイレがないというのが常識であったため、「まぁ、そういうもの」と我慢して、行き違い等で長時間停車する駅、何かの理由で駅間で停車した際に手早く済ませていたのかもしれない。

    それにしても「大」のほうであったら、なかなかそうもいかないし、知らない駅でトイレを探したところで先客がいるかもしれない。とてもスリリングであったに違いない。それに女性だとなおさらのこと大変で、列車の移動の際には極力水分を控えたり、乗車する時期についても考慮したりなど、涙ぐましい努力があったのではないかと思う。

    鉄道駅員や列車内の車掌等に文句を言ってもどこかに反映されることはないが、しかるべきところに文書で送ると、きちんとした対応がなされるかもしれないというのは今も昔も同じ。

    Indian Railways History – Interesting Story about Okhil Chandra Sen letter (changestarted.com)

  • THE LINE

    サウジアラビアが推進する国家プロジェクトとしてのスマートシティ「THE LINE」の建設。

    埋蔵量世界一の豊かな石油資源と石油後を見据えた展望のもと、外国からの技術と投資を呼び込んで、まったく新しいコンセプトの街が生まれようとしている。

    幅200mで長さが170km、三層構造で居住、インフラ、交通とそれぞれの役割が分かれているとともに、自動車のないどこにでも歩いて行ける街らしい。地域間の往来はどのような具合の「交通機関」が用意されるのだろうか。

    もしかしたら将来、地球外の惑星に都市が建設される際に利用するであろう技術やアイデアも投入されるのか、あるいはそれを見込んでのテストケースでもあるのか。

    建築家にも建設会社にとったも、まったく新しいコンセプトや技術で取り組むことのできる非常に楽しみなプロジェクトなのかもしれない。

    フェーズ1部分は2030年までに完成予定なのだと。そのあたりでどのようになっているのか報じられるのが楽しみだ。

    このプロジェクトに参画するインド人技術者や労働者も多数あることだろう。地理的に近いだけでなく、経済的な繋がりも強いサウジアラビアとインドなので、このプロジェクトの進展も詳しく伝えられるはずだ。

    THE LINE (NEOM)

  • 恋の珍事か、はてまたISIが送り込んだスパイか?スィーマー・ハイダルの謎

    パキスタンのスィンド州生まれのスィーマー・ハイダル(28)はバローチ族の出。10年前に親族が決めた結婚に反対して当時の恋人グラーム・ハイダルと駆け落ちして夫婦となる。

    そのグラームとの間に4人の子供に恵まれた。現在、グラームはサウジアラビアに出稼ぎに行っているのだが2019年以降にハマッているオンラインゲームでインドのデリー近隣で行政区分はUP州のグレーター・ノイダの住民であるサチン・ミーナーと知り合い、オンライン上で恋に落ちる。

    そのスィーマーという人物が現在そのサチンとグレーター・ノイダで暮らしていることが問題になっている。何が問題かと言えば、ヴィザを取得することなくインドに入国。パキスタンからドバイに移動、そこからネパールに飛んだ後、陸路でインドに入ったとみられる。しかも4人の子連れで。

    グレーター・ノイダのサチンの家に落ち着いてから2カ月後逮捕されることになったのだが、近隣からの通報がきっかけであったらしい。スィーマーは不法入国、サチンは父親とともに不法入国の幇助と不法入国者の隠匿のかどで逮捕された。

    不法入国、不法滞在のケースは星の数ほどあるものだが、ここまで大きく報道されるようになった背景には以下の3点がある。

    1.オンラインでムスリム(スィーマー)とサチン(ヒンドゥー)がインター・レリジャス(ムスリムとヒンドゥー)、インター・コミュニティー(インドのミーナー族とパキスタンのバローチ族)、インターナショナル(パキスタンとインド)でしかも4人の「コブ付き」の恋愛という点からの下世話な興味

    2.スィーマー自身のダイナミックな行動、4人の子連れで逃避行を敢行し、見事に恋の相手の家に着地したという映画のようなドラマチックさ

    3.スィーマーはISI(パキスタンの三軍統合情報部)のエージェント、つまりスパイではないかという嫌疑がかけられている。つまり互いにとって何の利益もない(第三者の視点では)恋があり得るのか、インドでうまく身元を隠して居住するための方策ではないのかというもの。

    スパイであれば、このように大きく報じられてしまった時点で「完全に終わっている」のだが、以前もこのような不可思議な形でインドで家庭を持っていたパキスタン人が逮捕されたニュースがあった。ハイデラーバードが舞台の案件で、夫はパキスタンのパンジャーブ州のスィヤールコート出身で湾岸に出稼ぎに行っていた。その後インドに渡り、ハイデラーバードではインドのパンジャーブ出身を自称して現地ムスリム女性を家庭を持っていたが、何かのきっかけでパキスタン人であることが判明し、やはり逮捕されたというものであった。

    今回のスィーマーについては、何が本当で何が嘘なのかはわからないのだが、「オンラインゲームで知り合って・・・」というのは今の時代らしい面かもしれない。

    インドで突然、大きく報じられて話題になっているが、サウジアラビアで働いているスィーマーの夫、グラームという男性はこのニュースを耳にしているのかどうか知らないが、一連の報道に触れたときには、さぞ腰を抜かして驚くことだろう。この世の中、いつなんどきどんなことが起きるかわかったものではない。

    ‘No longer a Muslim’: Seema Haider’s family in Pakistan doesn’t want her back (Hindustan Times)

  • デリーの洪水

    デリーの洪水

    ここ数日の間、ヤムナ河の水量が危険レベルを超えているというアラートが流れていたが、ついにデリー市街地内の低地で本格的な洪水に見舞われる地域が出てきている。

    これはデリーに大雨が降ったためというものではなく、前述のとおり数日間に渡り警報が出されていたことが現実となったものである。つまり上流地域における豪雨により予見されていたものであるとも言える。

    デリーは雨期でも極端な影響を受けにくい都市なのだが、市内の局地的な豪雨による冠水であったり、ニューデリー駅からの鉄路が橋梁を超えるミントー・ロードに架かる「ミントー・ブリッジ」をくぐる道路が少し低くなっているため、まとまった雨が降ると、その部分は車両が水没する「洪水的な絵」が撮影できることから、豪雨を象徴するシーンとして、その様子が各メディアに掲載されることはしばしばある。いわば「フェイクなデリー洪水画像」である。

    ところが今は、そうした「フェイクの洪水」ではない、「リアルな洪水」がデリー市内で起きているとのことで、当該地域に住んでいる人たちはたいへんだろう。

    ヤムナ河沿い地域からは、マトゥラーやアーグラーからも同様の報道があり、今後しばらくは続くことになりそうだ。

    Delhi Floods: Parts Of Delhi Submerged As Yamuna Overflows; Drone Footage Reveals Predicament (The Indian Express)