


けっこうな人数が乗れるが、人が多くなると運転しづらいであろうと思う「客前方、オヤジ後方」型トゥクトゥク。
走り出す前から「前方不注意」な車両だ。形状からして正当なトゥクトゥクの進化・派生型ではなく、荷物運搬用車両から派生した傍系タイプではないかと想像している。
昔はバンコクなどでもバイクを改造したこうした形の荷物運搬用車両はよく走っていたものだ。




けっこうな人数が乗れるが、人が多くなると運転しづらいであろうと思う「客前方、オヤジ後方」型トゥクトゥク。
走り出す前から「前方不注意」な車両だ。形状からして正当なトゥクトゥクの進化・派生型ではなく、荷物運搬用車両から派生した傍系タイプではないかと想像している。
昔はバンコクなどでもバイクを改造したこうした形の荷物運搬用車両はよく走っていたものだ。


タイのコンビニの出入口の自動ドア前で、大きな野犬が昼寝していることが多い。
邪魔なのだが、店を出入りするお客たちはそれをよけたり、跨いだりもしつつ、放置している。ちょっとインドに近い感覚・・・というよりも、インドであればお店の出入口に寝ていると、蹴飛ばされたり、棒でぶん殴られたりという具合だろうけれども。
犬たちが、こうした場所に寝ているのは以下の理由があるようだ。
「2」はともかくとして、「1」については、出入りするお客たちもそんな心情は理解しているように思われる。だから邪険にしないのだろう。
だいたい、そういう風にしている犬は、見知らぬ人が出入りしても緊張して吠えたり、唸ったりすることもなく、実に大人しくしている。だから受け入れられるということもあるのだろう。犬自身も人様にそういう形で迷惑をかけると、ここを追われることを理解しているものと思われる。
先日は、とても暑い日差しの中でそうやって昼寝していた犬が、自動ドアが開いた隙に、ちゃっかり店内に潜り込んでドア脇に座り込んでしまった。暑くてたまらなかったのかもしれない。
店員の女性たちが怒って店外に追い払おうとするが、その大きな犬は店内にがんばるので、一番新米と思われる女の子が足で押したり、掃除用具でぐぐっと店外に押し出そうとしたりと試みたが、どうにも動かず。ちょっと女性的な感じがする若い男性(タイには多い)とともに力づくで自動ドアの外に押し出して一件落着。
私だったらモップを思い切り脳天に振り下ろすとか、力いっぱい脇腹を蹴り上げるとかすると思うのだが、彼らはそういう手荒なことをしようという素振りすらなかった。
もちろんそういう手段で簡単には済まそうという人もいるのだろうが、「人としての優しさ」を感じられてとてもよかった。そう、犬だって、好きで野犬として行きているわけではないし、そんなところに寝そべっているのが本望というわけではないのだ。もしかすると、犬はとても具合が悪くて「とても辛いので少しの時間でいいからここで休ませて。お願い・・・」ということだったのかもしれない。言葉を発することはできないけれども。
店内に居座ろうとする野犬を目にして、強い対応を思い描いてしまった自分をちょっと反省した。


駆け足の旅行であったため、ホアヒンからバンコクに戻った後、スワンナプーム空港発の飛行機でスコタイに向かった。
宿泊先は「Perffect Resort」というタイでよくある感じの「民宿」だ。だが部屋は木造で屋内の天井、壁、床も同様。木材に囲まれて心地良い。こういう家屋に住んでみたいと思うくらいだ。




遺跡のあるスコタイ歴史公園。敷地内で一番手前にあるワット・マハータートがスコタイ時代に主役の寺院であったということで造りも大きく立派だ。修復されている部分も多いし、規模や建物自体も大ぶりだ。







天井を支えていた柱が多く残されており、ギリシアのパルテノン神殿もそうなのだが、往時はどのような建物であったのか。今のタイ寺院ともかなり違うものであったはずだし、といろいろ想像してみる。


その寺院の中で、タイ人の一行がお坊さんとともに読経を奉納していた。こういうインド的な眺めは素敵だ。
















自転車で巡っているのだがとにかく人が少なくて、開放感がある。日差しは強くて日陰に入って水を補給すると生き返る。木陰を通り抜けていく涼しい風が肌に心地よい。









遺跡公園として入場料を徴収している敷地内以外にも見応えのある寺院遺跡があり、公園の西側の無料エリアにも小さいながらも趣のある建物がある。

先月上旬にマニプル州で起きた暴動の収拾には、地元州政府はかなり手こずっており、中央政府も内務大臣のアミット・シャーが現地入りして現地の対立するグループとの対話を模索するなど、これまた大がかりな展開となっている。
今回だけのことではなく、マニプルで長く繰り返されてきた主要民族メイテイ族とこれに次ぐ規模のクキ族の対立。ともにチベット・ビルマ語族系の言葉を話す民族集団だが、メイテイ族は主にヒンドゥー教徒で長きに渡りインド文化を継承するとともに隣接するビルマからも影響を受けてきた。
そのいっぽうでクキ族は19世紀後半から20世紀前半にかけて、英米人宣教師の布教の結果、マジョリティーはクリスチャンとなっているが、それ以前は独自のアニミズムを信仰。クキはビルマのチン族と近縁の関係でもある。
インド北東部が植民地体制下に入ってから統治機構と近い関係にあったのはメイテイ族で、その周縁部にクキ族その他の民族集団(マニプルにもナガ族が住んでいる)がいたという構図になるようだ。利害関係が相反し、異なるアイデンティティーを持つ民族集団が同じ地域に存在する場合、往々にして主導権を巡っての摩擦が生じるのはどこの国でも同じ。
クキ族はマニプル州南部を「クキランド」として、インド共和国内のひとつの州としての分離を要求している。歴史的にはもっと広くアッサム、アルナーチャル、ナガランドなど近隣諸州の一部をも含む「広義のクキランド」を提唱する声もある。
しかしこれについては北東部の他の民族も同様で、たとえばナガ族の中にもナガ族が広く分布してきたアッサム東部、マニプルなども含めた広大な「グレーター・ナガランド」の主張もあるが、それらの地域を支配するナガ族の政権が存在したこともなければ、人口がマジョリティーを占めたこともないので、民族主義が誇大妄想化した夢物語だろう。
クキ族の抵抗はときに激しく(今回は多数の死者が出た)、そしてときに辛抱強い。何年か前には州の首都インパールを封鎖したことがあり、長期間のゼネストを敢行したこともあった。たしかひと月を超える規模であったように思う。
北東地域への浸透を図るBJPだが、マニプル州でも2017年に初めて政権獲得に成功し、2022年の選挙でも勝利したことから現在2期目にある。もしかすると、BJP政権下で今後新州設立(クキランド州ないしはクキ州)へと動くことがあるのかもしれないが、その場合は州都インパールを含むインパール盆地の扱いが難しい。クキ側にとっては譲れない地域であるし、メイテイ族にとってもそんな譲歩はあり得ない。また農業とミャンマーとの交易以外で、それらしい産業や雇用機会があるのもインパールであるため、たいへん悩ましい問題になる。もっとも現時点で新州へという話があるわけではないので、単に私の想像ではある。
こうした分離要求はインド各地にあるが、とりわけ北東部では他にもアッサムのボードー族が要求する「ボードーランド」、西ベンガル州からの北東インドへの入口にあたる、いわゆる「チキンネック」(ブータンとバングラデシュの狭間の細い回廊状の地域)すぐ手前のダージリンにおける「ゴールカーランド」などは、日本でも耳にされたことのある方は少なくないはず。「民族対立」「分離要求」は、「民族の坩堝」たるインドにおける永遠の悩みである。
In Manipur, shadow of an earlier ethnic clash (The Indian EXPRESS)

角地にある建物が好きだ。その角っこの部分に滞在してみたいと思う。こういう感じの建物は土地に制約のある都会のコロニアル建築に多く、カルカッタで複数見かけるしムンバイでも同様。



しかしビーカーネールの商人たちのハヴェーリーの中にこの形を見かけたときにはシビレた。しかもそういうのが至近距離にいくつか存在する地区があるのだ。やはり密集しているがゆえ、やむなくこうなったのだろうけど。

同様の理由からヒルステーションでも角地に造られた小規模ながらも面白いコロニアル建築がある。たまたまそうした建物が宿であって、その角部屋に宿泊するという幸運に恵まれてみたい。
今回画像で取り上げてみたこれらの建物は、礼拝施設であるナコーダー・マスジッドを除いて今の現役のオフィスビルであったり住宅であったりするため、中に入ることはできない。
ナコーダー・マスジッドは珍しい角地モスク。均整取れたプロポーションながらも騙し絵のように歪んだ造りが面白い。角地に立地することもあり、収益も兼ねてグラウンドフロア(日本式に言えば1階)を商業スペースとして貸し出すための部分、それとモスク内のミフラーブ(礼拝堂内の壁龕)がキブラの方向を向かなくてはならないため、礼拝堂施設部分が下部と捩れる形の大胆な設計。完成当初は世間を驚かせるとともに賛否両論あったはず。これもやはり込み合った場所で用地に制約がありながらも工夫を凝らしてデザインした傑作だ。

このマスジッドは内部に入ることが可能で、背丈の割にはやけに幅の狭い建物で天井の高さに比べてフロア部分は広くない。そして内部にも土地の広さや形状の制約からか、同様に捻じれがあるため、立ち眩みのようなものを感じたりする。面白い建築物である。

ラダックのレーにあるジャーミヤー・マスジッド。レーの町の繁華街の北側、旧王宮への登り口手前にあるモスクのようだが、中がこうなっているとは知らなかった。ラダック風の意匠でイスラームの礼拝施設になっているとは面白い。幾度も前を通っているのに、中を見学したことがなかったのは不覚であった。
こういうのをサフラン右翼が見つけると、「太古からあった仏教寺院を破壊してモスクが建てられた。地下を掘れば仏像が出てくる。ASI(インド考古学局)から許可を与えてもらいたい」とかなんとか言って、一般人である地元の主婦名義で裁判所に提訴する、なんていうお決まりのパターンがありそうだ。
歴史的にクリスチャンとムスリムのテンションがほとんどないゴア(近年のゴア州はBJP政権下)「ヒンドゥー寺院を破壊して蚊とり聖堂が建てられた」とかなんとか言い出しているので、国民会議派の退潮により、BJP支持が一気に拡大しているラダックでもありえない話ではないかもしれない。


以前、リュックの中に放り込んでおいたペットボトルのフタが外れて大変なことになったことがあるので、こういうのがあると助かる。ベルクロでサイズ調節できて便利。どんなサイズにも対応可能だ。


話はインドからタイに飛ぶ。バンコクのMBKが残念なことになっていた。入居していた店もレストランも減り、既存店の位置を固めて営業しているようだ。ところどころ虫食い状態よりは・・・ということか。広い廊下の真ん中で列を成して商っていた人たちのスペースは消滅して、ガラーンとした空き地のようになっている。







ラーマ1世道路から入ったあたりには既存店を集中させているため、寂れ具合には気が付かないかもしれないが、奥に進んでいくと別世界になっている。フロアの端のほうには閉鎖されたままであったり、ボードで封をしてしまったテナントスペースが連なっていたりする。コロナで大きな衝撃を受けたレストランもたくさん撤退していた。


MBKの反対側、比較的古い商業施設、老舗の時計屋とか、たまに王女様が王宮警察の護衛付きで訪れる鞄屋さんとかもあったように思うけど更地になっていた。街の毛色というものは特に都心の商業地区ともなると、ゆっくりじわじわ変わっていくものではなく、一気に更地になって一気に何か大きなものが建って、周囲のムードやトレンドをいっぺんに変えてしまうものだ。面積からしてそこまでのインパクトがあるかはさておき、多くの主要ショッピング施設等が集まるサヤーム地区なので、何ができるのか楽しみでもある。



昨日5月19日金曜日、RBI(Reserve Bank of India=インドの中央銀行)による突然の発表でインド中に衝撃が走った。各メディアもこれを速報で伝えるなどしており、ハチの巣をつついたような具合になった。
2016年11月8日午後8時に首相演説で「本日深夜をもって1,000RS札と500Rs札は廃止」と発表したときのような性急なものではなく、今年9月末を持って無効化されるということで、時間の猶予はあるものの、インドの商売その他のために、額面の紙幣をたくさん手元に置いている人などは憮然としているはず。
他の紙幣と交換することはできるが所持していると面倒臭いことになりそうだ。
2,000 rupee notes withdrawn from circulation: FAQs (THE TIMES OF INDIA)
旅行者等、インドに一時的に滞在するケースでも買い物等の支払で2,000Rs紙幣を出すと嫌がられることもあるかもしれない。両替等でインドのお金を手にする場合、近く廃止が決まっている2,000Rs紙幣を受け取るのは避けたほうがよいだろう。
今後、500Rs札が最高額紙幣となるのか、それとも1,000Rsのような額面の紙幣が新たに導入されるのかについては現時点では不明。
Rs 2,000 notes withdrawn: Exchange them at banks by September 30, says RBI (INDIA TODAY)
India to withdraw 2,000-rupee notes from circulation (REUTERS)
インドはなかなかの「廃札大国」だ。以下の記事にはインドの「廃札の歴史」がまとめられている。1946年には当時の10,000Rs紙幣が廃止されたとある。現在よりもルピーの価値がはるかに大きかった時代。市中にはほとんど出回っていなかったものと思われるが、この額面の紙幣を手元にたくさん置いていた人は、文字通り卒倒したことだろう。
In 1946 and 1978, India had demonetised Rs 5,000, 10,000 notes (DECCAN Chronicle)
こちらはインドの主要な観光スポットの入場料金の一覧。
外国人料金というものは、10倍以上もするのはなんだかなぁと思う。
Monument Entrance Fees In India(memorableindia.com)
旧共産圏では、自国における工作(こうさくではなく、中国でいうところのコンツオ)に参加していない外国人の料金が違うことにはそれなりの理屈があった。
また、単にひとりあたりのGDPに照らせば、多くのインド人よりもインドに旅行に来る人たちのほうが収入は高いのは間違いないのだろう。それにしても、なんだかなぁとやはり思う。
直接税、間接税も含めて何がしかを政府に納めているインド市民が外国人よりも安く見学できるのは、まあそういうものかな、とも思うものの、それとはまったく無関係な民間の博物館等もちゃっかりと外国人料金を設けているケースが多い。
有用な目的のために使われているものと信じて、外国人料金を払うのはやぶさかではないものの、なけなしのお金で可能な限り長くあちこちを見て歩こうとしている若いバックパッカーが、外国人料金に萎縮して見学先を削ったり、そもそも高過ぎる入場料の施設(タージマハルななど世界遺産クラスはさらに高い)を敬遠したりすることもあるように聞くので、せめて20代まではインド人料金適用というような措置があったらいいのにと思う。
外国人料金といっても、メジャーなところから外れると、どこから来たかと尋ねられることもなく、たいていインド人料金で入れるため、あまり意識することはなかったりするし、デリー、ムンバイ等の大都市や州都クラスの街でも、「どこから来た?」と聞かれて「ここから来た」などとはぐらかすと、そのままインド人料金で入ることができることもあるわけなのだが。


バンコク(スワンナプーム空港)からダージリン、シッキム方面に行くつもりならば、カルカッタに立ち寄らずショートカットできることになる。これは助かるので覚えておくことにしよう。バグドグラ便はインディゴ、スパイスジェットも利用できるが、ドルックエアであればカルカッタでの乗り継ぎなしで直行できるメリットがある。

ホアヒンでの滞在時、夕食帰りにコンビニで懐かしい「旅情」を見かけたので買ってみた。

「メコン」でも「ホントーン」でも良かったのだが、昔々バックパッカー時代に露店で旅仲間と食べながら楽しんだ「思い出」という味。インド帰りに当時無職だった私がバンコクからの帰国前に「さぁ、帰ってから何するかなぁ?」と漠然とした不安感といかばくかの期待感を胸にしていた、人より少し長かった青春時代の「記憶」。仕事に就いてから当時の彼女と旅行で訪れてバンコクのチャイナタウンで鍋をつつきながら、そしてコサメットで魚料理を食べながら傾けた水割りのどこかほろ苦い「追憶」の味。
昔の流行歌もそうだが、ある特定の時期と紐付いた酒はすっかり記憶の片隅からすら消えていたはずの事柄をどこか彼方から勝手にたぐり寄せてくるらしい。
昔、初めてタイを訪れたときに買ったカラバオの「Made in Thailand」というアルバム(カセットテープで購入した)で、主題となっているこの曲もカッコ良かったが、その他の収録曲も素敵な感じで、「タイの喜納昌吉かよ!」と驚いた。言葉はまったくわからないのに、であった。
訪れた年よりも何年も前から評判で、ネットのない時代、じわじわと国外でも知られるようになり、音楽雑誌でそういうバンドとアルバムがあると知り、バンコクで購入した次第。そういうのんびりした時代だったのだなあ。今なら即時ネットで拡散されていたのだろう。