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カテゴリー: life

  • パータンの宿

    パータンの宿

    宿泊費に込みの朝食は簡素だが、朝はこれで充分

    グジャラート州パータンでの投宿先は、私が訪問する1年半前に開業したとのことで、設備は新しく快適だった。「開業以来初、外国人のペヘラー・グラーハク(ファースト・カスタマー)」が私だったそうだ。コロナ禍のため外国からの訪問者が大幅に減ったためなのだろう。

    国外との往来は、ほぼコロナ以前同様に自由になったとはいえ、今もインバウンドの観光客誘致は不振が続く。コロナへの警戒感はともかく、各地を結ぶ国際線の減便から来る料金の高止まりもあるし、ウクライナ危機から来る燃油代の高騰もさらに航空券代高騰に拍車をかけている。加えてユーロや円など米ドル以外の主要通貨レートの急落などもあるため、なかなか元に戻るには時間がかかりそうだ。

    外国人客の現象とは裏腹に、国内需要は堅調であるところに、今のインドの力強さを感じる。

  • 現代のワウ

    現代のワウ

    前日は遺跡として管理されている古いワウ(階段井戸)を見学したが、現在も使用されているものはどうなっているのかと思い、KHODAIYAR MANDIR の中にあるものに行ってみた。

    内部はタイル貼りでよくある今どきのお寺といった感じで、階段深く下ったところから水が湧いておりご本尊が鎮座している。

    グジャラート州では、アーメダーバードのような大都会にあっても、カラスや鳩みたいな感覚(ちょっとおおげさか?)でクジャクたちの姿を目にする。

    ついでにもうひとつ「現役のワウ」。こちらはASHAPURA MATA MANDIRという小さなお寺の裏手にあるが、立ち入り禁止となっており、物置として使われているなどしており、現代も使われている施設内のワウというのは、どうも旗色が良くない。

    物置として使われている。
  • ELLIS BRIDGE

    ELLIS BRIDGE

    オリジナルの橋梁は左右から新しい橋に挟まれる形となっている。

    オートでエリス・ブリッジを渡る。左右から新しい橋が挟み込み、オリジナルは普段は通行禁止になっている。

    これはアムダーバードを象徴する橋で、ちょうどコールカーターのハウラー・ブリッジに相当するようなものであり、幾度も映画のロケにも使われている。

    英領時代の19世紀後半に木造の橋が築かれ、その後鋼鉄製のものに架け替えられた。それが現在目にすることのできるエリス・ブリッジのオリジナル部分だ。

    橋の名前は、英国植民地当局の幹部であったSir Barrow Helbert Ellisに因むものである。ユダヤ系英国人の彼は英領インド政府の要職を歴任し、最後は総督のEXECUTIVE COUNCILのメンバーにまで上り詰めた。現在の内閣に相当する機関であり、閣僚級のポストにあったと言える。

    メジャーなランドマーク的な橋でありながらも、独立後にインドやグジャラート州の偉人の名前に置き換えられることなく、往時と同じ名前で知られていることは特筆すべきことかもしれない。

  • BAI HARIR VAV

    BAI HARIR VAV

    グジャラートにはVAV(ワウ)と呼ばれる階段井戸が多い。当然大きな街、アーメダバードの旧市街周辺には、ググッてみると山ほどある。中にはゴミで埋まってしまっているものもある。建て込んだ住宅密集地にあると、そうなるのだろう。

    言うまでもなく、世界遺産指定されているADALAJ VAはその対極で非常に壮麗かつ見事なものだが、それ以外にも行きたくなるようなVAVが見つかるのがgoogle mapのありがたいところだ。

    そんな中、BAI HARIR VAVというのが市内東部のアサルワという地域にあることがわかり、オートで出かけてみた。着いてみると、外からでも豪華さがわかる佇まいだ。引返すはずのオートの運転手すら「おお、これは!私も見てみたい」と一緒に付いてきたほどだ。(入場料無料)

    そうした中で、私は彼と話をするようなったのだが、このジュナイド(29歳2児の父)は、「こんなところにきれいなワウがあるとは!」「今日は来てよかった!」などと盛んに喜んでいた。オートワーラーでも若いと、好奇心旺盛な者がたまにいる。

    「今度家族と来ればいいじゃん。奥さんも子供も喜ぶぞ」と言うと、「そうします」とニコニコしている。まあ、こんなことがあると私もうれしい。

    背後にあるのはお寺かと思いきや、モスクであった。礼拝自国の表示もあり、今も礼拝施設として機能している。ワウは沐浴池としての機能もあるためお寺とセットであることが多いが、こちらはムスリムの建築。グジャラート・スルターン朝時代にメヘムード・シャー1世時代、1485年に造られている。

    階段井戸はどこもそうだが、雨が降るとそれらの水を効率よく溜め込む機能もある。雨が強くなってくると、どこからともなく集まった雨水が階段をたどって下へ下へと流れ落ちてくる。インド西部の地下水位は年々低下しているため、建築当時は水はもっと満々とたたえていたのかもしれない。

    ここは先述のとおりモスクの境内の一部になっていることから、イスラームとヒンドゥー文化の共存ということも感じられるし、さすがに境内でゴミを捨てる日とはいないのか、それとも日々清掃がなされているためか、階段井戸もきれいに保たれているのも良かった。

    個人的には世界遺産クラスの大きな遺跡よりも、中堅どころの秀作みたいなものを見て歩くのが好きなので、このBAI HARIR VAVくらいのものに出会えると、とても嬉しい。

  • 見て触って感じることができるインドの伝統建築

    見て触って感じることができるインドの伝統建築

    インドのモスクはどこも程度の差こそあれ、どこのものも地域独自のカラーがあるものだ。

    アムダーバードのイスラーム建築は、持ち送りといい庇といい、柱といい壁面の紋様といい、はてまた相輪(のようなもの)等々、土着文化(ヒンドゥー文化)の影響を凄まじいまでに反映させていることに改めて驚かされる。これらのパーツを単体でみると、とてもモスクであるとは感じられなかったりするほどの強烈な個性とインパクトだ。

    例えば、この「Ahmed Shah’s Mosque (Shahi Jam-e-Masjid)」。1414年創建のこのモスクは、イスラーム建築特有の大きなグンバド(大ドーム)とイーワーンの組み合わせから来る内部に柱のない広大な空間を持たず、まるでヒンドゥー寺院のような柱の多い内部空間を構成していることから、同じくヒンドゥー建築の影響が顕著なカシミールの木造モスクを彷彿させるものがある。このようなタイプのモスクはアムダーバード市内に多い。インドはイスラーム建築も多様性に富むため、地域が違うととても同じ国内に居るとは思えない。

    同様に、ヒンドゥーの人たちの寺院建築、伝統文化、風俗習慣や日常生活もイスラーム文化による強い影響を受けていたり、スィク教においても同じくイスラームから取り入れられた特徴も多く、インドひいては南アジアという地域の重層性をひしひしと感じさせられるものである。

    こうした建築物の傑作の数々を直に観て触れて、その紋様を指でなぞったりしながら体感できるのはとても嬉しい。博物館でガラスのショーケースに収まっている構造物の一部を眺めるのではなく、その建物に入って細部を撫でながらダイレクトに体感できるのだから。

  • アーメダバード旧市街

    アーメダバード旧市街

    ユネスコ世界遺産の登録されているアーメダーバード旧市街では、古いハヴェリー(屋敷、邸宅)が多く残っており見応えがあるが、宿に転用してあるものがいくつかある。このハヴェリーはそんな中のひとつ。グジャラート州は今後も来たいし、アーメダバードに滞在することもあるだろうからいくつかチェックしておいた。こちらは「FRENCH HAVELI」という名前で宿泊施設として運営されている。オーナー家族はヒンドゥーの商業コミュニティの人たちだが、米国に移住しており、ホテル運営会社が借り受けて運営しているとのこと。部屋ごとにサイズや雰囲気は異なり、実際に泊まる場合には部屋を見て決めたい。

    近ごろ思うのは、ガイドブックなるものをほとんど使わなくなったことだ。スマホには一応キン版のロンプラのガイドブック「INDIA」は入っているものの、ほとんど開いてすらいない。スマホ+グーグルの時代になってからは様々な面からも実に旅行しやすくなった。

    良くできたガイドブック、便利なガイドブックは多いのだが、今は観光地情報、宿情報、移動手段情報は書籍からは要らなくなったため、ネットからは入手しにくい何か特別なことに特化あるいは深化した部分がないと、なかなか購入する動機がない、という具合になっているのが昨今のガイドブック事情ではないかと思う。

    こちらも宿に転用されている「MANGALDAS NI HAVELI」。先程のFRENCH HAVELIよりも少しアップマーケットになるが見ておきたい・・・のだが、訪れたときには誰もいなかった。外から南京錠が下りていたので、おそらく宿泊者も本日はいないのだろう。外から見る限りでは、とてもきれいに修復してあるようだった。

    宿ではないのだが、本日見かけたハヴェリーの中では、これが最も重厚感があった。20年前、30年前であれば、こういうのがけっこう健在だったのかもしれない。こうした柱といい、持ち送りといい、なんかシビレる。家屋の中もさぞかし素晴らしいことだろう。

    このハヴェリーにグジャラート語で書かれた碑文みたいなのがあったので、近くにいたおじさんにヒンディー語に口訳してもらった。それを聞いて「ほう、そうなのか」と思ったが、歩いていると次から次へと興味深い建物があり、ちょっと「公式外」の変わったジャイナ教寺院と図書館が一体となった木造建築の中を見学したりと興奮したためか、先ほどの口訳してもらった内容をすっかり失念してしまった。やはりその場でメモするか、おじさんの喋りを録音しておかないとダメだと痛感。

    往時を偲ばせるハヴェリー等が散在するアーメダバード。こうした伝統的な建物の集合具合の密度がもっと高いとなお良かった。そういう意味ではカトマンズの旧市街はもちろんのこと、ネパールのバクタプルのような伝統家屋がほぼまるごと残っている街並みというのが、いかに価値のあるものかということをひしひし感じる。一度失われると二度と取り戻すことができないだけに。

    旧市街は、それぞれ固有の名前のついた「ポール(POL)」が構成されており、それぞれにこうした門が付いている。「ポール」とは、宗教、カースト、氏族、職業などの共通項を持つ家族たちで構成させている街区のようなものだが、これについても説明してくれるであろう旧市街ツアーに申し込んでいたのだが、私が訪れた時期には申込みが少ないとのことで、開催されなかったのは残念。またグジャラートは来るし、必然的にアーメダバードにも泊まるので、次回の楽しみとしよう。

     

  • ディレーンドラ・シャストリーという「バーバー」

    ディレーンドラ・シャストリーという「バーバー」

    INDIA TVの人気プログラム「アープ・キー・アダーラト(あなたの法廷)」。そのときどきの注目されている人たち、俳優、政治家、財界人その他をスタジオに呼び、裁判の尋問と答弁の形で、様々な質問から本人の回答を引き出すというもの。

    このところ話題のバゲーシュワル・ダームのディレーンドラ・シャストリーが出演することが予告されていたが、うっかり見逃した。しかしYouTubeで見ることができた。今という時代に感謝である。

    Dhirendra Shastri In Aap Ki Adalat: बागेश्वर धाम सरकार ने कटघरे में किए बड़े खुलासे | Rajat Sharma (INDIA TV)

    まだ26歳の「バーバー」。装いもチェック柄の衣装であったり、このところ気に入っているらしい帽子をよく被って現れるなど、世俗的で、とてもヒンドゥーの「聖者」には見えない。相手を手玉に取るセリフ回し(インド人はこういうのが好きだ)や話もうまい。まだ自分を「大人に見せよう」と苦心している様子もうかがえるが、年齢を重ねるにつれて、それらしくなっていくことだろう。

    これまでは田舎で周辺地域から信者を集める新興の「バーバー」だったが、このところメディアで日々取り上げられるようになったため、全国の田舎の人たちから注目する存在になるかもしれない。彼は教えが素晴らしいとか、人格が高潔であるなどといったものではなく、まったく反対に「怪しげな奇跡を演出する」「資金の出処や流れが不明」他、インチキくさいバーバーとして耳目を集めている。

    マッディヤ・プラデーシュでとても貧しいブラーフマンの家に生まれ、学校はドロップアウト。リクシャーを引いていた時期もあったとされる。そんな若者が数年間で父母や祖父母世代をも含めた信者層を集める存在となり、一気に有名になったため、彼のアーシュラムにはBJPの代議士たちも信者に顔を売るために表敬訪問するようにさえなってきた。頭のキレは良くて話も上手い彼をプロデュースした黒幕がいるのかどうかは知らないが、少なくともどこかから資金やノウハウの援助は受けてきたはず。

    スタートアップ企業の将来性を見込んで投資する人たちがいるように「将来のバーバー」に対して先行投資をする人たちがいるはずなのだ。日本でもそうだが、こうした宗教関係団体というものは、会社組織と同じ。販売しているモノが「信仰」という目に見えないものであることを除けば。

    この若い「バーバー」の組織は、田舎からそのまま展開して全国を商圏とするテレビショッピングの「ジャパネットたかた」みたいな感じで将来インド全国へと展開していくことになるのだろうか。若年層人口が分厚いインドでは、彼の若さもプラスに作用し得る。若い人たちにとって同世代で勢いがあり、見た目も悪くない「バーバー」が人気を集めることになっても不思議ではないように思われる。

  • アウランガーバード改名、チャトラパティ・サンバージーナガルに

    アウランガーバード改名、チャトラパティ・サンバージーナガルに

    シヴセーナー(エークナート・シンデー派)+BJP政権下のマハーラーシュトラ州で、「アウランガーバード」を「チャトラパティ・サンバージーナガル」に、「ウスマーナーバード」を「ダラーシヴ」に変更するようだ。

    ムガルの皇帝アウラングゼーブが愛した街、晩年を過ごしたアウランガーバードの街の名からマラーターの英雄のひとり、サンバージーにちなんだ名前に変えようというわけである。「チャトラパティ」はサンバージーへの尊称で、改名後は街なかでおそらく「サンバージーナガル」と呼ぶのだろう。サフラン右翼による近年の改名の流れは、ムスリム支配を英国支配と同じ外来勢力による祖国の侵略と捉える思想が背景にある。

    そうした認識により、ムスリムのコミュニティーは侵略者の末裔という認識、排除へのさらなる機運醸成へと向かうことは当然の帰結となるのが恐ろしい。もちろんそれが右翼勢力の狙いでもある。

    New names for Aurangabad city, dist & taluka (THE TIMES OF INDIA)

  • ラダックの願い

    ラダックの願い

    社会/環境活動家、教育者として有名なラダックのソーナム・ワンチュク氏。彼がモーディー首相が国民に語るプログラム「MANN KI BAAT」にかけて、ソーナム・ワンチュク氏自身がモーディー首相に語りかける「MANN KI BAAT FROM REMOTE LADAKH」を公開したのは今から3年前のこと。

    2019年10月に突然、ラダック地域を含むJ&K州がUT(Union Territory=連邦直轄地)化されるとともに、カシミール地域から分割された。ラダックにおいては長年の悲願であったカシミールとの分離は好評であったものの、その後の行方は大いに不透明なものがあった。州としての自治、その中でのラダック自治山岳開発評議会としての自治権で保護されてきたラダックのステイタスは、中央政府による直轄統治によりどのようになっていくのかはまったく示されていなかったためだ。

    この部分についての不安の声は分離当初からあったのだが、こうした思いを代弁する形で分離から3カ月後に発表したのが、前述のワンチュク氏による「MANN KI BAAT FROM REMOTE LADAKH」であった。

    モーディー首相への支持の表明、カシミールからの分離についての感謝の意を示すとともに、ラダック地域の人々はインド平地に出ると差別的な扱いを受けることが少なくないながら熱烈な愛国者であることなどを語るとともに、ラダックが部族地域であり保護されるべき対象地域であることを説いている。

    また環境的にも繊細な地域あること、文化的にも大きな岐路にあることを挙げた上で、ラダックの保護のために新たな法律の制定を求めているわけではなく、インド国憲法付則第6の対象地域にラダックも含めてくれるようにと求めているだけなのだと訴えている。そして「インド政府は私たちに翼を与えてくれた。私たちに飛翔する自由を与えて欲しい」と詩を引用してその想いを説くワンチュク氏。

    ラダックが現在置かれている状況について、「人々のインドへの愛情が失われる前に・・・」「(インドからの)分離要求が持ち上がる前に・・・」という思いは、果たしてモーディー首相に、そして中央政府にしっかりと届いているのか、それともこのまま黙殺してしまうつもりなのか、と気になっているところだ。

    「インド憲法付則第6」にいても少々説明しておこう。

    インド憲法における12の付則(Schedule)の中にある付則第6とは、以下のリンク先のある内容である。

    Sixth Schedule(BYJU’S EXAM PREP)

    この対象地域にラダックも含めてもらいたいというのが、ソーナム・ワンチュク氏を始めとするラダックのおおかたの人々の願いである。インドの他の地域と同じように人々の移住や投資が自由なものとなり、地域外から大勢の「インド人たち」が押し寄せてくるようになると、たちまち土地は彼らに買い上げられてしまい、長年ここで暮らしてきたラダック人たちがインド人の大海の中のマイノリティーになってしまう。また大規模な投資を背景に大きな産業が興ったり、資源開発など乗り出すことになってしまうと、自然環境も大きくバランスを崩し、これまで大切に育まれてきたラダックの大自然の上に成り立ってきたラダックの人々の生活も成り立たなくなってしまうであろうからだ。

    What’s driving the protests against the Centre in Ladakh? (Scroll.in)

  • 炎の壁(TRIAL BY FIRE)

    NETFLIXオリジナル作品として、ごく最近制作されたもので、テーマは1997年6月に起きたウパハール・シネマの火災事件とその後の遺族たちの闘争。実話に基づいたシリアスな内容。

    炎の壁(TRIAL BY FIRE) NETFLIX

    南デリーのグリーンパーク地区にある昔ながらの単館映画館(事件当時はシネプレックスなど存在しなかった)で、ミドルクラスの商圏にあるシネマホールであったため、上映作品も悪くなかった。

    火災事故は、映画館内で保管していたジェネレーターの燃料に電気のスパークが飛び引火というもので、あまりに杜撰な危険物の管理体制が問われるとともに、上映開始後にホールの外側から鍵をかけて出入りできないようにしてあったとのことでもあった。火災発生当時には誰も施設内を監視していなかったため、観客たちが炎に包まれるまでになってから映画館側は火災発生を認識といった信じられない状況について当時のメデイアで報じられていた。

    この映画館のオーナーはスシール・アンサルとゴーパール・アンサル(兄弟)が運営する「アンサル・グループ」の所有であることも伝えられていた。不動産業等を始めとするビジネスを展開している資金力に富む企業体であり、政界にも顔が利くアンサル兄弟である。

    やはり当初のおおかたの予想どおり、事件の調査とその後の遺族たちの起訴による裁判は難航。そのいっぽうでこのアンサル・グループはちょうどそのあたり(1999年)に南デリーに「アンサル・プラザ」というインドにおけるモダンなショッピングモールのハシリといえる施設をオープンして大変な人気を博すところでもあった。その後、同グループはデリー首都圏を中心にいくつもの「アンサル・プラザ」をオープンしていく。

    そんな財力も政治力もあるアンサル・グループを相手に遺族たちが闘う様子をドラマ化したもので、インドでもかなり話題になっている作品らしい。

    Trial by Fire: Series on 1997 Uphaar Cinema fire to arrive on Netflix in January (The Indian EXPRESS)

    Delhi HC refuses stay on Trial By Fire, web show on Uphaar tragedy releases on Netflix (Hindustan Times)

  • 米国メディアの取り扱いも増えてきた米国の購読プラットフォーム「Magzter」

    米国メディアの取り扱いも増えてきた米国の購読プラットフォーム「Magzter」

    雑誌や新聞の電子版購読プラットフォーム「Magzter」は米国の企業だが、在米インド人が起業したインドのメディア購読を主目的とするものであるため、米国のメディアの扱いはあまりないという捻じれがあった。

    しかしながらこのところNewsweekその他のアメリカの雑誌が次々エントリーされている。

    しかしそれでもようやく「今度はTIMEも!」と宣伝しているくらいなので、やはりアメリカのメディアには弱い「アメリカの電子版メディア購読プラットフォーム」。

    それにしても「インドメディアほぼ専門」でありながらも米国で操業というのは、おそらく法的その他の環境から、インドでこういうビジネスの操業は容易でなく、米国でのほうがやりやすいというようなことがあるのだろう。

    「Magzter」はいろいろなニュース週刊誌に加えて、大手各紙の様々な地方版を読むことができるという点でも素晴らしく、とりわけ読み放題の「GOLD」に加入すると、その真価を発揮する。

  • 地名変更と国名変更

    来年5月に総選挙を迎えるインドでは、BJPが再び地名変更の動きを見せている。UP州のLUCKNOW(ラクナウ)をLAKHANPUR(ラカンプル)またはLAKSHMANPUR(ラクシュマンプル)にという案が浮上。いずれにしても取って付けたような名称ではなく、それなりにきちんとその土地に由緒あるものであるとはいえ、長らく「LUCKNOW」として知られてきた州都、旧アワド王国の都の名前をそのような形に変更してしまうというのは、ヒンドゥー至上主義右派によるイスラーム文化やイスラーム支配の歴史のあからさまな否定でもある。

    Rename Lucknow as Lakshmanpur or Lakhanpur’: BJP MP urges Amit Shah(INDIA TV)

    独立以来、インド各地で地名等の変更が行われてきたが、その目的は主に以下のようなものであった。

    1. 植民地時代式の綴りを現地の発音に即したものに改める。 (CAWNPORE→KANPUR、JEYPORE→JAIPUR、JUBBULPORE→JABALPUR等)2.
    2. 英語名称を現地語名称に揃える。  (BOMBAY→MUMBAI、CALCUTTA→KOLKATA、MADRAS→CHENNAI等)

    同様に、各地のストリート名などが、植民地時代の行政官等に因んだ名前からインドの偉人や独立の志士などの名前に変更されている。インドに限らず植民地支配から脱した国々の多くでこのような名称変更は実施されていることはご存知のとおり。

    しかしBJPが政権を握るようになってからは、それ以前は見られなかった新たな形での名称変更が続いている。

    3.ムスリムの支配や影響を色濃く残す地名を「ヒンドゥー化」する。(ALLAHABAD→PRAYAGRAJ、OSMANABAD→DARASHIV、HOSHANGABAD→NARMADAPURAM等)

    この③のタイプの改名については、コミュナルな背景の意思が働いているため①及び②とは異なり、注意が必要となる。

    先述のとおり、2024年5月に総選挙が実施されることに先立ち、今後もこのような地名変更の提案が続くものと予想される。州都ラクナウのような伝統ある地名が③の形で改名されてしまうようなことが本当に起きるとは信じ難いものがあるが、グジャラートのAHMEDABAD(アーメダバード)についても、KARNAWATI(カルナワティ)に変更しようという動きもある。ひょっとすると首都DELHI(デリー)についても、INDRAPRASTHA(インドラプラスタ)に改称される未来が来るのではないかと冗談半分に言われているが、数年後にそういう日がやってきたとしても、あまり驚くに値しないのかもしれない。

    頻繁に地名変更を提案したり、それを実施したりしているBJP政権だが、報道を注意深く見ていると、そのような方向に本格的に動き出したことが大きく報じられる前に、国会議員なり地方議会議員なりの「個人的な意見」という形で、しばしば観測気球のようなものが上がっていることに気が付く。

    以下の記事は昨年末の報道だが、BJPの議員により「インドの国名を改めよう」という意見。

    BJP MP who wants to rename India: ‘PM Modi trying to restore nation’s pride … I thought my question in Parliament will expedite his work’ (The Indian EXPRESS)

    「INDIA」を「BHARAT(バーラト=ヒンドゥーの地)」あるいは「BHARATVARSH(バーラトワルシュ=バーラトの大地)」に変更しよういうものだ。

    これについては、例えば英語で「JAPAN」と呼ばれてきたのを「NIHON」あるいは「NIPPON」に変えようというようなもの。外からの呼称を内での呼び方に揃えようというもの違和感は薄い。(インド国外でBHARATという名称をご存知ない方も少なくないかと思うので、もしかすると耳慣れない奇妙な呼称に感じるかもしれないが・・・。)

    いっぽうでインド、INDIAの別称として「HINDUSTAN(ヒンドゥスターン)」もある。企業名でも「HINDUSTAN MOTORS」「HINDUSTAN PETROLEUM」等々、「HINDUSTAN」を冠したものは多く、日常会話でも自国のことを「ヒンドゥスターン」と普通に呼ぶので、なぜ「HINDUSTAN」にしないのか?と思う方もあるかもしれないが、BJPのようなサフラン右翼(サフラン色はヒンドゥーの神聖な色)にとって、やはり「BHARAT」あるいは「BHARATVARSH」こそが、あるべき母国の名称ということになる。

    なぜならば「HINDUSTAN」という名前は、元々はペルシャ(及びペルシャ語圏)の人々から見たインドに対する呼称であって、インドの人々が自国をそう呼ぶようになったのは、ペルシャ語圏から入ってきたその名称が定着したからに他ならないからということが背景にある。