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カテゴリー: life

  • スィッドプル

    スィッドプル

    グジャラート州のスィッドプルにあるシーア派ムスリムのダウーディー・ボーハラーのコミュニティーの屋敷町。端正かつ壮麗な街並みに腰を抜かす。建物の多くに建築年が示されており、1900年代から1930年代にかけて、一気にこの街並みができ上がったという不思議。その時期にはどんな爆発的なブーム、好景気がボーハラーのコミュニティーで共有されたのだろうか。スィッドプルのラヒームプラ(Rahimpura)からサイフィープラ(Saifeepura)という地域にかけてこうした景観が広がっている。

    それぞれの建物は、非常に大きな造りで、横に長く屋敷が連なっており、コミュニティーの結束の強さを感じさせる。外から大きな南京錠がかかっている世帯が多いが、たいていは地域外で活動しているため、ここに戻ってくるのはせいぜい年に一度程度なのだとか。今でも住んでいるところも少なくはないようで、そうしたところからは開け放したドアや窓の向こうに見える日用品等に生活感が感じられる。

    特徴的なのは、シェカワティーのハヴェーリー、チェッティナードのハヴェーリーと同様に特定の商業コミュニティーの人々の邸宅なのだが、それらひとつひとつが独立した屋敷となっているわけではなく、欧米のタウンハウスのような形で展開していることだ。ずっと現地を離れているオーナーたちがテナントに貸し出すことなく、世話人を雇って日々手入れさせていること、定期的に修復なども実施しているがゆえ、現在も美しい街区がそのまま保存されているのだ。フレスコ画で有名なシェカワティーのハヴェーリーで、しばしば邸宅内部を細分化して貸し出したり、一階部分を壁で仕切って店舗として貸したりしていることが多いのとはまったく異なる。

    これらの建物内での所有形態がどうなっているのか知らないが、シェカワティーのハヴェーリーに同一のジョイントファミリー内の複数の世帯が共同生活していたように、ここではひとつのタウンハウスのように見える建物がひとつの親族グループにより建築・所有されているのかもしれないが、そこのところはよくわからない。いずれにしても極めて都会的な邸宅の様式と言えるだろう。

    これに近い形の「タウンハウス的ハヴェーリー」はビーカーネールにも見られるのだが、陸上交易時代にはビーカーネール自体が大きな稼ぎの場であったのに対して、ボーハラーの人たちがこうした屋敷を建てた時代には、すでに鉄道や道路による大量輸送の時代になっており、館の主たちの多くはインド各地及び東南アジアから中東、アフリカにかけての広大な地域での交易で財を成した人たちだ。家の入口あたりに「ワドナガル・ワーラー」「スーラト・ワーラー」「カルカッタ・ワーラー」などと書いてあるのは、その家族がビジネスで定着した土地を示している。中には「アデン・ワーラー」「シラーズ・ワーラー」など、外国の地名が書かれているものもある。ダウーディー・ボーハラーはインド亜大陸だけでなく、中東やアフリカにも広く展開している世界的な商業コミュニティーである。こうした屋敷群の中では見かけなかったが、日本でも神戸あるいは横浜のようにかなり昔からインド系商人が出入りした土地には、長く現地で事業展開してきたボーハラーの「コウベ・ワーラー」「ヨコハマ・ワーラー」などが存在しているのではなかろうか。

    このような形で集合住宅を、20世紀前半になってから建てることにどういう合理性があったのか、ぜひ知りたいところである。建築時期が遅いものになると、1960年代になってからという建物すらあるのだ。

    ボーハラーの人々のモスク
    ボーハラーのコミュニティーホール

    Slice of Europe in Sidhpur Bohra Vad, Gujarat

    ルドラ・マハーラヤ
    ルドラ・マハーラヤ

    蛇足ながら、スィッドプルにあるルドラ・マハーラヤ。かつて存在した壮麗な寺院遺跡だが、入場禁止となっている。今にも倒壊しそうな部分もあるので仕方ないだろう。近く修復の手が入るらしい。修復が完了して見学できるようになったら、ここもまたマストな見先ということになる。

    こちらはスィッドプルのバススタンド。周辺各地からのアクセスも良好だ。
  • ワドナガル駅 モーディー首相少年時代の原風景

    ワドナガル駅 モーディー首相少年時代の原風景

    グジャラート州のパータンからワドナガルへと向かう。直行のバスは少ないため、途中ウィスナガルで乗り換えだ。州内のバススタンドは各地で一気呵成で改装したのだろうか。多くは共通したデザインで造りも似たきれいな建物になっている。

    スマホの利用が普及してからというもの、乗り物で移動中に自分が今どのあたりを通過しているのかよくわかるのがありがたい。それ以前は、ようやく目的地に入ってくると店などの番地表示にその市の名前が入ることから「どうやら着いたらしい」ことはわかるものの、それまではまったくわからないし、人に聞いてもかなり適当な返事が返ってくることが少なくなかった。また、自分の目的地と「まさに今通過している場所」がどういう位置関係にあるのかよくわからなかったため、何度か来たことがある場所でもない限り、とりあえずはその街のバススタンドまで行くことが多かった。結果としてずいぶん遠回りになったり、バスで通ってきたルートを戻って目的地まで行くということもよくあったように思う。

    スマホに表示されたGoogle Mapでは、ワドナガルのバススタンドから鉄道駅までは少し距離があるように見えたが、実際にはほぼ斜向かいであった。小さなローカル駅を想像していたが、案外大きなホームを持ち、建物も立派になっている。聞くところによると、ごく近年になってから大改修がなされたとのこと。小さなローカル駅だし、幹線ではなく支線の駅がなぜこんなに大きいのかと不思議に感じるが、ナレーンドラ・モーディー首相に由緒ある駅だからなのかもしれない。

    ワドナガルへの私の訪問の目的地は、まさにこのワドナガル駅なのだ。かつてこの駅でモーディー首相の父親がチャーイ屋を開いており、少年時代のモーディー首相は、よくその手伝いをしていたという。父親が淹れたチャーイをお客に手渡したり、代金の受け渡しなどをしていたのだ。テーリー(油絞り)カーストであることからOBCs(Other Backward Classes)のカテゴリーの出自、貧しい生い立ちのモーディー首相は、世襲の政治エリートではない庶民の出自であったことも、高い人気の背景のひとつである。

    駅のプラットフォームには、モーディー首相が子供時代に父親の手伝いでチャーイを売っていた「T13」という店番号が付された小さなティーストールが残っている。「T/13」という店番号が付いている同じ形状のレプリカも建っているが、一段低いところに残されているものがオリジナルだ。駅改築の際にホームの高さが上がったため、掘り抜いたところにあるように見える。ここで「ナレーンドラ少年」は、父親やお客たちからときにどやされながら忙しく駆け回っていたのだろう。

    こちらはレプリカ
    こちらがオリジナル
    店番号「T/13」

    ついでにモーディーの生家も訪れてみたいものだが、すでに地所は売り払われており、建物も残っていないのは少々残念。

    駅を出てしばらく歩いたところには、ハトケーシュワル(シヴァの別名のひとつ)寺院があり、そのすぐ近くには大きな門がある。かつてはここも城壁に囲まれた町であった名残である。古くて趣のある家並みを眺めながら進んでいくと、シャルミスタ・タラーブという池に出るが、そこからさらに進むと「キルティ・トラン」が見えてくる。これは大きな寺院の門であったと考えられているが、その寺院自体が発掘されていないため、実際のところはよくわかっていないようだ。

    ハトケーシュワル寺院

    ゲート
    落ち着いた家並み
    キールティ・トラン

    小さな田舎町ながらも見どころはいくつかあり、地域内各地からのアクセスもまずまず。グジャラート州のパータン周辺には見どころが多いが、とりわけモーディー首相の生い立ちに興味のある方であれば、ここも訪問先のひとつに加えてみると良いかもしれない。

  • パータンの宿

    パータンの宿

    宿泊費に込みの朝食は簡素だが、朝はこれで充分

    グジャラート州パータンでの投宿先は、私が訪問する1年半前に開業したとのことで、設備は新しく快適だった。「開業以来初、外国人のペヘラー・グラーハク(ファースト・カスタマー)」が私だったそうだ。コロナ禍のため外国からの訪問者が大幅に減ったためなのだろう。

    国外との往来は、ほぼコロナ以前同様に自由になったとはいえ、今もインバウンドの観光客誘致は不振が続く。コロナへの警戒感はともかく、各地を結ぶ国際線の減便から来る料金の高止まりもあるし、ウクライナ危機から来る燃油代の高騰もさらに航空券代高騰に拍車をかけている。加えてユーロや円など米ドル以外の主要通貨レートの急落などもあるため、なかなか元に戻るには時間がかかりそうだ。

    外国人客の現象とは裏腹に、国内需要は堅調であるところに、今のインドの力強さを感じる。

  • 現代のワウ

    現代のワウ

    前日は遺跡として管理されている古いワウ(階段井戸)を見学したが、現在も使用されているものはどうなっているのかと思い、KHODAIYAR MANDIR の中にあるものに行ってみた。

    内部はタイル貼りでよくある今どきのお寺といった感じで、階段深く下ったところから水が湧いておりご本尊が鎮座している。

    グジャラート州では、アーメダーバードのような大都会にあっても、カラスや鳩みたいな感覚(ちょっとおおげさか?)でクジャクたちの姿を目にする。

    ついでにもうひとつ「現役のワウ」。こちらはASHAPURA MATA MANDIRという小さなお寺の裏手にあるが、立ち入り禁止となっており、物置として使われているなどしており、現代も使われている施設内のワウというのは、どうも旗色が良くない。

    物置として使われている。
  • ELLIS BRIDGE

    ELLIS BRIDGE

    オリジナルの橋梁は左右から新しい橋に挟まれる形となっている。

    オートでエリス・ブリッジを渡る。左右から新しい橋が挟み込み、オリジナルは普段は通行禁止になっている。

    これはアムダーバードを象徴する橋で、ちょうどコールカーターのハウラー・ブリッジに相当するようなものであり、幾度も映画のロケにも使われている。

    英領時代の19世紀後半に木造の橋が築かれ、その後鋼鉄製のものに架け替えられた。それが現在目にすることのできるエリス・ブリッジのオリジナル部分だ。

    橋の名前は、英国植民地当局の幹部であったSir Barrow Helbert Ellisに因むものである。ユダヤ系英国人の彼は英領インド政府の要職を歴任し、最後は総督のEXECUTIVE COUNCILのメンバーにまで上り詰めた。現在の内閣に相当する機関であり、閣僚級のポストにあったと言える。

    メジャーなランドマーク的な橋でありながらも、独立後にインドやグジャラート州の偉人の名前に置き換えられることなく、往時と同じ名前で知られていることは特筆すべきことかもしれない。

  • BAI HARIR VAV

    BAI HARIR VAV

    グジャラートにはVAV(ワウ)と呼ばれる階段井戸が多い。当然大きな街、アーメダバードの旧市街周辺には、ググッてみると山ほどある。中にはゴミで埋まってしまっているものもある。建て込んだ住宅密集地にあると、そうなるのだろう。

    言うまでもなく、世界遺産指定されているADALAJ VAはその対極で非常に壮麗かつ見事なものだが、それ以外にも行きたくなるようなVAVが見つかるのがgoogle mapのありがたいところだ。

    そんな中、BAI HARIR VAVというのが市内東部のアサルワという地域にあることがわかり、オートで出かけてみた。着いてみると、外からでも豪華さがわかる佇まいだ。引返すはずのオートの運転手すら「おお、これは!私も見てみたい」と一緒に付いてきたほどだ。(入場料無料)

    そうした中で、私は彼と話をするようなったのだが、このジュナイド(29歳2児の父)は、「こんなところにきれいなワウがあるとは!」「今日は来てよかった!」などと盛んに喜んでいた。オートワーラーでも若いと、好奇心旺盛な者がたまにいる。

    「今度家族と来ればいいじゃん。奥さんも子供も喜ぶぞ」と言うと、「そうします」とニコニコしている。まあ、こんなことがあると私もうれしい。

    背後にあるのはお寺かと思いきや、モスクであった。礼拝自国の表示もあり、今も礼拝施設として機能している。ワウは沐浴池としての機能もあるためお寺とセットであることが多いが、こちらはムスリムの建築。グジャラート・スルターン朝時代にメヘムード・シャー1世時代、1485年に造られている。

    階段井戸はどこもそうだが、雨が降るとそれらの水を効率よく溜め込む機能もある。雨が強くなってくると、どこからともなく集まった雨水が階段をたどって下へ下へと流れ落ちてくる。インド西部の地下水位は年々低下しているため、建築当時は水はもっと満々とたたえていたのかもしれない。

    ここは先述のとおりモスクの境内の一部になっていることから、イスラームとヒンドゥー文化の共存ということも感じられるし、さすがに境内でゴミを捨てる日とはいないのか、それとも日々清掃がなされているためか、階段井戸もきれいに保たれているのも良かった。

    個人的には世界遺産クラスの大きな遺跡よりも、中堅どころの秀作みたいなものを見て歩くのが好きなので、このBAI HARIR VAVくらいのものに出会えると、とても嬉しい。

  • 見て触って感じることができるインドの伝統建築

    見て触って感じることができるインドの伝統建築

    インドのモスクはどこも程度の差こそあれ、どこのものも地域独自のカラーがあるものだ。

    アムダーバードのイスラーム建築は、持ち送りといい庇といい、柱といい壁面の紋様といい、はてまた相輪(のようなもの)等々、土着文化(ヒンドゥー文化)の影響を凄まじいまでに反映させていることに改めて驚かされる。これらのパーツを単体でみると、とてもモスクであるとは感じられなかったりするほどの強烈な個性とインパクトだ。

    例えば、この「Ahmed Shah’s Mosque (Shahi Jam-e-Masjid)」。1414年創建のこのモスクは、イスラーム建築特有の大きなグンバド(大ドーム)とイーワーンの組み合わせから来る内部に柱のない広大な空間を持たず、まるでヒンドゥー寺院のような柱の多い内部空間を構成していることから、同じくヒンドゥー建築の影響が顕著なカシミールの木造モスクを彷彿させるものがある。このようなタイプのモスクはアムダーバード市内に多い。インドはイスラーム建築も多様性に富むため、地域が違うととても同じ国内に居るとは思えない。

    同様に、ヒンドゥーの人たちの寺院建築、伝統文化、風俗習慣や日常生活もイスラーム文化による強い影響を受けていたり、スィク教においても同じくイスラームから取り入れられた特徴も多く、インドひいては南アジアという地域の重層性をひしひしと感じさせられるものである。

    こうした建築物の傑作の数々を直に観て触れて、その紋様を指でなぞったりしながら体感できるのはとても嬉しい。博物館でガラスのショーケースに収まっている構造物の一部を眺めるのではなく、その建物に入って細部を撫でながらダイレクトに体感できるのだから。

  • アーメダバード旧市街

    アーメダバード旧市街

    ユネスコ世界遺産の登録されているアーメダーバード旧市街では、古いハヴェリー(屋敷、邸宅)が多く残っており見応えがあるが、宿に転用してあるものがいくつかある。このハヴェリーはそんな中のひとつ。グジャラート州は今後も来たいし、アーメダバードに滞在することもあるだろうからいくつかチェックしておいた。こちらは「FRENCH HAVELI」という名前で宿泊施設として運営されている。オーナー家族はヒンドゥーの商業コミュニティの人たちだが、米国に移住しており、ホテル運営会社が借り受けて運営しているとのこと。部屋ごとにサイズや雰囲気は異なり、実際に泊まる場合には部屋を見て決めたい。

    近ごろ思うのは、ガイドブックなるものをほとんど使わなくなったことだ。スマホには一応キン版のロンプラのガイドブック「INDIA」は入っているものの、ほとんど開いてすらいない。スマホ+グーグルの時代になってからは様々な面からも実に旅行しやすくなった。

    良くできたガイドブック、便利なガイドブックは多いのだが、今は観光地情報、宿情報、移動手段情報は書籍からは要らなくなったため、ネットからは入手しにくい何か特別なことに特化あるいは深化した部分がないと、なかなか購入する動機がない、という具合になっているのが昨今のガイドブック事情ではないかと思う。

    こちらも宿に転用されている「MANGALDAS NI HAVELI」。先程のFRENCH HAVELIよりも少しアップマーケットになるが見ておきたい・・・のだが、訪れたときには誰もいなかった。外から南京錠が下りていたので、おそらく宿泊者も本日はいないのだろう。外から見る限りでは、とてもきれいに修復してあるようだった。

    宿ではないのだが、本日見かけたハヴェリーの中では、これが最も重厚感があった。20年前、30年前であれば、こういうのがけっこう健在だったのかもしれない。こうした柱といい、持ち送りといい、なんかシビレる。家屋の中もさぞかし素晴らしいことだろう。

    このハヴェリーにグジャラート語で書かれた碑文みたいなのがあったので、近くにいたおじさんにヒンディー語に口訳してもらった。それを聞いて「ほう、そうなのか」と思ったが、歩いていると次から次へと興味深い建物があり、ちょっと「公式外」の変わったジャイナ教寺院と図書館が一体となった木造建築の中を見学したりと興奮したためか、先ほどの口訳してもらった内容をすっかり失念してしまった。やはりその場でメモするか、おじさんの喋りを録音しておかないとダメだと痛感。

    往時を偲ばせるハヴェリー等が散在するアーメダバード。こうした伝統的な建物の集合具合の密度がもっと高いとなお良かった。そういう意味ではカトマンズの旧市街はもちろんのこと、ネパールのバクタプルのような伝統家屋がほぼまるごと残っている街並みというのが、いかに価値のあるものかということをひしひし感じる。一度失われると二度と取り戻すことができないだけに。

    旧市街は、それぞれ固有の名前のついた「ポール(POL)」が構成されており、それぞれにこうした門が付いている。「ポール」とは、宗教、カースト、氏族、職業などの共通項を持つ家族たちで構成させている街区のようなものだが、これについても説明してくれるであろう旧市街ツアーに申し込んでいたのだが、私が訪れた時期には申込みが少ないとのことで、開催されなかったのは残念。またグジャラートは来るし、必然的にアーメダバードにも泊まるので、次回の楽しみとしよう。

     

  • ディレーンドラ・シャストリーという「バーバー」

    ディレーンドラ・シャストリーという「バーバー」

    INDIA TVの人気プログラム「アープ・キー・アダーラト(あなたの法廷)」。そのときどきの注目されている人たち、俳優、政治家、財界人その他をスタジオに呼び、裁判の尋問と答弁の形で、様々な質問から本人の回答を引き出すというもの。

    このところ話題のバゲーシュワル・ダームのディレーンドラ・シャストリーが出演することが予告されていたが、うっかり見逃した。しかしYouTubeで見ることができた。今という時代に感謝である。

    Dhirendra Shastri In Aap Ki Adalat: बागेश्वर धाम सरकार ने कटघरे में किए बड़े खुलासे | Rajat Sharma (INDIA TV)

    まだ26歳の「バーバー」。装いもチェック柄の衣装であったり、このところ気に入っているらしい帽子をよく被って現れるなど、世俗的で、とてもヒンドゥーの「聖者」には見えない。相手を手玉に取るセリフ回し(インド人はこういうのが好きだ)や話もうまい。まだ自分を「大人に見せよう」と苦心している様子もうかがえるが、年齢を重ねるにつれて、それらしくなっていくことだろう。

    これまでは田舎で周辺地域から信者を集める新興の「バーバー」だったが、このところメディアで日々取り上げられるようになったため、全国の田舎の人たちから注目する存在になるかもしれない。彼は教えが素晴らしいとか、人格が高潔であるなどといったものではなく、まったく反対に「怪しげな奇跡を演出する」「資金の出処や流れが不明」他、インチキくさいバーバーとして耳目を集めている。

    マッディヤ・プラデーシュでとても貧しいブラーフマンの家に生まれ、学校はドロップアウト。リクシャーを引いていた時期もあったとされる。そんな若者が数年間で父母や祖父母世代をも含めた信者層を集める存在となり、一気に有名になったため、彼のアーシュラムにはBJPの代議士たちも信者に顔を売るために表敬訪問するようにさえなってきた。頭のキレは良くて話も上手い彼をプロデュースした黒幕がいるのかどうかは知らないが、少なくともどこかから資金やノウハウの援助は受けてきたはず。

    スタートアップ企業の将来性を見込んで投資する人たちがいるように「将来のバーバー」に対して先行投資をする人たちがいるはずなのだ。日本でもそうだが、こうした宗教関係団体というものは、会社組織と同じ。販売しているモノが「信仰」という目に見えないものであることを除けば。

    この若い「バーバー」の組織は、田舎からそのまま展開して全国を商圏とするテレビショッピングの「ジャパネットたかた」みたいな感じで将来インド全国へと展開していくことになるのだろうか。若年層人口が分厚いインドでは、彼の若さもプラスに作用し得る。若い人たちにとって同世代で勢いがあり、見た目も悪くない「バーバー」が人気を集めることになっても不思議ではないように思われる。

  • アウランガーバード改名、チャトラパティ・サンバージーナガルに

    アウランガーバード改名、チャトラパティ・サンバージーナガルに

    シヴセーナー(エークナート・シンデー派)+BJP政権下のマハーラーシュトラ州で、「アウランガーバード」を「チャトラパティ・サンバージーナガル」に、「ウスマーナーバード」を「ダラーシヴ」に変更するようだ。

    ムガルの皇帝アウラングゼーブが愛した街、晩年を過ごしたアウランガーバードの街の名からマラーターの英雄のひとり、サンバージーにちなんだ名前に変えようというわけである。「チャトラパティ」はサンバージーへの尊称で、改名後は街なかでおそらく「サンバージーナガル」と呼ぶのだろう。サフラン右翼による近年の改名の流れは、ムスリム支配を英国支配と同じ外来勢力による祖国の侵略と捉える思想が背景にある。

    そうした認識により、ムスリムのコミュニティーは侵略者の末裔という認識、排除へのさらなる機運醸成へと向かうことは当然の帰結となるのが恐ろしい。もちろんそれが右翼勢力の狙いでもある。

    New names for Aurangabad city, dist & taluka (THE TIMES OF INDIA)

  • ラダックの願い

    ラダックの願い

    社会/環境活動家、教育者として有名なラダックのソーナム・ワンチュク氏。彼がモーディー首相が国民に語るプログラム「MANN KI BAAT」にかけて、ソーナム・ワンチュク氏自身がモーディー首相に語りかける「MANN KI BAAT FROM REMOTE LADAKH」を公開したのは今から3年前のこと。

    2019年10月に突然、ラダック地域を含むJ&K州がUT(Union Territory=連邦直轄地)化されるとともに、カシミール地域から分割された。ラダックにおいては長年の悲願であったカシミールとの分離は好評であったものの、その後の行方は大いに不透明なものがあった。州としての自治、その中でのラダック自治山岳開発評議会としての自治権で保護されてきたラダックのステイタスは、中央政府による直轄統治によりどのようになっていくのかはまったく示されていなかったためだ。

    この部分についての不安の声は分離当初からあったのだが、こうした思いを代弁する形で分離から3カ月後に発表したのが、前述のワンチュク氏による「MANN KI BAAT FROM REMOTE LADAKH」であった。

    モーディー首相への支持の表明、カシミールからの分離についての感謝の意を示すとともに、ラダック地域の人々はインド平地に出ると差別的な扱いを受けることが少なくないながら熱烈な愛国者であることなどを語るとともに、ラダックが部族地域であり保護されるべき対象地域であることを説いている。

    また環境的にも繊細な地域あること、文化的にも大きな岐路にあることを挙げた上で、ラダックの保護のために新たな法律の制定を求めているわけではなく、インド国憲法付則第6の対象地域にラダックも含めてくれるようにと求めているだけなのだと訴えている。そして「インド政府は私たちに翼を与えてくれた。私たちに飛翔する自由を与えて欲しい」と詩を引用してその想いを説くワンチュク氏。

    ラダックが現在置かれている状況について、「人々のインドへの愛情が失われる前に・・・」「(インドからの)分離要求が持ち上がる前に・・・」という思いは、果たしてモーディー首相に、そして中央政府にしっかりと届いているのか、それともこのまま黙殺してしまうつもりなのか、と気になっているところだ。

    「インド憲法付則第6」にいても少々説明しておこう。

    インド憲法における12の付則(Schedule)の中にある付則第6とは、以下のリンク先のある内容である。

    Sixth Schedule(BYJU’S EXAM PREP)

    この対象地域にラダックも含めてもらいたいというのが、ソーナム・ワンチュク氏を始めとするラダックのおおかたの人々の願いである。インドの他の地域と同じように人々の移住や投資が自由なものとなり、地域外から大勢の「インド人たち」が押し寄せてくるようになると、たちまち土地は彼らに買い上げられてしまい、長年ここで暮らしてきたラダック人たちがインド人の大海の中のマイノリティーになってしまう。また大規模な投資を背景に大きな産業が興ったり、資源開発など乗り出すことになってしまうと、自然環境も大きくバランスを崩し、これまで大切に育まれてきたラダックの大自然の上に成り立ってきたラダックの人々の生活も成り立たなくなってしまうであろうからだ。

    What’s driving the protests against the Centre in Ladakh? (Scroll.in)

  • 炎の壁(TRIAL BY FIRE)

    NETFLIXオリジナル作品として、ごく最近制作されたもので、テーマは1997年6月に起きたウパハール・シネマの火災事件とその後の遺族たちの闘争。実話に基づいたシリアスな内容。

    炎の壁(TRIAL BY FIRE) NETFLIX

    南デリーのグリーンパーク地区にある昔ながらの単館映画館(事件当時はシネプレックスなど存在しなかった)で、ミドルクラスの商圏にあるシネマホールであったため、上映作品も悪くなかった。

    火災事故は、映画館内で保管していたジェネレーターの燃料に電気のスパークが飛び引火というもので、あまりに杜撰な危険物の管理体制が問われるとともに、上映開始後にホールの外側から鍵をかけて出入りできないようにしてあったとのことでもあった。火災発生当時には誰も施設内を監視していなかったため、観客たちが炎に包まれるまでになってから映画館側は火災発生を認識といった信じられない状況について当時のメデイアで報じられていた。

    この映画館のオーナーはスシール・アンサルとゴーパール・アンサル(兄弟)が運営する「アンサル・グループ」の所有であることも伝えられていた。不動産業等を始めとするビジネスを展開している資金力に富む企業体であり、政界にも顔が利くアンサル兄弟である。

    やはり当初のおおかたの予想どおり、事件の調査とその後の遺族たちの起訴による裁判は難航。そのいっぽうでこのアンサル・グループはちょうどそのあたり(1999年)に南デリーに「アンサル・プラザ」というインドにおけるモダンなショッピングモールのハシリといえる施設をオープンして大変な人気を博すところでもあった。その後、同グループはデリー首都圏を中心にいくつもの「アンサル・プラザ」をオープンしていく。

    そんな財力も政治力もあるアンサル・グループを相手に遺族たちが闘う様子をドラマ化したもので、インドでもかなり話題になっている作品らしい。

    Trial by Fire: Series on 1997 Uphaar Cinema fire to arrive on Netflix in January (The Indian EXPRESS)

    Delhi HC refuses stay on Trial By Fire, web show on Uphaar tragedy releases on Netflix (Hindustan Times)