ただいまメンテナンス中です…

カテゴリー: economy

  • 燃える土地 ジャリヤー

    ジャールカンド州の州都ラーンチーから東に位置するダンバード地区の西ベンガル州境附近のジャリヤー(झरिया)は英領期から長きに渡って炭鉱で栄えてきた土地。最寄りの鉄道駅はダンバード・ジャンクション。ここはシャターブディー・エクスプレスその他のメジャーな列車が停車する大きな駅だ。

    現在、インドでは製鉄業を中心に、燃料の2/3は石炭が使用されるという。インド自身、世界第三位の石炭産出量を誇るが、実にその3/4はここから採掘されている。ここではCoal India Ltd.やBharat Coking Coal Ltd.といった、この分野ではインドを代表する大きな政府系企業が操業している。

    400平方キロメートルの面積に75もの炭鉱があるというほど集中しているが、そのエリアには100万人超の人口を抱えていることも特筆される。この地域では、石炭の埋蔵量が豊富であることだけではなく、地表近くに鉱脈があることでも知られており、それがゆえに採掘が容易である。ゆえに違法採掘が絶えないだけではなく、住民たちの中で炭鉱労働に従事してはない人たちも簡単に石炭を採取しては売りさばくといった形で、家計の足しにしていたりする例も数多いという。

    この地域に住む人たちは部族民が中心だ。しかしながらこれを取引するのは地域外の人たちである。地下資源に恵まれながらも、外界から搾取される存在であるという矛盾がある。
    こうした土地なので、政治で暗躍する人たちや炭鉱マフィアたちのパワーゲームが常時展開する暴力的な風土もあるらしい。

    地表近くに鉱脈があることによる利点と同時にデメリットも大きい。河川や土地の汚染はもちろんのことだが、住宅のすぐ脇から火が噴いていたり、100年以上も続いている燃焼により、地下が空洞となることから地盤が陥没したり、その上にあった建物が崩壊したりなどしているとのことだ。これによって廃線となった鉄道路線もあるとのこと。参考記事のリンクを以下に付しておく。

    India’s Jharia coal field has been burning for 100 years (CNBC)

    健康被害もまた甚大なようで、石炭で潤うことにより、田舎の部族中心の社会としては例外的に栄養問題がほとんどないとされるようだが、採掘と地下の燃焼による大気汚染による呼吸器疾患を抱える人々の割合が異常に高いとされる。

    観光で訪れるような場所ではないが、街から少し出ると石炭採掘現場があり、蔓延する違法採掘現場はマフィアが取り仕切っているため、カメラやビデオなどを回すとかなり高い割合でトラブルに巻き込まれるという話もある。

    ジャリヤーを取り上げたドキュメンタリー番組はいくつもあるが、下記リンク先が特に秀逸なので閲覧をお勧めしたい。

    INFERNO: JHARIA’S UNDERGROUND FIRES (PSBT INDIA)

  • インドのケータイ電話

    有名ブランドのショールームに立ち寄ると、ずいぶん高価で高性能なスマートフォンが並んでいるし、知人たちの中にはかなり頻繁にこうしたモデルを買い替えている人たちもある。単価が高いだけに、さすがに都市部では購買力の高い人たちが多いものだなと感心したりもする。バスやメトロ車内で着席していても立っていても、液晶画面に目を落としている姿は万国共通のものとなっている。

    安価なモデルも広く出回っていること、もともと中古品の取引も盛んであることなどから、さほど所得が高いと思われない層にも広く浸透していて、若い年代のオート運転手たちもフェイスブックなどに投稿していたりする。加えて、廉価なプリペイドのプランも多いがゆえに、インドのケータイ市場は非常に民主的?であったりもするし、デュアルSIMつまりSIMを2枚挿入して使い分けることができるモデルもまた多い。

    そんなインドのケータイを価格、OS、各種スペック別に俯瞰することができるサイトのひとつにこういうものがある。

    snapdeal

    当然のことながら、価格帯ごとに各メーカーの主戦場が分布している。インドのように携帯電話のランニングコスト(新規回線契約や通話にかかるコスト)が廉価な国であれば、普段の通話用にガラケー、データ通信にスマホと、2台持ちしても負担にならないのがいい。ガラケーについては、使いやすそうなモデルが1,000Rs前後で豊富に用意されており、まさに庶民の味方という感じがする。

  • ビハールが禁酒州に

    昨日からビハールは禁酒州に移行。しかしU.P.州では酒税率の削減により、酒類が安くなる。生活習慣が大きく異なるわけではなく、隣り合う州なのに。アルコールに起因する社会や生活の問題、酒という個人の楽しみと製造・販売の利権、どちらも票になるので、政権が社会のどのあたりの歓心を買おうとしているかによって転ぶ方向が違う。州ごとの自治性の高さからこうしたコントラストが生まれてくる。

    Complete ban on alcohol in Bihar from today (The Indian Express)

    Liquor prices come down in UP after state govt slashes excise duty on alcohol (India Today)

    禁酒となっても、闇であちこち流通していることだろう。インドでは、他にも禁酒州はいくつかあるが、ブラックマーケットではかなり高い値段で取引されているかといえば、そうとも限らないようで、政府に税を払わずに売りさばくので、酒が合法な州よりも安く手に入るということもなきにしもあらず、のようだ。

    こちらは2007年にindo.toにアップした記事だが、これはグジャラート州の酒に関するもの。当時、禁酒を見直す動きがあったものの、現在までのところ、この情勢には変化なし。

    グジャラート州 酒類解禁への道 (indo.to) ※2007年2月の記事

  • Gatimaan Express

    現在のインド国鉄で最速(最高時速150km)となるガティマーン・エクスプレスが、本日4月5日から運行開始される。デリーのハズラト・ニザームッディーン駅からアーグラー・カント駅までの185kmを100分で走行するというもの。ハズラト・ニザームッディーン駅からの下りは午前8時10分発、アーグラー・カント駅からの上りは午後5時50分発。
    実質、タージマハル観光専用の列車のようで、タージマハルが閉まっている金曜日は運行されず、週に6往復となる。運行にはモダンな客車が導入され、飛行機のシートのように、前座席背面には液晶モニターが設置されるようだ。
    インド国鉄における「最速」については、革新的な技術が導入されるわけではないようで、シャターブディー急行がこの区間で途中停車駅ひとつ(マトゥラー・ジャンクション駅)で2時間から2時間15分程度で走行するのに対して、ガティマーン・エクスプレスはノンストップで走破することと、ダイヤの調整の結果であると思われる。

    India’s fastest train to debut on Tuesday (THE TIMES OF INDIA)

  • 80年代イランの切手

    80年代イランの切手

    初めてイランを訪れたのは、ホメイニー師が亡くなってからすぐあたりであった。別に切手を集める趣味があるわけではなく、旅先で記念切手?を購入するということは、後にも先にもなかったのだが、この類の切手だけは有名であったので手にしてみたかった。

    1979年に発生したアメリカ大使館占拠記念

    1988年に起きた米軍によるイラン民間航空機撃墜事故に対する糾弾
    交戦状態にあったイラクによる学校への爆撃により子供たちが多数亡くなったことに対する非難

    当時のイランでは、大きな役所等の壁に「アメリカを打ち倒せ!」みたいなスローガンと勇ましいプロパガンダ画などが描いてあるのを目にした。

    最初の切手はアメリカ大使館占拠記念、次は米軍によるイラン民間航空機撃墜事故に対する糾弾、三番目は交戦状態にあったイラクによる学校への爆撃により子供たちが多数亡くなったことに対する非難。
    ・・・といっても、イラン政府による「官製反米姿勢」とは裏腹に、イランの一般の人々の間で、こうした反米感情が渦巻いているわけではなく、極めて穏健かつゆったりとした人たち。

    急進的な近代化を推し進めたパフラヴィー朝に対する宗教勢力を中心とする保守勢力に、これとは異なる側面、つまり王朝による強権的な支配、利権構造、腐敗などを苦々しく思っていた市民たちが、変革を期待して肩入れした結果、革命が成就することとなった。

    しかしながら、王朝が倒れてからは、大多数の市民が期待したような方向に向かうわけではなく、今度は宗教勢力が大衆を強権支配するようになった。きちんと教育も受けていないならず者みたいな者たちが、政府の治安機構で用いられ、新しい政権が示したコードに従わない者をどんどん処罰していく。

    さらには「革命の輸出」を警戒する中東近隣国との関係も悪化し、「ペルシャ湾岸の衛兵」的な立場にあった王朝が倒れることにより、欧米からも強く懸念される存在となり、大産油国でありながらも経済は悪化していったのがこの時代。

    そのため、市民の多くは「王朝時代は悪かったが、今もまたひどいものだ」と呻吟する社会が当時のイランであったわけで、それなりの資産とツテのある人たちはアメリカその他に移住していくこととなった。

    東に隣接する南アジア社会に較べると格段に高い生活水準と立派な街並みなどから、当時の私なぞは、あたかも東ヨーロッパに来たかのような気分にさえなったものだ。イランの人々の風貌はもちろんのこと、当時の地味な装い、イスラーム革命により、1979年に王朝が倒されてからは、経済面では社会主義的政策を取っていたこともあり、そんな雰囲気があったともいえるかもしれない。

    当時は、観光目的で三カ月以内の滞在については、査証の相互免除協定があったので、日本人である私たちがイラン入国に際してヴィザは不要で、イランの人たちが日本に来る際にもそうであった。    
          
    つまりイラクとの戦争が終結したあたりから、イランから日本に出稼ぎに来る男性たちが急増したのは、ちょうどこのあたり。東京都内では、ヤクザみたいな恰好?したイラン男性たちをしばしば見かけて、イラン旅行中にはいつでもどこでもお世話になった紳士的かつ親切な人々の姿とのギャップにちょっとビックリしたりもした。でも、当時日本に出稼ぎに来ていた人たちの大半は若者だったので、故郷の地域社会の縛りが解放されて、ちょっとツッパッてみたい年ごろだったんだろうな、と思う。

    当時のイランではNHK連続ドラマの「おしん」が吹き替えで放送されていたようで、各地でよくそのストーリーについて質問された。だが私はその「おしん」とやらをまったく見ておらずよく知らないので、逆にイランの人たちに尋ねる始末であった。(笑)人気ドラマにしても芸能人ネタにしても、自分の興味のない部分についてはまったく知識を吸収できないので、ときに困ることがある。この部分については、今になってもまったく治っていない。

    そんなイランがこれから大きな変化を迎えようとしている。これまで長く長く続いた冬みたいな時代であったのかもしれないが、ホカホカと暖かく素敵な春を迎えるようになることを願いたい。

  • ダッカの高架鉄道建設 東急建設が受注

    かつてはサイクルリクシャーの洪水となっていたバングラデシュのダッカの往来。その頃はエンジンの付いた乗り物といえば、市内バス、トラック、シェア乗りが主体のオートリクシャーくらいのものであったのは今や昔。世界有数の渋滞で知られるようになっている。
    こうした状態は途上国のいずこの大都市も避けては通れない道だ。


    Traffic Jam at Dhaka in Bangladesh (Youtube)

    この解消策としてバイパスや立体交差の建設、車線の拡張などが実施されることになるのだが、同時に徒歩で移動する人たちの路上交通によらない運輸手段の整備が必要となってくる。それが地下鉄であったり高架鉄道であったりするわけだ。
    さて、このほど東急建設がダッカのMRT(Mass Rapid Transit)としての高架鉄道建設を受注。総延長20kmに及び市内を南北に縦断する形で敷設されるのだとか。
    工事が開始されると、完了時までは現在の渋滞に更に拍車がかかった状態になるかと思うが、2021年に予定されている全線開通以降は、今とはかなり違った様相となっていることを期待しよう。

    東急建設、バングラで鉄道工事受注 日本企業で初(日本経済新聞)

    ダッカ市に高速高架鉄道! 渋滞緩和へ向けて進む都市計画(JICA)

  • GoAir ムンバイー・レー便、バンガロール・ポートブレア便就航  3月27日から

    GoAir ムンバイー・レー便、バンガロール・ポートブレア便就航 3月27日から

    このところ好調なGoAirがさらに新たな路線を追加する。今年の3月27日からムンバイーからレー(レーからムンバイーへのフライトはスリナガル経由)への便、そしてバンガロールからポートブレアへのフライトが就航する。いずれも毎日一往復となる。

    双方ともに観光需要に特化した便であるといえる。商用でのニーズが占める割合が高い都市間のフライトに較べて、休暇時期や季節によって需要が大きく変動するので、チケット価格の上げ下げの幅も相当広くなるはずだ。
    今後の運行スケジュールについては、座席の埋まり具合を見極めたうえで、ダイヤ改正の時期にシーズンによる増便・減便といった調整がなされていくことだろう。

    どちらにしても、これらの目的地への直行便がなかった都市からの就航となるため、新たな需要を掘り起こすことになる。それぞれの出発地である都市、その周辺地域に住んでいる人たちの場合、乗り換えなしで行くことができるという気楽さから、「行ってみようか!」という気になることは往々にしてあるだろう。

    費用面でも従前のようにムンバイーからデリーに飛び、デリーからレー行きのフライトに乗るとか、バンガロールからチャンナイ、コールカーターあるいはムンバイーまでの飛行機を利用して、さらにそこからポートブレアに向かうよりも安くなるであろうことから、こうした気分を後押しすることになりそうだ。「愉しみのための旅行」においては、「簡単で価格も安い」という要件が作用する部分は大きい。

    また、厳冬期のレーについては、デリーの濃霧によりダイヤの乱れが頻発したり、ときにはデリーの空港自体が閉鎖されてしまうこともある。とりわけレー行きの便のスケジュールは、たいてい早朝出発となっているので、テリー首都圏やその近くに住んでいる場合を除けば、デリーからよりも距離があり当然運賃も割高になるとはいえ、この時期の天候が安定しているムンバイーから出発したいと思うことだろう。

    冬季は陸路による外界への交通手段がなくなってしまうので、デリーの気象条件によりフライトがキャンセルとなってしまった場合の次善の策として、ムンバイーに出ることが可能となることはありがたい。とりあえずムンバイーに出てしまえば、インドのどの方面にも乗り換えてアクセスすることができる。

    もっともレーを中心とするラダック地方を訪れる観光客は夏季に極端に集中し、インドの他の地域とはケタ違いに寒さが厳しい冬季にわざわざ訪れる人はとても少ない。前述のとおり外界への陸路が閉ざされてしまうだけではなく、ラダック地域内でも道が閉ざされてアクセスできなくなるところが多いためでもある。そんな具合なので、ムンバイー便が就航しても冬季の観光客が増えることにはならないかもしれない。そもそもムンバイー・レー便は冬季も運行されるかどうかについては、今のところよくわからない。

    ラダック地方やアンダマン・ニコバール地域の人々にとっても、フライトで直接結ばれる都市が増えることにより、これらの土地における最大の産業である観光業のマーケットが拡大するという点からも好ましく、同時に自身が外界に出る際の選択肢が増えることにもなる。

    ただし、どちらにおいても、外からやってくる人々が増えるということが地元に与えるインパクトは大きい。土地の人々が先祖伝来の文化や美しい自然の保護に働きかけるとともに、そうした場所を訪れるよそ者である私たちも、こうした部分を尊重し、共存共栄していくことができるよう努めたいものだ。

  • スイス 最低収入保障制度導入なるか?

    本日は、インドとはまったく関係のない話題で恐縮である。

    今年、スイスで導入されようかというBasic Incomeと呼ばれる最低収入保証制度。このBasic Incomeというアイデアはかなり古くからあるようで、それ歴史についてはこちらをご参照願いたい。

    さて、仕事の有無に関係なく支給されるBasic Incomeだが、スイスにおいて給付されようとしている金額は、毎月成人には2500米ドル相当、子供には625米ドル相当のものなので、これは大きな金額だ。

    Switzerland Will Hold The World’s First Universal Basic Income Referendum (fastcoexist.com)

    右派は労働意欲の減退、左派は福祉政策の後退を懸念しているのだとか。最終的には国民投票で成否が決まる。

    財源大丈夫なのか?と不思議ではあるものの、夫婦と子供二人で、毎月6250米ドル相当が支給されるとなると、あまりに魅力的だ。

    だが、もし導入されたらさっさと仕事を辞める人が激増・・・ということにはならないようで、そういう人たちはわずか約2%という予測が出ている。

    SWITZERLAND: Only 2% of people would stop working if they had a basic income (BIEN)

    日本円で30万円の月収が保障されたとしても、日本よりもかなり物価が高く生活費(ただし教育にかかる費用は政府が手厚く支出しているので個人の負担はとても小さい)がかかること、導入されても、いつまで続くかわからないし、みんなが仕事をやめてしまうと、維持出来ないシステムなので、大半の人々はこれまで通りに仕事を続けるらしい。それでこそこのシステムが維持できるという訳でもある。

    よく、「欧米では・・・」などという下りを見かけるが、言うまでもなく、「欧」と「米」とでは、社会制度、とりわけ福祉や社会保障のありかた、労働者の権利擁護といった部分が大きく違う。両者が似ているのは「人の顔」くらいのものだろう。

    収入保証の考え方はともかく、欧州では手厚く、取得率も非常に高い勤労者への有給休暇制度も、なんと米国では法定ではなく、各事業所の判断。民業への政府による介入を極端に嫌うのは、市場の見えざる手により、適切に調整されるという思想というか幻想によるものだ。

    わずか800万人強という少ない人口の割には、旅行先で見かけるスイス人は多く、インドでもよく出会うのだが、とりわけ若いバックパッカーたちにとっては、このBasic Incomeという制度は大変魅力的かもしれない。

    これを頼りに旅を続ける?ということが可能であるかどうか(自国に居住していなくても受給出来るのかどうかは不明)はさておき、長旅を終えてから帰国後に直面することになる暮らしについて、経済的な不安を抱えることなく再スタートを切ることができる。

    人口が少ないながらも勤勉かつ着実に経済成長を続けている富裕な国であるがゆえに可能なことではあるが、貧富の格差拡大が社会問題になっている日本においては実現可能ではなくても、Basic Incomeという考え方については、私たちも学ぶべきではないかと思う。

    ※ゴーラクプル2ば後日掲載します。

  • インドとミャンマーの国境交流本格化へ

    もう2か月近く前のことになるが、こんな記事を目にした。

    Cabinet Nod for 69 Bridges in Myanmar Highway (Northeast Today)

    ミャンマー西部の国道建設にかかる援助プロジェクトで、マニプル州からの越境地点となるモレー/タムー国境から東進するルートになる。これは同州の州都インパールからマンダレー間で計画されている直通バスが通るコースでもあり、旅客のみならず二国間の物流面でも期待されている。

    このあたりは東南アジアと南アジアの境目であり、国境両側に様々な少数民族の豊かな生活文化が残されている地域でもあり、単なる通過点としてだけではなく、観光面からも期待されるものは決して少なくないことだろう。

    とりわけインドでは、近年になってから中央政府・北東各州政府ともに北東地域のツーリズム振興のために様々なキャンペーンを張っているものの、なかなかその効果は出ていないようだ。

    ひとつは、州によってはまだ治安情勢に不穏なものがあり、マニプル州もそうしたカテゴリーに含まれること、そして大きな遺跡や見栄えのする名所旧跡が数多く存在するわけではなく、どちらかといえば、地域の生活文化そのものが魅力という地味な地域であることがその主な理由であろう。

    さらには、ここを訪れてからどうするのかといえば、グワーハーティー、コールカーター等の大都市まで引き返してから、インド国内の他のところに向かう、あるいは周辺国に向かうということになる「地の果ての行き止まり」であったため、なおさらのこと、観光客が足を向けにくかったということがある。

    そんな状況もインパールからミャンマーのマンダレーへの直行バスが運行されるようになり、私たち外国人もそれを利用できるようになれば、ずいぶん違った具合になってくることと思われる。

    「ヤンゴンから入り、ミャンマー西部を訪れてから、インド北東州をあちこち見学、そしてコールカーターから帰国」といったルートがポピュラーになる日もそう遠くはないのかもしれない。

  • ルンビニーの華人宿

    ルンビニーの華人宿

    ルンビニーの華人宿「Sunflower Travellers Lodge」

    ルンビニーでの滞在先は、Sunflower Travelers Lodge。安徽省出身のご主人と台湾出身の奥さんと娘、そしてその下で働く中国人の青年が切り盛りする宿である。

    海水の至るところ華僑ありと言うが、海の無いネパールにもこうして華人がいる。開業してから5年とのこと。カトマンズにはすでにかなりの華僑が商売しているが、ルンビニーでもこうやって稼いでいる人たちがいるというのは大したものだ。

    しかしながら、これがインド側であったとすると、中国の人がこうやって仕事することができるかどうかはともかく、中国に対する感情が悪いので、時に危険でもあるだろう。中国と関係が良好なネパールならではのことと言える。

    宿の中には中国語による表示や飾りなどがいろいろあるが、門の外にも中文による看板がいくつかある。簡体字と繁体字が混じっているのはご愛敬だ。また手書きの看板なので、なんだか不格好であったりするが、ここの人が手作りしたものなのだろう。今後、他の華人たちもここに進出するのかどうかは知らないが、推移を見守りたい。

    宿泊客は私とアメリカか来た日系人の年配女性のみであった。今のネパールの問題(昨年の大地震と現在も続く憲法問題)が発生するまでは、大勢の中国人客が出入りしていたとのことだ。早く平常に戻るといいのだが。

    宿に到着して、荷物を部屋に置いてから、まずは腹ごしらえと、昼食を注文したのだが、これが大変美味であった。写真は「牛肉麺」で、肉は水牛肉だが、麺もスープも本場そのものの味わいでおいしい。さすが本場の中国人が調理しているだけに、インドやネパールの人たちが作るものとはまったく別物だ。

    大変美味しい牛肉麺

    夕飯は「宮保鶏丁」を注文した。カシューナッツではなくピーナツを使っているけれども、山椒が効いていて、これまたとても旨かった。「料理がとびきり美味しいね。」と褒めると、宿の人は「本当はもっと大きなメニューを用意していて、他にもいろいろあるのですが、インドによる封鎖が始まってからは、満足に物が入らなくなったので、やむなくこの簡略版にしているのですよ。」とのこと。

    宮保鶏丁も大変旨い。

    ここでかいがいしく働き、ネパール語も流暢、お客の世話から調理や雑用までなんでもこなす中国人の青年と話していて判ったのだが、彼は経営者家族の身内ではないが、ご主人の郷里である安徽省から働きに来ているそうだ。両親は農民で、「若いうちに海外で頑張ってみろ」と送り出してくれたとのこと。

    宿のオーナーは、経営者である安徽省出身の男性と台湾人の奥さんとはまた別人であるとのことで、台湾人でここに在住しているわけではないが、年に数回様子を見に来るのだそうだ。経営者家族の身内で赤ん坊のいる女性もいて、お客はほとんどいなくても、なかなか賑やかな様子。ロビーはそのまま彼らの団欒の場となっており、アットホームな感じもなかなかいい。

    どういう経緯があって、ここで商売を始めることになったのか気になるところだが、「ホテル運営とボランティアをしているのです。」と言う。彼らはキリスト教系の団体に所属しており、早朝からロビー経営者家族とスタッフが集まって、中国語で何か暗誦しては、「アーメーン」「アーメーン」と呟いている。

    そして中国語による讃美歌が始まるのだが、手や顔をリズミカルに動かしながら歌っている。ここにしじゅう出入りしているネパール人も1名いるのだが、中国語も出来るようで、彼らとの会話は中国語であったりするし、中国語の讃美歌も歌う。同様に宿側の人たちがネパール語で讃美歌を歌ったりもしていた。

  • RAGS TO RICHES

    グジャラート州のマンジューラー・ヴァゲーラーという60歳の女性は、今から35年前には1日の稼ぎがわずか5 ルピーのゴミ拾いで糊口をしのいでいたという。

    その彼女は現在、400名のスタッフを雇用して、年商1,000万ルピー(1,755万円を稼ぎ出すShri Saundarya Safai Utkarsh Mahila Sewa Sahkari Mandali Ltd (SSSUMSSML)という清掃会社の経営者となっている。インドのニュース雑誌でもこの関係の記事を見かけたが、彼女の息子は現在、医師として活躍しているそうだ。

    底辺の仕事に就いて、やっとのことで日々生き延びているというのが、ごく当たり前の世の中であるし、そうした厳しい境遇ではなく、もっと恵まれた環境にある私たちでも、日々のルーティーンで手一杯で、大きく飛躍することはなかなか出来ないものだ。

    こうした「デキる人」の日常というのは、やはりどこか違うのだろう。本人の才覚や努力はもちろんのこと、常に上昇していく強い意志を持ち、日々改良と工夫を重ねているのだろう。

    This Woman was Once a Ragpicker, Today She Heads a Firm (iDIVA)

    上記の記事によると、彼女がこうしたインフォーマルセクターで働く人たちを組織するアイデアを得たのはSEWA(Self Employed Women’s Association)というNGOとの出会いがきっかけであったとのこと。

    SEWA (Self Employed Women’s Association)

    様々な分野で数多くのNGOが活動するインドだが、そうした民間による自助努力を促す働きかけが盛んであることは、世界第2位の人口大国インドの強みである。

  • ネパール国境へ

    ネパール国境へ

    昨夜(というより今朝がた)寝たのは午前4時くらいであったが、もう7時半過ぎには起きてしまった。昨日は窮屈ながらも列車内で少し寝たこと、このホテルの外が騒々しいことなども理由だが、それ以上に本日の予定があるので、のんびりしていられないということが大きい。
    昨日はほぼ絶食状態であったので、宿の並びにある食堂にて、本日の朝食、トースト、オムレツ、チャーイが、ことさらおいしく感じられる。出来立ての温かい食事はいいな、と思う。

    Gorakhpur Junction駅前の食堂
    朝食

    宿に戻り、荷物を持ってチェックアウト。駅前から出発の国境行きのバスに乗る。ここからネパールとの国境、スナウリーは3時間ほど。

    隣の席の青年は、ムンバイーに働きに出て、ホテルのエレベーターボーイをしていたそうで、久々に帰郷するのだという。こういう人たちが多くこの国境を出入りしているのだろう。同様にネパールからインドへの人身売買もここを通してなされているという黒い話もよくメディアで報じられている。

    車窓左側はインドによる封鎖により留め置かれた輸送車両の長い行列

    国境までまだ10数キロはありそうなところで、道路左側に長い車列が止まっている。これらはすべてインドによる封鎖により留め置かれているものだという。昨年の夏あたりに、ネパールで制定しようとしていた新憲法の内容が、マデースィーの人たちに対して不利な内容となっていることが明らかになったことにより、彼らが暮らすタライ平原部では、地元政党による抗議活動が盛んになっていた。これが現在も続いているのだが、インドもまたこうした状況に鑑み、ネパールに対して独自に制裁を加えることとなったのは昨年9月に新憲法が制定されて以降。ずいぶん長く続いている。

    これにより、ネパールでの燃料や生活物資の不足などが伝えられているとともに、昨年4月と5月に起きた大地震からの復興に影を落としているというが、あまりに強大なインドという隣国との関係で悩まされるのは今に始まったことではなく、同じく国境を接する中国との関係を強化するのは無理もないことだろう。

    これは、南アジアへの影響力強化とインド周辺の国々の囲い込みを着々と進めている中国にとっても好都合なことであり、ネパールに対して様々な経済援助を惜しみなく与える関係となっており、大型の案件のひとつとしてルンビニーの遺跡公園の整備が進められるとともに、運輸関係でも西蔵鉄道をネパール国境まで延伸させるプランや、さらにはカトマンズまで鉄路を伸ばしてリンクさせる計画まである。

    こうした状況はインドにとって看過出来るものではない。新憲法を制定したネパール政府と、これに反対するマデースィー(北インドのビハールやUPの人たちと民族的・文化的背景が共通する人たち)の政党との間の軋轢は、インドにとって自らの影響力を行使する良い機会ということにもなる。

    ネパールへは、モーティハーリーから近いビールガンジから入ることを考えていたのだが、その地域での反政府活動がまだかなり激しいようであるため、予定を変更してこちら側の国境から入ってみることにした次第。

    話は戻る。留め置かれた無数のトラックやトレーラーの長い長い車列。荷主も受け取り手も非常に困っていることだろう。運転手たちに至っては、身動き取れず、さりとて日銭も入らないとあれば、一体どうやって過ごしているのだろうか。彼らが養う家族もいるわけなので、あまりに気の毒というしかない。

    スナウリーに到着。ごみごみした粗末な商店が軒を連ねる中にあるインドのイミグレーションへ。出国印をもらってから、ネパール側に越える。インド人とネパール人はチェックがないので、国境両側は、事実上ひとつの街である。

    だがネパール側に入ると違うのは、インドでは見かけない会社の広告があったり、デーヴァナーガリーで書かれた看板が、ヒンディーではなくネパーリーであったりすることだ。デーヴァナーガリーによる外来語の表記も異なり、例えばVに対してVではなく、BHを当てることなどがある。すると外来語について、Vの字はどう使用しているのか?ということになるが、私はネパール語のことはよく知らない。

    ネパール側でヴィザ代25ドル支払う。Guidebookでは米ドルのみと書かれているのだが、タイ人のグループを率いるインド人ガイドがパスポートをまとめてイミグレーションに持参していたのだが、その会話からインドルピーでも支払いできるらしいことが判った。もっともいつもそうなのかどうかは知らない。

    昨年の大地震とともに、現在進行中のタライ地域の政治問題等により、外国人観光客が非常に少ないため、国境両側のどちらの国のイミグレーションも待ち時間ゼロであった。

    ネパールでは、物資不足により、インドルピーの需要が高まっているという。地元通貨では購入できない燃料等がインドルピーならば買えるという話をネパール側で耳にした。インドルピーのことをネパールでは俗にIC(Indian Currencyの略)と呼ぶようだ。前述のとおり、国境を挟んだ両側は事実上ひとつの町であり、両国の人々は出入国手続き無しで自由に往来できるため、利ザヤの大きい燃料類をインド側で購入して、ネパール側で売りさばくという商売が盛況とのこと。こうした商売に従事する人たちにとっては稼ぎ時ということになるのだろう。

    取り急ぎドルからネパールルピーに両替、そしてネパールのNcellのSIMを購入。インドの場合と異なり、購入してスマホに挿入すると、即座に通話もネットも利用できるのがいい。インドの場合は、それほど迅速ではないのは、セキュリティの関係でそういう措置になっているのではないかと思う。