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カテゴリー: economy

  • パトナーにて

    パトナーにて

    パトナーの駅前エリア界隈では、無料のWifiが飛んでいることに気が付いた。スマホにFree Wi-Fi Zone of Patnaと出る。タダであるだけに、セキュリティ上の配慮があるのかどうかは知らないが、接続時のパスワード設定がないので、誰でも繋ぐことができる。比較的最近、ハイデラーバードで比較的最近、こうしたサービスが提供されることがニュースになっていたが、まさかバトナ―でもこういうものがあるとは知らなかった。

    この地域のレストランにて昼食。中華料理としてではなく、「インド式中華料理」のチョプスィーは店によってずいぶん違うものが出てくるが、私の好物である。

    チョプスィー

    歴史は長いものの、これといって見るべきものがないパトナーの目玉のひとつ、ゴールガルに行ってみる。英領時代に飢饉対策のために造られた穀物貯蔵庫。ゴールガルは巨大な饅頭を置いたような形で、周囲に付いている階段で登ることができる。天井からはバトナ―市内の眺めがとても良い。ここは、ガーンディー・マイダーンのすぐ西にある。オートはそのマイダーン沿いに走るので、「ああ、ここが州首相が就任の宣誓をすることで知られるあの場所か」と、少々感慨深いものがある。

    ゴールガル
    ゴールガル頂上からの眺め。パトナーには高層建築がまだ多くないことからも、やや昔のインドの街という思いがする。
    ゴールガル頂上から

    そこからパトナー駅前までオートで戻る。バトナ―は、大きな街の割には道があまり広くないところが多く、一方通行であったりするので、ずいぶん迂回していくことになる。駅前に着いたと運転手に告げられても、そうとは判らないのは、あまりに建て込み過ぎて視界が非常に悪いため。巨大な駅舎が、正面の大通りからさえも見えないのである。陸橋を建築中で、さらに交通の流れが悪くなっているし、ずいぶん見通しが悪く、渋滞もひどい。

    バトナー駅前。陸橋を作る大きな工事が進行中とはいえ、この見通しの悪さはひどい。

    いつものことだが、ビハールは、かなり昔のインドという感じがする。田舎がとりわけ貧しいのはもちろんのこと、州都パトナーも人口200万人超の街としては、華やかさに欠けて、地味な印象を受ける。

    駅前に戻って徘徊しているうちに日が暮れた。屋台のミターイー(甘いもの)屋さんがあった。露店にしては、見た目があまりに美しいので試してみると、大変美味であった。少なくともグラーブ・ジャムーンとラースグッラーについては、凄腕の職人さんであることが判った。

    グラーブジャムーン
    ラースグッラー

    界隈で夕食を済ませ、宿への帰り道にあったソニーのスマホ販売店を覗いてみた。5.5インチや6.0インチといった大画面の機種が目玉となっている。それらの多くはデュアルSIM仕様なので、日本国内で販売されているモデルとは異なるのだろう。日本でも複数台持ちしている人たちがけっこういるので、本来ならばデュアルSIMの需要は少なくないことと思うが、やはりまだまだ回線契約とハンドセットが抱き合わせ販売が主流の日本のマーケットならではのことと思われる。

    外国ブランドのスマホ等々の販売店が見られる一角

    ビハールにおいても、スマホの普及は相当なもので、ローカルバスの車内でも、大画面の機種を手にしている人たちがけっこういる。昔と違って、今のインドの田舎の人々の購買力も相当なものである。バス車内等で、じーっとスマホに視線を落として、指をチャカチャカ動かしている人たちの姿は、もはやどこに国にあっても共通の眺めとなっている。

    宿に戻る前に、オートの販売店を覗いてみた。近ごろのオートリクシャーらしく、細部がモダナイズされていて、ちょっといい感じであった。

    夜になってもパトナー駅前の渋滞はひどい。
    ちょっと良さげなレストランで夕食後、シメでお茶を一杯。
  • Ansal Plaza

    Ansal Plaza

    久しぶりにアンサル・プラザに出かけてみることにした。
    開業したのは1999年。デリーで最初のショッピングモールであるとされる。当時、かなり素敵な店が多数入っていて、音楽関係にしても、衣類やアクセサリー類等にしても、実にセンスの良い品物が揃っていた。

    それまでは街中のマーケットの中に、ポツポツと洒落た店が点在していても、こうした大きな空間の中すべてがこうした気の利いた店であるということについては、どこか異国的なものさえも感じたものだ。

    その後、こうしたモールがデリー各地に林立するとともに、これらがひとつの地域に複数並ぶようになったり、少し郊外に出ると破格の規模の広大なモールが見られるようになったりした。同時に、北インドの中規模の都市においても、こうした施設を見かけることは珍しくなくなるなど、時代は変わったものである。

    変わったのは時代だけではなく、このアンサル・プラザも然りである。2002年11月に、ディーワーリー直前の買い物客で混雑していたこの場所がテロの標的となるほどのものであったのだが、市内各地に新しいモールが次々に出来てくる中、次第にじり貧になってくる様子が感じられていた。入居している店舗のレベルが下がってくると、客足はもとより客層にも変化が生じてくる。

    だいぶ時間が空いて、このたび訪れてみたのだが、今回の様子はまず外観からして異様だった。ずいぶん煤けて汚くなっており、こうした施設が与えてくれるワクワク度が感じられない。

    敷地入口から入って左右対象のふたつのウイングの建物から構成されているのだが、向かって左側では、空いてしまったままのテナントも目立つことにショックを受けたが、右側では、空きになっているところのほうが大半であることに唖然とした。店舗が入居しているスペースにおいても、旅行業らしき看板は掲げているものの、中で数名がウダウダしていて、何の事務所かわからないようなところはあるし、ガラの悪い連中が出入りする酒屋などが入っていて、もう惨憺たる状態。

    トレンドで売っていた施設は、その流れについていけなくなると、その役目を終える。もうこんなところに出店したいという業者はないだろう。そう遠からず廃墟となりそうだ。残念ながら、デリー最初のモールは息絶えつつある。

  • ビカネール9 現代に生きる職能コミュニティー

    ビカネール9 現代に生きる職能コミュニティー

    前回、ハヴェーリーを飾る彫刻を造り上げるスタールという職能コミュニティーについて触れたが、今でもそうした仕事をしている人たちが少なからず存在している。そのスタール出身で、しばらくは家業ではなくエンジニアの道に進んだラジェーシュ・クマールさんだが、ここ数年は伝統技術を伝える職人(彼はその人たちを「アーティスト集団」と呼ぶ)を率いるリーダーとしてのプライドを胸に、自らの先祖伝来の技とコミュニティーの人々の活力を生かした事業に専念中。元々は石工集団だが、木材を用いて、先祖が代々伝えてきたスキルを展開。スタールの職人たちを集めた工房では窓飾りなどを作成中。私が訪問したときには、5、6人くらいが作業中であった。隣の敷地では、ショールームを建設しているところだ。

    職人さんたちが働く工房

    出来映えを確認するラジェーシュさん

    工房はヴィシュワカルマ・コロニーという郊外のエリアにあり、ここにスタールの人たちが固まって住んでいる。昔からの居住区ではなく、郊外に出来たごく新しい新興住宅地なのだが、それでもコミュニティー特有の場所というものが形成されるのは興味深い。同族の長たる人物がリードしてこういう地域を形成するのだろうか?

    この地域の名前となっているヴィシュワカルマだが、ブラフマー神の息子であるヴィシュワカルマのことであり、スタールの人たちにとって、これが氏神となっているとのことだ。ビカネールにはこの神を祀るヴィシュワカルマ寺院もある。

    ラジェーシュさんは言う。
    「昔、私たちは、富裕な商人コミュニティーに頼って生きてきました。彼らの屋敷の壁を飾る彫刻について、今の時代でも高い評判を得ていますが、評価されるべきはこれらを注文した彼らではなく、この技を代々受け継いで育んできた職人たちです。今後も技術を継承していくには、自分たちで仕事を創り出していかなければならないのです。私はこの技術を生かした事業を計画しています。」

    ラジェーシュさんは、元々は電気関係のエンジニアで、職人としての修練を積んできたわけではないという。アフガニスタンで、インドが同国で関わる復興事業に関係して、カーブルで仕事をしていたことがあるという。国会議事堂の電装関係の仕事を任せられ、「アフガニスタンという国の歴史を刻む建物の建築に関わる仕事が出来て良かった」とのことだ。

    2008年にカーブルのインド大使館で発生した自爆テロ(58名死亡、141名負傷)が発生した際には、現場から300m離れた宿舎にいたとのことで、「家族に電話して無事を知らせたものの、とても心配されてしまって・・・」という具合で大変困ったとのこと。

    スタールのコミュニティーに生まれながらも、自身は職人ではないラジェーシュさんはこう言う。
    「私は彼らとは異なる道を歩んできました。しかしながら、これまでいろんな人たちを指揮して仕事をしてきた私、自らを売り込んで仕事を獲得してきた私だからこそできる役割があるのです。」

    電気技師としてのキャリアを捨てて、父祖伝来の道に入ったラジェーシュさんの事業の本格的な立ち上げはまだこれからなのだが、今後の彼の活躍と成功を期待したい。

    〈続く〉

  • ビカネール8 精緻な細工のハヴェーリー(屋敷)群

    ビカネール8 精緻な細工のハヴェーリー(屋敷)群

    ふたたびオートで市内に出る。旧市街に入ると藩王国時代の城壁が連なる様子は壮観。今の時代、交通の妨げになるので撤去したほうが何かと具合はいいのかもしれないが、貴重な歴史遺産なので、そうはいかないのだろう。

    旧市街の奥にあるラームプーリヤーの人々のハヴェーリー(屋敷)があるところで降ろしてもらう。このハヴェーリー群はどれも規模が大きく、外壁の砂岩にあしらわれた彫刻が素晴らしい。赤砂岩に施された彫刻だ。ビカネールには、隣接するシェーカーワティー地方のタイプのハヴェーリーはなく、このような様式となる。距離はそんなに大きく離れていないのに、地域ごとに異なる特徴があるのはインドらしく、ラージャスターンらしいところでもある。ここの屋敷は建て込んだ街区にあるのだが、それでも巨大さと壮麗さには目を見張る。ここからしばらく旧市街を歩き回ってみると、いろいろなコミュニティーの大小様々なハヴェーリーが良い状態で残っているのを目にすることができる。

    話は逸れるのだが、インドの地名についての表記については、こうして書いていてちょっと迷うことがある。「シェーカーワティー」と綴るいっぽう、「ビーカーネール」ではなく「ビカネール」と綴ってしまって良いのかと。

    「シェーカーワティー」については、元々のデーヴァナーガリーの綴りでそうなっており、そのように発音するのだが、「ビーカーネール」とすべて長母音で綴ると日本語ではあまりに冗長になってしまうように感じられて、「ビカネール」とした。同様に、以前はindo.toの記事で、「バーングラーデーシュ」としていたものを、最近はこれと同じ理由から「バングラデシュ」と表記するようにしているのだが、全体として統一性がなくなってしまうのが難だが、個人的なブログであるということで、ご容赦願いたい。

    地名や人名の長母音部分を便宜上、短母音で代用してしまうというのもひとつの手かもしれないが、ずいぶん舌足らずな感じになってしまうという短所がある。しかしながら、すでに日本語のメディアやガイドブックなどで定着した表記になってしまっているが、短母音であるものをわざわざ長母音化してしまうのは明らかにおかしい。
    「ジャイプル」「ウダイプル」とすべきところを「ジャイプール」「ウダイプール」などとしてしまっているのがその例だ。
    ・・・とはいうものの、日本語では反転音や帯気音を表記できないので、母音の長短だけに拘泥する必要はないのかもしれないが。

    話は戻る。ビカネール旧市街では、藩王国時代にイギリス当局の買弁として栄えたラームプーリヤー、コーターリー、ダーガー、カジャンチー、ドゥッガルといった商業コミュニティーのハヴェーリーが沢山残っている。こうした建物を飾り立てる装飾を制作してきたのは、スタールと呼ばれる職能コミュニティーの人たちなのだが、イギリスという大きな後ろ盾をインド独立によって失ってしまった商業コミュニティーが、活動の拠点をムンバイーやコールカーターのような商都に移していく中で、多くは父祖伝来の仕事を失うことになっていった。

    独立後のインドでは、独立運動時の反英活動は、たとえ暴力に訴えたテロ活動でさえも積極的に肯定され、むしろ神聖化されているとも言えるが、当時彼らを取り締まる公安関係者の大半はインド人であるとともに、こうした商業コミュニティーによる買弁的な経済活動、さらにはそこを通じて日々の糧を得ていた層も少なくなかった。いつの時代も当然ながら、政治に無関心な層もある。

    反英闘争は必ずしも全国民を挙げての活動とは言えない部分もあったこと、親英的なそうもまた存在していたことについて語る人は多くない。どこにあっても世の中は勝てば官軍、勝者の都合によって歴史は描かれることになる。

    また独立要求運動の中途で浮上してきたイスラーム国家建設運動により、同じインド人として志を同じくしてきた現在のパキスタンとインドで、こうした運動の立役者たちがそれぞれの歴史の定説の中から恣意的に消されてしまったり、新たに加えられていったりということもある。歴史は様々な方向から検証することなしには、事実や本質を見誤ることになりかねない。

    〈続く〉

  • 2016年元旦からデリーで交通規制

    深刻な大気汚染と交通渋滞への対策からデリー準州では、来年元旦からナンバープレートの偶数・奇数による交通規制を始めるとの発表があったのは先週末。
    政府内からは、規制対象となる車両について不協和音が聞こえてきている(警察による充分な対応が可能なのか、二輪車は含むのか等々)が、各種メディアが聴取した市民の反応は、当然のことながら日常的にマイカーを利用している層からは不満が噴出しているようだ。今後、この規制を巡って喧々諤々の議論がなされることだろう。
    確かに何とか手を打たなくてはならないのだが、なかなか一筋縄ではいかない問題であるように思われる。様々な例外規定を設けることになり、結局は骨抜きになって試行・・・ということになるのかもしれない。
    今後の動向に注目したい。

    Delhi govt’s odd-even formula for traffic: Mondays, Wednesdays and Fridays for odd numbers only (delhideilynews.com)

    ※ビカネール7は後日掲載します

  • ビカネール3  National Research Centre on Camels

    ビカネール3 National Research Centre on Camels

    食事を終えてから、オートでNational Research Center on Camelに向かう。市街地からかなり離れたところにある。午後2時から午後6時までという短い公開時間。うっかり午前中に出向いたらアウトである。着いたときにはまだ10分ほど早かったので少し待たされた。

    広い敷地内は、大きく分けてみっつのエリア、事務棟、研究施設、飼育施設で構成されており、私たち外部の人間が見学することができるのは、事務棟の脇にある小さな博物館を除けば、当然のことながら飼育施設のみである。

    小さな博物館、餌場、えさの時間以外に入れておく柵などがある。また餌置き場、そして餌のペレットの工場などもあるようだが、後者については公開されていない。博物館内の表示から、ラクダには4種類あることがわかるが、実物を眺めてもどれがどれなのかさっぱりわからない。

    せっかく来たのだが、正直なところあまり面白くなかった。内容はさておき、農業省の関連施設なのに、外国人料金があるのも癪である。

    入口
    券バイカウンターの横でラクダミルク製品を販売
    事務棟
    研修施設
    飼育施設

    ラクダの診療所
    ラクダの寄生虫に関する説明
    この地域のラクダはどれも同じに見えるが、実はいろいろ種類があるらしい。

  • 週刊エコノミストのインド特集

    週刊エコノミストのインド特集

    現在発売中の週刊エコノミスト(10月27日号)は、「インドびっくり経済」と題して、インドに関する特集を掲載している。
    日本の経済誌で、時折こうした記事が組まれる。「インド入門」のようなありきたりな記事もあるものの、日本大手企業のインドにおける活動、日本のビジネスマンたちがインドの市場をどのように捉えているかという、日本を軸にした経済やビジネスという側面から眺めたインドについて読むことは、なかなか興味深いものがある。
    リンク先はその概要だが、エコノミストの各号は紙媒体以外に、電子版も購入可能である。

    特集:インドびっくり経済 2015年10月27日号 (エコノミスト)

    ※「シェーカーワティー地方へ2」は後日掲載します。

  • 上海経由デリー行き3

    上海経由デリー行き3

    さて、いくら時間が空いているとはいえ、浦東空港でのチェックインに遅れてしまっては元も子もない。多少の時間の節約ということもあるが、せっかくこのあたりまで来たら、ぜひとも2003年12月に開業したリニアモーターカー(上海磁浮列車)にも乗ってみたいものだ、と欲張ってしまう。

    地下鉄2号線車内

    地下鉄2号線の龍陽路で下車、リニアに乗り換えてわずか一駅・・・というよりも、もともとこの一区間しかない。乗車券は50元と高価だが、当日出発する航空券を提示すると40元になる。

    地下鉄2号線の龍陽路駅改札を出たところ
    リニアモーターカーの駅への階段
    シンプルな印象のプラットフォーム

    ワクワクしながらプラットフォームに進んだが、意外なほどに乗客は少ない。地下鉄に較べてあまりに料金が高いこと、龍陽路からしか発着していないこともあり、利用客のほとんどは外国人、あるいは懐具合に余裕があるおのぼりさんといった具合。

    リニアモーターカーが入ってきた!
    あまり利用客は多くない感じ
    まばらな乗客の中で目立つのはやはり西洋人

    ドイツの技術を導入して導入され、当初は杭州その他への延伸の構想もあったようだが、現在はそうした話はトンと聞かない。いかに優れた技術であっても、収支が見合うものでなければ、拡張されることはあり得ないのはいずこも同じ。

    車内はガラガラ

    ガラガラの車内に乗り込むと間もなく発車した。さすがはリニア!と感心させてくれるのは、その加速力だ。車両内の電光掲示板に速度表示がなされるのだが、航空機に近い爆発的な勢いでスピードを上げていく。時速300kmを越えて、400km超になると、周囲の景色が流れる速度が速すぎて、気持ちが悪くなりそうだ。ちょうど録画番組を32倍速で早送りしているような・・・。

    最高速度もさることながら猛烈な加速感に圧倒される。
    最高時速431km到達!

    現在開発中で、2027年に営業運転開始を目指す日本のリニアモーターカーは最高時速550kmとなる予定。ハード的には万全でも、乗車しているのは生身の人間であることから、やはりこの「車窓酔い」が問題となることと、私は予想する。

    ちなみに、運行時の最高時速については、時間帯によって異なるそうだ。最高時速431kmを出すのは、午前は9時から午前10時45分、午後は3時から3時45分の間のみ。その他の時間帯の最高時速は301kmである。あまり実用的な路線ではなく、国威発揚のためのデモンストレーション的な路線ではあるものの、利用する外国人に「世界に先駆ける中国の偉大さ」を印象付けるべく、すべての時間帯で最高時速431kmをノルマとしてもらいたいものだ。

    浦東空港駅到着
    わずか7,8分という短い乗車時間がちょっと残念かもしれない。
    浦東空港

    乗車した龍陽路駅近くには、リニアモーターカーこと上海浮磁列車博物館がある。もう少し時間があれば訪れてみたいところだったが、またいつか機会があるだろう。それにしてもたかが飛行機の乗り換えで、ちょっとした市内観光も楽しめるとあれば、上海経由でデリーに向かうのも悪くないと思った。

    〈完〉

  • 箱根がピンチ

    箱根がピンチ

    インドとまったく関係のない話で恐縮である。
    8月最後の週末に泊りがけで箱根を訪れてみた。

    箱根観光マップ(箱根離宮)

    箱根山の火山活動が活発化し、「大涌谷周辺の想定火口域から700メートル程度の範囲まで影響を及ぼす噴火が発生する可能性」のため、警戒レベル3となり、入山規制が敷かれていることは常々報道されているところだ。

    この影響により例年になく行楽シーズンの箱根が空いているという話をよく耳にはしていた。直前になってコンタクトしたにもかかわらず、箱根登山鉄道の終点の強羅駅目の前にあり、エコノミーな料金ながらも豪華なバイキング形式の夕食と朝食で人気の宿泊施設が予約できたので訪れてみることにした。

    小田急線で小田原を経由して箱根湯本に到着した時点ではわからなかったが、箱根登山鉄道のプラットフォームで到着電車を待つ時点で、おかしなことに気が付いた。

    「電車を待つ人がいない・・・」

    8月最後の土曜日の午前9時ごろである。普段は週末であれば(箱根は首都圏各地からのアクセスの良さ、温泉場でもあることから、年中「シーズン」であったりする)、それなりの混雑があるものだが、到着した車両のドアが開いて着席すると、車両内にはひと組の家族連れ以外には誰もいなかった。本来ならば、ラッシュアワーの通勤電車なみに混雑していいはずの休日の朝なのだが。
    ほとんど空気を運んでいるような具合の電車は、途中幾度かスイッチバックをしながら高度を上げていく。聞こえてくるのはエンジンのモーター音と車輪の軋む音だけだ。静まり返った途中駅で降りる乗客はなく、乗り込んでくる人もない。

    閑散とした途中駅

    執着駅の強羅もこんな具合

    強羅駅前 休日の午前中とは思えない寂しさ

    出発駅の箱根湯本から40分ほどで終着駅の強羅に到着。ここから早雲台へ行くケーブルカーが接続しているのだが、早雲台から大涌谷を経由して桃源台までを結ぶロープウェイへの乗り継ぎのためにあるがゆえに、そのロープウェイが運休している今、利用する意味はほとんどなくなってしまった。
    出発直前のケーブルカー車内はガラガラであった。

    そのため、強羅駅前から桃源台までの代替バスが運行されているのだが、登山鉄道でやってくる観光客よりも、この案内のために配置されているスタッフのほうが多いように見える。

    桃源台、箱根町、元箱根を繋ぐ遊覧船に乗り込んでみる。もともと少ない乗客の半数ほどが外国人であった。その大半は中国語話者、そして若干の西洋人。話し声が大きいのはやはり中国語での会話であること、周囲の山の景色などから、四川省の九寨溝にでも向かっているような気さえしてくる。

    「海賊船」という遊覧船からの眺め

    箱根町船着場の目の前にある食堂に入ったが、他のところがそうであるように、お客のいない店内で、ただ時間ばかりが過ぎていく。みやげ物屋も同様で、品物が山積みされた傍らでそれを手に取って眺めたり、購入したりするお客が不在。

    宿泊したのは家族連れに人気の宿で、夕食時にはテーブル席の半分くらいが埋まっていたが、それでもこの時期としては大変少ないのだという。流行っているところでさえもこんな具合なので、その他の宿泊施設は目も当てられない状況だろう。

    温泉場が発展してリゾート地化した箱根には、固有の歴史や文化と呼べるものはないため、見るべきものといえば山あいの景色くらいだ。その中でも目玉であった大涌谷が立入禁止となっているため、「とにかくのんびりして温泉を楽しむ」のが正解となる。

    のんびりするといっても、それがなかなか出来ない人たちのために「××美術館」「××博物館」「××ギャラリー」といった、土地に縁もゆかりもないものを、取ってつけたような施設がたくさんある。特に興味も関心も抱くことはできないが、やはりこうしたところに立ち寄ることになる。訪れてみると、それなりに楽しむことはできるのだが、やはりこれらでも訪問者よりもスタッフのほうが多いような印象を受けた。

    宮ノ下駅近くの富士屋ホテルはジョン・レノンが家族で滞在したことで有名。こちらはそのホテル近くの写真館に飾られていた写真

    一番のピークの時期のひとつでこんな有様ならば、週半ばの平日などはどのようになっているのかと心配になる。箱根山の火山活動の状況は、警戒レベル3となっており、噴火による災害が発生する可能性があることを呼びかけているわけだが、統治の経済(ほぼすべてが観光ないしは観光関連に依存しているといって間違いないだろう)にとっては、すでにこの閑散とした状況そのものが甚大な災害であるともいえる。

    今年4月と5月にネパールで発生した大地震の影響により、インドのラダックでも観光客の数が大きく減っていることはすでにindo.toにて伝えたとおりだ。もともと不要不急の観光という目的への出費については、その時々の景気の波に左右されやすく、政治や治安状況によっても大きな変動に見舞われることが多々ある。これらが安定している国においても、気象の変化や災害の発生といった予見できない要因に翻弄されるリスクが常につきまとう。いずれも地元の努力では解決のしようもないのは辛いところだ。
    観光業というものは、まさに水物であることを改めて感じずにはいられない。

  • OLD & NEW

    スマホでタクシーを呼んだり、アプリでオートリクシャーをつかまえるといったサービスは、インドの都会では当たり前のことになって久しいが、ついにサイクルリクシャーも同様に利用できるようになった。チャーンディーガルでの話である。

    ECOCABS Chandigarh

    ECOCABSの創始者であるナウディープ・クマール・アスィージャー氏は、IITデリー校出身の38歳。サイクルリクシャーという古い乗り物とスマホによる新しいサービスの融合が面白い。

    「環境に優しい」というお題目とともに、街中のチョイ乗り、お年寄りの外出などにも役立つことだろう。利用者の身近に良心的なサイクルリクシャーワーラーが入れば、その人物を推薦することができるし、近所のリクシャー引きをアプリで探して呼び寄せることもできるとのこと。

    How it works (ECOCAB Chandigarh)

    リクシャーの利用において、何かトラブルがあればコールセンターも用意されており、運転手の身元が判るだけに、女性や子供の利用にも安心かもしれない。

    地域に根差した、利用客とサイクルリクシャー運転手の双方に対してフェアなサービスとして、今後の進展に期待したいところだ。

  • イスラームはインドに学ぶべき

    ハイデラーバードでは広くウルドゥー語が使用されていることはよく知られているが、私はてっきりテルグ語社会の中で、インドのムスリムにとっての教養のひとつとしてウルドゥー語が広く理解されていることと思っていたが、実はネイティヴでウルドゥー語を話す人が非常に多いことは知らなかった。

    ハイデラーバードのムスリム人口は4割前後と言われ、大都市としては突出したイスラーム教徒人口の割合の高さを示している。とりわけ旧市街を中心に代々ここで暮らしてきたムスリムたちが多いようだが、そうした人たちの中で見るからに北方系といった顔立ちや肌の色の人たちが大勢いることも特徴的だ。デカンのこの地に北インドを移植したかのような観さえあるとしても言い過ぎではないだろう。

    ハイデラーバード市街地から出ると、「デカンにやってきたな」と感じるし、市内でも南インド風のゴプラム様式のヒンドゥー寺院からある一角から、ムスリム地区に入ると一気に北インドにワープしたかのような気分にさえなる。

    ところで、最近の日本ではイスラーム関係のビジネスが盛り上がりを見せつつあり、ムスリム社会への関心も少しずつ高まりつつある。それは良いことだと思う半面、ムスリム自身によるタテマエの発言をそのまま伝える安易なものに終始していることが気にかかる。

    イスラーム理解には、私たち非ムスリムからするとネガティヴに捉えてしまう部分も併せて知ることが不可欠である。世代を越えて皮膚感覚で蓄積してきたイスラームへの理解は深い。付け焼き刃の「イスラームとは」の類よりもはるかに実際的で、タメになるはずだ。

    一時滞在のお客さんならば、帰国するまで我慢して、後はニコニコして送り出してしまえば済むのだが、自国で共存していくにはそれなりの覚悟と妥協が必要となる。。

    Namaste Bollywood+ 43のレヴューを取り上げた際にも書いたが、イスラームが栄えてきた歴史の長さと、イスラーム教以外の様々な宗教との共存という点からも、イスラーム教やそれを信仰するムスリムの人たちを理解するために、インドという国は私たちにとって非常に優れた教師となることと信じている。

  • トリプラ州都アガルタラの空港「国際化」へ

    東南アジアとの接続ということで、やがてバンコク便就航となるのだろう。アガルタラ空港の「国際化」のプロジェクトが完了する時期は示されておらず、北東インド・東南アジア間の行き来への需要がどれほどあるのかまだ判らないが、これまで世界の果てといった行き詰まり感のあった北東地域が東南アジアへの玄関口になることから、新たな時代の幕開けが期待される。また、これまで漠然と「北東地域」「North East」と一括りに呼ばれていながらも、その実この地域間での協調や連携には欠けていた部分についても、今後修正が求められることになるだろう。

    すでにマニプル州のインパール空港は「国際空港」のステータスにアップグレードされており、今後の進展が注目される。マニプル州においては、ミャンマーとの国境のモレー(Moreh)を経由する陸路の輸送ルートによる人やモノの行き来の今後ますますの活発化が予想されるとともに、このモレー経由でインドからミャンマーへの鉄道接続の計画もある。
    1990年代以降、減速した時期もいくつかあったが、基本的に順調な経済成長を続けてきたことによる変化の波が、ようやく北東地域にも及ぼうとしているかのようだ。

    近年は、隣国ミャンマーの民主化による欧米先進国を中心とした経済制裁が解除されたことも有利に作用している。これはインドの北東地域だけではなく、ミャンマー西部にとっても同様で、これらふたつの地域は互恵関係にあるといってもよい。

    ただし不安材料も決して小さくない。現在においてとりわけ不安定なナガランド州においては、先行きを見通すことは困難だろう。

    Will Nagaland Ever Have Peace? (Diplomat)