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カテゴリー: economy

  • ミャンマーからインドへの陸路越えが可能に

    ある方のFacebook書き込みで知ったのだが、なんとミャンマーからインドへの陸路による国境越えが可能になっているようだ。ミャンマー側でのパーミット取得が必要なようである。

    その陸路による出国・入国地点は、ミャンマーのサガイン管区のMorehからインドのマニプル州のTamuである。この情報は、こちらをご参照願いたい。

    Myanmar / India Land Border Crossing at Tamu/Moreh Open (Lonely Planet THORN TREE FORUM)

    Crossing the Indo-Burmese Border on Motorcycle (THE IRRAWADI)

    どちらの地域も現在では自由に旅行できるようになっている。しかしながらどちらの地域にも長く抗争を続けてきた反政府武装勢力が存在し、現在は停戦状態にあること、ときおり治安に関する問題が生じていることは頭に入れておきたい。

    Trade resumes at India-Burma border (DVB)

    もしかすると、数年後にはポピュラーな国境越え地点となっている可能性もある。数年前にパーミット無しでの入域が可能となったものの、さほど注目を浴びることなく、期待されていたほど観光の振興に繋がっていないインド北東部が、ちょっとしたブームとなる可能性もあるかもしれない。

    しかしながら、外国人の出入境も可能となっていることから、物流ルートとしてもそれなりの機能を果たすようになっているものと思われることから、両国側ともこの出入国地点のエリアがもはや辺境ではなく、ダイナミックな通商のルートとなりつつあることが、容易に想像できるだろう。

  • すごいインド

    すごいインド

    著者のサンジーヴ・スィンハさんとはずいぶん前に何度かお会いしたことがあるが、非常に快活、そして才気煥発という印象を受けた。そのサンジーヴさんが今年の9月に出したのがこの本である。これまで経済界の人たちによる数多くのインド論が書籍や経済誌等で世に出てきたが、この人の書いたものはやはり他とずいぶん違う。

    インドからグローバルに活躍する人材が輩出する理由、理系人材が豊富なワケ、インドがIT大国となった背景にある初等教育の拡充等々について、彼自身の視点と体験から綴っていく。しかしながら一方的なインド賛辞となっているわけではなく、そうした部分での自国のネガティヴな側面、日本が大きくリードしている部分などについても大いに言及しており、何もわざわざ日本に来なくても、欧米などでも活躍できたであろう彼自身が、なぜ日本に惹かれて、日本を本拠地として活動している理由へと繋がっていく。

    日本在住のインド人であり、インドでの財閥系メーカー勤務、日本ではIT、外資や日本の証券業界複数社で働き、その傍らでIIT同窓会日本支部の立ち上げ、その同窓会主催による「日印パートナーシップ」を謳う国際会議の開催、はてまたAAP (Aam Aadmi Party)を率いるアルヴィンド・ケージリーワル氏がIRS (Indian Revenue Service ※税務関係の中央政府公務員の上級職)を辞して政治活動に進出するきっかけを作った腐敗糾弾の署名活動の発起人であるなど、精力的に日々を過ごしてきただけではなく、そうした多忙な日々の中で日本での社会生活に埋没してしまうことなく、インドとの繋がり、しかも個人の交友レベルではなく、財界や政界との縁をも切り拓いてしまう才覚と行動力があるのが頼もしい。

    すでに会社員生活を辞めて、2008年にサンアンドサンズグループというコンサルタント会社を起業して、日印経済の架け橋として活躍中。もちろん彼自身も「インド発のバリバリやり手の人材」であるわけで、これからインドに進出を考えている企業の方などは、この本を読んで「ぜひこの人物に相談してみたい」と思うことだろう。日本在住歴の長いサンジーヴさんらしく、非常に謙虚な表現で書いてあるにもかかわらず、読者に対し自身を強く印象付ける経歴書でもあるところがまたすごい。

    日本を活動の本拠地として、業務で日印間を足繁く通うサンジーヴさんは、日本で活躍するインドの人であるとともに、インドに日本を伝える「日本のグローバル人材」だ。今後のさらなる活躍がいろいろと伝えられることだろう。

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    書名:すごいインド: なぜグローバル人材が輩出するのか(新潮新書)

    出版社:新潮社

    著者:サンジーヴ・シンハ

    ISBN-10: 4106105853

    ISBN-13: 978-4106105852

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  • Tune Hotels

    Tune Hotels

    Tune Hotelsというホテルグループがある。エアアジア系列で、航空会社のほうと同じく「ノンフリル」を標榜している。本拠地はマレーシアだが、現在同国を含めて8か国45か所で操業している。

    Tune Hotels (日本語サイト)

    市街地の便利な立地で高級ホテル並みの客室を安価に提供というのがコンセプトのようだが、削減できるサービスは大きくカットして宿泊客を受け入れるというビジネスモデルのようだが、同ホテルグループのウェブサイトのオプションのページをご参照願いたい。

    エアコン、テレビ、タオル、洗面具、インターネット接続、ドライヤー、清掃や客室金庫も有料となる。暑い国や暑い時期のエアコンはともかく、これらの多くはなくてもさほど支障はないかと思うが、かなり目新しいやりかたである。

    ただし、LCCの航空会社の場合は、既存の航空会社に対して強い価格競争力を持つだけではなく、鉄道やバスではなく飛行機を選択するというケースは多くあっても、宿泊施設の場合は、他のホテルからお客を収奪することはあっても、さほどの存在感を示すことができるかどうかはよくわからない。

    それでも、こうした新興勢力が伸長してくると、既存の宿泊施設の中でも価格面で渡り合えるようにするために、同じようなノーフリルの路線を採るところも出てくることだろう。今に「シャワーは有料」というホテルを見かける日が来るかもしれない。Tune Hotelsではもちろん無料だが。

    日本ではまだ沖縄県の那覇市に1軒あるのみだが、今後は他の地域にも進出してくることを当然画策しているであろうし、もちろん東京や大阪といったコアとなる都市へすでに進出を決めているのかもしれない。

    Tune Hotels Ahmedabad

    インドにもグジャラート州のアーメダーバードにあり、適当な日付を入れて検索してみると、以下のような料金が表示される。

    Standard Single  Single Room (1 Single Size Bed) INR 1,500

    Executive Single  Double Room (1 Double Bed) INR 2,200

    Executive Double  Executive Double (1 double bed + 1 single bed) INR 2,900

    Family Room  Family Room (2 Queen Beds) INR 3,800

    おそらく同じような価格帯のホテルに比較すると高いヴァリュー感のある客室が用意されているのではないかと思う。このチェーンのホテルはまだ利用したことがないのだが、機会があれば宿泊してみて、感想を述べてみたいと思う。

  • ラダック たかがSIM、されどSIM

    夏の旅行シーズン中のラダック地方の中心地、レーの町の旅行代理店の店先にはこのような貼り紙がある。

    「××月××日から7日間のマルカ渓谷のトレッキング参加者募集」

    「××月××日から2泊3日でヌブラ渓谷へのジープ旅行参加者募る」

    「××月××日出発、4日間でストック・カングリー峰登頂、参加希望者はぜひ!」

    旅行者本人が当該の旅行代理店に費用の相談をした際に提示された料金(同業者組合の関係で、複数の代理店で尋ねても同じような料金を提示されることが多い)を見て、「誰かシェアする人がいれば・・・」という希望を受けて、このような貼り紙がなされるようである。そのため、協力関係にある代理店では同様のリクエストのある顧客を融通しあうケースは多々あるようで、ポピュラーな目的地等についてはいくつかの代理店を回るとちょうど都合の良い個人なりグループなりとマッチングする可能性は高い。

    逆に、協定料金を設定している同業者組合関係の事業者同士が主体となって、このようなツアーを催行しているところがあるかといえばそうではないようで、実際に店頭に相談するために現れた顧客があってのことになる。相談に現れて、シェアする相手を募集するポスティングを希望したお客にしたところで、その店以外でも同様の相談や依頼をしている可能性は高い。

    携帯がないから個々に連絡つかない。本人が現れないとわからない。言いだしっぺの本人が雲隠れしたままで、集まった人々でツアー成立ということもある。とりわけとても沢山の人々が訪れるマルカー渓谷トレッキングであったり、シェアジープで行くパンゴンツォなどの場合はその典型だろう。だが訪れる人の数がより少ない場所への場合は、その企画自体が流れてしまうことも多いようだ。

    多くの場合、コミュニケーションがお客から代理店への一方通行になりがちである。つまりお客本人がその代理店に「その後どうなった?」「人は集まった?」と幾度か通うようでないと、うまく連絡がつかないものである。代理店のほうではいくばくかの前金を預かるようにしたり、宿泊先の電話番号を聞くようにしていることも多いようだが、それでもまだ正式に申し込んだわけではないため前金の支払いを渋るお客が少なくないのはわかる。また、宿泊先の電話番号といったところで、お客が宿泊先の室内にずっと閉じこもっているはずはないし、宿が気に入らず変わることだってある。そんな具合で、代理店のほうからお客に連絡を取りにくいのがどうも弱いところである。

    インドの他の地域であれば、携帯SIMの安価なプリペイドのプランがあるので、airtelなりvodafoneなり、地元インドの携帯番号を持っている旅行者が多いのだが、ラダックが位置するJ&K州の場合、他州で契約したプリペイドプランは利用できない(電波そのものが入らない)し、かといってJ&K州の地元のプリペイドSIM(これは反対にJ&K州の外では利用できない)を入手しようにも、購入の際にいろいろ条件があり、非居住者の外国人にとってはハードルが高い。そんなわけで、インドの他州ではいつも地元のプリペイドSIMで携帯電話の通話やインターネット等を利用している外国人旅行者たちは自前の通信手段を持たないことになる。(ポストペイドのプランは利用可能なので、外国人であっても居住者でこれを持っている人は利用しているキャリアの電波の届く範囲では通話可能)

    J&K州でこのような措置がなされている背景には、カシミール地方の政情に関する問題、また州そのものが隣国であるパーキスターン、中国との係争地と背中合わせであること、軍事的に重要な地域であること等々の要素がある。プリペイドSIMは、その有効期間中においては、購入時の所有者から第三者に転売・譲渡してしまうことも事実上可能であることから、実際の利用者が誰であるのか判らないSIMが地域に氾濫してしまうのは、治安対策上好ましくないことなのである。

    だが、この「プリペイドSIM問題」がなければ、レーの旅行代理店業を営む人たちはずいぶん助かることであろうし、それらを利用する立場の旅行者たちにとっても利するところは大きいはずでもあるのだが、こればかりは当分変わることはないだろう。

  • レー 24時間給電体制で変わるもの

    レー 24時間給電体制で変わるもの

    24時間の給電とともに「変わりゆくレー」を象徴しているかのようなメインマーケット界隈の再開発計画。現在工事進行中なり。

    昨年からレーやその周辺部の給電は基本的に24時間体制となっている。しばしば停電はあるものの、以前は午後7時から午後11時までしか電気が来なかったのと較べようもなく便利になった。

    私たちのように旅行で訪れる者にとっては、デジカメやパソコンの充電できる時間が1日のうちのわずか4時間に限られていたことから解放されるくらいのものでしかないかもしれないが、ここで働いている人たち、生活している人たちにとっては大きなインパクトがあることは容易に想像できるだろう。

    昼間に給電がなされることにより、仕事のIT化が可能となる。事務作業の効率アップや他の地域とネットで安定的に常時接続できることにより、これまでは出来なかった業務やサービスも可能となってくるため、収益の向上や雇用機会の拡大といった効果も期待できる・・・かどうかについては、ロケーションや季節性という点から難しいように思える。

    また、仕事場や家庭でその他の家電製品が普及する余地も生じてくる。夏季でも冷房が不要な地域なのでクーラーの需要はないにしても、冬季にヒーターを使う家庭も大幅に増えることだろう。またこれまでほとんど手作業であった洗濯についても、家庭等に洗濯機が急速に浸透しつつあるとのことだ。

    もっとも、生活用水・農業用水需要が逼迫している乾燥地であるため、地元の人たちはそう頻繁に衣類を洗濯したり、シャワーを毎日浴びたりもしないものだが、観光で訪れる人たちの洗濯やシャワー等による需要により、レー周辺での水が足りなくなり、地下水を汲み上げて農業用水として利用するところにまで来ていることは肝に銘じておかなくてはならないだろう。

    午後11時には電気の供給が停止してしまう日々においては、人々はそれまでの時間に家事や家族との団欒を済ませ、しばしば「定刻」よりも早く電気が止まってしまうこともあるので、多少の余裕を見て早めに寝る体制に入ってしまう必要があった。

    だが夜通し電気が来るようになると、そのような必要もなくなる。すると夜更かしする人が増えるという「効果」が出てくる。またテレビ番組も一日中見ることができるようになるため、観たい番組が始まる時間を待っていたり、なんとなくバラエティ番組を眺めながら時間を無為に過ごしてしまったりということがよくあったりするのはどこの国も同じことだろう。

    テレビを視聴可能な時間帯が増えてくると、そうした番組に露出される機会が増えるがゆえに、とりわけ子供たちや若者たちの物の考え方や価値観等にも影響を与えるものが少なからずあることと思われる。

    午後7時から午後11時までの給電という生活上の縛りがなくなることにより、従来はほぼ存在しなかったであろうナイトライフ(・・・といってもラダック中心地のレーでさえもごく小さな町にしかすぎないため、何か華やかなものが存在する余地はないのだが)が生まれてくる可能性もないとはいえない。

    それはともかく、「いつでも電気が来ている」状態となったことにより、若者たちやお父さんたちの帰宅がずいぶん遅くなることが多くなった、という変化は生じていることと思う。そうした需要を満たすための飲み屋その他の場所も増えていることが想像できる。

    電気の利便性の向上により、この地域で今後いろいろ変わっていくもの、その変化により副次的な影響を受けて変容していくものなど、いろいろあることと思う。5年、10年くらいのスパンで比較してみると大変興味深いものがあるかもしれない。

  • 日本への短期滞在の数次査証

    日本とインドの間では査証の相互免除協定がないため、両国の国民が相手国を訪問する際には事前に査証を取得することが必要となる。

    相互免除の取決めがない場合においても、例えばタイにおいては日本国籍を持つ人物が空路入国の場合は30日間以内、中国の場合は15日以内の場合は査証無しでの滞在を認めるという措置がなされていることも少なくない。

    そうした措置がなされているのは日本国籍に限ったことではないが、相手国からの訪問者が自国で超過滞在、不法就労、法秩序等に係る問題を生じさせる事例が少なく、事前に在外公館の査証発行に関わる事務手続き等の負担を軽減させることや観光促進等の目的などでこのようなことがなされることが多い。

    また、いかなる滞在期間、目的であっても査証の取得は必須ということになっていても、カンボジアのように、観光目的であれば入国時に滞在可能期間30日の査証が取得できるような国もある。入国前の事前審査という部分が形骸化しており、事実上の入国税的なものとなっていると捉えることもできるかと思う。

    インドにおいても、Tourist Visa on Arrivalという制度により、カンボジア、フィンランド、インドネシア、日本、ラオス、ルクセンブルク、ミャンマー、ニュージーランド、フィリピン、韓国、シンガポール、ベトナム国籍の人々が観光目的で訪印する場合について、バンガロール、チェンナイ、デリー、ハイデラーバード、コーチン、コールカーター、ムンバイー、トリバンドラムの空港から入国する場合においては、その場で30日以内の滞在が可能となる査証が発行されることになっており、私たち日本人にとっては、インドを旅行するにあたり査証取得についてのひとつの選択肢となっている。

    さて、日本においては査証相互免除協定を結んでいる相手国以外において、本来は観光目的というわけではないが、国によっては数次有効の短期滞在査証の制度の対象としている。

    数次有効の短期滞在ビザ(外務省)

    今年の7月からは、この制度がインド国籍の人々にも適用されることとなった。観光目的での取得も可能としていること、インド国籍の人が第三国でも申請可能としている点(申請人が居住している国以外では申請不可)において、他国籍の人々に対するものよりも多少弾力的に運用されるものであるように思われる。査証の有効期限は1年間または3年間、滞在期限は1回あたり15日以内である。

    ンド国民に対する短期滞在数次ビザの発給開始について (在インド日本国大使館)

    インド国民に対する数次有効の短期滞在ビザ申請手続きの概要 (外務省外国人課)

    日印間での人々の往来が以前よりも活発になってきている昨今、日本でITその他の分野で働くインドの人々自身以外にも、その親、配偶者、子供といった関係にある人々による日本への短期訪問も相当増えているうえに、日本に居住する親族訪問以外ではなく観光目的でやってくるケースも決して珍しいものではなくなってきている。

    同様に、インドでも日本人に対して有効期限5年間くらいで、1回の滞在可能期間が30日以内・・・といった具合の数次査証を発行してくれるようになるといいのだが、などと虫の良いことを夢想してみたりしてしまう。

  • ユニクロがインドへ

    だいぶ前からユニクロがインド進出を検討している話はニュースになっていたが、このところ更に具体的な内容が伝えられてきており、もはや進出するのかどうか?ではなく、進出はいつになるのか?という段階まで来ている。

    6月のものになるが以下のような記事を目にした人は多いだろう。

    ユニクロの柳井氏がインド首相と会談、市場参入実現へ布石(THE WALL STREET JOURNAL)

    これまで隣国のバーングラーデーシュでの操業で培ったノウハウは、インドでも応用できるものも少なくないことであろうし、それ自体が将来インドに進出するための布石であったという部分もあるに違いない。同社が日本その他の国で展開している路線とは少々異なるものも柔軟に受け入れる必要があることを学んだはずだ。

    そう遠くない未来に、インド各地のモールや商業地の一等地に店舗を構えているのを目にするようになることを容易に想像できるし、おそらくインドならではのアイテムも製造・販売することになるのではないだろうか。

    また、インドは同社にとっての大きな市場であるとともに、加工基地としての狙いも大きいため、インドで独自の素材を利用したアイテムを製造して、それらを日本その他の国々で販売するということも想定しているはず。

    「どこに行ってもみんな同じ格好している」ことについて、また「ブラック企業という批判」等々、同社をめぐっていろいろな評判はあるものの、「全国どこに行っても悪くないものが手軽な価格でいつでも手に入り供給も豊富」であるということを欲している人々は非常に多いため、少なくともそうした多数の消費者の利益に適っていることは誰も否定できない。

    とりわけインドのように、若年層の人口が厚く、大都市部とそれ以外の地域で市場に供給される衣料品の質の格差が大きい国では、とりわけ同社の店舗が大都市圏の外にも拡大していけば、大変歓迎されることと思う。ユニクロが成功しない理由を見つけるほうが難しいのではないだろうか。

  • ネパールからやってくる人たちが増えた

    近ごろ、首都圏でネパール人の姿を見かけることがとても多くなった、とりわけ若い人たちがよく目に付く・・・と感じている人は少なくないことだろう。

    それもそのはず、ここ数年来、日本留学の入口となる日本語学校に入るために来日するネパール人が急増しているのである。

    こちらの資料(一般財団法人日本語教育振興協会による「日本語教育機関実態調査」P5)をご参照願いたい。

    ここに示されているのは、平成21年度から25年度までの日本語教育機関の学生数とその国別内訳だが、従前から日本への留学生出身国のベスト3といえば、中国、韓国、台湾の「御三家」であったのだが、すでに平成21年度において、それ以前は留学生の中ではマイノリティであったベトナム、ネパールが急伸しており、トップの三国に迫るところに来ている。

    平成23年度に入ると、すでにベトナムは台湾からの留学生数を抜いて3位に食い込み、4位の台湾とほぼ同じレベルにまで達しているのがネパールだ。ベトナムとネパールは平成25年度には韓国を抜いて、それぞれ2位、3位となり、首位の中国からの留学生の規模には遠く及ばないものの、現在では御三家といえば、中国、ベトナム、ネパールとなっている。

    留学生たちの実数で見ると、平成21年度にはベトナム847名、ネパール839名であったものが、4年後の平成25年度には前者が8,436名、後者が3,095名となっている。伸び率はそれぞれ9.96倍、3.69倍である。

    その間に、元御三家の韓国は8,360名から2,386名、台湾は2,304名から1,425名へと、それぞれ元の数の0.29倍、0.62倍へと激減しているという背景もある。不動の首位の中国にしてみても、26,632名から18,250名へと、0.68倍という急激な減少がある。

    留学生総数にしてみても、平成21年度の42,651名から平成24年度の29.235名という0.69倍という激しい落ち込みから平成25名は37,918名へと持ち直しているものの、それでも平成21年度と比較すると0.89倍という芳しくない数字である。

    こういう具合になったことにはいくつかの要素があるので簡単に解説しておきたい。平成18年から19年にかけて、中国からの留学希望者に対する入国管理局や在外公館での審査が厳重となったため、多数の留学予定者対する在留資格認定証が不交付となったり、在外公館で査証が発行されなかったりという事態が多数発生し、日本語学校によっては中国からの入学予定者の半数前後が来日できず、留学をキャンセルというケースが生じた。

    もともと零細な規模のものが多い日本語学校の世界では、送り出し数の多い国にパイプを持ち、そこから安定的に学生を供給してもらおうという傾向が強かったのだが、そうした中で、とりわけ中国への依存度が高かった学校の多くは、これを死活問題と捉え、他なる留学希望者送り出し国の開拓に乗り出さなくてはならなくなり、そうした学校にとってそれまでは視野に入っていなかった地域に精力的に働きかけることとなった。

    その努力の結果、とりわけ新規来日学生の大規模な招致に繋がったのがベトナムとネパールであった。どちらも移民圧力の高い国であり、その当時までは日本における不法残留率も高くはなかったため、比較的順調に導入することができたといえるのだろう。

    その後、来日数が安定的に増えてくるにつれて、すでに来日している者と自国との繋がり、日本語学校による更なる努力による留学需要の掘り起し、送り出し国側のそうした斡旋機関もそうした渡日熱の高まりにアテ込んで、これに加担したということもある。やはりそこは商売である。

    異常が、ベトナムとネパールから来日して日本語学校に入る者が急増している背景についての簡単な説明であるが、いっぽうで今も御三家ながらも人数が大幅に減っている中国、元御三家から転落した韓国と台湾の落ち込み具合にはどのような理由があるのかについてもざっと述べておくことにしよう。

    まず中国、韓国、台湾いずれについても共通して言えることは、自国経済の順調な成長ぶりと日本の長引く不況から、相対的に日本に対する魅力が薄れてきていることがある。これまで高く見上げていた対象が、相対的にその背丈が自分たちの居る場所から見て、さほど上のほうにあるように感じられなくなってくる。

    日本語学校に入るということは、その中のマジョリティは大学や大学院への進学、そして日本での就職、将来的には日本のそのまま定住するという、移民のステップとして捉えている部分は決して少なくない。日本での留学の目的といえば、日本という国そのもの、日本の文化を学ぶというよりも、経済、金融、理工学、その他ハイテク分野といった、いわゆる「実学」を志向する割合が非常に高く、学業を終えた後での定着先としての日本についての期待があまり持てなくなってきているであろうことは、誰も否定できない。

    とりわけ韓国については、グローバル市場における自国の一流企業の隆盛と、それに対する日本企業の地盤沈下を目の当たりにして、日本に対する興味・関心が急速に萎んでいくのは仕方のないことであったのだろう。

    もちろん中国や台湾と日本の間にある尖閣諸島問題、韓国と日本の間の竹島問題その他の領土に関する論争、はてまた今なおくすぶり続けている歴史問題等々の政治的な事柄による日本に対する政治的なイメージの低下という面も無視できないものがあるにしても、やはり大半は私費で来日する留学生たちにとって、そうした思想的な要因よりも、実利的な要因が大きく作用するのは当然のことだ。

    平成20年代に入るあたりから、上で述べた事柄を背景とする留学生数の頭打ち傾向があったのだが、これをさらに決定付けたのは平成23年の春に起きた東日本大震災、いわゆる3.11という大きな出来事であった。

    「落ち目だった日本もこれで終わりだ」とまで言うわけではないが、地震、津波よりもむしろ原発事故による影響が大きかった。日本では大変センセーショナルながらも、極力抑えた調子で報道されていたのに対して、海外とりわけ近隣国での報道に抑制を期待できるわけもなく、日本に対する期待値は非常に低くなってしまった。

    そうでなくても、これらの国々から人気の留学先としては、アメリカその他の欧米先進国がまず一番手にあり、二番手以降に日本という選択肢があったわけだが、その地位が大きく後退してしまっているのが現状である。

    ベトナム、ネパールからの留学生の急増については、もともと需要の高くなかった地域であるだけに、勉学意欲の面でも経費支弁能力の面についても疑問符の付くケースが少なくなく、実際に来日してから雲隠れという事例も多いため、入国管理局による審査も非常に厳格そなものとなっていることは、元御三家の韓国と台湾とは大きく異なる。

    総体的には、中国、韓国、台湾からの留学生の落ち込みを補うという点において、数の面からも質の部分からも決して充分なものとは言えないのが現状であるとともに、他にも様々な問題を抱えていることは否めない。

    しかしながら、視点を変えれば、これらの国々と新たに緊密な関係を構築する良い機会であるということもあり、とりわけITの分野で地味ながらもそれなりに着実な成長を続けているベトナムから日本に留学する人が急増している中で、様々な問題はあれども、知日家が倍増していくという状況は将来的にプラスに作用することを期待したい。

    ネパールについては、すでに日本で実業界その他で活躍している人たちがNRN(Non-Resident Nepalis)として様々な活動をしていることは一部で知られているが、とりわけ著名な存在として、今のネパールからの留学生たちよりもずいぶん早い時期に来日して学び、飲食業界での起業を手始めにネパールからインド、中東の産油国方面へのフライトを飛ばす航空会社を設立するまでに至るとともに、日本からネパールへの空の便の開設を企図しているB.B. Airwaysの代表のヴァッタ・ヴァバン氏が挙げられる。

    様々な背景や動機により、日本を必要としてくれている若いネパール人たちの中から、将来の日本が必要とする人材が輩出し、新たな絆が築かれていくこともまた大いに期待したいものである。

  • サイクルリクシャーあれこれ

    サイクルリクシャーあれこれ

    Rickshawの発祥の地といえば横浜(東京の日本橋という説もある)で、日本発祥の乗り物はアジア各地に伝播して、それぞれの土地で発展していき現在に至っている。

    リクシャー、つまり力車こと人力車を文字通り人がテクテク走って引いていたころのものは、日本から輸出した車両とそれを模倣したものが幅を利かせていたため、どこの国も白黒写真に残るそれらの姿は、これらの復刻版が行楽客向けに走る横浜、浅草、鎌倉などの観光地で見られるものとほとんど同じ形をしている。現在、唯一カルカッタの残るこうしたオリジナルの様式のリクシャーは、江戸東京博物館に展示されている人力車にほぼ忠実なコピーと言って差し支えないだろう。

    この人力車の発展形がサイクルリクシャーであり、日本でもリンタクとして一時期走っていた。江戸東京博物館のウェブサイトによれば、信じられないことにこれが1988年まで東京で走っていたということだ。今はイベント等で営業している業者がいるのだが。また、Velo Taxiはサイクルリクシャーの最新型ということになる。

    しかしながら、このサイクルリクシャーについては、動力の効率や操作性の観点からは、南アジアの引き手の後部に座席が備わっているものが一番良いのではないかと思うのだが、ベトナムやカンボジアのように乗客の座席が前に付いているもの、ミャンマーのようにサイドカーとなっているものなど、いろいろなバリエーションを生んだ。

    インド
    ベトナム
    ミャンマー

    座席が前だと眺めは良いし、乗り心地も優れているのだが、自動車やバイクその他の乗り物が忙しく行き来する現代においては、混雑している交差点などではちょっとスリリングである。右折しようとしているところで、腰かけている乗客のところに他の車両が突っ込むという事故を目にした際には「やはり」という気がした。サイドカーのタイプだと、運転手との会話が容易であるところが好ましくも思える。後部が座席となっているものの場合、往々にして乗客が座る部分はかなり高い位置となるので、見晴しは良かったりするし、多少の雨ならば蛇腹式の傘部分である程度防ぐことができる。もちろん運転手はずぶ濡れになるしかないのだが。

    サイクルリクシャーの駆動部分の自動化を進めたものがオートリクシャーであり、このエンジンの環境負荷を取り除く目的で開発されたのが、サファー・テンポーであり、e-rickshawでもある。

    これまでサイクルリクシャーが活躍してきた地域でも、都市の過密化と住民たちの自前の交通手段の普及による交通渋滞、市街地の拡大による生活権の拡大等により、利用者の減少、乗り入れ地域の制限などにより、先細りの稼業であることは間違いない。先進国におけるVelo Taxiにしてみても、これが実用的な交通手段として機能するかといえば、そうであるとは全く言えないだろう。いずれは各地で消えゆく運命にあるとはいえ、中進国や途上国においては小規模な町での需要はまだまだ高い。

    先進国においても環境意識の高まりや都市部以外での若年層人口の流出などによる高齢者の日常の足としての可能性も否定できるものではなく、サイクルリクシャー営業を試みたら、一定の評価を得るのではないかと思ったりもする。

  • スィットウェへ1

    スィットウェへ1

    ミャンマーのヤカイン州都スィットウェは、かつてアキャブと呼ばれた港町。南アジアから東南アジアへの玄関口でもあり、イギリスによるミャンマー攻略と支配もここに始まった。

    州都だけのことはあり、大学が存在する。

    1784年、当時のアラカン王国を征服して属国化させて以降、西方へと更なる拡張を模索していたビルマのコンバウン朝が1822年に英領のベンガルへ軍を進めたことがきっかけとなり、1824年に今度はイギリスがビルマへ軍を展開したことにより、第一次英緬戦争が勃発することとなった。その2年後にアラカンとテナセリウムがイギリスに対して割譲されることとなる。

    このアラカンを足掛かりとして、1852年に第二次英緬戦争が起き、今度は下ビルマを自国領に組み入れ、さらには1885年の第三次英緬戦争で、マンダレーを王都とするコンバウン朝を滅亡させて、上ビルマをも手に入れることにより、イギリスによるビルマ征服が達成されることとなった。

    アラカンの支配的民族であったアラカン族は、現在はバングラデシュとなっているチッタゴン地域にも影響を及ぼしていた時期がある。それがゆえにこの地域も本来はミャンマーの領土であると唱える向きもあるほど、東南アジアと南アジアの境目であり、そのふたつの世界の行き来が盛んな地域でもあった。

    だが、現在はヤカイン州と呼ばれているアラカン地方は辺境の地となり、経済的にも政治的にも重要な拠点であったアキャブは、今は州都スィットウェとして知られているものの、パッとしない田舎町に成り果てている。

    カラーダーン河口部に位置するこの町の水際に公的機関、市場、それより内側に商業地、その背後には住宅地という、植民地期の水運時代に建設された貿易港らしい造りである。

    目下、インドの援助により、スィットウェのひなびた港は深海港に生まれ変わる工事が進行中であり、完成した暁にはスィットウェは物流の重要なハブとしての役割を担うこととなる。長期的には、東南アジア地域から南アジア各国を始めとする、ミャンマーから見て西側に位置する地域との物流ということになるのだろうが、インドにとってはこれとは異なる思惑がある。

    インド本土からバングラデシュ国境と中国国境の間で、通称「チキンネック」と呼ばれる、陸路の細い「スィリーグリー回廊」を経て同国の東北部にかろうじて繋がっている物流ルートを補完する役割だ。

    更には、インド北東部とミャンマーを繋ぐ陸路については、もっと北回りでの鉄路と道路での構想があるのだが、これについては以下のリンクをご参照願いたい。

    北東インド振興は鉄道敷設から(indo.to)

    インドにとって、物流のハブとしてのミャンマー西部の発展への期待は、そのまま自国北東部の振興に直結するものであることから、このあたりへの援助ならびに投資は当然のごとく相当な力のこもったものになるわけだ。とりわけスィットウェの港湾設備に対するコミットメントがいかに大きなものであるかについては、インドがこの町に領事館を設置することになっているということから、その期待値の大きさがうかがい知れるというものだ。

    ちなみにミャンマーにおけるインドの在外公館は、現在までのところヤンゴンの大使館とマンダレーの領事館であり、スィットウェの領事館がオープンすれば、ミャンマーに三つめの在外公館を出す初めての国ということになる。それほどミャンマーはインドにとって大切な国になりつつある。

    のどかな水際の眺めも近い将来すっかり変わってしまうかもしれない。

    地味な港町スィットウェだが、今後10年ほどのスパンで眺めれば、これまた地味なインド北東部との繋がりが深まることにより、ともにちょっとした地味ながらも着実な成長と変化を呼び込む結果を生むのではないかと思う。どちらも現状では「この世の行き止まり」であるかのような具合になっているがゆえに、海路・鉄路・陸路の接続が与えるインパクトには測り知れない影響力が秘められているものであると思われる。

    港近くの空き地や路上では干し魚作りが行われていた。

    〈続く〉

  • 「英語圏」のメリット

    コールカーターで、ある若い日本人男性と出会った。

    インドの隣のバーングラーデーシュに4か月滞在して、グラーミーン・バンクでインターンをしていたのだという。これを終えて、数日間コールカーターに滞在してから大学に戻るとのこと。彼は、現在MBAを取得するためにマレーシアの大学に在学中である。

    マレーシアの留学生政策についてはよく知らないのだが、同級生の半分くらいが国外から留学しに来ている人たちだという。

    今や留学生誘致は、世界的に大きな産業となっていることはご存知のとおりだが、誘致する側としては英語で学ぶ環境は有利に働くことは間違いなく、留学する側にしてみても英語で学べるがゆえに、ハードルが著しく低くなるという利点があることは言うまでもない。

    同様のことが、ターゲットとなる層となる自国語が公用語として使われている地域が広い、フランスやスペインなどにも言える。これらに対して、国外に「日本語圏」というものを持たない日本においてはこの部分が大きく異なる。

    出生率が著しく高く、世帯ごとの可処分所得も潤沢な中東の湾岸地域にある産油諸国においては、急激な人口増加に対する危機感、そして石油依存の体質から脱却すべく、自前の人材育成に乗り出している国が多く、とりわけ欧米諸国はこうした地域からの留学生誘致に力を入れている。昨年、UAEのアブダビ首長国で開かれた教育フェアにおいては、日本も官民挙げて力を注いだようだが、来場者たちは日本留学関係のエリアはほぼ素通りであったことが一部のメディアで伝えられていた。

    投資環境が良好なUAEにおいては、Dubai International Academic Cityに各国の大学が進出して現地キャンパスを開いているが、それらの大学はほぼ英語圏に限られるといってよいだろう。やはりコトバの壁というものは大きいが、こういうところにもインドは堂々と進出することができるのは、やはりこの地域との歴史的な繋がりと、英語力の証といえるかもしれない。

    日本政府は中曽根内閣時代以来、留学生誘致に力を入れているものの、現状以上に質と規模を拡大していくのは容易ではなく、「留学生30万人計画」などというものは、音頭を取っている文部科学省自身も実現不可能であると思っているのではないかと思う。仮に本気であるとすれば、正気を疑いたくなる。

    もともと日本にやってくる留学生の大半は日本の周辺国であり、経済的な繋がりも深い国々ばかりであり、その他の「圏外」からやってくる例は非常に少ない。また、日本にやってくるにしては「珍しい国」からの留学生については、日本政府が国費学生として丸抱えで招聘している例が多いことについて留意が必要である。そうした国々からは「タダで学ぶことができる」というインセンティブがなければ、恐らく日本にまでやってくることはまずないからである。

    身の丈を越えた大きな数を求めるのではなく、質を高めるほうに転換したほうが良いのではないかと思うが、ひょっとすると、少子高齢化が進む中で、外国から高学歴な移民を受け入れて、労働人口の拡充に寄与しようという目的もあるのかもしれないが、実際のところは、学齢期の人々が漸減して、冬の時代を迎えている国内の大学の生き残りのための政策なのではないだろうか。

    こればかりはどうにもならないが、もし日本が「英語圏」であったならば、様々な国々からの留学生の招致は現状よりももっと容易であったに違いない。

  • ヤンゴンのホテル代に思うこと

    ヤンゴンを訪問する際、国内線であれ国際線であれ、そこからの出発が早朝の場合、前日はいつも空港目の前にあるSeasons of Yangonというホテルを利用することにしている。

    国際線ターミナルの正面、国内線ターミナルはそのすぐ脇なので、寝坊してもまったく心配ない。歩いても目と鼻の先なのだが、頼むまでもなくクルマで送ってくれる。

    90年代前半に撤退した米資本のラマダグループのホテルであったが、その後豪州資本のホテルグループに買収されて現在に至っている。

    これについて昨年も書いたとおり、建物や施設はくたびれているものの、空港目の前というロケーションと廉価な宿泊費を考え合わせると、かなりお得感のあるホテルであった。

    「・・・であった。」と過去形なのは、25米ドル、30米ドル程度で宿泊できた数年前と違い、昨年は50米ドルにまで上がり、現在は70米ドルにまでなっているからだ。

    もちろん昨今のミャンマーブームにより、最大の商都ヤンゴンの宿代の急騰ぶりは様々なメディアでも報じられており、市内のどのホテルも2倍どころか3倍以上も吊り上がっており、これはホテルの格を問わず、安宿でも同様にずいぶん高くなってしまっている。

    そんな具合なので、以前から宿泊施設を運営しているような場所では「景気が良くなった」と実感していることだろうが、便利な立地のところはどこも地価の上昇著しく、安宿から中級程度のホテルといったリーズナブルな料金の宿を新たに建築するには、ちょっと敷居が高くなってしまっているようだ。そんな状態なのに需要はどんどん伸びているがゆえに、ますます宿泊費がうなぎのぼりに上がっていく。

    それでもやはりそこに商機があれば、積極的に参入する者が増えるのは当然のことであるため、まさに建築ブームとなっている市内では、新たに建築されるホテルの類もまた多い。

    ミャンマーブームはしばらくの間冷めることはなさそうなので、こうした供給の側が追い付いてくるようにならない限り、ホテル代の上昇は今後も続くであろうことは言うまでもない。

    ダウンタウン在住で、ちょっと目端の利く人は、このブームを見越して、旧首都のもともと価格の高かった地域の物件を手放して得た資金でまだ価格が手ごろだった郊外で、しかも良好な環境で家屋を入手したりもしていたようだ。もちろんそうした動きもまた今後も引き続き続いていくはずだ。

    ただし、そうした地価上昇とともに、そうした利ザヤ目当てで売買できる立場ならば良いが、ダウンタウンで賃貸暮らしをしている人たちにとっては、昨今の状況は「収入はそうでもないのに家賃ばかりがガンガン上がっていく」という憂慮すべきことかもしれない。

    加えて、景気が良くなれば苔むしたような建物が並ぶダウンタウン地区に再開発という話が出るのもそう遠くない将来のことではないかと思う。大規模な開発がなくても、大きな建物がまるごと次々に取り壊されて新しくなるということも続いている。

    あちこちに植民地時代の面影を色濃く残すダウンタウンのインド人地区、中国人地区といった趣のあるタウンシップも、街並みの保存という概念が広まる前に、凄まじい勢いで追憶の彼方に消え去ってしまうかもしれないし、経済的な理由でそのあたりからの人口流出と新たな流入により、地域の個性も失われてしまうのではないかと少々気になったりもするこのごろである。