
インドの路上を走るクルマの性能は大変良くなった。
でも市内移動は、30年前のほうが今とは比較にならないほどスムースで迅速だったというパラドックス。
渋滞ひどいカルカッタでの写真だが、インドの大都市はどこもこんな状況。
※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。


インドの路上を走るクルマの性能は大変良くなった。
でも市内移動は、30年前のほうが今とは比較にならないほどスムースで迅速だったというパラドックス。
渋滞ひどいカルカッタでの写真だが、インドの大都市はどこもこんな状況。
※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。


廃墟に見えても実は中では人々が忙しく働いていたりするのがインドのエラいところ。屋根に木が生えてしまっているオンボロビルは、今も当然現役だ。さすがに手前の雑草に侵食された建物は、すでに使われていないようだが。
※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。


建物内のカッコいい内装をプロデュースする、いまどきの業者さんのショールームなのだが、キレイにリストアした人力車が展示してあった。
カルカッタで人力車はカルカッタでまだとはいえ、すでに都会の人たちがノスタルジックに想起する風物になっているのだろうか?
今でも人力車が走っているのは都心というか、昔からあるタウンシップ。そこから離れた新興住宅地やポッシュなエリアには出入りしていないので、ほぼ追憶の中に存在するものといって差し支えないのかもしれない。
※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。
パンデミック下の世界に対してインドが大きな貢献をすることになるかもしれない。
いわゆる「クロロキン」として知られているマラリアの治療・予防薬が、新型コロナウイルス感染症の治療にも応用できるかもしれないからだ。
なぜそこで「インドが」であるのかと言えば、毎年1,500万人もの人々が罹患する「マラリア大国」であるのだが、同時に世界有数の工業国でもあるインドは製薬の分野でも大きな存在感がある。おそらくクロロキンの生産、備蓄ともに世界一である。
しかしながら、新型コロナウイルス感染症蔓延に伴い、自国消費が急拡大することが予想されるため、この薬品の輸出を一時的に禁止していた。
そのため今月初めにアメリカのトランプ大統領がイントにクロロキンを大量に提供するようにと、半ば脅しも含めた依頼をしており、これに対してインドはアメリカに貸しを作る形で了承している。
すると当然ながら他国からも同様のリクエストが相次ぐわけで、突如としてインドの「クロロキン外交」が始まったと言える。インドはこれまでの方針から方向転換して、国外へのクロロキン輸出を許可することを明らかにしている。国内の製材各社に対して、インド政府は大増産の発注をしている。
果たして、本当にクロロキンが新型コロナウイルス感染症治療に対して顕著な効果を示すことができるのかはまた未知数だが、既存の医薬品が高い効果を示し、まさに「インドが世界を救う」ことを期待したい。
Hydroxychloroquine: India agrees to release drug after Trump retaliation threat (BBC NEWS)
Why the world is hungry for a coronavirus drug made in India (DW)
India ready to help its friends in crisis: Modi (the pioneer)


地下鉄エスプラネード駅で下車。エスプラネード・バススタンドのベンガル北部方面行きブロックで、ブータン行きのバスを見かけた。
午後7時出発で、ティンプー到着は翌日午後4時とのことだ。車内にいたのは、ブータンに本社があるバス会社のインド現地スタッフ。インド人はよく平気で外国人に収入を尋ねるが、ブータンの会社からインド人社員にいくらくらい出ているのか興味があり、「いくらもらっとるん?」と聞きたくなったが、私にはそういう質問はやっぱりできない。
さて、このブータン行きのバスだが、乗車賃は、オーディナリー705Rs、デラックス1,070Rで、月曜日〜土曜日まで毎日1便ずつ出ているそうだ。

ブータン入国に際してヴィザが不要で、パッケージツアーに入るすら不要なインド人たちにとって、ネパール同様に安価で国内旅行気分のお気楽な旅行先だ。
欲しいのはインド旅券・・・。

※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

コールカーターの旧チャイナタウンにある寶昌(ポウチョン)は最近とても勢いが良い。
客家華人が経営する老舗の中華食材屋だが、近年息子、娘世代が経営に携わるようになってからというもの、店舗は増えたし、点心類を食べさせる店は出すし、ドラゴンボートレースも企画と、たいへん頑張っている。当然、雇っているインド人スタッフの数も増えたようだ。コールカーター東郊外のテングラー地区では工場も操業している。
店を切り盛りする若世代のひとり、Jさんはカナダの大学を出てから家業に加わった。まだ20代半ばくらいの若い女性だが、見るからに才気煥発といった感じである。
彼女は、シンガポールのNGOに参画させてのチャイナタウン復興のプロジェクトにも関わっており、このところ少しずつ旧中華街が中華街らしい彩りを取り戻しつつある。
ゴミの山に埋もれていた、伝説の「南京大飯店」の建物がようやく見られるようになった(修復を施し中華寺院として再オープンした)のも良いことだ。
Jさんの顔を見ようとオフィスを訪ねが、あいにく不在。前もって連絡しておくべきであった。
それにしても人口流出が続くカルカッタ華人コミュニティの中で、昇竜の勢いで成長していくポウチョンとそれを取り仕切る若世代は実に頼もしい。






【グレート・イースタン・ホテル】
カルカッタに現存する「ヘリテージ・ホテル」として大変有名なもののひとつに、1840年にオープンしたグレート・イースタン。ホテルがある。開館当時は欧州人専用の高級ホテルであり、シンガポールのラッフルズ、ラングーンのストランド、サイゴンのマジェスティックと同じような立ち位置であった。若き日のエリザベス女王が独立まもないインドを訪問した際にレセプションが開かれたことでも知られている。





1970年代には、グレート・イースタンは州政府に接収され、州政府関係企業のマネジメント下に置かれた。それに先立ち、銀行などの多くが国有化されたことに代表される社会主義路線を邁進していた(当時はそれがトレンドだった)当時のインドだが、この時期の西ベンガルでは共産主義への期待が高まり、共産党政権が成立して2011年まで途切れることなく継続した。
そんなグレート・イースタンだが2005年に閉鎖されるまでは、なんと1,500〜1,800Rs程度で宿泊できるロワーミドルレンジ(当時の物価)の宿に成り下がっていた。先述のエリザベス女王のレセプション以外にも、国賓(ニキタ・フルシチョフ他)が宿泊したことで知られる高級ホテルが、そこまで落ちぶれながらも運営が継続的していたという例を私は他に知らない。グレート・イースタンはBBDバーグにあり、閉館前にお茶を飲みに訪れたことがある。見事な建物とその堕落ぶり、スタッフの着ている制服も汚れてヨレヨレなことに、没落貴族的なムードを感じた。
2005年に閉館というのは、ホテルを所有していた州政府企業はかなり前から売却を画策していたものの、なかなか買い手がつかなかったことに加えて、労働組合との争議(新聞のウェブサイトでこの関係の記事を幾度か目にした)もあり難航していたのが、このときようやく決着したことによる。
買収したラリットグループは、全館大改修を実施し、再びオープンしたのは2013年。
表通りに面したファサードの部分は今なお工事中だが、営業している背後の部分を見ると、改修というより、新築したと言ったほうが適切なようだ。


ヘリテージ・ホテルとは、オリジナルの姿が大切に保存されていてこそのもの。「同じ場所にあり同じ名前で運営している」だけで、そう名乗るのはおこがましい。莫大な資本を投下しても本当の伝統は買えない。グレート・イースタン・ホテルは地上から永遠に姿を消し、今そこにあるのは「グレート・イースタン」を名乗る豪華な「別モノ」だ。私はこれをヘリテージ・ホテルとは呼びたくない。

デリーの空港からタクシーを利用すると、いつもといっても良いほど、態度や感じの悪い運転手が多い。それだからといって、何か問題が起きたことはないが、とりわけ夜の時間帯に女性がひとりで利用することに不安を覚えるのは無理もないだろう。実際、空港からのタクシーで乱暴されたり、最悪の場合、殺害されたりというような事件もあった。
今年1月10日からWOMEN WITH WHEELSというサービスが始まったとのとこと。SAKHA CONSULTING WINGSとAZAD FOUNDATIONによる取り組みだ。
現在までのところデリー、ジャイプル、コールカーター、インドールで操業しており、4時間あるいは8時間という単位でチャーターしての利用もできるようだ。
利用された方があれば、ぜひ感想をお聞きしたいと思う。ちなみに私は男性なので、この「女性専用サービス」は女性同伴でないと利用できないため、なかなか縁がない。
Delhi airport has an all-women cab service now (The Indian EXPRESS)

自転車ベースのサイクルリクシャーやその発展形であるスクーター(中にはバイクも)がベースのオートリクシャーは伝播した地域で相当広いバリエーションがある。
それに較べると、かつて香港やマレー半島のなどにも広がった人力車については、江戸東京博物館で展示されているもの、復元されて鎌倉などの観光地で走っているものと、ほとんど形は変わらない。
全体のフォルム、棹部分の長さ、車輪の径、座席や天幕の形状いずれをとっても、日本で開発されたオリジナルの人力車の完成度が高かったためかもしれない。(「だから日本は凄い」なんて言うつもりはない。最初に横浜で人夫を雇ってこの商売を始めさせたのは華人の商売人だったという説もある。)
人力車の営業が広まった地域の中で、ただひとつ今でも現役で走っているコールカーター。ずいぶん昔から新規登録はなされず、「遠からず消える」と聞いていたのに、21世紀に入ってもこれが続いてしまったどころか、この世紀もすでに五分の一を終えようとしているので、まだしばらくは街の景色の一部であり続けるのだろう。

かつてバックパッカーにとって、カルカッタでの宿泊先といえば、このパラゴン・ホテルと小路の向かいにあるモダン・ロッジが人気の宿の双璧であった。
私はここからインド博物館のほうに少し歩いたところにあるサルベーション・アーミーのドミトリーのほうが少し安かったため、空きが出ればそちらに移るといった具合だった。サルベーションのほうはキャパシティが少なかったため、ベッドを押さえるためにはチェックアウト時間ちょうどあたりに訪ねる必要があった。記憶に間違いがなければ、サルベーション・アーミーは90年代半ばから長い間、ホステル業務を取りやめていたが、近年になって再開したようだ。現在ドミトリーはなく、中級の下くらいの料金の宿となっている。
1987年からチョーキーダール(守衛)をしているというバナーラス出身の白髪のムスリム男性は今もいるが、経営者が替わったときにスタッフの大半が辞めてしまい、バックパッカー宿時代から働いている人はほとんど残っていないとのことだ。
相変わらずボロボロだが、レセプションは確か昔からこんな感じだったし、黒い無骨な扇風機にもかすかに見覚えがある。文字がところどころ読めなくなっている注意書きも当時からそのままなのだろう。
広大な市街地を持つコールカーターで、なぜサダルストリートに外国人宿が多く集中していたのかといえば、この地域の歴史にその背景を求めることができる。手前ミソだが、以下の記事をご参照いただきたい。
だが前述のとおり、近年はインド出入国において、国外からのフライトの都合上、カルカッタを通過しなくてはならない度合が低くなっているおり、宿泊予約サイトの隆盛により宿泊先の選定がガイドブックに依存する度合いが大きく下がったため、外国人が滞在する宿が分散するようになった。そのため旅行でコールカーターに滞在する人たちの間で、サダルストリートを利用する割合が相対的に低くなってきている。
その一方で、サダルストリートが立地するこのエリアから、バングラデシュのダッカその他の街からコールカーターを結ぶバスが多数発着するようになったため、主にバングラーターカーとインドルピーの交換を扱う両替屋、顧客の大半がバングラデシュ人という宿が新設されるようになっている。
こうした流れの中で、これまで欧米や日本などからやってくるパックパッカーたちが減ったことで困り果てていた既存の宿も彼らの取り込みに流れるようになるのは当然の流れだった。
今も西洋人等の姿は少なくないサダルストリートだが、もはや訪問客の主役はバングラデシュ人に取って代わられていることは間違いない。ただ、バングラデシュ人たちは見た感じはインド人、とりわけ西ベンガル州の人たちと変わらないので、いかにもおのぼりさんといった行動や怪しげなヒンディー語(サダルストリート界隈で働く人たちにはビハー州ルやウッタルプラデーシュ州といったいわゆる「ヒンディー・ベルト」からの出稼ぎ人が多く、ベンガル語が通じにくいことはよくあるようだ)で喋る様子などを観察しないと、外国人訪問者たちが彼らがインド人ではないことに気が付かないことが多いかもしれない。
パラゴン・ホテルは、もはやバックパッカー宿ではなくなっているが、実は同様のことがサダルストリート全体についても言えるようになっているようだ。
出発3時間以上前なので、少し早いかとは思ったが、すでにコールカーター行きインディゴのチェックインカウンター前には行列が出来ていた。チェックイン完了してからコンビニで食事を買ってベンチで食べる。
ターミナル内のレストランで食べると空港で食べると、1品250~300バーツくらいの値段が付いているため、サービス料だか税だか加えて1,000円くらいになる。タイの一皿は小さいので、2品頼むと2,000円くらいになってしまう。
「さあ、旨いものを食うぞ」とグルメな名店に繰り出すならともかく、空港での食事などに余計な出費をしたくはないものだ。コンビニで肉まんと弁当合わせて71バーツ。こんなもので充分だ。
ターミナルビルの1Fにはこのような食堂があるようだ。
スワンナプーム国際空港の社員食堂「マジック・フード・ポイント」 (travel.co.jp)
しかしながら空港到着、チェックインカウンター、イミグレ、搭乗口へと進む動線上にないと、面倒で利用する気にはなれない。

翌日のフライトが早朝のため、チェックインは夜明けよりもかなり前となる。
そのためスワンナプーム空港近くのラートクラバーン地区にあり、ターミナルビル入口までのトランスファーが付いている宿に宿泊することにした。
このエリアにあるホテルは、どこも宿の造りや部屋の造作もとてもよく似ている。これまでいくつも異なる宿を利用したが、あまり区別が付かない。
2006年9月に開港してから、雨後のタケノコのように次々にこうした宿がオープンしたのだが、デベロッパーたちが、地権者たちに「儲かりまっせ」と売り込みをかけた結果、どれも同じようなものとなった、というような背景もあるのだろう。
カオサンやスクムヴィットのような「ホテル密集地域」といった具合ではなく、広大なエリアに、そうした施設がポツポツと点在している。昔であれば、それこそ有名なガイドブックにでも掲載されなければ、旅行者たちに知られることもなく、たちまち経営難に陥ったはずだ。
ちょうど旅行予約サイト隆盛の時代を迎えてからであったので、売り込む側にはそうしたセールストークもあっただろうし、地権者側としても納得のいくものであったのかもしれない。
実際のところ、あまり大繁盛というような状況ではないどころか、混雑している様子を目にしたことがない。市内の宿と異なり、あくまでも早朝・深夜の乗り継ぎ用宿であるがゆえに、連泊する人はほとんどいないため、経営は厳しいものと思われる。
昔からあるドンムアン空港界隈では、ネット出現以前から大小の宿泊施設がターミナルビルからの徒歩圏に集中しているのとは対照的で、スワンナプーム空港の場合は宿泊費が大変高額なNovotel Bangkok Svarnabhumi Airportか、ターミナル内にあるカプセルホテル(これまたカプセルホテルとしてはずいぶん高い)以外は、空港からクルマで移動する距離にある。ラートクラバーン地区にある飛行機乗り継ぎ用のいわゆる「トランジット・ホテル」の多くは「空港からの無料送迎付き」であることからも、スワンナプーム空港近くの宿が過当競争にあることが窺える。