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カテゴリー: economy

  • OMAXE CHOWK in Chandni Chowk

    OMAXE CHOWK in Chandni Chowk

    OMAXE CHOWKという豪奢なモールがデリーのチャーンドニー・チョウクにできるらしい。あんなカオスな場所に?と思うかもしれないが、もともとチャーンドニー・チョウクはムガル皇帝一族や宮中の貴人たちを相手にするマーケットがあったところ。噴水と水路が流れる(イスファハーンのそれを想像するとよい)を持つ目抜き通り。1857年のインド大反乱後にムガル朝が終焉を迎えてからも引き続き大きな屋敷が立ち並ぶ瀟洒なエリアであった。

    それが今のような人口密度の稠密な商店街となったのは、印パ分離の際、ここに多く住んでいたムスリムの上流層が大挙してパキスタンに移住したため。それと入れ替わるように、地元の庶民たちやパキスタンから流入したヒンドゥー教徒たちが空き家となった屋敷や敷地を占拠、そして又貸しするなどして、それぞれの物件が細分化されていくとともに、オリジナルな構造にさまざまな改造が重ねられるとともに、メンテナンスの欠如から崩壊していくこととなった。

    そんなわけで、元々あったような形に一部が戻る?というような具合であるかもしれないのだが、現在あの状態にあるエリアでこのようなモールが出来上がってちゃんと意図したような形で繁盛するのだろうか。あるいは建物は立派でも、やっぱりチャーンドニー・チョウクがそのまま入居したような具合になるのか。

    オープンしてから、近くにあるムグライやカシミーリーの旨い店を訪れるついでに立ち寄ってみるのが楽しみである。

    OMAXE CHOWK (OMAXE)

  • 街角のよろず屋の風景

    街角のよろず屋の風景

    極小の間口、中で店主が椅子にでも座るとそれでいっぱい。

    そんな小さな店ながらも、なかなかの品揃えの雑貨屋さん。限られたスペースを「店舗兼倉庫」としてフル活用。先入れ先出しで品物を効率よく回転させていくこうした店はカッコよくはないかもしれないけど、ある種の機能美を感じる。店頭で何かを頼むと、迷うことなく数秒後にはカウンターの上に「ほらよ!」と出てくるものだ。

    もちろん店主の人柄、性格にもよるので、狭くてかつ埃だらけだったりするところもなくはないものの、たいていは上手に切り盛りしている。

    おそらく父親から教え込まれたこと、自ら経験して得てきたことなどが、店内に反映されているのだろう。

    長年立ち寄ることが多い街角では、そんな店の中にいる人が年配男性からいつの間にか若者になっていて「代替わりかな?」と思ったり、まったく別の店に入れ替わっていることに気が付くこともある。

    いつも同じに見える一角も、実は日々少しずつ変化している。ちょうど店の中の品物がお客に売れて新しい商品が入荷したり、製品が廃版となり、後継商品が発売されたりという具合に、街角の中身も入れ替わっていくものだ。

    いろいろな人やモノがぎっしり詰まっているのもまた、街角のよろず屋さんのたたずまいに似ているように感じる。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ウッタルプラデーシュ州政府観光公社がツーリスト・バンガローを隣州に建設

    ウッタルプラデーシュ州政府観光公社がツーリスト・バンガローを隣州に建設

    ヒンドゥスターン紙にウッタルプラデーシュ政府観光部によるこんな広告が出ていて、「あれれ?」と思った。

    ウッタルプラデーシュ州政府観光公社が州内各地で「Tourist Bungalow」その他の名称で展開している公営の宿を展開しているが、このたびバドリーナートにそうしたホテルを建てるとのことで起工式についての広告だ。中央政府のモーディー首相、ウッタラーカンド州首相のトリヴェンドラ・スィン・ラーワト、ウッタルプラデーシュ州首相のヨーギー・アーディティャナートも写真が並んでいる。

    他メディアによるウェブ配信記事にもこれに関するものがあった。

    Yogi to lay foundation of UP tourist guest house in Uttarakhand (daijiworld.com)

    インドでは州毎に州政府観光部の下に観光公社の類がある。ウッタラーカンド州で州政府系企業GMVN(Garhwal Mandal Vikas Nigam)が州内各地で「Tourist Rest House」「Tourist Bungalow」「Yatri Niwas」等と称して、公営の宿を展開しているのだが、広告にあるバドリーナートにおける新たな公共の宿を建設・運営するのは隣にウッタルプラデーシュ州の観光公社。

    ウッタラーカンド州は2000年11月にウッタルプラデーシュ州から「ウッタラーンチャル州」として分離(その後2006年に「ウッタラーンチャル州」に改称)した経緯があるが、その際に政府機関や政府系企業も立地を踏まえて州ごとに再編成された。

    通常は州を越えて他州内でこうした宿を運営することはないのだが、ウッタルプラデーシュ州とウッタラーンチャル州では、観光以外にも水利関係でも資産をシェアするという取り決めがあるらしい。

    Sharing of assets between UP & U’khand will be resolved in 2 months: Yogi (nyoooz.com)

    インドでも縦割行政について、いろいろ取り沙汰されることは多いが、こうした協業?みたいなことが可能となるのは、やはりウッタルプラデーシュ州、ウッタラーカンド州ともにBJP政権という相性の良さが下敷きにあるのだろう。

    さて、「公営の宿」という存在については、インドでも「民業圧迫」として意識されているため、そうした資産の多くを積極的に民間に売却済であったり、そうした方向にある州も少なくないのだが、経済的にまだまだむずかしい地域などでは、こうした施設が州政府により新設されるケースもまだあるようだ。

  • ラーンチーへ

    ラーンチーへ

    ムンバイからラーンチーへ空路で移動。機内に乗り込んだのは、ほとんど日が沈んでからであったが、まだ明るさは残っていた。午後6時前に離陸して上空に出てから安定飛行に入ると、どんどん暗くなっていくいっぽうだ。日が沈んでからもしばらく残っていた光は瞬く間に消えていき、夜空となっていく。

    ラーンチー の街の灯りらしきものが見えてきたことに気が付いたのは、夕方7時を過ぎてから。ラーンチーの空港は2013年に開港しただけあって、今どきの空港らしいモダンさ。しかも「国際線乗り継ぎ」の案内もあるし、イミグレーションのカウンターもあった。一応、国際空港としての体裁は整えてあり、立派なものだ。まだどこからも国際線の乗り入れはないし、そういう計画も聞かないのだが。

    ラーンチーの街の灯が見えてきた。

    昨年のこの時期、着陸して腰を抜かしそうになったラーイプル(チャッティースガル州都)の空港ほどのウルトラモダンさではないとはいえ、近年はインドの田舎州でもずいぶん立派な箱モノを造るようになっている。

    空港のターミナルビルを出た。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • EMPIRE ROYALE HOTEL

    EMPIRE ROYALE HOTEL

    ムンバイのエンパイア・ビルディングにある「エンパイア・ロイヤル・ホテル」というエラそうな名前だが、ドミトリー専門のホテルらしい。
    ボロッボロかといえば、そういうわけでもなく、けっこうキレイであるという評判。
    1901年開業というから、120年近く営業している老舗ということになる。
    当時は安宿ではなく、いつしか没落してこうなったのかもしれない。
    歴史があり建物も立派で、ちょっとした名門ホテルになっていてもおかしくないのに、「未完の大器」のままで年月を経たホテルというのは、インドにけっこう多い。
    だがまさにこういう宿こそ、ホテルが歩んできた道のりの悲哀とか喜怒哀楽みたいなのが感じられ、味わい深いと言える。宿の快適度は宿泊料金に比例する部分はあるかもしれないが、こういうヘリテージな部分については、たとえ四つ星、五つ星ホテルといえども、敵うものではないのである。

  • SIM超速開通

    SIM超速開通

    タイやネパールのように「購入したその場で開通」という具合ではなく、購入してから電波を受信できるようになるまでしばらくかかり、受信できる状態になったら「ヴェリフィケーション」を実施してしばらく待ってからようやくネットを使えるようになるインドでは、入国してからすぐにネットを利用することができず、ちょっと不便な思いをしていた。

    すぐにネットがなければ旅行できないわけではないが、日常生活でネットなしで30分と過ごすことすらないので、こと旅先ともなると、ものすごく不便に感じるのは当然のことだ。

    そんなインドで、「SIM開通がずいぶん早くなったよ!」と聞いていたとが、購入後なんと10分だか15分だかで開通して、いたく感激した。

    以前は購入した翌日だったこともあった。その後所要時間が半日になったり、3、4時間になったりしていた。都会で買いそびれて、グジャラートのブジで購入したら、開通まで1週間くらいかかったこともあった。もちろん今でも田舎で外国人がSIMを購入しようとすると断れることは珍しくないのだが。

    今回は手で記入するフォームではなく、店の人が自身のスマホに入っている「登録用アプリ」で入力しており、パスポートの画像を入れ込んだりして登録していた。今や写真も不要となり、店の人がスマホで撮影したものをフォームに落とし込んでいた。ずいぶん便利になったものである。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • MARVEL x MINISO

    MARVEL x MINISO

    MARVELとMINISOのコラボ店。デリーのコンノートプレイスのCブロックにて。中を覗いてみると、各種さまざまなコラボ商品があり、込み合っている。なかなか良い物を売っていると思う。結局、水筒を2本買った。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • バンディプルの町並み

    バンディプルの町並み

    カトマンズからドゥムレーに到着した。バンディプル行きのバスはしばらくなかったので、タクシーで移動することにした。斜面を上っていくとともに、目の前に開けてくる緑豊かな山並みの様子が素晴らしい。

    町はずれのバスストップに到着し、宿に荷物を置いてから散歩に出る。伝統的なネワール建築のバクタプルとはまた違った良さの洋館風の町並み。ネパールと西洋の折衷建築の数々が面白い。こうした建物の多くが食堂や宿泊施設などとして現在は使用されている。

    もともと交易の中継地として栄えた町だが、プリトヴィー・ハイウェイ建設時にルートから外れてしまったため、寂れてしまい現在に至っているパンディプル。商取引で大いに栄えた時代の建物や屋敷などが多く残っており、この景観こそがこの町最大の宝である。

    こうした建物の保存と修復のための寄付の貢献をした人々を記念する塔や石碑の類いがいくつも見られる。洒落た館を多数残してくれた先人たちの功績もさることながら、こうした文化遺産の維持のために貴重な財源を寄附してくれている人々の意識の高さに負う部分もとても大きいことは言うまでもない。

    寄附等の貢献をした人々の名前を記した記念碑

    靴屋の軒先にて
    マオイストのプロパガンダ
    バンディプルの町からの眺望も素晴らしい。
    レストランが多いため、いろんな食事を楽しむことができる。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • バンディプルへ

    バンディプルへ

    空調の効いた車内

    ポカラ方面行きの「マイクロ」に乗り、ドゥムレーで降りてバンディプルを訪問したのだが、こうしたバス移動がずいぶん快適になっていることに感心する。クッションは効いているし、リクライニングはないものの、背もたれに多少の傾斜は付いているし。昔々のオンボロバスと違って、これなら子連れ旅行も楽勝だ。

    2019年のネパールの定番ルートはずいぶん良くなっている。道路もとても良くなっていて・・・といっても、比較対象が1980年代後半の話なので、進化していて当然のことではあるのだが。

    当時、ポカラとカトマンズを結んでいた「ラグジャリーなバス」とやらがあった。たしか「スイスバス」と呼ばれていたもので、とても窓が大きくて眺望の良い車両だった。ただし道路が悪かったので、ポカラを早朝に出てカトマンズの夕方遅くに到着するような感じだったように記憶している。

    もっとも今は、この幹線道路が渋滞したりするので、複数車線化しなければ、移動速度は頭打ちかと思うが。この日も事故による渋滞がひどかった。

    マナカマナーのケーブルカー乗り場の前にニセ日本企業のMINISOが出店しているのでビックリした。中国企業だが、名目上の登記を東京で行っており、「日本企業」を名乗っているとはいえ、置いてあるモノは良い品が多いため、個人的にはかなり好感と信頼感を抱いている。

    MINISOの店舗

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • カトマンズ・バクタプル間を結ぶトロリーバス

    カトマンズからバクタプルまで中国の援助で建設されたトロリーバスが運行されていたことを思い出した。

    カトマンズのカンティ・パトを南下してトリプラー・マールグと交差するあたりから出て、バクタプルの南側、道幅が拡張される前で細い道に過ぎなかったアルニコー・ハイウェイ沿いのスーリヤー・ビナクまでを結んでいた。都市化が進んだ現在と違い、カトマンズとバクタプル間の道路の左右に田園風景が広がっていたことを記憶している。

    2001年末にカトマンズからバクタプルまでを結ぶ運行は終了。2003年からは、カトマンズからバクタプル行きの通過点となるコテーシュワルまでの運行となり、2009年にはトロリーバスの営業自体が終了となっている。

    トロリーバスなるものに乗車したのは、カトマンズが初めてだったので、その後中国を訪問した際、上海や北京などで利用して、そのネットワークの広さと、スケジュールの過密さには大変驚いたものだ。当時の中国はずいぶん貧しかったとはいえ、大都市における公共交通機関ネットワークの充実ぶりは見事なものであった。

    KATHMANDU TROLLEY BUSES IN 1979 (Youtube)

    NEPAL KATHMANDU TROLLEYBUSES 1998

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • パータンの宿

    パータンの宿

     

    ネワール式建築の家屋を宿泊施設に転用した「Newa Chen」に投宿。もともと裕福な一族の屋敷であったものなので、窓枠の彫刻飾りや建物内外の意匠など、眺めていて楽しい。

    ただし天井がとても低く、中肉中背の私でも天井の高さは頭頂部ギリギリで、欄干をくぐる際には少ししゃがみこまないと、頭をぶつけることになるのが、伝統的なネワール家屋のサイズ感。背丈190cm近い大男たちがゴロゴロいるスカンジナビア半島の人たちが訪問したら、天井の低さに音を上げそうだ。

    前日には、このような建物が食堂に転用されたところで夕食を摂ったが、上階から階段を降りきったところで、額をしたたか打ちつけてしまい、一瞬意識が飛んだ。一般的に小柄な人たちが多いネパールだが、これらの建物が出来た頃には、おそらく男性でも背丈は概ね160cm前後だったと思われる。

    近年の建物はこうした規模感で造られることはないようだし、若者たちも私たちからみて、そんなに小柄なということもない。おそらく食生活や生活スタイルの変化により、体格が飛躍的に向上したということなのだろう。言うまでもなく、日本でも私たちの祖父祖母世代では、かなり小柄な人たちが多かった。

    また、日本よりもずいぶん早くから豊かだったアメリカでも、第二次大戦あたりまでは、それほど長身の人たちがたくさんいたというわけではなかった(当時の日本人はとても小さかったので、この頃のアメリカ人たちは相対的に大柄ということにはなるが)ようだ。たぶん、幼い頃から毎日、肉など高タンパク質な食材を充分摂取できるようになっていることが寄与する部分は多いにあるのだろう。

    つまり食肉生産の「工業化」により、ブロイラーのごとく、まるで工業製品であるかのように大量発生生産できるようになったこと、同様にそうした生産物の大量輸送量と長期にわたる大量保管が可能となったため、いつ何時でもこれらが入手出来て、家庭においても保管できるようになったことだ。もちろん肉類だけでなく、農業生産の分野でも品種改良や栽培技術が進んだため、大量生産によりふんだんに市場に配給されるようになっている。

    日本の私たちの世代は、生まれた頃にはすでにこのプロセスが完了していたので実感することはないのだが、国によってはある時期を境に人々の体格が著しく向上している地域がある。

    ネパールの都市部もたぶんそうなのだろうけれども、インドのパンジャーブ州などは、その典型だろう。もともとアーリア系の形質を濃く受け継いだ人たちが多いことも関係している (大きく逞しくなる潜在力が大きい) かと思うが、今の30代前半くらいまでの若い人たちの中には、とても長身な人たちが多い。彼らの親世代も体格に恵まれた人たちは少なくないとはいえ、それほどデカい人たちは多くはないのに。

    おまけにマッチョな地域柄、尚武の民スィク教徒が多いという背景もあり、格闘技は盛んだし、お手軽に強そうに見せるためのボディービルも盛んなお土地柄。そのためちょっと暮らし向きに余裕のあるエリアでは、どちらに目をやってもデカくてムキムキのバカマッチョたちがふらふら出歩いている。

    伝統家屋の天井の低さから話は飛んでしまったが、そこからいろいろ思いが及ぶところがあるものだ。

    「Newa Chen」ウェブサイト

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ビシャール・バーザール

    ビシャール・バーザール

    ニューロードのビシャール・パーザール (Bishal Bazar)。かつてはネパールの首都随一の高級マーケットでインド人たちがよく買いに来ていた。インドが「マッチから人工衛星まで」と言われるほどの「自力更生型」経済の国であったころ、国内マーケットに溢れる粗悪な国産品と対照的な位置にあったのが貴重な舶来製品。洋酒、時計、カメラ、テレビその他、ありとあらゆる外国から輸入された品物がここで売られており、インドの都市部から大勢の人たちが買い出しに来ていた。

    こうした物を求めてインドからわざわざカトマンズまで人々がやってくるというのは、今では考えられないことではあるが。

    当時は高級感溢れる商業ビルに感じられたが、今はそのようなムードはない。別に建物が老朽化したとかいうわけではないようだが、周囲のレベルがそれなりに向上すると、相対的にそういうことになる。

    Bishal Bazar in Kathmandu, Nepal (Youtube)

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。