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カテゴリー: travel

  • サダルストリートのブルースカイカフェの謎

    サダルストリートのブルースカイカフェの謎

    年始にちょこっとカルカッタを訪れたときの写真。何十年もあんまり変わらないたたずまいだ。ひどく不味いわけではないが、さりとて何か旨いものがあるわけではまったくない。早朝から開いているのはここだけ(及び向かいの似たような店)しかないので、やむなく利用したりする。

    お客は欧米や日本などからの安旅行者と、界隈からバングラデシュからの直行バスが発着するため、バングラデシュ人客が多い。

    いつ無くなっても不思議ではない没個性なダメ食堂ではあるが、なぜかそれなりに繁盛して、店舗内だけではなく、近隣のゲストハウスでルームサービスを頼むと、ここから宿まで運ばれ、宿のボーイが客室に持っていくようになっている。

    キッチンを持たない安宿と客室を持たない安食堂の持ちつ持たれつの関係があるが、ちょうど安宿街の真ん中に位置しているため、便利なロケーションであることに加えて、朝早くから夜遅くまで開いているという、この通りでおそらく最も長い営業時間が幸いしているのかもしれない。

    さりとて、この店が繁盛する理由など何もないように思われるのは、近年界隈でいくつかキレイな店が出来ているからだ。だが不思議なことに、そういうちょっといい感じの店は、次に行くと無くなっていたりするのに、こんなブルースカイカフェ如きが永遠不滅なのはなぜだろうか?

    ミニマムなコスト、最低限の努力?で最大限の利益を得て長続きしているとすれば、ここのオヤヂは経営の神様かもしれない。もっとも、界隈にあるオンボロ宿、モダンロッジやホテルパラゴンも最低限の投資でずいぶん長く続いているので、彼らは天才経営者?なのかもしれない。

  • ガジェット類の充電コンセント

    ガジェット類の充電コンセント

    とかく今どきはデジカメ、スマホやタブレット等々、宿の部屋に戻ってから充電しなくてはならないものがいろいろある。
    いっぽう、その需要に応えて部屋の充電環境が向上したということもないので、USB機器接続コンセントで複数の機器に繋ぐことができるものを携行したり、ひとつのタップから複数機器に繋ぐことができる器具を持参したりすることになる。
    タイで利用した真新しいゲストハウスでは、こんなものが用意されており、なかなか良いサービスだと感じるとともに、こういう感じでもっとコンパクトになったものがあったら、旅行の際に荷物に放り込んでおくと重宝するだろうと思った。

  • 勉強熱心な運転手さん

    勉強熱心な運転手さん

    スワンナプーム空港から市内に向かうために利用したタクシー。年配の運転手は、信号待ちになるとすぐに絵本のようなものを広げている。何かと尋ねてみると、「はい、こういうのに毎日目を通しているのです」と彼から手渡されたのは、タイ語から英語を参照するフレーズブックであった。昔からタクシーを運転していたわけではなくて、近年になってからこの仕事に就いたこと、毎日のように外国人に接するので、英語学習が必要と思うとのこと。
    勉強熱心な人であった。

  • インド系商業ビルの外で

    インド系商業ビルの外で

    バンコクのインド人街、パフラット地区にあるグルドワラ・スリ・グルー・スィン・サバーのインディア・エンポリアムという商業雑居ビルのすぐ外に、こんな立て札があった。
    マナーの悪い新参者のインド人が多いのだろうか。
    『ツバ、タン吐き禁止だぞ。捕まったら罰金500バーツ、いいかぁ?』というような、簡単な注意書きで間違いがあるくらいなので、これを書いたのはバンコク生まれのインド系の人かもしれない。
    界隈には、複数世代に渡り長くタイに在住してきたインド系タイ人、近年インド本土からやってきた人、ネパール人、隣国ミャンマー在住のネパール系の人などが多く出入りしており、インド料理の店、ミターイーの店、神具屋にインド衣類の店なども集中している。このあたりのインド系の人たちの人口は、そこそこの規模がありそうだ。
    ふだんは乗換えで立ち寄る程度のバンコクだが、いろいろ調べてみると興味深そうに思える。

  • ゴアの郵便

    ゴアの郵便

    Basilica of Bom Jesus
    Basilica of Bom Jesus内部

    オールド・ゴアのBasilica of Bom Jesusに併設されている博物館を訪れた。ここで植民地時代の遺物や歴代の総督や要人の絵とともに、ポルトガル領時代の郵便に関する展示があり、なかなか興味深かった。
    ゴアとポルトガル間での郵便の往来は1510年に開始されたそうだ。所用6ヶ月ほどで、喜望峰経由の運搬。海賊被害や海難事故により、届かないことも多かったのだとか。
    また1798年3月23日から(日付もきちんと記録されているのはさすが西洋の国)は、ゴア、ボンベイ、ダマン、ディーウ(ここまでは当時のポルトガル領インド。ボンベイは、1961年にポルトガルのカタリーナ王女が英国王室に輿入れの際、イギリスに割譲)、スーラト(現在のグジャラートの港町。ここにポルトガルの東インド会社商館があった。ポルトガルからイギリスに割譲されてからボンベイが急成長することにより衰退) 、モザンビーク、そしてポルトガル本国のリスボンとの間での郵便が開通。
    しかしながらこれは政府間の書簡の往来のためでありも民間人が利用できるようになるまではその後1世紀近くかかったらしい。
    また、英領インドとの間では1822年から始まったらしい。そのいっぽうで、ゴアの地域間での郵便の往来は、1843年から開始されたというから、これはずいぶん遅く感じられる、ポルトガル領インドの通信史というテーマも面白そうで興味をかきたてられる。

    ゴア・ポルトガル間の郵便往来が始まった1510年当時、ここに暮らす大半の人たちにとって、リスボンはまるで宇宙の彼方のようなものであったことだろう。
  • マプサのマーケットにて

    マプサのマーケットにて

    タイ産のドラゴンフルーツ

    ドラゴンフルーツが売られているので、産地を尋ねてみると、やはりタイからの輸入。地元の人たちからのウケが良ければ、このあたりの沿岸部で栽培される日もくるかもしれない。

    話は違うが、インドのこのあたりでは、ドリアンの野生種が自生している地域があるものの食用にはされず。インド人が関心を示さないがゆえに、商業作物にはならないわけだが、何かの弾みで広く浸透することもあるかもしれない。

    インドの人たちの間で、茶を飲む習慣が一般化したのは1920年代後半から1930年代にかけて。最初は中国の清朝の専売品であった茶の葉がインドで栽培出来るようになった当初は欧州向けの利ざやが大きな商品だったものの、栽培技術の進化と普及により、収穫が増えるだけでなく、マレーシアやケニアなどで生産された茶の葉が国際的に出回るようになり、在庫がダブつくことになった。

    その結果、インド紅茶局は、当時3億人規模の人口を有していたインドをマーケットに取り込むことを画策し、全国で『お茶を飲みましょう』というキャンペーンを打ったことがそもそもの始まりだ。

    それまでまったく馴染みがなくても、きっかけ次第でそれがガラリと変わることもある。ミャンマーからマレー半島にかけてインド系の住民が多いが、その中にフツーにドリアン好きが大勢いる。決して、インド人の好みに合わないというわけでもなさそうだ。

    しかしドリアン。植物の実ではあるのだが、極めて官能的な味わいと動物性原材料が含まれているかのような食感は「ノンヴェジ」ではないかというのが、私の個人的な見解。

    有名なマプサのマーケットは実に広大

    魚の乾物類いろいろ
    スパイスの類も品揃え豊富

    各種ナッツ類の専門店

    ちょっと奇怪な形のヒンドゥー寺院があった。

  • ゴアンな料理2

    ゴアンな料理2

    デザートのベビンカを食べ終えてから、付近の別の店に入り、ゴア料理アイテムのひとつ、サクティーを注文。こちらはチキンのものにした。やはりゴアにいるときには、個性的なゴア料理を楽しみたい。

    その後、再び場所を移して、ポルトガル風家屋を転用したレストランで、ポーク・バルチャオ、カリフラワーの炒め物、ライスはウグラーというゴアの赤米を注文。粒が大ぶりで丸いもので、ケーララあたりでも近縁と思われる品種があるが、独特のコクがあって面白い。

    食後にはカラメルプリン。使われている卵もカラメルソースも濃厚。香り高く、天にも昇るような陶酔感で本日の食事はシメとなる。

    帰り道、ホテル近くに酒場があったので立ち寄ってみる。ビールのツマミにゴアンソーセージ。かなり酸味と塩味が強いゴアのソーセージのぶつ切りと野菜を一緒に炒めたものが出てくる。今度はビールによる軽い陶酔感で、心地よいゴアの夜は更けていく。

  • ゴアンな料理1

    ゴアンな料理1

    ゴア名物、豚の角切り肉をふんだんに使ったポーク・ソルポテルとポルトガル式パン。ポルトガル本国にこれがあるのかどうか知らないが、印葡ハイブリッドな料理ということになっている。

    インドで豚を食べる地域はとても少ない(北東地域など)が、ゴアにおいては豚肉料理はバリエーションも豊富。

    地域を支配するにあたり頂点を抑えても、人々の信仰や生活については基本的に関与しなかった英領地域と異なり、地域内でヒンドゥーの祭祀を禁じ、カトリックの教えとポルトガル式の価値観を浸透させたポルトガル。生活様式や食生活にも大きな影響を与えたがゆえに、『ゴアン』という独自のアイデンティティを形成することになったようだ。

    ゴアのスイーツといえば、まずはベビンカ。ちょうど羊羹のような食感。ポルトガル時代にできた菓子と聞くが、ゴアを拠点にフィリピンや日本など、東方で広く布教活動に従事したイエズス会のフランシスコ・ザビエルもゴア帰還の際にはこの味を楽しんでいたのかもしれない。

  • ダージリン騒乱 観光客増を見込む近隣国

    もうひと月以上も続いているダージリンでのバンド(ゼネスト)と政情不安の結果、当分の間はダージリンは行楽先から外れることとなる。それに従い、観光客たちがネパール、ブータンへ流れることが見込まれている。
    高額なパッケージツアーに参加しないとブータンに入国できない私たちと違い、ビザ無しで個人で自由に旅行できるインド国民にとっては、近くて安い訪問先である。
    インド人にとって、デリーやムンバイー発のグループツアーを利用しても、タイのバンコク、パタヤー、プーケットなどを訪問する月並みなツアーと、ブータンのティンプー、パロー、プナカーなどを訪れるパッケージがほぼ同じくらいの金額で出ているポピュラーな行楽地だ。
    しかもブータン通貨のニュルタムはインドルピーと等価であり、ルピー現金がそのまま通用することもあり、英語もヒンディー語も広く通用するため、インド国内旅行の延長として捉えられている。
    ことブータン訪問に限っては、インド旅券が欲しくてたまらない。

    Bhutan and Nepal cash in on Darjeeling crisis, woo tourists (THE TIMES OF INDIA)

    ※「ゴアンな料理2」は後日掲載します。

  • The Open Library

    The Open Library

    ゴア州都パナジーの中心地にある広場。カトリックの聖堂、ポルトガル時代から引き継がれて使用されている官庁の建物などがあるエリアで、文字通り「街のヘソ」だが、ここの大きな公園には、「オープン・ライブラリー」と名付けられた書棚があった。

    置かれているのは主に雑誌、そして軽い読み物くらいのものだが、付近の人々(主に年配層)が、ここから持ち出して園内のベンチで読んでいたりする。
    他の街でこういうものを設置していたら、アッという間に蔵書がどこかに消えてしまいそうだが、やはりパナジーは文化的というか、ゆったりとした落ち着きが感じられる街である。

    The Open Library

  • Goa Português

    Goa Português

    街の中心に大聖堂があり、その傍らにきれいな公園と官庁などが入る植民地時代の建物があって・・・という光景は、ラテンアメリカでもよく見たことがある。

    バックパッカーをしていた1989年だったか、初めてゴアに来たときに、同宿だったアメリカ在住のブラジル人が、『なんかこのあたりの横丁曲がったら、僕の父ちゃんと母ちゃんが住んでいる実家に帰れそうな気がするんだよね〜』と言っていたことを、ふと思い出した。この人とは、その旅行中にイランで再会して、一緒に観光したり、食事に出かけたりもしたので、記憶に残っている。

    当時のインドは、まだ停滞していた時代だったので、パナジーにもポルトガル時代の建物が沢山残っていた。
    『へぇ〜、ブラジルってこういう感じなのかい?』とか話したりしたが、さすがに2017年のゴアではそういう眺めは少なくなり、歴史的な建造物を除けば、行政主導の景観保護地域に指定されているエリアでないと、往時を偲ぶことは容易ではなくなっている。

  • パナジーへ2

    パナジーへ2

    旅行とは、「筋書きのないドラマ」的な側面もある。
    「これで終点のパナジーまでラクチン」とタカをくくっていると、そこからさらに3時間ほど進んだところで、バスはお馴染みのブレークダウン!

    往来の少ない道路でバスが故障という状況からの「突破」を図ろうとする乗客たち

    ーインド人の突破力ー

    何度もエンジンをかけて、しばらく吹かしている運転手。何事かと尋ねると、圧縮ブレーキの圧力が不足しており、ここから下り坂が続くので、不安とのこと。それはホントに危険だ。運転手の敗北宣言を耳にしたインド人乗客の対応は素晴らしかった。

    乗車たちは手ぶらで身軽な人も大荷物を抱えた人も即座にバスを出て、道路際で待機する。往来がやけに少ない道路で、ようやくやってきたバス乗り込めないと、バスで目の前を塞がれて停車した自家用車やトラックのドアを空けて我先に乗り込む。おばさんたちも『どこか町までよろしく!』と、太い腕と大きな尻をぐいぐい押し込んで乗車する。確かに一人で乗ると、どんな人のクルマかわからないので怖いのだが、同じクルマに5人、6人乗れば安心。見事なものだ。そこに割り込もうとした私だが、バワー不足で入れず。

    車掌は通りかかりのバイクを止めてくれたが、パナジーまでかなりあるし、ヘルメットなしというのも怖い。リュックもあるので、さすがに遠慮しておく。私の代わりに若いインド人たちが乗っかっていく。

    インド人とはいえ、みんながみんな、押しが強いわけではなく、私と同じく突破力に不足している控えめな人たちが取り残された。

    その後、だいぶ経ってから、さきほど敗北宣言したはずの運転手が『まぁ、なんとか行けるかも?』と、バスを転がし始めることになったのだが、『やっぱりねぇ、圧縮ブレーキのプレッシャーが足りなくて怖いや・・・』とボヤきつつ、ノロノロと運転。

    私の今後の課題は、やはり「突破力」である。