バスでローハルガルを後にして、スィーカルに到着。バススタンドに面した新築のホテル内にあるレストランに入る。
なんと、ここでは「ターリー定期券」なるものが設定されている。ひと月3500Rs支払えば、何回来ていくら食べてもOKというシステム。ここのターリーは簡素だが味はよかった。この町に単身赴任していて、住居がごく近いというような一定の条件が揃っている人にとっては、なかなか魅力的かもしれない。



背後が禿山であることを除けば、あたかもヒマラヤの山中にあるかのようなたたずまい。ちょっと涼しげな眺めではあるものの、ラージャスターンの丘陵地にあるため気温は高い。沐浴はしていないが、湧き水は冷たくて心地よいのか、それとも熱せられた大地から出てくる水は、まるで温泉状態なのかは確認していない。

しかしながら、雨季乾季を問わずこんこんと湧き出て、霊験あらたかとされる泉、スーリヤクンドを囲むガート、それをさらにぐるりと取り囲む寺院の雰囲気は良好。周囲は門前町になっており、ダラムサラ(巡礼宿)などもいくつかあるようだ。
たしかこのあたりはアラーワリー山脈の支脈ではなかっただろうか。北デリーのリッジあたりからハリヤーナー州を通ってラージャスターンを縦に抜ける山脈。一番高い頂はヒルステーションとして知られるマウント・アーブー。
このあたりの山々(連なる丘陵と言うべきか?)は、かつて深い森であった時代もあるという。近代以降の森林伐採が大きな理由のようなので、そのあたりまでは、今とは異なる風景が広がっていたようだ。





ナワルガルは方面によってバススタンドが異なり、これまたバススタンドに見えないバススタンドもあるので、慣れないとよくわからない。マーケットで人に尋ねてわかったのは、ローハルガル(Lohargal)へは「ウダイプルワーティー」(ウダイプルとは無関係)という町に行くバスに乗り、途中でゴリャーナー(Golyana)というところで降りて乗り換えるということだ。
距離は大したことないのだが、道路が良くないため思いのほか時間はかかるらしい。



困ったことに靴が壊れた。
半砂漠の土壌のシェカワティー地方の暑さのためらしいが、歩いていたら靴底が抜けてしまった。接着剤部分が糸を引いている。気温は46度くらいだが、路上はそれよりもかなり高いはず。貼り合わせ部分が溶解してこうなったのではないかと思う。履いているのは、古くなったので外履きに転用したフットサルシューズ。
ちょうどうまい具合に、目の前が靴の修理屋であった。「これはインドア用のシューズでしょう?この気温だとダメなんです。接着し直しただけだと、また剥がれてしまうのは目に見えているので縫い合わせしておきます。」と店の人は言う。
さすがにこういう気温なので、彼は路上で商っているわけではなく、ちゃんと店舗を構えた修理屋さん。壊れた靴やサンダルを直すだけではなく、新品の履物も多数販売している。傍らに新聞や小説類も積んであるので、日常的に読書をする習慣のある修理屋さんらしい。こういう人は珍しい。道理で、この辺で履いている人はいなさそうな「インドアシューズ」に関する知識もあるということなのかもしれない。

1990年代後半に修復工事を終えて博物館として公開されるようになったハヴェーリー。
先日取り上げたDr. Ramnath A. Podar Haveli Museumとともに、この地域の美しいフレスコ画で飾り立てられたハヴェーリーの存在を世の中に知らしめて、現在のように貴重な文化遺産として認識させる大きな力のひとつとなった。
シェカワティー地方独自のこうしたフレスコ画だが、面白いのはこの地域の人々が共有する伝統であるかといえば、そういうわけではなく、バニヤーカーストの人たちの間に広まった様式であり、一部の例外を除けば、他の有力なコミュニティの人々もこうした絵で飾り立てた館を競って建てたのかといえば、そういうわけではないことだ。
同じ地域に暮らしながらも、ときにほとんど交わることのない伝統を持つ「複数の社会」が重層的に共存しているのがインドらしいところである。

ここは改修して公開されるようになったハヴェリーのパイオニアで、まさにこの施設によって、シェカワティーの屋敷群が貴重な文化遺産として認知され、現在に至っていると言える。
シェカワティーのハヴェリーの中には、この土地固有の様式のものと洋館風のものがあるが、これは1階(日本式に言えば2階)が従来のスタイル、そこから上は洋風館風になっている。
その部分は1920年代以降に建て増しされたとのことで、各地にある洋館風のハヴェリーもだいたいその頃に出来たものらしい。そうした様式が流行したこと、それに応えることが出来る職人が出てきたことなどが背景にあるようだ。

このハヴェリーの所有者、ポーダルのコミュニティは、各種基金を運営しており、それらによって病院や学校などを経営しているため、シェカワティー地域のあちこちの町で、ポーダルなんとかと名付けられたそれらを目にするのだが、彼らの活動はインドの他地域はもとより、世界各地に及んでいる。

前回は、シェカワティーのハヴェーリーの安直な修復例について取り上げてみたが、さらに悲しい例もある。
描かれていたフレスコ画が荒れ果てて、壁を守ってきた漆喰自体も崩落が目立つようになったためだろう。建物自体の保護のために、石壁をあしらったビニール素材の壁紙で壁面を覆ってしまった例もある。
おそらくオーナーは古くから残されてきた絵には関心を持たないか、それを修復する費用の支出を賄うことが困難なのだろう。しかしながら家屋自体については末永く使っていきたいという意思の元でこのようになされているはずだ。
私有財産であること、フレスコ画の修復には多大な費用がかかるのでやむを得ないことであるし、所有者ではない私たちがとやかく言える筋合いでもないのだが。




近年は、シェカワティーが世界遺産登録を目指す動きなどがあるように、郷土の伝統として認識されるようになってきているこの地域のハヴェーリー。各地で積極的に保存や修復に取り組む例も増えているのは好ましいことだ。
しかしながらその一方で、安直な修復も目立つようになってきており、このような例も決して少なくない。バザールで売られている神様の絵のような感じで描かれており、遠目にはキレイに見えるかもしれないが、かなり残念なことと言えるだろう。
私有財産であるハヴェーリーは文化財登録されているわけではないし、ハヴェリーが条令等で保護されているわけでもないため、どのように処するかはオーナー自身の裁量に任されているわけなので、どうにもならない部分が大きい。




ハヴェーリーは間貸しに出されているところも多く、元々の所有者と縁もゆかりもない人が借りていることはよくある。そのいっぽう、今でも元々の所有者である家族や親族が寄り添うように住んでいる屋敷もあり、そうしたところのほうが保存状態も良いのではないかと仮定できるだろう。

ナワルガルの宿泊先の向かいにあるハヴェーリーはそうしたもののひとつで、家の人から少し話を聞いたが、一族はマールワーリーで、やはりずいぶん前の世代の人が財を成して建てたという立派な屋敷。現在の所有者一族は、いったい何をしているのか尋ねてみると、「ウチはみんな公務員か教員だよ」と、ちょっと意外な答えが帰ってきた。
だが、考えてみるまでもなく、マールワーリーといっても、誰もが商売上手でギラギラしているというわけではなく、地味に給与生活している人もたくさんいるのは当然のことだ。この静かな町で雑貨類を扱う、ごくごく小さな商店で生計を立てる「貧しいマールワーリー商人」だって少なくないのだから。
私が話をした奥さんは、現在は嫁ぎ先のハイデラーバード在住とのことだが、毎年一回は子供たちと実家に帰省しているとのこと。今回はひと月滞在するのだそうだ。
その隣、つまり私の宿寄りにはもう一軒のハヴェーリーがあり、屋敷の入口の部分に歴代の当主らしき男性、その奥方らしき女性の肖像画が描きこんである。屋敷のひとつひとつに個性があって面白いシェカワティだ。
