ただいまメンテナンス中です…

カテゴリー: life

  • 携帯電話 1

     待ち合わせが苦にならなくなったのはいつごろからだろうか。幾人かと待ち合わせすると特にこれといった理由もないのに必ず遅れてくる人がいるものだ。それは往々にして同じ人物であったりする。時間にルーズな人間というのはそういうものだ。一緒に待ち合わせしている誰かが自宅に電話して本人の家族に『何時ごろ出ましたか?』とたずねてみたり、一人暮らしの場合はムダだとは知りつつも留守番電話にメッセージを吹き込んだりなどした。そんなとき、待ち合わせに最大どのくらい待つことができるかということが話題になることもあった。
    さすがに待ちくたびれて『そろそろ置いて行こうか?』ということになったあたりで、くだんの遅刻魔は現れるものだ。みんながどのくらい自分を待っているかということをあらかじめ読んだうえで自分の到着時間を決めている確信犯だと思う。
     話は戻る。どのくらい待てるかという問いに対して『相手によるがせいぜい20分くらいかな?』という答えが最も多かったように記憶している。『記憶している』というのは、近ごろでは駅前その他の炎天下や吹きさらしなどで人と待ち合わせることがあまりないからだ。
     誰も彼もが携帯を持つようになったあたりから、待ち合わせといえば『じゃ××時ごろに××のあたりで』とアバウトになった。当日その場所に着いて見当たらなかったら携帯に電話する。あるいは相手からこちらにかかってくる。何かあってどちらかが遅れる場合も途中で連絡できるので、いつ来るかわからない相手を延々と待つ、あるいは反対に待たせてしまう心配もない。家や職場を出てしまうと連絡の手段がなかった時代と違って、お互いに目的地に行ったものの何かの行き違いで結局会えなかったなんていう失敗もなくなった。
     時間に間に合わない人については行き先を伝えて後から来てもらえばよいので、結果として遅刻魔の存在が目立たなくなっている。携帯電話の普及で待ち合わせのありかたもずいぶん変わったものだと思う。テレビ、白物家電、自家用車といったモノの普及時期は日印間でかなりの差があったものだが、携帯電話の行き渡る速度は両国で同時進行しているのが今の時代の面白いところかもしれない。

  • いつもその場所にあの人が・・・

     どこにあってもおよそ人々の一日の活動なんてそう大きく変わらない。朝起きて食事、学校や仕事に出かけて夕方に自宅に戻るというものだ。もちろん夜学校に通ったり働いていたりする人もあれば、もっぱら自宅で仕事するという人、あるいは営業でいつも各地を飛び歩いている人と色々あるのだが、それぞれほぼ決まった時間に各々のエリアで活動しているといってほぼ差し支えないだろう。
     そんなわけでどこか特定の場所に腰を落ち着けて周囲を眺めてみると、自宅から出るときにいつもあの人も道路反対側の家から出てくるとか、ここの道を歩いているといつもこの人とすれ違うとかなどといったことに間もなく気がつくようになる。
     たまにその人の姿を見かけなくても特段気にかけることもないのだが、すれ違う場所が違うと『今日は少し早く出たから余裕だな』と感じることもあれば、『こんなところで会うなんて今日は遅刻しそうだ!』と焦ったりすることもあるのだが、おそらく向こうもそんなことを思っているのではないだろうか。
     電車では降りる駅の出口や乗換口の関係もあり、毎日同じ車両の同じ扉とはいわずとも、だいたい同じあたりで乗車する人が多いだろう。その結果、いつものオジサンが同じ新聞を片手に立っていたり、しばしば見かけるキレイな女性が前の席に座っていたりする。
     朝の通学・通勤時だけではない。昼どきに食事に出たときも、同じ店のおなじテーブルあたりにいつも人たちがいたりするし、ほぼ時間が正確に決まっている朝に較べて夕方の帰りは人それぞれ時間が毎日同じということはあまりないが、よく見かける姿はあるだろう。この類の顔見知り(?)同士の特徴として、日々顔を合わせていながらも挨拶を交わす関係にはなりにくいし、もちろん声を交わすこともない。やがてお互いの居住地、職場、仕事の時間帯などが変わって、そういう人と日々すれ違っていたことさえ忘れ去ってしまう。
     まったく関係の無い者同士の日々の習慣的な活動の中での接点がたまたま重なっているため『また今日もあの人が』ということになるのだろう。
     だがこうしたルーティーンは決して長い時間をかけて出来上がるものではないように思う。日々イレギュラーな出来事が多い旅行中であってもそうした『習慣化』現象はそこここに見ることができる。宿のグラウンドフロアーのカフェで、昨日窓際の席で朝食を取っていたドイツ人カップルは今日もそこでトーストを食べていたりするし、昨夕の同じころ屋上で椅子に腰掛けてビールを飲みながら本をめくっていたイギリス人男性は今夕も同じようにそこにいたりする。私自身も先客がいなければ食事に着くときの席はだいたい『前回と同じ』ことが多い。
     なんだか動物の『縄張り』のようだなあと思うが、ヒトもまたこの世の中に生きる数多くの生き物のなかの一部なのだから、意識せずとも日々の何気ない行為の中にもささやかなテリトリーに関する本能のようなものが自然と働いているのかもしれない。

  • ユニバーサルな禅寺

     兵庫県新温泉町という山間の町に外国人たちにAntaijiとして知られる人気の曹洞宗の禅寺があるそうだ。この安泰寺を導いているのはドイツ出身のネルケ無方住職。今から四年ほど前に八代目の無外信雄住職から引き継いだという。
     このお寺のウェブサイトにアクセスしてみると、8ヵ国語でのコンテンツが用意されており、ずいぶん開かれたお寺という印象を受ける。そもそも仏教、そして禅というものが日本の『民族宗教』であるわけではない。地元の人であろうが外国からやってきた人であろうが、教えに関心を寄せる人々をオープンに受け入れてくれるのはありがたいことだと思う。
     ちなみにこのお寺では、欧米を中心とする各国からやってきた人たちが地元日本人たちと滞在しているようだが、この国際性がゆえに『共通語』は英語だという。
     私自身、このあたりに行くことはまずないのだが、いつかチャンスがあればぜひ訪れてみたい。

  • 飲んだら乗るな!

     
     近年、しばしば映画で見かけるシーンで気になることがある。飲酒しながら運転をしている場面が出てくることが少なくないことだ。割と最近見た映画の中でもLage laho Munna BhaiやDarna zaruri hai他でそうした描写を目にした。
     もとより飲酒運転をしようともよほど蛇行していたり、警官と対面して酒臭かったりしなければ捕まったりしないのではないだろうか。都会はおろか地方の小さな町などに行けばなおさらのことではないかとも思う。それに映画の社会への、特に若者たちへの影響力の強さを思えば少々気になるところだ。
     クルマだけではなく夏ごろにはエコノミーな料金で全国にネットワークを広げる航空会社のパイロットの『酒気帯び』が発覚したのも記憶に新しい。
     社会そのものがだんだん(地域によっては一足飛びに)飲酒に寛容になってきているので、昔よりも酒がかなりおおっぴらに飲めるところも増えている。かつては映画の中でも飲酒シーンを演じるのは悪漢であったり、何か非常にまずいことが起きて自暴自棄になっている主人公といったネガティプなイメージで取り上げられることが多く、それに続いて暴れたり女性に悪さをしたり・・・といった脈絡につながっていくことが多かったように思う。でも今ではスマートに酒を飲むシーンが多く、そんなハチャメチャなシーンも今は昔といった感じだ。
     インドで実生活の上でも人々が酒を飲む機会が増え、酒を飲むということがごく普通の生活上の行為として描かれることが多くなったことは、呑み助の日本人としては大いに歓迎したいが危険な飲酒運転だけはとても困る。この部分については決して寛容になって欲しくないものである。

  • 金の卵か?新型フリッジ『MITTI COOL』

    MITTI COOL
     生活の知恵をベースに開発された、グジャラート発の電気を使わないエコな冷蔵庫があるそうだ。表面に少しずつ滲み出て気化することにより、素焼きの壺の中に入れた水は外気よりもかなり冷たく保たれる。空気中の湿度が低いほどその効果は高くなるわけだが、この原理をそのまま利用して作ったのがこの『フリッジ』なのだ。ワンカネールに住む陶工の発案によるもので、ボディはもちろん焼き物でできている。四角い素焼きの水タンクの中に冷蔵室がしつらえてある・・・といったイメージだ。
     上部の丸いフタを取り大量の水を注ぎ込むだけで準備完了。気化熱で冷やされた水は冷蔵室内の野菜や牛乳などを適温で保ってくれる。この水はボディの横に取り付けられた蛇口をひねると出てきてそのまま飲用となる。この古くからの知恵による新しいフリッジはデリーのプラガティ・マイダーンで開催中の第26回インド国際貿易フェアにも出品されている。
     NDTVインディアの報道によれば価格は2000ルピー。『冷蔵庫』の大きさにいくつかバリエーションがあるのかどうかはよくわからない。画像の展示品のサイズは小さすぎるようなので、家庭の小型冷蔵庫くらいあればと思う。しかし素焼の陶工たちが手作りするものなので、このくらいの大きさが限界だろうか?
     ともかく電気不要なので停電を気にする必要はないし、ランニングコストもゼロ。一見何てことないアイデア商品だが、農村などからの引き合いは決して少なくなさそうだし、ひとたび当たればこの『冷蔵庫』作りに精出す村々も出てきたりすると雇用吸収力もバカにならないだろう。ターゲットとなるべき層はインド国内のみならず南アジアや周辺各国の相当広い範囲に及ぶ。素朴ながらも今後大化けが期待される目玉商品かもしれない。
     部屋の隅にちょこんと置いても邪魔にならないし、エコ・フレンドリーな温度に冷やしたビールや果物を楽しんでみるのも普段とは違った味わいがありそうだ。私もひとつ買ってみようかな?
    粘土製、太陽エネルギーの「エコロジー冷蔵庫」誕生 (AFP BB News)

  • メトロが変えるか? 街の風景

    メトロ
     先日、ムンバイー・メトロのことについてアップした後、インディア・トゥデイ(10月4日号)に各地で広がるメトロ建設計画について書かれた記事が掲載されていることに気がついた。
     それによると、アーメダーバードとコーチン以外にも、バンガロール、ハイデラーバードでもこうしたプランがあり、コルカタでも市街東部にネットワークを広げることが構想されているとある。都市部の過密化が進む中で、交通渋滞の減少およびスピード化というふたつの相反する効果が期待できるうえに、公害と交通と減らすことにも貢献するため、まさに時代の要請にマッチするといったところらしい。
     
     個人的には既存のバス等の交通機関に較べて安全性と質も格段に高く、公共交通機関というもののありかたについて大きな指標となりえることからその存在意義は極めて大きいと考えている。ちょっと想像してみるといい。インドでクルマもバイクといった自前の足を持たず、でも運良く自宅も職場もそれぞれメトロの駅近くにあったとすれば、毎日それで通勤できたならどんなに楽なことだろう。たとえすし詰めの満員だって他の交通機関よりもずっと安心だ。
     メトロのネットワークが広がるにつれて、また他の交通機関と競合する部分が多くなるに従い、既存の交通機関のクオリティの向上もある程度期待できるだろう。またコルカタで検討されているように利用者たちの利便を図るため、市民の足として相互補完するためバスとメトロの走行ルートや停留所などの調和や共通チケットやパスといった構想もやがて当たり前のものとなるのかもしれない。
     渋滞、長い信号待ち、事故などによる遅れなどもあり、時間的にあまりアテにならない都会の路上交通よりもずっと正確に動くメトロは、ときに細い道を通ったり複雑なルートを取ったりするバスにくらべて、同じ時間かけて進む距離も長い。そのため人々の通勤圏も広がり都市圏をかつては思いもよらなかった遠い郊外へと拡大できる。
     人々はそこにマイホーム取得の可能性を感じ、需要をアテこんだデベロッパーが開発を進める。それまで二束三文にしかならなかったような土地の資産価値がグンと上がり・・・といったお決まりのパターンとともに、周辺の小さなタウンシップを呑み込む形で市街地が拡大していくことになる。こうした動向の副産物として、いつしか都心部(デリーに限らず)の旧市街などからより条件の良い地域に流出する人々や店などが出てくるといった、いわゆるドーナツ化現象が起きることもあるのだろうか。
     それはともかくこうした動きの中で、インドの街にありがちな極端な過密さも多少緩和される・・・といいのだが。
     ただしメトロ建設の問題は、インドのような途上国にとって実に高い買い物であることだ。先述のインディア・トウデイの記事中には、世界中のメトロで経営的に成功しているのは香港と東京くらいと書かれているのだが、果たして本当だろうか。
     でも極端な話、車両と人員と運行ルートさえ確定すればすぐにでも開始できるバスのサービス(しかも前者ふたつは往々にして民間業者による請負が多い)に比較して、メトロというものは都市交通機関としては初期投資も維持費もケタ違いに高いことを思えば、あながちウソではないのかもしれない。
     こうした夢が描けるのは、もともとのスタート地点が低いため発展の成果が視覚的に認知しやすいこと、地域的にはいろんな問題を抱えつつもマクロな視点から眺めた経済が好調続きであることに尽きるだろう。しかし総人口の6割以上を20代以下の若年層が占めるこの国で、多くの人々が『今日よりも良い明日』を期待できるのは実に喜ばしいことではないだろうか。

  • ムンバイー・メトロ 来月着工

     インドで『メトロ』といえばコルカタとデリー。ここにきてもうひとつのメガ・シティで新たに導入が予定されている。10月からムンバイー・メトロの工事がいよいよ開始されるのだ。コラバからチャールコープまでの38kmを越える長いルートである。
     またワルソーワーからガートコーパル、バーンドラーからマーンクルドまでの路線も計画されている。後者は巨大スラムとして内外に知られるダーラーヴィーの目と鼻の先をかすめて走ることになることから、同地区の再開発計画にも弾みをつけることになることだろう。この路線が開通するのはいつになるのかわからないが、『かつてここは世界最大級のスラムであった』と言われてもピンとこないような洒落たコマーシャル・エリアに変貌する日がやがて来るのかもしれない。
     ともあれ既存の郊外電車のルートと合わせると、ムンバイーの鉄道交通ネットワークはずいぶん密なものになり、まさにインドきっての商都らしいものとなる。MUMBAI METRO SYSTEMをご参照いただきたい。
     メトロといえば、他にも近年成長著しいアーメダーバード、そしてなんとコーチンでも導入の計画がある。
     都市部では本格的なマイカー時代が到来しているインドだが、都会の公共交通の分野ではメトロの時代がすぐそこまで迫っているのだろうか。将来にわたり都市交通の質の向上が見込まれることは実に喜ばしい。

  • Bollywood Legends

    Bollywood Legends
     イギリスの玩具製造販売会社Spin Master Toys UKが、シャミーン・ジヴラージのプロデュースによるボリウッドスター人形の販売を始めてひと月あまり。在英の方はこれらをToys R Us、 Harrods、Argos などの店舗で購入することができる。価格は一体25ポンド。ちなみにインドでは999ルピーという価格設定になっている。
     イギリス、インド両国以外の国から取り寄せるならば、amazon.co.ukに注文するのが最も手っ取り早い方法だろう。
     今のところ出回っているのはシャー・ルク・カーン、カージョル、リティク・ローシャン、プリヤンカー・チョプラーだが、今後も新たなモデルを市場に投入していく予定らしい。
     個人的に最も気になるのは、サンジャイ・ダットがどんな格好でこの『Bollywood Legends』シリーズに加わるのかというところ。映画MUSAFIRそのままの格好で登場したら即ゲットして部屋に飾りたい。
     もしBollywood Legends Classicとしてラージ・カプールやナルギスの人形も出てきたりすることがあればそれらもぜひ手に入れたいが、果たしてそんな予定はあるのだろうか?
    Bollywood Legends (amazon.co.uk)
    B’wood dolled up to catch them young! (CNN-IBN VIDEOS)

  • マナーリーの婿殿たち

     インディア・トゥデイの8月2日号に『ガイコクの花婿と土地の花嫁』と題した記事が掲載されていた。外国人旅行者が大勢訪れるヒマーチャル・プラデーシュのマナーリー、とりわけヴァシシュトやマニカランといった長期滞在者の多い地域で、欧米から来たバックパッカー男性と現地の女性との婚姻が増えているとのこと。彼女らはたいてい宿の経営など旅行者相手の仕事にかかわる者の親族であり、あまり高い教育を受けていない人たちが多いとも書かれていた。
     地元の行政当局が把握しているのは現在までのところ30件程度。しかしこれらは外国人配偶者が現地に定住することを選び、すでに一年以上滞在している場合のみに限っての話だそうだ。だが他の地域に移動あるいは出国したカップルについては把握していないため、外国人との婚姻の数はもっと多いはずだという。
     記事中には地元に定住したカップルたちの実例がいくつか取り上げられていた。当初は旅行者としてやってきた外国の若者たちがヒマーチャル女性と結婚して子供をもうけ、地元の方言や習慣などを身につけて生活していること、長く暮らすにつれて地元の人々にも受け入れられている様子などが描き出されていた。
     あるドイツ人男性は宿の主人の娘と結婚し、彼女の親戚の家を借りて彼本人もまた宿を営んでおり、故郷で農業に従事していたオーストラリア人男性はここで結婚してからマナーリーで畑仕事にいそしんでいるという。
     通常、欧米人男性との国際結婚といえば都会のミドルクラス以上で学歴も経済的な水準も高く、かつリベラルな家庭環境にある女性であることが多いと思われるのだが、それとは対極の層でこうした事例が増えているということが注目を浴びたのだろう。
     もちろん田舎でも観光地にあればそこを訪れた外国人と地元のインドの若者が知り合うきっかけがあるのだから、こういう結婚が増えてきても特に不思議なことではない。記事に取り上げられてはいなかったが、日本人男性でも同様の事例があるかもしれない。
     個々のケースについてはおおむね好意的に取り上げられていたが、こうした結婚の動機について『外国人は合法的に長期滞在できるし費用も安い。インド人にとって経済的な援助や外国移住の可能性といったメリットが大きい』と非常に単純化して結論づけてしまっているのが気になった。
     そしてこのたび同誌の8月16日号には、この記事に対する読者の反応がふたつ取り上げられていた。他にもいろんな意見があったのではないかと思うのだが、おおむね都会の人々からはこういう風に受け取られるのかもしれない。
    『外国の若者がわが国の無学で貧しい女性と結婚する例が増えているという記事を見てとても驚いた。これが麻薬の入手目的だとすればそんな結婚生活は長続きするはずはないだろう』
    『外国人がヒマーチャルの女性と結婚して地元の文化にどっぷり浸かって暮らしているということを読んでびっくりした。貧しい地元女性たちにしてみれば貧困と日々のきつい労働から解放されていいのだろうが、外国人たちにしてみれば一体何の得があるというのだろうか。背後に何かよからぬ企みでもなければいいのだが・・・』
     ごく一部の豊かな人々しか『海外観光旅行』することができないインドとは裏腹に、先進国のあらゆる階層の人々にとって物見遊山でインドを訪れることができる。  ひとくちに『外国人』といってもいろいろあるし、価値観もさまざまで経済的に上を上をと目指している人たちばかりでもない。だからなおさらのこと同誌の読者たちにとって『なんだか訳がわからん』ということになるのだろう。
     こうした見方をされる部分はあるにしてもこの『ガイコクの花婿』たち、雑音に惑わされることなく良き夫として父親として幸せな家庭を築いて欲しいと思う。

  • 電気が停まった

     お盆で行き交う人々の姿が普段より少ない8月14日の朝、私は地下鉄で東京の都心近くを移動中だった。7時半過ぎに到着した駅構内で電気が消えているのを不審に思ったそのとき、車内アナウンスがあった。
    『停電のため停止します』
     車内がどよめく。無理もない東京で停電なんて滅多にないことだし、それが原因で電車が動かなくなるなんて。この時点でドアが開いて乗り込んでくる人たちはあっても降りる人はいなかった。車内は電気が点いているしエアコンも作動していた。待機用の電源で動かしているのだろう。
     しばらくしてから再び車内放送が入る。
    『ただいま東京メトロ、東急線、小田急線、都営地下鉄などで運行を停止しています』
     続いてバスに振替輸送をするとの案内が流れると乗客たちの多くが下車して出口へと向かう。
     地上に出るとあちこちから消防車や救急車といった緊急車両のサイレンの音が響く。見渡せば警官たちが多数配置されている。いったい何が起きたのだろうか。
     たずねてみると『私たちも今駆けつけたばかりでよくわからないんですよ』と制服姿の一人が応える。
    『首都圏の広域で停電しているらしい・・・』そんな会話がどこからか聞こえてくる。こんな晴れわたった好天の朝になぜ?と誰もが思うだろう。一目でそれとわかる腕章を付けた報道関係者がカメラを抱えて地下鉄構内へと降りていく姿が見えた。
     ここで誰かがふざけて『テロが起きたぞ!』とでも叫べば、そのままデマが流布してしまいそうな雰囲気があった。
     振替輸送先を行なうと案内がなされていたバスだが、停留所ではすでに数百メートルの行列。来るバスはすべてすし詰めの満員で、停車することなくそのまま通過していく。
     あ、そういえば・・・と携帯電話を取り出す。購入してからほとんど使っていないがワンゼグ放送受信機能が付いていたことを思い出した。
     ちょうど今の停電の状況を報じているところだった。旧江戸川にかかる送電線を航行中のクレーン船が傷つけたことが原因だとわかったのはもうしばらく後のこと。この時点ではメディアも停電の理由がよくわかっていなかったが、とりあえずテロが起きたわけではないようだ。  携帯電話で受信中のテレビニュースによれば、すでに電車のいくつかの路線は復旧しているという。ここの路線もそろそろ動き出すかもしれない。
     そういえば数年前にはニューヨークの大停電があった。あのときはずいぶん長いこと送電がストップしていて相当な混乱があったと聞く。その事件後、ニューヨークに『停電先進国』インドから専門家が招かれて『停電発生時や復旧後に想定されるトラブルやその対処法を含む危機管理を伝授』というニュースのように、はるか彼方に消え去っていた記憶が次第によみがえってくる。
     首都圏やそれに準じる地域でもでも小さな停電がしばしば起きて、田舎では一日の送電時間が制限されているところも珍しくないインド。高価な家電製品やPCなどを使用するところではバックアップ用の電源や自家発電機などが必須。また物事が『あるべき状態』にないこと、イレギュラーなことがしばしば起きるためもあってか、停電程度の異常事態については柔軟に対応できるのかもしれない。
     そういえば2001年にカーンプルを中心にデリー、ラージャスターン、UPなどを含む広大なエリアで重要施設や地点を除く大部分の地域で数日間に渡る大停電が起きたように、ごくまれだが広域かつ長時間にわたる停電が起きることもある。その最中、人々は不便を我慢し、不平を漏らしつつも何とかうまくやり過ごしているようであった。
     そんなとりとめもないことをボンヤリ考えながら長蛇の列の中でバスを待っていると、警察官が大声で叫びながらやってくる。『ただいま地下鉄が復旧しました』
     人々は額に浮く汗を拭いながらゾロゾロと地下鉄の入口へと吸い込まれていく。
     今日の停電はそれほど時間かけずに復旧したが、もし本当にテロのような事件や大地震のような災害により長い時間送電がなかったら、私たちはどんな対応ができたのだろうか。少なくともそうした不測の事態が発生した場合について考えさせてくれる機会になったのではないだろうか。

  • 買ってはいけない??

    Coca Cola
     90年代初頭にペプシコーラがインド市場に進出、続いてコカコーラ両社が参入(同社は1977年に撤退するまでインドで操業していたため正確には再参入)したことにより、それ以前のインドに君臨していた二大コーラCampa ColaThumbs Up(こちらはコカコーラに吸収されて同社ブランドのひとつとなっている)による支配体制があっけなく崩壊した。
     いまでは外資系の両社がインドのソフトドリンク市場の8割のシェアを占めるようになっている。外来のソフトドリンクが売り上げを大幅に伸ばしたからだけではない。コカコーラはThumbs Upだけではなく人気商品MaazaLimcaさえも傘下に収めてしまったため、地場ブランドで外資系ソフトドリンクに対抗できる商品がほぼ消滅してしまったのも一因だ。
     3年前のちょうど今ごろ、これらアメリカ系企業の製品をはじめ、地元資本のメーカーによる清涼飲料水やミネラルウォーターの中にEU基準の30〜36倍も上回る殺虫剤(農薬)成分が含まれているらしいとのニュースがメディア等によって取り上げられて問題になっていた。
     今年もつい先日(8月2日)にデリーにある非政府組織Centre for Science and Environment (CSE) が発表したレポートを受けて、インド国内で販売されるソフトドリンクの安全性について波紋が広がっている。
     CSEによれば、やはり殺虫剤(農薬)成分が3〜5種類程度検出されたとのことで、その濃度はインド政府の定めるところの基準を24倍も上回っているといい、これらの製品を長期間にわたって消費することによりガンの発生、神経や免疫システムへの悪影響、奇形児の発生などが危惧されると警告している。
     これを受けてラージャスターン、グジャラート、マディヤ・プラデーシュ、チャッティースガルの四州では学校や役所での販売を禁止することになった。続いてアーンドラ・プラデーシュでは公立病院での販売を禁止、カルナータカでは学校や病院から半径100メートル以内の地域での販売を禁止といった措置を打ち出したが、ケララ州ではコカコーラ・ペプシコーラ製品の製造と販売を全面禁止という厳しい態度に出ることになる。
     もとより両社が製造過程で意図的に有害物質を混入させているわけではなく、清涼飲料水を製造するための主原料となる水の源泉が汚染されていることが原因であるとみられている。その意味では外資・地場資本を問わずソフトドリンク製造業(加えてミネラルウォーターは言うに及ばずビール醸造なども)そのものが成り立たなくなるという声も取りざたされていたのは3年前のことである。あのときは何となく政治的に幕引きがなされてしまったが、今回の『リターンマッチ』ではどういう決着がつくのか注目したい。
     一連の騒ぎは消費者問題であるとともにさらに大きな環境問題でもある。各メーカーが高いコストと引き換えに『安全である』とされる源泉から取水して製造した飲料類だ。これらに基準を大きく上回る農薬成分が含まれているとするならば、蛇口をひねれば出てくる水道水はどうなるのだろう?
     素人考えに過ぎないが、残留農薬の浸透によりこうした水源までが汚染されてしまう土壌で生産されたインド産の野菜、米、小麦などの農作物はことさら危険ということになるのではなかろうか?という疑問を抱くのは私だけではないだろう。なんだか『外資ソフトドリンク叩き』をしている場合ではないような気がする。
    Pepsi
    State bans Coke, Pepsi (Kaumudi Online)
    Indian state bans Pepsi and Coke (BBC South Asia)
    Soft Drinks are Completely Safe (Coca-Cola India)

  • 傷んだお札

    Rs
     90年代半ば以降、インドで流通する紙幣の多くがガーンディーの肖像入り新しいタイプのものとなった。以前のものにくらべて紙質も良くなり、耐久性もずいぶん向上しているので、お札の破れについてあまり気にする必要もなくなってきた。でも紙幣たるもの、使い込むほどに痛んでくるのは当然のことだ。
     小額紙幣ならまだしも500や1000といった額面の紙幣となれば、受け取るほうも入念にチェックすることが多く、うっかり破れたお札を手にしてしまうとなかなか使うことができなかったりする。
     破れた札への許容度も地域差があるようで、1Reから5Rs程度の小額紙幣については、グジャラートの一部地域などではボロボロになったお札をビニールの小袋に密封して流通させているところもあったりする。あくまでもローカルなルールのため、他地域に持っていくと受け取ってはもらえないのだが。
     また一度『ダメになった』お札を、一目ではそうとわからないようにミクロン単位の精密さ(?)で上手に糊で貼りあわせるなどによって見事に補修した『労作』を目にすることもある。
     ところでリザーブ・バンク・オブ・インディアの『soiled, imperfect or mutilated notes』についてのRefund Rulesとやらに目を通してみると、ダメージを受けた紙幣の取り扱いについていろいろ書かれているものの、『折り目から切れ込みが入った』とか『端っこが少し裂けた』程度で紙幣の効力が停止されて使用できなくなる・・・などということは特に書かれていない。多少破れたお札を受け取らないことについて法的な根拠はあるのだろうか? 隣国のパキスタンやバングラデシュでは紙幣の破れについてさほど神経質ではないため独立以降の慣わしなのかもしれない。
     そういえばインド・ルピーならずとも、ややくたびれた米ドル札等の外国紙幣の両替を断られることもあるが、こうしたことは他の途上国でもときどきある。お札は新しくてキレイであるのに越したことはないようだ。
    RBI(Note Refund) Rules