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カテゴリー: life

  • 解禁から2年 東京の店頭にインド産マンゴーは並ぶのか?

    2年前からインドからのマンゴー輸入が解禁となっているが、なぜか日本国内・・・というか少なくとも東京都内の店頭ではトンと見かけず、あるのは『メキシコ産』『フィリピン産』『タイ産』といった従来どおりのラインナップ。いったいどこで売られているのだろうか・・・と不思議に思っているところだ。でもよくよく目を凝らすと、加工品の類はそれなりに出回っていることに気がつくこのごろ。
    あるスーパーでマンゴージャムなるものを見かけた。ごく普通の小さな瓶入りのもので、価格は1480円とある。どんなものかと興味を引かれたが、ちょっと高すぎて手が出ない。その横に並ぶのはマンゴージュースで200ml入り350円。インド料理レストランと食料品輸入とを行なう日本の会社が手がけているもので、同社は他にもインドからその他のマンゴー加工製品や蜂蜜なども扱っているようだ。
    ジュース、ジャム、缶詰といった具合になってしまうと、どれも同じような味になってしまうので、やっぱり期待したいのは生の果実がドカンと大量に入ってくること。インドのマンゴーを、日常的にアメ横あたりでダミ声のオジサンが台車で叩き売りするくらいになってくれるとうれしいのだが。品種豊富な中で、好みもいろいろかと思うが、とりあえず生果実がふんだんに入ってくることがあれば、何であっても御の字である。
    マンゴーの世界での総生産高のおよそ半分が収穫されるというマンゴー大国インド。日本の食卓に供給する余力充分(・・・たぶん)と思いたいところだが、時期が時期だけに、今の時期までに店頭になければ本格的に期待できるのは来年以降になってしまうのが寂しい。

  • お寺が遠くなる

    本日6月2日の朝日新聞朝刊第3面に『寺離れ 地方も都会も』という記事が出ていた。地方は過疎や高齢化のため、都会では地域の共同体の希薄化で、お寺離れが進んでいるのだそうだ。また総体として核家族化の関係もあり、各世帯が経済的負担を敬遠することもひとつの要因だという。
    日本の『お寺』には、三つのタイプがあるのだそうな。まずはお布施の収入中心の檀家寺、そして拝観料で稼ぐ観光寺、交通安全などの祈祷料が大半の祈祷寺だという。日本にある8万6千ほどの寺の9割以上が檀家寺であると書かれている。そうしたお寺が、檀家獲得のためにいろいろな対策を打ち出していることも触れられていた。法要の際の送迎サービスを提供したり、地方の寺が都会のマンションの一室を借りて『分院』を設置したりといった具合に。

    (さらに…)

  • 一人の妻と複数の夫

    インディア・トゥデイの5月28日号でちょっと興味深い記事があった。ヒマーチャル・プラデーシュのキンナウル地区での一妻多夫制度のことである。この地域に暮らすヒンドゥーのあるコミュニティの人々は、兄弟で一人の嫁を娶ることが伝統だったらしい。昔から嫁には相続する権利もなく、兄弟である複数の夫が配偶者を共有するということで、女性が複数の男性をかしずかせて支配するという構図ではない。
    もちろん今の時代、法的にはこういう結婚の形態は認められていないのだが、なにぶん保守的な土地で片田舎ということもあり、今でもこうした形で兄弟が一人の女性を娶るという習慣が続いている。記事中で取り上げていた実例は一人の妻に二人の夫というパターンだが、中には4人も5人もの夫を持つ妻もあるのだという。いずれも複数の夫は兄弟同士であるようだ。
    この記事でこの習慣を『奇習』として取り上げているのではもちろんなく、むしろ耕地に限りがある山岳地での生活の知恵といった具合に、好意的に書いてあるようだった。いくつかの一妻多夫家庭の実例を取り上げたうえで、この習慣がむやみな人口増加や土地が細分化を防いで人々の生活水準を一定に保つ役割を果たしてきたかをわかりやすく説いている。また複数の男性が一人の女性と愛を営みそして世帯を持って子供たちを育むという、仮にそれが代々続いてきた習慣であるにしても、精神的にも物理的にもけっして易しいとはいえない状況下で、家族が円満に生活していくうえでの互いの気遣いなどにも言及されていた。
    ただしさすがに今の時代には、誰もがこうした慣わしで結婚していくわけではなく、『近ごろ一妻多夫結婚は2割にも満たない』ともある。辺鄙なところに暮らしていても、やはり外界からの影響は及ぶとともに、ここから都会へと出て行く人も多い。これまで自らが暮らす地域でほぼ完結していた社会がもっと広がりを持つようになってきたことから、土地伝来の結婚のありかたや家族のありかたが大きく揺らいできている。
    インディア・トゥデイの英語版では、この巻は5月26日号ということになり、件の記事は58ページから61ページにかけて掲載されているので、ぜひご覧いただきたい。
    関係ないが、この号の表紙には先日ジャイプルで起きた爆弾テロ事件で、サイクルリクシャーに乗ったまま犠牲になった若い男性の写真が大きく使用されている。亡くなった本人やその遺族のことを思うと、こういう画像がマスメディアに堂々と使用されることについて、なんだかやりきれない思いがする。
    だがテロの悲惨さについて、文字だけで伝えようとしても言葉に尽くせないものがあるはず。だが一枚の画像には、千も万もの言葉以上に強く訴えかけてくるものがある。物事の本質を伝えるため、ときにはそういう露骨な写真が使用されるのもやむを得ないと私は考えている。むしろ刺激が強すぎるものすべてに覆いを被せて見えなくしてしまっては、何か大切なものを見失ってしまうことも往々にしてあるのではないだろうか。
    しかしながらインパクトの強さのみをアテこんで、これでもかこれでもかと生々しく憐れな写真が次から次ぎへと出すようなメディアには決して感心できないことはもちろんだ。その点、この雑誌はいつも適度に抑制が効いていると思う。
    こういう事件は決してあってはならないし、いかなる理由があっても正当化されるものではない。でもこんな出来事が毎年のように起きていることに、インドが置かれている困難さを感じずにはいられない。ジャイプルの事件で、不幸にして命を奪われることとなった方々のご冥福をお祈りしたい。

  • 三国は世界なり

    『三国一の花嫁』『三国一の幸せ者』云々といった表現があるが、平安時代後期にはすでに定着していた言い回しのようだ。もともとこの『三国』とは、日本・唐土・天竺のことで、当時の日本の人々にとって、これはまさに『世界』を意味するものであった。
    自らが暮らす日本はともかくとして、様々な新しい文物や高度な思想の源泉たる先進地中国への敬意、釈尊が教えを説いた大地インドへの憧憬がある。人々がこの時代の唐土や天竺がどのくらいの広がりをもって認識されていたか、そもそもどういう地理的観念を持っていたかについて私はよく知らない。
    それでも極東の地日本から西側にある大陸部が、地理的に日本に近い部分に位置する唐土とそれより西方にある天竺としてとらえられ、その周辺に存在していた様々な国々については、これらふたつの大きな『二国』に集約されるものという考え方がなされていたのではないだろうかと想像している。
    ただし人物の往来が盛んであったことから、唐土の文化なり人物なりに直接触れた経験を持つ人々から伝えられた。しかし天竺についてはこの唐土という分厚いフィルターを通して眺めたものであったことから、非常に具体性を欠くものであり一次情報の極端な不足からこれを把握するには相当なイマジネーションを要するものであったことは言うまでもない。
    日本からタイなりカンボジアなりのインドシナ地域の国々を訪れると、中国からの色濃い影響とともに、インド文化からの強いインパクトも感じる。伝統的な建築、衣装、舞踊といったものだけでなく、人々が使う言語の中におけるインド系語彙の豊富さ、年中行事や宗教儀礼や式典等にも見て取れるだろう。おそらく生活してみると他にもいろいろ目に付くところがあることだろう。
    こうした地域でも自国に中国・インドを加えて『三国一の・・・』という言い回しがあるのかどうか知らないが、長いこと中国とインドという二大国は圧倒的な存在感を持って認識されていることは確かだ。両国は、欧米列強の蚕食下ないしは植民地支配期にしばらく影の薄い時代があったものの、前者は1980年代以降世界経済の表舞台に台頭、後者もまたそれに一足遅れて90年代半ば以降から脚光を浴びることになっている。どちらもかつての強大さを取り戻すべく驀進しているように見えないだろうか。
    両国が今後さらに経済力と国際社会での発言力を増すにつれて、アジア地域において『三国』という言葉が今後よく用いられるようになるのではないかと予想している。つまりどこの国であれ自身が生活の軸足を置く母国に加えて、アジアの中で突出した存在である中国とインドを合わせて『三国』と呼ぶ時代が今にやってくるのではないかと思うのだ。
    たとえば、アジア地域で自国、中国、インドで人気を博すことを『三国一のメガヒット商品』『三国の市場を席巻する大ブーム』なんていう風に言うと、それら三つの国々の周辺にある国々はすでに含まれていることは言わずもがな、アジア全域に及ぶセンセーショナルな大ヒットといった表現になるのだろう。

  • バイオの御名において

    原油高に加えてバイオ燃料ブームで、食用の穀物等の需要が逼迫して食料品価格が高騰・・・というのは、昨今の世界共通の現象のようだ。幸い日本の場合は、近ごろの円高傾向が両方の影響を緩和していることから、その影響は比較的軽いようだ。しかしインドのような途上国においては特に庶民の台所へのインパクトはかなり大きなものとなる。もともとエンゲル係数の高い世帯においてはなおさらのことだろう。
    石油に代わる新たなエネルギーの開発と普及への努力は、環境問題等と合わせて今後大切な取り組みであることは間違いないとはいえ、一定ライン以下の人々の食料事情を無視してまで、とにかくバイオ、バイオと突き進んでしまうのはいかがなものかと思う。おカネの力がモノを言う、市場至上主義からくる負担を上から順繰りにツケ回していき、最後にはこれを他者に転嫁することのできない末端の人々に、その対価を空腹と引き換えに支払わせておきながら、『代替燃料です』『効率がいいです』『環境に優しいです』ときたものだ。どうやら燃料は胃袋に優先するものらしい。
    下衆の勘ぐりかもしれないが、畑で燃料(の原料)を作るという発想については、そこに栽培される作物の品種についても何だか不安なものを感じる。食品のパッケージ上で『遺伝子組み換えトウモロコシは使用していません』とか『遺伝子組み換え大豆不使用』なんていう表示を見かけるが、燃料目的ならばなんでもアリだ。遺伝子組み換え作物の安全性についていろいろ議論されているところではあるが、害虫抵抗性、除草剤耐性だのといった特性を持つ品種が『バイオ畑』でどんどん栽培されるようになると、これらが受粉という自然な現象を通じて、あるいは過失や故意により周囲に拡散してしまうことがないのだろうか?
    そうでなくとも、昨今の穀物等の価格高騰により、遺伝子組み換え食物が今後次々に食用として流通するようになるようだ。そんなモノを食卓に登場させてホントに大丈夫なのだろうか?たぶんボクらが今後何年間も食べ続けて『証明していく』ことになるのだろう。やはり市場はすべてに最優先するらしい。
    ところでバイオ燃料、ついに自宅で(?)生産する機器が発売されるらしい。飲食店での飲み残しのアルコール飲料のように、これまで捨てていたものを再利用できるという利点はあるようだが、取り扱いや備蓄について、しっかりとした知識と細心の注意が(量が多ければしかるべき資格も)必要な燃料という危険物を気楽に自家生産するようになるとしたら、これもまた怖い。どうかこれを悪用した犯罪やテロなどといった憂鬱なニュースがニュースのヘッドラインに載ることがありませんように!
    遺伝子組み換えトウモロコシ製品 食用に供給開始 日本食品化工、原料入手困難で (Fuji Sankei Business i.)
    砂糖からつくるエタノール燃料の「自家用スタンド」登場 (MSNデジタルライフ)

  • 因果な遺伝子

    イギリスに暮らすインド系・インド人住民たちの間では、心臓病にかかる割合が白人よりもかなり高いのだそうだ。在米の南アジア系の人々についても、同様の事柄について書かれた記事を複数見かけた記憶がある。別に欧米の風土がインド系の人々の健康に良くないというわけではもちろんない。だが世界総人口のおよそ四分の一を占めるインド人、2020年には世界の心臓血管にかかわる病気の患者の四割を占めるであろうとの予測もある。こうした状態を招く諸悪の根源は肥満であるとのことだ。
    その理由について、食生活やライフスタイルに求める論調も多いが、同時に持って生まれた資質に言及するものも少なくない。このたび肥満を引き起こす可能性を高める遺伝子を持つ割合が、インド系の人々の間で高いことが発見された。食欲や体内に取り込んだエネルギーの消費や保存などをつかさどる機能に影響を与える。その遺伝子に書き込まれたプログラム次第で、現代の食生活や生活パターンでは栄養過多になってしまう。
    人の生活は自然環境に大きく左右される。自らが暮らす土地で採れたものを食べて自給自足していた時代には、それぞれの土地に適合した作物が栽培あるいは採集され、そこでの暮らしにおいて持続可能な形での食生活が営まれていた。ふんだんな食料に恵まれていた土地もあれば、恒常的に飢えと隣り合わせの状態で人々が代々暮らしてきた土地もある。気が遠くなるような膨大な時間の流れの中で、人々はそれぞれの土地の食糧事情にうまく合った体質を作り上げてきた、あるいはそういう形で淘汰されてきたということになる。
    南太平洋の島々などもその良い例らしい。熱帯とはいえ、四方を海洋に囲まれた珊瑚質の土壌の島での生活は、こと食料事情に関しては非常に貧しかった。そうした住環境に適合するために、わずかな食料から最大限の栄養を吸収できるような体質が形成されていったと考えられている。加えて不足がちな食料を高いカロリー値となる調理法で処理する傾向があり、滅多に口にできない祝祭時のご馳走は往々にしてそれに輪をかけてボリューム満点で豪華な料理となる。
    だがそうした地域にあって、第二次大戦後の復興期を経て、西側諸国が急速な経済成長を遂げると、リゾート地として注目されるようになり、盛んに資本が投下されて開発が進み、そのインフラを基に以前は存在しなかった観光という一大産業がその地域に住む人々に大きな収入をもたらすようになった。同時にこれは人々の食生活を大きく変化させる引き金となる。食糧事情の飛躍的な向上により、以前の世代の人々が普段口にできなかったような贅沢品が毎日でも食べられるようになり、当然の結果として人々の身体は巨大化。長い歴史の中で築き上げられてきた『燃料効率の良い体質』が、飽食の時代では仇になってしまうのだ。
    カロリー過多の傾向は結局のところインド系の人々の間でも同様らしい。伝統・文化・歴史どれをとっても『豊かな大地』インドでは食文化もまたバリエーション豊富かつリッチだ。しかし概ねこの地域はもともと食べ物について量的にさほど恵まれていたわけではない。むしろ大規模な飢饉にしばしば襲われる食糧難の土地であったといえるだろう。緑の革命はパンジャーブ州をインドの穀倉地帯に変えたがこれは農業の現代化の賜物だ。近代以前のパンジャーブの農村風景は、今とはずいぶん異なるものであったはず。インド系の人々は、どちらかというと食料の窮乏への耐性が高い体質らしい。それを裏付けるのが、このたびの遺伝子云々ということになる。
    もちろん程度の差こそあれ肥満はインド系の人々に限らず、今の時代に生きる私たちの健康にかかる共通の問題だ。『地産地消』とは程遠い生産・消費パターン、季節感のない食卓といった点も考え合わせたうえで、可能な限り自然の理にかなった食生活をこころがけるようにしたいものである。
    Genes ‘up Indians’ obesity risk’ (BBC NEWS)

  • 犬ってやつは・・・

    もともと犬が嫌いな私。こちらが特に何もせずとも、人間に対して何がしかの警戒心ないしは関心を持つこの動物のおせっかいな習性からして好きになれない。猫のように人影が近づくと一方的に逃げるとか、あるいは牛のようにこちらに対して無関心でいてくれるといいのだが。
    暗い夜道でどこからともなく現れた複数の犬たちにガウガウ吠えられると不安になるし、田舎の小さな町の細い路地を徘徊する犬なんかは、ヨソ者をすぐに見分けて(嗅ぎ分けて?)てバウバウ吠えてきたりする。『ええいっ、俺に構うな!』と怒鳴りつけたくなるが、そんな言葉が通じるわけでもなし。
    愛犬家には申し訳ないのだが、まったくもって不愉快千万な動物だ。ちゃんと躾けられた『文化的な』ワンちゃんならいいのだが、それでも正直なところ、『けっきょく本能の部分ではああいうのと同じなんだよなぁ〜』と思うと、やっぱりちょっと引いてしまうのである。
    ところで一昨日、こんな記事を目にした。
    『Bitten by dog, shunned by hospitals』 (Hindustan Times)
    デリーで犬に噛まれた12歳の少年が、狂犬病ワクチンの注射を求めていくつかの政府系病院を回ってみたものの、行く先々で『持ち合わせのワクチンがない』と言われて断られたという内容だ。
    インドで、どこかの自治体が野犬の捕獲を始めると、きまって動物擁護団体とかその手の活動家たちが大声で批判を始める。しばしばメディアもそれに同調する。でもよくよく考えてみるまでもなく、野犬が多数徘徊しているという状態は危険であり、特に小さな子供たちや高齢者たちとってはかなり大きなリスクでもあることは間違いない。
    加えて『狂犬病』という、発症して回復したらそれこそギネスもの(発病したにもかかわらず回復した人物がギネスブックに記録されている。それほど稀なケースであるということだ)という恐ろしい病であることを思えば、『野犬狩りはならぬゾ!』と息巻く人々には、野犬ならびに狂犬病の危険を防ぐために、実際的かつ有効な対案を出して欲しいと思う。
    まったく野犬ってやつは・・・。

  • BBC の存在感

    BBC Hindi.comのサイト内で、穀物、果物その他に関連する語彙をワンポイントで教えるLearning English Idiomsというプログラムがある。これまでBean, Bananaなどが出てきていたが、本日現在取り上げられているのは『Fish』だ。
    いつも“Hello ! I’m a very interesting and an intelligent man….”で語り始めるややエキセントリックな表情のアナウンサーが、魚に関するイディオムをユーモアたっぷりに視聴者に教えている。ごく数分程度のプログラムだが、ネットに接続するついでに覗いてみるとなかなか楽しい。なお、BBC World Serviceのサイト上にはLearning Englishというページも設けられており、ここには豊かなコンテンツが用意されている。
    それにしてもウェブ版のBBC、世界中で33ケ語によるニュースを提供しており、うちアラビア語は北アフリカと中東、ポルトガル語もアフリカと南米といった具合に別々のニュースサイトが用意されている。どの言語においても文字、画像、音声等による最新ニュースや旬なトピックが満載だ。南アジアのみ挙げてみても、ウルドゥーヒンディーベンガーリーネーパーリータミルシンハーリー、と6ケ語で、それぞれの言葉が使用される地域の関心ごとを中心に、ニュースが構成されている。またこれらに加えて、英語によるアフリカ南北アメリカアジア・パシフィックヨーロッパ中東南アジア、そしてイギリスといった各地域ごとのニュースサイトもあり、どれも豊かな情報量を誇る。
    近年、イギリス政府の対イラク政策について批判的な報道から、自国政府と対立するスタンスも話題になったことからもわかるとおり、BBCの報道の中立性、コンテンツそのものの信頼性について評価が高いことは言うまでもない。中国やミャンマーをはじめ、自国の報道が政府の厳しい管理下にあり、非常に偏重したニュースしか流れないような国において、外国発の自国語によるニュースに触れる手段さえ持っていれば、『ホントはどうなっているのか』を知る大きな助けとなることだろう。質・量ともに、BBC World Serviceの圧倒的な存在感には脱帽である。

  • 技術を学ぶ先としてのインド

    アフリカ、中東、東南アジア、南アジアの周辺国等々の途上国および中進国からこの国へ経済、金融、医学、薬学等々のいわゆる実学を身に付ける目的でやってくる人々は多い。もちろん欧米に留学するよりも費用が少なくて済むということもあるが、ローカルな言葉をみっちり習得せずに英語で学ぶことができて、しかもあらゆる分野において高い水準の充実した大学・大学院が存在するという基盤の高さがある。
    インドのライバル中国もまた留学生の受け入れには積極的で、コトバの壁はあれども中国が国費で招聘する者を含めたアフリカからの留学生もけっこう多いというと、意外に感じる人もあるかもしれないが、留学生受け入れは貴重な外交手段のひとつでもある。
    それはともかく、先進国とひとくくりにされる国々からは、インドで言語、社会、文化、歴史、政治、美術、舞踊等々、この国固有の物事を学んだり研究したりするためにやってくる人々は多いが、仕事でおカネになる実学を学ぶ目的でやってくる人はそう多くなかった(あまり目立たないが、決していないわけではない)といえる。そうしたごく普遍的な分野のことを学ぶにあたり、わざわざインドまでやってくる動機に乏しかったからだ。
    だが昨今はちょっと事情が変わってきている。IT関連を中心に、研修目的で若手社員を送り込む企業は多く、仕事に必要な技術や知識を身に付ける場所として認識されてきているインドだ。高いレベルの実務教育をリーズナブルな費用で受けることができるというコストパフォーマンスの高さという魅力は大きい。
    ソフトブリッジソリューションズのウェブサイトを覗いてみると、IT関係の様々な実務教育のプログラムが紹介されている。インドとの関わり方も時代とともにずいぶん変わるものである。10年後、20年後のインドがどうなっているのか、日本とどういう風につながっているのか想像もつかないが、インド社会のどこかに視点を据えて定点観測していくと、とても興味深いものが見えてくるはずだ。

  • ePaper, eMagazine

    数年前からThe Times of IndiaHindustantimesなどといった新聞は、通常のウェブ版に加えてePaperと称し、紙媒体の内容をそのままの形で用意している。もちろん過去にさかのぼって紙面を探すことも可能だ。なお後者については無料のID登録を済ませれば、毎朝読者自身のメールアカウントに『Mornig dispatch』として当日のePaperが届いて便利。
    『消費期限』がわずか一日と短い新聞に比べて、ニュース雑誌等は紙媒体のコンテンツを惜しげなくネット上に公開することについては積極的でなかったようだ。少し前まで、India Todayのウェブサイトは、定期購読者のみID等を入力することにより主要コンテンツを閲覧できるようになっていたものだが、最近は大きく様変わりしたようだ。現在、メインの記事はひととおりウェブ上で見ることができるようになっている。
    読者からのフィードバックをウェブ上で受け付けるとともに、各記事の末尾には閲覧者自身が五段階の評価を付けることができるようになっている。インディア・トゥデイ側としては『情報公開』を今後の誌面づくりのためのマーケティングに大いに活用しようという姿勢に転換したのだろうか。
    ウェブ版をそのまま斜め読みするのもいいのだが、最新号からバックナンバーまで、市販されたそのままのものを『eMagazine』として、表紙や広告等を含めて全ページ閲覧することもできる。文字サイズが二段階にしか調節できず、拡大してみても実際の印刷物よりもかなり文字が小さくて見づらいという向きには、まるごとPDFとしてダウンロードすることもできる。
    India Today (English)
    India Today (Hindi)
    こうしたサービスが、India Todayの英語版、ヒンディー語版ともに利用できることに加えて、同じ版元から出ているMoney Today、 Business Today、SIMPLY DELHI、 SIMPLY CHENNAIなども同様だ。
    近年、ウェブ上で豊富な情報提供がなされるようになったことに加えて、すでにニューズウィーク等で同じようなサービスは提供されているものの、インドの雑誌による『eMagazine』という試みも面白い。今後、THE WEEKFrontlineといった他のニュース雑誌もこの動きに追随してくれるとありがたい。

  • 今宵も楽しく

    近年のインドでは、ワイン需要が毎年3割前後の高い伸び率を示している。フランスやイタリアなどをはじめとする欧州産、南北アメリカやオセアニアからの輸入も好調だが、同時に自国産ブランドも着実に成長している。
    国内消費を満たすだけではなく、欧州各国を対象に積極的に輸出に乗り出すようにもなっているのだ。日本でもChateau Indageを総代理店として輸入する会社があり、インド料理レストランなどで味わうことができるようになっているようだ。
    インドにおけるワインの歴史は古く、インダス文明のころにはすでにブドウを原料にした酒が存在していたといわれる。またインドに進出した欧州の植民地勢力もワインを含む自国の酒文化を持ち込んだ。人の住むところ酒あり、ブドウのあるところワインありといった具合で、アルコールは地上に住む我々人類共通の文化といってもいいかもしれない。
    さて、今をときめくインドのワイナリーはといえば、古代から脈々と受け継がれてきたものでなければ、大航海時代の欧州に端を発するものでもない。先述のChateau IndageSula VineyardGlover VineyardVinsura Vineyardなどいろいろあるのだが総じて新しく、『老舗』といえるChateau Indageにしてみたところで、その歴史わずか25年。
    それ以前からワインと称して造られていた極甘の葡萄酒もあったが、この類は昨今のトレンドとは関係がない。インドで国内消費が伸びており、輸出も盛んになりつつある『今流行りのワイン』の歴史は、まさに始まったばかりと言って差し支えないだろう。
    インドのワイナリーは、マハーラーシュトラ、カルナータカ、ゴアなどといった南部に加えて、北部ではパンジャーブやカシミールに点在しており、こうしている今も数年後の初出荷を目指して準備を着々と進める新興のワイナリーがいくつもあるのだろう。
    もちろんワイン人気は、インドの好調な経済を背景に、人々の可処分所得の向上していることにより、嗜好品の消費が増えた結果ではあるが、これとあわせてライフスタイルの変化により、飲酒の機会が増えたことがあるのはいうまでもない。特に以前はあまり消費されてこなかったワインについては、それまでカスタマーとしてさほど重視されてこなかった人々が、かなりまとまった規模で消費行動に加わるようになってきたことがあるのではないかと思う。
    つまり女性である。酒を飲む場所=男社会であったものだが、都会ではカップルや若者たちのグループで訪れることができるお洒落なスポットが増えたことに加えて、ウイスキーやラムといった『男臭い酒』とは異なり、ワインにはソフトかつ知的なイメージがあるのではないだろうか。そのため女性にはとっつきやすく、男性のほうにしてみても女性に勧めやすいものとなる。
    マハーラーシュトラのナーシクで、昨年12月に第2回目となる『India Wine Show』という見本市が開かれた。機会があればぜひ足を伸ばして、インドを代表するワインの数々の味と知識を仕入れたいと思っている。
    それではみなさん、楽しいお酒を飲みましょう!

  • 世界最大のヒンドゥー寺院

    デリーのアクシャルダーム寺院
    新年明けましておめでとうございます。
    ウェブ上で初詣ということで、お寺の話題をひとつ。
    グジャラーティー・コミュニティを中核に、国際的な広がりを持つヒンドゥー組織BAPS (Bochasanwasi Akshar Purushottam Swaminarayan Sanstha)による大寺院、2005年に完成したデリーのアクシャルダームがギネスブックの『世界最大のヒンドゥー寺院』と認定されたのは昨年12月半ばのこと。
    アクシャルダームといえば、グジャラート州のガーンディーナガルにも同じ名前の寺院がある。こちらは1992年建立で、もちろんデリーのものと同じくBAPSのお寺だ。敷地のレイアウトや本堂の姿形もよく似ている。ただしこの寺院には非常に不幸な歴史もある。2002年に起きたテロリストによる襲撃により、境内で多数の人々が殺傷されるというショッキングな出来事のことを記憶している人も多いだろう。
    さて、このデリーのアクシャルダーム、私はまだ訪れてみたことがないのだが、建設当時かなり話題になっていたようだが、特に気に留めることはなかった。だがこのほどギネスブックに載ったことで、どんなものかと同寺院のウェブサイトを覗いてみると、これがなかなか面白そうだ。
    建物内外の壮麗さはもちろんのこと、広大できれいに整備されたガーデン、巨大スクリーンによる映像、夜間に美しくライトアップされる噴水、様々の工夫と趣向を凝らした宗教関係の展示など、夢か幻かと思うような設備満載で、いわば宗教テーマパークのような具合らしい。その一端は同ウェブサイト内のPhoto Galleryで垣間見ることができる。
    建築的にどうなのかということはともかく、各地の様々な要素が一堂に集まっているようでなかなか興味深いものがありそうだ。非常にバブリーな雰囲気が感じられるのはもちろんのことだが、これもまたインドの今という時代を反映しているようでもある。建立時期がごく新しい巨大寺院は他にもあるが、今の時代の都会での信仰というもののありかたを示唆する貴重な一例であるように思う。
    2008年が皆さんにとって良き一年でありますように!