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カテゴリー: economy

  • 機能美

    機能美

    自転車ベースのサイクルリクシャーやその発展形であるスクーター(中にはバイクも)がベースのオートリクシャーは伝播した地域で相当広いバリエーションがある。

    それに較べると、かつて香港やマレー半島のなどにも広がった人力車については、江戸東京博物館で展示されているもの、復元されて鎌倉などの観光地で走っているものと、ほとんど形は変わらない。

    全体のフォルム、棹部分の長さ、車輪の径、座席や天幕の形状いずれをとっても、日本で開発されたオリジナルの人力車の完成度が高かったためかもしれない。(「だから日本は凄い」なんて言うつもりはない。最初に横浜で人夫を雇ってこの商売を始めさせたのは華人の商売人だったという説もある。)

    人力車の営業が広まった地域の中で、ただひとつ今でも現役で走っているコールカーター。ずいぶん昔から新規登録はなされず、「遠からず消える」と聞いていたのに、21世紀に入ってもこれが続いてしまったどころか、この世紀もすでに五分の一を終えようとしているので、まだしばらくは街の景色の一部であり続けるのだろう。

  • パラゴンホテル再訪

    パラゴンホテル再訪

    かつてバックパッカーにとって、カルカッタでの宿泊先といえば、このパラゴン・ホテルと小路の向かいにあるモダン・ロッジが人気の宿の双璧であった。

    私はここからインド博物館のほうに少し歩いたところにあるサルベーション・アーミーのドミトリーのほうが少し安かったため、空きが出ればそちらに移るといった具合だった。サルベーションのほうはキャパシティが少なかったため、ベッドを押さえるためにはチェックアウト時間ちょうどあたりに訪ねる必要があった。記憶に間違いがなければ、サルベーション・アーミーは90年代半ばから長い間、ホステル業務を取りやめていたが、近年になって再開したようだ。現在ドミトリーはなく、中級の下くらいの料金の宿となっている。

    1987年からチョーキーダール(守衛)をしているというバナーラス出身の白髪のムスリム男性は今もいるが、経営者が替わったときにスタッフの大半が辞めてしまい、バックパッカー宿時代から働いている人はほとんど残っていないとのことだ。

    相変わらずボロボロだが、レセプションは確か昔からこんな感じだったし、黒い無骨な扇風機にもかすかに見覚えがある。文字がところどころ読めなくなっている注意書きも当時からそのままなのだろう。

    広大な市街地を持つコールカーターで、なぜサダルストリートに外国人宿が多く集中していたのかといえば、この地域の歴史にその背景を求めることができる。手前ミソだが、以下の記事をご参照いただきたい。

    「サダルストリート変遷」(indo.to)

    「安宿街に歴史あり」(indo.to)

    だが前述のとおり、近年はインド出入国において、国外からのフライトの都合上、カルカッタを通過しなくてはならない度合が低くなっているおり、宿泊予約サイトの隆盛により宿泊先の選定がガイドブックに依存する度合いが大きく下がったため、外国人が滞在する宿が分散するようになった。そのため旅行でコールカーターに滞在する人たちの間で、サダルストリートを利用する割合が相対的に低くなってきている。

    その一方で、サダルストリートが立地するこのエリアから、バングラデシュのダッカその他の街からコールカーターを結ぶバスが多数発着するようになったため、主にバングラーターカーとインドルピーの交換を扱う両替屋、顧客の大半がバングラデシュ人という宿が新設されるようになっている。

    こうした流れの中で、これまで欧米や日本などからやってくるパックパッカーたちが減ったことで困り果てていた既存の宿も彼らの取り込みに流れるようになるのは当然の流れだった。

    今も西洋人等の姿は少なくないサダルストリートだが、もはや訪問客の主役はバングラデシュ人に取って代わられていることは間違いない。ただ、バングラデシュ人たちは見た感じはインド人、とりわけ西ベンガル州の人たちと変わらないので、いかにもおのぼりさんといった行動や怪しげなヒンディー語(サダルストリート界隈で働く人たちにはビハー州ルやウッタルプラデーシュ州といったいわゆる「ヒンディー・ベルト」からの出稼ぎ人が多く、ベンガル語が通じにくいことはよくあるようだ)で喋る様子などを観察しないと、外国人訪問者たちが彼らがインド人ではないことに気が付かないことが多いかもしれない。

    パラゴン・ホテルは、もはやバックパッカー宿ではなくなっているが、実は同様のことがサダルストリート全体についても言えるようになっているようだ。

  • スワンナプーム空港到着

    出発3時間以上前なので、少し早いかとは思ったが、すでにコールカーター行きインディゴのチェックインカウンター前には行列が出来ていた。チェックイン完了してからコンビニで食事を買ってベンチで食べる。

    ターミナル内のレストランで食べると空港で食べると、1品250~300バーツくらいの値段が付いているため、サービス料だか税だか加えて1,000円くらいになる。タイの一皿は小さいので、2品頼むと2,000円くらいになってしまう。
    「さあ、旨いものを食うぞ」とグルメな名店に繰り出すならともかく、空港での食事などに余計な出費をしたくはないものだ。コンビニで肉まんと弁当合わせて71バーツ。こんなもので充分だ。

    ターミナルビルの1Fにはこのような食堂があるようだ。
    スワンナプーム国際空港の社員食堂「マジック・フード・ポイント」 (travel.co.jp)

    しかしながら空港到着、チェックインカウンター、イミグレ、搭乗口へと進む動線上にないと、面倒で利用する気にはなれない。

  • スワンナプーム空港近くの宿

    スワンナプーム空港近くの宿

    翌日のフライトが早朝のため、チェックインは夜明けよりもかなり前となる。
    そのためスワンナプーム空港近くのラートクラバーン地区にあり、ターミナルビル入口までのトランスファーが付いている宿に宿泊することにした。
    このエリアにあるホテルは、どこも宿の造りや部屋の造作もとてもよく似ている。これまでいくつも異なる宿を利用したが、あまり区別が付かない。
    2006年9月に開港してから、雨後のタケノコのように次々にこうした宿がオープンしたのだが、デベロッパーたちが、地権者たちに「儲かりまっせ」と売り込みをかけた結果、どれも同じようなものとなった、というような背景もあるのだろう。
    カオサンやスクムヴィットのような「ホテル密集地域」といった具合ではなく、広大なエリアに、そうした施設がポツポツと点在している。昔であれば、それこそ有名なガイドブックにでも掲載されなければ、旅行者たちに知られることもなく、たちまち経営難に陥ったはずだ。
    ちょうど旅行予約サイト隆盛の時代を迎えてからであったので、売り込む側にはそうしたセールストークもあっただろうし、地権者側としても納得のいくものであったのかもしれない。
    実際のところ、あまり大繁盛というような状況ではないどころか、混雑している様子を目にしたことがない。市内の宿と異なり、あくまでも早朝・深夜の乗り継ぎ用宿であるがゆえに、連泊する人はほとんどいないため、経営は厳しいものと思われる。
    昔からあるドンムアン空港界隈では、ネット出現以前から大小の宿泊施設がターミナルビルからの徒歩圏に集中しているのとは対照的で、スワンナプーム空港の場合は宿泊費が大変高額なNovotel Bangkok Svarnabhumi Airportか、ターミナル内にあるカプセルホテル(これまたカプセルホテルとしてはずいぶん高い)以外は、空港からクルマで移動する距離にある。ラートクラバーン地区にある飛行機乗り継ぎ用のいわゆる「トランジット・ホテル」の多くは「空港からの無料送迎付き」であることからも、スワンナプーム空港近くの宿が過当競争にあることが窺える。

  • ノルタルジーのバンコク

    ノルタルジーのバンコク

    昔は通り沿いにこういう建物が多かった。
    こういう建物は今でも見かける。

    行き交う人々の装いがカッコよくなり、街並みもモダンになって久しいバンコクだが、昔ながらの眺めを探すのは、そう難しいことではない。
    けれども、街中で外食やショッピングのシーンで、「昔風」を装う店も多くなってきている。日本で言えば、私たちがノスタルジーを感じる「昭和風」と通じるものがある。
    過去の追憶を愉しむというのは、社会が成熟してきた証でもあるだろう。目まぐるしく変わっていく時代の流れの中で、ちょっと立ち止まって「あったね、こういうのが!」という想いに浸ってみたいという気持ちは、きっと私たちと同じだ。

    「昔、屋台で食べた料理」をコンセプトにする店。屋台を引く自転車がイメージキャラクター的な存在になっている。

    ドンムアン空港にある王室系のみやげもの屋だが、昔の雑貨屋風にデザインされている。

  • ノックスクート

    ノックスクート

    このところバンコクまでのフライトは選択肢が増えてありがたい。エアアジア及びノックスクートの就航により、閑散期で週末を外せば2万6千円前後で往復できるようになっている。(ただしチェックイン荷物は有料となるため持ち物はミニマムにしたい。)
    とりあえずバンコクまで飛べば、カルカッタまではすぐ目の前。
    ただし台風などによりフライトがキャンセルとなった場合、他社便への振替等は期待できないらしい。また払い戻しもなく、1年間のうちに同じ区間を改めて利用することができるというような対応になるようだ。
    それでも移動に係るコストが安くなるのは良いことだ。

  • 24 Seven

    24 Seven


    現在、デリー、ハリヤーナー州、パンジャーブ州、UP州で展開するコンビニ、24 Seven
    ビールはノンアルコールしかないし、置いてある品物は日本とはまったく異なるとはいえ、店内のレイアウトや弁当の置きかたなど、なんだか懐かしい。いろいろ報じられているのでご存知の方は多いと思うが、日本のセブンイレブンの協力のもとで、店舗の運営、設備、オペレーション体制など総合的に研究した上での開業。
    既存の同業者も複数あり、今後インドにコンピニ文化が定着していくのは、そう遠い先のことではないのだろう。

    【小売】インドのTwenty Four Seven社、セブンイレブンの形式を活用し拡大図る (インド進出支援ポータル)

    24 SEVEN (24 SEVENホームページ)

  • タバコとパーンの店

    タバコとパーンの店

    どちらも嗜む人口が減ったので、あまり姿を見かけなくなった。
    この商いは先行きが暗いので、店の人は年配者が多くなった。街中でビーディーの匂いが漂ってくるシーンも珍しくなった。かつてのインドの街中といえば、ビーディーの匂いとは切り離せないものであったが。

  • ダーラーヴィーのスラムの再開発計画

    これまで幾度となくこういう話はあったが、都心にこれほどの規模のスラムがあるというのは異常であるため、いつかは無くなる日が来るのだろう。
    ダーラーヴィーは不思議なところで、ひどくボロボロなのに、小規模ながらもピカピカで快適そうなコンドミニアム、これまた小ぶりながらも立派なモール、しっかりした構えのイングリッシュミディアムの学校がポコポコ散在している。「なぜここに?」と思うようなものが。
    スラムにある銀行の支店は他のエリア同様に忙しそうだし、公共トイレもあちこちにある。階段さえなくハシゴで上階に出入りするようなボロ家屋に暮らす若者が、今どきの若い人向けにデザインされたカッコいいロイヤルエンフィールドのバイクを乗り回していたりする。
    スラムとはいえ、さすがに歴史も長いし、都心にあるためここで生み出されるキャッシュも大きいのだろう。
    また「グジャラートの☓☓コミュニティー」「タミルナードゥの素焼き職人集団」みたいな地縁血縁集団が世代を継いで占めているエリアもあり、田舎での生業がこんなところで再現されていたりもする。
    またスラム地域とそうでない地域が、これほどスパッと明確に分かれているのも興味深い。
    他のニュースで、このあたりにスラム博物館とやらができるとか書いてあったが、こうしたスラムの生態について、きちんと記録しておく必要があるだろう。これ自体が貴重な生活文化であり、都市の歴史の一部である。

    再開発に揺れるアジア最大のスラム街 インド・ムンバイ(AFP)

    世界初の「スラム街博物館」、インド・ムンバイに誕生へ(AFP)

  • IndiGoが中国便就航へ

    IndiGoが中国便就航へ

    ついに中国へのフライトを就航させるとのことだが、その記念すべき最初の乗り入れ先は、意外にも成都。加えて年内には広州にも飛ばすようになるらしい。

    IndiGo to start flights to China from September 15 (THE TIMES OF INDIA)

    2006年に最初のフライトを飛ばして以来、着実に成長を続けて大きくなったIndiGoだが、
    Jet Airways破綻後は、国内線では最大のキャリアとなった。同社については、こんな本が出ている。

    利用者側からすると、地味な航空会社だ。ウェブサイトも機体もスタッフも何もかもが同業他社のGo Airと区別がつかない(笑)し、自分が予約したのはIndiGoだったか、Go Airであったか?とチケットと取り出して見直さないと、わからなくなるくらいだ。破綻したJet AirwaysやKingfisher Airlinesのように、カリスマ経営者が、「経営の神様」よろしくメディアにもてはやされるわけでもない。

    後者については、ヴィジャイ・マッリャという酒造業から航空業界に進出した派手好きな経営者で、フライトアテンダントを目の醒めるような長身色白な超絶美女で揃え、セクシーな制服を着せて話題を呼んだ。彼女たちが空港通路を颯爽と歩く姿をジロジロと目で追うインドのオジサンたちはとても多かった。

    IndiGoは、といえば、それとは180度異なる地味さで、制服姿はIndiGoなのかGo Airなのか判別しがたく、ジェットエアウェイズのそれにも何となく似ている紺色ベース。チェンナイに本社を置く航空会社だが、北インド路線のフライトに搭乗するスタッフの中に占めるマニプルなど北東州の人たちが占める割合が高いため、日本人みたいな見た目の乗務員が少なくない。北東州のモンゴロイド系の女性たちは、男性たちに較べて目鼻立ちがちょっと違うかのように見えることは少なくないが、これは彼女たちのメイクの方向性がインド人のそれがベースになっているからだろう。眉の描き方、アイシャドウの入れ方を取っても、モンゴロイドの私たちからするとオーバーな感じになるからだ。

    本題に戻る。
    サービスの評判が良いわけではないし、何が良いのかといえば、やはりネットワークの広さから、行きたいところに、悪くない時間帯で飛ばしているという利便性の良さがある。
    またデータを調べてみたわけではないが、定時運行率も高いのだろう。保有する機材数にややゆとりがある?ことも背景にあるのかもしれない。経営陣内部でのちょっとしたゴタゴタが伝えられた時期もあった(最近のこと)が、とりあえず現在までのところまでは堅実にやっているようだ。

    個人的にも重宝しているキャリアなので、今後とも堅実にやってくれることを期待している。けっこう先のフライトの予定も入れているので、Jet AirwaysやKingfisherのように「いきなり明らかになって一気に破綻」なんてことがあったら大変困るということもある。

  • スーラト4 パールスィーの病院その他の施設

    スーラト4 パールスィーの病院その他の施設

    先日取り上げたモーディー・アーターシュ・ベヘラーム界隈は、パールスィー地区となっている。

    社会事業、慈善事業が盛んなパールスィーのコミュニティー。このエリアには彼らが建てた病院もあるのだ。古ぼけているが建物を見れば開業した150年前には当時としては高い水準の立派なものであったことが容易に想像できる。街で最初の西洋式総合病院であったのではなかろうか。

    幸い、ここで事務職として働いている人と知り合い、中を簡単に案内してもらうことができた。立派な建物とはいえ、すっかり古ぼけており、今では地域の先進的な病院というわけではないことは一見してわかる。敷地内には職員や医師のための居住施設もある。

    病院から見て道路を挟んで向かい側のブロックは、まるごとパールスィーコミュニティーの施設。ゾロアスター教寺院(先日取り上げたモーディー・アーターシュ・ベヘラーム)、パールスィーのパンチャーヤト(顔役たちの寄り合いというか理事会というか)、パールスィー学校、そして孤児院が入っている。

    パールスィーのパンチャーヤトの建物
    パールスィーの学校
    こちらの建物には孤児院が入っている。

    学校については今やスーラトのパールスィー人口はとても少ないので大半が英語での教育を求めるヒンドゥーその他のコミュニティーの子供たちだそうだ。孤児院については完全にコミュニティー外の地域社会への奉仕事業。

    インドで他に栄えた外来コミュニティー、ユダヤ人、アルメニア人も植民地体制下では支配する側との太いパイプを築き、白人側に深くコミットする人材を輩出した。その中でパールスィーに特徴的だったのは、地元社会へも富を厚く還元することにより、白人の支配層と親密な関係を築きつつも、インド人たちをも敵に回さなかったことだ。

    インド独立ともに立場の悪くなったユダヤ人、後ろ盾を失ったアルメニア人たちの多くはインドを去るが、パールスィー資本は、インド独立をバックアップし続けてくれた愛国資本として、新生インドの体制下で引き続き発展を続けていく。

    実は植民地体制で英国を始めとする支配層の買弁として暗躍したことには変わりはないのだが、世の中か大転換する前から、ちゃんと「保険をかけてあった」とも言える。

    また、ムスリム勢力に追われたパールスィーの先祖たちが現在グジャラート州となっている地域に定住するにあたり、当時の地元の王にパールスィーの統率者が交わした誓い(布教せず、そして新たな母国に尽くす)を守り続けているとも言えるかもしれない。

    パールスィー所有の古い家屋。趣のある建物であることが多い。
  • ノックエア バンコクからグワーハーティーに就航

    日本から北東インドを目指す際の有力なオプションになりそうだ。
    9月22日からノックエアが週2便就航するとのこと。バンコクから水曜日と土曜日、グワーハーティーからの折り返しは木曜日と日曜日とのことなので、おそらく深夜近くにバンコクを出発し、グワーハーティーからは未明くらいの時間帯に出ることになるのだろう。
    後にチェンマイ、チェンラーイ、プーケット、ハジャイなどからもバンコクのドンムアン空港経由で接続することになるとも書かれているので、バンコクから利用できるグワーハーティー行きのフライトは、「ほぼ毎日」となることを期待したい。

    Nok Air to start Guwahati to Bangkok flight service (Northeast Today)