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  • 舌がキレイすっきり

    舌こき
     日本人の間で舌こき、つまり舌を掃除する習慣は一般的ではない(・・・と思う)が、ここ数年の間にドラッグストアその他で『タング・スクレーパー』なる商品名でプラスチック製のものが目に付くようになってきた。欧米メーカーの製品が多く数百円程度で購入できるのだが、どれも使い勝手はあまり良くない。このタング・スクレーパー、由来をネットで検索するとインドのアーユルヴェーダに結びつけた記事がよく目に付くのだが、実際のところどうなのだろうか?
     中世ヨーロッパで使われていたベッコウ製の舌こき、中国の清朝時代の銀製のものなどが現在もどこかに保管されているようなので、インドの専売特許というわけではないのかもしれない。
     近ごろは口臭予防や虫歯を防ぐといったことだけではなく、舌の上に蓄積される『舌苔』は有害な細菌類やウィルスが繁殖する温床となりやすいため、まめに除去することが勧められている。これを実践するだけでインフルエンザにかかりにくくなる、なんていう話さえあるくらいだ。
     私も4、5年前から毎日朝夕に実行するようになっている。気をつけていても虫歯ができやすく、どうにかならないものかと思い試してみたのだ。・・・といっても歯磨きをしてデンタルフロスで歯の間をきれいにしてからササッと舌を擦って掃除するだけなのだが。 
     ところが不思議なことにその後新たな虫歯は発生していない。おまけにカゼもほとんどひかなくなった。この間、身体を鍛えたわけではないし、病気に対する抵抗力が付く理由もないのだが。だからといってこれを舌掃除の効果と結び付けてしまうのは早計ではあるものの、一度習慣になってしまうと外泊の際に舌掃除の道具をうっかり持参していないとなんだか落ち着かなくなるものだ。
     目下愛用しているのはインド製のステンレスのタング・スクレーパー。舌掃除の本場(?)インドで、多くの人々が日々これを実践しているのかどうかは知らない。でもバザールで簡単に入手できて、価格も数ルピー程度と安価であるにもかかわらず使用感はすこぶる良い。先述の中世ヨーロッパや中国で使われていたものと形状はほとんど同じだ。人々の生活の中ですっかり完成されたカタチなのかもしれない。インドの生活用品の中で、これはスグレモノのひとつである。

  • 食卓にIndia !

    インドなマグカップ
     Made in Indiaではないのだが、インドな(?)マグカップを発見。即購入して手元にあるので撮ってみた。
     逸品社のSugar Landブランドで発売されているこのシリーズの国旗マグカップのバリエーションは現在27ヶ国。側面全体に国旗があしらわれており、イギリスのユニオンジャック、米国の星条旗などはやたらと派手で、中国の五星紅旗のカップもとってもヴィヴィッドだ。真ん中に赤い丸がポコッと入った日の丸マグもなかなか愛らしく、インドものと並んでこちらもマスト・アイテムだと思う。
     ところでTiranga netには旗サイズの号数と対応する用途が示されていた。このマグカップにデザインされた旗はテーブルフラッグ用の9号にほぼ相当するみたいだ。机の上にそっと飾っておくのもいいかも?
    マグカップ2

  • 旅行に最適な一本!

    シグマ
     先日は『旅行仕様の楽しいカメラは?』で、旅先で手軽かつ便利なカメラについて考えてみた。今回は旅先にレンズを持っていくなら何だろうかと探ってみることにする。もちろん身軽であることを大前提である。あえて一本でだけ持参するならば何か、最も便利なものはどれだろうか。
     汎用性という部分を重視すれば、画質に優る単焦点レンズよりもズームレンズということになる。このところコンパクトデジタルカメラの高級機種購買層がデジタル一眼レフ汎用機種にシフトしていることが示すとおり、主要各社ともこのタイプのカメラは高級なものからエコノミーなタイプまで、ほぼ出揃ったようだ。それだけに数年前までは『デジタル一眼専用設計』(35mmサイズよりひと回り小さいAPS-Cサイズのセンサーを持つカメラ用)なんてコトバが新鮮に響いたものだが、いまやこの手の様々なタイプのレンズが大量に市場に出回るようになっている。
     銀塩カメラやデジタル一眼レフでも最高級クラスで『フルサイズ』つまり35mmサイズのセンサーを装備したものよりも画角が狭くなる。そのため焦点距離の1.5〜1.6倍くらいの描画となってしまうため、従来使われていたレンズを装着すると望遠側に有利だが広角側が弱いなんて言われていたのも今や昔。 APS-C自体の画角に合わせた規格のレンズが各社から続々出ているため、もはやそんなことを口にする人はいなくなった。
     しかしこの『デジタル専用』レンズはフルサイズのセンサーを持つカメラで使用すると、元来の画角の違いから周辺がケラれてしまうため使えない。そのため昨年発売になったキヤノンの5Dの例に見るように、フルサイズのデジタル一眼レフが次第に低価格化してきたら、それまでに買い揃えたAPS-C用レンズを見捨てて飛び着くか、それとも高級機はフルサイズ、汎用から中級機クラスはAPS-Cといった棲み分けが今後も続いていくのか、気になる人は少なくないだろう。
     ともあれ一眼レフレンズとしては手頃な価格帯かつ汎用性の高いタイプの中で魅力的なレンズはいろいろある。シグマの30mm F.1.4 EX DC HSM は、35mm換算でほぼ従来の標準レンズに相当する画角だ。開放値がとても明るく描写も美しい優秀なレンズである。普段、便利だからとズームレンズばかり使っている私などは、このレンズを手にするとあらためて単焦点のレンズって違うなあ・・・と感心してしまう。
     ズームレンズではタムロンのベストセラーAF28-300mm Super Zoom F/3.8-5.6 Aspherical XR [IF] MACROはデジタル対応のDi仕様となり相変わらずの人気らしい。だがこれでは広角側が不足して困るではないか・・・と思っていたら、2004年に出たシグマの18-125mm F3.5-5.6 DCは大きな反響を呼んだ。
     やっぱりこういうレンズを待っていた人は多かったのだ。何しろこういうカメラは重くて大きい。持たなくてはならない荷物は他にもある。『どれか一本だけ付けて出かけよう』となれば、広角から望遠までひとつでカバーできるものがあればありがたい。このタイプのレンズ、続く2005年には同じシグマから望遠側の焦点域を大幅に伸ばした18-200mm F3.5-6.3DC、そして同社のライバルであるタムロンからはAF 18-200mm F/3.5-6.3 XR Di II LD が発売となり、『これは便利だ』と飛びついた人は多いのではないかと思う。年末近くなってからはニコンからAF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm F3.5-5.6G (IF)という同じ焦点域ながらも手振れ補正機能、しかもその効果たるや4段分というからスゴイ。このテのレンズの真打登場といったところだろうか。個人的にはニコンを所持していないので使うことができない。購入を検討するわけにもいかないのは残念である。
     でもよくよく思えば、ただ旅行するだけで200?の焦点域、35mmカメラ換算でなんと320mm!なんていう超望遠を利用することなんてほとんどないと思う。
     従来、一眼レフの交換レンズにおける手振れ補正機能といえば、焦点域が特に長い超望遠レンズによく付いているが、それ以外でISつまり手振れ補正が付いたものは今のところあまりなかった。私自身は2004年に発売されたキヤノンのEF-S 17-85mm F4-5.6 IS USMを使ってみてとても感心した。開放値がやや暗いのは気になるが、三段分の補正機能は、特に薄暗い朝夕の手持ちで撮る際、あるいは屋内での自然光での撮影など、旅先での大きなアドバンテージであろう。テレ端は85mmだが35mmカメラ換算で136mm。このくらいあれば充分だとは思う。
     超広角ズームも各社からいろいろ出ていて面白い。場合によってややエキセントリックな画となるかもしれないが、キヤノンのEF-S10-22mm F3.5-4.5 USMは非常に重宝かつ楽しいレンズだ。つまり従来の35mm銀塩カメラに換算すれば、16mm〜35mm程度に相当するのだ。16mm!というややムチャな画角で撮っても歪みは想像していたよりもずいぶん少なく、一見マトモな絵に見えてしまうのがうれしい。胸のすくような広がりを写せるし、あるいはスペースの関係で後方に引くことができないところでも非常に便利である。試しに猫の額ほどの中庭しかない(失礼!)東京代々木上原の東京ジャミーで一枚撮ってみた。もちろん10mm(35mm銀塩換算で16mm)の広角端を使用した。ここを訪れたことのある方ならば、このレンズの効果のほどはお判りいただけると思う。
    東京ジャーミー
     ぜひバッグの中に常時放り込んでおきたい一本ではあるが、やや特殊なこのレンズでなんでもかんでも撮るわけにはもちろんいかない。
     また出かけた先でブツ撮りもやってみたい。するとちゃんとしたマクロレンズも欲しくなるのだが、こちらもやはり必要に応じてのワンポイント起用になるはずだから、『これ一本で』の候補にはなりえない。欲しいものすべてをうまく掛け合わせたものはないものだろうか・・・。
     そうした中で、今年2月に出たシグマのレンズはとても気になっている。17-70mm F2.8-4.5 DC MACROは、『被写体に寄れるデジタル専用大口径標準ズームレンズ』とのこと。最短撮影距離はズーム全域で20cmだそうだ。コンパクトデジカメと違って一眼レフの場合、この距離とは銀塩カメラのフィルム面に相当するセンサー表面からの距離なので、実際のワーキングディスタンスはわずか3cmほどになってしまうのだからスゴイ。被写体にレンズがカチンとぶつかりそうなくらい接近できるのである。ウェブ上で作例や製品レビューなどを見てみると、なかなか評判が良いらしい。
     35mm換算で27mmから112mmほど。望遠域はやや弱いとはいえ、もともと銀塩時代は今のデジタル一眼レンズみたいな超高倍率なものはなかったし、このくらいが最も実用的ではないかと思う。ズームレンズとしてはかなり明るいF2.8というのもうれしい。しかも本格的なマクロ機能付きとくれば、すぐにでも飛びつきたくなってしまう。これならば特に他のレンズを携行しなくても不便は感じそうにないし、埃っぽいインドでレンズ交換の際、センサーに向かってドカドカと大小のゴミが飛び込んできて付着するのに悩まされなくて済みそうだ。
     あれこれ考えていると私自身が買う気に満ちてきてしまった。人それぞれ写真を撮る目的は違うし、好みや考え方だっていろいろだろう。あくまでも私個人の独断であり、しかも性急すぎるかもしれないが、このレンズこそ現在『インド旅行に最適な一本!』と言い切ってしまおう。

  • 欧州発 北アフリカ行きの白人奴隷たち

     大航海時代以降、世界各地に植民地を拡大していき支配地で権勢を振るった西欧列強、そしてアフリカから南北アメリカ大陸に導入された黒人奴隷たち、アジアその他の地域で過酷な労働・生活環境の中で生涯を送った中国やインドなどからの契約移民たちのことはよく知られているところだ。
     だがそのいっぽう、サレー、チュニス、アルジェといった北アフリカの港湾地域を根城とするイスラーム教徒の海賊たちにより航海中の欧州人たちの商船が襲われるのみならずヨーロッパ各地の沿岸部が北アフリカからやってきた荒くれ男たちに攻撃されることは珍しくなかったことだ。もちろんその数や規模は先述の黒人奴隷や契約移民の数とは比較にならないはずだが、主にその海賊たちにより拉致されてモロッコを中心とする北アフリカ諸国で売買される欧州出身の白人奴隷たちがいたということに気を留める人はあまり多くない。
     このたび『奴隷となったイギリス人の物語』という本を手にとってみて、パラパラとめくってみるとなかなか興味深い内容であったので、じっくり読んでみることにした。著者の記すところによれば『1550年から1730年の間、アルジェには約2万5千人の捕虜(欧州人)が絶えず存在していた』『300年あまりの間に少なくとも100万人の白人たちが不当に連行された奴隷交易があった』のだという。
     タイトルには『物語』とあるが、史実をもとにしたノンフィクション作品だ。この本の中で主人公的な立場にあるトマス・ペローなる人物が見聞したとされる出来事などが下敷きとなっており、欧州やアラビアの歴史資料などによる肉付けがなされたということである。
     舞台は18世紀初頭のイギリスとモロッコ。イギリスのコーンウォールで生まれた10代前半の利発な少年トマス・ペローは、おじが船長を務める商船『フランシス号』の船員として乗り込んだものの、海賊船に拿捕されてモロッコの奴隷として売り飛ばされてしまう。彼は当時マラーケシュから遷都し、メクネスを首都としていたアラウィー朝の支配者ムーレイ・イスマイルのもとで奴隷として仕えることになる。
     当初は建築作業現場で他の欧州人奴隷たちとともに危険な作業に従事させられた。そして暴力とともに改宗を迫られて、生き延びるためにやむなくイスラーム教徒となってからは、非凡な知力と資質を買われて宮廷内の警護を経て最前線で闘う兵士として取り立てられたことになっている。その後幾多の危機を乗り越えて運良く帰国できたのは出航してから23年後であったとのこと。
     ムーレイ・イスマイル率いる強大なアラウィー朝とその庇護下で暗躍していた海賊たちの前に、なす術もなく恐れおののいていた欧州(人たち)という図式はなかなか新鮮であった。
     ただ気がかりな部分も多い。不運にも奴隷とされた白人たちの悲劇がテーマになっているため仕方ないのだが、視点は常に捕虜となり奴隷として売られた欧州人たちの側にあるがゆえに『欧州=賢き善なるもの』そして『イスラーム世界=狡猾にして悪辣なるもの』という図式に終始していることである。
     強権政治、建築への情熱、豪勢な生活、そして数百人規模のハーレムなどで知られたムーレイ・イスマイルは、モロッコの歴史の中でも特に大きな足跡を残した人物のうちのひとりである。もちろん彼は暴君として悪名高くさまざまなネガティヴなイメージも持つ人物であったにせよ、彼の治世で国は繁栄するとともに市民生活のレベルもかなりのものであったようだ。当時の王都メクネスはユネスコの世界遺産にも指定されている。
     もちろん『為政者』について現在のそれと同じ尺度で語ることはできるはずもないが、それなりに有能な統治者であったことは否定できないだろう。だが書中では、このモロッコの君主については奇行や蛮行ばかり描かれていること、そして次から次へと様々な登場人物が出てくる中で、地元モロッコのイスラーム教徒たちの中で人情味を感じさせるキャラクターはほとんど見当たらないのである。
     特にニューヨークで2001年に起きたテロ事件以降、イスラーム世界に対するネガティヴなイメージが広がっている昨今、ムスリムの人々に対する偏見や誤解を植え付ける可能性もあり、ちょっと危険な図書ではないかとも思われた。
     捕虜となっていた白人たちの出身国は、イギリス以外にもフランス、スペイン、ポルトガル、そして独立前のアメリカなど実に多岐にわたっていたそうだ。どこも自国民の救出についてはそれなりの外交努力は払っていたらしいが、興味深いことにクリスチャンから改宗してムスリムになった者については救出の対象にはならず、そうした囚われの自国民の数にも加えられなかったのだという。それほど当時のヨーロッパでは、『キリスト教徒であること』は、ある意味生まれや血筋よりも大切なものであったようだ。
     ちなみにトマス・ペローは軍の駐屯地を脱走して野山を越えて港町に出て、欧州の商船に接触することに成功、つまり自力でモロッコを後にしたとのことである。
     ともあれ、これまであまりなかった視点によるヨーロッパとイスラーム圏の交流史のひとつとして大変興味深い本であった。
    奴隷になったイギリス人の物語
    ISBN4-7572-1211-9
    ジャイルズ・ミルトン 著
    仙名紀 訳
    株式会社アスペクト
    原題はWHITE GOLD (GILES MILTON著ISBN: 0340794704)

  • 上海経由でインドに行こう!

    中国製造SUNTORYビール
     日本からインド行きのフライトといえば、昔からバンコクやシンガポールなどといった東南アジアの街を経由して行く『南回り』が当たり前だと思っていたのだが、今や『北回り』ルートもごくフツーになっているようだ。中国東方航空による上海経由デリー行きである。大手旅行会社も『中国東方航空で行くデリー』として売り出している。
     半年ほど前、人民日報日本語版に『中国東方航空、インド人客室乗務員を採用』という記事が出ていたが、ついに6月3日からその乗務員たちが中・印間の路線に3〜4名ずつ乗務することになったようだ。
     各国航空会社の国際線で様々な国の人々が乗務しているのだから、こういうことがあっても不思議ではないのだが、中国の航空会社にインド人乗務員というのは初めてとのことで、『歴史的』な出来事といえるかもしれない。
     もっともインド人スチュワーデスの登場そのものよりも、中国の航空会社がインド人乗客をそれほどまでに意識してきていること自体が大きな変化であることはいうまでもない。
    東方航空 インド女性が客室乗務員に、中国で初めて(中国情報局)

  • マッチが結んだ日印の縁 2

    matches imported from Japan
     日清戦争期(1894〜95年)には日本在住の華僑たちが帰国したことによる物流ネットワークの停滞、戦時のため労働力が不足するなどといったこともあったようだが、それでもマッチ産業は順調に成長を続けていたという。
     黄燐マッチの製造禁止は、それまで主にこれを製造していた大阪のマッチ産業に打撃を与えた。それでも第一次世界大戦(1914年〜18年)のころには、当時のマッチ大国スウェーデンからの輸入がほぼストップしたスキを突いて、インド市場では日本製マッチがシェアを拡大させた。
     この際に取引の中で重要な役割を担ったのが、当時すでに上海や香港といった中国大陸の拠点に進出していたインド系商人たちだ。彼らは日本での足がかりを神戸に定めて祖国での日本製マッチを普及に力を注ぐ。
     この時期、すでに横浜にもインド人コミュニティが出現しており、1923年に起きた関東大震災で在住のインド人28人が犠牲になっている。この際に彼らが横浜市民から受けた援助に感謝して寄贈されたのが山下公園にある『インド式水塔』で、現在は横浜市の『歴史的建造物』のひとつに指定されている。
     それ以降にはそれまで日本から輸出していた国々でも盛んにマッチ製造が行なわれるようになったこと、スウェーデンが巻き返しを図ったこと、インド政府がマッチ輸入に対して高率な関税を課するようになったことから、日本のマッチ産業は苦境に立つ。それを見計らったように進出してきたスウェーデン資本に国内生産のおよそ7割を抑えられてしまう。
     マッチ生産三大大国の一角とはいえ、当時の日本のマッチ製造といえば、ちょうど現在のインドのビーディー製造のごとく、家内手工業的な生産方法が主体であったらしい。近代的な技術で大量かつ安価にマッチを生産するスウェーデンの会社が進出してくるにあたり、地場資本の小規模な業者はこれに太刀打ちできずに姿を消していき、日本におけるマッチ産業は衰退していった。日本在住のインド商人たちは、『日本製マッチ』という有力なアイテムを失うことになった。
     やがて1930年代に入り、世界各地で排他的なブロック経済化が進み、続いて第二次大戦期に入ると、反英米的な地域に居住して商いを行っていたインド系商人たちには受難の時期であった。枢軸国のひとつであった日本在住のインド人たちも例外ではなく、彼らの立場は『連合国側の市民』ということになってしまう。彼らが得意とした当時の英領各地との貿易が困難となったことは、多くのインド系の人々が帰国ないしは第三国へと移動する契機となった。

    燐寸博物館

  • マッチが結んだ日印の縁 1


     日本ではいまやマッチを手にすることはほとんどなくなった。ある時期までは飲食店や宿泊施設などに、名前やロゴマークなどが刷り込まれたマッチがよく置かれていたものだ。 
     喫煙者は肩身の狭い世の中となり、私自身もタバコをやめてしまったので特に気をつけて見ていないが、こうした需要もかなり減っているのではないだろうか。
     そのいっぽうインドではマッチがまだまだ元気だ。ワックス軸を使用したタイプもあるが、ささくれだった木製の頭薬の量も形状も一本一本違い、手作りの小箱にカラフルな絵柄の入ったマッチはなかなか味があり、切手同様に収集する人は少なくないようだ。
     マッチの歴史は1827年にイギリスで塩素酸カリウムと硫化アンチモンを使った摩擦マッチが発明されたのが始まりだ。まもなく1830年にフランスで黄燐マッチという形に改良されたものが市場を席巻することになる。
     だが黄燐の特徴として毒性が強いことによる被害が社会問題化したこと、そして頭薬部分を何に擦り付けてもパッと発火するので便利ではあったが、思わぬところで自然発火することによる事故も多発した。たとえばブーツの底でチャッと擦って点火したマッチでタバコに火をつけていたりしていたアメリカのカウボーイたちが、乗馬中に衣服のポケットに突っ込んでおいたそのマッチが突然発火し、同じ箱に入っていたいくつものマッチの頭薬とともに炎上して本人は火だるま、なんていう事故もあったようだ。また商品としてのマッチを移送中、あるいは倉庫に保管しているときに自然発火で火事ということも散発していたという。
     こうした危険性がゆえに20世紀初頭に黄燐禁止の条約が採択されて欧米諸国はこれに批准。マッチが主要な輸出商品であった日本がこの流れに同調するには1921年までかかった。
     人々はかつて日々の暮らしの中で火を起こすのに四苦八苦していたが、マッチという便利な道具の出現によりその労苦から開放された。黄燐マッチが禁止されたといっても、この手軽なツールを手放すわけにはいかなかった。
     そこで登場したのが現在販売されている安全マッチというタイプのものだ。頭薬には赤燐を使い、マッチ箱側面のザラザラしたいわゆる『横薬』で擦らないと火が付かないため安全性が飛躍的に向上した。
     日本のマッチ産業は、旧金沢藩士であった清水誠がフランス留学の際に学んだマッチ製法を持ち帰り、新燧社という企業を設立して黄燐マッチの製造に取りかかかったのがはじまりと伝えられている。先見の明のある彼は黄燐マッチの将来性を見限るや、今度はスウェーデンに渡って赤燐を使った安全マッチの製造法を学び、1879年からは早くもこちらの製造に取りかかっている。
     後に日本の主要な輸出産業にまで成長するマッチ製造業は、明治維新以降失業した旧氏族たちへの雇用対策の意味もあったという。主要原料である硫黄や木材も豊富だった日本にはまさにうってつけの産業であった。ただし労多くして実入りの少ない製造現場の仕事はそう長く続かず、これと入れ替わるようにして女性たちがこの職場に進出してくることとなる。
     マッチ産業の先駆者、新燧社に続いていくつもの後発企業がこの分野に進出してきた。日本のマッチ産業は順調に成長を続け、20世紀初頭にはアメリカ、スウェーデンとともにマッチの世界三大生産国に数えられるまでに成長した。生産量の8割が輸出に回され、貴重な外貨獲得の花形産業となった。
     当時は開拓地であった北海道で、製軸工場が地域振興の一翼を担うとともに、外界に開かれた貿易港としての性格を持つ神戸と大阪では、時宜を得た成長産業となり、ここで生産されたマッチは中国方面に盛んに輸出されることになる。この時期すでに当地に住み着いていた華僑たちの役割も大きかった。
     1880年代、そして続く90年代は日本製の黄燐マッチが中国大陸での需要とともにインドへも盛んに輸出されるようになった。インドへの輸出の際には途中で積み替えをしなくてはならなかったが、1893年には日本郵船がボンベイ直行航路を開設したことが契機となり、同国向けの輸出が急増する。商標のデザインはやはり輸出相手国の趣味に合わせたものが多い。インドへは神々、牛や象の図柄が多かったようだ。
     主な輸出先としては、インド、中国以外に東南アジア、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ロシアなどがあった。

    日本マッチ小史

  • 第17回インド家庭用品展

     5月23日(火)から25日(木)まで、マイドームおおさかにて第17回インド家庭用品展http://www.itpotyo.org/2005tenzi/katei17.htmlが開催される。
     インド貿易振興局(ITPO)主催のこの催しには50社が出展し、インテリアファブリック各種、リネン類、ラグやカーペットその他が展示される。
     同じ会場で7月25日(火)から27日(木)まで第27回インド衣料品展も開かれる予定だ。こちらは衣類に加えてアクセサリー類や布地等が展示されるとのことである。
     日本におけるインド貿易振興局主催で毎年開かれているこれら展示会は、東京でも行なわれたこともあるが、開催数は大阪のほうが圧倒的に多い。インド産品の大口顧客は関西地域に集中しているのだろうか。
     インド貿易振興局の海外支部は、東京、ニューヨーク、フランクフルト、モスクワ、サンパウロの5ヵ所にある。日本は同国の貿易振興のカギを握る重点国のひとつであるようだ。

  • エヴェレストが不調?

    エヴェレスト
     かつて世界最高峰エヴェレスト(8850m)登頂は『不可能』であるとされていた。しかし『奇跡』を達成したのは1953年に頂上を目指したエドムンド・ヒラリー、テンズィン・ノルゲイ両氏。1969年にアポロ11号が世界初の月面着陸に成功したのと同じく、彼らは人類の歴史に燦然たる足跡を残したと言って差し支えないだろう。
     その後、山岳や気象等に関する情報や知識の充実、登山技術の発達や装備の進歩などにより登頂がより容易になるにつれて、各国の登山隊が登頂を記録するようになり、世界最高峰征服は『快挙』に格下げとなる。
     エヴェレスト他の八千メートル級の峰への登山経験の蓄積がクライマーたちの間で共有されるようになるとともに、登山隊を送り出す各国の経済発展を背景に、登山隊の資金力も増大したことがこの傾向に拍車をかける。
     英国山岳会により1921年から始まった登山史だが、当初は測量や地理調査などを目的とし、究極的には政治的・軍事的な意図を背景とする事業であった。だが第二次大戦後は登山という行為そのものがスポーツとして世の中に定着することになった。男性たちにやや遅れてやがて登山の世界に進出してきた女性たちも果敢に挑戦し、その中から次々と登頂者が出てくるようになってくる。
     このころには単に頂上を目指すのではなく、無酸素登頂やどのルートから登るかということに新たな価値が出てくることになった。つまり頂上という同じ地点を目指すにあたり、より難しい条件を付けて他者よりも高いハードルをクリアすることが目標とされるようになってきた。
     そうした中で近ごろ一番ホットなのは、ここ数年次々と記録が塗り替えられている『スピード登頂』記録ではないだろうか。ベースキャンプから頂上に到達するまで20時間台であったものが、12時間台、10時間台、そしてついには8時間10分と、どんどん短くなっていく。このあたりは若手シェルパの独壇場で、他国のクライマーにはつけ入る余地はないようだ。
     またエヴェレストをどう攻めるかだけではなく、2002年に63歳で頂上に立った渡邉玉枝氏(女性最高齢登頂)、2003年5月に70歳で登頂した三浦雄一郎氏(世界最高齢登頂)といった年齢に挑戦するものもあれば、世界の他の名峰を含めた『七大陸最高峰征服』という荒行や『全八千メートル峰制覇』などという神業であったりもする。ところで地球上に存在する八千メートル級の山14座、つまりエヴェレスト、K2、カンチェンジュンガ、ローツェ、マカルー、チョオユー、マナスル、ダウラギリ、ナンガーパルバット、アンナプルナ、ガッシャーブルム?&?、ブロードピーク、シシャパンマとすべてがヒマラヤ山脈にあるのだから、まさに『世界の屋根』の偉大さを感じずにはいられない。
     これらの中で最も広くその名が知られているのはいうまでもなくエヴェレストだが、登頂すること自体が達成可能な現実となるとともに、この山の『大衆化』(・・・といってもズブの素人である一般大衆がそこを目指すわけではないが)が始まることになった。今ではいわゆる『ヤマ屋』の人たちがそれぞれのレベルで実行可能な『目標』となったと言って差し支えないだろう。それなりの素質とガッツのある人たちにとって、もはや『信じることができる』現実的な夢なのだ。現在、エヴェレストでは1シーズンに数百人ものクライマーたちが行動するのだという。初登頂から半世紀以上経った今、エヴェレスト登頂の意味は大きく変わっている。
     エヴェレスト登山の裾野の広がりは、同時にいくつかの問題をも生んでいる。 登山家の野口健氏の『エベレスト清掃登山』http://www.noguchi-ken.com/message/cate/ev_clean/index.html活動により日本でも広く認知されるようになったように、『世界の屋根』という本来ならば辺境であるはずの地域におけるゴミ問題もそのひとつだ。シーズンにおいては登山許可の申請が込み合うことのみならず、登山ルートで物理的に渋滞が起きていることも一般に知られるようになった。
     また登山の大衆化による事故の増加も懸念されている。Jon Krakauerによるノンフィク ション作品『Into Thin Air』(ISBN ISBN: 0385494785)で取り上げられたように、 1996年は不順な天候のためもありエヴェレスト登山史上最悪といわれる年であった。このシーズンはエヴェレスト以外でもヒマラヤの各地で多くの事故が相次ぎ、日本人女性も犠牲になっている。  世界的に有名なクライマーが経験の浅い登山者を率いて頂上を目指すいわゆる『ガイド登山隊』が増えてきていることについて、一般に知られるようになったのもこのころからである。
     2003年のシーズンにはエヴェレスト頂上に立ったクライマーは過去最高の261名を数え、翌2004年には登頂者数が通算2200名を超えたと日本山岳会会報(2005年2月号) に記されている。
     物理的に『地域振興』が難しいヒマラヤ地方にあって、現実的な『村おこし』とはやはり観光ということになる。登山人気は単に頂を目指す玄人のみならず、日帰りのハイキングから始まり一週間程度の軽いトレッキング、あるいは山岳の景色をゲストハウスのベランダから眺めて満喫、滞在先付近の山里の様子を見物するなど、様々なカタチで風光明媚な土地を楽しみたい観光客たちをもひきつけてくれる。いや数のうえではむしろそういう人たちのほうがはるかに多く、本格的な登山の季節以外でも日々地元にお金を落としてくれるのだ。
     自国の高峰を舞台にした登山家たちの活躍のニュースとともにメディアに流れるヒマラヤの風物は、そうした観光振興のため非常に有効な宣伝にもなることは言うまでもない。こうしたものがなければ、この地域の自然や風物、人々の暮らしや文化が今ほどに外の人々の関心を引くこともなかったのではないだろうか。
     登山家ならずとも、私たちそれぞれの興味の範囲でいろいろと楽しむことができるヒマラヤは、それをいただく国々はもちろんこの大地に暮らす私たちみんなが共有する貴重な財産でもある。
     だがこのエヴェレスト周辺地方で近年の気象の変化が懸念されている。それは氷河の後退や降雪の減少であったりするが、ここ数ヶ月の間でも従来はなかった現象が見られるのだという。それはほとんど雪が降らない冬と春先の豪雪。はてまた4月に入ってから3日間続いた吹雪などである。
     気候というものは毎年同じものではなく、時に暑くときに寒く、多雨であったり少雨であったりといろいろデコボコがあるもの。『平年並み』とは近年の平均値でしかなく、何をもって異常気象と呼ぶのかよくわからないこともあるが、とかく自然や気候といったものは相互に作用しているもの。ヒマラヤの変調については、私たちもちょっと気にかけていたいものだ。海原や大地でさえぎられていても、結局ひとつづきの同じ地球なのだ。
    Everest weather’s ups and downs (BBC South Asia)

  • 『旅行仕様』の楽しいカメラは 3

    Nikon Coolpix8400
     なるべく軽量に・・・ということで、コンパクトデジタルカメラという選択肢も当然出てくる。近ごろのそうしたモデルのトレンドは高倍率なズームレンズと手ブレ補正の搭載だろう。ズームレンズで気になることがある。倍率が大きい反面、広角側が不足するモデルが多いこと。  多くは35mmカメラ換算で35mmから38mmからというものがほとんどだ。ちょっと高目のものになると広角側は別売りのワイドコンバージョンレンズを装着して対応なんていうものも少なくない。しょせんコンパクトカメラ、ズームアップした際の画質はかなり悪くなるので、テレ端はせいぜい80mm程度あれば充分なのではないかと思う。しかし建物を撮るにしても室内で撮影するにしても広角側28mmはぜひ確保したいところだ。
     手ブレ補正については、もともとはフィルム時代と違い液晶モニターを見て撮影するスタイルが定着していること、先述の高倍率ズームが普及してきているためブレが生じやすくなってきていることから有効である。もともとは一眼レフなどの望遠レンズを安定して撮影するために開発された機能ではあるが、三脚を使用することなしに手持ちでスローシャッターを切ることができるなど、撮影できるシチュエーションが従来よりも確実に広がるため極端な話広角レンズであっても大いに役立つ。
     手元にある小さなモノを撮ってみることも多いので、本格的なマクロ機能も欲しい。そして測光方式も評価測光、中央部重点平均測光、スポット測光を任意に選択できるものでありたい。撮影モードもプログラム、絞り優先AE、シャッタースピード優先AE、マニュアル露出と用意してあって欲しい。これらの機能を選ぶ際の使い勝手も良くなくては困る。 
     もちろん電源入れてからの起動は早く連写にも強いものがいい。三脚に固定して撮影するときにレリーズを使いたい。液晶モニターはバリアングルが欲しい。液晶モニターが付いていても、最近増えてきているファインダー省略したようなカメラはあまり好きじゃないなあ・・・なんて注文を挙げていると、いつの間にかコンパクトカメラらしいサイズのものでは適当なモデルが見当たらなくなってしまう。
     それでもちょっと前まではかなり魅力的なモデルは存在していた。たとえばニコンのCOOLPIX 5000であり、その後継機種の同じく5400やこのタイプ最終型の8400といったシリーズがそれに当たると個人的には思っている。
     前者ふたつは28mmから最後のモデルは24ミリから始まるズームレンズを持ち、機能・描写ともに評判の高いものであった。外付けのフラッシュが使用できるようにホットシューも付いている。
     私はこのタイプ最初の5000を持っていたのだが、秒進分歩といわれるデジカメの世界にあっても、画質は今売られているコンパクトカメラ上級機種に比較しても遜色ないといわれるほど現在でもなかなか評判は高いようだ。
     私も購入した当初は大いに気に入ってきた。ある一点を除いては・・・。それは取り回しが非常に悪いことである。電源の起動が遅く、ボタンを押してからシャッターが切れるまで数秒かかる。そして次にシャッターを切ることができるようになるまで10秒ほど待たなくてはならない。非常にじれったいのであった。また多彩な機能を搭載しているにもかかわらず、そのひとつひとつを使うにあたりいくつもの面倒なボタン操作をしなくてはならなかった。
     おそらく最終型の8400になってからはずいぶん改善されたことだろうし、さらに次代のモデルが続いていれば相当良いカメラになったことと思うが、そうはならなかった。ニコンに限らず、どのメーカーでもコンパクトデジタルカメラの高級機種は軒並み姿を消している。
     デジタル一眼レフの価格が下がったことにより、コンパクトタイプのハイエンド機のユーザーはそちらにシフトしていることがある。購買層の大部分はデジタル一眼レフが欲しくても手の届かない人たちであったため、価格帯がほぼ同じなってしまうと存在意義がなくなってしまったのだろう。加えて高性能な『ディマージュ』シリーズを製造していたコニカミノルタのような有力メーカーがカメラ事業そのものから撤退してしまったことなどが理由として挙げられるだろう。
     現在のところ気に入って使用しているのはリコーのGR-DIGITALで、使用感はなかなか良い。28mm単焦点というのが気に入っているポイントのひとつだが、これ一台ですべて満足というわけにもいかない。やはり便利なズーム付きのものも欲しくなってくる。
     今までのところデジタルコンパクトカメラの分野で、銀塩カメラ時代のCONTAXのG1G2、または富士写真フィルムのTIARAなどのように長く大切に使いたくなるようなモデルは存在していない。
     現時点で少々気になっているのは、リコーのCaplio GX8の後継機がそろそろ発表になりそうなこと。それとキヤノンのPOWER SHOT S80も悪くないかなと思っている。だがどちらも積極的に『欲しい!』と思わせるものではない。ここのところのデジタル一眼レフのブームがひと息ついて、手軽だけどちょっと贅沢な高級コンパクトデジタルカメラの需要が高まって来ないものかと思っているところだ。 
     まあ人間の『物欲』というものは際限のないものだが、待望の面白いカメラを手に入れて、早速インドの風景などを撮影してみたいが、せっかくの愛機が『盗られちゃいました』なんてことにならないようにお互い気をつけたいものである。

  • 『旅行仕様』の楽しいカメラは 2


     一眼レフ市場に新規参入を予定しているもう一社、ソニーはどういうモデルを準備しているのかこちらも気になるところだ。他社による既存のシステムの中で自社独自の味付けをしたパナソニックの堅実路線とは趣を異にすることになるのではないかと予想している。 
     しかもこちらはカメラ事業から撤退したコニカミノルタ社の同事業部をそっくり継承しており、独自の技術力に加えて常に前向きな社風からして、新規参入の分野ともなれば必ずや『おおっ!』と人目を引くセンセーショナルなモデルを投入すべく、私たちの知らないところで一大プロジェクトが進行中なのだろう。
     加えてもうひとつ、今までのところ注目度はイマイチだが国際的なコラボレーションが進行中。カメラ老舗メーカーのPENTAXが、なんと韓国のSAMSUNGとの共同開発モデルをこの秋に発売する計画があるのだ。後者としては初のデジタル一眼レフカメラだ。韓国本国はもちろん、携帯電話その他の電化製品でそれなりのブランドイメージを築き上げたインドでは、もちろん『SAMSUNG』ネーム最高峰のカメラとして派手に宣伝することになるのではないだろうか。今回開発されるモデルをきっかけに、初めてこのタイプのカメラに手を出すインドのミドルクラスの人々が結構出てくるのかもしれない。
     このところカメラメーカーが家電系メーカーとタイアップする動きの背景には、CCDなどの電子部品の開発や生産の負担がある。デジタルカメラの分野では、銀塩時代に比べて光学部品やアナログ的な機械部分に対する電子系の構造部に依存する割合が高くなってくるにつれて、得意なフィールドを分業しなくては開発が難しくなってきているようだ。
     だがもともとこうした分野にも明るいキヤノンや富士写真フィルムなどは、現在までのところ家電メーカーとの共同開発は行なっていない。資金力も技術力も豊かな前者は、おそらく今後もそうした必要はないのかもしれない。
     キヤノンとニコンでは、35mmの銀塩カメラと同じ大きさの画角を持つ、いわゆる『フルサイズ』CCD搭載カメラが一般ユーザーにも手が届く普及価格で登場することを待ちわびる声が高いものの、依然としてこれらはプロ向けの高級機だ。今までのところ主流はやはりAPS-Cフォーマットのモデル。そうした中で前回取り上げた第三の流れともいうべきフォーサーズ規格はオリンパスの開発によるものだが、今回取り上げたパナソニックを含めて全部で7社が参入を表明しており、今後の成り行き次第では普及価格帯の一眼レフ市場の流れを変えることになる可能性を秘めている。
     私自身は結局何でもいいのだが、一眼レフの操作性とデジタルの利便性が軽量コンパクトにまとまり、ホコリや振動にも強く丈夫でしかも安価・・・といったモデルが出てくるのを楽しみにしている。これぞまさに『旅行仕様』カメラではないだろうか。
     私は写真家ではないので撮ることが目的ではない。けれども写真は好きなので、必要最低限の機材を持って最大限に楽しみたい。旅先へ持参する身の回り品は少なめの私だが、それに比較してカサと重量が張るのはカメラ関係。これらを取り出してみればスカスカでとても身軽なリュックになるのに。
     コンパクトデジカメ一台だけならずいぶん楽だろうとも思う。かといっていつものカメラ一式を放り出して出かけてみると感動的な景色や興味深い風景を目の前にして非常に心残りだったりする。やはりテキトーなところで自己満足させてくれる機械が必要らしい。

  • 『旅行仕様』の楽しいカメラは 1

    パナソニック LUMIX DMC-L1
     以前、デジタルカメラ市場の一眼レフの分野へ進出を狙う家電メーカーについて『家電メーカーのデジタル一眼に期待』として取り上げたが、そのうちのひとつパナソニックのモデルLUMIX DMC-L1 は今年の夏以降発売予定であることがすでに発表されている。
     オリンパスと同じフォーサーズシステムを採用、同社およびシグマから発売でこの規格に準拠したレンズが使用できるとはいえ、35ミリ換算で2倍の焦点距離となること、バリエーションはまだ豊富とはいいがたいこと、また超広角域をカバーするレンズは高価なものしかないところは弱みである。今後のレンズラインナップの充実具合は、この新モデルを含めた同システム採用のカメラ群の売れ行きいかんにかかっている。
     言うまでもなく、一眼レフはレンズやストロボその他の様々な周辺機器を自由に組み合わせて使うことができることにその価値がある。そうした既存のコンポーネントを持たない会社が新規参入するのは、技術の蓄積やブランドへの信頼感に欠けるのみならず、実はこの部分が特に難しいのではないかと思う。利用できる機材が何もないようでは、カメラ自体が魅力的でもそれをあえて買おうというユーザーはそういないだろう。
     フォーサーズとは撮像素子つまりセンサーとレンズマウントの共通規格だが、このパナソニックのカメラではオリンパス製品との包括的なシステム互換性を持たすことを想定しているらしい。つまりパナソニックブランドによる最初のモデルが登場する前から、利用できる機材がすでにこの世に存在するということは大きな強みである。
     それだけではない。DMC-L1と同時発売予定の『LEICA D VARIO-ELMARIT 14-50mm F2.8-3.5』がとっても気になるレンズなのだ。『ライカ』ブランドであることについて特に関心はないのだが、その名前を冠しているからには相当良いモノであることを保証しているのだろうと期待するのはいうまでもない。そしてズームにしてはかなり明るいF値を持つことも特筆すべきだが、しかも3〜4段分の手ブレ補正つきということだから、手持ちでの撮影のチャンスがグッと広がる。
     ボディは丈夫なマグネシウム合金ダイカスト構造、記録メディアは軽量コンパクトなSD(新規格のSDHCにも対応)メモリーカード、内蔵フラッシュはバウンス撮影も可能、オリンパスのE-330同様に(カラクリは違うそうだが)背面のモニターではライブビューモードも選択できる。それなのに1/3段刻みのシャッターダイヤルが付いていたり、先述のライカブランドのズームレンズには絞りリングがあったりと、まるでマニュアル機みたいな雰囲気がある。
     私は現在キヤノンの20D を使用している。利用可能なレンズのバリエーションの豊富さとカメラ自体の機能面では大変満足しているものの、特に埃っぽいインドにあってはレンズ交換のたびにゴミやホコリが容赦なくドシドシ入ってくるのにはとても困るので、愛憎半ばするといったところだ。
     しかしパナソニックのDMC-L1には、オリンパス社のEシリーズダストリダクションシステムと同様のものが搭載されていること、そしてコンタックスのG2 並みにコンパクトであることに注目している。フォーサーズ規格の他のコンポーネントはさておき、このボディDMC-L1とレンズLEICA D VARIO-ELMARITの組み合わせだけでも充分すぎるほどの魅力がありそうだ。
     やはり予想していたとおり、カメラ界の老舗にして巨大メーカーであるキヤノンやニコンと真っ向から衝突するようなモデルではないようだ。おそらく同価格帯の他社モデルと比較したスペック面、AF性能、連写機能、操作性、画質等々のうち、どれをとってもあまり勝ち目はないのではないかと思う。だが秒進日歩のデジものの世界にあって、めまぐるしい進化に目を奪われて次から次へと興味関心が移ることなく、そろそろ長く使えるお気に入りモデルが登場して欲しいところだ。すぐに飽きがくるようなものではなく、写真好きな大人が趣味の機械として愛着を持って使っていけるような。
     日常的に小さなショルダーバッグに無造作に放り込んで使うのはもちろん、ちょっとがんばって本格的な撮影にも挑戦できる頼もしいカメラなのではないかと今から気もそぞろなのは私だけではないはず。