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  • SEASONS OF YANGON

    SEASONS OF YANGON

    SEASONS OF YANGON
    SEASONS OF YANGONの客室へ

    ヤンゴンの空港の国際線ターミナル正面にあるSEASONS OF YANGONというホテル。かつては、アメリカのラマダグループのホテルであったが、90年代前半に撤退した後を受けて、オーストラリア系資本が買収し、現在に至っている。

    元々が『外資系のちょっといいホテル』であったため、施設は古びている部分もあるが、それでもずいぶんお得感があった。5、6年前には一泊25ドル、2年前は30ドルであった。それが昨年には35ドルと上がったのだが、今年は一気に50ドルにまで上昇している。

    それでも市内の宿の料金が軒並み急騰している中、相場や建物の質や部屋の内容等を考え合わせると、まだまだ割安感はあるといえる。今のところはまだ部屋でwifiを利用できないが、現在ではロビーでは使用することができるようになっている。

    数年前に、支配人で華人系マレーシア人のTさんと飲んだことがある。個人でフラリと訪れているお客に自分のワインを振舞って話し込むことができるという暇な時代であったわけだが、当時は私以外に宿泊客が2人とか3人とか、そんな状況であった。

    「この国がこのままであるはずがない。今に大きく変わると信じているから続けているのだ」と熱く語るTさんであったが、閑古鳥の鳴く大型ホテルにこの程度の宿泊客数、この程度の料金設定で、よくやっていけるものだと思った。

    今、Tさんが期待していた、まさにその時期がやってきたといえるだろう。今晩宿泊しているのは何と60人という。道理で、次から次へとレセプションに新しいお客が到着しているわけだ。

    「ウチみたいに、周囲に何もない、空港近くにあるトランジットホテルは、何泊もするものではない。まさに乗り換えが目的でお客さんたちが利用するホテル。だから空港により多くの人たちが乗り降りする状況になることが大切なんだ。」とも言っていたことを思い出す。

    まさにそういう状況になりつつある。乗り入れている航空会社、そして本数も大幅に増えてきた。そして各フライトの搭乗率も着実に上がってきている。スタート地点が低かっただけに、これからの伸びしろは大きい。

    客室内

    今後、市内では大小、高いものからエコノミーなものまで、様々な宿泊施設がオープンする方向にあるようだが、まだまだ宿泊施設は著しく不足しているため、クラスを問わず、今後もしばらくの間は宿泊料金の上昇は続くものと思われる。

    ミンガラードン・タウンシップにある空港とこのホテルだが、今のところ周囲には特に何もない状態ではあるものの、いくつか新しい飲食施設が出来上がっていて、それなりにお客が入るようになっている。

    少し北東方向に向かうと、小規模なバスターミナルやそれなりの規模のマーケットもあり、そのあたりから商業地が延伸してくることも充分あり得ることだろう。

    このミャンマーという国、とりわけ商都ヤンゴンは、ほんのチラリと目をやっただけでも、無限大の商機と可能性を秘めているように思えてならない。

    避難経路を示す図。ラマダホテル時代のものらしい。
  • ヤンゴンの日本人墓地

    ヤンゴンの日本人墓地

    ヤンゴンの日本人墓地
    ミャンマー最大の都市、ヤンゴンの空港から北東方向にクルマで20分ほど進んだ地域に、日本人墓地がある。もともとはあちこちに埋葬されていたものを、ある時期にこの場所に集合させたものであるとも聞いている。背景には在ヤンゴンの日本人会による尽力も大きかったとのこと。
    大正時代に亡くなられた方の墓石
    連合軍墓地のように高度に組織化された感じではないが、様々な異なる背景を持つ日本人たちがこの地に眠っている。石の表面が摩耗して、もはや判読することすら難しくなっているものも多いが、古くは没年が大正時代のものあったし、昭和一桁に亡くなった人の墓もかなりある。第二次世界大戦が始まる前の当時のミャンマーで、個々の人たちにとって具体的にどんな縁があって移り住むことになったのかはわからないが、大英帝国の海外植民地の大都市のひとつとして繁栄したこの街だけに、様々な商機があったのだろう。この時代に日本から渡ったからゆきさんも少なくなかったようだ。
    戦没者関係の慰霊碑や墓石が目立つ
    連隊の従軍概要についても記されていた。
    戦没者たちへの鎮魂碑
    戦没者関係の石碑は非常に多い。
    「ビルマの竪琴」の主人公のモデルとなった人物の関係の石碑もあった。
    亡くなったご本人もまた軍国主義の時代の被害者。決して繰り返してはならない歴史である。
    墓地内で、最も存在感があるのは、やはり戦没者関係である。大きな石碑が多く、具体的な記述があるためでもある。個々の墓碑、所属していた連隊等の戦友たちによる慰霊碑、戦没者の出身県による同類の石碑等々。だがこの時期の墓碑に特徴的なのは、個人の名前も何も刻まれていないものがかなりあることだ。これらの人々が亡くなったとき、個々の身元確認が困難であったり、混乱を極めた時代であったりしただけに、埋葬先にまで故人の基本的な情報の伝達すらうまくいかないという状況があったのではないかと推測できる。
    また先述のとおり、各地に埋葬されていたものを、この地にまとめて改葬したということもひとつの原因かもしれない。日本人の墓であることは判っていても、そこに葬られているのが誰なのかが分からなくなっているというケースもあってもおかしくない。
    戦没者埋葬エリアでは氏名も亡くなった日付もない墓石が多い。
    個人的に存じ上げている、戦時中に航空通信連隊に所属して終戦を迎えたという方があるのだが、まさにその方が戦友たちのために個人で建立された石碑を見かけた。世間というものは案外狭いものだ。
    この方の出身地は平安北道。現在は北朝鮮となっている。
    戦時中に亡くなった方々の中で、明らかにコリアン系の方々の名前も少なくなかった。日本と併合されていた時期に他界した人々であるがゆえに、日本人という扱いになるのだろう。この写真の方の場合、没年が昭和12年となっているので民間人であると思われるが、その後マレー半島への侵攻に始まる東南アジア方面への日本軍の展開の中で、軍人や軍属としてこの地を踏んだコリアン系の方々も少なくなかったはずなので、この時期に日本人名で埋葬されているケースもあるのではないかと思う。
    1978年の航空機事故で亡くなった日本人技術者たちへの慰霊碑
    戦後に亡くなった方々のものもある。1978年に起きたヤンゴン発ミッチーナー行きの国内線墜落事故で亡くなった、援助プロジェクトの関係で来緬した日本人技術者6名の慰霊碑、そのあたりの時代から2,000年代に入るまでの間に、当地で亡くなった日本人たちの墓である。
    隣国タイなどと異なり、対外的に非常に閉鎖的な体制が続いていたこの国だけに邦人在住者の数や在留していた目的等もごく限られるため、戦後のこの国の激動の時代をつぶさに目撃するという稀有な体験をしてきた人たちであると言えるだろう。
    埋葬された時代を問わず、日本の墓地と大きく異なる点として、大半のものに戒名がないということがある。ごく一部にこれが刻まれている墓石があるが、それらは日本で遺族が菩提寺からもらったものであろう。
    故郷から遠く離れた熱帯のこの地で安らかに眠る人々の魂がここにある。
  • ミャンマーの商都ヤンゴン 邦字タウン誌I LOVE YANGON 創刊

    ミャンマーの商都ヤンゴン 邦字タウン誌I LOVE YANGON 創刊

    ミャンマーの商都ヤンゴンで日本語タウン誌創刊!

    このところ経済面で急速に注目されるようになっているミャンマー。その流れを受けて、2012年10月にANAが成田・ヤンゴンの直行便を就航、他国からもヤンゴンへの新規乗り入れが増えている昨今だ。従前から就航していた近隣国の航空会社もフライトを増便したり、エア・アジアのようにヤンゴンだけでなくマンダレーへ乗り入れる(バンコク・マンダレー便)ようなっていることからもわかるとおり、まさにミャンマーは世界で一番ホットな国のひとつだ。

    欧米諸国による経済制裁解除の動きの中で、外国からミャンマーへ、ミャンマーから外国への送金も自由化の道をたどるようになりつつあるとともに、今後はクレジットカードでの支払いやキャッシング、トラベラーズチェックの換金も出来るようになる方向にあり、これまでは訪問する際には米ドル現金からの換金のみが頼りであったミャンマーもようやく「普通の国」になりつつある。

    そんな中、ついにヤンゴンでも、ついに日本語のフリータウン誌が創刊された。まだ日本では広く馴染みがないということ、在住日本人もあまり多くないということもあってのことだろう、初めてこの地を踏む人のための案内書といった具合に、国のあらまし、出入国、ヤンゴン市内の見どころとショッピング、ホテル案内、食事処、買い物におみやげ等々といった構成になっている。

    おおかたの日本の人々にとっては「新しい国」であるミャンマーで創刊した初の日本語タウン誌。今後ますますの発展を期待したい。

  • 日本発のEVオートリクシャー

    日本発のEVオートリクシャー

    人力車発祥の地である日本だが、まさにこの日本発の電動三輪がアジア諸国をはじめとする途上国の市場を狙っている。

    すでに色々なメディアで取り上げられているが、テラモーターズが注目されているのは、四輪の分野と違って、これまであまり注目されてこなかったEVの二輪や三輪の開発と販売を推進しているだけではなく、目指すマーケットがグローバル規模であり、従前は各国の地場産業の舞台であったオート三輪の世界をフィールドに飛翔することを狙っているからだ。すでにフィリピンでは本格的に始動している。

    テラモーターズ、フィリピンの電動トライシクル事業に参入(自動車新聞社)

    「テラ モーターズ」三輪EVのプロトタイプを公開、日本発のベンチャー企業が世界に挑む!(マイナビニュース)

    電動バイクのアジア戦略 (THE INDEPENDENTS)

    乗り心地のほどはどうかわからないが、流麗なボディのフォルムはなかなかいい感じだ。日本発祥の電動オートがインドの街を駆け巡る日がやって来るかもしれない。

    テラモーターズの「電動トライシクル」
  • GREAT INDIAN RAILWAY

    GREAT INDIAN RAILWAY

    ナショナル・ジオグラフィックによるインド国鉄特集のビデオGREAT INDIAN
    RAILWAY」「
    がYoutubeで公開されている。

    といっても、ナショナル・ジオグラフィック自身がコンテンツを広く公開しているわけではないようで、要は海賊版ということになってしまうのだが、インド国鉄の魅力をうまく伝えている作品である(・・・がゆえに、ぜひオリジナルを購入したいところだ)ので、取り上げてみることにした。

    蒸気機関車が登場したり、2001年に事故死したマーダヴラーオ・スィンディヤー(旧藩王国の王族で国民会議派議員)が登場したりしているので、いつ作製されたものなのかと思えば、1998年1月にリリースされた作品であった。

    興味深いインド国鉄の世界であるとともに、今や事情が少し違ってしまっている部分もあるため、鉄道史を語る貴重な記録であるともいえる。

  • magzterで読むインド

    magzterで読むインド

    在米のインド系ビジネスマンが起業したmagzterが頑張っている。

    いろいろな雑誌の取扱いが増えており、インド関係以外にも東南アジアやアメリカ等の国の雑誌類、中には日本のものもわずかながら含まれている。

    magzterの利用により、インド国外からも雑誌類が購読できるのはいいことだろう。インドの主要都市に居ても普段は見かけない北東州のニュース雑誌の取り扱いもある。magzterの出現以前は、インド国外から雑誌類を購読しようとする場合、それを取り扱うサービスはあっても、手元に届くまで時間がかかったり、郵便事情等により欠配することもあったはずだ。紙媒体で流通しているものと同じ誌面で販売されていることはもちろん、オンタイムで購入できるのが有難い。

    ただ欠点もある。年間購読するように誘導しているためであるが、単号で購入するのと半年ないしは1年間の契約にするかで、ずいぶん単価が異なることだ。前者だとかなり割高に感じられてしまう。

    一度購入したものは、同じアカウントでサインインしている限り、他の端末でも閲覧できて便利だ。しかし、iPad、Android、Windows RT等々のタブレット用のmagzterアプリが用意されているのはいいのだが、タブレットのOSによって操作感がかなり異なることに少々戸惑ってしまうため、改善されることを望んでいる。

    少々注意が必要な部分もある。定期購読の場合、少々注意が必要なのは、購読者側から解約手続きをしない限り、自動更新になってしまう。そのため契約月についてはしっかり覚えておかないといけない。

    私自身は、ニュース雑誌を定期購読しているが、旅行関係ではNational
    GeographicのTraveller Indiaというものがなかなか興味深いことに気が付いた。昨年7月のヒマラヤ特集は充実していたし、他の号でもなかなか興味深い記事が掲載されているのは、さすがNational Geographicである。

    National Geographic Traveller India

     

    ただし、他の版元から出ているインドの旅行関係雑誌については、インドの人々の間での旅行に関するトレンドを知るにはいいかもしれない、といった程度のことが多いため、あまり期待しないほうがいいだろう。

    ともあれ、今後ますますの充実を期待したいところだ。雑誌のみならず、将来は電子書籍なども購入できるようになるとありがたい。

  • その名も「GR」

    その名も「GR」

    1990年代後半から2000年代初頭にかけて人気を博した広角単焦点の銀塩カメラGRシリーズのデジタル版として、GR-DIGITALが発売されたのは2005年10月のこと。

    その後、3回のモデルチェンジによる改良を経て、非常に良く熟成された高級コンパクトカメラに仕上がっている。

    今年5月下旬には、初代GR DIGITALから数えて5世代目となるモデルが登場するのだが、こちらはまさに「フルモデルチェンジ」という様相になる。ここで「フルモデルチェンジ」と表現したのは、カメラの心臓部であるセンサーのタイプの大幅な変更だ。1/1.7型 CCDから、ローパスレス仕様のAPS-CサイズのCMOS、つまりデジタル一眼並みのものが搭載されることになるからだ。

    それでもボディの寸法はこれまでのGRシリーズとほぼ同じのコンパクトさであることも特筆すべきだろう。あんなに小さくてAPS-Cサイズのセンサーを搭載するとは驚きだ。

    GRシリーズとしては、2012年4月に「RICOH」と「PENTAX」ブランドのカメラ関係事業が、ペンタックスリコーイメージング株式会社に統合されてから最初の記念すべきモデルだ。

    カメラの機構そのものの大きな変更を行なうことからか、現行のGR DIGITAL ⅣからGR DIGITAL Ⅴとなるのではなく、世代を示す番号はもちろんのこと、DIGITALという表記をも外した「GR」となる。もはや名機GRのデジタル版を名乗る必要はなく、まさにこれぞGRの真打ちであるとする開発陣の意気込みと熱意が伝わってくる。

    レンズの開放側がF2.8と少々暗め(GR ⅢとGR ⅣはF1.9)ではあるものの、センサーの面積は約9倍となることから、画質の飛躍的な向上はもちろんのこと、ラティテュードの幅も格段に広がるため、明暗差が大きな場面でも盛大に白トビさせることなく、自然な表現が可能となる。感度を上げても荒れは非常に少なくなることから暗所に強くなり、手持ちで撮影可能なシーンがグッと増えることにもなる。

    このモデル性能等の詳細については、今後多くのカメラ関係のウェブサイトや写真雑誌等で様々な紹介や解説がなされるはずなので、ここで敢えて云々するつもりはないし、その必要もないだろう。

    「インドでどうだろう、この一台?」ということで、発売前で実機に触れてもいないのだが、力を込めてイチオシしたくなるGRシリーズの最強モデル。発売がとても楽しみである・・・と、私自身すっかり購入モードに入ってしまっている。

    GRシリーズ最高画質のコンパクトデジタルカメラ「GR」新発売 APS-Cサイズセンサー搭載、速写性を追求し小型ボディを実現 (ペンタックスリコーイメージング株式会)

    GRスペシャルサイト(ペンタックスリコーイメージング株式会)

  • MAI (Myanmar Airways International)  ミャンマーから日本への直行便就航

    MAI (Myanmar Airways International) ミャンマーから日本への直行便就航

    MAI (Myanmar Airways International)

    てっきりMAI (Myanmar Airways International)が日本との間の定期便を飛ばすようになるのかと思ったのだが、そうではなくゴールデンウィーク期間中の訪問客のためのチャーター便であった。

    5月1日に成田からマンダレーへ、そして5月5日夜にヤンゴンから成田に向けての帰国便(成田到着は5月6日)という組み合わせ、もしくは4月27日に関空を出発してマンダレー到着、そして5月1日にヤンゴンから関空へと戻るというものだ。

    2013年ゴールデンウィーク限定 祝!ミャンマー国際航空 ミャンマー直行便就航 (MAI)

    チャーター便の航空券販売とともに、ヴィザの手配も代行 (MAI)

    しているようで、なかなか力が入っている。おそらく定期便就航へ向けての地ならしといったところなのではないだろうか。

    ところで、MAIの東京事務所がすでにオープンしているとは知らなかった。ただし「日本地区総代理店」と記されていることから、どこか日本の提携先の旅行取扱業者がMAI予約・発券等の業務を請け負っているものと思われる。おそらく前述のヴィザ取得代行についても同様であろう。

    現在のヤンゴン国際空港の小ぶりながらもモダンなターミナルビルがオープンしたのは2007年のことだが、建物を含めた空港施設が手狭になるのはそう遠い将来のことではないはずだ。

    同様に、MAIによるミャンマーと日本の間を直行する定期便が就航するのも近い将来のことであればとても嬉しい。

  • ボイシャキメラ2013

    ボイシャキメラ2013

    _4月14日(日)に東京都豊島区の池袋西口公園で「第14回カレーフェスティバル & ボイシャキメラ バングラデシュ正月祭」が開催された。

    開催場所に集まっている人々の大半はベンガル人、とりわけバーングラーデシュ人たちであるのは、この催しをオーガナイズしているのがJAPAN BANGLADESH SOCIETYという団体であるがゆえのことである。

    同胞たちと出会うことができる年に一度のイベントに参加するために、群馬県、茨城県といった首都圏周辺地域はもちろんのこと、関西その他のエリアからも泊りがけで来る人たちが多い。

    _

    私自身も、この催しで知人や顔見知りの人たちをあちこちで見つけては、世間話に興じるのがとても楽しいことを思えば、在日バーングラーデーシュの人たちにとってはまさに欠くことのできない一大イベントなのだろう。

    会場でときどきヒンディー語が聞こえてくるのは、在日バーングラーデーシュ人の勤務先等で接触のあるインド人が来場しているためのようだ。

    開催地の池袋西口公園のそこここで、在日の彼らの二世たちが遊んでいる姿を見ると、往々にして会話が両親の母語のベンガル語ではなく、日本語であることに気が付く。

    妻子連れで日本在住のケースに限れば、主にITその他の企業による派遣で日本に来ている人たちが多いインド人たちに比べて、在日バーングデーシュ人たちは「骨を埋める」覚悟で来ている人たちが多い。もちろん公立学校以外の選択肢を取った場合のコストの大きさの関係があるかとは思うが、在日の彼らの日本に対する心情や期待感に応えることができる日本であることを願いたい。

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  • タイフェスティバル2013は5月11日(土)と12日(日)に開催

    東京都渋谷区の代々木公園で開かれる恒例の年中行事になって久しいタイフェスティバルだが、今年は5月11日(土)と12日(日)に開催される。

    4月14日(日)には、豊島区の池袋西口公園にて「第14回カレーフェスティバル&ボイシャキメラ バングラデシュ正月祭」が開催されることは先にお伝えしたとおりだが、春先から梅雨入り前までの季節における屋外イベントというのは実にいいものだ。

    タイフェスティバルについては、近年は混雑がひどくなってきていて、会場内は押し合いへし合いといった具合で非常に窮屈ではあるものの、スペースに余裕のある代々木公園なので、会場とは少し離れた場所でレジャーシートを敷いてのんびり過ごす人たちの姿も多い。

    日がなのんびりおしゃべりをしながら、ときどき何か食べ物をつまんではビールをゴクリと、お気楽な休日を楽しみたいものだ。好天に恵まれることを期待しよう。

  • 日本のリンガム信仰 ?

    日本のリンガム信仰 ?

    かなまら祭り
    一見、普通のお祭りの光景のようにも見えるが・・・。
    4月7日の日曜日は、川崎市の川崎大師駅近くの若宮八幡宮の境内の中にある金山神社で、かなまら祭りが開催された。毎年4月の第一日曜日と決まっているようだが、神奈川県はもとより地元の川崎市民でもこの風変りなお祭りについては知らない人も少なくないらしい。
    それでも外国人の間では「変わった祭り」として有名であるらしく、大勢の西洋人、アジア人その他の外国人居住者(および旅行者?)もやってくるため、観衆の中にずいぶん外国人が多いという印象を受ける。本日は、私が見たところでは、5人に1人くらいが外国人であったようだ。
    会場や周辺では外国人の姿がとても多い
    神社に奉納する男根型に削った大根
    変なTシャツが販売されている
    ご神体が男根の形をした黒石、神前のお供え物は男根の形に削った大根、祭りの縁日では男根の形をした飴が売られるとともに、木や石で作った男根の模型、はてまたそういう型をした「大人のおもちゃ」まで販売されているという、とても普通のお祭りとは思えない異次元空間が展開している。男根の形をした神輿が担がれて街を練り歩く様子、沿道で見物する人たちの多くが男根型の飴をペロペロと舐めている様子も、フィクションの世界に迷い込んだかのような気にさせてくれる。
    ご神体もこんな形
    もちろんインドのリンガム信仰とはまったく関係はないのだが、日本の神社の祭りでこんなにエロチックで、しかもあっけらかんとしたものがあるとは想像もしなかった。極めて庶民的で、活気と笑いで一杯のB級感に満ちた祭礼だが、他のお祭りではあり得ない旺盛なパワーをもらった気がする。
    奇妙な露店

    こんなものが神社のお祭りの縁日で販売されているとは・・・。
    この祭りの会場以外ではあり得ない光景

    あちこちで、こんな飴を舐めている姿が・・・。
    怪しいグッズの品定めをするお客さんたち
    こんな神輿があるとは・・・。
  • ミャンマー 民間の新聞復活

    ミャンマーで、1962年に起きた軍部によるクーデター以降、約半世紀ぶりに民間の新聞が復活しているというニュースが流れたのは、ごく先日のことだ。

    ミャンマー、民間日刊紙が半世紀ぶりに復活 (asahi.com)

    この民間の新聞の中で、おそらくほとんどがビルマ語紙で、ひょっとしたら英字紙も含まれているのかもしれない。旧英領といっても、英語の通用度はインドと比較のしようもないほど低いミャンマーには、それなりの理由がある。

    イギリスによる支配の歴史がインドに較べるとかなり短いこと、そして独立後のインドにおいて英語が果たしてきた大きな役割とは裏腹に、支配的な立場にあるビルマ族による「国粋化」により、日常の商取引や教育の場から英語が駆逐されたミャンマーとでは、英語の位置付けそのものが大きく異なる。インドにおいて、英語は(たとえそれを理解しない人が過半数を占めているとしても)インドの言葉の中でも重要な地位を占めているが、現在のミャンマーにおいては、英語は外国語にしか過ぎない。

    英字紙はともかく、おそらく1962年のクーデター以前には、ヤンゴンその他の都市部では広く流通していた中国系住民のための華語紙、インド系住民を対象としたウルドゥー紙その他の外来の言語によるメディアの復活はありそうにはないようだ。

    ミャンマーでは、新聞や雑誌等に対する事前検閲は廃止されたものの、発行後の事後検閲は継続している。管理に手間のかかる外国語によるメディアについてはなかなか許可が出にくいものであろうと想像される。また、1962年以前は都市部人口にかなり高い割合を占めていた中華系、インド系の人々が軍政の始まりとともに、大挙して国外に流失してしまったという事情もある。

    話者人口の規模が縮小するとともに、世代交代が進むにつれて、自然と父祖の母語を理解する人々は減り、理解度という面においても水準は下がっていくのは当然のことだ。

    ヤンゴンのあるヒンドゥー寺院では、地元のインド系住民の若年層を対象にした「ヒンディー語教室」が開かれている。そこで教えている男性に話を聞いたことがあるのだが、話者人口や世代交代だけではなく、インド系の言語によるメディアが廃止されたことによる言語面でのインパクトはかなり大きかったようだと語ってくれたことを思い出す。

    「だって、あなた、読み書きする機会が減れば、語彙も乏しくなるでしょう。言葉が乏しくなれば不便になって、あまり使わなくなってしまいますよ。するとどんどん先細りになっていく。喋った先から消えて行ってしまう話し言葉だけじゃなくて、やっぱりきちんとした文章を日常的に読むということは大切ですから・・・」

    20世紀初頭のヤンゴンでは、住民の半数以上がインド系の人々が占めていた時期もあり、非インド系の人々の間にもヒンディー/ウルドゥーが通じるというのがごく当たり前といった状況であったようだ。

    ヤンゴンで、今のインド系住民の間で、インド系の言語による新聞が復活することはないだろう。それでも、ダウンタウンのインド人地区でモスクの中や周辺では、ウルドゥー語による会話が聞こえてくることはしばしばあるし、ヒンドゥー寺院に出入りする人々の会話にしばしばヒンディーによるやりとりが含まれることはよくあるようだ。

    やはり言葉というものには、単に意思疎通の手段としての道具という以上に、民族のアイデンティティとしての意味合いも大きい。インドから移民して数世代経過している人々の間では、地元ビルマ語が母語になっているとはいえ、宗教施設での説法や人々の会話の中にそうした父祖の言葉による会話が挿入されることが多いのは当然のことなのだろう。

    そんな環境の中で、曲がりなりにもヒンディー/ウルドゥーを理解するということに対する、インド系の人々の反応のポジティヴさには驚かされる。インドではずいぶん粗末に扱われている印象を拭えない言葉に対する人々の愛着には心動かされずにはいられない。

    ミャンマーで、ヒンディーやウルドゥーの新聞や雑誌が復活することはないにしても、コストのかからないウェブ上でのニュースサイトが出てくることは、有り得ないことではないように思う。

    報道や表現の自由度の拡大や経済発展へと向かう中、これにより本国とは遠く離れた環境下で細々と続いてきたインド系言語環境が利するところはあるのか、今のところはまだよく判らない。