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カテゴリー: column

  • レーにて 2

    ここ3年ほど夏にはラダックを訪問しているが、レーでの常宿となっているのはSia-La Guest house。

    ラダック人ムスリム家族が経営する宿で、庭いっぱいに栽培されている野菜と周囲のポプラの木の葉の緑が目に心地よい。今年からは母屋とそれに面した芝生のところでWifiを利用できるようになっていて、ますます快適になった。オーナー夫婦は話好きな人で、彼らの人柄を慕っての常連客が多いようだ。観光客以外にもNGO等で活動している人たちの利用もかなりある。

    レーの町は際限なく広がっていっているように思えるが、宿の奥さんの話によると、レーの町が広がっているのはラダック地域内の他のエリアからの人口の流入、村からの人口の流入等があるのだそうだ。町の外縁部では土地を占拠しての違法建築も増えているとか。

    違法建築はともかく、レーとその他の地域では学校の教育の質、就業機会、給電や給水の状態はもとより、その他様々なあらゆる面での格差が大きいため、レーに集中してしまうのはわかる。北方のヌブラよりも先のトゥルトゥクあたりからもかなり来ているそうだ。

    それ以外にも、レーの町中ではインダス河をしばらく下った先で、ラダックの中では低地にあたる通称「アリアン・バレー」地域の人たちの姿もあり、ほおずきや花を頭にあしらった女性の姿をときどき目にする。モンゴロイド系の一般的なラダック人たちとは異なるアーリア系の風貌をした人々である。

    村の若い人たちが町に大勢来てしまい、村で畑仕事する人たちが減ってしまったりということもあるようだ。村で農作業している低地からやってきた出稼ぎインド人たちが大勢いるのもそういう理由があるのかもしれない。

    だが治安面での懸念等はないのだろうか。とりわけ若い男性ばかりということになる出稼ぎ人たちだが、そのような問題もはらんでいることが想像できなくない。

    田舎から町に出てくる人たちが多いのと同様に、レーの人たちの間でもやはり子供たちをデリーやチャンディーガルの学校に送ったり、仕事を求めてインドの他の地域に行ったりということは少なくないようだ。

    こうした事柄は、日本における農村から町へ、町から主要都市や東京へという人口の移動とも似た性格があるようにも思われる。

    〈続く〉

  • レーにて 1

    レーにて 1

    観光シーズンのこの町には沢山の宿があり、よりどりみどりである。ガイドブックで好意的に取り上げられているところ、ツアー客の利用が多いところなどでは数日先まで予約で一杯ということもあるとはいえ、そうしたコネを持たない宿は宿泊客がほとんどなかったりもして、「これで本当にやっていけるのか?」とこちらが少々心配になってしまうようなところもあったりする。

    食事する場所にしても、宿にしても、夏のシーズンにだけオープンしているところが多く、そうした時期にだけ平地のU.P.、ビハール、ジャールカンドといった州や隣国のネパールから来たスタッフを雇って営業していたりする。そうしたスタッフたちは、オフの時期には故郷に帰っていたり、ラダックがオフシーズンの時期にピークとなる他の地域で働いていたりする。

    こうした現象は、レーの町中だけではなく、幹線道路沿いに荒野の中にポツンと存在する小さな食堂であったり、カルドゥン・ラを越えた先のヌブラ渓谷にある小さなゲストハウスでも同様であったりする。また、この時期の農村も繁忙期であり、麦や野菜などの収穫をしている村々で、額に汗して働いている人たちの多くが「平地から来たインド人」であることは多いし、気温の高い時期即ち屋外で作業しやすい時期に集中して行われる道路その他の建設工事に従事する人々もまた同様である。

    ラダックの観光シーズンにおける季節労働は必ずしも外部の人たちによるものばかりというわけではなく、チャーターしたクルマの運転手はザンスカール地方を含めたラダック地域の人たちが多い。トレッキングガイドについては、夏季休暇中の地元やインドの他の地域の大学で学んでいるラダック人大学生たちが従事していることが多いようだ。

    近年盛んになっているラフティングについては、漕ぎ手やリーダー役を務めるのはネパール人が多い。インドのハリドワールに講習所があり、そこで技術を身に付けた者が多いとのことである。

    〈続く〉

  • 空路デリーからレーへ

    空路デリーからレーへ

    デリーからレーに向かう飛行機に乗る。

    昔々、インドで民間航空会社が出現する以前、インディアン・エアラインス(現在はエアインディアと統合)の専売であった時代から、この路線のフライトは早朝の時間帯に出発することになっている。

    気象の関係もあるのかな?と思っていたが、もとより降雨量が極端に少ない地域であり、モンスーン期にも雨雲の影響を受けにくいエリアでもあるため、むしろ「希少なフライトであるがゆえに変な時間帯でも需要は高い。思い切り早い時間帯に飛ばしておけば、機材を他の地域への便に有効活用できる」といった、経済的な要因が大きいのではなかろうか。

    2012年にキングフィッシャー・エアラインスの撤退(その後、同社は経営破綻)により、一時期はレーに乗り入れる空の便が減ったようだが、既存の航空会社のフライトが増えたことにより、現在ではそれをカバーしているどころか、かえって増加したようにも思う。

    それでもシーズンにおける需要そのものが年々高くなっているため、かなり早めに予約する必要があるのはもちろんのこと、LCCを利用したつもりであっても、レーに乗り入れるフライトのチケットは他の地域の同程度の距離のものに比較するとずいぶん高価なものとなっている。訪問客が激減するオフシーズンはどうかといえば、レーに乗り入れるフライト自体が著しく減ってしまうため、「直前でも安く」というわけにはいかないのが現実のようだ。また、12月から1月にかけては、出発地のデリーの濃霧により、各地へのフライトのキャンセルが多発するので注意が必要だ。

    デリーを出てしばらくしてヒマラヤの上空に差し掛かると雲が眼下にたまっているのが見える。南の海のほうから運ばれてくる湿気を含んだ空気が山に当たり、そこに雲が溜まる様子が手に取るようにわかる。

    ヒマラヤ山脈のところで雲が溜まっている様子が見える

    しばらくすると雲の切れ目はかなり高度がある地域となり、そこには山の上のほうから形成される氷河が見える。そこからしばらく進むと雲がほとんどなくなってきて、ラダック地方に入ったことがわかる。その手前までは雲があんなにたくさんあるのに、それを越えると乾燥した大地となる。自然というのは不思議なものだ。もちろん高度が作用しているとはいえ、高い山並みが雨をもたらす雲を遮っているのである。

    眼下に氷河

    北上していくと、雲の切れ目から氷河の姿を目にすることができる。今はそうした壮大な地形をGoogle Earthで簡単に見ることができるようになっているとはいえ、空の上からとはいえ実物を眺めることができるのは、まさにこの路線ならではのありがたみである。

    乾燥した大地に流れる川
    「勇壮な」というコトバがぴったりくるラダックの眺め
    大地にも様々な色合い
    水のあるところに緑があり、人々の営みもある。

    さて、いよいよラダック地方に入ってくると、カラカラに乾いた大地が出現する。まさに宇宙船で違う惑星にやってきたかのような気さえしてくる。機内アナウンスによると、右側にはツォモリリが見えるらしい。私が座っているのは左側なので、それを見ることはできなかった。早朝という時間帯の関係で、レーに向かう便に搭乗する際、機体の左側の窓際席を取るのがベターだ。順光でヒマラヤ山脈の景色を楽しむことができる。更には、翼で視界を遮られることがないように、最前部近くあるいは最後尾近くの座席を指定すると、写真撮影も楽しむことができて、なかなかいいものだ。

    ストックの村だろうか
    軍事施設の上を旋回してレーの空港にランディング

     

  • エアインディアがスターアライアンスに加盟

    これまでアライアンスへの加盟が遅れていたエアインディアだが、ようやくここにきてスターアライアンスの一員となった。

    この話は数年前にも浮上していたのだが、諸条件の折り合いがつかず、一度は頓挫している。その後、昨年12月から再び加盟に向けての動きを加速させて、ようやく7月11日付でスターアライアンスのメンバーとなるに至った。

    そんなわけで、この日以降にエアインディアに搭乗された方で、従来の提携先であったルフトハンザならびにシンガポール航空以外の航空会社のカードをチェックインカウンターで提示して、マイレージを貯める手続きをしている人たちがいるのに気付いた方は少なくないことだろう。

    スターアライアンス加盟の航空会社は、これで27社となる。マイレージ加算率ならびに私たち日本人にとって利用しやすいネットワークといった観点から、比較的貯めやすい航空会社はユナイテッド航空あるいはエアカナダということになりそうだ。

    日本とインドの間を往復にかかるマイレージは軽視できるものではないため、発行から3年を期限として、それまで貯めたマイレージがチャラになってしまうエアインディアのマイレージのカード(・・・というものが一時期存在していた)は論外であるとして、だからといってあまり利用する機会のない航空会社のマイレージに貯めるというのも非生産的である。

    もちろんマイレージの関係だけではなく、大きなアライアランスに加盟して、提携先が増えるということは、コードシェア便として利用できる乗継便等も拡大することを意味するわけであり、スターアライアンス加盟手続きに際しては、国営会社の融通の利かない体質であったり、旧態依然の労務慣習その他の関係であったり、エアインディアの担当者たちはいろいろと苦労されたのではないかと思うが、ともあれようやくこうしてアライアンスメンバーとなったことにより、エアインディアのステイタスが少々高まるのはもちろんのこと、私たち利用者にとっても大いに歓迎すべきことである。

    Air India Becomes Star Allicance Member (THE HINDU Business Line)

  • 日本への短期滞在の数次査証

    日本とインドの間では査証の相互免除協定がないため、両国の国民が相手国を訪問する際には事前に査証を取得することが必要となる。

    相互免除の取決めがない場合においても、例えばタイにおいては日本国籍を持つ人物が空路入国の場合は30日間以内、中国の場合は15日以内の場合は査証無しでの滞在を認めるという措置がなされていることも少なくない。

    そうした措置がなされているのは日本国籍に限ったことではないが、相手国からの訪問者が自国で超過滞在、不法就労、法秩序等に係る問題を生じさせる事例が少なく、事前に在外公館の査証発行に関わる事務手続き等の負担を軽減させることや観光促進等の目的などでこのようなことがなされることが多い。

    また、いかなる滞在期間、目的であっても査証の取得は必須ということになっていても、カンボジアのように、観光目的であれば入国時に滞在可能期間30日の査証が取得できるような国もある。入国前の事前審査という部分が形骸化しており、事実上の入国税的なものとなっていると捉えることもできるかと思う。

    インドにおいても、Tourist Visa on Arrivalという制度により、カンボジア、フィンランド、インドネシア、日本、ラオス、ルクセンブルク、ミャンマー、ニュージーランド、フィリピン、韓国、シンガポール、ベトナム国籍の人々が観光目的で訪印する場合について、バンガロール、チェンナイ、デリー、ハイデラーバード、コーチン、コールカーター、ムンバイー、トリバンドラムの空港から入国する場合においては、その場で30日以内の滞在が可能となる査証が発行されることになっており、私たち日本人にとっては、インドを旅行するにあたり査証取得についてのひとつの選択肢となっている。

    さて、日本においては査証相互免除協定を結んでいる相手国以外において、本来は観光目的というわけではないが、国によっては数次有効の短期滞在査証の制度の対象としている。

    数次有効の短期滞在ビザ(外務省)

    今年の7月からは、この制度がインド国籍の人々にも適用されることとなった。観光目的での取得も可能としていること、インド国籍の人が第三国でも申請可能としている点(申請人が居住している国以外では申請不可)において、他国籍の人々に対するものよりも多少弾力的に運用されるものであるように思われる。査証の有効期限は1年間または3年間、滞在期限は1回あたり15日以内である。

    インド国民に対する短期滞在数次ビザの発給開始について (在インド日本国大使館)

    インド国民に対する数次有効の短期滞在ビザ申請手続きの概要 (外務省外国人課)

    日印間での人々の往来が以前よりも活発になってきている昨今、日本でITその他の分野で働くインドの人々自身以外にも、その親、配偶者、子供といった関係にある人々による日本への短期訪問も相当増えているうえに、日本に居住する親族訪問以外ではなく観光目的でやってくるケースも決して珍しいものではなくなってきている。

    同様に、インドでも日本人に対して有効期限5年間くらいで、1回の滞在可能期間が30日以内・・・といった具合の数次査証を発行してくれるようになるといいのだが、などと虫の良いことを夢想してみたりしてしまう。

  • ユニクロがインドへ

    だいぶ前からユニクロがインド進出を検討している話はニュースになっていたが、このところ更に具体的な内容が伝えられてきており、もはや進出するのかどうか?ではなく、進出はいつになるのか?という段階まで来ている。

    6月のものになるが以下のような記事を目にした人は多いだろう。

    ユニクロの柳井氏がインド首相と会談、市場参入実現へ布石(THE WALL STREET JOURNAL)

    これまで隣国のバーングラーデーシュでの操業で培ったノウハウは、インドでも応用できるものも少なくないことであろうし、それ自体が将来インドに進出するための布石であったという部分もあるに違いない。同社が日本その他の国で展開している路線とは少々異なるものも柔軟に受け入れる必要があることを学んだはずだ。

    そう遠くない未来に、インド各地のモールや商業地の一等地に店舗を構えているのを目にするようになることを容易に想像できるし、おそらくインドならではのアイテムも製造・販売することになるのではないだろうか。

    また、インドは同社にとっての大きな市場であるとともに、加工基地としての狙いも大きいため、インドで独自の素材を利用したアイテムを製造して、それらを日本その他の国々で販売するということも想定しているはず。

    「どこに行ってもみんな同じ格好している」ことについて、また「ブラック企業という批判」等々、同社をめぐっていろいろな評判はあるものの、「全国どこに行っても悪くないものが手軽な価格でいつでも手に入り供給も豊富」であるということを欲している人々は非常に多いため、少なくともそうした多数の消費者の利益に適っていることは誰も否定できない。

    とりわけインドのように、若年層の人口が厚く、大都市部とそれ以外の地域で市場に供給される衣料品の質の格差が大きい国では、とりわけ同社の店舗が大都市圏の外にも拡大していけば、大変歓迎されることと思う。ユニクロが成功しない理由を見つけるほうが難しいのではないだろうか。

  • ターラープルの原発を取り上げた映画「ハイ・パワー」

    2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれにともなう福島第一原発の深刻な事故が発生した後、しばらくの間は日本国内で盛り上がった反原発運動だが、このところずいぶん「鎮静化」してしまったのが気にかかる。

    まさに「喉元過ぎれば・・・」ということわざどおりなのかもしれないが、当の原発事故はいまだ終息したわけではなく、現在も進行中であること、この事故による被災者の方々はいまなお避難生活を送ることを余儀なくされていること、汚染が危険なレベルであるにもかかわらず、効果のよくわからない「除染」で誤魔化してしまおうとしている行政等々、さまざまなトラブル等がすべて未解決である現状を思うまでもなく、日本人である私たちが直視して考えていかなければならない問題だ。

    インドのマハーラーシュトラ州のターラープルといえば、原子力発電所があることで知られているが、この原発が地元に与え続けてきた負の面を告発した映画である。あらすじについてはこちらをご参照願いたい。

    すでに日本国内のいくつかの場所ですでに確定した上映スケジュールが告知されているが、興味深いのは映画の内容だけではない。上映と監督ともに「招聘」することができるという部分も特筆すべきところだ。

    原発については、その存在の是非だけではなく、これによって支えられる産業のありかた、成り立つ社会のありかた、ひいてはインド、日本その他の国による区別もない、地球上の私たちの暮らしのありかたを含めて、みんなが真面目に考えていかなくてはならない問題である。

    ※映画紹介のウェブサイトには「タラプール」とありますが、正しくは「ターラープル」であるため、本記事における記載は「ターラープル」としました。

  • エボラの脅威は対岸の火事ではない

    西アフリカでエボラ出血熱がこれまでにない規模で流行している。

    致死率が90%以上と非常に高いこと、発病後の症状が劇的に激しく、治療方法が確立していないことなどから、大変危険な病気であるということは誰もが認識していたものの、これまでは農村部の限られた人口の間で散発的に小規模な感染が伝えられるという具合であったため、この地域における風土病というような認識がなされていたのではないだろうか。

    だが今回、ギニアで発生したエボラ出血熱が隣国のシエラレオネとリベリアにも及び、ギニアでは首都のコナクリにまで広がるという事態を迎えており、空前の規模での流行となっている。以下のリンク先記事によれば、感染者は635名に及んでいるという。

    史上最悪、西アフリカでエボラ感染拡大(毎日新聞)

    今回、これほどまでに感染が拡大したこと、農村の限られた地域での流行と異なる部分などについてはいろいろ指摘されているが、首都での流行については、これが旅客機等により、地続きではない国々にまで飛び火する可能性を秘めていることをも示している。

    コナクリからフランス、ベルギーといった欧州の国々、ダカールやモロッコ等の周辺国へのフライトがあり、それらの到着地から接続便で北米やアジア方面にも接続することができる。

    そんなわけで、地球のどこの国に暮らしていても、とりわけ今回の流行については、対岸の火事と傍観しているわけにはいかないという危惧を抱かせるものがある。

    あまり想像したくないことだが、これが人口稠密で、インドをはじめとする南アジア地域に飛び火するようなことがあったら、あるいは同様に人口密度の高い日本で発生するようなことがあったら、一体どのような大惨事になることだろうか。だがこれは絵空事ではなく、前述のとおり、ごく短時間で世界のどこにでも移動できる現代では、充分にあり得る話である。

    流行地からは、このようなニュースもある。エボラ出血熱を発症したものの、完治して生還した事例だ。

    エボラ完治「奇跡」の妊婦、喜び語る シエラレオネ(時事ドットコム)

    流行の抑え込みとともに、ぜひとも期待したいのは病理学的な解明と治療法の確立である。今はただ、今回の大流行が一刻も早く収束を迎えることを祈るとともに、医療現場で命を賭して患者たちへの対応に当たっている医師たちに敬意と大きな感謝を捧げたい。

  • ひと続きの土地、ふたつの国

    今年もまたラダック地方に中国軍による侵入の試みがあった。

    Chinese troops try to enter Indian waters in Ladakh (The Indian Express)

    ほぼ時を同じくして、中国でラダックの一部とアルナーチャル・プラデーシュ州全域を自国領として描いた地図を出版している。

    Leh residents object to China’s claim over Ladakh in new map (india.com)

    繰り返しこのような行為を繰り返すことにより、これらの地域がインドに帰属するものではなく、中国の一部であると内外に主張することにより、これらの地域が係争地であることを風化させることなく、機が熟して何らかの大きな行動を起こした場合にそれを正当化させるための企みであることは明白だ。

    このような動きがある限り、J&K州に広く展開する軍備を削減することはできず、財政的に大きな負担を抱える現状は変わることはない。観光以外にこれといった産業のないこの地域において、駐屯する軍に依存する構造も変わることはないだろう。

    また、この地域が事実上、地の果ての辺境であるということも変化することはない。もし中国とインドとの間で領土問題が存在せず、国境の両側が経済的に相互依存する関係にあったらならば、地元の人々に対して大いに利することになるはずなのだが。

    両国の間に設けられた国境という壁は、ふたつの世界を分断し、相互不信の関係をさらに醸成させていくことになる。北京とデリーという、どちらもこの国境地帯から遠く離れた政治の中心の意思が、地元に住む人々の間でひと続きの土地に引かれた国境の向こうにいる人々に対する敵意を焚き付けて反目させる。

    不条理ではあるが、これが現実。さりとてこれが現実とはいえ、はなはだしく不条理なことである。

  • インドの老夫婦のワールドカップ観戦

    7月13日に三位決定戦、そして続く14日に決勝戦を迎えるブラジルで開催されているワールドカップ。

    下記リンク先の記事に取り上げられているインドのサッカー好きな老夫婦は、これまで幾度となく開催国に足を運んで観戦しており、今度で9大会目だという。

    サッカーW杯観戦に情熱、インド人夫妻9大会目のブラジル(dot.asahi.com)

    記事によると、夫妻は決して裕福とはいえないようだが、それでも四年毎に巡ってくるこの大会のためにコツコツと貯蓄に励んでいるとのこと。

    一般的な人から見ると、失礼ながら経済的な「バランス感覚がない」ということになってしまうのかもしれないが、好きなことにこれほど入れ込むことができるということ、そして夫婦揃って同じ目的のために頑張っていけるということは羨ましくもあり、また素敵なことだと私は思う。

    夫妻はワールドカップでどの試合を観戦したのだろうか。記事には「FIFAが宿泊場所を無料で提供、ブラジルのテレビ局は観戦チケットを用意した」とあるが、ひょっとして7月14日の決勝戦をスタンドから観る幸運に恵まれていたりしたら、これまた嬉しい話である。

  • Namaste Bollywood #40

    Namaste Bollywood #40

    おなじみNamaste Bollywoodの第40号(2014年7月/8月号)が発行された。巻頭を飾るのは2010年に公開されたサルマーン・カーンのダバング 大胆不敵 (原題:Dabangg)だ。7月26日からシネマート新宿ならびにシネマート心斎橋を皮切りに、全国で順次ロードショー公開されるとのこと。

    すでに6月末から公開されているマダム・イン・ニューヨーク (原題:English Vinglish)とともに、私自身にとってもお気に入りの映画であるから嬉しい限りである。

    だが、この夏に日本で公開されるボリウッド映画はこれら2本に限らず、8月からはバルフィ 人生に唄えば(原題:Barfee)とめぐり逢わせのお弁当(原題:The Lunchbox)も控えているというから、今年は「当たり年」なのかもしれない。

    これらの映画に出演している俳優陣で、個人的に最も思い入れの深いのはシュリー・デーヴィーだ。80年代に活躍した彼女は、銀幕のヒロインとして圧倒的な存在感とともに、観客の前に天から舞い降りた、文字通りの女神であった。私にとってもインドのヒンディー語映画の原体験といえば、彼女が主演したNaginaであり、映画の挿入歌のMain Teri Dushmanをごくたまに街角で耳にするようなことがあると、初めてインドの映画を観たときの新鮮な思いが蘇ってくる。

    English Vinglishは、結婚とともに銀幕から引退していた彼女が20年ものブランクの後に復帰した記念すべき作品で、かつての美しいヒロインが今はどういう風になっているのか、淡い期待とともに、ひょっとしたら観なければ良かったと後悔するのではないかという思いが交錯しながら鑑賞した。

    スクリーンに登場したシュリー・デーヴィーは、確かに齢を重ねて、かつてアイドルであった彼女ではなくなっていた。それでも美しさと清楚さは相変わらずで、おそらく映画以外の部分でも豊かな人生経験を積んできたためか、深みのある演技を見せる大人の女優に変貌していた。そんなシュリー・デーヴィーの姿に改めてゾッコン惚れ直した次第である。

    他にもNamaste Bollywoodによるイベントの告知も必見だ。8月6日(水)には、ダバング」公開関連企画〜ボリウッド・トーク・イベント@東京・阿佐ヶ谷ロフトAが開催される。

    ボリウッド映画ファンにとって、今年はとりわけ熱くてホットな夏となりそうだ。

  • ネパールからやってくる人たちが増えた

    近ごろ、首都圏でネパール人の姿を見かけることがとても多くなった、とりわけ若い人たちがよく目に付く・・・と感じている人は少なくないことだろう。

    それもそのはず、ここ数年来、日本留学の入口となる日本語学校に入るために来日するネパール人が急増しているのである。

    こちらの資料(一般財団法人日本語教育振興協会による「日本語教育機関実態調査」P5)をご参照願いたい。

    ここに示されているのは、平成21年度から25年度までの日本語教育機関の学生数とその国別内訳だが、従前から日本への留学生出身国のベスト3といえば、中国、韓国、台湾の「御三家」であったのだが、すでに平成21年度において、それ以前は留学生の中ではマイノリティであったベトナム、ネパールが急伸しており、トップの三国に迫るところに来ている。

    平成23年度に入ると、すでにベトナムは台湾からの留学生数を抜いて3位に食い込み、4位の台湾とほぼ同じレベルにまで達しているのがネパールだ。ベトナムとネパールは平成25年度には韓国を抜いて、それぞれ2位、3位となり、首位の中国からの留学生の規模には遠く及ばないものの、現在では御三家といえば、中国、ベトナム、ネパールとなっている。

    留学生たちの実数で見ると、平成21年度にはベトナム847名、ネパール839名であったものが、4年後の平成25年度には前者が8,436名、後者が3,095名となっている。伸び率はそれぞれ9.96倍、3.69倍である。

    その間に、元御三家の韓国は8,360名から2,386名、台湾は2,304名から1,425名へと、それぞれ元の数の0.29倍、0.62倍へと激減しているという背景もある。不動の首位の中国にしてみても、26,632名から18,250名へと、0.68倍という急激な減少がある。

    留学生総数にしてみても、平成21年度の42,651名から平成24年度の29.235名という0.69倍という激しい落ち込みから平成25名は37,918名へと持ち直しているものの、それでも平成21年度と比較すると0.89倍という芳しくない数字である。

    こういう具合になったことにはいくつかの要素があるので簡単に解説しておきたい。平成18年から19年にかけて、中国からの留学希望者に対する入国管理局や在外公館での審査が厳重となったため、多数の留学予定者対する在留資格認定証が不交付となったり、在外公館で査証が発行されなかったりという事態が多数発生し、日本語学校によっては中国からの入学予定者の半数前後が来日できず、留学をキャンセルというケースが生じた。

    もともと零細な規模のものが多い日本語学校の世界では、送り出し数の多い国にパイプを持ち、そこから安定的に学生を供給してもらおうという傾向が強かったのだが、そうした中で、とりわけ中国への依存度が高かった学校の多くは、これを死活問題と捉え、他なる留学希望者送り出し国の開拓に乗り出さなくてはならなくなり、そうした学校にとってそれまでは視野に入っていなかった地域に精力的に働きかけることとなった。

    その努力の結果、とりわけ新規来日学生の大規模な招致に繋がったのがベトナムとネパールであった。どちらも移民圧力の高い国であり、その当時までは日本における不法残留率も高くはなかったため、比較的順調に導入することができたといえるのだろう。

    その後、来日数が安定的に増えてくるにつれて、すでに来日している者と自国との繋がり、日本語学校による更なる努力による留学需要の掘り起し、送り出し国側のそうした斡旋機関もそうした渡日熱の高まりにアテ込んで、これに加担したということもある。やはりそこは商売である。

    異常が、ベトナムとネパールから来日して日本語学校に入る者が急増している背景についての簡単な説明であるが、いっぽうで今も御三家ながらも人数が大幅に減っている中国、元御三家から転落した韓国と台湾の落ち込み具合にはどのような理由があるのかについてもざっと述べておくことにしよう。

    まず中国、韓国、台湾いずれについても共通して言えることは、自国経済の順調な成長ぶりと日本の長引く不況から、相対的に日本に対する魅力が薄れてきていることがある。これまで高く見上げていた対象が、相対的にその背丈が自分たちの居る場所から見て、さほど上のほうにあるように感じられなくなってくる。

    日本語学校に入るということは、その中のマジョリティは大学や大学院への進学、そして日本での就職、将来的には日本のそのまま定住するという、移民のステップとして捉えている部分は決して少なくない。日本での留学の目的といえば、日本という国そのもの、日本の文化を学ぶというよりも、経済、金融、理工学、その他ハイテク分野といった、いわゆる「実学」を志向する割合が非常に高く、学業を終えた後での定着先としての日本についての期待があまり持てなくなってきているであろうことは、誰も否定できない。

    とりわけ韓国については、グローバル市場における自国の一流企業の隆盛と、それに対する日本企業の地盤沈下を目の当たりにして、日本に対する興味・関心が急速に萎んでいくのは仕方のないことであったのだろう。

    もちろん中国や台湾と日本の間にある尖閣諸島問題、韓国と日本の間の竹島問題その他の領土に関する論争、はてまた今なおくすぶり続けている歴史問題等々の政治的な事柄による日本に対する政治的なイメージの低下という面も無視できないものがあるにしても、やはり大半は私費で来日する留学生たちにとって、そうした思想的な要因よりも、実利的な要因が大きく作用するのは当然のことだ。

    平成20年代に入るあたりから、上で述べた事柄を背景とする留学生数の頭打ち傾向があったのだが、これをさらに決定付けたのは平成23年の春に起きた東日本大震災、いわゆる3.11という大きな出来事であった。

    「落ち目だった日本もこれで終わりだ」とまで言うわけではないが、地震、津波よりもむしろ原発事故による影響が大きかった。日本では大変センセーショナルながらも、極力抑えた調子で報道されていたのに対して、海外とりわけ近隣国での報道に抑制を期待できるわけもなく、日本に対する期待値は非常に低くなってしまった。

    そうでなくても、これらの国々から人気の留学先としては、アメリカその他の欧米先進国がまず一番手にあり、二番手以降に日本という選択肢があったわけだが、その地位が大きく後退してしまっているのが現状である。

    ベトナム、ネパールからの留学生の急増については、もともと需要の高くなかった地域であるだけに、勉学意欲の面でも経費支弁能力の面についても疑問符の付くケースが少なくなく、実際に来日してから雲隠れという事例も多いため、入国管理局による審査も非常に厳格そなものとなっていることは、元御三家の韓国と台湾とは大きく異なる。

    総体的には、中国、韓国、台湾からの留学生の落ち込みを補うという点において、数の面からも質の部分からも決して充分なものとは言えないのが現状であるとともに、他にも様々な問題を抱えていることは否めない。

    しかしながら、視点を変えれば、これらの国々と新たに緊密な関係を構築する良い機会であるということもあり、とりわけITの分野で地味ながらもそれなりに着実な成長を続けているベトナムから日本に留学する人が急増している中で、様々な問題はあれども、知日家が倍増していくという状況は将来的にプラスに作用することを期待したい。

    ネパールについては、すでに日本で実業界その他で活躍している人たちがNRN(Non-Resident Nepalis)として様々な活動をしていることは一部で知られているが、とりわけ著名な存在として、今のネパールからの留学生たちよりもずいぶん早い時期に来日して学び、飲食業界での起業を手始めにネパールからインド、中東の産油国方面へのフライトを飛ばす航空会社を設立するまでに至るとともに、日本からネパールへの空の便の開設を企図しているB.B. Airwaysの代表のヴァッタ・ヴァバン氏が挙げられる。

    様々な背景や動機により、日本を必要としてくれている若いネパール人たちの中から、将来の日本が必要とする人材が輩出し、新たな絆が築かれていくこともまた大いに期待したいものである。