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カテゴリー: column

  • 近ごろのロイヤル・エンフィールド

    近ごろのロイヤル・エンフィールド

    現存するモーターサイクルのブランドとしては世界最古で、発祥の地イギリスでの生産が終わってからも、インドで製造が続けられているロイヤル・エンフィールド

    クラシックなブリティッシュバイクということで、欧州などからインドを訪れてバイクによるツーリングを楽しむ人たちの間で昔から人気が高く、そうしたモデルを新車・中古車等で購入してインドを駆け巡る旅行者もあれば、このバイクでのツーリングを売りにするツアー企画会社もある。

    そうしたクラシックバイクが今なお生産されているいっぽう、近年は若者ウケするモデルも次々に世に送り出しており、かつての「オジサンのバイク」のイメージを一新し、以前とは違った境地に踏み出している現状だ。

    「ロイヤル・エンフィールド」の名前を冠したグッズの販売店もあり、これまたなかなか好評のようだ。

    ミリタリー使用のロイヤル・エンフィールド
    これまたカッコいい。
    オーソドックスなモデルはこんな感じ。
  • Marble Palace

    Marble Palace

    Rabindra Bharati Museumから徒歩圏にあるMarble Palaceも訪れてみた。Palaceと呼ばれているが、貴人の宮殿ではなく19世紀の豪商の館。興味深い欧州趣味の建物と所蔵品の数々なのだが、ゲートにいるチョーキーダールも中で警備している者たちも、本来無料であるはずのところが、どこぞで許可を取らないと入れないと、いったん追い返すフリをしつつも、「でも見たければ・・・」と、訪問者たちから50Rsなり100Rsなりといった金額を取って見せている。こんなことをするくらいなら、ちゃんとチケットを売って見せればいいのにと思う。ちなみに、見学前日前に西ベンガル州観光局から許可証を取得すれば、無料で見学できるらしい。かといって、ここが政府所有となっているわけではなく、今も当時建てた人物の子孫の私有財産。外観よりも中のほうがはるかに良かったのだが、あいにく館内は撮影禁止。

  • Rabindra Bharati Museum

    Rabindra Bharati Museum

    市内中心地にあるRabindra Barati Museumを訪れた。Rabindra Bharati Universityの付属施設で、この大学のすぐ隣にある。

    カルカッタやその近郊には見事なラージバーリー(領主の館)があるが、こうしたかつての大土地所有者(ザミーンダール)のラージバーリーないしはタークルバーリーの大半は、もう顧みられることなく荒れ放題であったり、中を細分化して賃貸に出していたりする。
    博物館内ではタゴールの詩以外にも絵画その他の創作活動、日本や中国との親交や欧米の知識人たちとの往来等に関する展示もあり、見応えがあった。

    それぞれの生年・没年を記した家系図の大きなパネルもあった。一族の中では、幼くして亡くなったり、30代、40代で早世してしまった人が多いことに気が付くが、タゴール家が短命なわけではなく、そういう時代だったのだろう。

    ちなみに19世紀までは、英国から渡ってきた人たちの平均寿命がわずか7〜8年だかなんだか(数字はうろ覚えなので誤りがあるかもしれない)と書かれたものを目にした記憶がある。まだ病理学が充分に発達する前で、はるばる英国から渡ってきた人たちは、往々にして赤痢、マラリア、コレラなどに倒れたらしい。

    カルカッタのサウスパークストリート墓地(植民地期の英国人墓地)の墓標を眺めてみると、最高裁判所の裁判官、行政官といった支配層の人たちが、30代後半や40歳を少し越えたあたりでなくなっていたり、高級官僚一家が半月ほどで、次々に亡くなっていたりすることがわかったりする。後者は明らかに何かしらの伝染病によるものだろう。

    植民地支配層の英国人の墓石には、出生地、生前の肩書、没した年月日などが記されていることが多く、死の背景をある程度推測することが可能な場合もある。英国から渡ってきた特権階級の富裕層でさえこうした具合なのだから、インドの庶民の場合はどんな風だったのだろうか。

    そんなわけで、なかなか往時さながらの姿を目にする機会はなかったりするのだが、ここはそうした生まれ育ちの詩聖ラビンドラナート・タゴールを記念する博物館として公開されており、展示物もさることながら、見事な屋敷を堪能出来るのもありがたい。

    言うまでもなく、ラビンドラナートは、アジア人で最初のノーベル賞受賞者だが、詩だけではなく、絵画や音楽等々、多岐に渡る才能を発揮した人物だが、シャンティニケタンにあるヴィシュワバーラティー大学を創設したことでも広く知られる。

    現在の西ベンガル州だけではなくバングラデシュでも土地を初有していたため、タゴール家ゆかりの館は国境の両側を跨いでいくつもある。この屋敷以外にも、実は旅行者ゾーンのサダルストリートにもタゴール家の屋敷が存在していたことがある。ラビンドラナートがそこに起居して詩作にいそしんだ時期があったそうだ。もう今は残っていないが、10, Sudder Streetがその場所。現在は安宿、旅行代理店、両替屋が入る汚い建物がある。

    ラビンドラナート・タゴールの詩は、ギクシャクした訳文で読んだことはあるが、その良さはよくわからなかった。原語のベンガル語が判れば、きっとその素晴らしさが堪能出来るのだろうと思う。

  • ハウラーブリッジ

    ハウラーブリッジ

    ムードのある橋だなぁ、と常々思う。フーグリー河の詩情に満ちた眺望と武骨な鉄塊の対照もまたたまらなく良い。

  • グレート・イースタン・ホテル復活

    グレート・イースタン・ホテル復活

    The Lalit Great Eastern Hotel

    シンガポールにラッフルズあれば、カルカッタにはグレート・イースタン。1950年代末だか1960年代初頭だかには、訪印したエリザベス女王の食事会も開催されたほどのホテルだ。

    1970年代以降は、共産党州政権のもとで、州営ホテルとなってからは大きく格を下げ、2000年代に入り、ムンバイを本拠地とするホテルグループ、The Lalit Hotelsに売却される直前は、なんと1500Rs程度で宿泊出来るまでに転落。

    今から10年ほど前に、グレート・イースタン・ホテルと題して、この宿泊施設を取り上げてみたことがある。

    売却後、2005年から長らく工事のため休業していたが、2013年から再び高級ホテルとして開業して現在に至っている。

    THE LALIT GREAT EASTERN KOLKATA HOTEL

  • Paytm

    Paytm

    Paytmでの支払いが出来ることを明示した露店

    こんな露店でも電子決済(携帯電話による決済)を扱っているのだから恐れ入る。
    かなり評判の高かった電子決済サービスだが、昨年11月9日の高額紙幣(旧1,000Rsおよび旧500Rs)廃止にともなう紙幣不足で脚光を浴びるとともに、さらに大勢の新規ユーザーを獲得したようだ。
    店頭での支払い以外に、個人間での送金も可能だ。
    電子決済の分野では、日本よりもずいぶん先を行く部分も少なくないインドである。

  • インディアン・コーヒーハウス

    インディアン・コーヒーハウス

    コールカーターのカレッジストリートで書籍漁りをした帰りに、インディアン・コーヒーハウスに立ち寄ってひと休み。数々の文化人たちや一般社会の人々たちはもちろん、幾多の革命家たちからも世代を継いで愛されてきた、アジアきっての名門カフェだ。
    コーヒーやお茶はもちろんのこと、けっこうちゃんとした食事も楽しむことができる。
    常に多くの人々が出入りし、賑やかな会話が各テーブルから聞こえてきて、どこからかタバコの煙がゆっくりと流れてくる。
    近ごろ流行りの洒落たカフェにはない重厚さがなんとも素晴らしい。

    Indian Coffee House (zomato.com)

  • コールカーターの街

    コールカーターの街

    英領期の壮麗な建築物が今もふんだんに残るコールカーター

    文化人類学者の中根千枝氏が、戦後間もない頃に自身のコールカーター等に滞在している。彼女が何かで書いていたが、当時目にしたコールカーターの印象は、今の時代の私たちが感じるものとは相当異なるものであったようだ。

    壮麗な建築物が整然と建ち並び、当時としては非常に良く整備された都市インフラと行き届いた給電があり、中には空調設備が整った施設もあったという。色濃く残っていた英国式マナーと文化的なたたずまい等々に感銘したらしい。インド独立直後のカルカッタは、まだ『先進的な欧州の街』であったのだ。

    分離独立時の東パーキスターンからの難民流入に加えて、その東パーキスターンが西パーキスターンが相手の独立戦争を経て、バーングラーデーシュとして再度独立を果たすに至っては、さらに大きな規模の難民が雪崩を打って流れ込む中で、街中の様子が大きく変わったとも聞く。

    その少し前から始まった基幹産業や銀行などの国有化政策により、大きく左寄りとなった中央政府のスタンスにより、90年代に入るまでは長く停滞が続いたインド経済だが、とりわけ西ベンガル州においては、70年代に共産党が政権に就いてから(2011年の州議会選挙で負けて野党に転じる)は、カルカッタの街は右肩下がりの低迷を続けた。

    知の都コールカーターを擁する西ベンガルは、インドを代表する『革命の都』であったことから、様々な左翼活動家を輩出し、今も労働組合活動が大変盛んな土地柄だが、暴力的な極左勢力マオイスト(西ベンガルのナクサルバーリーで決起したことから、ナクサライトとも呼ばれる)が活動を始めたのも西ベンガル。

    当時のカルカッタ大学にも、これに共鳴するシンパは多かったとのことで、英領期から続く名門大学の学生がかなりの規模で行方不明(警察による検挙)となった過去がある。初期のナクサライトを指揮したマーズムダールはベンガルひとながらもカルカッタ大学出身ではなく、デリー大学の卒業生だが。

    カレッジストリートにあるインディアン・コーヒーハウスも、そうした若き革命家たちも出入りして、闊達に議論を戦わせる場所でもあった。
    コールカーターでは、現在もユニオンや左翼政党による戦闘的なラリーが開かれたりポスターが貼られたりしており、今も革命の都の面影が感じられたりする。

    インディアン・コーヒーハウス
    インド共産党(マルクス主義派)の街角集会
  • 元人民解放軍兵士54年振りの里帰り

    ラージ・ババードゥル、本名王琪(Wang Qi)という在印華人のことがメディアで取り上げられている。

    在印華人たちが1962年に起きた中印紛争をきっかけに、「敵性国人」の扱いを受けることとなり、カルカッタその他に暮らしていた彼らが次々に拘束されて、ラージャスターンのデーウリーにある収容所に送られたこと、その後も常に公安関係とのトラブルや差別的な扱いが続いたことから、大勢の華人たちの脱出が続いたことが知られている。

    もともとインドに在住していた人たちとは異なり、国境地帯に勤務する人民解放軍の測量兵だったので、紛争の当事者のひとりであったとも言えるのだが、紛争数週間後に国境のインド側で迷い、インド赤十字に助けを求めたところ、インド軍に引き渡されている。

    その後、スパイ容疑で7年間服役したが、出国許可を得ることが出来ず、M.P.州のナーグプル近郊の村に定住することとなり、現地女性と結婚して家庭を持ち、今では3人の孫もいるそうだ。

    The Chinese man trapped in India for half a century (BBC NEWS)

    駐インドの中国大使館の力添えと旅費の工面により、彼が今月11日に故郷の山西省に里帰りして、親族たちとの再会が実現している。

    Chinese soldier returns home after 54 years in India (CGTN AMERICA)

    元兵士とはいえ、インドに対する工作活動は、軍人であるがゆえに上官の命令に従ったがゆえのものであり、半世紀以上もの長きに渡り、故郷の地を踏むことさえ出来なかった彼もまた、戦争の犠牲者のひとりであったと言えるだろう。

    報道されている内容から察する範囲では、王琪さんはインドで円満な家庭を築くとともに、地域で良好な人間関係にも恵まれているらしいことは幸いなことである。

  • NAHOUM & SONSのケーキとビスケット

    NAHOUM & SONSのケーキとビスケット

    以前、コールカーターの老舗洋菓子店と題して取り上げたNAHOUM & SONS。カルカッタに現存する最古の洋菓子屋。『ナフーム』という名の示すとおり、ユダヤ人家族による経営で、創業1902年の老舗。

    先日、欧州飯店再考で取り上げた「コールカーターに現存する最古の中華料理屋」のごとく、植民地期には洋菓子店はいくつもあったはずなのだが、この土地を離れたり、廃業したりしている中で、店を続けていくと最も古くなってしまう。冷蔵庫の無いころのケーキはこんな感じだったのだろう。ユダヤ人店主はもう高齢なので、店には出てこないようだ。

    植民地期の欧州人地区に隣接していたニューマーケットにあるが、サダルストリートからは目と鼻の先なので、すぐに買いに行けて便利だ。

    Nahoum店内
  • 香港飯店

    香港飯店

    サダルストリートのすぐ近く、フリースクールストリートの香港飯店へ。
    コールカーターの他の華人経営の店の多くがそうであるように、ここも客家系華人による経営。インド人も雇用しているが、厨房で指揮を取るのは客家人の店主兄弟なので、いつ来てもおいしい料理が出てくる。
    ウェイターのベンガル人ムスリム、ヌール君はずいぶんここで長く働いているが、近年はちょっとオジサンが入ってきた。
    界隈では、料理店以外に、美容室、大工、靴屋などをやっている人たちが多い。華人が作る靴については、「とにかく履きやすい。そして長持ちする」と昔から評判がいいらしい。

  • 2017年のサダルストリート

    2017年のサダルストリート

    コールカーター中心地にあり、言わずと知れた安宿エリアだが、近年はアップマーケットな宿やレストランが出来たり、既存の宿が大改修をしたり、サダルストリートから派生した路地裏にも新たな宿がオープンしたりと、少しずつ変化はある。

    ひところまではとても盛んだったISD、STDといった国際電話、国内長距離電話やインターネットの利用などをさせていた店は、スマホの普及と宿でWi-Fi利用がごく当たり前のこととなったため、すっかり尻すぼみになっている。

    この通りの東端で消防署に突き当たるが、そこからフリースクールストリートを少し南に進んだところにあるマルクィスストリートからバーングラーデーシュ行きのバスが発着していることから、そのあたりには主にバーングラーデーシュ人たちが利用する宿がいくつも出来ている。だがサダルストリート自体は、長年に渡ってたたずまいはほとんど変わらなかったように思う。

    それでも近ごろは、いくつかの古い建物が取り壊されて、新しくモダンなビルが出来ており、古ぼけた街並みの中で異彩を放つようになってきている。昔ながらの建物に入居する宿や食堂などの入れ替わりは、視覚的にはさほどの違いはもたらさないが、こうしたハコモノ自体が建て替わると、ずいぶん違ったムードになる。今後も、このような動きはゆっくりと、しかし着実に進んでいくのだろう。

    最近オープンしたモダンな商業ビルで営業する旅行代理店
    サダルストリートらしからぬキレイなブティック
    今はこうしたアップマーケットな宿も営業している。この向かいにはムンバイーが本拠地のBawaグループのホテルがある。