国勢調査とジャーティ

次回、2011年に実施される国勢調査をめぐり、人々のジャーティについての調査も含まれる方向にあることが議論となっている。
憲法上、国民の間でそうした区別は否定されているものの、それは決して存在しないものであるとはいえない。また指定カースト、指定部族、その他後進階層(OBCs)に対する留保制度という優遇策がある。
本来は憲法の定めるところに対して矛盾しているわけだが、実社会で存在している差別等を解消するために、こうした施策を通じて万民の平等を保障していると解釈することもできる。
だがその反面、留保制度による救済の対象となっていない人々が皆恵まれた境遇にあるわけではなく、充分な実力や資格を有する人々がこの制度によって引きずり下ろされてしまうことにもなる。そのため留保枠対象でない人々に対する逆差別でもあることから、しばしば政治的問題を引き起こしてきた。
ごく最近ではアーンドラ・プラデーシュ州ではムスリムに対する留保制度も成立しているが、州ごとに留保のありかたは異なり、例えば同じコミュニティでも州によっては指定カースト、他州では指定部族であったり、OBCに区分されていたりすることは珍しくない。あるいはさらに別の州ではそうした留保の対象となっていないこともあるなど、決して一様ではない。
州によって特定のコミュニティが置かれている状況が異なるということもあるにしても、やはりジャーティを背景にした政治力学によるところが大きいといえるだろう。
話は変わるが、日本においてはヴァルナ・ジャーティといえば上下関係を規定するものという具合に理解されていることが多いようだが、そういう単純なものではない。日常での上下関係を決めるものは、個々の社会的な地位、職業、収入や財産といったステイタスであり、ヴァルナやジャーティで規定されるわけではないことについて注意が必要だ。むしろ『部族・同属集団・血統集団・派閥等々で細分化された社会的概念』とでも言ったほうがしっくりくるかもしれない。
こうした区分が結果的に他者に対する差別という結果を生むということもあるが、同時に自らを律する側面もある。例えば、北インドでは通常、同一ジャーティ内の同じゴートラ(氏族集団)内での通婚はタブーである。
もちろん法的には可能なのだが、特に保守的な地域では身内やコミュニティにそれを認めさせるのは困難だ。それでも男女の仲なので駆け落ちしたり、入籍を強行する例はたまにある。だが周囲からの制裁も、ときに非常に激しいものとなり、極端な場合には殺人にまで至ることもある。
最近はハリヤーナー州で、同じゴートラに属するマノージという青年と恋人のバブリーが周囲の反対を押し切って結婚した結果、ふたりはバブリーの実の兄やおじを含む身内の男たちに殺害された。国の司法とは違う次元のローカルな裁きや掟が、コミュニティの自治の役割を持つカープ・パンチャーヤト(地域から選挙で選ばれた代表が仕切る村落パンチャーヤトとは異なる)を通じて深く関わった。
犯人たちは死刑を含む極めて重い判決を受けたものの、あくまでも控訴して徹底して闘う構えを崩さずにおり、当のカープ・パンチャーヤトも国の介入に対して強く反発しているなど、こうしたいわゆる名誉殺人が発生する土壌には非常に根深いものがある。
Death Sentence in Honour Killing Case: A Milestone (Pragoti)
だがこうした負の部分はあるにせよ、様々なジャーティが存在すること自体、それぞれのコミュニティが独自の文化なり伝統なりを維持していることの証でもあり、他の国々にはないインドならではの多元的で豊かな文明を体現しているものであるという部分は否定できない。
話は国勢調査に戻る。インドの国勢調査でジャーティに関わる調査も実施されたのは1931年が最後で、2011年にこれが実施されるとすれば、実に80年ぶりということになる。
行政的な視点から言えば、今日もインドの社会においてジャーティの意味するもの、それが果たす役割も大きいことからも、出自をベースにした留保制度が存在することからも、国勢調査で集めるデータの中にそれらもしっかりと加えるべき、ということにはなる。
だが一方、倫理的な問題もさることながら、これを悪用される懸念も大きく、インドの政治のありかたを大きく変える『パンドラの箱』という観測もある。
現在インドに生きる人々の大部分にとって『生まれて初めてジャーティまで対象』となる方向にある国勢調査に対して、これを当然そうあるべきものとして歓迎する向きもあれば、疑念や不信感を抱く人々もあるなど、反応は様々であるのは当然のことでもあるが、非常にデリケートな問題を含むため、取り扱いには細心の注意が必要であるがゆえ、目下喧々諤々の議論となっている。
部外者である外国人としては、どういう結果が出るのか興味深いところであるとともに、そこから導き出されるデータについては、学術的な価値も大きなものとなるであろうことは間違いないだろう。
国勢調査にこうした項目を加えるかどうかという議論は今に始まったことではなく、かなり前からいろいろな意見があった。以下にリンクを示した記事は、雑誌Frontlineのウェブサイトのものだが、今から10年前の2000年9月の記事である。
Caste and the Census (Frontline)
一昔前に書かれたものだが、その内容は今日においてもまったく色褪せていないのは興味深い。
※『彼方のインド 4』は後日掲載します。

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