遠きに想い ポルトガル 3

ポルトガル時代の建物 / photo by Akihiko Ogata

 ラテンアメリカには、地元の個性を保ちながら旧宗主国の欧州文化を色濃く残している地域があるが、ゴアは中南米の国ぐにとは全く事情が異なる。

 中南米の独立のキモは、宗主国から渡ってきた植民者たちが本国の干渉を嫌い、完全な自治を勝ち取ることにあった。移民が多い国(アルゼンチン、チリ等)、土着インディヘナや混血人が多い国(ペルー、ボリヴィア等)もあるが、支配的な地位にあるのはやはりスペイン系民族だ。これらの背景には、彼らの父祖の国からもちこまれた文化の強さがある。
 ポルトガル植民地初期にえた地域「Old
Conquest」はともかく、時代が下ってから獲得した「New
Conquest」ではヒンドゥーから改宗しない者も多かった。土着信仰と混ざり合いながら、カトリックが浸透した中南米インディヘナ社会とは、民族アイデンティティと旧宗主国文化のつながりの深さが違う。

 植民地時代、ゴア政府で働いていた役人たちは、本人が希望さえすればモザンビークなどのポルトガル領や、本国での職を約束されたという。(もちろん、政府職員といっても上から下まで様ざま、どのあたりの層までこの恩恵を受けることができたのかまでは知らない。)
 ゴア返還時、ポルトガル本国から渡ってきた人びとがどのくらい暮らしていたのだろうか。たまたま転勤で短期間滞在することになった者、事業を起こして根を下ろした者、幾世代にもわたって暮らし続けたポルトガル人家族もいたことだろう。ポルトガル化したゴア人エリート層、ゴア化したポルトガル人たち…。いつか機会があれば調べてみたい。


SECRETARIAT BUILDING(元総督公邸) / photo by Akihiko Ogata

 州都パナジは徒歩でも充分見てまわれる大きさの街。急速に変わりつつあるとはいえ、そこはやはり450年におよぶポルトガル植民地を経験した土地。インドの他の地域を旅してゴアにたどりついた人は、いまなお南欧のカラーを発見することだろう。
 マンドヴィ河へと注ぐクリーク沿いのFONTAINHA・SAO
TOME地区はかつてのポルトガル人居住区。立派な造りの邸宅が多く、小さな教会がいくつもある。いまでもゴアに暮らすポルトガル人の子孫はいるのだろうか。おおかた混血が進んで他のインド人と区別がつかないかもしれない。

 日曜日には、繁華街のほとんどの店がシャッターを下ろしている。いかにも「カトリックの街」(人口比からするとヒンドゥー教徒のほうが多いのだが)という印象を受ける。散歩途中でインド・ポルトガル・フレンドシップ・アソシエーションなる団体を見つけた。どんな活動をしているのだろうか?

 現在のゴアは歴史的な繋がりの深いポルトガル以外にも、イギリス、ドイツ、オーストリアといった国ぐにが領事館を置いている。外交上重要であるとは思えないので、単に観光客のトラブル対策なのかもしれないが、こういう街で働く外交官は休日を大いにエンジョイできそうで羨ましい。
 PIAやブリティッシュ・エアウェイズなど航空会社のオフィスも多い。やはりここを訪れる観光客が多いせいだろうか。シーズンにはチャーター便を飛ばしているのかもしれない。

 なにより呑み助には、街中に酒場が多く、しかも安いのがうれしい。フェニーやワインが小さなグラスで一杯4〜7Rs。まるでチャーイを頼むような感覚ではないか。同じ国内にグジャラートのような禁酒州があるというのがまるでウソのようである。
 ちなみに、ゴア伝統の酒「フェニー」はココナツやカシューナッツを原料とする透明な蒸留酒。家庭で造られることも多いが、酒屋でも様ざまなブランドが販売されている。州外へのフェニーの持ちだしはひとり1本ということになっているが、パーミットを取得することによって3本まで持ち出すことができる。
 インドの他地域と違い豚肉の消費が多いのも、ポルトガル食文化の影響を残すゴアらしいところ。ゴア式ソーセージを肴にグラスを傾けているとホンワリ気分がよくなってきた。あれこれ想いをはせるのもいいが、自分の舌で歴史を味わうのもまたいいものだ。

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