サルの天下(2)

シムラーのリッジにある、街のシンボルの教会裏手の道をしばらく登ると、ハヌマーンを祀るジャクー寺がある。登り口のところでは杖を売ったり、レンタルしたりしている店が多く目につく。足腰に問題を抱えた老人向けというわけではなく、サル除けなのだと言われた。よもやそんなものが必要になるとは思わなかったが、子連れなので念のため一本用意して寺へ向かうことにした。これが意外に役に立つ代物であることに気付くまで、そう時間はかからなかった。
三人ほどがなんとか肩を並べて歩くことができる狭い道、複数のサルたちが我が物顔で歩いていたり、真ん中に陣取ってこちらを睥睨していたりする。牙をむき出しにしてこちらを威嚇しようとするものもある。ときに路面をガーン、ガーンと打ち鳴らして散らせてこいつらと距離を保たないと危ない。
寺近くまで来るとそこから先は石段になっている。このあたりのサルたちはなかなか手ごわかった。前から下ってきた四人連れの若いインド人男性たちが、サル軍団の襲撃を受けている場面に遭遇。ズボンのポケットに前足を突っ込まれるなどして皆成す術なしといった具合でパニックに陥っていた。
サル集団が本気になれば、大の男たちが束になっても素手では敵わないようだ。このあたりはすでに寺の敷地内である。ハヌマーンの寺なので仕方ないのだが、僧侶や世話人たちがサルたちにふんだんにエサをやっていることが、悪戯ザルたちを助長しているに違いない。手前の参道のサルたちも大胆不敵だったが、ここのサルたちはあたかも自分たちこそこの地の支配者だと勘違いしているようで、人を恐れる様子がまったくない。


彼らの後からやってきたパンジャービー姿のおばさんたちが『メガネと帽子取っておいたほうがいいよ』と忠告してくれたのでこれに従うことにした。彼女たちが寺を出るとき、メガネを取られた人を見たのだという。この直後、私はこのアドバイスに対して心から感謝することになる。
これらをリュックの奥底にしまいこみ、さらに進んで寺の門をくぐったところで一休み。しばらくすると、少し後を登ってきたインド人中年カップルが追い付いてきた。彼らが門をくぐったところで、奥さんの大きな悲鳴が響き渡る。なんと門の上からサルが降ってきて男性の肩に乗り、一瞬にしてメガネを取り上げてジャンプして逃げてしまったのだ。もちろんサルにとってメガネなど何の役にも立たない。いたずらでこんなことを繰り返しているのだろう。
木の上から人を小馬鹿にした表情で見下ろすこのサルは、男性のメガネを『ヒュッ』と下へ放り出す。アスファルトの上でレンズが粉々に砕け散る。さきほどサルに乗っかられた男性はまだ緊張が解けず、ひきつった表情のままだ。
ジャクー寺
敷地内の池でサルたちが遊んでいる。参拝客が近づくと集団で威嚇してくる。寺の裏手にある展望台からの眺めは期待したほどではなかった。眼前に沢山の巨木がそびえており、景色を遮っているからだ。それ以上に子供と一緒なので何かされたらと気が気ではない。
サル、とりわけアカゲザルくらい知能も高い種類となれば、人間同様に高い社会性を持つ動物である。集団の中に厳とした秩序があり、上に這い上ろうとする野心あふれるものがあれば、現状に甘んじて日々を送るものもあるだろう。いずれにしても序列という枠の中で地位の上下をやたらと気にする動物なのである。人間の社会、とりわけカイシャ社会とよく似ているかもしれない。それだけにひとたびこちらが『格下』と見られてしまうといろんな不都合が生じるのは不思議なことではない。
人々が暮らすエリアとサルが棲息する地域が隣接していたり、重なり合っていたりする場合、より高度な知能を持つ側、つまり私たち人間の節度ある行動と態度が求められることになる。そんなわけでシムラーの街にはサルたちに人間の食べ物を与えないようにとアピールする看板がかしこに見られる。
看板
しかしこれがまた一大観光地であるため一時滞在の旅行客たちはもちろん、多地域からの出稼ぎ等の流動的な人口も多く、地域に根を持たない彼らに理解や協力を求めるのは易しいことではない。これが人とサルの共存をさらに難しくしている部分もあるのではないだろうか。かといって『サルを駆除してしまえ』という方向には進まないところに、インドの懐の深さを感じる・・・といっては言いすぎだろうか。
〈完〉

「サルの天下(2)」への2件のフィードバック

  1. 怖いですね、さる。いっそ駆除しちゃえばいいのに・・・と思いますが。

  2. サルもそうですが、犬嫌いの私は野犬を駆除して欲しいなあと思いますが、なかなかそうもいかないようですね。そういう動きがあったりもするのですが、そういう動きに反対する流れも他方にあります。
    聞くところによると、野犬以外のキツネの間での狂犬病の流行、これを『森林型』というのだそうですが、ドイツ、スイス、フランスなどの国々では、野キツネたちに空中から散布する経口ワクチン(エサの中に生ワクチンが入っている)でかなり効果を上げているのだそうです。
    犬にしてもサルにしても、万一の場合は咬傷以外におっかない病気に感染する可能性があるので、ちょっと何か考えたほうがいいんじゃないかと思います。

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