『中国の餃子』で、ふとインドを想う

中国で製造された餃子の薬物混入事件が日本のメディアで盛んに騒がれている。JTの子会社が輸入した冷凍餃子を食べた3家族の合計10人が中毒症状を訴え、このうち3人が一時重体になっていたというのが事の発端であるのはご存知のとおり。
この餃子の製造元である中国河北省にある天洋食品厂から様々な冷凍食品を輸入していた日本企業各社が、一斉に該当製品の自主回収に乗り出した。厚生労働省も天洋食品厂から食品類を輸入していた19社に対し、餃子以外の製品についても検査するようにと指示するなど、本格的に調査に乗り出している。中国の同企業から仕入れている食品産業各社、ファミリーレストランなどの外食産業、学校給食なども中国産品の取り扱いを自粛したりするなど、この『毒物騒ぎ』がさらに大きな波紋を呼ぶことになりそうだ。
ご存知のとおり、今回の毒物成分はメタミドホスという有機リン系の農薬で、日本では使用が許可されていないものだという。これがどうして食品に混入してしまったのか?今後の原因究明が待たれるところだ。また被害に遭われた方々の早期の回復を願うとともに、今後同様の事件が続くことのないようにしっかりとした防止策を取って欲しい。まさに命にかかわる問題である。
しかし、である。ジェイティフーズ、加ト吉、味の素冷凍食品、マルハ、日本ハムなどといった日本を代表する食品産業を相手に卸していた中国企業ともなれば、相当な事業規模を持つとともに品質管理も厳重で社会的な信用も高かったはず。それなのにどうしてこんなことが起きたのだろう。
もちろん工場側が意図的に薬物を仕込むなどということはありえないはず。また偶発的な事故という線もどうなのだろうか?もしかすると、勤務先の工場に恨みを持つ一個人による故意の仕業だろうか?あるいは地元の対立する企業、ひょっとすると中国国外のアンチ中国勢力かなにかが、同食品厂のラインで働く従業員を買収して刺客に仕立てたのか?などといろいろ想像してしまう。今後の成り行きに注目したい。


メディアがずいぶん先走りすぎているような気がするが、 現時点では問題の商品に毒が仕込まれたのが日本国内に入ってからであった、小売店頭に並んでから何者かが行なった・・・という可能性だって否定できないだろう。もし中国の製造企業や日本に届くまでの流通経路にも問題がなかった場合、相手側に多大な迷惑と被害を与えることにもなる。万が一そうなった場合、誰がどう責任を取るというのだろう。
市井の刑事事件で、しばしばメディアに『たぶんこの人が?』と目された人物が、たとえ本当は無実ではあっても犯人扱いされてしまい、事実上の社会的制裁を受けて苦しむ例は後を絶たない。数か月前にもそんな事例が関西で起きたことを記憶している人は多いだろう。そんなことが起きても、さんざん騒ぎ立てた張本人たちが後で面倒を見てくれるわけではないのだ。
今回の事件以外にも、近ごろ何かと中国製の食品等の『品質』についての疑問が提示されることが多くなっている。とかく生鮮食品、加工品から保存食まで、和食であれ洋食であれ、素材の相当部分を中国からの輸入に頼っている。日本で暮らす以上、中国産品なしに『食べていく』ことはまずできないのが現状だ。衣食住のうち『食』だけではなく、ちょっと身の回りを見渡してみるだけで、暮らしの中のあらゆる部分において、中国製品なしには成り立たなくなっていることに改めて感じ入った人も多いのではないだろうか。経済的には、すでに日本と中国は一体化しているといってもいいくらいだ。
一体化といっても、それは支配と従属の関係を示すものではなく、共に利益を分け合う互恵の関係だ。ひとことでいえば、リーズナブルな価格の物品等が日本の需要を満たし、その需要は中国において雇用と収益を生み出すということだ。普段手にする日用品、耐久消費財などの大半が国産であったころ、モノの値段はずいぶん高かった。衣類にしても、電化製品にしても、当時の収入の水準に比して今ほど安くはなかった。
もちろん時代が下り、日本が経済大国化するにつれて、人々の年収の水準も上がってきたとはいえ、やはり製造業が国外に移転していったり、中国が世界の工場として台頭していったりという中において、『価格』そのものが低廉化していったことも大きい。収入の向上と価格の低下というふたつの作用があいまって、私たちの現在の豊かな生活と購買力があるのだ。
中国製品の『品質』問題について、今回の食品の問題その他、たとえばアメリカでの有害なペットフードが見つかったこと、子供に与える玩具に危険な物質が含まれていたことなど、こと安全性に関して、様々な問題が提起されていることは事実だ。そうした幾多の事案について、『安全管理に問題がある』『安さばかり求めるからだ』といった批判が出るのはもっともなことだ。しかし一部メディアなどから中国製品そのものを『買うな、危険だ!』と頭から否定したり、中国のシステムそのものを悪意的に描写するなど、理性的でない論調も出ていたりしているのは悲しいことだ。
こうしたトラブルが発生している反面、大部分の中国製品について私たちは満足して日々利用しており、生産現場の大半の人々も良心をもって日々製品を造り出していることだろう。価格面でも豊富な供給力に関しても、私たちが中国の工業力から受けている恩恵の大きさは計り知れない。ゆえにこうした個々の事案に過剰反応して、アンチ中国、中国製品排除を叫んだり、中国という大きな隣国に対する感情さえもが好ましくないものとなったりはしないだろうかと懸念している。
国情や体制も違い、考え方やモノサシもそれぞれ違う中で、ひとつの経済圏としてやっていくには、複眼的な視野と理性的な対応が求められることと思う。やみくもに感情に訴えること、事実関係の検証も不充分なままに、あたかも犯人を確定したかのような先走った報道は、誤解や対立を深めこそしても、良い将来へとつながるものではないだろう。
同様のことが今後インドについてもいえる。今のところ関係がまだまだ浅いこともあり、二国間に取り立てて問題は生じていない。しかしこれから日本におけるインドという国やインドの人々のプレゼンスが大きなものとなってくれば、何かしらの摩擦は生じてくる。相互のつながりが深まっていけば、今はちょっと思いつかないようなトラブルが出てくる日もくるだろう。
インド人の英語力を活用した英語圏向けのコールセンター業務が隆盛して久しいが、その中で顧客のセキュリティにかかわるトラブルが散発していることは、しばしば報道で目にするところだ。これもまたひとつの『品質』にかかわる問題である。もちろん、それとは逆にインドにおける日本あるいは日本人のプレゼンスが高まってくると、これまた何か起こることがないとは断言できないだろう。
日本において、とかく経済成長やIT等々でもてはやされるようになっているインドだが、いつかブームが一服して、インド発のサービスや物品がすっかり『私たちの日常』に定着するときがくるのだろう。そのときにインドがらみで何かしらの危険を伴うトラブルが複数発生した場合、一部の無責任なメディアが騒ぎ立て、これが発端となりあたかもインドそのものを災厄でもあるかのようにののしる『インド・バッシング』が起きなければいいのだが、と今から少々気になっている。もちろんこれが杞憂であってくれるとうれしい。

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