吉祥寺の井の頭公園でダヂャン

ダヂャン会場の方向を示す貼紙
4月12日(日)に、東京の吉祥寺にある井の頭公園にて、在日ビルマ人たちの『お正月イベント』であるダヂャンが開催された。
国名をビルマと呼ぶか、ミャンマーとするかについては、ちょっと迷うところではある。1988年8月8日から始まった大規模な民衆蜂起で、それまでビルマを支配していた社会主義計画党による政権の瓦解を受けて、当時国軍参謀総長の地位にあったソウ・マウン率いるクーデターにより軍事政権が発足。
1989年6月に、軍事政権が英語による国名をそれまでのBurmaからMyanmarに変更。これをうけて、日本政府も『ビルマ』改め『ミャンマー』と表記するようになり、大多数のマスコミもこれに従った。だが『妥当性のない政権』による国名変更は認められないと、各国の人権団体や一部メディア等においては、今でも英語で『Burma』あるいは日本語では『ビルマ』と表記しているところが少なくない。
しかしながら、もともとミャンマー語において自国を『Myanmar』と称していたため、英語による名称もそちらに合わせることになったからといって、何か理不尽な名前を押し付けられたということにはならない。国名以外にも地名がラングーンからヤンゴン、パガンからバガン、ペグーからバゴーに改称されるなど、1,000前後の地名変更があった。多くはやはり植民地時代に付けられた英語式のものからビルマ語式のものへの統一であったようだ。
話は英語による国名の変更に戻る。民主化運動への関わりのため、自国を出て日本やその他の国で長期に渡り生活している人々にとって、軍事政権によるこの決定は受け入れがたいことから日本語で自国を旧来の『ビルマ』としており、このイベントにおいて『ビルマ』という文字はステージや各テントその他に見られても、『ミャンマー』という国名はどこにも見当たらない。
イベントを運営する、あるいはここに参加していた人々の意思を尊重し、今日の記事中において『ビルマ』という名称を用いることとする。
ステージにはアウンサンスーチーさんの大きな肖像が
前置きが長くなったが、本日の会場は公園内のテニスコート脇にある緑地である。陸上競技場としても利用できるようになっている場所だ。週末ともなると大勢の人々で賑わう井の頭池や井の頭自然文化園のあるエリアと違い、スポーツを行なう目的で来る、あるいは近所の人がジョギングや犬の散歩のために訪れるといったケースがほとんどのようだ。吉祥寺通りからかなり奥に入ったところでもあり、「たまたま通りかかったら、ちょうど何かやっていたから覗いてみた」という具合に偶然このイベントに参加したという人はほとんどなかったようだ。
そんなわけで、会場にいた人々の大多数がビルマ人、それに加えて彼らの友人あるいは他前もってこの催しのことを耳にしてやってきた日本人がチョボチョボ・・・といった様子。それでも人出は相当なもので、いろんな食べ物や飲み物を出す露店では、料理のプロらしき人も、まったく素人らしき手伝いの人も、みんな賑やかに働いていた。
大勢の人々が集まっているといっても、在日ビルマ人の社会はけっして広いものではないようで、会場で多くの友人・知人と出会い、大いに盛り上がっている姿を目にした。
在日ビルマ人の知り合いはほとんどいない私でさえも、数少ない知人のうちの一人にバッタリ出くわし、『ああ、やっぱり』と思った。
この集まりで特徴的なのは、反体制側にある人々が開催するものであるがゆえに、こういう類のイベントでよくある在日大使館による後援ないしは協賛といったものはあり得ないこと。また在日ビルマ人たちの自治組織が多く参加していることだろうか。
主催がビルマ民主化同盟であり、屋台などを出している参加団体については、日本語あるいは英語による表記があって私が確認できただけでも、在日ビルマ難民たすけあいの会、在日ビルマ人ホテル・レストラン労働組合、ビルマ女性連合、在日ビルマ連邦少数民族協議会、Punnyakari Mon National Society等があった。
日本での在留に関する相互扶助、労働問題への対応といった日本での生活にかかわるものの他に、多民族国家ビルマらしいのは、様々な民族団体が多数存在することだろう。今回もモン族その他の民族団体が来ていたが、昨年以前に飛鳥山公園で開催されていたときには参加団体はもっと多く、在日のシャン族その他各民族組織による出店がいくつもあったことを記憶している。
会場には、数は決して多くはないものの、インド系ビルマ人たちの姿もあった。東京都内で営むハラール食材屋の中には、ビルマ人ムスリムないしはインド系ビルマ人ムスリムが切り盛りする店がいくつかあるが、そうした店舗ではハラール食材ないしは南アジア食材を買い求めるインド系ビルマ人の姿を目にすることがある。
姿カタチはインドと同様でも、味付けがいかにもビルマ風に深いコクのあるサーモーサーをパクつきながら、ビルマが一時は英領インドの一部であったこともあること、主に都市部におけるインド系住民の多さなどを差し引いても、文化習俗など東南アジアの中でも地理的に最もインドに近いところに位置していることからくるインパクトの大きさなどをあれこれ思い浮かべたりしてみる。
カチン州、サガイン管区、チン州、ヤカイン州などといったインドやバーングラーデーシュと境を接する地域は、まさに東南アジアと南アジアというふたつの大きな世界の境目にあるわけでもあり、このエリアを縦断するアラカン山脈など、大きな史跡などは存在しないとはいえ、このあたりの生活文化は実に興味深いものなのではないかと思う。
ただし、この地域は往々にして外国人の訪問に制限があり、飛行機で特定の街にピンポイントで訪れることしかできなかったり、通れるルートがごく限られていたり、あるいは訪れる許可さえも取れなかったりする。
国境の反対のインド側の地域と合わせて、自由に往来して訪れることができる日が将来やってくることがあれば、これまであまりよく知らなかった新たな世界が私たちの目の前に姿を現すことになるのではないか、とさえ思うのである。
・・・と、他愛もないことを考えつつ、初夏を思わせる陽射しと爽やかな風を肌に感じつつ、ビールをごくりと飲み干す。屋外でこうしてノンビリ過ごすのが心地良い。今年もまた楽しい季節が巡ってきた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください