Tibetan National Sports Association (TNSA)に、チベット代表チームについて問い合わせをしてみたところ、丁寧な返事とTNSAならびにサッカー代表チームにかかわる簡単な資料をいただいた。
その中からチベットのサッカーならびに代表チームに関わる部分の要略を柱に、その他必要と思われる情報等を私なりに付け加えてお伝えしたい。
チベット人たちの間でのサッカーの歴史はなかなか古く、20世紀初頭にチベットのギャンツェにイギリスの貿易代表所が置かれていたときに、ここに駐在する彼らがチベット人たちの間に広めたのが始まりである。
続いて1913年にラサに駐屯した英軍、そしてチベットに初めて近代的な軍隊と警察組織が導入されたことも、さらにサッカーというスポーツを広めるきっかけになった。
ある程度定着を見せたサッカーは、チベットに1950年の中国の武力侵攻以降も、50年代にはポタラ、ドラプチ、治安部隊といったポピュラーなチームが出現し、人気を得ていたということだ。
1963年以降、チベットから外地への大規模な人口流出が始まってから、それまでラサで活躍していたプレーヤーたちが、インドのダラムサラで新たなクラブを結成したものの、在印チベット人コミュニティでのサッカー熱が高まったのは、60年代に彼らの手でチベット人学校が各地に建設されてからのことだ。それ以降、世代を問わずサッカーの人気が彼らの間で定着することとなった。
1981年、現在のダライラマの母親の名前を冠した最初のクラブレベルでのトーナメント、Gyalyum Chemo Memorial Gold Cup (GCMGC)が開催され、この大会の運営に関わる評議会が結成され、その後GCMGC 大会は、在印チベット人サッカープレーヤーたちの間で最もプレステージの高いサッカー大会となっている。 ちなみに今年は5月31日開幕予定で、会場はTCVスクール・グラウンドとのことである。
ちょうどこの時期にダラムサラに居合わせることになる方は、そこで行なわれているものが単なる草サッカー大会に見えたとしても、日本で言えば天皇杯に当たり、チベット人サッカー界にとって、チベット亡命社会のサッカー界における最も重要なトーナメントであることを記憶していただければ幸いである。
冒頭で触れたTibetan National Sports Association (TNSA)が2002年に結成され、翌2003年からはこのTNSAがGCMGC大会の運営組織となり、これを毎年開催している。TNSAはチベット代表チームを選出しているが、同時にクラブレベルおよび学校に所属するチームの強化のための指導も行っている。
チベット代表チームが始めて海外遠征を行ったのは1999年。イタリアのロックグループ、Dinamorockの招きにより、同国のボローニャで試合を行うことになった。これがきっかけとなり、亡命チベット人の才能ある選手たちの間で『国を代表してピッチに立つ』ことに対する情熱が広まることとなった。
続いて2001年、在デンマークのチベット文化活動をしている団体の招聘により、チベット代表チームが、初めて海外の代表チームとの試合を行なうこととなった。このとき対戦したのはグリーンランドの代表チームである。
その後、TNSAはパリに本部を置くNew Federation Board (N.F. Board)に加盟。これはFIFAとは無関係の、主権国家とみなされていない『国』のサッカー協会からなる連盟組織だ。
2006年5月にチベット代表は、ドイツのハンブルグで開催されたFIFAに加盟していない6つの『国』が参加(北キプロス、グリーンランド、チベット、ジブラルタル、ザンジバル、セント・パウリ共和国)するFIFI Wild Cupに出場。その戦績はこちらを参照願いたい。
同年11月には、北キプロス主催のELF CUPにも出場し、フェアプレー賞を受けている。 また2008年にも欧州遠征を実施し、オランダ、イタリア、スイス等で試合を行なっている。
さて、地元インドでの活動はどうかといえば、スィッキム州都ガントクで開催される、インドおよびネパール、ブータン、バーングラーデーシュといった周辺国のクラブチームが参加するAll India Sikkim Governor’s Cupに出場している。『チベット代表』ではあるが、クラブチームとしてエントリーしているようだ。2007年にはIWDFA Manipurというチーム相手に1-0で勝利。
続くBhutan XIとのゲームに引き分け、その後再戦することになったIWDFA Manipurとの試合に惜敗・・・というのが、現在までのチベット代表のインド国内での試合における金字塔となっている。また同国内におけるクラブチームレベルの大会としては、Sikkim Chief Minister Cupにも出場している。
またユースやジュニアレベルについても、ヒマーチャル・プラデーシュのカングラー地区、マンディー地区で大会を開催するとともに、各地のチベット人学校でサッカークラブを創設するように働きかけており、現在活躍するプレーヤーたちの後に続く子供たちの養成に努めているとのことだ。
在印亡命チベットサッカー界が、90年代後半からいきなり盛り上がりを見せていることには、少々考察が必要かもしれない。彼らの居住国であるインドが大幅な経済成長で内外から注目されるようになり、在印チベットコミュニティも経済的に余裕が出てきたということもあるのかもしれないが、背景にはおそらく政治的なものが多分にあるはずだ。
インドに亡命チベット人コミュニティが形成されて半世紀ほど経ち、世代交代が進みチベット本国での生活体験がない人たちがマジョリティとなっていること、特に若い世代の人々の間で様々な政治スタンスが生じ、また近年は印中関係の良好な状態が続く中、亡命チベット人社会はダライラマを中心とした一枚岩的な結束を持つとは言えなくなってきていることから、コミュニティ内で共有するアイデンティティを象徴するもの、在印同胞間の結束を高めるための手段が必要だったのではないだろうか。
もちろん世界有数のクリケット強豪国、サッカーでいえばさしずめアルゼンチンかスペインあたりに相当するインドで育てば、自然とクリケット好きになる割合がとても高いように思われるが、在印チベット人のスポーツ推進組織TNSAが最も力を入れているのがサッカーであることにもいくつかの理由が考えられるだろう。
インド政府の好意により定住することになった、いわば客人としての微妙な立場であるがゆえに、地元社会との摩擦は極力避けたい。またコミュニティの総人口という分母が小さいがゆえに競技人口の強化にも限界がある。いやしくも『チベットという国』を代表しての対外試合が恥辱の歴史・・・というのも具合が悪いだろう。
そこにくると、敢えて失礼を承知で言えば、現在までのところ一部の地域を除き、サッカー不毛の地であるインドならば、とりわけTNSA本部があるヒマーチャル・プラデーシュで、この競技をめぐり、地元社会とトラブルが起きることはないだろう。またこの国のサッカーのレベルと層の薄さを考えれば、YouTubeで得られる映像を見た限りでは、『代表』とはいえお世辞にも高いとはいえないチベットチームのパフォーマンスだが、今後の努力と運次第ではそれなりの成績を挙げる可能性が皆無とはいえない。
加えてクリケットが主に旧英領で親しまれているスポーツであるのに比べて、同じイギリス発祥の競技とはいえ、サッカーはユニバーサルな広がりを持ち、ワールドカップがオリンピックをしのぐ世界最大のスポーツの祭典(予選を含めた観客動員数、テレビによる視聴者数)であることも好都合だ。たとえ戦績が振るわなかったとしても、海外同胞から得られる共感は大きいだろうし、世界各国に『自主チベット』の存在をアピールするための効果的な手段になりえるだろう。
・・・とはいえ、ピッチでプレーする選手たちの思いは、サッカーという競技に対する愛着と情熱、代表選手たちの活躍に未来の自分の姿を重ね合わせる子供たちの夢は無垢なものである。彼らが好きな競技を通じて自己表現できる場、グラウンド内外にいるみんなが心ひとつにして熱中できるものとしてのサッカー振興は素晴らしい。一人のサッカーファンとして、チベット代表とそれを頂点に広がるチベットサッカー人口の裾野の人たちに対して声を大にして応援したい。