アラビアでは猫を愛好する人たちが多いため、こんな具合に店のカウンターに猫が上がり込んで我が物顔で振る舞っていたり、そういう猫相手に、いかつい顔をしたおっさんがとびっきりの笑顔で抱っこしたり撫でたりしているのは日常風景だ。
しかし一般的にインドでそういうのはまず見かけないのは、猫という動物の位置づけが異なるためもあるのだろう。
それなのに、なぜかムンバイ、すくなくとも南ムンバイでは、このような光景はごく普通に見られるのが不思議だ。ぜひとも岩合光昭さんに訪問してもらいたい。


アラビアでは猫を愛好する人たちが多いため、こんな具合に店のカウンターに猫が上がり込んで我が物顔で振る舞っていたり、そういう猫相手に、いかつい顔をしたおっさんがとびっきりの笑顔で抱っこしたり撫でたりしているのは日常風景だ。
しかし一般的にインドでそういうのはまず見かけないのは、猫という動物の位置づけが異なるためもあるのだろう。
それなのに、なぜかムンバイ、すくなくとも南ムンバイでは、このような光景はごく普通に見られるのが不思議だ。ぜひとも岩合光昭さんに訪問してもらいたい。


ハリヤーナー州のレーワーリーには、インド国鉄好きにはたまらない蒸気機関車整備場がある。ここにはたくさんのSLが集結しているが、博物館のように展示されているわけではなく、すべてが現役の蒸気機関車。それらの車両の整備場なのだ。もちろん入場料を払って見学することができるのだが、場内では整備士さんたちが忙しく働いている。

「忙しく」とは言っても、傍目にはのんびりしているように見えるのだが、インドにおけるSL修理のための「最終兵器」みたいな整備場で、貴重な蒸気機関車を日々整備するとともに、他の整備場ではどうにもならないポンコツをも受け入れて、手間暇かけてレストアしていく、そんな凄腕の整備士さんたちが揃っているそうだ。
入場すると、出勤してきたばかりの蒸気機関車の運転士さんが構内を案内してくれた。現在この人は蒸気機関車専門の運転士とのことで、冬季にデリー・アルワル間で運行される小ぶりで緑色のメーターゲージ機関車、フェアリー・クイーン号の走行も担当しているとのことで、他にも何かのイベント等での運行があれば、呼ばれて行くそうだ。実際に走行する際には4時間ほど前から機関車のウォーミングアップが必要とのこと。

フェアリー・クイーン号は、優美な外見とは裏腹に、気難しくて扱いにくい機関車であるとのこと。容易にオーバーヒートするし、気を抜くと瞬時に蒸気圧が下がってエンコするなどとても厄介であるとのこと。大昔の機関車なので動かすだけでもちょっとやそっとではいかない相手のようだ。


普段はあまりそういうのがないので暇かと言えばそうでもないようで、機関車の入れ替え作業はもちろんのこと、整備の途中で蒸気機関を回しての動作確認作業などもあるそうだ。
大きなブロードゲージの貨物用機関車の顔が外れた間抜けな姿を見るのは初めてだったけど、蒸気機関の構造について運転士さんから説明を聞くことができて良かった。すこぶる燃料効率の悪い、そして水も大量消費する機関車だったこともよくわかった。







どの機関車もバリバリの現役であるため、駅前などに展示されている機関車と異なり、生気に満ちている。また蒸気機関による機関車以外の車両の整備も実施されており、蒸気機関によるロードローラーというのは初めて目にした。


整備場構内では植民地時代の貴賓用客車の展示もあった。こちらは1921年の車両でこの年に訪印したプリンス・オブ・ウェールズのインド滞在のために造られたた特別車両。後に英国国王(=インド皇帝)エドワード8世となる彼の皇太子時代だが、インドに4ヶ月滞在している。要人の長期滞在には批判も多かったようだ。
The Prince of Wales’ 1921 Trip to India Was a Royal Disaster (JSTOR DAILY)





2000年以降にここで撮影された映画のリスト。最近はアクシャイ・クマールの主演映画の撮影があったとのこと。10月公開予定とか。ロコ・シェッドの壁にあったリストはこちら。

入場料はわずか10Rs。嬉しいことに外国人料金の設定はない。イン鉄ファンの方にはとてもオススメ。
レーワーリー駅の周囲にも興味深いものがある。インドに限らず日本その他でも鉄道駅のこちらと向こうで雰囲気がずいぶん異なることはあるが、レーワーリーほどの極端な例はそう多くないと思う。
鉄道駅の東側は駅前スペースはほとんど無く、いきなり密度の高い商業地になっており、主要駅のひとつであるこの駅を乗り降りする人たちは24時間絶えないため、駅前ではデリーやカーンプルなどと同様に終夜営業をしている店は少なくないようだ。オートはリザーブと乗り合いベースでいつも客の取り合いだ。とにかく賑わっている。

一方で西口に出ると、商店は一軒もないし、客待ちのオートもゼロ。とても静かなのだ。これには驚いた。よく見るまでもなく、建物は古ぼけているものの、鉄道病院があったり、鉄道関係者の住宅が立ち並んでいたり、立派ではない簡素な教会があったりする。ここはいわゆる「レイルウェイ・コロニー」なのであった。

つまり鉄道関係用地という、きちんと管理された政府所有地が西口側に広がっているため、民間企業等が開発したり、一般の商店や住宅が建てられることもなければ、スクウォッターたちが勝手に住み着くことも出来ないわけである。
本日はずいぶん早くに整備場のゲートに到着して9時の開場を待っていたのだが、出勤してくる人たちはみんな同じ方向から歩いて来ていたので、おそらく整備士という業種で同一の宿舎に住んでいるのではないかと推測できる。
英領時代、整備場が造られた頃は当時のハイテクの粋を集めた先進的な機関。英国人のメカニックがネイティブ(当時はそう呼んでいた)に技を伝えるべく頑張っていた場所だ。
在インドの英国人にも当然、階級というものはあり、鉄道、自動車、電信電話その他のいわゆる現業部門の英国人たちは、社会の指導的立場にはなく、彼らがフィールドとする仕事場における「親方」に過ぎなかった。
そんなわけで、現在のレーワーリーのレイルウェイ・コロニーの古ぼけた庭付き戸建ての官舎には、比較的よさげな給与待遇に惹かれて渡印したものの、配属先で大きなタスクを負わされつつも、ホワイトカラーの同国の上役からはやいやいのと言われつつ、部下のインド人たちへのリーダーシップがうまく取れなかったりと、かなり追込まれて気の毒千万な英国人も多かったはずだ。
植民地時代の研究や考察などで、そうした現業部門に従事した英国人の日常生活に関するものは例外的と思われるが、何かうまくまとめられたものがあれば、是非読んでみたいと思う。

踏切や鉄道駅などで通過する貨物列車があると、何となくその車両数を数える人は少なくないだろう。私もそうである。
「機関車6両、貨物車両295両」というのは見たことがない。通常は機関車1両で30〜50両程度の貨物車両を牽引。(運搬する物資にもよるかと思う)
中途に連結してある機関車は加速、減速、制動など、先頭車両での操作にシンクロするような機構があるのだろうか?


今どきのマハーラーシュトラのバスチケット。車内で車掌が集金に来るが発券日時、乗車地と目的地、料金、車掌氏名などが記載されている。本日の車掌はシンデーさんと言うらしい。マラーティーのクシャトリヤによくある苗字。
これが北だとスィンディヤーになる。グワリヤル旧藩王国のスィンディヤー姓も観念上はシンデーに繋がる。名は体をあらわすで、インドの苗字はある意味あからさま。カーストや出自がそのまま苗字となることが多いからだ。
その反面、時代が下ってからの傾向として、石工などの職能集団が一族で苗字を変えてタークル風の姓にしたり、現在の職業を苗字にしたりということもある。「コントラクター」「パイロット」など。ダリットなどが一族でクリスチャンに改宗する際などにも、元の西部を捨ててクリスチャン風の苗字に改めることも多い。
そうかと思えば、原則的には姓のないムスリムの間で、これとは逆に先祖がヒンドゥー時代の苗字「チョードリー」「セート」といった苗字を引き続き使っている場合もある。
たかが名前、されど名前、である。

朝6時40分。この時間帯のバスを捕まえようと思ったが、インド西部のこの地域ではまだ日の出前。外では野犬集団が元気に駆け回ったり喧嘩したりしている。
その対策として、もうひと寝入りすることにした。
周到な野犬対策(もうひと寝入りするだけ)が功を奏して、外はすっかり明るく安全になった午前7時半過ぎ。そろそろ荷物を背負って出ることにする。
予定よりも少し遅くなったが、宿を後にしようとしたら宿の人に「お代は要らないから何か食べていけば?」と勧められた。別料金を払った人向けの簡単な朝食ビュッフェがあるのだが、それをタダで提供してくれるとのこと。時間がないため丁重にお断りすると、「それではチャーエくらいは」と淹れてくれた。これはどうもありがとうございます。

ムルッドの路上でバス待ちをしていたとき、通りかかるクルマやバイクに唸り声とともに襲いかかろうとする猛犬だか盲犬だか狂犬だかわからない犬がいた。よくもまあ、走行中のクルマやバイクに並走して、噛み付く仕草したりとかできるものだ。ちょっと頭がおかしい犬のようだが。界隈の人たちは狂犬病を発症しているらしき犬がいることに気が付いていても、処分しようとしない。インドのこういうところは困る。
こんな犬が見えるところにいるのに、1人でバス待ちするのであればとても怖いが、店の軒先で他の人たちとバスを待っているというシチュエーションは幸い。やはりさきほど野犬対策を実施(まだ暗かったので二度寝したこと)しておいてよかった。インドの治安で懸念されるのは、まずは野犬、そして野犬、そしてまた野犬だ。

ヒンディー語のわかる者としては、マラーティー語圏にあっても、看板を見て何の店だかわかったり、書かれている内容が把握できるのは助かる。南インドだと3倍の大きさの字で書いてあってもわからない。
同様にメニューなどを見て現地での呼び方などもわかる。またマラーティー語新聞を手にしてみて、何が書かれているのかある程度想像がつくのもありがたい。背景にある語彙に共通性が高いため、文字が共通するだけで非常に便利な部分が多い。これはネパールを訪れても同様だ。




夕飯で入ったレストラン。ボロいし裏手にある小さな食堂に見えるのだが、広い裏庭があり、そこにはたくさんの席がある。


店先の席にはジャンジーラー島で見かけたようなスクールトリップの男の子たちがいて、ただでさえ騒々しいのに、次から次へとやってきては同じような質問を繰り返したり、一緒に写真撮ってとくるのが面倒くさい。「ああ、もう嫌だ」と裏庭の席に行くと、そこは女子席になっていてずいぶん静かだった。

とても美味なフィッシュターリー
あぁ良かったと食事を注文して待っていると、男の子たちに較べると遠慮があるぶん可愛げがあるのだが、やはり入れ代わり立ち代わりやってきては「どこから来ましたか?」「インドは好きですか?」などとお決まりの質問を繰り返したり、一緒にセルフィー撮ってくれというのは変わらない。
それでも男の子たちとは頻度がまったく違う。それにしばらくこちらの様子を窺いながら、思い立ったようにしてやってくるのが女の子たちだ。男の子たちは、こちらに気がついた瞬間にスマホを手にして「セルフィー取らせてや!」とずんずん飛び込んでくるのだ。
いずれにしても、このあたりの「どんどん前に出てくる」感じは日本の子供たちには見習って欲しい。インドの子供たちは、「どこから来ましたか」「インド好きですか?」「インドのどこがいいですか?」「僕らは✕✕から来ました。✕✕を知ってますか?」「インドの食べ物は好きですか?」「スズキ、トヨタ、ソニー!」「カラテ、ジャッキーチェン!」などと質問や質問にもならないようなことをブチまけながら、僕も私も、あいつもこいつもと、次々にセルフィーを取りに来て、あまりに過ぎると引率の先生が「コラぁ〜!」と遮りに来るほどなのだが。
日本に来た外国人旅行者が日本の修学旅行の学生・生徒たちに囲まれて閉口したなんて話は聞いたこともないし、たぶんそんなことも起きないだろう。
それはそうと、日本でもセレブであったら常日頃からどこに行ってもこんな状態なのだろう。こんなのはとても面倒くさいため、やはり私はセレブにならなくて実に良かったと思う。





ある意味、インド随一の名城、亜大陸最強の城塞、ジャンジーラー島。ここ十数年ほど「ムンバイに行ったらついでに訪問」と思いつつも、伸び伸びになっていたのだが、ついに訪問できた昨日以来興奮が収まらない。
何がインド有数の名城であるかといえば、その難攻不落ぶりである。1100年の築城以来、インド独立に至るまで 847年間もただの一度も陥落することなく幾多の攻撃を跳ね返してきた「必勝不敗の城」なのだ。たぶんこういう例は世界的にも稀だろう。
攻略してきた相手も在地勢力の豪族に毛の生えたようなのばかりではなく、強大なマラーター王国、この地域で力を伸ばして現在のゴア、ボンベイ周辺(カタリナ王女の英国王室輿入れ時に英国に譲渡)、ダマン&ディーウを領有したポルトガル、史上初めてインドを統一した英国をもってしてもジャンジーラーだけは落とせなかったのだ。
スィッディーの王国の領土が大きく簒奪されて対岸にも外敵の力が及ぶようになっても、このフル武装した島は屈することはなかった。
おそらくカギは包囲網をかいくぐって、他勢力との外交関係で武器弾薬類の補給を得たりする外交力もあったはずだが、決して大きくない島にふたつの大きな淡水池があったこともあるのだろう。まさにこれぞジャンジーラーの名前の由来、ジャル・ジャズィーラー(水の島)たるゆえんだ。



飲水はいうまでもなく、野菜や家禽類などの食肉も自給できていたはず。
こういう「必勝不敗伝説」の島は、日本だったら神社が出来て、受験生用たちが大挙してお参りに来ることになりそうだ。




デーヴァナーガリー文字圏(ヒンディーベルトに加えて、マハーラーシュトラ、ネパール)で興味深いと思うのは、サンスクリット語等古語からの借用語については古語の綴りをきっちり踏襲するのに、外国語からの借用語については大きな揺れがあることだ。
ヒンディーでटिकट (ティカット)がマラーティーではतिकीट(ティキート)となり、最初のTは反転音ですらない。
おそらくグジャラーティーやベンガーリーでも同様に「古語はきっちり正確、外来語はバラてんでバラバラ」という具合ではなかろうかという推測もできる。


ムルッドへは、ジャンジーラー島を見学するために来たのだが、多数のスクールトリップのグループが入れ代わり立ち代わり到着していて、てんやわんやの状態。チケットも長い行列で、買ってからも乗船のため再度長い長い行列。ハイシーズンにここを訪れると丸1日仕事になりそう。

鄙びた遺跡をのんびり訪れることを想像していたのだが、全く違う展開に驚いていた。予想を大きく裏切ることがしばしば起きるのはインドらしい。

スクールトリップの時期でなければ、つまり学期中にはガラガラらしい。




そんなわけで、いつ将棋倒しが起きてもおかしくないジャンジーラー島入口。ものすごい混雑だ。

「まだしばらく上陸まで時間がありますのでお耳を拝借します・・・」から始まり、以下のような案内が始まった。
「コロナ以前はガイドが常駐しておりましたが、コロナで閉鎖していた時期もあり現在はガイドはおりません。そこで私が皆様のために事前にご説明して差し上げます。」
とのこと。
「高いお代はいただきません。おふたり、3人連れの方は100ルピー、5、6人様の場合は200ルピーを目安にいただけると幸いです。」とかなんとかで、船上の講釈が始まった。
州外の観光客が多いため、ヒンディーでやってくれている。
なかなか弁の立つ男で、大きな貯水池を備えていることから「ジャル(インドの言葉で「水」)・ジャズィーラー(アラビア語で「島」」)と呼ばれ、これが転化してジャンジーラーになったという島名の由来は初耳だった。てっきりジャンジール(鎖)の島という意味かと思っていたので目からウロコ。
歴史、スィッディーの王のこと、その出自と背景、マラーターとの関係、島の中の主な施設や建物などについて、船の待ち時間の関係で「ジャンジーラー島上陸者」が与えられた「45分間」で効率よく見るために順序よく簡潔に話をまとめている。船会社の職員というより、こちらの仕事のほうでプロなのではなかろうか。謎の船会社職員である。
最後に上陸にあたりご注意いただきたいことがあります・・・とのことで、皆が耳を傾けていると驚きの話が。
「ムスリム及びコーリー(というヒンドゥーのカースト)のおよそ200世帯ほどがくらしていたとされるジャンジーラーですが、出入島にあたって厳しいセキュリティ管理がありました。住民ひとりひとりに識別のためのコインが渡されており、帰島の際にこれを必ず呈示する必要がありました。失くすということは決して許されず、欲に目がくらんでコインを売り渡してしまったとみなされました。コインを呈示できなかった帰島者はその場で衛兵に取り押さえられて殺害されてしまうのでした」とのことで、乗船者たちは眉をひそめる。
「しかし今を生きるお客様たちは心配御無用です。さきほど申し上げた気持ちばかりの謝礼をいただければ、皆様の安全な上陸とご帰還はしっかりとガランティー(Guarantee)されておりますのでご安心ください。」で笑いを取るとともにチップの念押し。
その後は「はい、そこのグループの方々」「はい、あなたがたは何人ですか?」「そこの方々」と、団体さんたちを指名して効率よくチップを回収していく。手慣れたものだ。
こんな場所なので仕事ではなく観光で来ている人たちが全てなので、100、200、400・・・と男の手の中にお金が集まっていく。
みんな船会社のチケットは埠頭で買ってから乗り込んでいるが、その船を舞台にこの人は上手い口先で船賃とは別の次元のサービスを提供して、そのままポケットに入れる術を心得ているのがすごい。
話が面白かったので私も50ルピーくらい渡そうかと思ったが、大人数のグループいくつかから手早く集金すると、彼はサッサと引き上げていった。そのあたりのスマートさにもいたく感心した次第。やはり謎の船会社社員である。
この人による島のガイダンスは手短であったものの、見学にはかなり役に立った。こういう公式どおりではない人が、割とそのへんにゴロゴロしているのもインドの面白いところだ。

すっきりと目覚めると朝になっていた。
バルコニーからの景色が美しい。

宿近くの食堂に入って席に着くと、目の前の窓といいそこからの眺めといい、素晴らしい絵のようで素敵だ。

注文したものが出てきた。予想に反して都会風のパウが添えられたチャナ。ムンバイあたりから来るお客の好みに寄せたのか。
ニンブーを絞り、たっぷり添えられたタマネギのみじん切りを載せて、パウですくって食べると、これまたいい感じ。

食べ終えて店を出て少し歩くと、地酒を売る店があった。夕方訪れてみるとするか。

近くのお宅の玄関口では、可愛らしいネコがうたた寝をしている。

麗しく、爽やかで心地の良い朝である。