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カテゴリー: society

  • 街角

    カトマンズのタメルの夕暮れどき、『そろそろ食事にしようか?』と歩いていると、このあたりに多いスーパーの店先で、10歳前後くらいの男の子たちが仲間たちと額を寄せ合っている。彼らが手にしているのは、空になった牛乳のビニールパックであり、嫌な予感がした。
    よくよく見ると金属チューブから何か絞り出してそこに入れて、ふくらませた袋から息を吸い込んでいる。おそらく有機溶剤の含まれた接着剤に違いない。
    その日の昼間も他の街角で、堂々と同じようなことをしている子供たちの姿があった。歩道の向こうから歩いてきた二人連れの幼い子供たちが、同じようなビニール袋を手にして交互に吸い込んでいる。ちょっと歩いていて気がつくだけでもこんな具合なので、私の知らないところではもっといろいろなことが起きているのだろう。
    ネパールで、子供たちをめぐる問題は他にもいろいろあるし、ここ以外の国々でも同様だ。子供たちが置かれた家庭、環境、教育、社会等々、さまざまな形でいろいろな事例があり、そうした事柄を告発するメディアがあれば、積極的に働きかけようという団体もある。
    しかしながら、そうして解決の糸口を探している間にも、いろいろな問題行動を重ねて身体を壊したり、より深刻なものに手を出していったりする子供たちは大勢いる。そうした子供たちをいいように利用する大人もあれば、子供たち自身が犯罪に手を染めることもある。
    こうした子供たちもやがては大人になり、何らかの形で社会の一部を構成するようになっていく。自分で将来を切り拓き、自らの居場所を見つけなくてはならない。
    この子たちに将来はあるのか?と思うと暗澹たる気持ちになるし、そういうことをしながら育った子たちが、どういう大人になるのかと想像すると、これまた空恐ろしい気がする。
    都市化が進み、特に商業地で、そこで商売等で出入りしたり働いたりする人たちと地域社会との縁が薄くなり、周囲の人たちが『赤の他人化』していくと、そうした子供たちを注意したりする大人も少なくなる。
    子供たちもまた、他のエリアから監視の目の甘いところに行って大胆な行動をすることもあるだろう。そうした子供たちの影には良からぬ大人たちの姿もチラついているかもしれない。
    子供たちを律することができなくなってくると、相手が大人ともなると言わずもがな・・・である。どこの国でもいえることだが、地域を大切にするため、私たちがしなければならないことは、周りの人々の様子に目配り・気配りをすること、地域の様子に関心を持って積極的にかかわっていくことなのだろう。
    それは都市化によって生じる、地域の人々の『他人化』と相反することであり、生易しいことではないが、決して放置しておいて済むものではないと思う。もちろんこれはどこぞの国や街に限ったことではなく、およそどこに暮らしていても私たちが気に留めていなくてはいけないことだと思う。

  • i-pill

    近ごろインドのテレビでこんなCMをよく見かける。
    …………………………………………………………..
    携帯電話が鳴る。
    寝ていた女性が起き上がって出る。
    時刻は午前2時前。
    「何?どうしたの?」
    相手の話に耳を傾けていた女性が驚いた声を上げる。
    「えぇっ!何も用意せずに!?」
    「いつ?』
    「どうしてそんなことに?」
    「妊娠したら堕胎することになるのよ、わかってる!?」
    「まだ今なら間に合うと思う」
    緊急避妊ピル、72時間以内に服用。望まない妊娠を防ぐために・・・・。
    …………………………………………………………..
    これはi-pillの宣伝。他社製の類似商品にUnwanted-72というものもある。どちらも強力なホルモン剤からなる薬で、性行為の直後、なるべく早いうちに使用することで妊娠を防ぐ。両製品とも『72時間以内に使用』するものであるとうたっている。この類の薬は、欧米や日本その他各国でも広く流通している。
    だが、ちょっとあからさまなこのCM。性に対して開放的になってきていることが背景にあるのだろうか。避妊に関する選択肢が増えること、とりわけ急を要する場合の最後の手段として、こうした手段を選択できるということは大切だ。こうした商品が広く流通すること、そうした方法があることを世間が周知することも意味のあることではある。
    しかし同時に避妊という大切な問題について、間違った捉え方をする人も出てくるのではないかということも気にかかる。それに子供たちも普通にテレビを見ている時間帯にも、こうしたCMがバンバン流れているのもいかがなものか?と感じるのは私だけではないはず。いろいろと考えさせられるものがある。

  • 火葬場の煙が途絶える日

    パシュパティナート寺院脇を流れるバーグマティー川
    ヒンドゥー教徒、仏教徒双方にとって、聖なる流れであるとされるバーグマティー川はネパールのカトマンズ盆地のテライ地方を通ってインドのビハール州に流れ込みコーシー河と合流した後にガンジス河へと流れ込む。
    外国人からやってきた観光客たちにとってもカトマンズの主要な見物スポットのひとつとなっている、カトマンズ郊外のパシュパティナート寺院は、ネパールのヒンドゥー寺院で最も重要なもののひとつであるとされ、インドを含めた多くのヒンドゥー教徒たちが参拝に訪れる。境内周辺には、いつも遊行者たちの姿があり、インドからはるばるやってきた者も少なくないようだ。
    バーグマティー川は、その境内を貫く形で流れており、ここのガートではいつも火葬の煙が立ち上っており、川岸を散策していると次から次へと遺体が運びこまれてくるのを目にする。この寺院が非常に格の高いものであるがゆえに、そこで人生最後の儀式を執り行うことは大きな意味があるのだろう。
    だがそう遠くない将来、こうした風景は過去のものとなるようである。薪や遺体の灰をそのまま川に流すことによる水質汚染、また薪の使用そのものが更なる森林減少につながるなどといった判断から、パシュパティナート寺院は近く火葬を取りやめて、すでにインドでは一般的になっている電力を用いた火葬場を建設することを決定したのだという。
    Smoke on the water (e-Kantipur.com)
    Cremations go electric in Nepal (BBC South Asia)
    上記のBBCの記事中にあるとおり、30年ほど前にも火葬のやりかたを薪から電気に変えようという検討がなされたものの、当時は保守的層の反対により頓挫したそうだ。しかし今は環境意識の高まりを含めた人々の考え方が変わってきたことから、こうした転換が受け入れられるようになったのだろう。
    こうした格式高い寺が模範を示したことにより、この流れは全国に広がっていくのではないだろうか。もちろんインフラの整備状態からくる制約があるため実施可能な地域は限られるであろうし、都市部においても電力の供給についていろいろ問題があるネパールだけに、思わぬトラブルに見舞われることもしばしばあるのかもしれない。それでも川岸のガートから立ち昇る煙の風景は、やがて人々の忘却の彼方に置き去られることになるようだ。

  • 現代を生きるムガルの『王女』

    コールカーターのスラムに暮らすマードゥーという33歳の文盲の女性が、政府系企業のCoal India Ltd.で小間使いの仕事を得たことにより、極貧生活から救われるという記事がメディアに取り上げられていた。
    なぜそんなことがトピックになるのかといえば、ムガル朝につながる『世が世なら・・・』彼女の家系がその理由だ。この女性は1857年の大反乱に加担したかどでビルマのラングーン(現ビルマのヤンゴン)に流刑に処せられたムガル朝最後の皇帝バハードゥル・シャー・ザファルから数えて五代目の直系に当たるという。これまで彼女は母親のスルターナーとともにとコールカーター市内でチャーイの屋台を営んでいたのだそうだ。
    これまでもメディアで幾度かムガル皇帝の末裔たちを取り上げたニュースを幾度か目にした記憶がある。政府の下級職であったり、下町の小さな部屋を家族とともに間借りしていたりと、すっかり庶民の大海の中のひと滴となっており、昔日の栄華をしのばせるものは何もなくなっている。
    この『救出劇』は、デリー在住のジャーナリストの働きかけによって実現したものであるが、150年以上も前の大反乱の旗印に担ぎ出された老皇帝の子孫の『名誉回復』の背後には、政治的な背景や意図もあるのかもしれない。なんでも西ベンガル州の石炭担当の大臣から直々に辞令が手渡されるのだというから、まあ大したものだ。
    その女性、マードゥーの就職先は、1773年にベンガル初代総督ワレン・ヘイスティングスの命により、現在の西ベンガル州のラーニーガンジに開かれた炭鉱に端を発する歴史的な企業体であり、ムガルを滅ぼしたイギリスとの因縁めいたものを感じなくもない。
    しかしながら直系の末裔といえども、ムガルの末代皇帝から数えて五代目という血のつながり以外には、先祖から輝かしい文化や伝統を受け継いできたわけでもなく、ただ『ムガルである』がゆえに救いの手が差し伸べられるというパフォーマンスに対して大いに違和感を抱かずにはいられない。
    それまで誰も知らなかったまったく無名の人物が、こうして多くのメディアに取り上げられるのは、やはりムガルであるがゆえの潜在的な話題性のためである。
    余談になるが、時代の流れの中で世襲の地位や権力を失っていった支配者層でも、後に政治家に転進したり、実業界等に活路を見出したりした名門は珍しくないものの、対抗する勢力により一気呵成で滅ぼされた王朝の子孫は、たとえ命ながらえても世間の大海原の中に姿を消していくのが常だ。
    日本での知人の中に、清朝の皇帝の末裔がいる。十数年前に日本に渡ってきたときから知っているが、中国ではごく普通のつつましい市民であったようだ。言うに及ばず文革期に彼の一族は、庶民よりはるか下の非常に厳しい環境に置かれていたと聞いている。
    ムガル朝が滅亡しようとも、清朝の歴史に終止符が打たれようとも、それぞれの子孫が生きている限り、たとえそれを記録していようがいまいが、家族史は連綿と続いていく。また偉大な王朝の末裔であるという『事実』は、その家系に連なる人々を除き、他の誰にも手に入れることができないものであることは間違いない。
    Mughal emperor’s descendent gets a job (The Times of India)

  • スィク教徒 インドへの回帰

    政治的混乱が続くネパールにおいて、バンドやストは日常茶飯事となっているが、望まない休業を強いられて収入が落ち込むビジネス経営者はもちろんのこと、日銭で稼ぎ家計が自転車操業の人々もとても困っていることだろう。
    そうした中、ネパールでの商売に見切りをつけて引き揚げてしまう投資家も少なくないようで、先日ネパールのメディアにこんな記事があった。
    Chronic banda displaces Sikh community (eKantipur.com)
    ビジネスチャンスを求めて、今から遡ること43年前くらいからビールガンジに定着して運輸業に従事し、当地のみならずネパール全国でこれを操業してきたスィク教徒たちが、昨今のネパールの政治状況を嫌ってインドへ回帰する流れになっているということだ。
    古来、テライ地域、インド国境に面したネパールの平原部には深いジャングルが広がり、人口密度は希薄であったとされる。しかし開墾が進むにつれてこの地域は農業に適した肥沃な大地であることに加えて、人口圧力の高い国境の反対側、つまりインドのビハールやU.P.の人々の移住・定着などもあった。
    今ではネパールの総人口のおよそ半分を抱えるようになっているテライ地域において、インドに起源を持ち、人種的、言語的、文化的に国境の向こうにより強い絆を持つマデースィーと呼ばれる人々が占める割合は高い。彼らは長年不利な立場に置かれていたが、近年は活発な政治活動を通じて政治的な立場を強めているのは各メディアで伝えられているとおり。
    初代副大統領パルマーナンド・ジャー氏はマデースィー出身で、就任の宣誓をヒンディー語で行ない大きな非難を浴びることとなったが、彼の母体政党であるマデースィー人権フォーラムは、ヒンディー語をネパールの公用語に加えるべきであると主張している。
    ネパールという国自体が、インドとの間のある意味特別な関係から人々の行き来は頻繁で、国境の反対側に雇用機会を求めたり、起業したりという人々は非常に多いが、隣国インドと接するテライ地域での人々の行き来は頻繁なようで、仕事関係はもちろんのこと、国境を越えた通婚や親族訪問なども少なくない。
    この地域に、私たち外国人が越えることのできる地点もいくつかあるが、インドとの間に時差 (ネパールのほうが15分早い)があること除き、埃っぽい田舎町や農村風景に国境の手前とこちら側での視覚的な違いはほとんど感じないだろう。
    先述の記事中には、『6年前までビールガンジにはスィク教徒の452家族が暮らしていたが、今ではわずか29家族になってしまっている』とある。明らかに隣国インドからやってきた外来の人々であることが不利に作用していることもあるかもしれない。
    だが昨今続いてきた混乱により、国の基幹産業である観光業の不振、加えて世界的な景気後退による追い討ちなどもあり、地元のビジネスマンたちにとっても明るい先行きが見えないことには変わりがないだろう。
    輸送業界からのスィク教徒の引き揚げは決して無視できるものではないようで、これがその他各産業界に与えるインパクトを憂う形で記事は結ばれている。

  • RICKSHAW CHALLENGE

    RICKSHAW CHALLENGE
    言うまでもなく、オートリクシャーはインドを代表する乗り物のひとつである。だいぶ前に『オートでGO !』というタイトルで取り上げたことがあるが、この自動三輪によるレースがインドを代表するレース?と言えるかどうかはともかく、業務用車両が爆走するということに、興味を抱く人は少なくないだろう。
    このレースは、なかなか広がりを見せているようで、インド国内でいくつかの大会が開催されるようになっている。
    RICKSHAW CHALLENGEのサイトにその概要が記されている。直近のレースは、MUMBAI XPRESS 2009だ。7月31日から8月13日までの14日間で、チェンナイ出発後、ヴェロール、バンガロール、マンガロール等を経て、パンジム、アリーバグ等を駆け抜けてムンバイーにゴールインする。
    その次がTECH RAID 2009というレースで、こちらは10月16日から同22日までの7日間で、チェンナイからバンガロール、アナンタプルなどを経て、ハイデラーバードに至る。
    年内最後のスタートは、CLASSIC RUN 2010という大会。こちらもチェンナイを発ってから、マドゥライ、ラーメーシュワラム等を通過して、カニャークマーリーでゴール。12月29日から1月8日まで11日間の行程だ。
    それに続いてMALABAR RAMPAGE 2010は、4月2日から同20日までの19日間という長丁場。スタートもゴールもチェンナイだが、タミルナードゥとケーララの両州をぐるりと一周する形になる。
    他にもカスタムメイドのYOUR ADVENTUREという企画も可能だそうだ。
    インディア・トゥデイ6月17日号でもこれらのレースのことが取り上げられていたが、かなり外国人の出場もあるようだ。同誌記事中には、『参加者の中には、70歳のカナダ人男性以外にも、英国のAV男優、元ミス・ハンガリー、元俳優の日本人男性も含まれている』と書かれている。
    RICKSHAW CHALLENGEのウェブサイトには、エントリーに関する情報も載せられている。腕に自信があれば出場して上位入賞を目指してみてはいかが?
    参加するには相応の費用がかかるとはいえ、その部分をクリアできるチームであれば広く参加の道が開かれており、敷居の低い国際レースである。

  • インドの東6 コロニアルな新聞

    ラングーン・タイムス
    ミャンマーは、旧英領とはいえ、現在は英語による出版活動が盛んではないうえに、表現の自由に大きな制限があることもあり、最大の都市のヤンゴンであっても、本漁りはあまり期待できない。
    ダウンタウン周辺で、いくつかの書店を覗いてみたが、およそ英語で書かれているものといえば、語学学習書と辞書、あるいはコンピュータ関係書籍くらいのものだろうか。
    ビルマ語の書籍にしてみたところで、表紙を眺めてみて想像できる限りでは、当たり障りのない小説、学習参考書、実用書くらいしかないように思われる。
    そんなわけで、特にここで本を購入するつもりはなかったのだが、各国の大使館が点在するアーロン・ロード地区の一角に、ミャンマー・ブック・センターという店があり、そこの一角にはミャンマーの歴史や社会について書かれた英文の書籍が置かれているということを聞いた。あまり期待していなかったが、ダウンタウンから遠くないこともあり、ちょっと出かけてみることにした。
    タクシーで乗り付けてみたコロニアルな建物は、『書店』というよりも、ヤンゴンにおいては異例なほど大きく、かつ洒落たみやげもの屋といった風情である。そのたたずまいを目にしてガックリきたが、とりあえず建物の上階に書籍があるというので、階段を上ってみる。
    3階にある書籍コーナーは、インドの鉄道の一等コンパートメントの3倍くらいのスペースしかなかったが、植民地期の出版物の復刻版が多く、なかなか興味深かった。
    また独自の社会主義路線を歩み始めたころに、当時政権を担っていた社会主義計画党関係機関が机上で描いた(?)明るい将来を伝えるプロパガンダ書籍なども書棚で見かけた。
    そうした中からいくつかの書籍を購入してみた。それらの中で『The Rangoon Times Christmas Number』なる題で、1912年から1925年までの英字紙ラングーン・タイムスのクリスマス版をまとめたものは、まさにそれを読んでいた人々の息吹を感じさせてくれるようであった。
    この時代のラングーン、つまり現在のヤンゴンは、国そのものが英領インドに属していたことのみならず、人口の面からも『インドの街』であった。1912年においては、ビルマ族とカレン族ならびに地元の他の民族を合計した人口が10万3千であったのに対し、インド人18万8千人と、2倍近い数を占めており、マジョリテイがインド人であったのだ。ちなみに他の民族については、中国人2万3千人、イギリス人を含めた欧州人が3500人余り、アングロ・インディアンおよびアングロ・バーミーズが8300人少々、その他アルメニア人とユダヤ人が少々といった具合だ。
    さて、この新聞のクリスマス版は、在住のイギリス人社会における出来事や彼らを中心とするビルマの発展と進化について、その年に起きたことを回顧するものとなっている。デルタ地帯の河下り旅行記、行政や教育に関する話題、狩猟やポロにサッカーといったスポーツ、大きな鉄道事故に洪水といった惨事、政府や軍などの式典、イギリス人富裕層の見事な屋敷の写真その他いろんな記事が掲載されている。
    この時代の広告を眺めるのもなかなか面白い。この時代は銃の規制などなかったのだろうか、洋服や靴のものと並んで広告が出ている。今も世界各地で親しまれているホーリックスのアドバタイズメントは掲載されているが、当時も同じ味だったのだろうか。イギリス本国はもちろんのこと、インドを本拠地とする商社や銀行なども紙面各所に広告を出している。アサヒビールの宣伝もあり、現地の取扱代理店は、三井物産ラングーン支店と書かれている。
    銀行の広告
    20090531-asahi.jpg
    船会社の広告もある。人々が飛行機で移動するようになる前の客船全盛の時代だけに、なかなか興味深い航路がある。ロンドンから地中海、そしてイエメンのアデンを経てコロンボ、さらにはペナン、シンガポール、香港、上海ときて日本にいたる定期便の記述もあるが、どのくらいの時間がかかったのだろうか。
    当時のカルカッタ、ボンベイ、カラーチー、マドラス、コロンボ、ラングーンといった地域の主要港から域内を結ぶ便についても書かれている。特に当時のインド西部から今のガルフ諸国の港への便がけっこうあることに加えて、今はほぼ荷物の出入りに限られる港、例えばグジャラートのマンドヴィー、ポールバンダル、あるいは漁港として知られるタミルナードゥのナーガパトナムなどといった港をはじめとする地域の代表的な海港が、当時は外の人々に対する玄関口としての役割を担っていたことを改めて思い起こさせてくれる。
    船会社の広告
    それでも便数は週一便、二週に一便などといった記述が並び、今の主だった国際線・国内線の空港と違い、『主要港』といってもずいぶんのんびりとしたものだったことだろう。
    他に購入した本も含めて、いろいろ興味深いことが書かれていたが、また何か機会を見つけて取り上げてみたいと思う。

  • ラオスの刑務所で

    インドとはまったく関係のない話で恐縮ではあるが、滞在先のバンコクで手にした英字紙Bangkok Postにショッキングな記事が出ていた。
    『妊娠中の英国女性に銃殺刑迫る』
    ラオスで麻薬密輸容疑で逮捕されたナイジェリア出身の英国籍女性が、昨年8月にラオス首都のヴィエンチャン空港からタイのバンコクへと出国しようとしていたところ、686gのヘロイン所持していたため逮捕され、近々判決が出ることになっているのだという。
    現在、ラオスではヘロインを500g以上所持していると極刑に相当することになっており、近く開かれる法廷で有罪となれば、銃殺刑に処せられることになるのだそうだ。 だが彼女は妊娠中。今年9月に出産予定だという。
    在ラオスの英国大使館は、彼女が拘禁されるようになって数ヶ月経つまで、それを知らなかったという。その後毎月20分だけ大使館の担当者との面会が、ラオス当局者の立会いのもとで認められているだけとのことだ。
    1988年生まれのSamantha Orobator Oghagbonは現在20歳。第三者のために運ぶことを強要されたと主張しているという。
    彼女は昨年7月に休暇でオランダ、タイを訪れた後にラオスに行き、ここから8月6日に空港から出国しようとしたところで逮捕されて以来、彼女は女性刑務所に収監されている。ここは囚人たちへの虐待ぶりの酷さで悪名高いところであるらしい。
    本人はヘロイン所持の事実を認めているとはいえ、それが死刑に相当するものであること、また彼女が妊娠中であり、産まれてくる予定の子供には何の罪もないこと、また出産予定時期からして、その妊娠とは明らかに刑務所に収監されて以降のものであり、刑務所のスタッフによる暴行の結果であるらしいことが取り沙汰されていることなど、非常に考えさせられるものがある。
    目下、在ラオスのイギリス大使館を通じた外交努力が続けられており、また今月7日にラオスとイギリスの間で、犯罪者の引渡しに関する協定が結ばれたことから、この女性が極刑を逃れてイギリスに移送され、自国で服役できる可能性も開けてきたようではあるが、近々下りる予定の判決がとても気にかかるところである。
    関連記事
    LOCKED UP IN A HELL-HOLE (Bangkok Post)
    Diplomat meets pregnant Briton in Lao jail (Bangkok Post)

  • 安宿街に歴史あり

    ずいぶん前のことになるが、『タイ・バンコク・カオサンロードの歩き方』というサイトがあった。エコノミーな宿の紹介か?と思って覗いてみると、バンコクのエコノミーやホテルとゲストハウスが集中する地区の成り立ちやここに宿泊する人々、働く人々の動態などが詳細に描き出されているなど、想像していたものとはかなり様相が違った。
    ただの安宿街にもそれなりのきっかけと必然性があって成立していること、そうした地域にも盛衰があり、これもまた具体的な理由があることがいろいろ記されており、とても面白かった。
    ただの旅行者が書いた雑記帳のようなものではなく、大学でメディア論を専攻する研究者の手によるものであり、こうしたエリアが形成されていく歴史やその背景にある事情など、社会学的な分析がなされているがゆえに大変興味をおぼえた次第である。
    しかしながら、そのサイトはすでになくなっている。それを引き継ぐ形で『カオサンからアジア』へというタイトルでウェブ上に存在(最終更新日が2000年7月だが)するとはいえ、以前のものとは比較にならないため、ここで敢えて参照しない。
    あのコンテンツは一体どこに行ったのか?と探してみると、書籍になっていたことがわかった。
    こうしたことは、すっかり頭の中から消え去っていたのだが、バンコクのスクムヴィット界隈で適当な宿がないか?とウェブで探していると、たまたまここに行き当たり、『ああ、そういえば・・・』と思い出した次第である。別に私が宿泊する先は安宿ではないのだが。
    たぶんこれは前述のサイト『カオサンロードの歩き方』から一部削除されずにウェブ上に残ったものではないかと思う。以前、このサイトを見つける前から、カオサンロードがバックパッカーたちのバンコクでの滞在先としてポピュラーになる前には、西洋人たちにはマレーシアホテル周辺がポピュラーで、チャイナタウンは日本人宿泊者が多かったということは知っていたが、スクムヴィットのエリアにも安い宿が多かったということは知らなかった。
    この残骸?にも書かれているが、カオサンロード登場以前の安宿街の形成には、ベトナム戦争が影を落としていたという説明もまた興味深く読んだことを思い出す。従軍していた米兵が、休暇で気晴らしにやってくるタイで、彼らの滞在先としての需要があったというのは、さもありなんといったところだ。
    その当時から営業を続けているマレーシア・ホテルは、ある意味老舗の宿といえる。周囲に安い宿が次々に開業したことから、相対的に料金が高めになり、中級ホテルとみなされた時期もあったようだが、タイの経済成長にともない、良質なホテルが増えた結果、やはり相対的に低料金の安ホテルとなっている。なんだか胡散臭いイメージが定着してしまっているが、コストパフォーマンスは高いようで、実際に利用した人からの評判はなかなか良いらしく、リピーター宿泊客も多いらしい。
    ただしバンコク市内各地に、様々なロケーションにいろいろなタイプのホテルが沢山あるのに、わざわざここを選ぶ理由は特に見当たらないように思う。
    今でこそ、日本発で世界各地へのフライトのチケットが安く出回っているが、そもそも格安航空券というものが一般的でなかった時代、日本からインド方面に向かおうとするバックパッカーたちは、とりあえず香港かバンコクに出て、そこからカルカッタなどへ向かうのが一般的であった。そのためタイ訪問そのものが目的でない者も、安いチケットを購入するためにバンコクに滞在していたのだろう。
    その格安航空券にしてみたところで、今や航空会社が直接ネットで販売する正規割引に押されている。米国系航空会社が格安航空券を販売する旅行代理店にコミッションを廃止し、他の航空会社もこれに追従するのが流れになっていることもあり、従来の『格安航空券』というものが、そう遠くないうちになくなるであろう、とさえ言われている。
    バンコクで、特に用事はないのだが、久しぶりにカオサンロードに足を向けてみようかと思う。外国人客がワンサカ宿泊しているだけに、気の利いたみやげもの類は多いのだ。価格も手ごろだし。Tシャツ等の衣類もなかなかの品揃えだ。
    そういえば、カオサンロードをはじめとして、バンコク各地にスピード仕上げを売りにするスーツの仕立屋が多い。しかし店の人たちはどうして揃いも揃ってサルダールジーばかりなのだろうか?仕立服屋の世界で『パンジャービー・カルテル』でもあるかのようだ。バンコクで、テイラーとして定住して稼ぐ彼らにも、興味深い『歴史』があるのではないかと思う。スーツの価格はもちろん要交渉だが、落ち着く値段はまずまずのようなので、一着注文してみるのもいいかもしれない。

  • 煽る政府と暴走するメディア

    今回はインドと関係のない話題で恐縮である。先週土曜日に初めて耳にした『豚インフルエンザ』の話題だが、その後の急速な展開には大いに戸惑っている・・・というよりも、日本のメディアによる取り扱いやこれに対する社会の反応について、大いに疑問を抱いている。
    4月28日までの報道によれば、メキシコでこのインフルエンザの感染によるものと疑われる死亡例が152件であることが目を引くが、その他の国における感染者は、アメリカで64人、カナダで6人、スペインで2人、ニュージーランドで3人、イスラエルで1人、コスタリカで1人の感染が確認されている(その他の国における推定感染者を除く)とのことだが、実際のところどういう病気なのかはよくわかっていないようだ。
    先述の報道の時点では、メキシコにおける死亡例の多さが注目されているものの、その他の国ではまだ死亡例は報告されていない。また症状は通常のインフルエンザと同程度で、患者は順調に回復しているとのこと。
    何故、同じ型のウイルスでも、メキシコとその他の国々でこうも違うのか、まだその理由はよくわかっていないようだ。現地の医療事情や地域的な要因、つまりインフルエンザが頻繁に流行する地域ではよく見られる型のウイルスによる流行であっても、普段それとあまり縁がない地域では大きな被害をもたらすことがあるという。
    日本で馴染み深い(?)A香港型のインフルエンザの流行により、2002年にマダガスカルで、5,000人の患者中、死者374人という惨禍をもたらした例がある。当地でこの型のウイルスにかかった経験が少なく、免疫が低い人々に広まったこと、栄養状態や医療の普及状態などといった要因も絡み合い、重症化する例が多くなったとされる。もちろん今回のウイルスは、私たちにとっても新型であるとされるわけだが、地域的には人々の持つ耐性に差があったりすることはあるのかもしれないという説もある。
    メキシコとそれ以外の国において、ウイルスが悪さをする程度が違うことだけではない。メディアの報道とそれを目にした人々の反応にも、国や地域によってかなり温度差があるようだ。日本の対応は、ご存知のとおり非常に厳格である。
    もちろん死者が大量に出てからでは遅いわけで、その前に被害を限定的に封じ込めよう、またその被害が及ばないように水際で阻止しようという意図はよくわかる。だが今回のインフルエンザについて、メキシコ以外で感染した例においては、毒性がそれほど強いものではないことがほぼわかっている今、これほどヒステリックになる必要があるのか、こうした対応に伴う高い代償を払ってまでそういう姿勢を取ることに合理的な理由があるのかどうか疑問なのだ。
    日本のマスメディアにも問題があるようだ。『言葉の壁』のため、大多数の人が読むのが自国の日本語メディアに限られるので、テレビのニュースや新聞記事等の論調にいとも簡単に『洗脳』されやすい。日本において、それらメディア自体の均質性が高いため、どこも同じようなことを書きたてる。そのため、情報が統制されている状態に近いともいえるかもしれない。
    言葉の壁以外にも、日本語圏自体が人口1億2千万を越える大言語圏であり、しかもこれの言語圏が日本国内に限定されるといって差し支えないものであるがゆえに、日本語による報道自体がほぼ同じ傾向に集約されやすいということもあるかと思う。

    (さらに…)

  • ジェイド・グーディー亡くなる

    先日から危篤状態にあった、イギリスのリアリティーショーのスター、ジェイド・グーディーが亡くなった。享年27歳。ご冥福をお祈りしたい。
    Reality TV star Jade Goody dies (BBC NEWS)
    ………………………………………………………………………………..
    彼女の命を奪った病、子宮頸ガンは、よく知られているとおり、ヒト・パピローマ・ウイルス(HPV)への感染が大きな原因であるとされる。
    他のガンに比べて、若年層の患者が多いことも特徴だが、日本ではこの病についての検診の受診率が低いことも問題とされている。
    現在では、HPVへの感染に対する予防ワクチンという、有効な手立てがあるが、少なくとも日本ではまだそれは普及していない。しかし今年中には承認される見込みらしい。
    性交渉未経験の10代前半の女児を対象とする公費負担による接種を求める声が高いという。

  • ジェイド・グーディー

    ジェイド・グーディーが危篤状態にあるとのこと。2007年にリアリティショー『ビッグブラザー』にて、シルパー・シェッティーに対して執拗に投げかけた問題発言により、人種差別だとして内外に大きな波紋を投げかけたあの人だ。
    差別的な発言をしたのは彼女だけではなかったようだが、その口火を切り、同様の発言を繰り返したことに加えて、普段メディアを通じて彼女が視聴者に与えていたイメージもあったことから、袋叩きに遭うことになったようだ。
    この出来事がいろいろなメディアで取り上げられるまで、私はこの人がイギリスでとても有名なタレントであることさえ知らなかった。実のところ、私はこの人がテレビに出演しているところを直に見たことはなく、YouTube他の動画投稿サイトで彼女が出ているクリップを片っ端から閲覧しただけだが、それでも彼女の強烈な個性は充分伝わってくる。
    その後、ジェイドはインドへ謝罪旅行に赴き、シルパーとともにインド版ビッグブラザーのビッグボスに出演するなどして、彼女と和解しているが、もちろんインドでは彼女に対してネガティヴなイメージは根強いだろう。
    もともと歯科医院で看護婦の仕事をしていた彼女は、2002年にビッグブラザーに『ちょっと可愛らしい看護婦さん』として出演する機会を得て、一気にスターダムを駆け上ることになった。
    しかしながら、とりたてて外見がどうというわけではなく、なにか人を魅了するものを持ち合わせているわけでもない。私でもセレブになれそう、と思わせる『普通さ』とは裏腹の毒舌マシンガントークが多くの人々の非難を巻き起こしつつ、瞬く間に悪役としての地位を築いたようだ。
    自身の名前を冠したパフュームをプロデュースしたり、フィットネスのDVDに出演したり、自伝を出版したりと、テレビ以外の場所でも活発に動いていた。
    昨年夏に末期ガンであることが判明してから、様々な治療を受けてきたがすでに病巣は多臓器に広がっており、あと数週間の命らしいと各メディアに報じられていたのは今月前半のこと。
    その深刻な病状について、彼女に知らされたのは先述のビッグボスに出演時。番組中のアナウンスで『出演中に電話を使うことは許されないが、事があまりに重大であるときにはそれが許可されることもある』とあったように、実に深刻な事実がイギリスの主治医から彼女に伝えられ、ジェイドはイギリスに緊急帰国した。
    インドを、インド人を侮辱したと大騒ぎになったしばらく後で、インドを訪れてから受けた重篤な宣告。何か因縁じみたものを感じたのは私だけではないだろう。
    以前交際のあったボーイフレンドとの間にもうけた5歳と4歳の息子の母でもあるが、現在同棲中のボーイフレンド、ジャック・トゥィードと今年2月に挙式、晴れて正式な夫婦となった。しかしこのカップルに残された時間はあまりに短かったようだ。
    昨日夜から容態が急激に悪化し、すでに意識のない状態にあるという。天敵から友人へと転じたシルパーは、ムンバイーからイギリスへ向かっている。
    ジェイドは、自分に与えられた定めを受け入れて、最後の瞬間までメディアの前に姿を見せ続けることを宣言し、人々の注目を一身に集めるタレントであることを天職としてまっとうしようという、非常に芯の強い女性である。
    ・・・だが、彼女自身はまだ27歳。二人の幼い子供たちの母親でもある。あまりに酷な運命の仕打ちだ。