
今月21日にマトゥラーで起きた列車同士の衝突事故、同じく23日にはムンバイー郊外のターネーで、走行中の列車に送水管が落下したことによる事故と、鉄道関係の惨事がニュース映像となって流れたばかりである。
今日は、夕方テレビのニュースを眺めていると、『Breaking News』のテロップとともに、今度はマオイストと見られる一団により、ブバーネシュワル発デリー行きのラージダーニー急行が長時間停められているという速報が流れてきた。
場所は西ベンガル州のミドナプル地区。ジャールカンド州境に近いところである。複数の男たち、一説には100名ほどの群集が、赤い旗を手にして列車を停止させ、乗客の人々を人質にしているとの報せに仰天した。
その時点では、彼らが本当にマオイストであるかどうかの確認は取れていないようで、この地域のマオイストのリーダーは関与を否定しているという説も流れていた。それでも犯行グループは、現在収監されているマオイスト指導者、チャトラダール・マハトーの釈放を要求しているとのことで、やはりマオイストのある派閥に属する者たちによる実力行使であると見られるとのことだ。
これを書いている今時点で、事件発生から5時間経過した。すでに車両は警察当局のコントロール下に置かれている。犯人グループたちにより、携帯電話を取り上げられた者は複数あったようだが、幸いにして負傷者等は発生していない模様。テレビカメラに映し出されたラージダーニー急行の車体には、前述のチャトラダール・マハトーの解放を要求するメッセージが赤い文字で大書きされている。
Maoists stop Bhubaneswar Rajdhani Exp, driver missing (ZEE NEWS)
Rajdhani blockade over, ‘pro-Naxal’ group takes claim (India Today)
マオイスト、あるいはインドの武闘派極左勢力発祥の地である西ベンガル北部のナクサルバリにちなんで、ナクサルあるいはナクサライトと呼ばれる赤い地下組織は、西ベンガル以外でも、チャッティースガル、オリッサ、ジャールカンド、ビハール、アーンドラ・プラデーシュ、マハーラーシュトラなどで盛んに活動しており、事実上の『解放区』となっている地域さえある。
部族や寒村の貧困層といった、開発や近年の経済成長の恩恵とは縁遠い人々を主な基盤としており、そうした地域のアクセスの悪さや行政組織の不備等が、彼らの活動を利している部分もある。
そうした発展から取り残された地域の警察組織の脆弱さ、個々の警察官たちが治安要員としての資質や経験に乏しく、実戦の中で切磋琢磨してきたマオイストの戦闘員たちとまともに対峙することができないという行政側の当事者能力の欠如も指摘されているところだ。
近年、とみにマオイストたちの活動の拡大が顕著であることから、国内の治安に対する大きな脅威であるとして、中央政府が対決姿勢を鮮明にしているところだ。しかし中央の政治家たちがいくら声を荒げてみたところで、都市部を離れて人口が希薄、ひいては警備もほとんど存在しない公道や鉄路の上で散発する事件に対して、当局はあまりに無力であるように見える。
マオイスト、ナクサルと一口でいっても、その中には様々な志向の集団が内在していることだろうが、ネパールで内戦を続けた末に、合法的な政党と化し、一度は政権を担うまで至り、今も同国政治の行方を担う一大勢力である『マオイスト』が、彼ら自身の頭の片隅にはあるだろう。
果たして中央ならびに各州の政府が、地域社会と力を合わせてこうした暴力組織を駆逐する方向に進むことができるのか、あるいは今後ますます犠牲者を出すとともに自らの勢力を拡大していくのか、気がかりなところである。
カテゴリー: society
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ラージダーニー急行 マオイストが占拠
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ナイジェリアのイメージ
90年代初めあたりだっただろうか、インドに滞在するナイジェリア人の姿がやけに多いことに気が付いたことがある。しかも留学生ではなく、仕事等での居住者のようでもなく、『観光客』の立場で。
外国をフラフラと物見遊山に出かけるナイジェリア人がそう多いとは思えないし、彼らは大都市間のみを行き来していたり、滞在先の都市でも市内見物に出かける様子もない。特に人のことを詮索する必要はないのだが『彼らはいったい何をしているのだろう?』と思ったりした。
デリーで、所用等あってしばらく滞在していた宿の宿泊客の大半は外国人たち。そこにナイジェリア人たちが5、6人のグループで滞在していた。フレンドリーな人たちが多く、食事どきには中庭では鶏肉のシチューや主食のウガリなど、彼らの郷土料理をにぎやかに作っていたのだが、そこを通ると声がかかってはお相判にあずかっていた。
近隣の宿にもこうした人たちが何組も宿泊しており、多くは顔見知りであるようで、相互に出入りしているように見受けられた。
数日間、そこを留守にして他の町に出かけてから戻ってくると、宿の様子がすっかり変わっていた。ナイジェリア人たちが一人もいなくなっていたのだ。近隣に滞在していた者も姿を見かけなくなっていた。私の留守中に滞在していた人たちによれば、ある『事件』があったのだという。
『朝7時過ぎくらいだったかな?警察官たちが何人も雪崩れ込んできた。ナイジェリア人たちが滞在する複数の部屋にそのまま進んでいった。ドアをノックしてナイジェリア人が出てきたところに彼らが突入して全員取り押さえた。テレビクルーも後にくっついて行ってたぞ』
『部屋の中から幾つも金属パイプが出てきて、それを警察官がテレビカメラの前で切断してみせると、白い粉が大量に出てきた』
彼らは麻薬取り引きに関わる一団であったらしく、長く内偵を続けてきた警察がようやく証拠等を充分に押さえたうえで一網打尽にしたようであった。
威圧的な印象を受けるほど長身で筋肉質の立派な体格の人たちが多いものの、外見とは裏腹に陽気で友好的な人たちだな、と思っていたが、まさかそんな犯罪集団であるとは想像もしなかっただけに心底驚いた。当日、その宿に泊まっていた人たちは、多かれ少なかれ警察から質問をいくつか受けたのだという。
豊かな石油資源、1億5千万人を越える世界第8位の人口は、地域最大級の市場でもある。アフリカ大陸で突出した大国のひとつであり、この地域の中で特に高い教育水準を誇りながらも、政情不安や政府の腐敗などといった背景もあり、高い失業率に悩まされ続けている。
その結果が高い犯罪発生率ということになるのだろう。ナイジェリア発で、世界各地で知られている。『ナイジェリアの手紙』に代表される大掛かりな国際的な詐欺事件も頻発している。
石油公社幹部だの、暗殺された政治家や政府高官の家族だの、前政権時代の権力者で今は第三国に亡命中だのと名乗る差出人からメッセージが届き、膨大な裏金を自由に動かせるようにするために、当局がマークしていないあなたの銀行口座を貸して欲しい。こちらもリスクを負うのだから、あなたから保証料をいただいたうえで、一度入金させてもらい、これを私自身の安全な口座に移し変えることにしたい。これがきっちりうまくいった暁には、成功報酬をいくらお支払いする・・・などという形で、マネーロンダリングを持ちかける詐欺話が特によく知られているところだ。
英語が広く普及していること、コンピュータ関係の教育が盛んで、アフリカのIT大国という側面もあることから『作文』の面からも、また銀行口座への不正アクセスといった『技術面』からも、豊富な人材(?)が揃っているとされる。
近ごろのインドのメディアでも、ナイジェリア人たちの関わる事件等はよく取り上げられている。
Madhya Pradesh police bust online fraud racket (The Times of India)
Nigerian, 3 others held for Net fraud (The Times of India)
Nigerian held for Kerala Net fraud (Gulf Times)
Nigerian fraud: ‘money mules’ held (The Hindu)
Nigerian arrested with one kg heroin in Delhi (India Today)
こうした記事ばかり眺めてしまうと『悪い奴が大挙してやって来ているなあ!』と感じてしまうが、インドでマジメに学んでいる人、ちゃんとした仕事をしている人は大いに迷惑していることだろう。
豊富な原油埋蔵量を背景にアフリカ有数の経済規模を持つ大国、アフリカ大陸最大の人口を抱えているものの、教育の水準は域内でも高く、政治的に安定していれば、もっと順調に発展していて然るべきであり、南アジアにおけるインド同様、経済新興国の成長の核として、また人材の宝庫としても大きな存在感を示しているべき存在である。
そんなナイジェリアだが、日本においては同国の政情不安、インドにおいては犯罪にまつわるニュースばかりであるように見受けられるのは残念である。 -
チープなパフォーマンス
しばらく前に、インドのメディアで大臣や高級官僚等による海外を出張の頻度や旅費関係の支出等についてまとめた記事をいくつか目にした記憶がある。
『小さな政府』を志向し、国や自治体の支出を削減しよう、民間でできることはなるべく民間で行なうなどといった風潮は、国や地域を問わず、世界共通の風潮となっている。
個人的には、そういう視点も必要かとは思うものの、人々の働きかたの多様化を尊重するというおためごかしのために、働く人々の立場、つまり正社員であったり、期限付きの非常勤であったり、はてまた外部からの派遣であったりなどと、雇用関係等が様々な人たちが同じ職場で働く、あるいは同じ仕事をするのに賃金か大きく違ってくるといったことが当たり前になっていることについては決して肯定的に受け止めることはできない。
また、働く人々の立場が寸断された形になっているがゆえに、『労働者』として力を合わせて経営側と渡り合うことが難しくなっていること、さらには世界的な不況という背景も加わり、一般的に今の労使関係が大幅に雇用者側に有利になってしまっていることは大きな問題だと思う。
冒頭に書いたとおり、インドでも公金の使い方について、いろいろな方面で議論がなされているようだ。政治家や高級官僚が移動する際の旅費や公用車云々についても、様々な話がある。
コングレス首脳は、そうした動きを逆手に取って、自らの『クリーンさ』をアピールしようと図っているように見える。
一昨日、コングレス総裁のソーニアー・ガーンディーは、デリーから飛行機のエコノミークラスでムンバイー入りしたと伝えられた。
Sonia Gandhi flies economy class (ZEENEWS.COM)
息子のラーフルは、昨日シャターブディー急行でデリーからルディヤナーに向かったとのことだ。
Rahul travels by Shatabdi (ZEENEWS.COM)
確かに本人分の運賃は安く上がるのかもしれないが、こんな大物たちが公用でミドルクラスの人々と同じ乗り物を利用するなどということは、警備にかかる手間ヒマに労力、周囲の混乱その他の影響等を含めた『社会的コスト』を考えると、あまり現実的ではないように思う。
今の時代、無辜の市民が非情なテロリストの仕掛けたテロの犠牲になるということは珍しいことではなくなっている。有力な政治家が、エコノミーな交通機関を利用することにより、かえって市民が多大な不利益を蒙るようでは本末転倒だ。
昨日のZEE NEWSでは、ラーフルが乗車したシャターブディー急行の車内の映像も流れていたが、車両内の乗客全員がコングレスの動員による『仕込み』なのではないかと疑いたくなった。あるいはインド国鉄が、身元が絶対に確かな人々だけをその車両に配置したのではないか?とも。
民主主義の制度の下で、各選挙区から選ばれた代議士たちには、人々の代表としての責任と義務があるわけで、それをまっとうするために様々な便宜が図られているわけで、『支配層の特権』ではなく、本来ならばちゃんと合理性のあるものであるはずなのだ。問題は、それが理念に適った用い方をされているかどうかということ。
こうした現象は、政治不信の裏返しということもできるが、『無駄撲滅』といわんばかりに、必要なはずであるからこそ講じられている便宜を放棄して、関係各署その他に無理な負担を強いての『清廉さのアピール』は、チープなパフォーマンスにしか見えない。
同じような類のことは日本でもしばしば行なわれているので、インドのことばかり非難するつもりはない。ただ思うのは、どうも政治家のアピールというものは信用できないなぁ・・・といったところだろうか。有権者としては、ひたすら『選球眼』を磨いていくしかない。 -
ダウリー問題 こんな例も・・・
『ダウリーと闘い続けて: インドの女性と結婚持参金』『インドの女性問題とジェンダー: サティー(寡婦殉死)・ダウリー問題・女児問題』といった邦訳本が出ていることもあり、インドの結婚の際のダウリー問題については日本でも知られるようになっている。
法律では禁止されているとはいえ、結婚持参金(現金ならびに物品等)根強い慣習であるどころか、これまでそういう習慣のなかったコミュニティや階層にも広まっており、雑誌等にその実態等についての特集が掲載されることもある。
インドのメディアでもときどきダウリーにまつわるトラブルや犯罪等の事件が取り上げられるし、2003年に大きな話題となったニシャー・シャルマーさんのニュースを記憶している人も多いだろう。婚約者側からの度重なる不当な要求とハラスメント、加えて結婚式直前に更なる要求が彼女の父親に対して突きつけられたことから、堪忍袋の緒が切れて警察に通報。彼女自身、『この人と結婚したら最後、人生が台無しになる』と悟ったのだろう。
花婿となるはずであった相手は逮捕されて収監、彼の家族も捜査を受けるところとなった。メディアはセンセーショナルにこの出来事を取り上げ、デリーに暮らす普通のお嬢さんであったニシャーは一転、時の人となった。この件については様々な続報があったが、彼女の勇敢さを讃える声が多かった。その後、彼女は無事に理解ある男性と結ばれている。
Dowry demand lands groom in jail (BBC South Asia)
だがこの慣習は一方的に悪と決め付けられるものでもなく、両親からの生前分与という意味合いもあり、それなりの合理性があるようだ。これについてはインドの民法上の規定の関係等との絡みもあるので、ここでは省くことにする。
男性上位の社会で、嫁ぎ先の家に対して、花嫁の実家が与える現金や物品であるため、概ねに前者の立場のほうが強いことが多いだろう。花婿側について、家柄はもちろんのこと、本人の学歴・資格、職業、年収水準等といった条件が高くなるほど、『実入り』が多くなるのはもちろんのことだ。
新郎新婦が結婚した後は、両家は姻族としてよい関係を築いて付き合っていかなくてはならない。社会的な地位を問わず、ちゃんと良識のある人たちは、相手からあまりに無闇な金額を踏んだくろうということはないはず。当然のことながら周囲の目も気になるし、良からぬ噂を立てられたくもないだろう。
何よりも、自分の大切な子供が結婚するのだから、幸せになってくれるのを願うのは親として当然のこと。相手からよほど理不尽なことをされたり、深刻なトラブルでもないかぎり、息子の嫁をいじめたり、その実家を窮地に陥れたりということはないだろう・・・と思う。
だが、あまりに大勢の人々が暮らすこの世の中、ごく少数の人たちの間ではこうしたことがまかり通り、ダウリー絡みのハラスメント、ときにはそこから発展して起きた殺人などが後を断たないだけに、社会の怒りを呼び起こす。
だがこれまでダウリー関係の問題は、夫ならびにその家族が加害者で、妻とその実家が被害者という図式で捉えていたが、必ずしもそういうわけでもないらしい。
インディア・トゥデイの9月2日号で、シムラーで開かれたSave Indian Family Foundationの集会について取り上げられていた。これは妻によるハラスメントに悩む夫たちから成る団体で、『4万人の被害者』の声を代弁しているとのことだ。 同様の活動をしているProtect Indian Family Foundationという団体もある。
ダウリーを巡る嫌がらせや暴力などの被害に遭った女性たちの訴えの大半が正しいものであっても、中には夫とその実家の人たちを陥れるために仕組まれた嘘で固められた罠も少なからず含まれているのだという。
インド刑法には、女性を家庭内暴力等から守るための定めあるが、かなり性的にバイアスがかかっているというのが、こうした団体の主張だ。
とりわけ、条項498 Aが問題であるのことである。
…………………………………………………….
498A. Husband or relative of husband of a woman subjecting her to cruelty. Whoever, being the husband or the relative of the husband of a woman, subjects such woman to cruelty shall be punished with imprisonment for a term which may
extend to three years and shall also be liable to fine.
Explanation- For the purpose of this section, “cruelty” means-
(a) any wilful conduct which is of such a nature as is likely to drive the woman to commit suicide or to cause grave injury or danger to life, limb or health (whether mental or physical) of the woman; or
(b) harassment of the woman where such harassment is with a view to coercing her or any person related to her to meet any unlawful demand for any property or valuable security or is on account of failure by her or any person related to her to meet such demand.]
…………………………………………………….
あくまでも夫が加害者で妻が被害者という前提の法律であることから、性差別的であるという主張だ。
この法律を意図的に悪用する女性は少なくないとのことだ。つまり条項498 Aに違反しているとの虚偽の訴えにより警察に検挙させるというのである。それによって夫はもちろんのこと、夫の実家の父母兄弟姉妹までもが警察に逮捕されて留置される。
嫁入りした女性の人権は法律による保護が講じられているのに、不運にして謀略を巡らす女性を迎え入れてしまった夫側の家を守る手立てがない、ということに対する問題提起だ。
検挙された多くのケースの場合、まともな捜査もなされないままに立件、起訴されるとともに、裁きの場でも夫側が一方的に悪であるという暗黙の了解があることから、著しく不利な立場に置かれるという。これにより失職したり、自殺に追い込まれたり例も少なくなく、こうした行ないは『司法的テロリズム』であるとしている。
ダウリーにまつわる問題については、広く世間で言われているようなステレオタイプな事例以外にも、まったくその逆を行くような出来事も起きているようである。だがこうした訴えに対して反発するフェミニスト活動家も少ないないかもしれないのだが。
結婚はゴールではなく出発点に過ぎない。結婚すること自体よりも、長い結婚生活を継続していくことのほうがはるかに大変なことだ。最も密なつながりを持つ家庭という中にあっても、それはひとつ小さな社会のようなものでもある。
元々他人同士であった男女が一緒に暮らしていく中、いろいろなことが起きるものだ。そこに両者の実家の利害等も絡めば、そう易々と解決できるものではなくなってしまう場合もある。家庭という社会の中の最も小さな単位の『政治問題』とも表現できるかもしれない。 -
ポーカラーの日本語教室

半日歩き回って、レイクサイドに戻るとかなり暑くなっていた。この時期、ポーカラーの午前中早い時間帯は涼しくて快適なのだが、昼前くらいからずいぶん気温が上がってきて、午後になると汗だくになる。WiFi付きのレストランでしばし休憩する。
ここの上階は、H学院という日本語教室になっている。レストランの従業員の中の1人もここで学んでいるとのこと。彼が言うには、教え方が非常に上手くて理解しやすいとのこと。しばらくすると、その教室で学んでいるという人たちがポツリ、ポツリと集まってきた。午後4時半からレッスンが始まるそうだ。こうした彼らからヒンディーで話を聞けるのだから、隣の大国インドの言葉は重宝する。
ネパールでは広くヒンディーが通じる。これを母語とする人は総人口のわずか1%程度でしかないというし、この言葉による出版活動はほとんど無に等しいようだが。もともとネパール語がヒンディー語圏の外縁部にあり、文法や語彙の点で近似する部分が多いこと、インドに出稼ぎに行く人がとても多いことに加えて、テレビ番組や映画などを通じ、ヒンディー語に触れる機会が非常に豊富だ。ゆえに人によって置かれた環境により差はあれども、自然と素養が身につくものらしい。
広く通じるからといって、またエンターテインメント等で馴染んでいるからといって、諸手を挙げてこの言語に親しみを感じているかどうかはわからない。最近、このヒンディー語に関して大きな問題が生じている。昨年ネパールの初代副大統領となったパルマーナンド・ジャー氏が就任式の宣誓をヒンディーで行なったことは違憲であるという議論について、司法判断を仰ぐ事件にまで発展しているのだ。
SC orders VP oath in 7 days (Himalayan Times)
パルマーナンド・ジャー氏は、テライ地方のマデースィーと呼ばれる民族の出身。インド側では主にビハール州北部に、ヒンディーの方言であるマイティリーを話す同族が住んでいるわけだが、これまでネパールで政治的に不利な待遇を受けていた彼らの地位向上を目指すマデースィー人権フォーラムのリーダーである。
事の本質はもちろん、ヒンディー語に対する感情論などではなく、ネパールの国政をあずかる副大統領という地位に就く者が、憲法によれば当然ネパール語により宣誓を行なうべきであると解釈されるところを、他の言語で行なうことがふさわしいものであるかどうかということであるのだが。
話はH学院に戻る。しばらく生徒たちと話をしていると、ここで教えているという男性が姿を現した。ここの経営者であり、教員でもあるL氏は、10年ほど前に始めて日本語に触れ、その後は研修生として日本で暮らした経験があるのだということで、しばし日本語で話をうかがう。
彼は毎日午前6時、正午、午後4時からと、それぞれ2時間ずつ教えている。『もしよかったら授業を見ていってください』とのことなので、生徒たちと階段を上り、教室にお邪魔する。
生徒たちは、ほぼ全員が商売で日本語を使おうとしている人たちで、年齢は20代前半から40代までと幅広い。授業開始後が始まったが、しばしば生徒たちの携帯電話が鳴り、教室の外に出て話などしている。
教えている内容は特にどうということはなく、先生が教える文法には怪しげなところが少なくないし、語彙の面でも不足している部分が多い。また漢字にいたっては、ごく基本的な文字以外は知らないようだ。正式な日本語教育を受けたことがないらしく、こればかりは仕方ない。
それでも、ゆったりと自信に満ちた余裕ある態度で、また先生らしい威厳を保って教壇に立つ姿は、ここで学ぶ人たちに信頼感を与えるのだろう。持てる日本語知識は決して高いとは言えないものの、持てる力をフルに活用して創意工夫を加え、日本語とネパール語を交えて、豊富な実例を挙げながら生徒たちに教えている。教授能力はかなり高い人物であるようだ。
基本的に板書はしないし、それに重きを置いていないので授業にスピード感があるが、生徒たちは積極的に反応しており、見ていて気持ちがいい。生徒たちは、先生の問いに対して競うように答え、新たな言い回しが出てくると級友同志ですぐに実践してみたりと、早く日本語を身につけたいという旺盛な意欲が感じられる。
一応、教科書らしきものはある。しかし会話が中心で、あまり読み書きは重んじていない。教える側の日本語能力の関係もあるのだが、生徒たちの目的である『商売人として日本人とある程度の会話ができるようになる』というニーズに適うものとなっている。
教室に集まる生徒たちは、基本的に仕事を持っている人たちであるため、授業開始からだいぶ経ってから教室にノッソリと入ってくる人たちもあるが、それでも着席してから熱心に学ぶ姿勢は同じだ。
授業がある程度進んでから、L先生に『日本の文化について話してください』と言われた。突然のことで、何を話そうかと思ったが『日本の時間感覚』について話すことにした。
日本では時間に対して厳格であること。通勤電車がトラブルで10分遅れただけで新聞記事になるほどである。仕事のスケジュール等も同様で、個人的にはもうちょっと応用でもいいのではないかと思うのだが、まあそういう風土なので仕方ない。日本に住んでいる南アジア系の人々が、日本人も交えて何かを行なう場合、『時間はJSTで!』という言い方をすることがある。これはJapanese Standard Timeの略だが、ネパールよりも3時間15分進んでいるということではなく『日本式の時間感覚で』という意味である・・・などといったことを話してみた。
この後、先生は私が話した『日本の時間感覚』をテーマにして授業を進めていく。その中で、『日本では出勤に10分遅れるとその日の給料はパーになる』と話しており、彼が研修生として働いていた場所では、そうした慣習がまかり通っていたことがうかがわれ、気の毒になった。
そうした話の中で、ある生徒は『ネパールの時間の感覚は、私たちの大切な文化でーす』と答えて皆の笑いを誘っている。眺めている私には、この気取らなさが楽しい。
言葉を習うには人それぞれの動機や目的がある。学術目的で学ぶ者があれば、仕事や生活その他必要に迫られて習う者もある。今回訪れたのは後者だが『新たな言葉を身に付けたい』という意欲に満ちた教える側の熱意と教わる側の意欲がぶつかり合う現場に身を置くのは久々で、なかなか新鮮な体験であった。 -
ニッポンは選挙真っ盛り
インドとはまったく関係のない話で恐縮である。今月末に投票日を控えたニッポンの総選挙をめぐり、政権交代を睨んだ様々なニュースが過熱気味だが、最近各政党から最近リリースされた宣伝ビデオがなかなか興味深い。
そうした作品の中でも特に面白かったのが自民党によるこのビデオである。自民党を追い落とそうかという勢いに見えるものの、根拠のない口約束ばかりが耳に付く民主党への強烈な当て擦りで、思わず噴出してしまった。
是が非でも与党の座を得たいがためにシャカリキになるのはわかるが、政権を担うようになってからのヴィジョンが感じられないと揶揄する次のビデオも『うむ、そのとおり』とうなづいてしまう。リーダーたちの『ブレ』を皮肉るこの作品もなかなか良かった。
どの作品も良く出来ているのだが、当の自民党にしてみても他党に対してこうしたネガティヴ・キャンペーンを繰り広げることができるほど立派な行ないをしてきたのか?と多くの人々が感じることだろう。それならば今後のことは政権交代してもらってから考えようかと。
ところで民主党からはこんなアニメがリリースされているが、あまりインパクトは感じられない。私は自民党支持者ではないが、少なくともこの部分では民主党を打ち負かしているようである。宗教団体を母体とする政党としては、公明党からこうしたものが出ている。
アニメではないが、圧巻なのは幸福実現党の『北朝鮮の核ミサイル着弾』かもしれない。なかなかリアルで怖いドラマだが、果たして国家予算が日本の滋賀県ほどでしかない国が核を持ったからといって、それほどまでに大きな脅威であるかどうかははなはだ疑問だ。
共産党は相変わらず生真面目だが、そういう地味さがゆえに、庶民にとって厳しい時代にありながらも、いまひとつ人気の伸びに欠けるのだろうか。
自民党が政権を死守するのか、それとも前評判どおりに民主党が大きく票を伸ばして政権交代を実現するのか。国民による審判が下されるのは今度の日曜日である。
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街角
カトマンズのタメルの夕暮れどき、『そろそろ食事にしようか?』と歩いていると、このあたりに多いスーパーの店先で、10歳前後くらいの男の子たちが仲間たちと額を寄せ合っている。彼らが手にしているのは、空になった牛乳のビニールパックであり、嫌な予感がした。
よくよく見ると金属チューブから何か絞り出してそこに入れて、ふくらませた袋から息を吸い込んでいる。おそらく有機溶剤の含まれた接着剤に違いない。
その日の昼間も他の街角で、堂々と同じようなことをしている子供たちの姿があった。歩道の向こうから歩いてきた二人連れの幼い子供たちが、同じようなビニール袋を手にして交互に吸い込んでいる。ちょっと歩いていて気がつくだけでもこんな具合なので、私の知らないところではもっといろいろなことが起きているのだろう。
ネパールで、子供たちをめぐる問題は他にもいろいろあるし、ここ以外の国々でも同様だ。子供たちが置かれた家庭、環境、教育、社会等々、さまざまな形でいろいろな事例があり、そうした事柄を告発するメディアがあれば、積極的に働きかけようという団体もある。
しかしながら、そうして解決の糸口を探している間にも、いろいろな問題行動を重ねて身体を壊したり、より深刻なものに手を出していったりする子供たちは大勢いる。そうした子供たちをいいように利用する大人もあれば、子供たち自身が犯罪に手を染めることもある。
こうした子供たちもやがては大人になり、何らかの形で社会の一部を構成するようになっていく。自分で将来を切り拓き、自らの居場所を見つけなくてはならない。
この子たちに将来はあるのか?と思うと暗澹たる気持ちになるし、そういうことをしながら育った子たちが、どういう大人になるのかと想像すると、これまた空恐ろしい気がする。
都市化が進み、特に商業地で、そこで商売等で出入りしたり働いたりする人たちと地域社会との縁が薄くなり、周囲の人たちが『赤の他人化』していくと、そうした子供たちを注意したりする大人も少なくなる。
子供たちもまた、他のエリアから監視の目の甘いところに行って大胆な行動をすることもあるだろう。そうした子供たちの影には良からぬ大人たちの姿もチラついているかもしれない。
子供たちを律することができなくなってくると、相手が大人ともなると言わずもがな・・・である。どこの国でもいえることだが、地域を大切にするため、私たちがしなければならないことは、周りの人々の様子に目配り・気配りをすること、地域の様子に関心を持って積極的にかかわっていくことなのだろう。
それは都市化によって生じる、地域の人々の『他人化』と相反することであり、生易しいことではないが、決して放置しておいて済むものではないと思う。もちろんこれはどこぞの国や街に限ったことではなく、およそどこに暮らしていても私たちが気に留めていなくてはいけないことだと思う。 -
i-pill
近ごろインドのテレビでこんなCMをよく見かける。
…………………………………………………………..
携帯電話が鳴る。
寝ていた女性が起き上がって出る。
時刻は午前2時前。
「何?どうしたの?」
相手の話に耳を傾けていた女性が驚いた声を上げる。
「えぇっ!何も用意せずに!?」
「いつ?』
「どうしてそんなことに?」
「妊娠したら堕胎することになるのよ、わかってる!?」
「まだ今なら間に合うと思う」
緊急避妊ピル、72時間以内に服用。望まない妊娠を防ぐために・・・・。
…………………………………………………………..
これはi-pillの宣伝。他社製の類似商品にUnwanted-72というものもある。どちらも強力なホルモン剤からなる薬で、性行為の直後、なるべく早いうちに使用することで妊娠を防ぐ。両製品とも『72時間以内に使用』するものであるとうたっている。この類の薬は、欧米や日本その他各国でも広く流通している。
だが、ちょっとあからさまなこのCM。性に対して開放的になってきていることが背景にあるのだろうか。避妊に関する選択肢が増えること、とりわけ急を要する場合の最後の手段として、こうした手段を選択できるということは大切だ。こうした商品が広く流通すること、そうした方法があることを世間が周知することも意味のあることではある。
しかし同時に避妊という大切な問題について、間違った捉え方をする人も出てくるのではないかということも気にかかる。それに子供たちも普通にテレビを見ている時間帯にも、こうしたCMがバンバン流れているのもいかがなものか?と感じるのは私だけではないはず。いろいろと考えさせられるものがある。 -
火葬場の煙が途絶える日

ヒンドゥー教徒、仏教徒双方にとって、聖なる流れであるとされるバーグマティー川はネパールのカトマンズ盆地のテライ地方を通ってインドのビハール州に流れ込みコーシー河と合流した後にガンジス河へと流れ込む。
外国人からやってきた観光客たちにとってもカトマンズの主要な見物スポットのひとつとなっている、カトマンズ郊外のパシュパティナート寺院は、ネパールのヒンドゥー寺院で最も重要なもののひとつであるとされ、インドを含めた多くのヒンドゥー教徒たちが参拝に訪れる。境内周辺には、いつも遊行者たちの姿があり、インドからはるばるやってきた者も少なくないようだ。
バーグマティー川は、その境内を貫く形で流れており、ここのガートではいつも火葬の煙が立ち上っており、川岸を散策していると次から次へと遺体が運びこまれてくるのを目にする。この寺院が非常に格の高いものであるがゆえに、そこで人生最後の儀式を執り行うことは大きな意味があるのだろう。
だがそう遠くない将来、こうした風景は過去のものとなるようである。薪や遺体の灰をそのまま川に流すことによる水質汚染、また薪の使用そのものが更なる森林減少につながるなどといった判断から、パシュパティナート寺院は近く火葬を取りやめて、すでにインドでは一般的になっている電力を用いた火葬場を建設することを決定したのだという。
Smoke on the water (e-Kantipur.com)
Cremations go electric in Nepal (BBC South Asia)
上記のBBCの記事中にあるとおり、30年ほど前にも火葬のやりかたを薪から電気に変えようという検討がなされたものの、当時は保守的層の反対により頓挫したそうだ。しかし今は環境意識の高まりを含めた人々の考え方が変わってきたことから、こうした転換が受け入れられるようになったのだろう。
こうした格式高い寺が模範を示したことにより、この流れは全国に広がっていくのではないだろうか。もちろんインフラの整備状態からくる制約があるため実施可能な地域は限られるであろうし、都市部においても電力の供給についていろいろ問題があるネパールだけに、思わぬトラブルに見舞われることもしばしばあるのかもしれない。それでも川岸のガートから立ち昇る煙の風景は、やがて人々の忘却の彼方に置き去られることになるようだ。 -
現代を生きるムガルの『王女』
コールカーターのスラムに暮らすマードゥーという33歳の文盲の女性が、政府系企業のCoal India Ltd.で小間使いの仕事を得たことにより、極貧生活から救われるという記事がメディアに取り上げられていた。
なぜそんなことがトピックになるのかといえば、ムガル朝につながる『世が世なら・・・』彼女の家系がその理由だ。この女性は1857年の大反乱に加担したかどでビルマのラングーン(現ビルマのヤンゴン)に流刑に処せられたムガル朝最後の皇帝バハードゥル・シャー・ザファルから数えて五代目の直系に当たるという。これまで彼女は母親のスルターナーとともにとコールカーター市内でチャーイの屋台を営んでいたのだそうだ。
これまでもメディアで幾度かムガル皇帝の末裔たちを取り上げたニュースを幾度か目にした記憶がある。政府の下級職であったり、下町の小さな部屋を家族とともに間借りしていたりと、すっかり庶民の大海の中のひと滴となっており、昔日の栄華をしのばせるものは何もなくなっている。
この『救出劇』は、デリー在住のジャーナリストの働きかけによって実現したものであるが、150年以上も前の大反乱の旗印に担ぎ出された老皇帝の子孫の『名誉回復』の背後には、政治的な背景や意図もあるのかもしれない。なんでも西ベンガル州の石炭担当の大臣から直々に辞令が手渡されるのだというから、まあ大したものだ。
その女性、マードゥーの就職先は、1773年にベンガル初代総督ワレン・ヘイスティングスの命により、現在の西ベンガル州のラーニーガンジに開かれた炭鉱に端を発する歴史的な企業体であり、ムガルを滅ぼしたイギリスとの因縁めいたものを感じなくもない。
しかしながら直系の末裔といえども、ムガルの末代皇帝から数えて五代目という血のつながり以外には、先祖から輝かしい文化や伝統を受け継いできたわけでもなく、ただ『ムガルである』がゆえに救いの手が差し伸べられるというパフォーマンスに対して大いに違和感を抱かずにはいられない。
それまで誰も知らなかったまったく無名の人物が、こうして多くのメディアに取り上げられるのは、やはりムガルであるがゆえの潜在的な話題性のためである。
余談になるが、時代の流れの中で世襲の地位や権力を失っていった支配者層でも、後に政治家に転進したり、実業界等に活路を見出したりした名門は珍しくないものの、対抗する勢力により一気呵成で滅ぼされた王朝の子孫は、たとえ命ながらえても世間の大海原の中に姿を消していくのが常だ。
日本での知人の中に、清朝の皇帝の末裔がいる。十数年前に日本に渡ってきたときから知っているが、中国ではごく普通のつつましい市民であったようだ。言うに及ばず文革期に彼の一族は、庶民よりはるか下の非常に厳しい環境に置かれていたと聞いている。
ムガル朝が滅亡しようとも、清朝の歴史に終止符が打たれようとも、それぞれの子孫が生きている限り、たとえそれを記録していようがいまいが、家族史は連綿と続いていく。また偉大な王朝の末裔であるという『事実』は、その家系に連なる人々を除き、他の誰にも手に入れることができないものであることは間違いない。
Mughal emperor’s descendent gets a job (The Times of India) -
スィク教徒 インドへの回帰
政治的混乱が続くネパールにおいて、バンドやストは日常茶飯事となっているが、望まない休業を強いられて収入が落ち込むビジネス経営者はもちろんのこと、日銭で稼ぎ家計が自転車操業の人々もとても困っていることだろう。
そうした中、ネパールでの商売に見切りをつけて引き揚げてしまう投資家も少なくないようで、先日ネパールのメディアにこんな記事があった。
Chronic banda displaces Sikh community (eKantipur.com)
ビジネスチャンスを求めて、今から遡ること43年前くらいからビールガンジに定着して運輸業に従事し、当地のみならずネパール全国でこれを操業してきたスィク教徒たちが、昨今のネパールの政治状況を嫌ってインドへ回帰する流れになっているということだ。
古来、テライ地域、インド国境に面したネパールの平原部には深いジャングルが広がり、人口密度は希薄であったとされる。しかし開墾が進むにつれてこの地域は農業に適した肥沃な大地であることに加えて、人口圧力の高い国境の反対側、つまりインドのビハールやU.P.の人々の移住・定着などもあった。
今ではネパールの総人口のおよそ半分を抱えるようになっているテライ地域において、インドに起源を持ち、人種的、言語的、文化的に国境の向こうにより強い絆を持つマデースィーと呼ばれる人々が占める割合は高い。彼らは長年不利な立場に置かれていたが、近年は活発な政治活動を通じて政治的な立場を強めているのは各メディアで伝えられているとおり。
初代副大統領パルマーナンド・ジャー氏はマデースィー出身で、就任の宣誓をヒンディー語で行ない大きな非難を浴びることとなったが、彼の母体政党であるマデースィー人権フォーラムは、ヒンディー語をネパールの公用語に加えるべきであると主張している。
ネパールという国自体が、インドとの間のある意味特別な関係から人々の行き来は頻繁で、国境の反対側に雇用機会を求めたり、起業したりという人々は非常に多いが、隣国インドと接するテライ地域での人々の行き来は頻繁なようで、仕事関係はもちろんのこと、国境を越えた通婚や親族訪問なども少なくない。
この地域に、私たち外国人が越えることのできる地点もいくつかあるが、インドとの間に時差 (ネパールのほうが15分早い)があること除き、埃っぽい田舎町や農村風景に国境の手前とこちら側での視覚的な違いはほとんど感じないだろう。
先述の記事中には、『6年前までビールガンジにはスィク教徒の452家族が暮らしていたが、今ではわずか29家族になってしまっている』とある。明らかに隣国インドからやってきた外来の人々であることが不利に作用していることもあるかもしれない。
だが昨今続いてきた混乱により、国の基幹産業である観光業の不振、加えて世界的な景気後退による追い討ちなどもあり、地元のビジネスマンたちにとっても明るい先行きが見えないことには変わりがないだろう。
輸送業界からのスィク教徒の引き揚げは決して無視できるものではないようで、これがその他各産業界に与えるインパクトを憂う形で記事は結ばれている。 -
RICKSHAW CHALLENGE

言うまでもなく、オートリクシャーはインドを代表する乗り物のひとつである。だいぶ前に『オートでGO !』というタイトルで取り上げたことがあるが、この自動三輪によるレースがインドを代表するレース?と言えるかどうかはともかく、業務用車両が爆走するということに、興味を抱く人は少なくないだろう。
このレースは、なかなか広がりを見せているようで、インド国内でいくつかの大会が開催されるようになっている。
RICKSHAW CHALLENGEのサイトにその概要が記されている。直近のレースは、MUMBAI XPRESS 2009だ。7月31日から8月13日までの14日間で、チェンナイ出発後、ヴェロール、バンガロール、マンガロール等を経て、パンジム、アリーバグ等を駆け抜けてムンバイーにゴールインする。
その次がTECH RAID 2009というレースで、こちらは10月16日から同22日までの7日間で、チェンナイからバンガロール、アナンタプルなどを経て、ハイデラーバードに至る。
年内最後のスタートは、CLASSIC RUN 2010という大会。こちらもチェンナイを発ってから、マドゥライ、ラーメーシュワラム等を通過して、カニャークマーリーでゴール。12月29日から1月8日まで11日間の行程だ。
それに続いてMALABAR RAMPAGE 2010は、4月2日から同20日までの19日間という長丁場。スタートもゴールもチェンナイだが、タミルナードゥとケーララの両州をぐるりと一周する形になる。
他にもカスタムメイドのYOUR ADVENTUREという企画も可能だそうだ。
インディア・トゥデイ6月17日号でもこれらのレースのことが取り上げられていたが、かなり外国人の出場もあるようだ。同誌記事中には、『参加者の中には、70歳のカナダ人男性以外にも、英国のAV男優、元ミス・ハンガリー、元俳優の日本人男性も含まれている』と書かれている。
RICKSHAW CHALLENGEのウェブサイトには、エントリーに関する情報も載せられている。腕に自信があれば出場して上位入賞を目指してみてはいかが?
参加するには相応の費用がかかるとはいえ、その部分をクリアできるチームであれば広く参加の道が開かれており、敷居の低い国際レースである。
