初の総選挙を経て、民主化の道を歩み始めたブータンだが、国会へのノートパソコン持込禁止の措置が、ちょっとした議論を呼んでいるらしい。禁止の理由は議事進行中パソコンゲームに興じているセンセイたちがいるからなのだとか。もちろん審議等に必要な書類を山ほど持参する非効率なやりかたでいいのか、無駄な紙の使用を避けようではないかという批判も多いようだ。
どこかの国でも、大切な議事が進んでいく中で居眠りしている議員サンたちの姿が見られたり、立場を踏まえない不規則発言が物議を醸したりする例も珍しくはないことを忘れてはいけない。しかしながら、ブータン国会でそういう事例があること、またそういう事情が公になることなどから、確実に民主化の路線を進んでいることは感じ取れるのではないだろうか。
民主化、というプロセスの中で、内政事情はずいぶん異なるとはいえ、南アジアの『民主主義の先輩』諸国の政治状況に比較して、ブータンにおける民主政治が今後どういう展開・発展を見せていき、これが社会のありかたや人々の暮らしにどう反映されていくのかとても興味深いところだ。できることならば、どこか焦点を決めて定点観測していきたいような気がする。
Bhutan MPs in computer game ban (BBC NEWS South Asia)
カテゴリー: society
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頑張れ ブータン議会政治
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双子の母は70歳
インドのU.P.州ムザッファルナガル在住の70歳女性、オームカーリー・パンワールさんが双子を出産したとのニュースがインド内外のメディアで話題になっている。2005年にルーマニアで66歳での出産、2006年にはスペインにて67歳で出産した例があるが、これらを上回り70代という大台に乗せての堂々世界新記録ということになる。しかしこの年齢については、やや疑問符が付いているようだ。彼女の出生についての記録がなく、自身が『インド独立時に9歳であった』ということが、70歳という年齢の根拠であるからだ。
予定日よりもひと月早く、男の子と女の子を帝王切開にて出産。容態が悪化して病院に担ぎ込まれたときは出血がひどく意識も朦朧として危険な状態にあったらしいが、母子ともにその後の経過はまずまずとのことで何よりだ。
体外受精医療の進歩と普及を受けて、近ごろのインドでは代理母出産に加えて高齢での出産も増えているとのことで、メディアでしばしばそうした例も取り上げられているのを目にする。どうしても子供が欲しいという気持ちについては一定の理解を示していても、往々にしてそうした傾向に好意的というわけではなく、母体への危険とともに倫理的にどうなのか、親として責任を果たせるのかどうかといった疑問符が付く。これには私も大いに同意するところだ。
オームカーリーさんの77歳の夫は、土地をカタに借金し、家畜を売り払って資金を工面したと記事中にある。とうの昔に成人した二人の娘と五人の孫がいるということで、曾孫であってもおかしくないような子供を出産したことになる。わざわざ体外受精で妊娠したのには、どうしても男の子が欲しかったためとのことだが、ぜひとも男の子をという伝統的価値観あるいは相続の問題など具体的かつ実質的な問題によるものなのか、具体的な背景には触れられていない。
しかし相当な高齢での出産が、リスクが大きいとはいえ技術的に可能になっている今、70歳での出産という事例よりも重要なのが、『それでも産もう』と夫婦を決心させる動機にあたる部分ではないかと思う。
医療技術の進歩に感嘆し、母は強しと畏れ入るとともに、他人事ながらもその年齢での子育て(たぶん親族内でなんとかなるんだろうが)や夫婦に残された時間と子供の成長を思い合わせると、なんだか複雑な気持ちにもなる。
念願かなっておめでたいことであるのには違いないとはいえ、いろいろと考えさせられることの多い世界最高齢出産である。もちろん他人がとやかく口出しすることではないことは言うまでもないのだが。
ともあれ、無事生まれて何よりだ。今後、双子の赤ちゃんたちとオームカーリーさん夫婦の幸せを祈ろう。
70-year-old grandma gives birth to twins? (DailyIndia.com)
Gran, 70, gives birth to twins (The Sun)
70-year-old woman becomes world’s oldest mother with birth of twins (Daily News)
70歳ママが双子産む、インドで世界記録 (日刊スポーツ) -
愛が凶器に変わるとき
近年のインドのニュースで、恋愛のもつれに起因する凄惨な事件をよく目にするなあ、とは思っていたが、インディア・トゥデイ6月25日号によれば、国内で発生する殺人の三大動機のひとつだそうだ。特にパンジャーブ、デリー、グジャラート、マハーラーシュトラ、アーンドラ・プラデーシュにおいては、殺人事件における最も大きな割合を占める原因が男女関係であるとも記されている。
同誌英語版では、6月23日号にこの内容の記事『Crimes of Passion』が掲載されている。近年の男女間のトラブル、恋人同士、夫婦間、不倫等を発端とする事例の数々を提示したうえで、その背景にある社会的な要因を探る努力がなされている。詳しくはP.38からP.45までの記事内容を参照いただきたいと思う。大局的に価値観やライフスタイルのありかたなどで、旧来の価値観と新しい世代のそれとの間の齟齬が大きく、それらが衝突を起こしているがため、というステレオタイプなまとめかたがなされるのではないかと思ったが、そうではなかった。
社会的にも経済的にも独立して着実に地位向上を目指す女性たちが増えている昨今、強くなり進歩的になった女性とそれについていけず男性主導型の考えに固執する男性たちとの間の摩擦が主要な要因であるとし、今を性革命の時代とすれば一歩も二歩も先んじているのは女性であり、男性たちは後塵を拝していると指摘する部分が新鮮だった。
政治であれ、コミュニティーであれ、従来力関係に変化が生じたときには新たな秩序を組み上げるにあたり、自らをより有利なポジションに置くために、積極的なパワーゲームが展開されるものだ。中世の王家などで、後継者を定めずに支配者が没した際の世継ぎをめぐる熾烈な争いなどもその典型だろう。
だがたとえ男女のありかたが変わっていっても、人の数だけ出会いはあり、恋愛はひとつひとつ中身が違う。しょせん生まれも育ちも違う他人同士が好き合うのだから、楽しいこともあれば、互いに理解しがたく堪忍袋の緒が切れることもあるだろう。いつの時代にあっても、男女の仲は睦まじくも難しいもの。
しかしながら人間として越えてはならない一線を踏み外してしまった人たちの事例とその背景にあるものの分析は、今の世相を考えるうえで示唆に富むものであった。 -
お寺が遠くなる
本日6月2日の朝日新聞朝刊第3面に『寺離れ 地方も都会も』という記事が出ていた。地方は過疎や高齢化のため、都会では地域の共同体の希薄化で、お寺離れが進んでいるのだそうだ。また総体として核家族化の関係もあり、各世帯が経済的負担を敬遠することもひとつの要因だという。
日本の『お寺』には、三つのタイプがあるのだそうな。まずはお布施の収入中心の檀家寺、そして拝観料で稼ぐ観光寺、交通安全などの祈祷料が大半の祈祷寺だという。日本にある8万6千ほどの寺の9割以上が檀家寺であると書かれている。そうしたお寺が、檀家獲得のためにいろいろな対策を打ち出していることも触れられていた。法要の際の送迎サービスを提供したり、地方の寺が都会のマンションの一室を借りて『分院』を設置したりといった具合に。 -
一人の妻と複数の夫
インディア・トゥデイの5月28日号でちょっと興味深い記事があった。ヒマーチャル・プラデーシュのキンナウル地区での一妻多夫制度のことである。この地域に暮らすヒンドゥーのあるコミュニティの人々は、兄弟で一人の嫁を娶ることが伝統だったらしい。昔から嫁には相続する権利もなく、兄弟である複数の夫が配偶者を共有するということで、女性が複数の男性をかしずかせて支配するという構図ではない。
もちろん今の時代、法的にはこういう結婚の形態は認められていないのだが、なにぶん保守的な土地で片田舎ということもあり、今でもこうした形で兄弟が一人の女性を娶るという習慣が続いている。記事中で取り上げていた実例は一人の妻に二人の夫というパターンだが、中には4人も5人もの夫を持つ妻もあるのだという。いずれも複数の夫は兄弟同士であるようだ。
この記事でこの習慣を『奇習』として取り上げているのではもちろんなく、むしろ耕地に限りがある山岳地での生活の知恵といった具合に、好意的に書いてあるようだった。いくつかの一妻多夫家庭の実例を取り上げたうえで、この習慣がむやみな人口増加や土地が細分化を防いで人々の生活水準を一定に保つ役割を果たしてきたかをわかりやすく説いている。また複数の男性が一人の女性と愛を営みそして世帯を持って子供たちを育むという、仮にそれが代々続いてきた習慣であるにしても、精神的にも物理的にもけっして易しいとはいえない状況下で、家族が円満に生活していくうえでの互いの気遣いなどにも言及されていた。
ただしさすがに今の時代には、誰もがこうした慣わしで結婚していくわけではなく、『近ごろ一妻多夫結婚は2割にも満たない』ともある。辺鄙なところに暮らしていても、やはり外界からの影響は及ぶとともに、ここから都会へと出て行く人も多い。これまで自らが暮らす地域でほぼ完結していた社会がもっと広がりを持つようになってきたことから、土地伝来の結婚のありかたや家族のありかたが大きく揺らいできている。
インディア・トゥデイの英語版では、この巻は5月26日号ということになり、件の記事は58ページから61ページにかけて掲載されているので、ぜひご覧いただきたい。
関係ないが、この号の表紙には先日ジャイプルで起きた爆弾テロ事件で、サイクルリクシャーに乗ったまま犠牲になった若い男性の写真が大きく使用されている。亡くなった本人やその遺族のことを思うと、こういう画像がマスメディアに堂々と使用されることについて、なんだかやりきれない思いがする。
だがテロの悲惨さについて、文字だけで伝えようとしても言葉に尽くせないものがあるはず。だが一枚の画像には、千も万もの言葉以上に強く訴えかけてくるものがある。物事の本質を伝えるため、ときにはそういう露骨な写真が使用されるのもやむを得ないと私は考えている。むしろ刺激が強すぎるものすべてに覆いを被せて見えなくしてしまっては、何か大切なものを見失ってしまうことも往々にしてあるのではないだろうか。
しかしながらインパクトの強さのみをアテこんで、これでもかこれでもかと生々しく憐れな写真が次から次ぎへと出すようなメディアには決して感心できないことはもちろんだ。その点、この雑誌はいつも適度に抑制が効いていると思う。
こういう事件は決してあってはならないし、いかなる理由があっても正当化されるものではない。でもこんな出来事が毎年のように起きていることに、インドが置かれている困難さを感じずにはいられない。ジャイプルの事件で、不幸にして命を奪われることとなった方々のご冥福をお祈りしたい。 -
三国は世界なり
『三国一の花嫁』『三国一の幸せ者』云々といった表現があるが、平安時代後期にはすでに定着していた言い回しのようだ。もともとこの『三国』とは、日本・唐土・天竺のことで、当時の日本の人々にとって、これはまさに『世界』を意味するものであった。
自らが暮らす日本はともかくとして、様々な新しい文物や高度な思想の源泉たる先進地中国への敬意、釈尊が教えを説いた大地インドへの憧憬がある。人々がこの時代の唐土や天竺がどのくらいの広がりをもって認識されていたか、そもそもどういう地理的観念を持っていたかについて私はよく知らない。
それでも極東の地日本から西側にある大陸部が、地理的に日本に近い部分に位置する唐土とそれより西方にある天竺としてとらえられ、その周辺に存在していた様々な国々については、これらふたつの大きな『二国』に集約されるものという考え方がなされていたのではないだろうかと想像している。
ただし人物の往来が盛んであったことから、唐土の文化なり人物なりに直接触れた経験を持つ人々から伝えられた。しかし天竺についてはこの唐土という分厚いフィルターを通して眺めたものであったことから、非常に具体性を欠くものであり一次情報の極端な不足からこれを把握するには相当なイマジネーションを要するものであったことは言うまでもない。
日本からタイなりカンボジアなりのインドシナ地域の国々を訪れると、中国からの色濃い影響とともに、インド文化からの強いインパクトも感じる。伝統的な建築、衣装、舞踊といったものだけでなく、人々が使う言語の中におけるインド系語彙の豊富さ、年中行事や宗教儀礼や式典等にも見て取れるだろう。おそらく生活してみると他にもいろいろ目に付くところがあることだろう。
こうした地域でも自国に中国・インドを加えて『三国一の・・・』という言い回しがあるのかどうか知らないが、長いこと中国とインドという二大国は圧倒的な存在感を持って認識されていることは確かだ。両国は、欧米列強の蚕食下ないしは植民地支配期にしばらく影の薄い時代があったものの、前者は1980年代以降世界経済の表舞台に台頭、後者もまたそれに一足遅れて90年代半ば以降から脚光を浴びることになっている。どちらもかつての強大さを取り戻すべく驀進しているように見えないだろうか。
両国が今後さらに経済力と国際社会での発言力を増すにつれて、アジア地域において『三国』という言葉が今後よく用いられるようになるのではないかと予想している。つまりどこの国であれ自身が生活の軸足を置く母国に加えて、アジアの中で突出した存在である中国とインドを合わせて『三国』と呼ぶ時代が今にやってくるのではないかと思うのだ。
たとえば、アジア地域で自国、中国、インドで人気を博すことを『三国一のメガヒット商品』『三国の市場を席巻する大ブーム』なんていう風に言うと、それら三つの国々の周辺にある国々はすでに含まれていることは言わずもがな、アジア全域に及ぶセンセーショナルな大ヒットといった表現になるのだろう。 -
ヒマラヤの歌姫は日本人
韓国、中国、台湾といったご近所の国々でよく知られている日本人歌手は多い。タイやマレーシアあたりでも、日本のポップカルチャーに関心のある人は決して珍しくない。だが南アジアとなるとどうだろうか。日本の歌謡界や映画事情などを知る人は、相当の日本通か長年暮らしたことがある人くらいだろう。やはりそれだけ文化的な距離感があるということの裏返しであるといえる。
日本から見た南アジアの芸能の世界はどうだろうか。かなり以前から、インドをはじめとする南アジアの国々で、古典舞踊や音楽の世界に関心を抱く日本人その他の外国人は多いし、実際にその奥深い世界に飛び込んでいく人もまた少なくない。だがポップカルチャーとなると、一時日本でインド映画がブームとなって以降、多くは銀幕を通じた興味関心のみにとどまっているのではないだろうか。
だが日本人ながらも、ネパールで大衆音楽の歌手になった人がいる。スンダリミカさんという方で、ご自身のウェブサイト『プルニマ通信』と『ブログ日記』に活動の様子が綴られており、とても興味深い。
昨年末にNHK番組『地球アゴラ』で取り上げられた彼女は、ネパールのラジオ番組のパーソナリティも務めているとのこと。先述の『プルニマ通信』には、《アルバム「スンダリ」 試聴コーナー》が設けられており、その歌声を楽しむことができるようになっている。ときどき『ジャパンツアー』も行われているようなので、ぜひぜひ聴きに出かけてみたいと思う。残念ながらご本人と面識はないのだが、今後ますますのご活躍を期待したい。 -
天まで届け!FREE TIBET !!

『Free Tibet !』
『中国はチベットから出て行け!』
『Stop killing in Tibet !』
『チベットに人権を!』
シュプレヒコールとともに長い長い行列が進んでいく。GW連休最終日の5月6日、中国の胡錦濤国家主席の来日に合わせて、東京都内で午後2時半からチベット問題に関する抗議デモが実行された。
今日の朝、突然『こういうのがあるよ』と友人に声をかけられた私は、いったいどういうグループが主催するものかもよくわかなかったが、ふたつ返事で参加することにした。集合場所はJR千駄ヶ谷駅近くにある日本青年館。チベット旗やプラカードなどを手にした大集団に合流。デモ隊はほぼ定刻どおりに出発した。まずは地下鉄外苑前方向に進んでいく。内外のさまざまなメディアの腕章をしたカメラマンたちがシャッターを切りまくっている。

私は隊列の先頭近くにいた。大声を上げて進んでくる行列を目にした人々の表情がなかなか面白い。『なんだ?』ときょとんとした顔あり、『がんばって!』と声援を送ってくれる人あり、物珍しそうに携帯電話を取り出して写真を撮る者あり。私自身は大集団の中のゴマ粒にしか過ぎないのだが、それでもなんだか気持ちいい。大勢の人々に見守られながら、隊列を先導するチベット人女性の野太い声に続いて、『FREE TIBET !』『チベットに自由を!』などといった単調なメッセージを大きく連呼していると、気分が高揚してくるようだ。

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新時代を象徴する街 バンガロール
バンガロールは、インドの中で仕事がらみの日本語の需要ないしは潜在的な需要が最も高い街と思われる。JETROによるBJTビジネス日本語能力テストがこの国の三都市で行われる。ムンバイー、プネー、そしてバンガロールだ。今年6月および11月と受験機会が2回あるうち、ムンバイーは6月のみ、プネーは11月のみ。両方とも実施するのはバンガロールのみだ。
ご存知の方も多いかと思うが、今年1月から在バンガロール出張駐在官事務所が開設されている。デリーに次いでインド第2位の邦人人口(およそ300人と言われるが、長期出張者なども加えた実数はこれよりかなり多いだろう)を抱えており、IT関連をはじめとする外資系企業が多く進出しており、日本とのつながりも深い都市となっていることもあり、まさに時代の要請であろう。
外務省ウェブサイトによれば、出張駐在官事務所が全面的に業務を開始するのは今年9月からとのことだ。それまでは査証発給業務は引き続きチェンナイ領事館で行なうとあるとおり、同領事館のバンガロールにおける出先機関である。
だが将来的には領事館に昇格する流れになってくるのだろう。経済を中心とした日印関係の強化を牽引する核となるべき都市であるだけではなく、外に広く開かれた窓口としての役割の比重も高くなってくる。今後バンガロールから日本その他の国々への直通便の開設が相次ぐことになる。5月11日に開港予定のバンガロールの新空港は、従来の同市の空港よりも国際色豊かなものとなっていくことは言うまでもない。
もともと軍需関連、電子関連の産業が集積していたバンガロールだが、特に90年代以降のITブーム以降急成長を続けており、インド経済とりわけ南インドの躍進を象徴する存在となっている。隣接地域を含めず、市の行政区域内のみで見た人口は現在およそ530万人。ムンバイー、デリーに次いでなんとインドで3番目のコスモポリタンとなっている。かつて『四大都市』と呼ばれたコールカーター、チェンナイはバンガロールの後塵を拝するようになっている。(ただし都市圏人口となると、これらふたつの都市にまだ及ばない)
バンガロールの伸長は、インド国内地域間の経済力のバランスを大きく変えるとともに、おそらく政治面でも今後発言力を高めていくことになるはず。またファッションやサブカルチャーの発信基地としても注目されていくことになることも想像に難くない。勢いよく進化するインドを象徴するような街であるだけに今後とも目が離せない。。
在外公館リスト 在インド日本大使館・総領事館 (外務省) -
仕事とともに西へ東へ
近年、経済成長めざましいインドだが、同時に海外に多数の仕事人たちを送り出す出稼ぎ大国としての側面もある。単純労働者から高度な知識や技術を必要とするエキスパートまで、日々さまざまな人々が国境のこちらとむこうを行き来する。北米では、知的な専門職に就き社会をリードする立場にあるインド人、インド系の人々などが多く、東アフリカや中東などでも、大きな商いにたずさわる人々は沢山いる。
湾岸危機発生より前の時期にイラクを訪れたことがある。昨今伝えられる状況からはまったく想像もできないようないい時代であった。当時の政権の強力なリーダーシップのもとで非常に治安もよく、政治・宗教活動が厳しく制限されていたためでもあるが、過激派の活動などもなかった。イランとの間の戦争が終結して間もなかった頃である。
名だたる産油国のひとつでもあることから、他国からの働きにきた人々を多数見かけた。特にアラビア地域の非産油国からの人たちが多いようだったが、私が陸路入国した際、いかにも出稼ぎ然としたタイやフィリピンからの労働者たちの姿も少なくなかった。
滞在中、所用で訪れたバクダード市内総合病院では、多くの看護婦も医者もインド人であったことにちょっと驚いた。もちろんその後急展開した情勢により、イラク在住の外国人たちはたいへんな思いをしたわけだが。南インド、特にケララは中東以外にも欧州や北米などにも、看護婦として働く多くの人材を供給していることは広く知られている。 -
BBC の存在感
BBC Hindi.comのサイト内で、穀物、果物その他に関連する語彙をワンポイントで教えるLearning English Idiomsというプログラムがある。これまでBean, Bananaなどが出てきていたが、本日現在取り上げられているのは『Fish』だ。
いつも“Hello ! I’m a very interesting and an intelligent man….”で語り始めるややエキセントリックな表情のアナウンサーが、魚に関するイディオムをユーモアたっぷりに視聴者に教えている。ごく数分程度のプログラムだが、ネットに接続するついでに覗いてみるとなかなか楽しい。なお、BBC World Serviceのサイト上にはLearning Englishというページも設けられており、ここには豊かなコンテンツが用意されている。
それにしてもウェブ版のBBC、世界中で33ケ語によるニュースを提供しており、うちアラビア語は北アフリカと中東、ポルトガル語もアフリカと南米といった具合に別々のニュースサイトが用意されている。どの言語においても文字、画像、音声等による最新ニュースや旬なトピックが満載だ。南アジアのみ挙げてみても、ウルドゥー、ヒンディー、ベンガーリー、ネーパーリー、タミル、シンハーリー、と6ケ語で、それぞれの言葉が使用される地域の関心ごとを中心に、ニュースが構成されている。またこれらに加えて、英語によるアフリカ、南北アメリカ、アジア・パシフィック、ヨーロッパ、中東、南アジア、そしてイギリスといった各地域ごとのニュースサイトもあり、どれも豊かな情報量を誇る。
近年、イギリス政府の対イラク政策について批判的な報道から、自国政府と対立するスタンスも話題になったことからもわかるとおり、BBCの報道の中立性、コンテンツそのものの信頼性について評価が高いことは言うまでもない。中国やミャンマーをはじめ、自国の報道が政府の厳しい管理下にあり、非常に偏重したニュースしか流れないような国において、外国発の自国語によるニュースに触れる手段さえ持っていれば、『ホントはどうなっているのか』を知る大きな助けとなることだろう。質・量ともに、BBC World Serviceの圧倒的な存在感には脱帽である。 -
『民資主義』は善なのか?
インドのパスポート発行事務について、申請受付と引き渡しの部分が民営化されるのだとか。これについては数年前から旅券事務に関わる現場で働く公務員たちの組合による抗議活動などが報じられていたが、ついに民営化の大枠の部分は決まったようである。
ちょっと前のことになるが、インディア・トゥデイ3月5日号にこの関係の記事が出ていた。これにより、パスポートの発給が迅速化され、わずか3日間で可能となる見込みとのこと。だが現在までのところ、世界的にも旅券事務の民営化の例は稀で、同誌は機密保持の観点から生じる懸念に焦点を当てていた。
