
ミャンマーは、旧英領とはいえ、現在は英語による出版活動が盛んではないうえに、表現の自由に大きな制限があることもあり、最大の都市のヤンゴンであっても、本漁りはあまり期待できない。
ダウンタウン周辺で、いくつかの書店を覗いてみたが、およそ英語で書かれているものといえば、語学学習書と辞書、あるいはコンピュータ関係書籍くらいのものだろうか。
ビルマ語の書籍にしてみたところで、表紙を眺めてみて想像できる限りでは、当たり障りのない小説、学習参考書、実用書くらいしかないように思われる。
そんなわけで、特にここで本を購入するつもりはなかったのだが、各国の大使館が点在するアーロン・ロード地区の一角に、ミャンマー・ブック・センターという店があり、そこの一角にはミャンマーの歴史や社会について書かれた英文の書籍が置かれているということを聞いた。あまり期待していなかったが、ダウンタウンから遠くないこともあり、ちょっと出かけてみることにした。
タクシーで乗り付けてみたコロニアルな建物は、『書店』というよりも、ヤンゴンにおいては異例なほど大きく、かつ洒落たみやげもの屋といった風情である。そのたたずまいを目にしてガックリきたが、とりあえず建物の上階に書籍があるというので、階段を上ってみる。
3階にある書籍コーナーは、インドの鉄道の一等コンパートメントの3倍くらいのスペースしかなかったが、植民地期の出版物の復刻版が多く、なかなか興味深かった。
また独自の社会主義路線を歩み始めたころに、当時政権を担っていた社会主義計画党関係機関が机上で描いた(?)明るい将来を伝えるプロパガンダ書籍なども書棚で見かけた。
そうした中からいくつかの書籍を購入してみた。それらの中で『The Rangoon Times Christmas Number』なる題で、1912年から1925年までの英字紙ラングーン・タイムスのクリスマス版をまとめたものは、まさにそれを読んでいた人々の息吹を感じさせてくれるようであった。
この時代のラングーン、つまり現在のヤンゴンは、国そのものが英領インドに属していたことのみならず、人口の面からも『インドの街』であった。1912年においては、ビルマ族とカレン族ならびに地元の他の民族を合計した人口が10万3千であったのに対し、インド人18万8千人と、2倍近い数を占めており、マジョリテイがインド人であったのだ。ちなみに他の民族については、中国人2万3千人、イギリス人を含めた欧州人が3500人余り、アングロ・インディアンおよびアングロ・バーミーズが8300人少々、その他アルメニア人とユダヤ人が少々といった具合だ。
さて、この新聞のクリスマス版は、在住のイギリス人社会における出来事や彼らを中心とするビルマの発展と進化について、その年に起きたことを回顧するものとなっている。デルタ地帯の河下り旅行記、行政や教育に関する話題、狩猟やポロにサッカーといったスポーツ、大きな鉄道事故に洪水といった惨事、政府や軍などの式典、イギリス人富裕層の見事な屋敷の写真その他いろんな記事が掲載されている。
この時代の広告を眺めるのもなかなか面白い。この時代は銃の規制などなかったのだろうか、洋服や靴のものと並んで広告が出ている。今も世界各地で親しまれているホーリックスのアドバタイズメントは掲載されているが、当時も同じ味だったのだろうか。イギリス本国はもちろんのこと、インドを本拠地とする商社や銀行なども紙面各所に広告を出している。アサヒビールの宣伝もあり、現地の取扱代理店は、三井物産ラングーン支店と書かれている。


船会社の広告もある。人々が飛行機で移動するようになる前の客船全盛の時代だけに、なかなか興味深い航路がある。ロンドンから地中海、そしてイエメンのアデンを経てコロンボ、さらにはペナン、シンガポール、香港、上海ときて日本にいたる定期便の記述もあるが、どのくらいの時間がかかったのだろうか。
当時のカルカッタ、ボンベイ、カラーチー、マドラス、コロンボ、ラングーンといった地域の主要港から域内を結ぶ便についても書かれている。特に当時のインド西部から今のガルフ諸国の港への便がけっこうあることに加えて、今はほぼ荷物の出入りに限られる港、例えばグジャラートのマンドヴィー、ポールバンダル、あるいは漁港として知られるタミルナードゥのナーガパトナムなどといった港をはじめとする地域の代表的な海港が、当時は外の人々に対する玄関口としての役割を担っていたことを改めて思い起こさせてくれる。

それでも便数は週一便、二週に一便などといった記述が並び、今の主だった国際線・国内線の空港と違い、『主要港』といってもずいぶんのんびりとしたものだったことだろう。
他に購入した本も含めて、いろいろ興味深いことが書かれていたが、また何か機会を見つけて取り上げてみたいと思う。
カテゴリー: society
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インドの東6 コロニアルな新聞
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ラオスの刑務所で
インドとはまったく関係のない話で恐縮ではあるが、滞在先のバンコクで手にした英字紙Bangkok Postにショッキングな記事が出ていた。
『妊娠中の英国女性に銃殺刑迫る』
ラオスで麻薬密輸容疑で逮捕されたナイジェリア出身の英国籍女性が、昨年8月にラオス首都のヴィエンチャン空港からタイのバンコクへと出国しようとしていたところ、686gのヘロイン所持していたため逮捕され、近々判決が出ることになっているのだという。
現在、ラオスではヘロインを500g以上所持していると極刑に相当することになっており、近く開かれる法廷で有罪となれば、銃殺刑に処せられることになるのだそうだ。 だが彼女は妊娠中。今年9月に出産予定だという。
在ラオスの英国大使館は、彼女が拘禁されるようになって数ヶ月経つまで、それを知らなかったという。その後毎月20分だけ大使館の担当者との面会が、ラオス当局者の立会いのもとで認められているだけとのことだ。
1988年生まれのSamantha Orobator Oghagbonは現在20歳。第三者のために運ぶことを強要されたと主張しているという。
彼女は昨年7月に休暇でオランダ、タイを訪れた後にラオスに行き、ここから8月6日に空港から出国しようとしたところで逮捕されて以来、彼女は女性刑務所に収監されている。ここは囚人たちへの虐待ぶりの酷さで悪名高いところであるらしい。
本人はヘロイン所持の事実を認めているとはいえ、それが死刑に相当するものであること、また彼女が妊娠中であり、産まれてくる予定の子供には何の罪もないこと、また出産予定時期からして、その妊娠とは明らかに刑務所に収監されて以降のものであり、刑務所のスタッフによる暴行の結果であるらしいことが取り沙汰されていることなど、非常に考えさせられるものがある。
目下、在ラオスのイギリス大使館を通じた外交努力が続けられており、また今月7日にラオスとイギリスの間で、犯罪者の引渡しに関する協定が結ばれたことから、この女性が極刑を逃れてイギリスに移送され、自国で服役できる可能性も開けてきたようではあるが、近々下りる予定の判決がとても気にかかるところである。
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LOCKED UP IN A HELL-HOLE (Bangkok Post)
Diplomat meets pregnant Briton in Lao jail (Bangkok Post) -
安宿街に歴史あり
ずいぶん前のことになるが、『タイ・バンコク・カオサンロードの歩き方』というサイトがあった。エコノミーな宿の紹介か?と思って覗いてみると、バンコクのエコノミーやホテルとゲストハウスが集中する地区の成り立ちやここに宿泊する人々、働く人々の動態などが詳細に描き出されているなど、想像していたものとはかなり様相が違った。
ただの安宿街にもそれなりのきっかけと必然性があって成立していること、そうした地域にも盛衰があり、これもまた具体的な理由があることがいろいろ記されており、とても面白かった。
ただの旅行者が書いた雑記帳のようなものではなく、大学でメディア論を専攻する研究者の手によるものであり、こうしたエリアが形成されていく歴史やその背景にある事情など、社会学的な分析がなされているがゆえに大変興味をおぼえた次第である。
しかしながら、そのサイトはすでになくなっている。それを引き継ぐ形で『カオサンからアジア』へというタイトルでウェブ上に存在(最終更新日が2000年7月だが)するとはいえ、以前のものとは比較にならないため、ここで敢えて参照しない。
あのコンテンツは一体どこに行ったのか?と探してみると、書籍になっていたことがわかった。
こうしたことは、すっかり頭の中から消え去っていたのだが、バンコクのスクムヴィット界隈で適当な宿がないか?とウェブで探していると、たまたまここに行き当たり、『ああ、そういえば・・・』と思い出した次第である。別に私が宿泊する先は安宿ではないのだが。
たぶんこれは前述のサイト『カオサンロードの歩き方』から一部削除されずにウェブ上に残ったものではないかと思う。以前、このサイトを見つける前から、カオサンロードがバックパッカーたちのバンコクでの滞在先としてポピュラーになる前には、西洋人たちにはマレーシアホテル周辺がポピュラーで、チャイナタウンは日本人宿泊者が多かったということは知っていたが、スクムヴィットのエリアにも安い宿が多かったということは知らなかった。
この残骸?にも書かれているが、カオサンロード登場以前の安宿街の形成には、ベトナム戦争が影を落としていたという説明もまた興味深く読んだことを思い出す。従軍していた米兵が、休暇で気晴らしにやってくるタイで、彼らの滞在先としての需要があったというのは、さもありなんといったところだ。
その当時から営業を続けているマレーシア・ホテルは、ある意味老舗の宿といえる。周囲に安い宿が次々に開業したことから、相対的に料金が高めになり、中級ホテルとみなされた時期もあったようだが、タイの経済成長にともない、良質なホテルが増えた結果、やはり相対的に低料金の安ホテルとなっている。なんだか胡散臭いイメージが定着してしまっているが、コストパフォーマンスは高いようで、実際に利用した人からの評判はなかなか良いらしく、リピーター宿泊客も多いらしい。
ただしバンコク市内各地に、様々なロケーションにいろいろなタイプのホテルが沢山あるのに、わざわざここを選ぶ理由は特に見当たらないように思う。
今でこそ、日本発で世界各地へのフライトのチケットが安く出回っているが、そもそも格安航空券というものが一般的でなかった時代、日本からインド方面に向かおうとするバックパッカーたちは、とりあえず香港かバンコクに出て、そこからカルカッタなどへ向かうのが一般的であった。そのためタイ訪問そのものが目的でない者も、安いチケットを購入するためにバンコクに滞在していたのだろう。
その格安航空券にしてみたところで、今や航空会社が直接ネットで販売する正規割引に押されている。米国系航空会社が格安航空券を販売する旅行代理店にコミッションを廃止し、他の航空会社もこれに追従するのが流れになっていることもあり、従来の『格安航空券』というものが、そう遠くないうちになくなるであろう、とさえ言われている。
バンコクで、特に用事はないのだが、久しぶりにカオサンロードに足を向けてみようかと思う。外国人客がワンサカ宿泊しているだけに、気の利いたみやげもの類は多いのだ。価格も手ごろだし。Tシャツ等の衣類もなかなかの品揃えだ。
そういえば、カオサンロードをはじめとして、バンコク各地にスピード仕上げを売りにするスーツの仕立屋が多い。しかし店の人たちはどうして揃いも揃ってサルダールジーばかりなのだろうか?仕立服屋の世界で『パンジャービー・カルテル』でもあるかのようだ。バンコクで、テイラーとして定住して稼ぐ彼らにも、興味深い『歴史』があるのではないかと思う。スーツの価格はもちろん要交渉だが、落ち着く値段はまずまずのようなので、一着注文してみるのもいいかもしれない。 -
煽る政府と暴走するメディア
今回はインドと関係のない話題で恐縮である。先週土曜日に初めて耳にした『豚インフルエンザ』の話題だが、その後の急速な展開には大いに戸惑っている・・・というよりも、日本のメディアによる取り扱いやこれに対する社会の反応について、大いに疑問を抱いている。
4月28日までの報道によれば、メキシコでこのインフルエンザの感染によるものと疑われる死亡例が152件であることが目を引くが、その他の国における感染者は、アメリカで64人、カナダで6人、スペインで2人、ニュージーランドで3人、イスラエルで1人、コスタリカで1人の感染が確認されている(その他の国における推定感染者を除く)とのことだが、実際のところどういう病気なのかはよくわかっていないようだ。
先述の報道の時点では、メキシコにおける死亡例の多さが注目されているものの、その他の国ではまだ死亡例は報告されていない。また症状は通常のインフルエンザと同程度で、患者は順調に回復しているとのこと。
何故、同じ型のウイルスでも、メキシコとその他の国々でこうも違うのか、まだその理由はよくわかっていないようだ。現地の医療事情や地域的な要因、つまりインフルエンザが頻繁に流行する地域ではよく見られる型のウイルスによる流行であっても、普段それとあまり縁がない地域では大きな被害をもたらすことがあるという。
日本で馴染み深い(?)A香港型のインフルエンザの流行により、2002年にマダガスカルで、5,000人の患者中、死者374人という惨禍をもたらした例がある。当地でこの型のウイルスにかかった経験が少なく、免疫が低い人々に広まったこと、栄養状態や医療の普及状態などといった要因も絡み合い、重症化する例が多くなったとされる。もちろん今回のウイルスは、私たちにとっても新型であるとされるわけだが、地域的には人々の持つ耐性に差があったりすることはあるのかもしれないという説もある。
メキシコとそれ以外の国において、ウイルスが悪さをする程度が違うことだけではない。メディアの報道とそれを目にした人々の反応にも、国や地域によってかなり温度差があるようだ。日本の対応は、ご存知のとおり非常に厳格である。
もちろん死者が大量に出てからでは遅いわけで、その前に被害を限定的に封じ込めよう、またその被害が及ばないように水際で阻止しようという意図はよくわかる。だが今回のインフルエンザについて、メキシコ以外で感染した例においては、毒性がそれほど強いものではないことがほぼわかっている今、これほどヒステリックになる必要があるのか、こうした対応に伴う高い代償を払ってまでそういう姿勢を取ることに合理的な理由があるのかどうか疑問なのだ。
日本のマスメディアにも問題があるようだ。『言葉の壁』のため、大多数の人が読むのが自国の日本語メディアに限られるので、テレビのニュースや新聞記事等の論調にいとも簡単に『洗脳』されやすい。日本において、それらメディア自体の均質性が高いため、どこも同じようなことを書きたてる。そのため、情報が統制されている状態に近いともいえるかもしれない。
言葉の壁以外にも、日本語圏自体が人口1億2千万を越える大言語圏であり、しかもこれの言語圏が日本国内に限定されるといって差し支えないものであるがゆえに、日本語による報道自体がほぼ同じ傾向に集約されやすいということもあるかと思う。 -
ジェイド・グーディー亡くなる
先日から危篤状態にあった、イギリスのリアリティーショーのスター、ジェイド・グーディーが亡くなった。享年27歳。ご冥福をお祈りしたい。
Reality TV star Jade Goody dies (BBC NEWS)
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彼女の命を奪った病、子宮頸ガンは、よく知られているとおり、ヒト・パピローマ・ウイルス(HPV)への感染が大きな原因であるとされる。
他のガンに比べて、若年層の患者が多いことも特徴だが、日本ではこの病についての検診の受診率が低いことも問題とされている。
現在では、HPVへの感染に対する予防ワクチンという、有効な手立てがあるが、少なくとも日本ではまだそれは普及していない。しかし今年中には承認される見込みらしい。
性交渉未経験の10代前半の女児を対象とする公費負担による接種を求める声が高いという。 -
ジェイド・グーディー
ジェイド・グーディーが危篤状態にあるとのこと。2007年にリアリティショー『ビッグブラザー』にて、シルパー・シェッティーに対して執拗に投げかけた問題発言により、人種差別だとして内外に大きな波紋を投げかけたあの人だ。
差別的な発言をしたのは彼女だけではなかったようだが、その口火を切り、同様の発言を繰り返したことに加えて、普段メディアを通じて彼女が視聴者に与えていたイメージもあったことから、袋叩きに遭うことになったようだ。
この出来事がいろいろなメディアで取り上げられるまで、私はこの人がイギリスでとても有名なタレントであることさえ知らなかった。実のところ、私はこの人がテレビに出演しているところを直に見たことはなく、YouTube他の動画投稿サイトで彼女が出ているクリップを片っ端から閲覧しただけだが、それでも彼女の強烈な個性は充分伝わってくる。
その後、ジェイドはインドへ謝罪旅行に赴き、シルパーとともにインド版ビッグブラザーのビッグボスに出演するなどして、彼女と和解しているが、もちろんインドでは彼女に対してネガティヴなイメージは根強いだろう。
もともと歯科医院で看護婦の仕事をしていた彼女は、2002年にビッグブラザーに『ちょっと可愛らしい看護婦さん』として出演する機会を得て、一気にスターダムを駆け上ることになった。
しかしながら、とりたてて外見がどうというわけではなく、なにか人を魅了するものを持ち合わせているわけでもない。私でもセレブになれそう、と思わせる『普通さ』とは裏腹の毒舌マシンガントークが多くの人々の非難を巻き起こしつつ、瞬く間に悪役としての地位を築いたようだ。
自身の名前を冠したパフュームをプロデュースしたり、フィットネスのDVDに出演したり、自伝を出版したりと、テレビ以外の場所でも活発に動いていた。
昨年夏に末期ガンであることが判明してから、様々な治療を受けてきたがすでに病巣は多臓器に広がっており、あと数週間の命らしいと各メディアに報じられていたのは今月前半のこと。
その深刻な病状について、彼女に知らされたのは先述のビッグボスに出演時。番組中のアナウンスで『出演中に電話を使うことは許されないが、事があまりに重大であるときにはそれが許可されることもある』とあったように、実に深刻な事実がイギリスの主治医から彼女に伝えられ、ジェイドはイギリスに緊急帰国した。
インドを、インド人を侮辱したと大騒ぎになったしばらく後で、インドを訪れてから受けた重篤な宣告。何か因縁じみたものを感じたのは私だけではないだろう。
以前交際のあったボーイフレンドとの間にもうけた5歳と4歳の息子の母でもあるが、現在同棲中のボーイフレンド、ジャック・トゥィードと今年2月に挙式、晴れて正式な夫婦となった。しかしこのカップルに残された時間はあまりに短かったようだ。
昨日夜から容態が急激に悪化し、すでに意識のない状態にあるという。天敵から友人へと転じたシルパーは、ムンバイーからイギリスへ向かっている。
ジェイドは、自分に与えられた定めを受け入れて、最後の瞬間までメディアの前に姿を見せ続けることを宣言し、人々の注目を一身に集めるタレントであることを天職としてまっとうしようという、非常に芯の強い女性である。
・・・だが、彼女自身はまだ27歳。二人の幼い子供たちの母親でもある。あまりに酷な運命の仕打ちだ。 -
多文化共生ってなんだろう?
日本のバブル景気の時期に、パーキスターン、バーングラーデーシュその他の国々から大挙してやってくる労働者たちの姿があったが、その後の景気後退にともない多くの人々が帰国したり、この国を離れたりした。しかし日本で配偶者を見つけて定住した人たちは少なくないし、数は決して多くないが起業して運命を切り拓いた人たちもある。これらの人たちが日本で生まれた子供の親となったり、故郷から身内を呼び寄せたりするのはごく自然な流れだろう。
この時期に移民してきた人たちの子供たちは、すでにティーン・エイジャーになっており、あと数年もすれば社会に出て働くようになってくるのだろう。ふと気がつけば、今年成人式を迎えた人たちは、すでに平成の時代になってから生まれているのだ。昭和生まれの世代が旧人類扱いされるのもそう遠い将来ではないのかもしれない。
それを思えば、バブル時代の移民者たちで比較的早い時期に日本で配偶者を得た人たちの子供たちは、すでに中学生あるいは高校生くらいになっていてもおかしくない。多くは日本で普通の公立学校に通い、かつて私たちがそうしてきたのと同じような教育を受けて成長しているようだ。
出稼ぎで3Kと形容される仕事に従事する人たちだけではなく、景気が良かったバブル期には、『国際化』が標榜されていた頃でもあり、留学生や企業内転勤その他様々な形で来日するいろいろな国々の人々の姿があった。こうした人たちの中にもその後日本に定着したケースが多いことは言うに及ばない。
こうした人々が日本で定着してから母国の身内の人々、兄弟姉妹や、従兄弟その他の親戚が日本で大学あるいは大学院に進学するために面倒を見るというのはよくあることだ。そうして世話してもらったニューカマーの人々もまた、年月を経て同様に結婚して子供をもうけたり、他の身内の人々を何らかの形で呼び寄せたりといったことを経て、彼らのコミュニティが次第に拡大していくことになるのだろう。
そんなわけで、特に外国人が多く暮らす地域の小学校、中学校などでは、昔とは比較にならないくらい様々な顔立ちの生徒たちが教室で机を並べているようだ。
もちろんこうした外国にオリジンを持つ生徒たちの親の中には、特に父親の母国の方式の教育ないしは民族教育を受けさせたいと思う人は少なくないようだ。日系ブラジル人たちのように、日本での在留や就労が容易な人たちの場合は、家族を伴って来日するケースが多く、一定の年齢までブラジルで育った子供たちは言葉の問題もあることから、彼らの人口が多い地域ではブラジル人学校がいくつも設立されることとなった。 -
BS1の『内偵員』
すでに放送が終わってしまった番組で恐縮だが、NHKのBS1で、本日午後8時から9時まで、『BS世界のドキュメンタリー 内偵員〜インド・人身売買との闘い〜』がオンエアーされていた。
NHKのウェブサイトの番組紹介にもあるように、ムンバイーの歓楽街で売春を強要されている少女たちを救うために取り組んでいるNGO,Rescue Fondationで内偵員としての任務に従事するスタッフの活動を追ったドキュメンタリー。
定期的に髪型を変え、必要に応じて変装して隠しカメラを持って売春宿に客を装って入る。あらかじめ情報を得ている少女本人と接触するなどして情報を得て、警察と協働して摘発に臨む様子を描いている。
Rescue FoundationのNewsletterのページをクリックすると表示される内容は、この番組で取り上げられていた。
この内偵員という仕事、もちろんアンダーグラウンドな世界の仕事に干渉することになるため、探りを入れる相手に身元が割れると命の危険があり、またその社会で面が割れてしまうと仕事にならないため、なかなか成り手が見つからず、慢性的な人手不足の状態にあるようだ。
この団体の代表者は、創設者であり、最初の代表者であった人物の妻。ご主人は、救出活動を行なった帰りに、乗用車が大破する事故に遭い亡くなっている。その背景にはマフィアの関与も取りざたされていたのだとか。その遺志をついでこの責につくことになったということだ。
またこの団体では、保護された後のリハビリや社会復帰を助ける施設も運営しており、ウェブサイトでは、そうした活動を紹介するギャラリーも設置されている。
内偵の様子や警察と協働での摘発・救出活動の映像については、よく日本の民放であるような『摘発 歌舞伎町24時』といった番組でも見かけるような構成であった。
よくわからないのは、この団体そのものの背景だ。専従のスタッフを抱えて施設もかなりしっかりしたものを持ち、相当な資金力があることを感じさせる。
売春させられている個々の女性の動向についても、近々他の店に移る予定であることを把握していたり、仕事がムンバイーからデリーに移ったことやそこで働いている店が特定できたりするなど、相当な情報網を持っているようだ。
しかも警察と合流して現場の摘発に参加しているようなので、単に被害女性の保護と更正のために市井の人が取り組んでいる運動というわけではないように思う。
たぶん、かなり政治的なコネクション、相当有力なパトロンあってこそのことではないかと思うのだが、そのあたりについて番組が踏み込んで取り上げているわけではない。
もちろん、それだからといって、彼らの活動の価値が否定されるわけではないし、賞賛されるべき取り組みであることは何ら変わりがないのだが、この活動のアウトラインを知るうえで重要なファクターなので、とても興味をおぼえずにはいられない。
現在のところNHKのウェブサイト、BS世界のドキュメンタリーには示されていないが、いつかこの番組が再放送される機会があるのではないかと思うので、ご関心のある方はぜひご覧いただきたい。 -
インドの西隣の核保有国にクーデター近し?
インドのテレビAaj Takを見ていたら『パーキスターンに再びクーデターの危機迫る』というテロップとともに、危機を伝えるニュースが流れてきた。
‘पाकिस्तान में फिर हो सकता है तख्तापलट’ (Aaj Tak)
緑豊かでのどかな風景の広がるスワート地方で、仏蹟等の見どころも多く、風光明媚な上部スワートとともに、観光地としても名高いエリアであったが、2007年に始まったタリバーンによる武装闘争のはじまりとともに、物騒な地域として知られるようになってしまっている。
そのスワートで、今年2月にこの過激派勢力による彼らのイスラーム法による支配を認める政府当局の決定を憂慮する内外のメディアによる報道は記憶に新しいところだ。
Pakistan agrees Sharia law deal (BBC NEWS South Asia)
Aaj Takのテレビ報道によれば、当事者能力を欠く政府の元にあるパーキスターンで再びクーデターの動きが予想されるとのこと。続いて先日バーングラーデーシュ首都で発生した国境警備隊の反乱についても、パーキスターンのISIの関与の可能性を示唆するニュースも流れており、ちょっと背筋が寒くなる思いがする。
もちろんパーキスターンと対立関係にある隣国のメディアによる報道であること、とりわけ昨年11月26日にムンバイーで発生した大規模なテロ以降、同国に対する囲い込みの姿勢を強めているインド発のパーキスターン国内情勢に関するニュースである部分はある程度差し引いてとらえる必要はあるかもしれない。
しかしながら、インドの隣国の政局の混迷ぶりを目にすれば、誰もが多少なりとも懸念しているところではないだろうか。
同国内の不穏な動き自体もさることながら、こうした状況を横目に第三国による大掛かりな陰謀が着々と進められているのかもしれないし、こうした報道の裏側にはそれを現実のものとしようという意思が蠢いているのかもしれない。
これが杞憂であればそれに越したことはないのだが、テレビから流れるニュースを見つめながらいろいろと思うところの多い本日の夕方であった。
とりあえずは、国はどこであれ、世の中が平安であること、無辜の市民たちに犠牲を強いるようなことが起きないことをを祈るのみである。 -
香港飯店
華人の影が非常に薄いインドにあって、その人口が集中しているのはご存知のとおりコールカーター。
その中でも彼らの姿が多く見られるエリアといえば、市の東部にある主に皮なめし産業と比較的規模の大きな中華料理店が多いことで知られるテーングラー地区、今はその名残をとどめるに過ぎないが往時はチャイナタウンとして栄えたラール・バーザール界隈、チッタランジャン・アヴェニューなどが挙げられるが、ニューマーケット界隈から消防署を経てパーク・ストリートへと走るフリー・スクール・ストリートもそうした華人たちがかなり多い場所のひとつである。
彼らが経営する男女入口が別々となっている理髪店兼美容室、堅牢そうな履物を多数そろえた靴屋の店先に中華系とおぼしき店主らしい人物の姿が見える。ここ数年来、私がコールカーターに来るたびによく通っている中華料理屋『香港飯店』もその界隈にある。英文では『Hong Kong Chinese Restaurant』と書かれたその店は、コールカーターで生まれ育った鐘さんという客家人兄弟が経営している。
地元ベンガル料理を含めて、インド各地のおいしい料理が味わえる、大都会コールカーターに来てまで中華料理?という気がしないでもないのだが、中華だってこの街の立派な名物料理のひとつといえる。豚肉がまず見当たらない、野菜をやたらと細く刻んである、やたらとグレービーであるなどといった具合に、インド化された部分はあるとはいえ、他の地域で食すインド中華に比べて格段に美味であることが多いと私は感じる。やはり餅屋は餅屋、中華料理は華人あってこそのご馳走だ。
立派な中華レストランが立ち並ぶテーングラーを含めて、市内各所で目に付いた華人経営らしきところで食事してみたが、鐘さんのこじんまりした食堂は高級店と比べても決して引けをとらない味をエコノミーな値段で実現している。特に魚料理がお勧めである。客席のすぐ脇の厨房から聞こえてくる調理の音も臨場感があっていい。
鐘さん兄弟の弟さんのほうとよく話をするだが、これまでこの方にはコールカーターの華人コミュニティや彼らゆかりの場所などについて、多くの貴重な情報や示唆をいただいていきた。
鐘さんの一日は、まず朝6時すぎにマーケットに行き、野菜・肉・魚等の食材を購入。8時すぎには店のドアが開き、フロアーを掃き清めている。同時に厨房では仕込みの作業等が始まっている。9時くらいになれば、もうほとんどスタンバイ状態だ。そして夜は10時すぎの閉店時間までずっと店を切り盛りしている。基本的に年中無休で、休みといえば旧暦の新年の際にほんの数日店を閉めるくらいだとか。
営業中、彼は出納台のところに詰めているとともに、込み合う時間帯や雇っている料理人が休みの日には自ら厨房にも立つ。『買い物、掃除、接客、調理、会計その他諸々、なんでもするよ』『10の仕事を10人で分け合うのが×××人だとすれば、私ら中国人はその全部を一人でこなすのさ。日本人と同じだろ?』という現在50歳の彼は、若い頃に親戚のツテで中国で学んだこともあるのだとか。
最近、コールカーターに投資や仕事関係で大陸からやってくる中国人もけっこうあるそうだ。そうした人たちがしばしば彼の食堂に立ち寄るとのことで、私もそうした人物の姿を見かけた。彼らとってインドで数少ない中国語が通じる店であることもさることながら、ここの料理の味自体もなかなか好評のようだ。
場所は、さきほどのフリー・スクール・ストリートをパークストリートとの交差点方面へと下り、消防署を左手に見て少し進んだところで道路右側にある。
バックパッカーたちをはじめとする各国からの旅行者たち向けの宿が集中するサダル・ストリートからすぐそばなので、このあたりに来ることがあれば、『おいしい中華料理』のために立ち寄ってみてはいかがだろう。 -
King is pinched
1週間近く前の記事だが、ネパール王室についてこんな記事があった。
Nepal ex-king told to pay bills (BBC South Asia)
22ヶ所の宮殿や屋敷の過去数年間にわたる電気料金100万ドル超を11月7日までに期限内に支払わなければ彼らへの電気供給をストップさせるというもの。
元国王は、この膨大な金額を支払うのか、電気を止められるという屈辱に甘んじるのか、それとも何か他の手立てがあるのかどうかわからないが、5月に王室が廃止されてから身分上は普通の『国民』となった元国王とその家族。
最終的な王室廃止に至る過程の中で、王室財産はかなり処分されているはずだが、それでも海外に隠した『埋蔵金』の話もあるし、そもそも王や王族が経営にかかわる有力企業も少なくなかったようだが、そのあたりはどうなっているのだろう。
まだそれなりの財力があるようだが、政治的な権力を失い丸裸になった元国王一族に対する圧力は相当なものだろう。今までのところ、彼自身は国外への亡命は否定しているものの今後どうなるか。
現在与党の座にあるマオイストにしてみても、それと協力関係にある他の勢力にしてみても、王室の廃止により不人気だったギャネンドラ元国王が民間人になったとはいえ、今でも旧王党派や王室にシンパシーを抱く人々が皆無というわけではないし、そこを基盤にして政治活動に乗り出す元王族やその縁者が出てこないとも限らない。
現政権にとっては、後に憂いを残さないために、旧王室のさらなる弱体化を進めたいところではないだろうか。更には本音では国内から退去して欲しい、地理的にも遠い場所に行ってくれればなお幸い・・・といったところかもしれない。今後も様々な形での締め付けは続くことだろう。
政府からさまざまな『弾圧』を受ける旧王族たちは、この国でどこまで持ちこたえることができるのだろうか。 -
インド人学校へ転身
昨日『デリー近郊に日本人村建設?』と題して書いたように、インドで日本からの企業進出を促すための積極策が打ち出されているが、地味ながらも日本においてもインドからの進出を誘致するための具体策がいくつか打ち出されている。そのひとつが来年4月に横浜市緑区で開校予定のインド人学校だ。廃校となった小学校の3階部分を利用して運営するとのこと。
インド系学校来春開校 緑区の小学校跡 (YOMIURI ONLINE)
少子化の日本にあっては、学齢期の子供を持たない人には想像もつかない速度で生徒たちの人数が減少している。現在20代、30代以上の年齢の人たちにとって、小学生、中学生時期に通っていた学校には何クラスあって、何人の生徒たちがいたか思い出して欲しい。
もちろん地域差は大きいのだが、参考までに東京都港区役所のウェブサイトにこういう一覧表があった。
港区立幼稚園・小・中学校園児・児童・生徒数一覧表
学年毎に2クラス、3クラス程度というのがごく当たり前になっており、学校施設の規模と不釣合いなほどである。とりわけ東町小学校の全学年合計で77人、港陽中学の全学年合計78名という数字が目を引く。まるで山村部の分校みたいな人数だ。
こうした傾向は、東京都内どこも共通した現象であり、都外においても似たようなものだろう。地域によっては『学校選択制度』という手段により、居住する学区と隣接する地域の学校に入ることを選ぶことができるようになっている自治体もある。
すると人気校と不人気校の歴然たる差が出てしまい、年度毎の予算配分はもちろん、やり手の校長や教頭、評価の高い教師が優先的に人気校に配置されるといった人事面での処置もあり、不人気な学校はますます凋落していき、やがては廃校や近隣校との統合という整理へと導かれていくようになっている。
そして、廃校や統合により使われなくなった校舎や土地は、資産の有効活用という名目で他の施設建設のために転用されたり、民間に売却されたりしていくことになる。
やや話はそれてしまったが、もともと厳しい基準で施設も充実している公立学校施設という『器』である。都内に数ある空き教室を多数持つ公立学校と同居・・・というのは無理にしても、今後も更に統廃合が進み用済みとなる施設が続々と出てくるにあたり、交通至便な都心近辺にある学校施設を横浜市のように、新設される外国人学校のために有償で貸し出してはどうかと思う。
さらには学費の問題もある。外国人学校は総じて費用が非常に高い。私学助成制度を大幅に見直して、充分な補助を行政から受けられるようにすべきではないだろうか。少子化が進む中、能力の高い外国出身の人たちが定住することが必要となってくることは自明の理だ。
また、その子女たちがしかるべき教育を受けることができる環境を整えることは行政の責任であり、そうして育った子供たちが将来、生まれ故郷ないしは自分たちが育った土地である日本に根を下ろし、この国を支えてくれるようになる、そんな『国家百年の計』が必要なのではないかと思う。
