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  • Namaste Bollywood #44

    Namaste Bollywood #44

    Namaste Bollywood #44

    今年もIFFJ (Indian Film Festival Japan)の時期がやってきた。東京(10/9~23)と大阪(10/3〜22)にてそれぞれ開催され。上映スケジュールについては、こちらをご参照いただきたい。

    Namaste Bollywoodの今号の巻頭特集は、このIFFJ。今年も選りすぐりの素晴らしい作品が目白押しだ。特集記事で紹介されている上映作品の紹介をじっくりと読みながら、どれを観に行くかとあれこれ検討してみよう。また、IFFJと時期が重なるが「マルガリータで乾杯を!(原題:MARGARITA WITH A STRAW)が、10月からシネスイッチ銀座を皮切りに、全国で順次ロードショーが予定されるにあたり、主演女優カルキ・コーチリンのインタビュー記事もあり、こちらも注目だ。

    さて、この号に掲載されている、同誌主宰のすぎたカズト氏による「ボリウッドにおける性描写の変貌」という記事は、IFFJでの鑑賞予定を考える際に大変参考になることだろう。また、1990年代の「インド映画ブーム」でフィーチャーされた作品群、当時いくつも出版されたインド映画の案内書に記されている内容とは、ずいぶん印象が違うことに気付かれるに違いない。

    1990年代以降のインドは激動の時代であり、経済面における社会主義的手法から大きく舵を切っての経済自由化、それにともなう外資の怒涛の勢いでの流入、国営放送による寡占状態であったテレビ放送については、ケーブルテレビ、衛星放送などが一気に普及することにより、外国からのニュースやエンターテインメント等々の番組がお茶の間に突然大量に雪崩れ込むとともに、当時はまだ目新しい存在であった民放各社も、そうしたトレンドをうまくつかまえて、これまでにはなかった新しい番組や映像を視聴者の元に届けるようになった。

    そんな時代が唐突にやってくると、まず最初に感化されていくのは若者たちだ。とりわけ1992年、1993年あたり以降に青春期を過ごすこととなった世代と、それ以前の世代では、物事の価値観、道徳観、性に対する意識等が大きく異なってくるのは当然のことで、もちろんそうした時代の変化は映画作りにも如実に反映されることとなった。時代を代表する作品を眺めてみるだけでも、1980年代から1990年代初頭、1990年代半ばから終盤にかけて、そして2000年代に入ってから現在にかけてと、作品のテーマや映像の質感が大きく違ってくるのは、こうした時代の大きな変化を反映したものであるといえる。

    さて、1990年代の日本で沸き起こった、先述の「ブーム」はかなりバイアスのかかったもので、同じような方向性の作品ばかりが日本に立て続けに上陸していたこと、製作された地域や言語域による違いを考慮することもなく、「インド映画」と荒っぽく括られていたことに加えて、当のインドで製作された映画に関する知識を踏まえない「面白おかしな」解説が、大手メディアで堂々と一人歩きしてしまうとう弊害も少なくなかった。

    今となっては20年ほどが経過しているにもかかわらず、今なおそのときに刷り込まれてしまったイメージが後を引いていることから、ボリウッド映画をあまり観たことがない層においても、「B級以下」「なぜか音楽と踊りばかり」「単純なストーリー」というようなネガティヴな先入観を抱いている人が少なくないことは非常に残念だ。

    だが、幸いなことに、今の20代の映画ファンの多くは、そうした過去のしがらみとはあまり縁がない。インドは若年人口が圧倒的に厚い国であることから、10代後半から30代前半にかけての年齢層が大きなマーケットとなることから、ちょうどこのあたりの年代の人たちは、IFFJで上映される近年のボリウッド映画界のヒット作(今回の上映作品は2013年から2015年にかけて公開されたもの)について、先入観なしに映画を楽しむことができる感性を持っているのではないかと私自身は期待している。

    どこの国の映画も同様だが、作品が製作された国や地域の文化、固有の価値観、社会のありかたなどが色濃く反映されるものだ。これについては日本の映画ファンの多くがニュートラルな立場で鑑賞しているつもりのアメリカのハリウッド映画についても例外ではなく、銀幕の背景にあるそうした諸々の事柄を理解することなしに、ストーリーの中に巧みに張り巡らされている仕掛けや伏線を読み取ることは容易ではない。

    まさにそのあたりを理解するために、Namaste Bollywood誌では、様々な著者による異なる角度からインドの文化面を含めた解説、インドの社会現象が作品に与えた影響や反対に作品が社会に及ぼした効果、ボリウッド映画界内部の動向などを伝えており、インドから遠く離れた日本のファンが、より楽しく、そして深く作品を楽しむことができるようにと情報発信をしてくれているのである。

    蛇足ながら、私も「インド雑学研究家」として、小さな記事を書かせていただいており、今号においては、ある作品で幾度か出てきたムンバイーにある小ぶりながらも美しいモスクについて取り上げてみた。

    Namaste Bollywood誌は、IFFJの会場でも販売されるが、それ以外の購入先については、以下、同誌ウェブサイトをご覧いただきたい。

    Namaste Bollywood

    ※「上海経由デリー行き3」は後日掲載します。

  • アーグラーの近くで現代のタージマハル建設中

    元郵便局長のファイズル・ハサン・カードリー氏は、アーグラー近くのブランドシャヘル近郊の村の住民。3年前に亡くなった妻との間に子供はなかった。生前、「私が死んだら誰も思い出してくれる人はいないでしょうね」という妻の言葉に「いや、私が廟を建ててあげる」と答えたとのことだ。

    その約束を実行中のファイズル氏だが、経済面の問題から廟は完成していない。UP州CM(チーフ・ミニスター=州首相)のアキレーシュ・ヤーダヴが資金援助を申し出たりするのは、いかにもムスリム票獲得のためにイスラーム関係者の集会その他に足しげく通う、彼とその父親ムラーヤム・スィン・ヤーダヴが率いるサマージワーディー・パーティー(社会党)らしいところではある。

    ムガル朝第五代皇帝、シャー・ジャハーンが愛妃のために建設したタージマハルとは違い、大理石ではなく焼き煉瓦を積みあげて作る簡素な造りではあるものの、一般人がこうしたものを、私財を投じて建てるというのは大変なことだ。

    58年間連れ添った妻との愛のモニュメント。ファイズル氏が元気なうちに完成することを願いたい。

    Uttar Pradesh Government to Help Retired Man Build ‘Mini’ Taj Mahal in Bulandshahr (NDTV)

    Bulandshahr postmaster builds Taj Mahal in memory of his Mumtaz (Newzstreet)

  • バンコクの爆弾テロに思うこと

    バンコクで、8月17日と18日に発生した爆弾テロ。犯行声明が出ておらず、犯人像も推測の域を出ていないようだが、ウイグル人グループ犯行説に傾きつつあるようだ。
    中国国内で苛烈に弾圧されている彼らの中には、パキスタンで保護を受けて拠点を置いたり訓練を実施したりしているグループもあるという。
    中国は、パキスタンに対して伝統的に「敵国インド」というスタンスからくる共通の利益から様々な援助を与えてきた友好国だ。 近年になってからはアラビア海とインド洋進出の目的からパ国を含めた南アジアのインドを除いた諸国に積極的な働きかけをしている。

    とかく親密な関係にある中パにとっての弱点はまさにこの部分。パ国内に匿われているウイグル人組織の存在。ウイグル人過激派が勢いを得て、中国の不興を買うことになれば、中パ関係に少なからずの影響を及ぼすことになる。

    パキスタンの文民政権にとっても、自らの力の及ばないところで勝手な動きをすることが少なくない軍部とその指揮下にある統合情報部(ISI)には手を焼いていることだろう。また、そう簡単に手出しをすることの出来ない国内の過激な宗教組織やその息がかかった有力政党の存在もある。

    そんな具合で、インドがテロの温床として名指しするパキスタンだが、あながち文民政府の意思とは言えない部分も存在する。パキスタン自身が国内の様々な過激派組織による爆弾テロ、誘拐事件等で振り回されている。そして政府本体と並立する権力としての軍の存在、軍が恣意的に利用する過激派組織。しかしながらも軍部そのものは原理主義とは相容れない組織であることから、軍と過激派が衝突することも多々あるという三つ巴の危うい構造。

    国道上以外にパ国の法律が及ばず、地元の部族の掟が支配する北西部のFATAのようなエリアの存在は、パ国内的には歴史的経緯のある合理性を持つものであっても、国外から見れば外国にも脅威を及ぼしかねない危険な問題だ。

    蛇足ながら、インドとパキスタンの分離は悲劇として形容されるが、この地域を含むアフガニスタン国境エリアを切り離すことが出来たのは結果としてインドにとって良いことであった、かのように見えてしまうのは何と皮肉なことか。

    ウイグル組織犯行説はまだ憶測の域を出ないが、仮にそうであったとすれば、つまり庇護を求めて来タイしたウイグル人たちを中国に追い返した報復のための爆破であったとするならば、ウイグル人過激派に一定の庇護どころか拠点と軍事訓練まで与えているパキスタンをも巻き込んだ問題になっていきそうな気がしてならない。

    Police hunt ‘foreigner’ in deadly bombing of Bangkok shrine (Associated Press)

    ※「Markha Valley Trek The Day 6」は後日掲載します。

  • 日本におけるインドのヴィザ関連業務委託先変更

    何を今さら、と言われるかもしれないが、今年の4月から日本においてインドのヴィザ関連業務担当機関が変更となった。これにともない、東京で私たちが申請に出向く場所も文京区大塚から港区芝へと変わっている。旧ヴィザセンターが移転したわけではなく、業務委託先の会社そのものが変更となったようだ。

    ヴィザ業務担当機関が2015年4月1日より変わりました (駐日インド大使館)

    IVS Global Japan (インドヴィザ申請センター)

    Google等で検索すると、今年3月まで業務を担当していた旧ヴィザセンターのJapan Overseas Corporationのウェブサイトも引っかかってくるので紛らわしいのだが、うっかりそちらに出かけてしまうことのないようにご注意願いたい。

  • レーでバンド 2

    レーでバンド 2

    7月22日、外の道路ではずいぶん早くからクルマのエンジン音がしていた。宿の奥さんの話では、本日の朝のフライトであった人たちは朝4時にタクシーで宿を出たそうだ。それ以降の時間帯になると本日のバンドのため走らないのでやむを得ずそんな変な時間帯に出ることになったそうだ。日の出前からクルマが走り回る音がしていたのはまさにこれだろう。

    また、本日のフライトにて空港から宿にやってくる人たちがいたが、彼らについてはタクシーがないため、政府が用意したヴァンでレー市内の各所に回ることになったとのこと。そうした人たちが数人、私の滞在先にもやってきた。バスは無料ではなく、1人あたり20ルピー徴収されたとのこと。

    本日のバンドでは、自家用車やバイクにも運転自粛を呼び掛けており、無理に走ると投石される危険があるとのことでもある。そんなわけで、外を走るクルマはほとんどなかった。スリナガル方面から、あるいはヒマーチャル方面からこちらに向かっているクルマについては、ラダック地域に入る手前のところで止められてしまうであろうという話も耳にした。









    レー市街地では、路地裏の店まで、食堂や旅行代理店などを含めて見事に休業。チャングスパロードも完全に休みとなっている。唯一普段どおりに開いていたのは、ステイトバンクオブインディアの支店のみ。加えて、家屋やビルの新築や改装工事、メインバーザールの再開発工事の作業員などは、普段と同じように仕事していた。野菜や果物を売るラダック人の女性たちが路上で商っている姿はわずかながらあった。

    市内の要所要所では、警官たちが警備している。中にはかなり重厚な装備をしている者もあり、万一の衝突があった場合などに備えているのだろう。

    メインバーザールのゴンパでは、高僧らしき人物による説法が行われていて、白昼の路上の寂しさとは裏腹に、ここだけには人々が集まっている。・食事やチャーイも振る舞われている。

    今朝方、デリーから到着して地元政府が用意したバスにて宿泊先のゲストハウスにやってきたシンガポール人の青年と会った。食事できるところがどこも開いていないし、短い期間で訪れているので、今日のうちにパンゴンツォに行くクルマの手配が出来ないと不安だと言う。ちょっと思いを巡らせてみると、少し奥まったところにあるゲストハウスの屋上のカフェ、そして階下では旅行代理店業もやっていることが頭に浮かんだ。

    少々歩いてそこに向かってみると、ドンピシャリであった。道路からかなり引っ込んだところに中庭があり、さらに奥なので平常通りの営業であった。彼には喜んでもらえて幸いである。困ったときは旅行者同士お互い様だ。食事を終えて、さらには彼がパンゴンツォに行く予約を済ませてから、することがないのでチャングスパロードを進んだところにあるシャーンティ・ストゥーパに行くことにした。普段はインド人や外国人の観光客が多く訪れるこの場所だが、今日ばかりは仕事から解放されてヒマになったビハール、UP、ネパールなどからやってきている出稼ぎ人たちが休みを楽しんでいた。

    バンドの期限となる時刻が近づいてくると、店のシャッターを半分ほど開けて様子を窺っていたり、小声で呼び込みをしたりする店などが出てきた。そして午後7時になると、もうすっかり多くの店が平常どおりに営業を始めた。短い観光シーズンの中の貴重な1日の損失を少しでも取り戻そうというかのように。日中静けさがまるで嘘のように賑やかな有様となってきている。

    バンドという抗議の形態は、英領末期にガーンディーが率いた反英闘争のときにも頻繁に使われた手法で現在も様々な形で用いられている。
    今回のバンドでも大変迷惑であるというような話をしばしば耳にした。独立運動時代にも政治よりも日々の稼ぎにより関心のある人たちは大勢いたはずなので、当時も「仕方ないなぁ・・・」というのが本音の商売人や大衆も実は大勢いたのではないかと私は思っている。もちろん出会ったばかりの相手にそんなことは言えないが、まぁ世の中そんなものだろう。

    午後の少し遅い時間までは、とても天気が良かったのに、日が沈んでからは雷が鳴りだした。レーでの雷は裏山にこだまするためか、勇壮な太皷の音のように聞こえるのだが、感心ばかりしているわけにはいかない。強い雨が降り出してきた。

    それでもバンドが明けたバーザールでは、大勢の人々が行き交い、各商店での人の出入りも盛んなようである。この日は普段よりも少し遅くまで店を開けているところが多いようであった。

    〈完〉

  • レーでバンド 1

    レーでバンド 1

    午前中からレーの周辺をタクシーで回っていたら、運転手が唐突に「7月22日は明日だよね。明日はバンドとなるはず・・・」などと言う。どういう趣旨のバンドなのか尋ねたが、この人はよく知らないようであった。「理由はよくわからないけど、バンドだというから明日タクシーは走らないし、店も閉まるよ。午後になってからバーザールで話を聞けば判るよ。」とのこと。

    夕方になってからレーの町に戻り、翌日のバンドの詳細に関する情報は簡単に手に入った。具体的な内容は、主に口コミで伝わるようだが、タクシースタンドにバンドに関するポスターが貼り出されていた。

    タクシーユニオンによるバンドの呼びかけのポスター

    これによると、ラダックに自家用車を運転してやってくるインド人たちが環境や安全を省みない無茶をすること、飲酒運転の問題などについて、行政が何の対策も取っていないことに対する抗議としてのストライキということになっている。

    その建前の裏には、自家用車で来られると地元の短い観光シーズンに貢献する度合いが低くなる(タクシーの売上が上がらない)ことについての不満があるとのこと。外から自家用車を運転してやってくるインド人たちの中にマナーが非常に悪い人が決して珍しくないことと合わせて、ユニオンは常々申し入れをしていたようだが、なかなか聞く耳を持たないため、「それならば自分たちで対策を取る」と呼びかけたのが今回のバンドとなるようだ。

    しかしながら、ユニオンが呼びかけてここまで完全なストライキが決行できるということについては、おそらく地元の有力な政党のサポートがあるのではないかとも思うのだが、このあたりについてはよく聞いていない。

    今回のバンド、つまりゼネストはレー市内に留まることなく、ラダック地域ほぼ全域でタクシーはもちろんのことほぼすべての商店や事務所等々が閉まることになるようだ。つまりツォモリリ、ヌブラその他にタクシーで出かけている人たちについては、明日一杯は滞在先で足止めということになる。

    バンドは翌日の7月22日午前6時から午後7時までとのこと。

    〈続く〉

  • ミゾラム州 総人口中に占めるST(指定部族)の割合98.79%

    2011年に実施された国勢調査のデータに依拠するものだそうだが、全インドで総人口中、SCが18.46%、STが10.97%とのことで、合計29.43%がSC(指定カースト)ないしはST(指定部族)ということになるとのことだ。もちろんこれは地域によってかなり様相が異なるものとなることは言うまでもない。

    SCとSTともに高等教育への進学や公部門への就職の際、また議席においても留保の対象となっているが、おおまかに言ってこれらの区別は以下のとおりとなる。
    SCとは、アンタッチャブルとして差別の対象となってきたカーストに所属する人たちであり、言ってみればヒンドゥー教徒やスィク教徒等(改宗してキリスト教徒や仏教徒等になった人々も含む)のメインストリームの社会の中に存在してきた被差別階級だ。

    これに対してSTとは、そうした社会の枠組みの外に存在してきた少数民族で、時代が下るとともにヒンドゥー教やキリスト教等に改修した例も多いが、元々はメインストリームの社会とあまり接点を持つことなく、独自の起源や歴史を持つとともに生活文化を維持してきたコミュニティということになる。これらはマハーラーシュトラ、ビハール、オリッサのように、大きな街からそう遠くないところにポケットのように存在してきたコミュニティもあれば、インド亜大陸の周縁部に当たるインド文化圏外といっても差支えないような地域の民族も多く含まれる。

    州人口中にSCの占める割合が最も高いのはパンジャーブ州で36.74%、続いて西ベンガル州が28.45%、さらにタミルナードゥ州が25.55%とのことだ。しかしながら、STの割合となると、ミゾラム州が98.79%、ラクシャドウィープ(州ではなく連邦直轄地)が96.59%、ナガランド州が93.91%、メガーラヤ州が90.36%ということになり、やはりほぼ「インド文化圏外」の地域ということになる。もはや「STにあらずは人にあらず」といった状況のようだ。これらの地域は、インナーライン・パーミットの適用地(ミゾラム州、ナガランド州)で外部の人間の移入が制限されていたり、環礁から成り雇用等の機会が少なかったり(ラクシャドウィープ)などといった背景もあり、地域の独自性が高いエリアということにもなる。

    さて、このようにSTが人口のほとんどを占める地域では、せっかくの留保もあってないようなものということにもなってしまうことから、自州内ではあまりそのメリットを感じないのではなかろうか。

    もともとこれらの地域では自州内での雇用機会は多くないため、州外に流出する若者たちは少なくないのだが、こうしたエリアを出て都会に出る際に、留保制度を利用するメリットが生きてくる。

    留保制度は逆差別的な優遇制度で、社会的に恵まれないとされるコミュニティの救済を図るものであるが、世の中は必ずしも「カーストが低いから貧しい」「部族出身だから恵まれていない」などという単純なものではない。単純に言えば「最上位クラスのカーストだがその日の糧にも困窮している」「商人カーストだが日雇いの仕事で家もない」あるいは「アウトカースト出身だが父親は高級官僚として指導的立場にある」「部族出身だが商売に成功して企業グループを持つにいたり、近々選挙にも出馬予定」といったことはごく当たり前にある。

    留保制度はその個人なり世帯なりが置かれている経済的状況を反映するものではなく、指定されたコミュニティ全体が享受するものである。そのため生まれがそうであれば、実家が比較的裕福であってもその恩恵を受けることが出来る反面、極貧状態にあっても留保対象ではないコミュニティの出の人は大きな不利を抱え込むことになる。留保制度については他にも様々な観点から批判等があり、長年様々な議論がなされているところだ。

    しかしながらインド文化圏外、ないしはインドのメイントスリームの外にある人々に対しては、こうした留保制度による恩恵の措置がなされているということは、それぞれの地域のいろいろなコミュニティの貢献であるとともに、それらの人々の間にインド共和国への帰属意識を醸成するものであると仮定するならば、その部分について大変肯定的に評価できるように思われる。

    29.43 % Households Belong to SC/ST Category in India, Mizoram Tops List (Northeast Today)

  • バングラデシュからのヒンドゥー移民に市民権をという主張について

    隣国バングラデシュから経済的な理由からインドへ不法な移住を図る人々の流れは絶えず、常に政治問題となっている。

    北海道の7割増程度の土地に約1億8千万人の人々が暮らすという人口があまりに稠密すぎるバングラデシュから雇用機会とより高い賃金を求めて、同じベンガル人が暮らす西ベンガル州、おなじくベンガル人たちが多く暮らす近隣州に出ようというのは自然なことでもあるだろう。もちろん彼らが移住する先はこれらに留まらず、インド各地の主要な商業地域や工業地域にも及ぶ。

    そもそも同国が東パキスタンとして1947年にインドと分離して独立(その後1971年にパキスタンから独立して現在のバングラデシュが成立)したことが、悲劇と誤算の始まりであり、経済面・人口面での不均衡の根本でもある。

    しかしながら、国家の成立には往々にしてその時代の流れに沿った必然と不条理が混じり合うものであり、その枠内で国家意識が形成されていくとともに、国民としての一体感も醸成されていくものだ。

    そうした中でも、国境の向こうで異なる国籍が与えられることになった家族や親族に対して、こちら側の者はある種の憐憫の情を抱いたりすることもあれば、羨望の念を持つことも少なくない。同様に、宗教をベースとした分離の場合、ボーダーの向こう側にマイノリティとして残された、こちら側と同じ信仰を持つ者たちに対する「同胞」としての感覚には、社会で一定のシンパシーを共有することになることが少なくない。

    ムスリムが大多数を占めるパキスタンにおけるヒンドゥー教徒たちの境遇については、インドでしばしば報じられるところであり、そこにも「国籍」の違いとは別次元の一体感があり、不幸にして異なる国籍を与えられることとなった「同胞」とでも言うような感情がベースにある。

    さりとて、イスラームという宗教を旗印に、ムスリム主体の国家の建設を目指した東西パキスタンに対して、宗教的にニュートラルな「世俗国家」を標榜してきたインドとの決して相容れるところのない部分は、例えばカシミール地方の領有に関する両国の主張が平行線であるところにも現れる。

    パキスタンと隣接する地域で、ムスリムがマジョリティであることが自国領であることが当然とすることがパキスタンの考えの根底にある。かたや宗教に拠らない世俗国家としてのインドにとっては、イスラーム教徒が多くを占めるからといってこれを隣国のものとするわけにはいかないのは当然のこととなる。現在、両国ともカシミール全域についてそれぞれ自国領であることを主張しているが、イギリスからの独立直後に勃発した第一次印パ戦争ならびに1965年の第二次印パ戦争の停戦ラインが実効支配線として、事実上の国境として機能することにより現在に至っている。

    パキスタン建国に際して、多くのムスリムたちが当時の西パキスタンならびに東パキスタンへ流出するとともに、それらの地域からヒンドゥー教徒たちがインドに難民として逃れることになった。しかしそうした動きにもかかわらずインドを捨ててこれらの地域に移住することなく、あるいは経済的に移住することがならず、そのままインドに残ったムスリムたちも大勢いたわけだが、独立後はそうした人々が内政面での不安材料となることを避けるためもあり、インド政府は彼らの歓心を買うために様々な努力をする必要があったことは否定できない。ちょうど、欧州にて共産主義のソビエト連邦と隣接する地域で、高い福祉や社会保障制度が発達することとなったことと似ている部分がないでもない。

    それが「世俗主義」を標榜しつつも、独立以降長年に渡って、少数派であるムスリムに譲歩する政策を継続せざるを得なかった理由でもあり、その世俗主義自体の矛盾と綻びであったとも言える。マイノリティとはいえ、規模にしてみるとの世界最大級のイスラーム教徒人口を抱えていることもあり、現実を見据えた上での選択であったはずだ。

    しかしながら、このあたりが圧倒的なマジョリティを占めるヒンドゥーたちから成る社会の中での不満を醸成することになったのも事実で、宗教別に定められている民法について1980年代末あたりから、「統一民法」の制定を求める声が高まっていくこととなる。これがやがて90年代にはいわゆる「サフラン勢力」の核となるBJPに対する支持数の急速な伸張へと繋がっていく。

    その後、国民会議派を中心とするイスラーム勢力や左派勢力を含む統一進歩同盟(UPA : United Progressive Alliance)とBJPがリードする保守から中道あたりの政党が集結した国民民主同盟(NDA : National Democratic Alliance)が一進一退の駆け引きを続けている。

    さて、このほどインドの北東地域では、隣国バングラデシュからの不法移民について、バングラデシュから来たヒンドゥー教徒に対して市民権を与えるべきだと唱えるBJPに対して、国民会議派はヒンドゥー、クリスチャン、仏教徒(要は非ムスリム)の移民に対して市民権付与による保護を訴えるという形で、信仰を根拠とする論争が起きている。

    こうした主張はインドの独立以来の国是である世俗主義に対する挑戦であるとともに、とりわけ国民会議派については、大きな方向転換のひとつの兆しであるのかもしれないようにも思える。

    同時に、インドにおけるこうした動きについて、隣国バングラデシュ国内に与えるインパクトも少なくないかもしれない。同国内人口の一割近くを占めるヒンドゥー教徒たちの取り込みと捉えることも可能であるとともに、コミュナルな対立が発生した場合に、「インドによる差し金」を示唆する口実にもなろうし、敵性国民として排斥する動きに出ることもあり得ないことではないだろう。

    宗教をラインとする国家形成を経てきた国と、世俗主義を国是として歴史を刻んできた国の間で、それなりのバランスが保たれてきた中で、後者が前者と近いスタンスを取ることになることについて非常に危ういものを感じる。

    インド東北部におけるこうした動きが現実のものとなるようなことがあれば、やがてインドとバングラデシュの間での国際的な問題に発展する可能性を秘めていることから、今後の進展には注目していきたい。

    BJP & Congress Raring to Provide Citizenship to Hindu-B’deshi Migrants (Northeast Today)

  • チェラプンジーの雨

    チェラプンジーの雨

    インド各地から猛烈な熱波のニュースが伝えられるこのごろだが、北東インドではすでにプレ・モンスーンの雨が降りはじめているとのことだ。その中でも「世界で最も多雨な場所」とされるチェラプンジーの降雨量には圧倒的なものがある。下記リンク先記事をご参照願いたい。

    Pre-Monsoon: Heavy rain continues over Northeast India (skymet)

    ベンガル湾から吹き上がって来る風が、ちょうど入江に集まる波のような具合に、北のヒマラヤ山脈と東のアラカン山脈に挟まれた行き止まりに衝突するのがインド北東部。当然、非常に多雨なエリアであるのだが、とりわけチェラプンジーにおいては、ちょっと想像もできないような豪雨となる。

    印の付いている地点がチェラプンジー

    モンスーンの時期の北東インド観光地は閑散としてしまうのだが、例外的にチェラプンジーにおいては、「世界一の物凄い雨を体験するために」訪れる人たちが多いと聞く。

    それでも、乾季には生活用水が不足して、給水タンカー車が行き来する、ちょっと皮肉な部分もある。つまり雨期にそれほど集中して降るということの裏返しでもある。

  • Maggieの危機

    Maggieの危機

    かつて米国系の清涼飲料水メーカーが、製品から許容度を越える農薬成分が検出されたということで、激しい批判にさらされたことがあったが、今年の5月以降、スイス系企業ネスレ社のMaggiシリーズのインスタント麺に鉛成分が含まれることが判明したとのことで、各地で次々に販売が禁止されるなど、大きな波紋を呼んでいる。

    Maggie noodles undergoes tests across India: Nestle investigates excess MSG in its batch of noodles; Can cause chest pains (BENCHMARK REPORTER)

    Maggi sales plummet across India (THE TIMES OF INDIA)

    Nestle’s Maggi Noodles Banned In India’s State Of Delhi Over Allegations Of High Lead Content (INTERNATIONAL BUSINESS TIMES)

    India withdraws Maggi noodles from shops in mounting food-safety scare (theguardian)

    鉛の含有に関する許容値が0.01ppmであるところ、17ppmという高い数値であったことに加えて、成分表に記されていないMSGつまりグルタミン酸ナトリウムが多く含まれていることが明るみに出たことが今回の騒動の発端だ。

    Maggiブランドのインスタントヌードルは、1982年から現在に至るまで、実に33年間に渡ってインドで親しまれてきた。インド中、どこに行っても雑貨屋や食料品店で見かけるが、手軽に作ることができることから、育ち盛りの子供の好物であったり、一人暮らしの若者たちの定番アイテムであったりもする。また、冬季には外界との陸路ルートが閉鎖となるラダック地方などでは、そうした時期の食堂でもありつくことのできる外食アイテムであるなど、非常に存在感の高いインスタント食品だ。

    最近、このMaggiのインスタントヌードルのCMに何本も出演していたマードゥリー・ディクシト、以前出演したことがあるアミターブ・バッチャンやプリーティ・ズィンターといった銀幕のスターたちも、ちょっと困ったことになっているようだ。

    Madhuri Dixit gets FDA notice for endorsing Maggi noodles (The Indian EXPRESS)

    Court orders FIR against Amitabh, Madhuri, Preity over Maggi row (THE HINDU)

    食品類の安全性は、どこの国にあっても非常に大切なものであるが、果たしてネスレがこのような状態であったとしても、他のメーカーの様々な食品、食材、調味料などはどうなのだろうか?という思いもする。加工食品だけではなく、米や野菜のような第一次産品にも不安な要素を抱えている国だ。

    私たちの日本で「食の安全」と言えば、その食料のかなりの部分を輸入に依存しており、とりわけその中で中国産のものが多いことから、常々やり玉に上げられることが多いが、比較的政府の管理が行き届きやすい中国と比較して、インドがその方面で安全性が高い国であるということは決してない。

    今回、たまたま外資系の大会社の全インドでポピュラーな製品が取り上げられることになったが、この騒動がどのようにして収束を見るのか、かなり関心を引かれるところである。

  • ロヒンギャー難民

    最近もまたミャンマーからのロヒンギャー難民たちに関する記事がメディアに頻繁に取り上げられるようになっている。

    【ルポ ミャンマー逃れる少数民族】 漂流ロヒンギャ、苦難の道 迫害逃れ、過酷な船旅 (47 NEWS)

    昨年、ロヒンギャー問題で知られるヤカイン州のスィットウェを訪れたことがあるが、かつて英領時代には、この街の中心部でおそらくマジョリティを占めて、商業や交易の中心を担ったと思われるベンガル系ムスリムの人たちのタウンシップがある。そこには同じくベンガル系のヒンドゥーの人々も居住していた。

    スィットウェへ3 (indo.to)

    滞在中にヒンドゥーの人たちの家で結婚式があるとのことで、「ぜひお出でください」と呼ばれていたのだが、その街区はバリケードで封鎖されていて、訪問することはできなかった。
    その数日前に、たまたま警官たちのローテーションの隙間であったのか、たまたま入ることが出来て、幾つかの寺院その他を訪れるとともに、訪問先の方々からいろいろお話をうかがうことができたのだが。

    実のところ、その結婚式には日程が合わず出席はできないものの、同じ方々からもう少し話を聞いてみたいという思いがあり、足を向けてみたのであるが、バリケードの手前で、「ここから先はロヒンギャー地域だぞ。誰に何の用事だ?」と警官たちに詰問されることとなった。

    うっかり先方の住所や名前を口にしては、訪れることになっていた人たちに迷惑が及んではいけないと思い、「いや、向こう側に出る近道かな?と思って・・・」などと言いながら踵を返した次第。通りの反対側から進入を試みてみたが、同じ結果となった。゛

    ロヒンギャーとは、一般的に先祖がベンガル地方から移住したムスリムで、現在のミャンマーでは国籍を認められず「不法移民」と定義されている人たちということになっているようだが、ベンガルを出自とするヒンドゥーもまた同様の扱いを受けているように見受けられた。

    そのロヒンギャーの人たちだが、母語であるベンガル語の方言以外にも、インド系ムスリムの教養のひとつとして、ウルドゥー語を理解すること、またヒンドゥーの人たちも父祖の地である広義のヒンドゥスターンの言葉としてヒンディーを理解することはこのときの訪問で判った。もちろん個人により理解の度合いに大きな差があり、まったくそれらを理解しない人たちもいるのだが。とりわけ若い世代にその傾向が強いようだ。

    アメリカをはじめとする先進主要国から経済制裁を受けていた軍政時代には、ミャンマー国内の人権事情について、各国政府から様々な批判がなされていたが、民政移管に伴い制裁が解除されてからは、そうしたものがトーンダウンするどころか、まさに「見て見ぬふり」という具合になっているように見受けられる。ここ数年間に渡り大盛況のミャンマーブームだが、同国政府の不興を買って、自国企業の投資その他の経済活動に支障が出ることに対する懸念があるがゆえのことと思われる。

  • ナガランド州 女性初の女性オートリクシャー運転手

    先日のパーキスターンのラーホールでの女性による女性のためのオートリクシャーに続き、こちらはインドのナガランド州最大の街、ディマープルにおけるトピック。

    First Woman Auto Driver in Nagaland (Northeast Today)

    社会の様々な分野でよく働くナガ族女性だが、オートリクシャーの運転手となる事例は初であるとのことだ。ラーホールでのそれと異なり、女性客専用というわけではなく、性別に関係なく利用される普通のオートリクシャーだ。

    ナガランド州最大の街が州都コヒマではなく、ディマープルであるのは、山岳地、丘陵地から成る同州で、集落や町は往々にして山や丘の頂上部分を中心に広がる形であるのに対して、ディマープルはこの州でアッサム州境と接するごくわずかな平地部分に位置しており、鉄道や幹線道路が乗り入れる交通の要衝であり、ナガランド州経済の中心地であるからだ。

    そんな環境であること、平地からやってきた「インド人たち」が多いことから、州都コヒマから70km強の距離でしかないにもかかわらず、ここまで降りてくると「インドにやってきた」という印象を受けるほどだ。

    ディマープル市内のオートリクシャーを運転しているのは、大抵は平地のインドから来た人たちということもあり、ナガ族女性運転手によるサービスは、市内を往来する同性のお客からは「機会があれば利用してみたい」と好評を持って迎えられることだろう。ただし、目下、女性運転手はこのToliho Chishiさんのみであるため、なかなか巡り会う機会はないのだが。