ニューデリー駅に着いたが本日は乗り換え。サラーイ・ローヒラー駅からの出発前にデリーの常宿向かいのCafe Festaでランチ。潰れて別の店が入っているのかと思ったら、店内リニューアルしてずいぶんモダンになっていた。しかも味わいも大きくグレードアップ、そしてお代も相応にプライスアップ!
よく目にしてきた店がなくなってしまうのはちょっと寂しいけど、よく利用した店が成長したのを目にするのは嬉しい。




ニューデリー駅に着いたが本日は乗り換え。サラーイ・ローヒラー駅からの出発前にデリーの常宿向かいのCafe Festaでランチ。潰れて別の店が入っているのかと思ったら、店内リニューアルしてずいぶんモダンになっていた。しかも味わいも大きくグレードアップ、そしてお代も相応にプライスアップ!
よく目にしてきた店がなくなってしまうのはちょっと寂しいけど、よく利用した店が成長したのを目にするのは嬉しい。





パハールガンジの名刹(?)ジャマー・マスジッド カーズィーワーリー。以前、中を見学したが、外からは想像がつかないほど本格的かつ立派。一見、都市型の雑居型礼拝施設のように見えるが、建物自体がモスク専用。グラウンドフロア部分はテナントに貸し出している。


この日に乗車するのは午前6時発のニューデリー行きのシャターブディー・エクスプレス。夜から早朝にかけてはホテル周辺は人通りはほとんどなくなる。駅まで遠いのでオートが必要だが見つかるかどうか?と思ったが、ホテル前のフライオーバーを通るオートに大声をかけて呼ぶという「システム」。ほどなくオートがつかまり駅へ向かう。
鉄道の往来の要衝のひとつであるカーンプル駅は、早朝でも昼間のような賑わいである。駅前に並ぶ商店や食堂の多くが日の出前から店をオープンしている。古色蒼然としたカーンプル駅の建物が目に前に見える。




列車はちょうど定刻に発車した。私はもらえるものはありがたくいただくほうなのだが、チケット代金に込みのスナックや食事といった車内食を「要りません」と断ってしまうインド人客は決して少なくない。なんだかもっていない。そんな人たちでも水のボトルだけは受け取ってるのだが。


ニューデリー駅前のバーザール、パハールガンジで昼食を取る。本日はデリー宿泊ではなく、これからサラーイ・ローヒラー駅から出る列車でアジメールへ向かう。


今の時代になってもインドにはあらゆるところに違法建築は多い。とりわけ危ないなぁと思うのは、道の真ん中にあるお寺や祠。
インド各地でしばしば行政当局が違法建築の取り壊しに乗り出すが、まとまった地域ではなく、このような形でちょこんとひとつだけ出現している場合、なかなか撤去の対象にはなりにくい。

信仰、しかもマジョリティーのヒンドゥーの人たち、とりわけ地域住民のそれに関わるものであるため、面倒事が起きる可能性が高いがゆえ見て見ぬふりという部分が大きいのではないかと思う。まさに「触らぬ神に・・・」である。
この小さなお寺の場合、道路真ん中に生えていた木がだんだん神性を帯びて、根本に基壇、そして簡易の祠、一回り大きな祠ときて、屋根のついた祭司が常駐できる小さな寺へと発達したことがわかる。構造物の存在としては違法建築物であることは認識されていても、すでに神性を持っているがゆえに信仰の対象となり、近隣の人たちによる日々のお参りや喜捨の対象となる。
ガンガーの水が物理的にはとても汚染された水であっても、神性があるがゆえに「聖水」となり、息子がとても悪質な犯罪に手を染めても親の義務としてその息子をかばい続けるのが当然といった、私たち日本人とは異なる「ダルマ」が課す「カルマ」から来るメンタリティと同根のものかもしれない。
しかし道路にこうした障害物が存在するということは、とりわけ地元ではない人たちにとって危険極まりないないもの。早急に撤去すべきなのだが、こうしたものが永劫に存在してしまうところには、やはり私たちとは異なる物事の優先順位があるからにほかならない。



カーンプルにあるシュリー・ラーダークリシュナ寺院ことJKテンプルもJKグループによるもの。この寺院を運営するトラストは、JKのいわば宗教部門ということになる。
JKテンプルで多くの人々に参拝してもらう一方で、JK本部がある路地裏にはちいさいけどきれいなこのお寺があり、路地のおばちゃん、おばあちゃんたちが夕方集ってアールティーをやっている。グローバルに展開しつつも、先祖代々の超ローカルな繋がりも大切にする姿勢には驚かされる。
私は芝生の庭でパニールバーガーを食べている。ガーデンにはご覧のようなスマートな店があり、メニューには様々なアイテムが用意されており、子供たちが大好きなアイス類も充実している。屋外のイベント会場のようでもあり、どこかリゾートに来たようでもある。

屋外のイベント会場かリゾートにでも来たかのようだ。




だが実はここはヒンドゥー寺院の境内であり、小洒落た店で働くスタッフたちは、このお寺を運営するトラストの人たち。つまりこうした「サービス」がお寺のプラサードという位置づけであり、世俗の空間ではないのだ。
お寺は旧来からの宗教団体ではなく、成功した企業家による慈善事業としての活動であり、その企業の宗教団体部門ということにもなるのだろうが、なかなか面白い取り組みだ。JKテンプルは近年できたものではなく1960年に始まったものである。

抹香臭くなくスマート、清潔かつスタイリッシュ、説教臭く臭くなくカジュアル。日本でも外食産業でもアパレル企業でもなんでもいいのだが、宗教臭のしないお寺や神社みたいなものを作ると良いかもしれない。


自転車でとおりかった人がこれを飲んだり顔を冷やしたり。台車で物品を運搬したり、サイクルリクシャーを引いたりする人たちも、ここで思い切り冷水を飲んだりペットボトルに詰めて持って行ったりしている。同じく通りかった子供たちもおじいさんも。


大きな会社にとってささやかなことでも、受益者にとっては大きな恩恵。このすぐ先にヘリテージ建築ながらも巨大な「JKタワー」がある。こういうものが設置されているだけでなく、冷水器の向かい側にはJKがスポンサーの小さいけど立派な寺院があり、夕方には付近のお母さんやおばあさんたちが集ってバジャンをやっている。会社がある、まさにその場所で、このような形で地域に貢献しているのは素晴らしい。

あと、ここにインドを代表する企業グループのひとつJKのカーンプル本部(デリーに総本部がある)ことにより、給水も給電も鉄道施設、軍施設と同じく途切れることのない最優先地域になっているはず。
それにしても多国籍企業のJKの本部がゴミゴミゴミしたパハールガンジよりもさらに粗末な下町にあるのは不思議。エグゼクティブが使う大型高級車なんか入って来ることすらできない路地裏なのに。(せいぜいオートリクシャーくらいしか入れない)
最初、ここに「JK」の名前とロゴを見たとき、よくあるニセモノとかモノマネの類かと思った。実はJKセメント、JKタイヤ、JKアグリ・ジェネティクス等々の大企業を擁するあのJKグループのカーンプル本部。
創業者はマールワーリー商人の家の生まれ。つまりラージャスターンをルーツとする商業コミュニティーで、シェカワティー地方のジュンジュヌーから出た家らしい。彼の家は貸金業から銀行まで興したりもしていたようだけど、さらには紡績業その他にも手を広げる多角経営で成長。
どうやら生家もこのエリアのようだ。英国人の街でもあったシヴィル・ラインスがあるし、その先には軍駐屯地もあるため、商機に恵まれた街だったはず。
それにしても「ビジネス界インド代表」みたいなビッグな存在になっても商家スィンガニヤー家」の故地である路地裏から全インド、そして世界を相手に展開するという心意気は大したもの。
大きくなって故郷を忘れてしまうんじゃなくて、そこを本拠地に据えて頑張るのだから。路地の人々もきっと応援していることだろう。

ダルマナート・スウェタンバル寺院というジャイナ教のお寺を見に行く。オートで「ここの路地は乗り入れられないから徒歩で」と言われたところ、ゴミコミした超狭い通りに「カムラー・タワー」なるヘリテージ建築が。
路地を進んでジャイナ教寺院に行ってみた。通称「グラス・テンプル」としても知られる絢爛なお寺。造形や色彩の面白さに夢中になる。















オートを降りたところに戻る。先述の「カムラー・タワー」を見るためだ。
向かい側には今どきの無味乾燥なビルがあり、その会社「JK」の創業者ジュッギーラール・カムラーパトという実業家の名が記された銘板がある。いずれもこの会社の建物なのだそうだ。

実は、ここは世界で多国籍に展開する大財閥のカーンプル本部!(現在、総本部はデリー)



こんな路地裏にあるとは信じられないのだが、ラージャスターンから移住したマールワーリーのスィンガニヤー家によりこの地で産声を上げた企業であり、出自を大切にしているらしい。こんな狭い路地にいきなり実業家の凄まじく見事なヘリテージ建築があったり、美しいお寺があったりと、なんと狭いところいろいろあるものだ。
このあたりは古くからの家屋が並び、こうした様式の素敵なゲートもある。


同様に界隈にはちょっといい感じのハヴェリーもあったりする。「1857年繋がり」で興味はあったものの、「発電所」「軍駐屯地」のイメージばかりで、あまり見どころはなさそうに感じるかもしれないカーンプルだが、いろいろ見どころは多いのでオススメである。

カーンプルの「シヴィル・ラインス」もまたアラーハーバード(プラヤーグラージ)に負けず劣らず良い感じだ。どちらも欧州人地区で「Natives」の出入りが厳しく制限されていた白人の街であった過去を彷彿させるものが多く残されている。
整備された街区から広大な公園を挟んだ向こうは「エドワード・メモリアル・ホール」。英国人たちの式典等に使われたのだという。ホール出口に面した部分からみどり豊かな公園が広がっており、さぞ使い勝手も良かったことだろう。
上階は現在図書館となっており、貴重な文書?から近年の一般的な書籍まで、きちんと系統立てて区分され、丁寧かつ効率的な保管と管理がなされているわけではなく、かなり残念な状態である。











たどり着くまであと200mというところで軍の検問があり、先は一般人は立ち入り禁止だという。軍駐屯地の官舎地区にあるためらしい。せっかくここまできて見ずに帰るわけにはいかない。
検問所の上役らしき男が部下の若い兵士に命じて監視付きで見学することに。昨日はアラーハーバードでこのような感じの聖堂がすっかり荒れ果てているのを目にしたが、ここは現在も使用されており、いいコンディションであった。
中では礼拝が進行中。出入りが制限されている駐屯地内なので、おそらく参列者たちは軍関係者やその家族だろう。一緒についてきてくれた兵士自身もクリスチャンであった。





余談になるが、「カーンプル」という街の名前がよく日本語メディアで「カンプール」と書かれているのを目にするが、明らかな誤り。正しくは「カーンプル」である。

ここは1857年の大反乱の有名な舞台のひとつであるサッティー・チャウラー・ガート(通称「虐殺ガート」)。
1857年6月27日、ここで女性や子供たちを含む300人もの英国人たちが凶暴な反乱軍兵士やそれに乗じて暴れたゴロツキたちに殺害されている。
現在はほとりに寺院が建ち、静かな沐浴場所となっている。




暑い中を歩いていると、汚い酒場みたいなところで、デーシー・シャラーブではなく、ビールを出しているという店があった。渇きについつい引き込まれそうになるが、ここで飲んだらもう1日が終わってしまいそうなので我慢する。

さらに進んでいくと、どう見ても本当のインド華人が経営していそうな中華屋があったので入ってみる。出てきた年配男性に尋ねてみると、数年前までは華人が切り盛りしていたが外国移住のためインド人に売却したのだという。その男性を含むスタッフたちは華人時代から働いており、今年でなんと43年目なのだとか。



移住先はインド華人定番のカナダとのこと。彼らの大半がカナダ行きであり、そのマジョリティーはケベック州、その中でもモントリオールとその周辺が多い。先行した移住者たちのツテや縁があるからのようだ。
カーンプルのこの中華レストラン「中華」でチャプスィを注文。ひとりでは持て余す分量ながらも優しい繊細な味付けと野菜にコシがのこしてあるのは、さすがインド華人直伝。長崎皿うどんさながらの味わいだ。

