キプリングの時代

ボンベイ生まれのイギリス人作家ラドヤード・キプリング(1865〜1936)の献辞が書かれた彼自身の著作『THE JUNGLE BOOK』が見つかったのだそうだ。
Rare Kipling edition discovered (BBC NEWS South Asia)
代表作『トム・ブラウンの学校生活』で知られるトマス・ヒューズ(1822〜1896)と並び、生前には当時のイギリスを代表する大作家であり、1907年のノーベル文学賞受賞作家でもあった。文豪ヘミングウェイに多大な影響を与えた人物としても知られている。
代表作『ジャングルブック』『少年キム』などとともに、『領分を越えて』『ブラッシュウッド・ボーイ』『損なわれた青春』などの短編も邦訳されており、これらは岩波文庫の『キプリング短篇集』に収録されている。
なお、今ご覧になっているPCの画面から、そのままキプリングの作品にアクセスすることもできる。邦訳されたものは、青空文庫にて、『幻の人力車』ならびに『モウグリの兄弟たち』というふたつの短編しか読むことができないが、英文のテキストならばProject Gutenburgにて、キプリングの作品群が多数公開されている。
1865年にボンベイで生まれた後、1871年には両親により教育のため、まだ見たことのなかった祖国イギリスに送られているが、1882年には再度インドに渡航して、ラーホールの新聞社に職を得た。Civil & Military Gazetteという新聞の発行元である。
その後、1887年にはアラーハーバードのPioneer紙に移り、このころから紙面に定期的に短編小説を発表するようになった。やがて文壇の怪物として台頭し、ついにはイギリスの国民的作家としての名声を不動のものとするキプリングの文芸活動のはじまりである。
彼は、インドはもちろんのこと、アメリカ、シンガポール、ビルマ、日本、南アフリカ等各地を訪れている。彼の作品に出てくる舞台も当時のインドのみに限定されるものではないとはいえ、やはり彼の書き残した主要作品の中で最も大きなウェイトを占めるのがインドであり、キプリングの作品から当時のインドの世相や欧州人社会を探ることを試みた書籍なども多数出ている。
帝国主義的、人種差別的であると評されることもあるキプリングだが、私たちが生きている現代とは社会の風潮や常識といった物の考え方の尺度が異なっていたことを踏まえる必要があるだろう。
彼の作品で描かれる主人公その他の欧州人たちは、提督や政府高官といった権力者ではなく、大きな富を抱えた大商人でもない。多くは、役人、技師、兵士その他の被雇用者といった『末端の白人』として生きた人々の低い目線から描き出したものである。
当時の『インドの大衆』とは大きく一線を画す存在であったとはいえ、インドを舞台とする作品中で彼が描いた主人公の多くは、インドのイギリス支配の末端を担う、現地の白人社会における『一般人』たちであり、異郷で彼らなりの運命を切り拓くべく努めていた『普通の人』たちである。
つまり主要な読者層であった欧州系の人々、イギリスその他欧州に暮らす人々であれ、インドを含む当時の英領地域に住む白人の同胞たちであれ、同じ一市民として感情移入できる作品群を書き残したからこそ、各地で広く読まれることになったのだろう。そして今なお彼の作品が人々に親しまれているのは、その目線の低さと、読者にとって『私たちと同じ』市井の人々を活写していたからに他ならない。
私たちにとって、すでに遠い過去のものとなった植民地時代の白人社会の日常に関わるつぶさな描写は、非常に示唆に富むものである。また主人公たちによる『ネイティヴ』の人々への視線やかかわりかた等々、まだ映画やテレビドラマのなかった時代の日々を、私たちの目の前に鮮やかに描き出してくれる。
インドを舞台にした彼の作品は、小説というフィクションでありながら、当時インドに暮らしていたイギリス人をはじめとする白人たちの人々の社会史・生活史の資料でもある。キプリングが後世の人々に残した功績は、文学のみに限定されるものではない。
彼が描き出した当時の世の中のありさま自体が、非常に良い状態で保存された『史跡』のようでもある。この世の中に文字というものがある限り、そこは決して失われたり荒れ果てたりすることなく、それらが書かれた当時のままの光景が、ページをめくる私たちの目の前に展開するのだ。
キプリングという大作家があってこそ19世紀後半から20世紀初頭にかけての『当時の世間』が、誰にも読みやすく、興味深い小説として闊達に綴られた。時代を超えて、また活字という手段により国境を越えて、我々が共有する貴重な遺産である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください