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カテゴリー: travel

  • レーにて 3

    レーにて 3

    宿泊している宿のすぐ隣にあるPadma Guest Houseの屋上のレストランが私のお気に入りである。

    Padma Guest House屋上のレストランからの眺望

    レーの町にありながらも、周囲の眺めが開けているため、畑の向こうに広がる山あいのパノラマ風景を楽しむことができる。

    ここで出される食事はおいしいが、さりとてそれらが特別に・・・というわけではないし、メニューがとりわけ多いわけではないのだが、やはりこのロケーションの良さと、利用者がほぼこのPadma Guest Hose宿泊客だけという静かで落ち着いた雰囲気もいい。

    朝早くにこのレストランがあるテラスから眺める風景、夕方陽が落ちてから次第に暗くなっていく山並みの眺望、スカッと晴れた日の昼間、曇りでどこかからか雷鳴が聞こえてくる午後など、いずれの時間帯や天気でもそれぞれの味わいのある心地よいロケーションだ。

    シーズンオフの厳冬期も営業しているのかどうかは知らないが、ピリピリと冷たい空気の中で、白い雪を被るエリアがすっかり広くなった山々を望むのも大変いい感じなのではないかと想像してみたりする。

    〈続く〉

  • レーにて 2

    ここ3年ほど夏にはラダックを訪問しているが、レーでの常宿となっているのはSia-La Guest house

    ラダック人ムスリム家族が経営する宿で、庭いっぱいに栽培されている野菜と周囲のポプラの木の葉の緑が目に心地よい。今年からは母屋とそれに面した芝生のところでWifiを利用できるようになっていて、ますます快適になった。オーナー夫婦は話好きな人で、彼らの人柄を慕っての常連客が多いようだ。観光客以外にもNGO等で活動している人たちの利用もかなりある。

    レーの町は際限なく広がっていっているように思えるが、宿の奥さんの話によると、レーの町が広がっているのはラダック地域内の他のエリアからの人口の流入、村からの人口の流入等があるのだそうだ。町の外縁部では土地を占拠しての違法建築も増えているとか。

    違法建築はともかく、レーとその他の地域では学校の教育の質、就業機会、給電や給水の状態はもとより、その他様々なあらゆる面での格差が大きいため、レーに集中してしまうのはわかる。北方のヌブラよりも先のトゥルトゥクあたりからもかなり来ているそうだ。

    それ以外にも、レーの町中ではインダス河をしばらく下った先で、ラダックの中では低地にあたる通称「アリアン・バレー」地域の人たちの姿もあり、ほおずきや花を頭にあしらった女性の姿をときどき目にする。モンゴロイド系の一般的なラダック人たちとは異なるアーリア系の風貌をした人々である。

    村の若い人たちが町に大勢来てしまい、村で畑仕事する人たちが減ってしまったりということもあるようだ。村で農作業している低地からやってきた出稼ぎインド人たちが大勢いるのもそういう理由があるのかもしれない。

    だが治安面での懸念等はないのだろうか。とりわけ若い男性ばかりということになる出稼ぎ人たちだが、そのような問題もはらんでいることが想像できなくない。

    田舎から町に出てくる人たちが多いのと同様に、レーの人たちの間でもやはり子供たちをデリーやチャンディーガルの学校に送ったり、仕事を求めてインドの他の地域に行ったりということは少なくないようだ。

    こうした事柄は、日本における農村から町へ、町から主要都市や東京へという人口の移動とも似た性格があるようにも思われる。

    〈続く〉

  • レーにて 1

    レーにて 1

    観光シーズンのこの町には沢山の宿があり、よりどりみどりである。ガイドブックで好意的に取り上げられているところ、ツアー客の利用が多いところなどでは数日先まで予約で一杯ということもあるとはいえ、そうしたコネを持たない宿は宿泊客がほとんどなかったりもして、「これで本当にやっていけるのか?」とこちらが少々心配になってしまうようなところもあったりする。

    食事する場所にしても、宿にしても、夏のシーズンにだけオープンしているところが多く、そうした時期にだけ平地のU.P.、ビハール、ジャールカンドといった州や隣国のネパールから来たスタッフを雇って営業していたりする。そうしたスタッフたちは、オフの時期には故郷に帰っていたり、ラダックがオフシーズンの時期にピークとなる他の地域で働いていたりする。

    こうした現象は、レーの町中だけではなく、幹線道路沿いに荒野の中にポツンと存在する小さな食堂であったり、カルドゥン・ラを越えた先のヌブラ渓谷にある小さなゲストハウスでも同様であったりする。また、この時期の農村も繁忙期であり、麦や野菜などの収穫をしている村々で、額に汗して働いている人たちの多くが「平地から来たインド人」であることは多いし、気温の高い時期即ち屋外で作業しやすい時期に集中して行われる道路その他の建設工事に従事する人々もまた同様である。

    ラダックの観光シーズンにおける季節労働は必ずしも外部の人たちによるものばかりというわけではなく、チャーターしたクルマの運転手はザンスカール地方を含めたラダック地域の人たちが多い。トレッキングガイドについては、夏季休暇中の地元やインドの他の地域の大学で学んでいるラダック人大学生たちが従事していることが多いようだ。

    近年盛んになっているラフティングについては、漕ぎ手やリーダー役を務めるのはネパール人が多い。インドのハリドワールに講習所があり、そこで技術を身に付けた者が多いとのことである。

    〈続く〉

  • 空路デリーからレーへ

    空路デリーからレーへ

    デリーからレーに向かう飛行機に乗る。

    昔々、インドで民間航空会社が出現する以前、インディアン・エアラインス(現在はエアインディアと統合)の専売であった時代から、この路線のフライトは早朝の時間帯に出発することになっている。

    気象の関係もあるのかな?と思っていたが、もとより降雨量が極端に少ない地域であり、モンスーン期にも雨雲の影響を受けにくいエリアでもあるため、むしろ「希少なフライトであるがゆえに変な時間帯でも需要は高い。思い切り早い時間帯に飛ばしておけば、機材を他の地域への便に有効活用できる」といった、経済的な要因が大きいのではなかろうか。

    2012年にキングフィッシャー・エアラインスの撤退(その後、同社は経営破綻)により、一時期はレーに乗り入れる空の便が減ったようだが、既存の航空会社のフライトが増えたことにより、現在ではそれをカバーしているどころか、かえって増加したようにも思う。

    それでもシーズンにおける需要そのものが年々高くなっているため、かなり早めに予約する必要があるのはもちろんのこと、LCCを利用したつもりであっても、レーに乗り入れるフライトのチケットは他の地域の同程度の距離のものに比較するとずいぶん高価なものとなっている。訪問客が激減するオフシーズンはどうかといえば、レーに乗り入れるフライト自体が著しく減ってしまうため、「直前でも安く」というわけにはいかないのが現実のようだ。また、12月から1月にかけては、出発地のデリーの濃霧により、各地へのフライトのキャンセルが多発するので注意が必要だ。

    デリーを出てしばらくしてヒマラヤの上空に差し掛かると雲が眼下にたまっているのが見える。南の海のほうから運ばれてくる湿気を含んだ空気が山に当たり、そこに雲が溜まる様子が手に取るようにわかる。

    ヒマラヤ山脈のところで雲が溜まっている様子が見える

    しばらくすると雲の切れ目はかなり高度がある地域となり、そこには山の上のほうから形成される氷河が見える。そこからしばらく進むと雲がほとんどなくなってきて、ラダック地方に入ったことがわかる。その手前までは雲があんなにたくさんあるのに、それを越えると乾燥した大地となる。自然というのは不思議なものだ。もちろん高度が作用しているとはいえ、高い山並みが雨をもたらす雲を遮っているのである。

    眼下に氷河

    北上していくと、雲の切れ目から氷河の姿を目にすることができる。今はそうした壮大な地形をGoogle Earthで簡単に見ることができるようになっているとはいえ、空の上からとはいえ実物を眺めることができるのは、まさにこの路線ならではのありがたみである。

    乾燥した大地に流れる川
    「勇壮な」というコトバがぴったりくるラダックの眺め
    大地にも様々な色合い
    水のあるところに緑があり、人々の営みもある。

    さて、いよいよラダック地方に入ってくると、カラカラに乾いた大地が出現する。まさに宇宙船で違う惑星にやってきたかのような気さえしてくる。機内アナウンスによると、右側にはツォモリリが見えるらしい。私が座っているのは左側なので、それを見ることはできなかった。早朝という時間帯の関係で、レーに向かう便に搭乗する際、機体の左側の窓際席を取るのがベターだ。順光でヒマラヤ山脈の景色を楽しむことができる。更には、翼で視界を遮られることがないように、最前部近くあるいは最後尾近くの座席を指定すると、写真撮影も楽しむことができて、なかなかいいものだ。

    ストックの村だろうか
    軍事施設の上を旋回してレーの空港にランディング

     

  • エアインディアがスターアライアンスに加盟

    これまでアライアンスへの加盟が遅れていたエアインディアだが、ようやくここにきてスターアライアンスの一員となった。

    この話は数年前にも浮上していたのだが、諸条件の折り合いがつかず、一度は頓挫している。その後、昨年12月から再び加盟に向けての動きを加速させて、ようやく7月11日付でスターアライアンスのメンバーとなるに至った。

    そんなわけで、この日以降にエアインディアに搭乗された方で、従来の提携先であったルフトハンザならびにシンガポール航空以外の航空会社のカードをチェックインカウンターで提示して、マイレージを貯める手続きをしている人たちがいるのに気付いた方は少なくないことだろう。

    スターアライアンス加盟の航空会社は、これで27社となる。マイレージ加算率ならびに私たち日本人にとって利用しやすいネットワークといった観点から、比較的貯めやすい航空会社はユナイテッド航空あるいはエアカナダということになりそうだ。

    日本とインドの間を往復にかかるマイレージは軽視できるものではないため、発行から3年を期限として、それまで貯めたマイレージがチャラになってしまうエアインディアのマイレージのカード(・・・というものが一時期存在していた)は論外であるとして、だからといってあまり利用する機会のない航空会社のマイレージに貯めるというのも非生産的である。

    もちろんマイレージの関係だけではなく、大きなアライアランスに加盟して、提携先が増えるということは、コードシェア便として利用できる乗継便等も拡大することを意味するわけであり、スターアライアンス加盟手続きに際しては、国営会社の融通の利かない体質であったり、旧態依然の労務慣習その他の関係であったり、エアインディアの担当者たちはいろいろと苦労されたのではないかと思うが、ともあれようやくこうしてアライアンスメンバーとなったことにより、エアインディアのステイタスが少々高まるのはもちろんのこと、私たち利用者にとっても大いに歓迎すべきことである。

    Air India Becomes Star Allicance Member (THE HINDU Business Line)

  • 日本への短期滞在の数次査証

    日本とインドの間では査証の相互免除協定がないため、両国の国民が相手国を訪問する際には事前に査証を取得することが必要となる。

    相互免除の取決めがない場合においても、例えばタイにおいては日本国籍を持つ人物が空路入国の場合は30日間以内、中国の場合は15日以内の場合は査証無しでの滞在を認めるという措置がなされていることも少なくない。

    そうした措置がなされているのは日本国籍に限ったことではないが、相手国からの訪問者が自国で超過滞在、不法就労、法秩序等に係る問題を生じさせる事例が少なく、事前に在外公館の査証発行に関わる事務手続き等の負担を軽減させることや観光促進等の目的などでこのようなことがなされることが多い。

    また、いかなる滞在期間、目的であっても査証の取得は必須ということになっていても、カンボジアのように、観光目的であれば入国時に滞在可能期間30日の査証が取得できるような国もある。入国前の事前審査という部分が形骸化しており、事実上の入国税的なものとなっていると捉えることもできるかと思う。

    インドにおいても、Tourist Visa on Arrivalという制度により、カンボジア、フィンランド、インドネシア、日本、ラオス、ルクセンブルク、ミャンマー、ニュージーランド、フィリピン、韓国、シンガポール、ベトナム国籍の人々が観光目的で訪印する場合について、バンガロール、チェンナイ、デリー、ハイデラーバード、コーチン、コールカーター、ムンバイー、トリバンドラムの空港から入国する場合においては、その場で30日以内の滞在が可能となる査証が発行されることになっており、私たち日本人にとっては、インドを旅行するにあたり査証取得についてのひとつの選択肢となっている。

    さて、日本においては査証相互免除協定を結んでいる相手国以外において、本来は観光目的というわけではないが、国によっては数次有効の短期滞在査証の制度の対象としている。

    数次有効の短期滞在ビザ(外務省)

    今年の7月からは、この制度がインド国籍の人々にも適用されることとなった。観光目的での取得も可能としていること、インド国籍の人が第三国でも申請可能としている点(申請人が居住している国以外では申請不可)において、他国籍の人々に対するものよりも多少弾力的に運用されるものであるように思われる。査証の有効期限は1年間または3年間、滞在期限は1回あたり15日以内である。

    ンド国民に対する短期滞在数次ビザの発給開始について (在インド日本国大使館)

    インド国民に対する数次有効の短期滞在ビザ申請手続きの概要 (外務省外国人課)

    日印間での人々の往来が以前よりも活発になってきている昨今、日本でITその他の分野で働くインドの人々自身以外にも、その親、配偶者、子供といった関係にある人々による日本への短期訪問も相当増えているうえに、日本に居住する親族訪問以外ではなく観光目的でやってくるケースも決して珍しいものではなくなってきている。

    同様に、インドでも日本人に対して有効期限5年間くらいで、1回の滞在可能期間が30日以内・・・といった具合の数次査証を発行してくれるようになるといいのだが、などと虫の良いことを夢想してみたりしてしまう。

  • ミャンマー初の世界遺産登録

    このほどユネスコの世界遺産として、ミャンマー中部のエーヤーワディ河流域の「ピュー古代都市群」が登録されることとなった。同国の経済関係以外の文化面における国際社会への復帰を象徴するかのような出来事といえるだろう。

    ビルマ族最初の王朝であるバガン王朝以前に、ミャンマーの先住民族であるピュー族が建設した古代都市遺跡で、みっつの都市の遺構に宮殿、要塞、埋葬所、産業地域、仏塔、灌漑施設等が残っている。

    他にも文化的遺産が豊富な同国で、ちょっと専門的な知識がなければ見物してもよく判らないような遺跡がなぜ一番最初に登録されることになったのか不思議に思う向きもあるかもしれないが、敢えてビルマ族による文化遺産ではなく、先住民族が創り上げた都市国家遺跡を登録することによlり、従前はビルマ族の民族主義をゴリ押ししつつ、国内に暮らすその他の民族のナシュナリズムの高揚を圧殺してきた同国政府が、国内外に自国における多民族・多文化の共存をアピールする政治的な意味があるのではないだろうか。しかもピュー族自体はすでに消滅してしまっているがゆえに、現在ミャンマーに暮らしている少数民族たちのナショナリズムを刺激することもないため、政府にとって「安心」でもある。

    世界三大仏教遺跡に数えられるバガンの遺跡群については1996年に当時の軍事政権が申請を提出したものの、保全計画の不備を理由(ならびに軍事政権に対する圧力?)により、却下されてしまった経緯がある。今後はバガンの世界遺産登録に向けての最申請の準備が進められているようである。観光業振興にも大いに役立つ看板にもなるため、他にもこの国から世界遺産登録申請はいくつか続くことと思われる。

    Myanmar’s first site inscribed to World Heritage List (UNESCO)

  • Trains At A Glance

    Trains At A Glance

    またインド国鉄の時刻表改定の時期である7月が近づいてきた。

    現行の時刻表については同国鉄のウェブサイトからダウンロードできるようになっている。来月にこれが改まることになる。

    もう何年も前に、これがウェブ上から引っ張ることができるようになったときには、便利になったものだと少々感激したものだが、ときにリンク切れがあったりすることもあるし、遅い回線環境にあるユーザーのことを考慮してか、テーブルナンバーごとにダウンロードするようになっているのはちょっと面倒でもある。一冊まるごと落とせるようにもなっていると便利なのだが。

    ともあれ、現在はIRCTCや様々な旅行ブッキングサイトで乗車する日、利用クラス、乗車駅、降車駅を入れれば、その時点で予約可能な列車名や時刻などが即座に出てくるようになっているため、もはやこうした形での鉄道時刻表の必要性は失われつつあるのかもしれない。むしろ満席で予約できないものは省かれるため、こちらのほうが親切であるとも言えるだろう。

    しかしながら時刻表を眺めながら旅行のプランをぼんやり考えたりする楽しみもあるわけで、毎年7月に入るとこの時刻表の全ページをダウンロードして、PCとスマホに保存しておくことにしている。

  • サイクルリクシャーあれこれ

    サイクルリクシャーあれこれ

    Rickshawの発祥の地といえば横浜(東京の日本橋という説もある)で、日本発祥の乗り物はアジア各地に伝播して、それぞれの土地で発展していき現在に至っている。

    リクシャー、つまり力車こと人力車を文字通り人がテクテク走って引いていたころのものは、日本から輸出した車両とそれを模倣したものが幅を利かせていたため、どこの国も白黒写真に残るそれらの姿は、これらの復刻版が行楽客向けに走る横浜、浅草、鎌倉などの観光地で見られるものとほとんど同じ形をしている。現在、唯一カルカッタの残るこうしたオリジナルの様式のリクシャーは、江戸東京博物館に展示されている人力車にほぼ忠実なコピーと言って差し支えないだろう。

    この人力車の発展形がサイクルリクシャーであり、日本でもリンタクとして一時期走っていた。江戸東京博物館のウェブサイトによれば、信じられないことにこれが1988年まで東京で走っていたということだ。今はイベント等で営業している業者がいるのだが。また、Velo Taxiはサイクルリクシャーの最新型ということになる。

    しかしながら、このサイクルリクシャーについては、動力の効率や操作性の観点からは、南アジアの引き手の後部に座席が備わっているものが一番良いのではないかと思うのだが、ベトナムやカンボジアのように乗客の座席が前に付いているもの、ミャンマーのようにサイドカーとなっているものなど、いろいろなバリエーションを生んだ。

    インド
    ベトナム
    ミャンマー

    座席が前だと眺めは良いし、乗り心地も優れているのだが、自動車やバイクその他の乗り物が忙しく行き来する現代においては、混雑している交差点などではちょっとスリリングである。右折しようとしているところで、腰かけている乗客のところに他の車両が突っ込むという事故を目にした際には「やはり」という気がした。サイドカーのタイプだと、運転手との会話が容易であるところが好ましくも思える。後部が座席となっているものの場合、往々にして乗客が座る部分はかなり高い位置となるので、見晴しは良かったりするし、多少の雨ならば蛇腹式の傘部分である程度防ぐことができる。もちろん運転手はずぶ濡れになるしかないのだが。

    サイクルリクシャーの駆動部分の自動化を進めたものがオートリクシャーであり、このエンジンの環境負荷を取り除く目的で開発されたのが、サファー・テンポーであり、e-rickshawでもある。

    これまでサイクルリクシャーが活躍してきた地域でも、都市の過密化と住民たちの自前の交通手段の普及による交通渋滞、市街地の拡大による生活権の拡大等により、利用者の減少、乗り入れ地域の制限などにより、先細りの稼業であることは間違いない。先進国におけるVelo Taxiにしてみても、これが実用的な交通手段として機能するかといえば、そうであるとは全く言えないだろう。いずれは各地で消えゆく運命にあるとはいえ、中進国や途上国においては小規模な町での需要はまだまだ高い。

    先進国においても環境意識の高まりや都市部以外での若年層人口の流出などによる高齢者の日常の足としての可能性も否定できるものではなく、サイクルリクシャー営業を試みたら、一定の評価を得るのではないかと思ったりもする。

  • RICOH THETA

    RICOH THETA

    「全天球カメラ」 THETA

    全天球カメラとの触れ込みで2013年11月に発売となったリコーのTHETA。周りの景色をワンシャッターですべて写し込むことができるという唯一無二のカメラなので、発売当時は大変話題になっていたようで、熱狂的な愛好者たちが存在するものの、あまり一般受けする製品ではなかったのか、今では量販店のTheta特設コーナーも閑古鳥が鳴く状態になっている。

    それでも、このカメラに盛り込まれた斬新なアイデアとネットとの連携の良さなども評価された結果、今年5月に発表された「カメラグランプリ2014 カメラ記者クラブ賞」を受賞することになったのだろう。

    『RICOH THETA』が「カメラグランプリ2014 カメラ記者クラブ賞」を受賞 (リコーイメージング株式会社)

    カメラの周りのものすべてが写るため、旅行先の写真や家族との写真などで自分だけが写っていないということはこのカメラにおいてはあり得ないことになる。これで撮影した写真を閲覧する際には画像をグリグリとまた周囲全体が写ることにより、訪問時、撮影時に気が付かなかったことを発見することもあるかもしれない。画質はスマホのカメラと同等という貧弱さなので、とりわけ高感度での撮影についてはひどくノイズが出てしまうようだが、それでも建物や家屋等の内部の様子を記録するにはもってこいのツールということになる。

    レンズを上に向けても下に向けても撮影データの天地や水平レベルはちゃんとしているのが不思議。感度・ホワイトバランスともにオートのみで、スマホのアプリを通じてシャッターを押す場合のみ、露出の+-の調節が可能。暗い場所では盛大にノイズが出てしまうが、ホワイトバランスが優秀なのは幸いだ。

    超広角レンズのためボディからビヨンと張り出した形となるため、レンズの保護をしようがないのは少し気になる。砂や埃などが付いたままで布の専用ケースの中で振動しているとキズの原因となるので注意が必要。

    多少大型化してもいいから、画質が平均的なコンパクトデジカメ並みにならないかなとか、動画も録れるようにならないかとか、撮影時に手指の写りこみを避けるため頻繁にミニ三脚を使うことになりそうなので三脚穴は金属製にして欲しいなどと、いろいろ考えてしまったりする。今後のモデルチェンジ、また他社から競合機種が出てくるようなことがあれば、ますます魅力的な製品として磨かれていくことだろう。

    これまでのカメラとはまったくコンセプトが異なるため、既存のカメラと撮影のシチュエーションや目的が重なることはない。いつでもどこでもこれまでの愛用機プラスワンで持ち歩きたくなってしまう。インドの街並みや旅行先で訪れた歴史的建造物などを360℃撮影するというのはまったく新しい体験となるだろう。

    リコーの製品紹介サイトにサンプル画像がある。愉快な360℃撮影画像をお楽しみいただきたい。

    THETA (リコーイメージング株式会社)

     

     

     

  • ミャウー 3

    ミャウー 3

    ミャンマーで洋式の朝食はインドと同様だ。インドのものとサイズのトースト、バターとジャム、そして目玉焼きかオムレツ、紅茶である。これは旧英領の国、またその他の国でも往々にして同様なのだが、ベンガルみたいな周囲の景観と合わせて、ちょっとインドに来ているかのような気分になる。

    歴史的遺産の保存としてはいかがなものかと思うが、新旧ごちゃまぜの空間はそれはそれで興味深い。

    まずは外に出て、昨日の店でレンタサイクルを借りて、これでお寺巡りとなる。歴史的な寺院遺跡群なのだが、現代も信仰されている寺となっているところも多いため、寺の中に古い部分とそれと隣接したり上に新たな建造物が加えられていたりして、原状の保存という具合にはなっていないところも多々あるのはミャンマーらしいところかもしれない。遺跡の修復具合はあまり良好とはいえない。バガンでも国外からいろいろ批判もあるようだが、ミャウーのそれも安易でチープな修復に留まっているように思われる。

    朝の時間帯は曇っているように見えていたが、日が高くなるにつれてどんどん明るくなってくる。おそらく雲の厚みは同じなのだろうが、日差しが強くなるためそうなるのだろう。ちょうど雨季に移行しようという時期であるため、薄曇りの天気となるようだ。それでも日中の最も暑い時間帯には40℃を少し超えるくらいとなる。

    町の北東にあるコー・タウン・パヤーを手始めに、行ける範囲にあるお寺をいくつか訪れてから、船着場のほうまで足を延ばしてみる。自転車で自由にのんびりと行き来できるのはよい。バガンでもそうであった。もっともあちらはここの暑さの比ではなかったが。

    行き交う人々で賑わうマーケット
    旬な果物ライチー
    料理に使われるフィッシュペースト。日本で言えば味噌のようなもの。
    様々な干し魚類
    ゼンマイの類
    自炊したくなってくる。
    ビンロウジュの実。インドほどではないがこの国にもこれを愛好する人たちは多い。
    強い日差しのもと、こうした帽子は必需品

    昨日は訪れた時間帯が遅すぎてほぼ誰もいなくなっていた市場だが、昼間の早い時間帯に行くとにぎわっていた。今が旬のライチー購入。食べてみるとあまり甘くなくて酸っぱい。だが海や川の産物が豊富で、干し魚には様々な種類がある。また黒くて味噌のようなものがあったが、これは魚の発酵させたもののペースト。料理に使うダシというか、まさに味噌のようなものでもある。

    本日の午後、暑い中を自転車で町中を走っていると、マーケットから少し進んだ静かな住宅地で民家の前の道路にテントを張りだして、数人の人たちが席に座っているのを見た。何か結婚式でもあるのか、それにしてはテントが小さいと思いきや、お通夜であった。小さなベッドの上に洋式のズボンとシャツを着た壮年男性の遺体があり、口には黒いマスクがかけられている。ベッドには蚊帳が張ってあり、小さな電飾が光っている。この気候の中でどのくらいの間そうしていられるのかわからないが。

    気温が高いため、夕方になるとさすがにヘトヘトになってくる。宿近くの食堂では生ビールを出していたので二杯ほど引っかけるとちょうどいい具合になってきた。

    〈完〉

  • ミャウー 2

    ミャウー 2

    レセプションが入っている建物
    室内はこんな感じ

    ここでの宿泊は、Shwe Thazing Hotelである。スィットウェにも同じ名前のホテルがあったが、同じオーナーによる所有だという。開業から4年経ったというが、きれいに手入れしてあり、スマートな感じのコテージ形式。一泊55ドルとかなり高めではあるが、短い期間の旅行であり、エアコンは常時使いたいし、日記等を書くためにも停電に対するバックアップ電源を持つところというと、選択肢はかなり限られてくる。

    宿の隣のレンタルサイクルを借りて市内散策に出発。風景はベンガルとよく似ている。もともと地続きであるし、ベンガルのチッタゴンはもともとヤカインに所属すべきであるという主張が一部にあるように、隣接している地域なので気候風土は似通っているのだろう。ヤカイン州のアラカン山脈はヒマラヤの東端にあたる。そして今私がいる部分は、アラカン山脈が終わったその先なので、ヒマラヤから続く山地が終わったその部分にいるということになる。人々の顔立ちにしてもバーングラーデーシュにいてもおかしくないような風貌も少なくない。ただし、ミャウーがベンガルと違うのは、ヒンドゥーたちのお寺がないこと、モスクからアザーンの呼びかけが聞こえてくることはなく、モスクもないことだろうか。やはりここは仏国土なのだ。

    もし英領下の1937年におけるインドからビルマの分離がなく、1947年のインドのイギリスからの独立に伴う印パ分離がなく、よって地域もインドの一部であったとしたら、もとより人口圧力の高いベンガル地域から大量のベンガル人流入があり、またUPやビハールからも同様に沢山の人々が移住して、すっかりインドの一部になってしまっていたことだろう。政治というものは、そして国境というものは人々の間に垣根を作るが、同時にそこに暮らす人々を外からの影響から守る働きもある。

    大量生産の衣類、プラスチック製品があることなどを除けば100年以上前とほとんど同じかもしれない。
    こんな感じの家屋が続く
    村のこどもたちのおやつの時間
    村はずれにヘリパッドがあるのは不思議といえは不思議

    自転車で町はずれ・・・といっても少し走るとすぐに町の外に出てしまうのだが、そこからは村が広がっている。未舗装のダートの両側には竹で作られた家屋が並び、やや豊かと思われる家には柱組を木で作った家だったりする。こういう家屋では雨季を過ごすのは大変困難なことだろう。豪雨に見舞われることもたびたびある。ましてやサイクロンが襲来した場合、このような家屋が持ちこたえることができるとは到底思えない。2007年のナルギスの後、2010年にもヤカインにはサイクロンがやってきてかなりの被害が出たというが、このあたりはどうだったのだろうか?

    町から出ると電線が見当たらない。村には電気は来ていないものと思われるし、水道もないようだ。井戸で水汲みをしてアルミの壺に入れて運んでいる女性たちやそれを手伝う子供たちの姿がある。井戸がない集落では、どこまで汲みに行くのかは知らないが、かなり遠くまで足を延ばしているように見える。流れる川に飛び込んで遊ぶ子供たちの姿もあり、なかなかたくましい。かなり厳しい生活環境のように見えるものの、村の中は和やかな雰囲気である。

    町のマーケットで売られているアルミの水がめ。これで村の女性たちは水汲みに出かける。

    そうした景色を目にしながら自転車のペダルを踏む。昼間の気温はかなり高く、摂氏40度前後くらいだろうか。それでもこの時期のバガンほどの酷暑ではないのは助かる。また少しばかりの気持ちの余裕を持って走りまわることができる。

    ラカイン族の最後の王朝の都(1430~1784)であり、欧州や中東との海運で栄えたとのことだが、コンバウン朝に征服された後に英領となり、ビルマ独立以降は同国の一部を構成することとなった。現在は小さな町となっており、今も数多く残る仏教建築を除けば、栄華の過去を偲ばせるものはほとんど残っていない。王都として繁栄した当時には、欧州系やアラビア系の人たちも少なからず都に暮らしていたというが、今もそうした血筋を引く人たち、あるいは先祖にそういう人がいたという言い伝えのある人たちは残っているのだろうか。

    日本人との縁もないわけではなかったらしい。江戸時代にキリシタンとして迫害された日本人も王宮の警備に雇われていたという。東洋のベニスとも称されたりもした水運の町であったとのこと。今はそういう面影は感じられないのだが、いくつか残っている運河では小さな船や竹を組んだ筏が行き来しているのを目にすることができる。

    筏の往来

    旧王宮には、石垣と建物がかつて存在していた部分の基部の石しか目にすることはできず、王宮は木造であったとのことだが、往時を想像するには大変なイマジネーションの豊かさが必要となる。

    王宮跡

    王宮で写真を撮っていると、突然砂嵐のような具合になってきた。突風とともに砂塵が巻き上がり、とても目を開けてはいられない。強い雨が来る前触れだろうと、そそくさと王宮跡を出る。どこもすごい突風で、店先の日除けは落ちるし、何か風で吹っ飛んだりしていたりで、ちょっと注意が必要だ。

    しばらく走っても収まらないので、英語で看板を出しているゲストハウスの隣の食堂に入り、ヌードルスープとコーヒーを注文する。しばらくの間は風と砂塵がひどく、店の中にいても目が痛くなりそうなくらいだ。食事を終えるあたりで強風がようやく静まると、外では雷が鳴り始めた。少し雨もパラついてきた。幸い、ひどい降りにはならなかったので、店を出て再び走り回ることにした。

    夕方4時から王宮跡のすぐ東側にあるグラウンドでサッカーの公式戦(?)が行われていた。地元のチームの試合のようだが、いくつものバナーが掲げられており、ずいぶんたくさんの観客が集まっている。娯楽らしい娯楽がなさそうなので、こうした機会を楽しみにしているのだろう。

    サッカーの公式戦
    見物する人たちの姿が沢山!
    出場者たちは裸足かソックス履きのみであった。

    不思議なのはラインが引かれていないことだ。どこまでがピッチなのか、どこまでがペナルティエリアなのか、ハーフウェイラインはどこまでか、とにかくこれらすべてが審判の目分量ということになる・・・と思ったら、よく見るとラインは地面を掘ってあった。躓きそうな感じなのであまり良くないと思うが。

    ラインの代わりに溝が掘られていた・・・。

    また、誰もがシューズを履かずにプレーしているのにも驚いた。ソックスを履いているものはソックスのままで、ソックスを持たないものは短パンの下には何も身に着けていない。これでも公式戦らしく、ちゃんと大会本部席があるし、スコアも記録しているようだ。当然、それらしい恰好をした主審やラインズマンたちが判定している。それでも競技をしたいという気持ちを大いに買いたい。

    内容については云々するようなものは特にないし、やがてこういうところからも優れた選手が出てくる日が来るのかどうかは知らないが、だんだんとレベルが上がって来る日も来るだろう。やはりこれも現状が低すぎるだけに、将来の伸びしろは大きいということになるのではないだろうか。

    ただ残念なのはコトバが通じないため、どういう大会なのか、どういうチームなのか、なぜ裸足なのかその他いろいろ質問したいことはあるのだが、尋ねることができる相手がいないことだ。英語が通じそうな人は見当たらないし、適当に尋ねてもやはり通じない。

    民家の庭先のジャックフルーツの木。これが一本あるとありがたい。
    とにかく暑いので、夕方のビールで生き返る感じ。

    〈続く〉