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カテゴリー: travel

  • お上りさん観光客

    お上りさん観光客

    アジャンターの遺跡群の中の石窟寺院には、近代的なアパートのようなものがあり、居住性も良好なように思えるものもいくつかあった。往時は中には絵が施されていたようなので、かなり華やかなものであったことだろう。また壁には漆喰が塗ってあったため今のような暗さでもなかったのかもしれない。

    No.1からNo.34までの窟があるが、No.30以降のものがかなり離れているため、電気エンジンの園内の乗り合いが走っている。

    田舎のお上りさん観光客は相手が見るからに外国人でも平気でものを尋ねてくる人たちがけっこうある。たぶん気持ちが高揚してあまり周囲が見えなくなっているのだろうか。

    お揃いの帽子を被った壮年の団体さんが肩で息をしながら「おーい、あんたぁ。ここから先には何か見るものあるかなぁ?」などと質問してくる。

    こちらはたった今観てきたばかりなので記憶は新鮮。「30番から34番までの石窟があるけど、32番は見応えあるから頑張って行ってみたほうがいいですよ!」と教えてあげる。

    年齢とともに脚が悪くなったり、肥満で歩行がたいへんになった人たちもいる。インド人の年齢はよくわからないけど、私の親の年代よりもはるかに若いはずだ。そして悪くすると、僕とそんなに大きく年齢変わらなかったりするかもしれない

  • 世間は狭い

    アジャンタの遺跡の階段で休んでいたシニア親子(おじいちゃんとその娘のおばちゃん)連れに声をかけられた。どこから来たのかというありきたりな話から、「デリーのどこ?」「南デリーのグリーンパークのあたり」「えぇ?ゴーダムナガル?!」「ゴーダムナガルのどこ?」というような展開に。

    実は昔々デリーで下宿していたときのご近所さんであることがわかった。

    「あの小さな公園が今はジムみたい(トレーニング機器もどきが置かれるようになった)になっているね」「サウスカフェ、とうとう閉店しちゃった」みたいな会話に。

    下宿先の家主の家族と直接の面識はないけど「あの一族は知っている。あたりが宅地化される前に界隈の地主だった)とも。そう、確かにそうだったと聞いている。Masjid Mothの周囲の土地は家主一族の所有だったということは私も知っている。

    いろいろ聞いてみると、ご近所さんといっても私が下宿していた時期よりも後に移り住んできた人たちであることがわかったけれども、あの狭い一角にゆかりのある人たちとここで会えるとは、ちょっとびっくり。

  • マラーティーの綴り

    マラーティーの綴り

    マハーラーシュトラ州の街なかで店の看板を眺めていると、マラーティー語における外来語(英語)の綴りがヒンディー語圏におけるそれと異なるものが目につく。

    画像の店では「Welness Forever」と書いてある「Forever」の部分、ヒンディーであればफॉरेवर(forevar) あるいはफोरेवर(forevar)となるところ、फोरेव्हर(forevhar)とある。

    फोरेव्हर(forevhar=forever)

    同様に銀製品の店ではसिल्वर(silvar)ではなく、सिलव्हर(silvhar)とあった。英語の「ver」の部分が「var」ではなく、「vhar」となるらしい。

    Zeroxについてはजेरॉक्स(jeroksあるいはzeroks)またはजेरोक्स(jeroksあるいはzeroks)などではなく、झेरोक्स(jheroks)と、最初の音が帯気音化するようだ。

    झेरोक्स(jheroks=ゼロックス)

    系統は近いとはいえ、異なる言語なので、綴りも違ってくるのは当然ではあるものの、マラーティー語に限らず、ネパール語でもサンスクリット等古語が起源の語は、綴りにほとんどブレがないのに比べると、英語からの借用語であったり、英単語の音写においては、かなり違ってくるのが興味深い。

    また「औषधि (aushdhi)」とは薬のことだが、ヒンディー語圏では、アーユルヴェーダの薬のことであり、西洋医学の薬のことは指さない。だがこちらでは西洋医学の薬を販売する薬局が堂々とその看板を掲げている。またこちらでの綴りは「औषधी (aushdhii)」となり、尾が長くなるらしい。

    औषधी (aushdhii=薬)

    時間と機会があれば、マラーティー語を習ってみたい気がする。

  • アウランガバード石窟

    アウランガバード石窟

    6世紀から7世紀にかけて掘られたこの石窟群は、上のほうの群と下のほうの群に分かれている。エローラーやアジャンター等に比べてたいしたことないとのことであったが、そんなことはない。規模は両者に及ばないものの、充分に魅力的な石窟であった。

    他国にあれば第一級の国宝扱いなのだろうが、遺跡の宝庫インドにあってはちょっと軽い扱いになってしまう。

    もちろん時期も地域も近いため、似ているのは当然のことだ。市街地にごく近いところにあるのもありがたい。

    アウランガーバード石窟から市街地の眺め
  • アジャンタ

    アジャンタ

    訪問予定はなかったのだが、せっかく近くまで来たのでアジャンタを見学。改めて素晴らしいものだと思った。インドにおける世界遺産登録物件では最も早い時期になされたもののひとつ(登録年1983年)だ。

    昔々、学生の頃に訪れたことがあるが、当時はもちろんデジカメなどなく、ISO100のフイルムを使って石窟内を手持ちで撮影するのは無理なので、当時の写真は手元にない。

    また記憶に間違いがなければ、ここに26ある石窟のすべてに窟内の照明などなく、窟ごとの係員がときおり懐中時計を向けたり、誰かが雇ったガイドが持参したそうした照明器具を当てたりしない限り、真っ暗で何も見えなかった。そんなわけで壁画についてはあまり記憶もなかったのだ。

    いずれの石窟も崖の壁面から削り出したものだが、後期のものになると造っていた途中で放棄されているものもある。何かそうせざるを得ない事情があってのことのはずだが、まさに途中であったがゆえに、どのように削り出していったのかを見ることができる。25番目の窟は途中で放棄されたものの中では最大だが、これもまた窟内はライトアップしてあり、往時の工事の痕跡をじっくり眺めることができる。

    ともあれ、昔と違い訪問客に対して見やすい、見学しやすい環境がしつらえてあるのは良い。予定していなかったとはいえ、本日は訪問してみて良かったと思う。

    実は予定していなかったのに来てみることにしたのは、最近目にしたある新聞記事が理由のひとつ。シーズンには大勢の人々が押し寄せる大観光地で、人々の呼吸や肌などから出る湿気等、そして各石窟でしつらえてあるライティングも壁画に悪い影響を与えているのだとか。文化財の保護のために照明をやめるとか、人数制限をする必要性なども暗示されていた。

    貴重な文化財であるとともに、ドル箱の大観光資源でもあり、そのバランスを取っていくのか、あるいは後世に残すことを最優先するのか、とりわけ文化財保護にあまり大きな財源を振り分けることは難しい途上国においては難しい問題だ。

     

  • ヴァンデー・バーラトの寝台車お披露目

    鉄道大臣によりヴァンデー・バーラトの寝台車の発表がなされた。

    全国各地で運行区間が追加されているヴァンデー・バーラト。インドが誇る国産の非常に快適な準高速列車だが、現時点までは全席チェアカーの昼行列車。今後夜行寝台のものも始まるのだからありがたい。

    中距離の昼行列車としても、夜行の長距離列車としても、それぞれ従前からあるシャターブディー、ラージダーニーと存在意義は被るがいずれもヴァンデー・バーラトが上位の位置付けとなる。

    シャターブディー・エクスプレス(Century Express)、ラージダーニー・エクスプレス(Capital Express)と、ニュートラルだがロマンチックな語感のある名前が好きだが、ヴァンデー・バーラトというこれとは毛色の違う翼賛的なネーミングは、いかにも右翼政権らしいなぁとも思う。国策として各地にサービスを展開して好評を得て、さらには寝台列車も導入してインド万歳の福音を届けようということだろうか。

    それはともかく、ラージダーニーは文字通り、首都と各地の州都(国のラージダーニー、州のラージダーニー)を繋ぐ列車として全国各地で展開してきた。シャターブディーと合わせて中長期的には今後ますます増便されて運行区間も広がったヴァンデー・バーラトに置き換わるのだろうか。これらとは別にヴァンデー・メトロというサービスも今後展開していく予定。メガ級の大都市と周辺の街を高速で繋ぐというもの。

    インド国鉄は、モーディー政権2期合計10年で大きく変わった。3期目の現在もその変化は休む間なく進行中だ。

    Vande Bharat Sleeper Exclusive Sneak Peek: Indian Railways Unveils New Train Better Than Rajdhani! Check Top Photos, Features (THE TIMES OF INDIA)

  • パンチャッキー

    パンチャッキー

    アウランガーバードに戻った。セントラルバススタンドに到着。宿にチェックインしてから市内見学へ。

    手始めに訪れたパンチャッキーは、サイフォンで汲み上げた水の流れを利用した噴水と石臼が見どころ。ここで穀物を挽いて粉にしていたのだとか。現在もそれは回っている。

    水力で回転する石臼

    裏手に博物館があるとのことだが開いてすらいないし、中は荒れ果てた倉庫のようだ。同じところにダルガーもある。ここの世話人をしている体格の良い男性が資格を持ったイスラーム学者でもあるようなのだが、彼はそこの「図書館」の管理もしているとのこと。

    「博物館」とのことであったが・・・。

    しかしその「図書館」とやらは大変小さくて貧弱なものなのだが、この街ではずいぶん早くからある貴重な図書館であるようなことを言っていた。

    見た目からして重厚感があり、幾つなのか見当もつかないのだが、実は全く同い年で私よりもわずか16日早く生まれたということがわかった。なんだか嫌になってしまう。

  • 快適な宿

    快適な宿

    アフマドナガルでの宿泊先はHotel Prabha Palac。この街にあるバススタンドで通称「プネーバススタンド」から南に下ったところにある。本日のバスはそこで下車してオートでホテルに向かった。

    とても感じの良いホテルで、オーナー自身がよく顔を出して客に声をかけたり、従業員の様子を見ているようだ。こういうところはたいていちゃんとしているものだ。

    採光が良くて明るい室内
    部屋からの眺め

    部屋はとてもモダンかつきれいで快適だし、風呂場も同様。そして併設されているレストランもとても良い。女性たちが複数ウェイトレスとして働いているというのもインドでは珍しい。とりわけ田舎町のホテルとしては。

    ホテルのレストラン。意外なまでにあか抜けている。

    ホテルには隣接する広場というかファンクション用の広大なスペースがあり、ここを借り切ってパーティー等ができるようになっている。

    そこでは本日「婚約式」のパーティー。インドのお父さんお母さんは娘さんが結婚するときの支出はたいへんだ。それでも近年は結婚したのにすぐ離婚というのも珍しくないが、合わなければサッサとやめたほうがいいとはいえ、大変だなあと思う。

    「婚約式」進行中
  • 路上のブービートラップ

    路上のブービートラップ

    路上に突き出たマンホールがある。まさにブービートラップ。こんなのにバイクなどがつまづいたら大変なことになる。おそらくこれから道路舗装で厚くなる分高くしてあるのだろうけれども、こういうのが平気で放置されているのがインドだ。

  • 大好きなドリンク

    大好きなドリンク

    AMULのシリーズのこのふたつがとても好きだ。上はエライチ(カルダモン)、下はケーサル(サフラン)。いずれも深い味わいが楽しめる。インドならではの濃厚なミルクベースの嗜好品である。

  • アウラングゼープここで没す

    アウラングゼープここで没す

    この場所でアウラングゼープの亡骸が清められたとのこと。

    アフマドナガル郊外のマドラサへ。ここはアウラングゼープゆかりの施設である。大柄なモールヴィーが簡単に説明してくれた後、「後は彼に話を聞きなさい」と中年男性を私に付けてくれた。アウラングゼーブの最期を目的に訪問する外国人は多くないようで、やたらと親切だ。

    アウラングゼーブはここにある小さなモスクで礼拝中に倒れて帰らぬ人となったそうで、モスクのすぐそとにある基壇状のものは、亡骸となったアウラングゼーブがそこで清められたことを記念するものであるとのこと。

    そのすぐかたわらにあるバーラーダーリーは入ってみるととても風通しが良くて気持ちがいいのだが、まさにここが晩年の彼のお気に入りの場所であったのだとも。その上階では彼の配下の軍団の長が地面から大声で報告するのを聞いていた場所とやらがあり、説明してくれる男はあたかも自身が昨日、アウラングゼーブがそうしていたのを見ていたかのように話す。

    バーラーダーリー内部

    また、朝一番の礼拝は地下室で行っていたとのことで、その場所は今も残っている。もともとは南北に細長かった地下室は壁で塞がれて二分されているのを除けば、形状はそのままであるとのこと。

    アウラングゼーブが祈りを捧げていたという地下室

    アウラングゼーブ自身はこの施設で自身のためにかかる費用は一切、自身の帝国の予算からの支出は許さず、彼自身が達筆で書写したコーラン、彼自身が刺繍して仕上げたトーピーなどからくる収入を充てていたとも。さすがにこのあたりにまでくると、この人が実際に昨日まで直に接して見てきたかのように言われても、にわかには信じられないのだが、とにかくこの場所にゆかりの偉人であり、比類なく高潔な人物であったと伝えられているわけなのだろう。

    本日案内してくれた男性が「まさにここ、この場所でアウラングゼーブが突然崩れ落ちて・・・」と、あたかも先月目にしたばかりのような臨場感で話す言葉を前に、私自身もあたかもそこで、まさに目の前にで皇帝が膝から崩れるように転倒して、周りが大騒ぎになっている有様を追体験したかのような気分になる。やはりここに来てみて良かった。まさにそれに尽きる。

     

  • アフマドナガル・フォート

    アフマドナガル・フォート

    アフマドナガル・フォートは、ムガルによる占領そしてその後は在地のヒンドゥー勢力の手に渡り、さらには英国へと所有が移り、20世紀には政治犯(独立運動家)の収容施設となったり、さらに時代が下ると軍の駐屯地となり現在に至っている。

    広大な城壁の敷地全体が軍用地となり、私たちを含めた市民の入場は認められないのだが。ごく一部、市内に面する大きな「ハーティー・ダルワーザー(エレファント門)」と宮殿のあった部分のみ、インド陸軍兵士によるチェックを受けてから訪れることができる。

    ただし宮殿というのが軍用地内であるため保護活動がなされていないのか、荒れ放題、崩落寸前であり、とても見学すべき価値のあるものには思えなかった。崩れそうな入口からはコウモリの糞尿の強烈な臭いとともに「キキキィ〜」という癪に触る鳴き声が聞こえてくる。夜になると、このあたりではドラキュラが徘徊しているものと思われる。

    国に接収された城が軍用地となる例はとても多い。市街地近くに広大な敷地が用意できるのはそのような場所であるがゆえであること、さらには統治の中心でガバナンスの力の源泉であったところから権力者がいなくなるという「権力の真空」を放置しておくわけにはいかず、「新たな権力機構の象徴」であり、騒擾が起きた場合には即刻弾圧を加えることが出来るよう、新たな権力による暴力装置を据えておく必要があったからという理由もあったのだろう。ちょうど日本で各地の藩が解体された後、藩主の城に明治新政府の警察や軍が駐屯地したのと同じようなことだ。

    城内を歩いていると、幾度も地元の見学者、家族連れであったりカップルであったり・・・に呼び止められて、どこを観ると良いかと尋ねられる。聞けばこういう人たちは州内のいろいろな街からやってきた観光客のお上りさんたちであった。

    元宮殿のお化け屋敷、ハーティー・ダルワーザー、城壁の上の遊歩道などを見学して帰る頃になると、まずまずのアドバイスをしてあげられるようにはなった。ほとんど訪問者の姿がない城内とはいえ、どこから見ても詳しそうに見えない私なんかに聞いてとうするの?という気がするが、まあ田舎からのお上りさんというのは得てしてそんな人がけっこういるものだ。